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2018年10月27日

やってみて初めて分かること 〜校内清掃〜

前記事(やってみて初めて分かること 〜朝の挨拶〜)の続編。

当時私は、授業の空き時間を一コマ分を使って、毎日、校内清掃を行った。
これも、退職までの間の、わずかなりとも学校への恩返し。階段や廊下を掃除した。

この掃除を始める前は、傲慢にも、
「何でこんなに汚いんだ。掃除しているのかよ。」
などと思っていた。
掃除の時間の担当場所もあり、私はトイレを裸足で歩けるくらいピカピカに磨き上げていたという慢心もあって、天狗になっていたのだ。

ところが、実際掃除をしてみると違った。
ちょうどそこは、風の通り道で、埃が溜まりやすい、ということが分かった。その上、そこはほぼ全校生徒が歩くところで、掃除しても掃除してもすぐに汚れてしまうのだ。

当時、学校には用務員さんがいた。お婆さんの用務員さんで、彼女が気がつけば、授業中などでも、いろいろな所を掃除してくれいた。もちろん、職員室も、そして先生たちのゴミ箱も、校内いたるところを掃除してくださっていたのだ。

教員生活が長くなると、だんだん感覚が狂ってくる。
自分が偉くなったような錯覚に陥るのだ。
「掃除はしてもらって当たりまえ。ゴミはこの中身は片付けてもらって当たり前。荷物は運んでもらって当たり前…」
などなど、数え上げればキリがない。

しかし、私の空き時間清掃は、開始してすぐ、自分自身の傲慢さに気づかされた。

「今まで、こんな風に掃除してくれた人がいたんだ。」

そうした人へ、感謝の思い一つ出せないでいた自分が、情けなくて、箒で床を掃きながら涙が出てきた。そして次第に、これまで黙って掃除を続けてきていた方々への感謝の思いが湧いてきて、その思いに馳せて、また泣いた。

私が泣きながら廊下を掃いている様は、端から見れば、おかしな姿に見えたに違いない。

私は、廊下を掃きながら、心の塵を掃いていたのだと思う。

どんなに立場が上がっても、下座修行は欠かせないという。
毎日のトイレ掃除を欠かさない、という校長先生もいると聞く。

人は、いつの間にか慢心し、傲慢になる。
それを防いでくれるのが、何気ない掃除であり、下座修行なのだ。

しばらく経ってから、
「先生、いつもありがとうございます。」
と言われた、その言葉の重みと、ありがたさをかみしめながら、掃除を続けていたあの頃を思い出す。

「やってみて初めて分かること」は、ここにもあった。













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