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2022年09月10日

仲秋の名月

事務長が、「生徒も月を見る機会があるといいですね…」と言う。
私と年齢が近い彼が、自然を愛でる心があるとは知らなかった。失礼ながら、もっとモノを重視する方だと思っていたからだ。

確かに仲秋の名月は年に一度。天気が悪ければ、月は見えない。
しかし、澄んだ秋の空に、低めに南中する輝く満月は、古くから日本人の心を魅了してきた。

世知辛いい世の中、日本人の誰もが、せめて月を愛でて心を落ちつけて欲しいと思う。

そんな風に思っていたら、「昨晩は〇〇と15分月を見ていました…」、という中学生の男子生徒がいた。Yである。

Yは小柄で物静かながら、コツコツタイプの努力家。中学生にはめずらしい沈思黙考の生徒である。

果たしてYは月を見て、何を思ったのだろうか。まさか、密教の阿字観にも似た、満月瞑想をしていたわけではあるまいが、何かしらの気づきがあったに違いない。

日常の雑踏から逃れ、自然の姿に思いを馳せ、脱日常を経験することは時に必要なことだろう。

「満月の時は、懐中電灯なくても夜道を歩けるし、大きな字なら本だって読めるんだよ…。」
授業で生徒たちにそんな話もする。

都会っ子にとっては、夜は街頭や店の照明の明かりしか感じないだろうが、月明かり、場合によっては星明かりだってあるのが、夜の空だ。

「スマホを置いて本を読もう」と言われ続けているが、私は「スマホを置いて星を見よう」と言いたい。

スマホやインター-ネットは便利だし、確かに調べ物には気軽に使えるツールだか、そこには情緒がない。

人間生活から情緒を失ったら、もはや機械に使われている生活になってしまうだろう。

私は、昼夜問わず、毎日空を見上げている…。




2022年09月04日

文化祭の劇発表

例によって写真係だった私は、準備を含めた文化祭の期間、クラス劇をすべて三回ずつ見た。計算すると21回、撮影しながら劇を見たことになる。

本番二日目に審査員が入り、順位が決められたが、不遜ながら私ほどこのように劇を見続けた者もいまい。

どの劇も気合いが入っており、見応えがあった。

最初から仕上がりが良かったのが、経験豊かな高2の劇。2クラスあったが、どちらもバイタリティ溢れ、迫力があった。彼等は中学時代も劇をやっており、さまざまなノウハウも体得しているのだ。

一方で、中学生の劇は、担任たちに引っ張られながら曲がりなりにも形にするという具合で、見ていてドキドキするものがあった。これが準備リハーサルの日。

文化祭の初日。本番一回目では、中学生、特に中1が急激に進化した。「本番に強い」のは私の学校での伝統だが、これほどとは思わなかった。その反面、高2の劇が伸び悩み、昨日様なバイタリティも迫力も感じなかった。もちろん、キャストたちは、私の望遠レンズで見ても、汗だくになって演技をしているので、真剣そのものなのだが、ちょっと前日よりは落ちてしまった感があった。中2、中3も順当に進化している。

私は、中2のあるキャストに、一言だけアドバイスした。すでに劇団の演技指導を受けている生徒ではあるが、少し元気のなく、力ない演技に見えたからである。

「目力を大切にしなさい。その間をとり、言葉にも思いと力を込めなさい…。」

果たして三回目。本番二日目である。

この日の中1のあるクラス、中2の別のあるクラスの発表は秀逸だった。その他の中学のクラスも仕上がりが良かった。中3も元気だった。しかし、高2は日に日にレベルが落ちた。

アドバイスをしたキャストは、光輝き、これまでで最高の演技だった。まさに、演技する側と客席が一体化し、非の打ち所がなかった。

脚本は生徒が書いたものだが、その台詞にはドキッとするものも多かったことも追記しておこう。

「僕はお母さんを信じている。だから、お母さんが信じている神さまを信じる…。」

信仰はこのようにして世代間に継承されていく。二世問題で荒れている宗教批判は、そんな軽薄なものではないのだ。




2022年08月30日

文化祭近づく…

文化祭が今週末に迫ってきた。
中高の学校なので、文化祭の雰囲気は高校の様になり、中学生の準備も半端ない。

幸いなことに、中学校のほとんどのクラスが劇を行うので、その意味では若干は負担が軽い。例年、クラス展示では教室を別世界を作り出す。その創造性は大したものだが、それを中学生に求めるのは、結構ハードルが高いのだ。もちろん、劇も展示も、「これで完成」という基準はなく、時間さえあれば、いつまでもどこまでも、進化してしまうが、そこは無情にも当日がやってきてしまうわけで、たいていは、「妥協」の産物になる。

大変なのは担任たちで、生徒たちの意見を尊重しつつ、さまざまなマネジメントを行いながら、クラスをまとめ上げるのだ。

当然、途中で数多くのトラブルも起こるし、想定外の事態になることだってある。

それでも、本番(劇の場合は文化祭二日間の両日、各一回の合計二回)を終えれば、まさに「ほっ」とする。それなりの出来映えになれば、彼等は、底知れない満足感に、恍惚感すら覚えるのだと思う。

かつて私も、そうした担任の立場にいた。
だからこの時期は大忙しで、同時並行でいろいろな処理をしないと、まったく回らないという状態でもあった。

だが、充実感はあった。
「私のクラス」
という感覚は、あまり大きくなりすぎると弊害を生むのだが、それでもそうした気持ちが大きくなり、ことに、他の賞賛を得れば、得意にならぬ訳はない。

「先生のクラスはまとまっていましたよね…」
というい言葉を待っているのではないかと思えるほど、他の先生や保護者からの評価が気になるのである。

クラスの生徒たちは、発表を通して、『認められたい』と思って頑張っている。

もちろん、「来て下さった方への感謝の思いを込めて、サービス精神を最大限にアップして」の発表だが、心の奥底では、「評価されたい」という気持ちは消えることはあるまい。

子どもは、頑張ったら褒めて欲しい生き物なのだ。

これを大人が求めると醜くなるが…。




2022年08月29日

発達の偏り

発達の偏りのあるS。私は今年から彼のいるクラスを授業で担当することになった。だが、ここにきて、Sの予想外の行動に、さらに先生たちを悩ませているように見える。

4月当初、彼はまだ私に親しく話をしてきたので、「授業くらいは大丈夫かな…」と思ったのだが、6月の終わりくらいから、私から逃げるようになって、授業に出なくなった。

そのまま一学期の期末試験に突入したため、当然点数がとれるはずもなく、S自身、さらに首を絞めることになった。いわゆる赤点である。

そのため、終業式に教頭先生より指導があったのが、Sはこれをもすっぽかした。「父親と北海道旅行に行く」と言って、呼び出した時間より前に出発してしまったのである。

怒った担任は、すぐさま電話を掛けて呼び戻し、小一時間遅れの指導となった。Sは、申し訳なさそうな素振りはしていたが、心の底からそうは思っていまい。父親も「またか…」というような感じ。手のかかるかわいい息子には、父親ですら盲目になる。

かくして無事赤点に関する指導は行われたのだが、最近その再テストが行われた。
私は、「もしかしたら受験しないのではないか」とも思ったが、試験はきちんと受けた。

だが、合格点にはほど遠かった。与えた課題もほとんど取り組まず、担任が課題のほんの数ページだけを持ってきて、「やっていませんでした」と悲しげな顔をして言った。

「人は嫌なことから逃げ続けると、どこまでも追いかけてくるものだよ。」
私は久しぶりに教室に残っていたSにそう言ってみたものの、果たして彼に理解できるか不安になった。

刹那的で、その場の指導しか通じない。同じ事を注意されても、翌日にはまた同じことをしてしまいがちな生徒なのだ。

彼の場合中3だが、高1、高2でも同様の生徒はおり、担任たちが献身的に寄り添っている。

「さぼっているのか、本当にできないのか」の判断は難しい。

しかし、学齢期に受けた愛情は、彼等のこの先の人生で何らかの糧になるのかも知れない。

昨今、こうした生徒が増えてきている…。




2022年08月24日

始業式

世間からは少し早いようだが、二学期が始まった。
大方の生徒が元気に登校してきたのは嬉しい。

思えば、この夏も七月上旬からじわりとコロナが流行り始め、あっという間に拡がり、結局一学期の終業式も二日ほど前倒しになったのだ。その後の、夏期講習、体験入学はなんとか実施したものの、八月に入ると、先生たちも半数くらいが陽性になってしまって、なかなか大変だった。

そんな出来事がほんの二、三週間前であったのだが、今日、始業式には皆が復活し、また何ごともなく新学期が始まったのは嬉しいことだ。

世の中はまさにコロナと共に生活するスタイルが定着しつつある。甲子園大会だって、メンバーを10人も入れかえてなお、出場したチームもあった。

政府の対策はワクチン一辺倒だが、一国の総理大臣が4回目のワクチン接種をしてまもなく、陽性になってしまったのだから、ワクチンの効果も疑わしい。

気をつけて生活をしていても、自分自身の免疫力が下がれば陽性になってしまうようだが、ワクチンを打っても、免疫力がさがってしまうようで、皮肉なことに、ワクチン接種者の方が未接種者よりも感染しやすいという現象すら起こっている。

日本はもう一月以上も、世界中で一番陽性者の多い国として、世界中に知れ渡ってしまった。だが、これにはからくりがある。

何のことはない、世界の多くの国では、もはや全数検査的なPCR検査もやめてしまったし、ワクチン接種も勧めていないのだ。一方で、日本が、世界でも有数のワクチン接種率であるにも関わらず、世界一の陽性者数であるのも、空気に流される日本らしく、複雑な気持ちになる。それでもなおかつ、年少者へのワクチン接種を勧めようとする様には、何らかの利権が絡んでいると思わざるをえない。

とにかく、皆が元気で生徒たちが学校生活を再始動させることができたことは、とても嬉しいことだ。今のところ、直近の文化祭も、感染対策をしながら、有観客で実施する予定だ。

何年かあとには、「あの時代は何だったんだろう…」などと振り返ることもなるのだろうが、生徒たちにとっては、一生に一度の学校生活なのだ。

コロナ禍の中、せめて心の絆だけは保ち続けていきたいと思う。




2022年08月23日

体験入部

小5のF君が体験型の学校説明会のあと、引き続き野球部の練習に参加することになり、今日がその二日目、最終日であった。

野球を始めてそれほど間もないようで、真新しいグローブは、まだかたく、なかなか手にフィットしていないように見える。それでも、必死にボールにくらいつく姿は、けなげに見えた。こんな風に必死に練習していると、いつの間にか上手になっていて、グローブの動きもあたかも自分自身の手と同じように動かせるようになる。

せっかく何度も来てくれたのだから、もっと親切に接してあげたらよかったかな、とも思う。どうも私はぶっきらぼうで、私が直接関わってもいいが、生徒同士の方が、この先につながるのかな、などと言い訳をして一歩引いてしまう。

果たしてF君、充実した楽しい部活体験ができたのだろうか。

野球部はコロナ休み、夏休みを経て、18日から再開したものの、相変わらず元気がない。この代も、一人キャプテンのKだけが、声を張り上げ、思い通りにならないことに悶々としている。部員は野球未経験者の割合の方が多く、どうしてもそっちに引っ張られてしまって、なんだか野球部らしからぬムードになりがちなのだ。

私は、時折に彼等を集め、練習のコツやポイント、マインドなどを話す。彼等がどれだけ真剣に私の半紙を聞いていたかは、その日の日誌を見れば、たいてい分かる。毎日続けている部活動だが、毎日が成長の連続になっていなければ、進歩はきわめてゆっくりとしてものになってしまうのだ。

折しも、甲子園の決勝戦。
いろいろな甲子園での試合の話をしながら、少しでも彼等のモチベーションが上がれば、と思ってのことだ。

「最後まで諦めないプレーが、最後には勝つ」
練習終わりのミーティングで、私はそう語った。
Yに言ったのである。彼は、自分のプレーが上手くいかないと、すぐに投げやりにある。ぶつぶつと言い訳がましいことを一人ごとのようにつぶやき、程なく復活するのだが、土端から見ても、どうもやる気が感じられないと判断されても仕方がないのだ。だが、Yは自分のことだとは分かっていないだろう。

甲子園が終わると、夏休みも終わりになる。明日は始業式だ。





2022年07月19日

クラス運営

学年主任が言う。
「M先生、男子たちからは反発され、女子からは信頼を失っていると言っているんだけど…」
生徒から相談があったという。

確かに、このところそのクラスの男子は「ぼーっ」としている。もう一つのクラスのように男性の担任ではないので、「ありとあらゆる事に甘えている」ことも事実、一方で、その姿を見ている女子も、「担任には指導力がないのではないか」とすら思うことだってあるのだろう。

とかく、女性の先生にとって、思春期の男子生徒を掌握するのは、そうそう簡単なことではない。ヤンチャな男子を抑えられてこそ、そうした男子に不満を持ってみている女子生徒をもまとめられる、というものだ。

昨今、お疲れのM先生、私は、いろいろ試しながら頑張って欲しいと思っている。

「担任がお疲れで元気がないこと」、「隣のK先生が自分のクラスの生徒を指導するだけでイライラしてしまうほど、余裕がなくなっていること」、「そうした波動を生徒が感じ取っていること」、などを少し学年主任にお話しした。

担任業務には、ものすごい情熱と熱意、いざとなれば、24時間生徒のことを考えることが必要だ。

だから何か心にひっかかりがあると、そうした熱量が少なくなり、クラス以外のことを考えてしまう時間が多くなってしまう。そうした変化は、生徒は敏感に察知する。

一方で、学期末で、もうすぐ夏休みだという意識も、こうした生徒の思いを増やしてしまう。

とにかく、M先生が元気を取り戻し、復活することが一番。
解決の糸口はまずはこの部分だと思う。

学期末の激務の中、熱い思いで生徒と関わる、その情熱に応える生徒の輝きをまたエネルギー減として、また頑張る…。こうしたルーチンが担任業務には必要なのだ。

彼女の復活を願いながら、私は陰ながら支えていこう。

一学期の終業式までは今しばらくあるが、頑張ってもらいたいと思う。





2022年07月10日

中3最後の大会

一学期期末考査の直後、中3最後の大会になった。いわゆる総体予選である。以前は夏休み期間中に入る7月20日からであったが、昨今の猛暑により、前倒しになり、今年はさらに、競技ごとの分散開催になり、、国体開催のため、さらに早くなったのだ。

高校野球よりも先に中学野球の試合が行われ、負ければ引退になるのは、少々やるせない。ちょっと早いんじゃないかな、とも思う。

かくして我がチーム、昨年よりも各段に戦力が落ちて、早々のコールド負けかとも思われたのだが、そんなことはなかった。

ピッチャーでキャプテンのFが最高のピッチングをしたのである。私が思うに、この3年間で最高のピッチングだった。

カーブがストライクにならないという癖(?)は相変わらずだったが、それでもストレートとの速度の落差があり、またストレートのコントロールが良く、終わってみれば8奪三振。Fは高校野球はやらないつもりでいるので、自分の野球人生六年間の集大成のつもりでいたのだろう。

大会には、Fの両親、祖父母も応援に来た。
負けはしたものの、恐らくは息子のピッチングに満足したのではないかと思う。

奇しくも、昨年の大会と同じ学校との対戦になったが、終了後、相手校の監督から、「今年は昨年より強かったですね…」と言われた。

個人の能力的には、昨年の方が各段に高かった。しかし、いざ攻撃の時、うまく歯車が回らなかった。チームのまとまりとしては、もしかしたら今年の方が良かったのかも知れない。

夏の大会で負ければ中3は出られる試合がなくなってしまう。そして、負けないチームは、全国でただ一つだけ。その他のチームは必ず負けるのだ。

だから感極まってほとんどの中3が勝っても負けても泣く。

負けるにしても、どのように負けるかが、監督としての采配でもある。

何ごとも終わり方は大事だ。

私自身、良い試合だったと思っている。
一方で、勝たせられなかったのも私の責任だ。

中3たちよ、お疲れ様。




2022年07月09日

タブレットパソコン

近隣の公立学校では、ここ何年間かで、急ピッチでエアコン設置が進んだ。最優先で学校の教室の冷房化を進めたのである。お陰で、この夏も何とか乗り切れていると言う。

一方、タブレットパソコンも、全生徒に行き渡らせることができたと言う。これは、コロナ禍の遠隔授業対策のため、こちらも最優先で整備を進め、どの学校でも、一人一台のパソコンが使えるようになった。いつの間にか、私の学校の環境を越えてしまった。

もっとも、私の学校では、もともと「一人一台」の計画はなく、またその必要性も感じていない。コロナ禍にあっても休校をしたこともない。

今のところ、私の地域では、タブレットパソコンを媒体とした重大な事案は起こっていないが、全国では、生徒の情報リテラシーの不足から、生徒の愚かな行為が絶えないようだ。
おそらく学校現場では、また新たな指導が追加された。

働き方改革と言いつつ、教員の仕事は毎年増え続けている。

先日、近隣の先生とお話する機会を得たが、「夏休み前は、報告書の作成ばかりでたいへんだ」とお話しされていた。一部具体的な内容をお聞きしたが、「こんなもん必要なのか」、と思うものも多かった。

教育現場で、新しい企画や方法が導入されるのは良いことだが、その分、体系的破棄というか、なくならなくてはならない仕事が必要だと思う。

教育の世界で大切なのは、人と人との関わりだ。
その部分が制限されてしまうならば、どんな文明の利器を使ったとしても、十分な教育活動はできないだろう。

私も大会などに行くと、生き生きとした若い先生が、生徒に熱く語り指導している姿を見るが、この情熱こそ教育でもっとも大切な部分であるように思う。

以前、ある人が、病院で診察してもらったとき、「医者が全然私を見てくれなかった」という話を聞いた。医者は電子カルテの入力のために、ただただパソコンの画面に向かい、患者を診なかったという。

教育の世界でも、同じようなことが起こってはいけない。

タブレットパソコンって、そんなに役立つものなのかな…。
そんな思いが湧いてくる。





2022年07月05日

お疲れのM先生

最近、若手の女性の担任M先生がお疲れのようである。

私も老害とは知りつつも、時々は、若手の先生たちにご意見を申し上げるが、そうしたこともこうなってくると気を遣う。あからさまにならないように、傷つかないように、そしてそれを長く引きずって、元気が無くならないように、といろいろ考えてのご意見なのだが、それでも私のような年齢の者から言われると、やはり相応のプレッシャーになるに違いない。

そこで今回は、さらに遠回しにお話しさせて頂いた。
まず、「M先生は、夏休みはどこかにお出掛けの予定はあるのですか?」と尋ねてみた。
すると、お休みできるのがお盆の頃だけで、お出掛けの予定はないとのことだった。
そこで私は畳みかける。
「せめて、おいしいものでも食べて、疲れを癒やせたらいいですね…。」

M先生はこのところ、やや心が乱れぎみである。先日も、別のクラスの担任が、M先生のクラスの生徒に話をしただけで、「どんな指導をしたのか、担任が知らないのは困るので、教えて欲しい」と抗議した。

「私のクラスの生徒だから」という思いが強くなりすぎると、他の先生の指導までをも抵抗したくなるのだ。「すべて自分が掌握したい」という気持ちは分かるが、学校現場はいろいろな先生が協力しあって生徒指導をしている。

私だって、ひそかにいろいろと指導をしているが、そのすべてを担任に報告することはない。生徒の側も、いろいろな先生と関わる中で、学校生活を送り、指導を受けているのだ。

こうした「自分中心」の考えに陥るのは、M先生の場合、疲れているときなのである。
だから私は、遠回しに、ちょこっとお話させていただいたわけだ。

一学期の終業式は、今月末。それまでまだしばらくあるのだが、M先生の復活を密かにお祈りしよう。

人は忙しすぎると、いっぱいいっぱいになる。
余裕がなくなり、普段なら「流せる」ことも心に引っかかりを残す。
それが過ぎるといらいら感が募り、怒りっぽくなる。
そしてまた、その姿をふと振り返り、自己嫌悪に陥る。
そのことで、ますます、心が乱れていくのだ。

忙しい学期末。心の身体の健康に十分注意しながら、それでいて、自分の中に、少しの余裕を残しつつ、仕事にあたりたい。

それが、生徒のためでにもなる。




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