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2021年07月18日

天然はちみつ

今年に2回目の採蜜をした。

自宅で育てている日本ミツバチのハチミツを頂戴するのである。

高くなりすぎた巣箱の最上段を、春にも採密したが、その際はすでに蜜を使用墨で半分くらいしか蜜が入っていなかったのだが、今回は四分の三くらいは蜜がたまっていた。

欲張ってもう一段採ろうとも思ったが、蜂たちが興奮し始めたので、今回はやめた。

秋風が吹く前に、まだ巣がおおきくなっていたら、おこぼれを頂戴しようと思う。

今回は、中2のA君に手伝ってもらった。

まず巣箱をトントン叩く。
最上段からミツバチを下段へと移動させるためである。
その後、巣箱を切り離し、蜂を払う。

ヨモギが良い、と聞いたが今の時期にはないので、ドクダミで代用してみた。
確かに、蜂たちは退避する。

巣箱は、大きな衣装ケースに入れるが、まだ蜂が残っているので、少し時間をおいてから蓋をしめた。

巣に包丁を入れ、蜜を出す。
いわゆる『たれ蜜』である。
これを出すのに、何晩か待ち、その後巣を壊し、更に搾る。

いずれにせよ、結構手間のかかる作業だ。

ちょうど今がミツバチの採蜜シーズンなのだが、「巣落ち」と言って、巣箱を外したときに、熱さで巣が落下してしまうと、ミツバチの群そのものが、退去して自然に帰ってしまうので、熱さにも気を払う。

もっとも、今回は、日中の一番暑い時間帯になってしまったのだが、何とか今のところ大丈夫のようだ。

この先も少し、熱さ対策をしようと思う。

採蜜作業終了となるまで、まだ一週間以上かかると思われるが、貴重な天然はちみつ。

自分でミツバチを飼っていなければ、入手できない貴重なものなので、気合いを入れることにしよう。

今回は、一部販売してみようかな…。




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2021年07月17日

性教育 その2

昨今は「男らしく、女らしく」という考えが、社会全体としてタブーになりつつある。
学校でも、様々な対処が必要になってしまった。

肉体的な性と心の性が異なる、ことが原因とされているが、霊的にはそれだけではない。ここでは言及を避けるが、最低限、「男女は競い合うのではなく、助け合うのだ」という考えを教育しなくてはいけないと思う。

男女は同じではない。
違いを認めつつ、その生き方をする。
互いに全く同じになろうとすればするほど、その歪みとともに、苦しい生き方になる。
男女同権は男女同一ではなかろう。

昨今、中学生男子の精通年齢が遅延化しているという。女子の初潮はあまり変わっていないようなのだが、もしかしたら人類の体に何か変化が起きているのかも知れない。
一方で、統計上は遅くなっていたとしても、当然、早熟な子どももいるので、精通ということだけで見ても、小4あたりから高2の頃までと、8年くらいの差があり、指導上はなかなか厳しいものがある。

かつての様なヘアヌード週刊誌は消え去ったが、今はネットでは、性情報が氾濫している。
フィルタリングなどは簡単にすり抜け、小学生でも簡単に検索できてしまう。

そんな環境の中で、正しい性情報を伝えることは極めて困難だ。
それを学校が担うには、相応の力量のある先生が必要なのだろう。

プライベートな部分でもあり、その恥ずかしさを乗り越えた上での、真剣さが求められる。

妊娠を避けるための避妊を教えることは、性行為を推奨しているわけではない。
ただただ性行為を禁止することもできないし、たとえ禁止したからといって、守れるものでもない。

「今からセックスしてどういうこと?」、と娘に叱った母親が、「お母さんたちは結婚前にセックスしていないの?」、と返されることだってある。

と言って、中絶の恐怖を煽ることでだけ、抑止力とするのもいただけない。

プラトニックラブを化石化する風潮もだめだ。

結局、「男女が互いに尊敬しあう関係を築けたときにこそ、その行為が神聖なものになっていく」、という思想が広がらなければ、根本解決にはならないだろう。

経験者数を自慢にするような男女は、ろくな大人にならない。

性教育は、人間教育の根本に関わる重要なことがらである。

やはり肉体だけの解決策ではうまくいくまい…。

2021年07月16日

性教育 その1

性教育を学校で行うのは難しい。
指導要領上は、いろいろな教科に組み込まれてはいるが、それだけで十分であるとは全く思えない。

本来は、家庭で行うべきものではないか、とも考えるが、思春期の親子関係の中で、性について話ができる家庭は、ごくごく稀だろう。

と言って、学校にお任せも困る。
「自然に覚えるでしょ…」、と放任され、間違ったインターネット情報や、SNSによって犯罪に巻き込まれたりするのも困る。

学校では、ある意味、何をしても批判されるのが「性教育」なのだろう。

プライベートなことなので、本当は個別指導がいい。

私も長く教員生活をやっているが、いろいろな指導は、概ね個別指導であった。
生徒によって発達度合いが違うし、性に対する認識や考え、受け入れ土壌も違う。

もっとも、教師が生徒に教える場合は、かなりの信頼関係が築けていないと、「性」に対する話はできないだろう。
しかも、同性同士でないといけない。

今から二十五年以上前になるが、担任をしていた生徒が、休み時間に教室で射精した。
教室の隅で、何人かの生徒に見せながら、掃除ロッカーに精液を飛ばしたのだ。

私は、あとから他の生徒に聞いたが、学校でもこうしたことは起こる。
もちろん、トイレで処理するのは日常茶飯事である。

中には、授業中にトイレに行くと教室を抜け出し、誰も来ない安心感の中で、マスターベーションをしている生徒もいる。

男子は父親が、女子は母親がきちんと、社会性を教えて欲しいと思うのだが、なかなか上手くいかないようである。

教室で射精した生徒も、父親はいなかった。

通学の学校でもこんな風なのだから、寮生活をしている学校では、さらにさまざまな事が起こる。

寮生活で恐らく一番気をつけるべきは、男女の性行為なのだろう。
保護者からお預かりしている中で、こうした行為を許せば、当然親も納得しないし、いろいろな禍根を残す。

妊娠すれば、心身ともに女性側傷つくことになる。

性欲を抑えることはできないが、コントロールすべく、心を鍛えることはできる。
動物的衝動を理性で抑えることはできるはずだ。

そんな話も、教師と生徒の信頼関係の中でこそできることだ。

2021年07月15日

無声援応援

高校野球の応援に出掛けた。
「スタンドでは声を出してはいけない」、と言う。
何とも奇妙な光景だ。

オリンピックは反対している朝日新聞が、「甲子園はやる」、という政治的不統一感も気に入らない。

昨年夏の甲子園が出来なかったので、高野連も必死なのだろう。
私は、別に甲子園に反対していわけではない。
例年通りやればいい。
声を出しての応援だって構わない。

人の心を抑えこんで、人と人とのつながりを希薄にして、薄い人間関係になってはいけないのだ。

それが人間力を弱めていく。
そして人を孤立化することを意味する。
ある意味、社会の崩壊への道である。

「なんだこの応援は…。」
野球は声を出すことで応援になるのである。
ベンチからの声までも制限できないのが、その証左である。

奇妙な無声援の応援は、違和感を超えて、嫌悪感すら感じた。
こんなことがコロナ対策になるとは思えない。
炎天下でマスクをして座っている応援者の熱中症リスクも、各段に高まる。
大きな組織は、何かしらの事件や被害者、犠牲者が出なければ、なかなか変わらない。
今回も、その傾向は大いにあると思われる。

唯一の発見と言えば、相手ベンチの声が良く聞こえることだ。

オリンピックの無観客も、責任を取りたくないという政治家の逃げだろう。
そもそもこんな戦時下とも言える有事の際に、オリンピックを行うこと自体、空気を読めていないと思うのだが、あと1週間で開幕なのだという。

スポーツは人々に感動を与える。
勝敗はもとより、その姿そのものが、見る人の人生観をも揺るがす。
そういう貴重な人生への潤いを、無声援などという責任逃れで奪ってしまうのか。

諸外国では、イベントの人数制限もなくなり、マスクすらしていないと聞く。
それが正しいのかどうかは分からない。

ウイルスは市中に溢れているはずだ。
だが、感染リスクが最も高まるのは、人の免疫力の低下である。

さまざまな対策もあろうが、一年以上経って、「人を減らし、マスクをする」ことしか考え及ばない識者も情けない。

どうか、人と人とのつながりを希薄にし、人を孤立させ、免疫力を低下させるような、コロナ対策は、やめていただきたい。

試合結果だが、選手たちの夏は、今少し続く…。

2021年07月14日

テニス部のK君

テニス部のキャプテンK君は、中学校の生徒会長でもあり、野球部の重要な助っ人でもある。

野球部の試合を終えての文章が素晴らしかった。助っ人でありながら、正部員よりも優れているように思った。

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この3年間で、自分は試合で緊張しないようになりました。守備や打席に立つときも、自分に良いイメージを持って、良いプレーのイメージングができるようになったからです。
僕は集団の競技が好きです。普通にテニスもとても好きですが、仲間と協力していく中で楽しみを見いだしていくことのできるのが野球だと思います。野球部ではたくさんつらいことがありました。うまくいかないとき、自分は「生徒会がある」という思いや、「勉強しないと」という思いに逃げていました。ときには、「野球だけやっていればいいんじゃない」と言いたいこともありました。そんなときでも、「丹澤先生に恩返しするために自分はやっている」と考えていました。たとえ怒ってしまったときでも、すねているときでも、恩返しという思いは忘れませんでした。僕が上手くプレーができずに泣いているときでも、僕を呼んでテニス部の先輩の話をしてくださったり、バーベキューに参加させてくださったり…。そして何より、この3年間、丹澤先生は、僕が出た全試合で、野球部の正部員がベンチのときも、スタメンでフル出場させてくださったと思います。

試合で、一番心に残ったのは、試合後に先生が掛けてくださった言葉でした。これだけ試合に出していただきながら、ほとんど先生の期待に応えることもできず、迷惑をかけ続けてしまいました。この3年間、根性、チームとしての考え方、心の持ち方、とらえ方、礼儀、そしてもちろん野球と、とても数多くのことを学ばせていただきました。こういうことを言ってはいけないとは思いますが、テニス部よりも思い入れがあると思います。自分はもちろんテニスを愛していますが、野球をとても愛しています。このメンバーで、最後の試合に出られて本当に良かったです。先生の「ありがとう」と言われることは何も出来ませんでしたが、この3年間で教えていただいたことを、成長の糧として、先生の喜ばれるような立派な人間を目指して、精進します。3年間本当にありがとうございました。
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助っ人でありながら、いつも鋭いことを言って、チームを引き締めてくれたK君であった。

感謝しているのは私の方だ。

本当にありがとう!




2021年07月13日

勉強のコツ

中1で学年集会を開いて、『勉強のコツ』について考えた。
以前、生徒たちの質問をもとに、先生たちがアドバイスを作ったが、その質問を今度は、生徒たちにぶつけて、自分たちで考えたら、きっと面白い意見が出てくるだろう、という意図である。

質問項目について、各自2分ずつ考え、チャッティングで話し合い、それを全体で発表し、最後に先生たちのアドバイスも加える。

生徒たち全員が主体的に参加して、盛りだくさんの中で、充実した一時間半になった。

ここで共有された智慧は、きっと彼らの今後の勉強スタイルに役立つだろう。

@「勉強のやる気を高めるには?」
A「勉強の自信をつけるには?」
B「取りかかりを早くするには?」
C「時間管理のコツは?
D「勉強法のコツは?」

これらの5つの項目について、学年としてそれぞれ三十近いヒントが共有できた。

まさに、「生徒たちの力、恐るべし…」、である。

そうなってくると、先生たちのアドバイスも薄れてくる。
だが、自分たちで考え、共有し、そしてそれを実践した方が、さらに効果は上がる。

期末考査を終え、答案もすべて返却され、簡単な成績表も配布された今、もう一度自分の勉強スタイルを振り返り、さらに改善していくための、いい機会になっただろう。

小学校時代は、しばしば親が勉強時間をコントロールしていたはずだ。

今は、各自が取り組まなくてはいけない。

その中で、自立し、成長し、発展させていくのが、私の学校のスタイルだ。

気づきを得たならば、それを実践し、継続し、習慣化し、楽しく、面白く、喜びのなかで勉強すれば、必ずや、学年全体としての成績はアップしていくだろう。

今や私立学校は、「入学時からどれだけ成長させたか」、にその評価が移っている…。




2021年07月12日

定期考査の結果

定期考査の答案を返して、一喜一憂するのは生徒なのだが、採点時に、反省の念に駆られるのは教員の方である。

「しまった! もう少し丁寧に説明しておけば良かった…。」
「思ったより定着率が低いな…。」
「あれ、みんな出来ている…。」
などなど、答案を採点しながら、あれこれと思う。

「結局は、教え方が悪かったんだよな…。」
と、反省しきり。

この辺りが謙虚になれるかどうかの境目である。
毎年同じような内容を教えていたとしても、相手(生徒)が違う。
同じように指導しても、理解度が違うし、人によってアプローチの仕方も変えなくてはいけない。
相手を見て、理解度を測って、その上で、教え方を工夫しなくてはいけないのだ。

生徒の試験の出来が悪ければ、それは、指導者たる教員の責任である。
ゆめゆめ、「今年の生徒は出来が悪くて…」、などと言ってはいけないし、思ってもいけない。

生徒には、適切な教え方をすれば、必ず理解できるようになり、試験の点数だって取れるようになるのだ。

上位のクラスでは、各自の勉強が成績向上を生むこともあるが、中位以下のクラスでは、日頃の授業がものを言う。

生徒達に、「授業が楽しみで、面白くで、わかりやすくて、勉強する気持ちが湧いてくる」、と言わせられなければ、まだまだスタートラインにすら立っていないということだ。

その上で、様々な授業研究やら工夫など、さらに研鑽を重ねていくのだ

教師は授業のプロである。

その自覚を持ち続けられることが、教員を続けられる唯一の条件なのかも知れない。

私も頑張らねば…。





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