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2021年06月21日
公開授業その2
今日も公開授業を見た。
中1の英語である。
「英語では、thisのあとはitを使う」
などと赤で板書されると、「へー、そうだっけ…」、なんて思ってしまう。
「活発なクラスで、とてもやりやすいんです…。」
と、担当の先生は話されていたが、私には満足出来なかった。
こんな風に、人の授業にケチをつける私を、老害と呼ぶのだが、残念ながら感動は得られなかった。
もっともっとドラマチックでないと、今は中1だから良いが、この先は、マンネリ化して、眠い授業になってしまうだろう。
私は、「授業で、どこまで役者に徹することができるか」、かが勝負であると思っている。
その中で、生徒とのキャッチボールを行い、授業をドラマチックに成立させていく。
役者に徹するのは、生徒を一気に教員に集中させるためである。
彼等の視線と思いをひとまずぐっと集めて、そして、さっと手放す。
手放されたときに彼等は、自ら考える。
その時、その瞬間を見逃さずに新たな話で、再度引き寄せる。
指示も、全員の思いを束ねている時は、ほんのささやくほどで足りる。
授業の説明も、集中させているときには、すーっと彼等に伝わっていく。
彼等が自ら解き終わる頃、またぎゅっと彼等の思いを束ねてみる。
その時には、言葉のみならず、ありとあらゆる術を使って、心を掌握しようとする。
これが私の授業スタイルだ。
ここで言うほど大した授業ではないが、こだわりだけは持っている。
メリハリや緊張と弛緩、その波をランダムに意表をつくように畳みかけると、ドラマチックな授業に近づいていく。意外性が興味を引きつけ、「分かる」教え方で、生徒が「できる」ようにする。
みんながドラマチックな授業を目指せば、毎日の授業も楽しいものになるのだろう。
大学の授業とのギャップはますます広がってしまうが…。
授業を見て、そんな風に考えた。
中1の英語である。
「英語では、thisのあとはitを使う」
などと赤で板書されると、「へー、そうだっけ…」、なんて思ってしまう。
「活発なクラスで、とてもやりやすいんです…。」
と、担当の先生は話されていたが、私には満足出来なかった。
こんな風に、人の授業にケチをつける私を、老害と呼ぶのだが、残念ながら感動は得られなかった。
もっともっとドラマチックでないと、今は中1だから良いが、この先は、マンネリ化して、眠い授業になってしまうだろう。
私は、「授業で、どこまで役者に徹することができるか」、かが勝負であると思っている。
その中で、生徒とのキャッチボールを行い、授業をドラマチックに成立させていく。
役者に徹するのは、生徒を一気に教員に集中させるためである。
彼等の視線と思いをひとまずぐっと集めて、そして、さっと手放す。
手放されたときに彼等は、自ら考える。
その時、その瞬間を見逃さずに新たな話で、再度引き寄せる。
指示も、全員の思いを束ねている時は、ほんのささやくほどで足りる。
授業の説明も、集中させているときには、すーっと彼等に伝わっていく。
彼等が自ら解き終わる頃、またぎゅっと彼等の思いを束ねてみる。
その時には、言葉のみならず、ありとあらゆる術を使って、心を掌握しようとする。
これが私の授業スタイルだ。
ここで言うほど大した授業ではないが、こだわりだけは持っている。
メリハリや緊張と弛緩、その波をランダムに意表をつくように畳みかけると、ドラマチックな授業に近づいていく。意外性が興味を引きつけ、「分かる」教え方で、生徒が「できる」ようにする。
みんながドラマチックな授業を目指せば、毎日の授業も楽しいものになるのだろう。
大学の授業とのギャップはますます広がってしまうが…。
授業を見て、そんな風に考えた。
2021年06月19日
やる気が出ない、じゃと…
朝から雨の土曜日になった。
雨が降ると、グランドが使えない。
屋根のあるピロティのような場所もないので、朝からの雨で、外で練習できないときは、階段でのトレーニングになる。
部員たちはそれを知っているので、朝からの雨には嫌悪感を抱き、ずっと気分が滅入るのである。
「今日は朝から、気分が乗らなかったよ…。」
得意げに語る彼等の姿は、後輩たちに悪い影響を与えるばかりである。
「俺なんか、試験前、ほとんど勉強していないんだぜ。」
とうそぶく先輩の声を聞く後輩は、同じようなことを自分が先輩になったとき言う。
「階段トレーニングです。」
という私の指示も、彼等にはモチベーションを高めるどころか、気持ちを萎えさせ、一刻も早くこの苦行を終わらせたいと思うのだろう。
「やる気がなかなか出なくて、やばかったです。」
「自分も、雰囲気に流されてしまいました。」
彼等の日誌にはそのように書かれていた。
一番の戦犯は自らモチベーションを下げてやっていたキャプテンと、いつもだらしなくプレーするYである。
私はその姿を見て、何度練習を中断し、やめてしまおうかと思ったことか…。
こんな風だから、中1のKが、途中でトレーニングから離脱してしまうのだ。
体力的に余裕のある先輩たちは、その姿や声かけ、高いモチベーションで後輩たちを導かなくてはいけない。
今年の中3も中2も、未だにそのことが分かっていないようだ。
事実、練習後の遊びでは、彼等は生き生きとはしゃぎ回っている。
要は、体力の問題ではないのだ。
今日は、途中で体験入部の小学生が来ることになっていた。
もし、これがなかったら、私は躊躇なく、練習を中断していただろう。
なんとも後味の悪い練習になった…。
雨が降ると、グランドが使えない。
屋根のあるピロティのような場所もないので、朝からの雨で、外で練習できないときは、階段でのトレーニングになる。
部員たちはそれを知っているので、朝からの雨には嫌悪感を抱き、ずっと気分が滅入るのである。
「今日は朝から、気分が乗らなかったよ…。」
得意げに語る彼等の姿は、後輩たちに悪い影響を与えるばかりである。
「俺なんか、試験前、ほとんど勉強していないんだぜ。」
とうそぶく先輩の声を聞く後輩は、同じようなことを自分が先輩になったとき言う。
「階段トレーニングです。」
という私の指示も、彼等にはモチベーションを高めるどころか、気持ちを萎えさせ、一刻も早くこの苦行を終わらせたいと思うのだろう。
「やる気がなかなか出なくて、やばかったです。」
「自分も、雰囲気に流されてしまいました。」
彼等の日誌にはそのように書かれていた。
一番の戦犯は自らモチベーションを下げてやっていたキャプテンと、いつもだらしなくプレーするYである。
私はその姿を見て、何度練習を中断し、やめてしまおうかと思ったことか…。
こんな風だから、中1のKが、途中でトレーニングから離脱してしまうのだ。
体力的に余裕のある先輩たちは、その姿や声かけ、高いモチベーションで後輩たちを導かなくてはいけない。
今年の中3も中2も、未だにそのことが分かっていないようだ。
事実、練習後の遊びでは、彼等は生き生きとはしゃぎ回っている。
要は、体力の問題ではないのだ。
今日は、途中で体験入部の小学生が来ることになっていた。
もし、これがなかったら、私は躊躇なく、練習を中断していただろう。
なんとも後味の悪い練習になった…。
2021年06月18日
蛍の光
中1全員で蛍観察に出掛けた。
毎年この時期、時間を作って、近隣のゲンジボタルを見に行く。
私の隠れ家の裏手も蛍スポットなのだが、この辺りは、いろいろなところで蛍が見える。
生まれて初めて蛍を見た生徒もいるのだろう。
幻想的でありながら、力強く輝く蛍の姿は、人の人生を振り返させる…。
ちょうど近所の親子も蛍観察に来ていた。
だが、彼等は懐中電灯を振り回し、せっかくの暗闇を台無しにしてしまった。
私たちの安全確保のために照らしていてくれたのかも知れないが、蛍は暗闇で見る方が美しい。
田んぼの用水路に生息しているようだが、このあたりは蛍の生息に有害な農薬は使われていないのだろう。
何年か前までは、蛍の写真撮影にチャレンジしていたが、最近はやめてしまった。
もっと蛍の個体が多くないと、見栄えのする写真にはならないのだ。
それに、三脚等の機材も必要だし、その後の画像処理もやらねばならない。
写真でそのまま自然の一部を切り取ったような写真になりにくいのが、蛍の写真でもある。
だから、今年は彼等の姿をじっと見ているだけだった。
その光は、心に安らぎを生む…。
また光った
あの
和らかな光
小さな体から出る
やさしい明るみ
なのに
電灯なんかより
強いものが
心に残る
そう
それは生きているあかし
感動を与えるぬくもり
美しくて
そしてどこか
さびしくて
命をかけて
田に
川に
心に
灯をつけようという
使命にも燃える姿
ああ
心の底より
『美しい』を得たのは
いつぶりか
ほたるは僕に
『感動』の一灯を残す
蛍観察後、S君の書いた詩である。
毎年この時期、時間を作って、近隣のゲンジボタルを見に行く。
私の隠れ家の裏手も蛍スポットなのだが、この辺りは、いろいろなところで蛍が見える。
生まれて初めて蛍を見た生徒もいるのだろう。
幻想的でありながら、力強く輝く蛍の姿は、人の人生を振り返させる…。
ちょうど近所の親子も蛍観察に来ていた。
だが、彼等は懐中電灯を振り回し、せっかくの暗闇を台無しにしてしまった。
私たちの安全確保のために照らしていてくれたのかも知れないが、蛍は暗闇で見る方が美しい。
田んぼの用水路に生息しているようだが、このあたりは蛍の生息に有害な農薬は使われていないのだろう。
何年か前までは、蛍の写真撮影にチャレンジしていたが、最近はやめてしまった。
もっと蛍の個体が多くないと、見栄えのする写真にはならないのだ。
それに、三脚等の機材も必要だし、その後の画像処理もやらねばならない。
写真でそのまま自然の一部を切り取ったような写真になりにくいのが、蛍の写真でもある。
だから、今年は彼等の姿をじっと見ているだけだった。
その光は、心に安らぎを生む…。
また光った
あの
和らかな光
小さな体から出る
やさしい明るみ
なのに
電灯なんかより
強いものが
心に残る
そう
それは生きているあかし
感動を与えるぬくもり
美しくて
そしてどこか
さびしくて
命をかけて
田に
川に
心に
灯をつけようという
使命にも燃える姿
ああ
心の底より
『美しい』を得たのは
いつぶりか
ほたるは僕に
『感動』の一灯を残す
蛍観察後、S君の書いた詩である。
2021年06月16日
公開授業
若い理科の先生の公開授業があった。
私も久しぶりに少し授業を参観した。
最近は、老害と言われないためにも、あまり多くを語らない。
思えば、授業のアドバイスもあまりしていない。
かつての教員の世界は、「見て覚えろ。盗め」、というのが主流だった。
その中で、“見て覚え、盗んで自分に取り入れた授業”に対して、先輩たちが、初めてアドバイスをするというスタイルだ。
だから、いつまでも自己流に徹し、授業のスキルを上げようとしない若手には、ベテランたちは声も掛けない。
そのまま放置しておくと、生徒が犠牲になるな、となったら、雷が落ちるのだが、本人が気がつき、向上を目指そうとしない限り、アドバイスなどしないのだ。
そんな職人気質できな世界であった。
その後、授業や教授方法が法則化され、ノウハウ本も数多く出版され、新人たちにとっては大変便利になった。だが、結局は自分の努力次第。
授業にどれだけ命を賭けているかで、そのスキルは大きく変わっているように思う。
さて、若手の先生の授業。
声は響く。それなりに生徒とも言葉のキャッチボールをしている。
授業中に使用した動画教材も面白い。
プリントや資料もよく出来ている。
だが、物足りないのだ。
授業を受けての感動がないのだ。
先生が一生懸命授業しているのも分かる。
生徒たちも、それなりに授業を受けている。
決して、駄目な授業という訳ではないのだが、イマイチなのだ。
周到に準備された劇場舞台ではないのだ。
細かな部分の配慮、ほんのささやかな立ち居振る舞い。
それらが、舞台ではレベルアップにもなるし、致命傷にもなる。
結局、今回も、私は何も語らずにいるのだろう。
「私の授業だって、決していいものではないが、一度でも見学に来ればいいのに…」、と思う。
ベテランの先生の授業を見て気づくことは多いと思うのだが…。
私も久しぶりに少し授業を参観した。
最近は、老害と言われないためにも、あまり多くを語らない。
思えば、授業のアドバイスもあまりしていない。
かつての教員の世界は、「見て覚えろ。盗め」、というのが主流だった。
その中で、“見て覚え、盗んで自分に取り入れた授業”に対して、先輩たちが、初めてアドバイスをするというスタイルだ。
だから、いつまでも自己流に徹し、授業のスキルを上げようとしない若手には、ベテランたちは声も掛けない。
そのまま放置しておくと、生徒が犠牲になるな、となったら、雷が落ちるのだが、本人が気がつき、向上を目指そうとしない限り、アドバイスなどしないのだ。
そんな職人気質できな世界であった。
その後、授業や教授方法が法則化され、ノウハウ本も数多く出版され、新人たちにとっては大変便利になった。だが、結局は自分の努力次第。
授業にどれだけ命を賭けているかで、そのスキルは大きく変わっているように思う。
さて、若手の先生の授業。
声は響く。それなりに生徒とも言葉のキャッチボールをしている。
授業中に使用した動画教材も面白い。
プリントや資料もよく出来ている。
だが、物足りないのだ。
授業を受けての感動がないのだ。
先生が一生懸命授業しているのも分かる。
生徒たちも、それなりに授業を受けている。
決して、駄目な授業という訳ではないのだが、イマイチなのだ。
周到に準備された劇場舞台ではないのだ。
細かな部分の配慮、ほんのささやかな立ち居振る舞い。
それらが、舞台ではレベルアップにもなるし、致命傷にもなる。
結局、今回も、私は何も語らずにいるのだろう。
「私の授業だって、決していいものではないが、一度でも見学に来ればいいのに…」、と思う。
ベテランの先生の授業を見て気づくことは多いと思うのだが…。
2021年06月15日
細く薄い関係
最近、Tはサッカーの練習中転倒して手をついた際、骨にヒビが入ってしまい固定していた。
その姿が、あまりに痛々しいので、思わず声を掛けたのだ。
私に声をかけられたTは、以前と変わりなく、会話をしてくれた。
肉体的にも精神的にも疲労が蓄積し、いっぱいいっぱいになると、すべてを拒否したくなる。
ちょうどそんなときに私は彼に過干渉したのだろう。
これですっかり嫌われたようだ。
「もう関わるのはやめよう。Tの幸せだけを祈ろう。」
そう思って、祈り続けてきた、
「このままTが卒業するまで、一言も会話を交わすことなく終わるのかな…。それもありかな。」
そう思って祈り続けた。
だが、一週間で話ができた。
この先も、細く薄い関係になるのだろうが、何となく嬉しかった。
もしかしたら、あの頃の私は、孤独に耐えかねていたのかも知れない。
歳をとるとそういう思いが大きくなるようだ。
以前私は、「担任をやらないなんて、教員生活ではあり得ない」、と考えいた。「もし、担任でなくなったら、淋しくなって死んでしまいそうだ」、とすら思った。
やはり何かに依存していたのかも知れない。
人はさまざまな出会いがあり、そして別れがある。
学校現場では、それがずっと行われ続けている…。
その姿が、あまりに痛々しいので、思わず声を掛けたのだ。
私に声をかけられたTは、以前と変わりなく、会話をしてくれた。
肉体的にも精神的にも疲労が蓄積し、いっぱいいっぱいになると、すべてを拒否したくなる。
ちょうどそんなときに私は彼に過干渉したのだろう。
これですっかり嫌われたようだ。
「もう関わるのはやめよう。Tの幸せだけを祈ろう。」
そう思って、祈り続けてきた、
「このままTが卒業するまで、一言も会話を交わすことなく終わるのかな…。それもありかな。」
そう思って祈り続けた。
だが、一週間で話ができた。
この先も、細く薄い関係になるのだろうが、何となく嬉しかった。
もしかしたら、あの頃の私は、孤独に耐えかねていたのかも知れない。
歳をとるとそういう思いが大きくなるようだ。
以前私は、「担任をやらないなんて、教員生活ではあり得ない」、と考えいた。「もし、担任でなくなったら、淋しくなって死んでしまいそうだ」、とすら思った。
やはり何かに依存していたのかも知れない。
人はさまざまな出会いがあり、そして別れがある。
学校現場では、それがずっと行われ続けている…。
2021年06月14日
教育のプロ
我々教員は教育のプロである。
長く教員生活をしていれば、中高生期の特徴や、この時期の子育てのヒント等、経験によるかなりの知恵が蓄積されているはずだ。
だから、保護者から相談があれば、少しばかりは参考になることを言えるときもある。
中学生は、思春期始まりの時期。
この頃から、親の言うことを聞かなくなり、自己中心的な行動が多くなる。
成長の一過程なので、それを見守りつつ、あまりに間違った方向に走ったときは、軌道修正をする。
あまりカリカリせず、「いつか反抗期も終わるわ…」、とおおらかな心で子どもを見守っていると、たいていそのようになる。
この時期、これまでと同じか、それ以上の干渉をすると、そのマイナスの記憶ばかりが増幅され、後々になっても、反発心が残ってしまうこともある。
中一のある母親が、精神的にも限界になった。
「もう無理です。育てられません。勘当します。児童相談所に預けます。」
息子の数々の行いに対して、許容量を超えてしまったらしい…。
挙げ句の果てには、「先生、預かってもらえませんか?」と来た。
まずは、母親をなだめ、励まし、これまで育ててきたことへのねぎらいをしなくてはならないだろう。
その上で、気持ちを安定させ、思春期の意味と若干の対処法をお話して差し上げれば、少しは落ち着くかも知れない…。
親の心子知らずの本人にも、母親の言葉は傷跡を残す。
「そんなことするなら警察に連れて行くから…。」
と言われれば、中学一年生くらいでは、「そうか警察、行くのか…」、と心の深くに記憶を残す。
教育のプロとして、学校の先生が、親子共々、助けてあげることが必要だ。
子どもも一人ひとり個性が違う。
たとえ、兄妹で経験があったとしも、弟妹でうまくいくとは限らない。
同じアプローチでは駄目なこともあるし、何も言わずとも、うまくいくこともある。
毎日のように学校から連絡が来ると、親としても参ってしまうだろう…。
そんな中でも、子どもたちは着実に成長している。
長く教員生活をしていれば、中高生期の特徴や、この時期の子育てのヒント等、経験によるかなりの知恵が蓄積されているはずだ。
だから、保護者から相談があれば、少しばかりは参考になることを言えるときもある。
中学生は、思春期始まりの時期。
この頃から、親の言うことを聞かなくなり、自己中心的な行動が多くなる。
成長の一過程なので、それを見守りつつ、あまりに間違った方向に走ったときは、軌道修正をする。
あまりカリカリせず、「いつか反抗期も終わるわ…」、とおおらかな心で子どもを見守っていると、たいていそのようになる。
この時期、これまでと同じか、それ以上の干渉をすると、そのマイナスの記憶ばかりが増幅され、後々になっても、反発心が残ってしまうこともある。
中一のある母親が、精神的にも限界になった。
「もう無理です。育てられません。勘当します。児童相談所に預けます。」
息子の数々の行いに対して、許容量を超えてしまったらしい…。
挙げ句の果てには、「先生、預かってもらえませんか?」と来た。
まずは、母親をなだめ、励まし、これまで育ててきたことへのねぎらいをしなくてはならないだろう。
その上で、気持ちを安定させ、思春期の意味と若干の対処法をお話して差し上げれば、少しは落ち着くかも知れない…。
親の心子知らずの本人にも、母親の言葉は傷跡を残す。
「そんなことするなら警察に連れて行くから…。」
と言われれば、中学一年生くらいでは、「そうか警察、行くのか…」、と心の深くに記憶を残す。
教育のプロとして、学校の先生が、親子共々、助けてあげることが必要だ。
子どもも一人ひとり個性が違う。
たとえ、兄妹で経験があったとしも、弟妹でうまくいくとは限らない。
同じアプローチでは駄目なこともあるし、何も言わずとも、うまくいくこともある。
毎日のように学校から連絡が来ると、親としても参ってしまうだろう…。
そんな中でも、子どもたちは着実に成長している。
2021年06月13日
散髪
A君の髪の毛が長くなってきたのだが、この先なかなか散髪できそうもないので、私が切ってあげた。
だが、これがとても困難だった。
A君はくせ毛のため、櫛が通らないのだ。
ちょっと湿らせたくらいでは、全然だめ。
すきバサミも通らない。
「痛っ、痛っ、痛っ…」、と言ってやらせてもらえない。
素人の私には、濡れた髪の毛は切りにくい。
本来、生徒の髪を切ってあげることは滅多にないが、時に親代わりの部分もあり、時々はこうした機会が訪れる。
ハサミだけで、大分きれいに整えられるようにはなったのだが、残念ながら今回はうまくいかなかった。
「私、失敗しないので…」、とはいかず、結局再度、バリカンでやり直すことになった。
最初からバリカンを使えば良かったのだが、高3が、この先受験勉強に打ち込むために、多数、坊主頭にしたいと、バリカンを貸していたのだ。
だが、A君のやり直しのため、もう一度バリカンを奪い返し、再度調整。
「この頭って坊主ですよね。坊主はちょっと…。」
とA君。
「13mmは坊主じゃない。」
「うーん、みんなに笑われるな…。」
「笑われない!」
「スポーツ刈りが良かったな…。」
「こっちの方が格好いい!」
と無理矢理納得させる。
逆に、まんざらでもなさそうだ。
以前にも、このくらいの長さの髪型はある。
「次もまた、切らしてね」、と言うと、元気な声で「はい!」と返ってきた。
もう少し散髪の技術を上げなければ…。
だが、これがとても困難だった。
A君はくせ毛のため、櫛が通らないのだ。
ちょっと湿らせたくらいでは、全然だめ。
すきバサミも通らない。
「痛っ、痛っ、痛っ…」、と言ってやらせてもらえない。
素人の私には、濡れた髪の毛は切りにくい。
本来、生徒の髪を切ってあげることは滅多にないが、時に親代わりの部分もあり、時々はこうした機会が訪れる。
ハサミだけで、大分きれいに整えられるようにはなったのだが、残念ながら今回はうまくいかなかった。
「私、失敗しないので…」、とはいかず、結局再度、バリカンでやり直すことになった。
最初からバリカンを使えば良かったのだが、高3が、この先受験勉強に打ち込むために、多数、坊主頭にしたいと、バリカンを貸していたのだ。
だが、A君のやり直しのため、もう一度バリカンを奪い返し、再度調整。
「この頭って坊主ですよね。坊主はちょっと…。」
とA君。
「13mmは坊主じゃない。」
「うーん、みんなに笑われるな…。」
「笑われない!」
「スポーツ刈りが良かったな…。」
「こっちの方が格好いい!」
と無理矢理納得させる。
逆に、まんざらでもなさそうだ。
以前にも、このくらいの長さの髪型はある。
「次もまた、切らしてね」、と言うと、元気な声で「はい!」と返ってきた。
もう少し散髪の技術を上げなければ…。
2021年06月09日
疎遠
「丹澤先生は、高校の担任とか、高校生の授業担当とか、やらないんですか?」
中3の授業中、ある生徒にそんな風に尋ねられた。
私が、「高校になると、だんだん疎遠になってしまうんだよ…」、と言ったことに対しての反応である。
私はそうした声に、
「高校の担任や授業を持つと、卒業するとき淋しくて淋しくて、耐えられなくなるんだ…。だから、やらないんだよ。」
と、こたえる。
もちろん、どの学年を担当するかは、自分の希望というより、校長が決めることなのだろうが、このことは私の本心でもある。
「私が一番耐えることが苦しいのが、『愛別離苦』なんだ。君たちは、『五蘊盛苦』だろうけど…。」
中3の数学の授業とは思えないほど、高度な仏教用語が飛び交う。
「丹澤先生、僕たちと別れるの悲しいですか?」
「そりゃ、悲しいよ。淋しいよ。泣いちゃうよ…。だから、卒業したら、少しずつ関係が薄くなって、高校卒業するときには、ものすごく細くなって、消えるように高校を卒業してくれたら嬉しい。私も、そうやって消えるから…。」
中学卒業後、自然に疎遠になることもあるが、急激に関係が薄れることもある。
彼等からすると、「俺ら、もう高校生だから…」、という自負のようなものがあるのだろう。「中学の時のように、丹澤先生とは関わらないぞ…」、という意図も見え隠れする。
たいていの場合、急激に私と疎遠になるのは、何か合った場合である。
私に顔向けできない何か、今は、先生と話をしたくないという思い…。
そんな気持ちが交錯して、私には近寄らなくなる。
本当は助けて欲しいはずなのだろうが、こちらから干渉すると、逃げてしまうから、私は、少し落ちた彼等の幸福を祈るばかりである。
自ら成長しようとしている彼等を、遠くから見守ることも、一つの愛の形なのだろう。
「淋しくなるね…。」
「まだ中学卒業まで、しばらくありますよ。先生、そんなに寂しがらないでください。」
また一つ、生徒の愛を感じた…。
中3の授業中、ある生徒にそんな風に尋ねられた。
私が、「高校になると、だんだん疎遠になってしまうんだよ…」、と言ったことに対しての反応である。
私はそうした声に、
「高校の担任や授業を持つと、卒業するとき淋しくて淋しくて、耐えられなくなるんだ…。だから、やらないんだよ。」
と、こたえる。
もちろん、どの学年を担当するかは、自分の希望というより、校長が決めることなのだろうが、このことは私の本心でもある。
「私が一番耐えることが苦しいのが、『愛別離苦』なんだ。君たちは、『五蘊盛苦』だろうけど…。」
中3の数学の授業とは思えないほど、高度な仏教用語が飛び交う。
「丹澤先生、僕たちと別れるの悲しいですか?」
「そりゃ、悲しいよ。淋しいよ。泣いちゃうよ…。だから、卒業したら、少しずつ関係が薄くなって、高校卒業するときには、ものすごく細くなって、消えるように高校を卒業してくれたら嬉しい。私も、そうやって消えるから…。」
中学卒業後、自然に疎遠になることもあるが、急激に関係が薄れることもある。
彼等からすると、「俺ら、もう高校生だから…」、という自負のようなものがあるのだろう。「中学の時のように、丹澤先生とは関わらないぞ…」、という意図も見え隠れする。
たいていの場合、急激に私と疎遠になるのは、何か合った場合である。
私に顔向けできない何か、今は、先生と話をしたくないという思い…。
そんな気持ちが交錯して、私には近寄らなくなる。
本当は助けて欲しいはずなのだろうが、こちらから干渉すると、逃げてしまうから、私は、少し落ちた彼等の幸福を祈るばかりである。
自ら成長しようとしている彼等を、遠くから見守ることも、一つの愛の形なのだろう。
「淋しくなるね…。」
「まだ中学卒業まで、しばらくありますよ。先生、そんなに寂しがらないでください。」
また一つ、生徒の愛を感じた…。
2021年06月08日
入試問題
中間試験が終わって最初の教科会は、来春行われる中学および高校の入試問題案の提出日だった。
数学科の先生たちで分担して、それを検討、調整して教科としての案を出す。
その第一歩というところだろう。
私自身も、中学入試、高校入試とも分担された問題があって、このところ温めていたものを、提出した。
まだ本格的な検討には入っていないが、この先修正を加え、入試問題になるのだろう
問題作成は、机に向かってうんうん…言っている中に出てくるものでもない。
「こんな問題どうだろう…」、と思って、しばらくの期間、折に触れて考えていると、何とか形になっていく。
レベルの設定も必要だが、何と言っても、私は「面白さ」が大切だと思うし、いつか、問題が転載されたとき、学校としての看板として恥ずかしくない問題であることも必要だろう。
私立学校では、独自に問題を作るので、皆で分担することが多いのだ。
私も、これまでたくさんの問題を作ってきた。
もうすでに忘れてしまったが、作問中は、何となく楽しかったことだけは覚えている。
「丹澤先生の問題、いつも難しくて、なかなか受験生が解いてくれないんだよね…。」
しばしばそういう声も聞くが、「もっと易しい問題しろ!」という意思表示ではないようなので、この先も、面白い問題作りをしていきたいと思う。
難関中学の入試問題は、大学入試問題の焼き直しである場合も多いのだが、私はあまりそういう手は使わない。
作問には出題者の意図がある。
それは、数学の先生たちの意図でもあり、学校としての意図でもある。
以前、ほとんど私一人で入試問題を作ったことがある。
その時には、入試前後で、私は体調を崩した。
受験生たちの思いが、私に一点に集中して、念波が私を襲ったのだ。
以来、そういうことはないが、作問には念力も必要のようだ。
多くの作問をしている先生方も、同じような思いをしているのだろう…。
数学科の先生たちで分担して、それを検討、調整して教科としての案を出す。
その第一歩というところだろう。
私自身も、中学入試、高校入試とも分担された問題があって、このところ温めていたものを、提出した。
まだ本格的な検討には入っていないが、この先修正を加え、入試問題になるのだろう
問題作成は、机に向かってうんうん…言っている中に出てくるものでもない。
「こんな問題どうだろう…」、と思って、しばらくの期間、折に触れて考えていると、何とか形になっていく。
レベルの設定も必要だが、何と言っても、私は「面白さ」が大切だと思うし、いつか、問題が転載されたとき、学校としての看板として恥ずかしくない問題であることも必要だろう。
私立学校では、独自に問題を作るので、皆で分担することが多いのだ。
私も、これまでたくさんの問題を作ってきた。
もうすでに忘れてしまったが、作問中は、何となく楽しかったことだけは覚えている。
「丹澤先生の問題、いつも難しくて、なかなか受験生が解いてくれないんだよね…。」
しばしばそういう声も聞くが、「もっと易しい問題しろ!」という意思表示ではないようなので、この先も、面白い問題作りをしていきたいと思う。
難関中学の入試問題は、大学入試問題の焼き直しである場合も多いのだが、私はあまりそういう手は使わない。
作問には出題者の意図がある。
それは、数学の先生たちの意図でもあり、学校としての意図でもある。
以前、ほとんど私一人で入試問題を作ったことがある。
その時には、入試前後で、私は体調を崩した。
受験生たちの思いが、私に一点に集中して、念波が私を襲ったのだ。
以来、そういうことはないが、作問には念力も必要のようだ。
多くの作問をしている先生方も、同じような思いをしているのだろう…。
2021年06月07日
自分のために生きること
「ずいぶん遅いじゃないか…。体調が悪いなら、見学してていいぞ。」
土日に練習に参加しなかったMに走ってグランドまで行かせた。
グランドまでは5q。
一生懸命走れば20分以内には着く。
だが、Mはいつまで経っても到着しなかった。
「何だが、この学校にいる意味が分からなくなってしまいました。だから、走ったり歩いたりして考えていたんです。」
「練習するときは集中した方がいいな…。」
たいてい悩み多き時は、自分のことしか考えられなくなる。
当然、練習にも身が入らなくなる。
この時期、誰にもであることなのだが、まさかこの時期に来るとは思わなかった。
「人のため生きることは大事だと思うんですけど、自分のために生きることは間違いですか?」
自分のために生きることが、他の人の人生をも狂わしてしまうのであれば、その方向が街が井なのかも知れない。だが、利自即利他という言葉の通り、自分が伸びていく中で、それが他の人をも活かしてゆくスタイルがいいのだろう。
「M、どうしたの?」
先輩の3年生が声を掛ける。
Mの表情が少し変わった…。
彼等はこんな一言でも、エネルギーをもらうのだ。
集団の力、チームの力が、悩める少年を救うことも多い。
逆に、一人が、チームのモチベーションを下げ、チーム力を引き落とすことだってある。
練習後、Mは少し元気になったように見えた。
このところの生徒指導が、かなりこたえたのだろう。
やるべきことを必死でやっていると、その時は悩みも忘れる…。
常に心を揺らしていると、すべてが中途半端になるものだ。
こうして悩みながら成長していくのだろう…。
土日に練習に参加しなかったMに走ってグランドまで行かせた。
グランドまでは5q。
一生懸命走れば20分以内には着く。
だが、Mはいつまで経っても到着しなかった。
「何だが、この学校にいる意味が分からなくなってしまいました。だから、走ったり歩いたりして考えていたんです。」
「練習するときは集中した方がいいな…。」
たいてい悩み多き時は、自分のことしか考えられなくなる。
当然、練習にも身が入らなくなる。
この時期、誰にもであることなのだが、まさかこの時期に来るとは思わなかった。
「人のため生きることは大事だと思うんですけど、自分のために生きることは間違いですか?」
自分のために生きることが、他の人の人生をも狂わしてしまうのであれば、その方向が街が井なのかも知れない。だが、利自即利他という言葉の通り、自分が伸びていく中で、それが他の人をも活かしてゆくスタイルがいいのだろう。
「M、どうしたの?」
先輩の3年生が声を掛ける。
Mの表情が少し変わった…。
彼等はこんな一言でも、エネルギーをもらうのだ。
集団の力、チームの力が、悩める少年を救うことも多い。
逆に、一人が、チームのモチベーションを下げ、チーム力を引き落とすことだってある。
練習後、Mは少し元気になったように見えた。
このところの生徒指導が、かなりこたえたのだろう。
やるべきことを必死でやっていると、その時は悩みも忘れる…。
常に心を揺らしていると、すべてが中途半端になるものだ。
こうして悩みながら成長していくのだろう…。