2018年11月21日
授業準備 〜若手の先生方へのアドバイスB〜
「一時間授業をするのに、その3倍の時間をかけろ」、とか、「10倍の時間をかけろ」、などと言われることがあるが、残念ながら、通年を通しての授業準備で、これだけの時間を掛けることは難しい。
授業だけやっている『教員』ならまだしも、通常は、学校に関するありとあらゆる仕事をしなければいけないのが、日本の教員だからだ。
中には、
「授業の準備に、思う存分時間をかけられたら、どんなにいいだろう…。」
などと、かなわぬ夢を持っている先生もいるだろうが、それはそれで、また淋しいものだ。
現実的には、「どこかでまとまった時間をとって、一週間分の授業案を作る」か、「毎日、他の仕事に追われながら、翌日の授業準備をする」、ことになるのだろう。
特に、新任の場合は、その準備に膨大な時間がかかる。
だが、「机に向かって授業ノートを作るだけが、授業準備ではない」し、「授業プリントを作ることだけが、授業準備なのではない」、ということは銘記しておきたい。
新任の頃、先生の先生に、
「ずいぶん親切なプリントを作るね。」
と、言われたことがある。そして、
「このプリントだと、板書を力はつかないね。」
とも言われた。
私の教科は数学だが、そのとき、穴埋めばかりのプリントを作っていたのである。
今から思えば、確かにその通りだろう。
『生徒に良かれと思ってやったことが、実は生徒の成長を妨げる』、ことは、教育活動の中では、随所にある。
私の場合、授業準備で机に向かっている時間は、きわめて少ない。
授業の準備は、どちらかと言えば、何か別のことをしている時の方が多い。
たとえば、「歩きながら」でも、授業の構想を考えているし、他の仕事をしながらでも、授業中に話をする話題を考えている。
だから、机に向かって準備しているのは、どうしてもそこでなければできないことだけに限っている。
だいたい、ずっと座っていることは性に合わないし、教師はあまり座っている時間がないのだ。
一回一回の授業には、コアとなる部分があるので、「ねらい」と共に、そこから押し広げていけば、50分のストーリーは作れる。それを頭の中でイメージしながら、肉付けしていく。それを、定型文章化すれば、授業案になるわけだ。
もちろん、初めての教材の場合は、十分な時間をかけることが必要だろう。
関連の参考図書も読んでおきたいし、教材のねらいも熟知しておきたい。
しかし、それもすべてを机に向かってやる必要はないはずだ。
若手の先生は、自分の「授業ノート」や「授業プリント」、「テスト問題」などを、是非先輩の先生に見せてアドバイスを受けることを、勧める。
絶対に、自分が気づいていない指摘をしてくれるだろうし、たとえその指摘が、自分の方針に合わなかったとしても、必ずや何かしらの学びを得られるはずだ。
『教わるのではなく、盗め』と言われ続けた教員の世界だが、職業柄、聞けば答えてくれるのが教員だ。
だから、「教育実習生ではないのだから…」、などと恥ずかしがらず、勇気を出して声をかけてみたらいい。
何年も生徒を指導している先輩教員は、目に見えない智慧をたくさん持っているのだ。
教師は、一人前に授業ができてこそ、その一歩を踏み出せる。
だから、その準備は手抜かりなく、いろいろな場面で、楽しんでやりたい。
授業だけやっている『教員』ならまだしも、通常は、学校に関するありとあらゆる仕事をしなければいけないのが、日本の教員だからだ。
中には、
「授業の準備に、思う存分時間をかけられたら、どんなにいいだろう…。」
などと、かなわぬ夢を持っている先生もいるだろうが、それはそれで、また淋しいものだ。
現実的には、「どこかでまとまった時間をとって、一週間分の授業案を作る」か、「毎日、他の仕事に追われながら、翌日の授業準備をする」、ことになるのだろう。
特に、新任の場合は、その準備に膨大な時間がかかる。
だが、「机に向かって授業ノートを作るだけが、授業準備ではない」し、「授業プリントを作ることだけが、授業準備なのではない」、ということは銘記しておきたい。
新任の頃、先生の先生に、
「ずいぶん親切なプリントを作るね。」
と、言われたことがある。そして、
「このプリントだと、板書を力はつかないね。」
とも言われた。
私の教科は数学だが、そのとき、穴埋めばかりのプリントを作っていたのである。
今から思えば、確かにその通りだろう。
『生徒に良かれと思ってやったことが、実は生徒の成長を妨げる』、ことは、教育活動の中では、随所にある。
私の場合、授業準備で机に向かっている時間は、きわめて少ない。
授業の準備は、どちらかと言えば、何か別のことをしている時の方が多い。
たとえば、「歩きながら」でも、授業の構想を考えているし、他の仕事をしながらでも、授業中に話をする話題を考えている。
だから、机に向かって準備しているのは、どうしてもそこでなければできないことだけに限っている。
だいたい、ずっと座っていることは性に合わないし、教師はあまり座っている時間がないのだ。
一回一回の授業には、コアとなる部分があるので、「ねらい」と共に、そこから押し広げていけば、50分のストーリーは作れる。それを頭の中でイメージしながら、肉付けしていく。それを、定型文章化すれば、授業案になるわけだ。
もちろん、初めての教材の場合は、十分な時間をかけることが必要だろう。
関連の参考図書も読んでおきたいし、教材のねらいも熟知しておきたい。
しかし、それもすべてを机に向かってやる必要はないはずだ。
若手の先生は、自分の「授業ノート」や「授業プリント」、「テスト問題」などを、是非先輩の先生に見せてアドバイスを受けることを、勧める。
絶対に、自分が気づいていない指摘をしてくれるだろうし、たとえその指摘が、自分の方針に合わなかったとしても、必ずや何かしらの学びを得られるはずだ。
『教わるのではなく、盗め』と言われ続けた教員の世界だが、職業柄、聞けば答えてくれるのが教員だ。
だから、「教育実習生ではないのだから…」、などと恥ずかしがらず、勇気を出して声をかけてみたらいい。
何年も生徒を指導している先輩教員は、目に見えない智慧をたくさん持っているのだ。
教師は、一人前に授業ができてこそ、その一歩を踏み出せる。
だから、その準備は手抜かりなく、いろいろな場面で、楽しんでやりたい。
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