2022年09月11日

初試合

新人戦のシード決め試合に出場した。

このチームとして初試合である。

本来なら、夏休みから何度も練習試合を重ね、その発表の場としての試合になるのだろうが、残念ながらコロナ禍の中、活動が制限され続けた我がチームはそのようにはならなかった。たいてい他校が活動を開始した頃、コロナが流行、出鼻をくじかれるかのように、試合のできない期間が続いてしまったことも事実だ。

だが、そうした状況は、全国どこにでもあるはずだ。
要は、選手の意識、そして指導者の意識の問題だ。

いかに「やる気」を起こさせ、モチベーションを高め、それを維持するか。
これが指導者に求められるはずである。

その点、残念ながら私は、指導者として合格点はもらえないはずだ。
時勢に流され、環境を言い訳にし、時に選手に責任を押しつけた感がある。
猛省しなくてはなるまい…。

助っ人を含めた寄せ集めチームで、そのほとんどが試合経験が初めての状態ではあるが、やはり圧倒されて負けてしまえば、彼等だって悔しいだろう。

一年生ピッチャーに翻弄され、一年生ばかりのチームにコールド負けするのは、たまらないはずだ。

そうした焦りともいえる感情が、簡単なゴロをはじき、フライを捕りこぼし手しまうことにつながっている…。

すべては私の指導力のなさが原因だ。

しかしまだまだこれからのチームだ。一ヶ月後の新人戦に向けて、彼等を引っ張ってゆこうと思う。

過去の栄光にすがることなく、今の生徒(選手)と向かい合いたい。

それが今できる私の最大の仕事なのだから…。




2022年09月10日

仲秋の名月

事務長が、「生徒も月を見る機会があるといいですね…」と言う。
私と年齢が近い彼が、自然を愛でる心があるとは知らなかった。失礼ながら、もっとモノを重視する方だと思っていたからだ。

確かに仲秋の名月は年に一度。天気が悪ければ、月は見えない。
しかし、澄んだ秋の空に、低めに南中する輝く満月は、古くから日本人の心を魅了してきた。

世知辛いい世の中、日本人の誰もが、せめて月を愛でて心を落ちつけて欲しいと思う。

そんな風に思っていたら、「昨晩は〇〇と15分月を見ていました…」、という中学生の男子生徒がいた。Yである。

Yは小柄で物静かながら、コツコツタイプの努力家。中学生にはめずらしい沈思黙考の生徒である。

果たしてYは月を見て、何を思ったのだろうか。まさか、密教の阿字観にも似た、満月瞑想をしていたわけではあるまいが、何かしらの気づきがあったに違いない。

日常の雑踏から逃れ、自然の姿に思いを馳せ、脱日常を経験することは時に必要なことだろう。

「満月の時は、懐中電灯なくても夜道を歩けるし、大きな字なら本だって読めるんだよ…。」
授業で生徒たちにそんな話もする。

都会っ子にとっては、夜は街頭や店の照明の明かりしか感じないだろうが、月明かり、場合によっては星明かりだってあるのが、夜の空だ。

「スマホを置いて本を読もう」と言われ続けているが、私は「スマホを置いて星を見よう」と言いたい。

スマホやインター-ネットは便利だし、確かに調べ物には気軽に使えるツールだか、そこには情緒がない。

人間生活から情緒を失ったら、もはや機械に使われている生活になってしまうだろう。

私は、昼夜問わず、毎日空を見上げている…。




2022年09月06日

コロナ禍の混乱

岸田首相がまた呟いた。
コロナ陽性者(症状あり)の療養期間を10日から7日に短縮するのだという。

私はふと考えた。
いつから日本は、「国がすべてを決め、国民に周知するだけの期間になったのだろう」と…。

首相が発表するのだから、そのように変わっていくのだろうが、何となく違和感を感じる。
ひとたび権力をつかんだ彼等は、果たしてそれを手放すのだろうか…、ということだ。

多額の税金をつぎ込んで海外からワクチンを買い、それを国民に接種させる。
近隣の市では、早速、オミクロン株対応ワクチンを始めるのだそうだ。
だったら、三回目、四回目と効かないワクチンを打ち続けたというのか。

当初、ワクチンさえ接種すれば、マスク無し生活ができると言った。
それができないと分かると、死亡率低下と言った。
それでも説得力がなくなると、重症化予防と言い、基礎疾患のある人対策と言う。

いずれも説得力に欠ける。今や、ワクチン接種者の方が感染率が高まり、ワクチン接種後、基礎疾患のある方が突然死を起こしている。しかも、国は、ワクチンとの因果関係不明として、ほとんど公表していない。

ワクチンに反対する人の声は、封殺され、国の都合の良い情報だけがマスコミにも流れている…。

もはや、国民が正しい情報を得る術は、極めて困難になった。

「2類だからだよ…」、と皆は言うのだろうが、私はどうしても不可解な思いを感じざるを得ない。

文化祭が終わり、校内でもまた、陽性者が出始めた。
今回は、ホテルエントリーの結果、スムーズに隔離されたようである。

果たして、5類に変更されたとき、国民は医療費を始めとする諸経費の負担に耐えられるのだろうか。

ひとたび、味わった「税金でまかなわれる」という感覚は、そうやすやすとは手放す事はできないのではないだろうか…。

コロナ禍の中、社会生活は少しずつもとに戻りつつあるが、一方で、「コロナのせい」にすることができないような時代が、近づいているようにも思える。

首相は辞めれば終わるが、国民はそうはいかない。

学校現場の混乱は、まだまだ続くようだ。
どの学校では、負担は増すばかりだ。





2022年09月05日

山登り

今年は精力的に山に出掛けるようにしている。

大自然の中で、必死に登り、汗だくになっても、吹き抜ける爽やかな風が心地いい。
そればかりか、全身がリフレッシュされ、そのことが明日への活力につながるのだ。
たとえ苦しい登りに、「もういい加減にしてくれ」という思いが出てきたとしても、ほんの一週間もすれば、また登りたくなってしまうのである。

ある意味、山の魔力だが、その魔力ゆえに、私たち人間にも、おおいなるエネルギーをもたらしてくれているようだ。

今回は、少し長めのルートを歩いた。
天気予報は悪くなかったが、朝の天気は曇天である。
山が近づくにつれて、雨が降り始め、視界が見えなくなった。
「こりゃ、とんでもない山登りになるかな…」、と不安をよぎらせながら車で登山口まで走る。

ところが、標高をかせぐうちに天気が一変した。
いつしか青空が拡がり、どこまでも続く紺碧の空になった。
下界は雲海で包まれている…。

山頂から見る下界の景色は、近くの山と雲ばかりであった。
しかし空はほぼ快晴。ギラギラと太陽が輝いている。

程なく、中腹の樹林帯を歩く。
景色が見えなくなった分、初めて歩く先の見えなルートに不安と期待を感じながらも、水の音が聞こえてきた。

登山道を横切るように、湧いた水が流れている。
水はとても冷たく、手をつけているとしびれるほどの冷たさだ。
その水で、汗だくの顔と腕を流す…。

最高の気分。
これまでの疲れも吹き飛んだ。

午後になって、山は霧に包まれた。
雲の中に入ったのだ。

下山し、硫黄泉にはいって疲れを癒やす。

こんな贅沢なリフレッシュ方法は他にあるのだろうか。

圧倒的多数の生徒たちは、この山の感動を知らずに育っていく…。




2022年09月04日

文化祭の劇発表

例によって写真係だった私は、準備を含めた文化祭の期間、クラス劇をすべて三回ずつ見た。計算すると21回、撮影しながら劇を見たことになる。

本番二日目に審査員が入り、順位が決められたが、不遜ながら私ほどこのように劇を見続けた者もいまい。

どの劇も気合いが入っており、見応えがあった。

最初から仕上がりが良かったのが、経験豊かな高2の劇。2クラスあったが、どちらもバイタリティ溢れ、迫力があった。彼等は中学時代も劇をやっており、さまざまなノウハウも体得しているのだ。

一方で、中学生の劇は、担任たちに引っ張られながら曲がりなりにも形にするという具合で、見ていてドキドキするものがあった。これが準備リハーサルの日。

文化祭の初日。本番一回目では、中学生、特に中1が急激に進化した。「本番に強い」のは私の学校での伝統だが、これほどとは思わなかった。その反面、高2の劇が伸び悩み、昨日様なバイタリティも迫力も感じなかった。もちろん、キャストたちは、私の望遠レンズで見ても、汗だくになって演技をしているので、真剣そのものなのだが、ちょっと前日よりは落ちてしまった感があった。中2、中3も順当に進化している。

私は、中2のあるキャストに、一言だけアドバイスした。すでに劇団の演技指導を受けている生徒ではあるが、少し元気のなく、力ない演技に見えたからである。

「目力を大切にしなさい。その間をとり、言葉にも思いと力を込めなさい…。」

果たして三回目。本番二日目である。

この日の中1のあるクラス、中2の別のあるクラスの発表は秀逸だった。その他の中学のクラスも仕上がりが良かった。中3も元気だった。しかし、高2は日に日にレベルが落ちた。

アドバイスをしたキャストは、光輝き、これまでで最高の演技だった。まさに、演技する側と客席が一体化し、非の打ち所がなかった。

脚本は生徒が書いたものだが、その台詞にはドキッとするものも多かったことも追記しておこう。

「僕はお母さんを信じている。だから、お母さんが信じている神さまを信じる…。」

信仰はこのようにして世代間に継承されていく。二世問題で荒れている宗教批判は、そんな軽薄なものではないのだ。




2022年08月30日

文化祭近づく…

文化祭が今週末に迫ってきた。
中高の学校なので、文化祭の雰囲気は高校の様になり、中学生の準備も半端ない。

幸いなことに、中学校のほとんどのクラスが劇を行うので、その意味では若干は負担が軽い。例年、クラス展示では教室を別世界を作り出す。その創造性は大したものだが、それを中学生に求めるのは、結構ハードルが高いのだ。もちろん、劇も展示も、「これで完成」という基準はなく、時間さえあれば、いつまでもどこまでも、進化してしまうが、そこは無情にも当日がやってきてしまうわけで、たいていは、「妥協」の産物になる。

大変なのは担任たちで、生徒たちの意見を尊重しつつ、さまざまなマネジメントを行いながら、クラスをまとめ上げるのだ。

当然、途中で数多くのトラブルも起こるし、想定外の事態になることだってある。

それでも、本番(劇の場合は文化祭二日間の両日、各一回の合計二回)を終えれば、まさに「ほっ」とする。それなりの出来映えになれば、彼等は、底知れない満足感に、恍惚感すら覚えるのだと思う。

かつて私も、そうした担任の立場にいた。
だからこの時期は大忙しで、同時並行でいろいろな処理をしないと、まったく回らないという状態でもあった。

だが、充実感はあった。
「私のクラス」
という感覚は、あまり大きくなりすぎると弊害を生むのだが、それでもそうした気持ちが大きくなり、ことに、他の賞賛を得れば、得意にならぬ訳はない。

「先生のクラスはまとまっていましたよね…」
というい言葉を待っているのではないかと思えるほど、他の先生や保護者からの評価が気になるのである。

クラスの生徒たちは、発表を通して、『認められたい』と思って頑張っている。

もちろん、「来て下さった方への感謝の思いを込めて、サービス精神を最大限にアップして」の発表だが、心の奥底では、「評価されたい」という気持ちは消えることはあるまい。

子どもは、頑張ったら褒めて欲しい生き物なのだ。

これを大人が求めると醜くなるが…。




2022年08月29日

発達の偏り

発達の偏りのあるS。私は今年から彼のいるクラスを授業で担当することになった。だが、ここにきて、Sの予想外の行動に、さらに先生たちを悩ませているように見える。

4月当初、彼はまだ私に親しく話をしてきたので、「授業くらいは大丈夫かな…」と思ったのだが、6月の終わりくらいから、私から逃げるようになって、授業に出なくなった。

そのまま一学期の期末試験に突入したため、当然点数がとれるはずもなく、S自身、さらに首を絞めることになった。いわゆる赤点である。

そのため、終業式に教頭先生より指導があったのが、Sはこれをもすっぽかした。「父親と北海道旅行に行く」と言って、呼び出した時間より前に出発してしまったのである。

怒った担任は、すぐさま電話を掛けて呼び戻し、小一時間遅れの指導となった。Sは、申し訳なさそうな素振りはしていたが、心の底からそうは思っていまい。父親も「またか…」というような感じ。手のかかるかわいい息子には、父親ですら盲目になる。

かくして無事赤点に関する指導は行われたのだが、最近その再テストが行われた。
私は、「もしかしたら受験しないのではないか」とも思ったが、試験はきちんと受けた。

だが、合格点にはほど遠かった。与えた課題もほとんど取り組まず、担任が課題のほんの数ページだけを持ってきて、「やっていませんでした」と悲しげな顔をして言った。

「人は嫌なことから逃げ続けると、どこまでも追いかけてくるものだよ。」
私は久しぶりに教室に残っていたSにそう言ってみたものの、果たして彼に理解できるか不安になった。

刹那的で、その場の指導しか通じない。同じ事を注意されても、翌日にはまた同じことをしてしまいがちな生徒なのだ。

彼の場合中3だが、高1、高2でも同様の生徒はおり、担任たちが献身的に寄り添っている。

「さぼっているのか、本当にできないのか」の判断は難しい。

しかし、学齢期に受けた愛情は、彼等のこの先の人生で何らかの糧になるのかも知れない。

昨今、こうした生徒が増えてきている…。




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