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2018年12月17日

良いところ発見カード

2月に予定している立志式に向けて、さらに学年・クラスの人間関係を深めるために、『良いところ発見カード』を生徒に書いてもらうことになった。

ちょうど合唱コンクールが終わったばかり、「これまでの頑張りを祝福し、お互いを褒め讃えよう」という訳だ。

「できるだけ、具体的に書いて下さいね。キーワードは、『ありがとう』、『すごい』、『エライ』ですよ。」

クラスワークの得意な副担任の先生が説明する。

ほんの15分くらいの時間で、『良いところ発見カード』が次々と書かれることになった。
合唱練習の時のささやかなエピソードから、実際の声など、生徒たちはお互いいろいろな『いいところ』を発見して、カードに記入している。

以前、「不登校生徒に対するメッセージに不適切な表現があって、不登校がさらに長引き、保護者が激怒してしまった」、という苦い経験があるので、カードは、一応私が読んでチェックする。

人は褒められると嬉しい。
あまり褒めないクラス担任であり学年主任でもあるので、いよいよ業を煮やした副担任が、手を入れたというべきだろう。ありがたいことだ。

カードを一枚一枚読んでいると、何だか泣けてくる。
ほんの些細なことなのだが、愛があふれている。

「肉体の眼だけではなく、心の眼でも相手を見て、カードを書いて下さい。」
そうした指示通りになっている。

お互いが褒め合い、自分の存在意義を高め、それによって絆を作り、さらに行事を盛り上げていこうというスタイルには、いつも感服する。

副担の彼女は、いつもさっとワークシートを作って、
「これ、やりませんか?」
と、提案してくる。

本当に有り難い…。

ここ何日かをかけて、カードを完成させようという計画である。
今日だけでも150枚以上は集まっている。

「このクラスでよかった…。」
と、思えるクラス作りが必要だ。

「落ち着いたクラスにして欲しいです。」
「まともな学年にして欲しいです。」
複数の女子生徒からの私への要望である。

道のりはまだまだ遠い…。








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2018年12月16日

学期末の恒例作業

いよいよ二学期の終業式まで一週間を切った。
終業式前に毎回時間との闘いでドキドキするのが、成績処理と自分のクラスの通知表の所見。

当初から情報担当になってしまっている私は、学校全体の成績システムを管理している。
つまり、成績システムを動かし、中高全生徒分の成績集計を行い、各種成績を算出させるのである。
当然、システムを動かすためには、相応の準備が必要で、そのチェックやら手配やらで、なかなか木を遣うのである。

大体この時期になると、教頭から、
「丹澤先生、どうですか?」
などと、間接的に進捗状況を尋ねられる。
さりげないプレッシャーだ。

今日は日曜日だが、このシステム稼働のために、私は学校のサーバーに遠隔操作をして、処理を行っている。成績入力の期限は先週の金曜日の夕方だったから、さすがに入力をしていない先生はいないだろう。ただ、成績入力の場所が間違っていたり、何かしらの不備があったりすると、私の作業は振り出しに戻る。

もう一つが、通知表の所見である。
私の場合、一気に文章を作る。本当はまだまだ余裕のあるうちに作っておけばいいのだろうが、どうしてもギリギリになる。少なくとも前日までには、作り上げるが、先生の中には終業式前日に夜なべをして完成させる人もいる。本当は、一週間前には完成させたいのが、怠け者の私には、とてもそうした芸当はできない。幸いなことに、管理職チェックはないので、こうした一夜漬けが可能な訳だ。

私の場合、余りパソコンの前に向かって所見うんうん考えることはない。
以前にも紹介したことがあるが、始終考えておくのである。
たとえ歩きながらだろうが、テレビを見ているときであろうと、読書をしているときであろうが、ふと思ったとき、自分の中にインプットしておく。不安ならメモしておけばよいのだろうが、私の場合は、そういうことはしない。ずっとずっと考えていて、「いざ、パソコンに向かって入力する時には、よどみなくさーっと文章を入力しておしまい」、というスタイルである。

おそらくこの方法を真似できる人は余りいないだろうが、私は長い教員生活の中で、ずっとこの方法で所見を作っている。

時々、
「丹澤先生は、作るのが早いからいいですよね。」
などと、うらやましがられるが、本当はそうではない。
ずっと考える続け、構想を練っているからこそ、いざ入力の時には、時間短縮ができるのだ。
だいたい、パソコンの画面に向かっていて、アイデアが出てくるとは思えない。
あくまで文書入力ツールだ。

という訳で、少し前からこの『考える』ことは始まっていて、それがコップ一杯になってこぼれそうになった頃、さっと入力を始める。
それは、たとえ早朝でも深夜でも、やると決めたら、さっとやる。
時間制限があるので、一応今日のうちに10人とか、人数を決めてはいるが、たいてい上手くいく。








2018年12月15日

ああ合唱コンクール

昨年よりもさらにグレードアップして、特に中3は格段にレベルが上がった。
聞きに来て下さった保護者の方々も、恐らくは十分満足されたに違いない。

まずはじめに中2が歌い、次に中1、そして中3が歌った。
やる気が出なくて、声も小さく、本当にまとまりのない私のクラスは、プログラム最初の演奏。

「まぁ、練習の成果は出てるな…。こんなもんだろう。」
というのは、率直な私の感想。
まとまりがないのは、すべて担任である私の責任。
コンクール当日まで、練習中に注意される男子生徒がいるような状態で、上位進出など望めない。

生徒たちは、他のクラス、他の学年の合唱を聴いて、何を思ったのだろうか。

中2は、中だるみ、反抗、やる気のなさ、自己コントロールの喪失の時期だと言われている。
今年の中2も、例外になることなく、こうした時期を迎えた。
そんな中での合唱練習。
結局、私の見ていない所では遊ぶ。ふざける。真面目にやらない。歌わない。口を開けない。つまらなそうにする。練習の邪魔をする。
本当に、リーダーたちは大変だっただろう。

それも今日で終わりだ。
とりあえず歌い切った。
練習通りにはできた。
これでよいのだろう…。

お隣のクラスは入賞できて大喜び。
私のクラスの何倍も頑張ったから、そのご褒美でもある。

帰りの会で、伴奏者、指揮者、パートリーダーを皆で祝福した。
私もピアノを弾くが、伴奏は孤独と不安に耐えて練習を重ねなくてはならないからだ。
ミスすれば、口には出せれずとも責められる。あるいは自分自身で責める。
上手くいて当たり前。もっと言えば、伴奏者の力量によって選曲が変わることだってある。

指揮者だって大変だ。一人だけ客席に背中を見て、全体をコントロールする。
上手くできないと、「指揮者だろ」、と責められ、圧力をかけすぎると、皆がついてこない。

パートリーダーだって、遊んだりふざけたりしている奴らを、時に激しく、時に優しくなだめながら、なんとか輪の中に入れようとする。

いろいろ考えれば、良いところもたくさんあった。
一部ソロになったソプラノのOさんも秀逸だったし、なにより3パートのバランスがいい。
美しいハーモニーなのだ。

だが、泣けなかった。
今まで担任をしていて、自分のクラスの合唱に泣けなかったのは、今回が初めてだ。

おそらくは、私自信がめていたのだろう。
私自身の思い入れが足りなかったのだろう。

「よくここまで上手くなりましたね…。」
終了後、隣席の音楽の先生が言葉を掛けてくれた。
正確に言うと、私の方から、
「お疲れ様でした。」
と、振ったのだが、格別の賛辞をくださった。

すべては私の力不足。
いろいろ考えさせられる、初体験ばかりの合唱コンクールになった。








2018年12月14日

欠点は誰がつける?

「S君、欠点(赤点)にしようと思うんですけど…。」

朝一番で、英語の先生が、そう私に言ってきた。
聞けば、
「学年最下位のY君を欠点(五段階評価の1)にするので、そのすぐ上にいるS君も欠点にしようと思うんです。」
と言う。

英語科で算出した成績一覧表では、二人とも赤点にはなっていなかったので、私はちょっと突っついてみた。

「英語科で話し合いはしていないのですか?」
「話し合ったんですけど、意見がまとまらなかったので…。」
「意見がまとまらなかったから担任に相談するのは、ちょっと変だと思いますよ。」

私の学校では、自分の教科で欠点を出すときは、担任に相談する習慣がある。
中学校でありながら、「欠点が一定数を超えると進級させない」、という高校と同じ内規で動いているので、担任は生徒の欠点の個数を気にする。
だから、担任から、
「すいません。この欠点、何とかなりませんか?」
などという、極めておかしなお願いを、教科担当にすることもある。
私は基本的に、教科担当者がつけた点数を尊重する。

ただ、今回の場合は、その逆である。「赤点をつけさせてもらえないか」、というのだ。

授業担当は責任を持って評価をしなければならない。
担任に忖度しなくてはならない成績のつけ方では駄目だ。
たとえ欠点を出すなら、根拠となる点数と、相応の材料を持ち、保護者からどんな問い合わせがあったとしても、毅然とした態度で、自信を持って説明できなければならない。

学年の成績一覧表にしてみて初めて、赤点に気づいたり、そのリストの最下位にいるから、赤点をつけようとしたりする態度は間違いであると思う。

定期考査はもちろん、普段の授業で、そうした成績がつかないような工夫もいる。

中学生のうちから、「赤点(欠点)になるぞ」、などと脅しを含めた指導の仕方も駄目だ。

本来、「勉強の好きな生徒を育てる」べきで、そのためのありとあらゆる努力を教員がしなくてはならないと思う。

「やったら結構おもしろいな。」
「やればできるから楽しい。」
などという思いを生徒に思わせるのが、教師としての仕事でもある。

自信をもって評価できることも、教師として一人前になるための条件でもあろう。








2018年12月13日

合唱のホール練習

いよいよ合唱コンクールが迫ってきた。
練習にやる気のなかった私のクラスも、さすがに二日目ともなれば、「やらねばなるまい」という気持ちが少しは湧いてきているようだ。

いくつかの授業が合唱練習に変わり、今日はホール練習ができた。
本番のホールで、音の響きを感じながら、コンサートピアノの伴奏と合わせるのだ。

それでもN君は、
「合唱練習のやる気が起こらない。」
と、毎日提出する日誌に書いてきた。
さすがにここまで来てそうした思いとは、私の指導力不足を改めて悔やむ。
入学以来、人に流され様々な問題行動を起こしてきたN君だが、なぜか私の言うことは聞く。
悪さをしたあと、静かに私が語れば、行いを悔いて涙も流す。
だが、ほとぼりが冷める頃に、また何やら問題を起こす。
こうして、一年半を過ごしてきた。

だが、練習を見ていると、N君も結構必死に歌っている。
口を大きく開けて、指揮者に合わせ、ハーモニーを作ろうとしている。

課題曲の伴奏は、K君。伴奏者が見つからず、エレクトーンをやっていた彼に、白羽の矢が当たった形だが、持ち前の真面目さでほぼ完璧に弾きこなす。

だが、打鍵が強く、音が大きすぎるのだ。
概して、電子系の鍵盤で練習してきた人は、本物の重たい鍵盤を意識して、強く鍵盤を叩く。
それが、癖になってしまうと、ずっと強いままになる。
また、指の形が丸くないので、横から鍵盤を押さえてしまうので、長く抑えすぎてしまう。
そこに、眺めのペダルが加わって、大きな音になってしまうのだ。

おいおい、男性パートが全然聞こえないぞ。
もともと声量の少ない私のクラスで、大音量のコンサートピアノの伴奏はちょっと困る。
だから、男子に声を出せだの、伴奏者にもっと絞れだの、私がちょっと動揺した合唱練習になってしまった。
「K君の場合、ピアノの大屋根を閉めてもまだ大きいかも…。」
と、思ったが、歌っているうちに男子の声も大きくなり、なかなか難しい判断を迫られそうだ。

実際の演奏だが、大して強弱も付けられず、なかなか感情移入もままならない。
だが、ここまでよく成長したな、と思う。

「明日はもう前日。ここまで来たら、もう変えられる部分はごくわずかだなぁ。」
そう思いながら、明日の練習はどうしようかと、思いを巡らせる。

本当は、クラスの生徒が一体感を感じ、達成感を感じられればそれでOKなのだが、コンクールともなれば、状況は変わってくる。

この合奏コンクールを通して、新しいリーダーも発掘できた。
ヤンチャな男子も、曲がりなりにも歌っている。

ホールでの練習の最中、校長先生が学校見学者を連れてきた。
インドからの見学者だそうだが、私のクラスの合唱練習を見て、褒めて下さった。

こうした外部からの一声が結構生徒たちには効く。

「素晴らしい歌声でした。」
ちょっと苦しいイントネーションの日本語だったが、生徒たちはまんざらでもなさそうだった。








2018年12月12日

卒業生からパワーをもらう

昨晩は、久しぶりに卒業生のH君と会った。
私が今の学校に来て、初めて担任した生徒たちで、今はもう二十歳になる。
あどけない、かわいさたっぷりの中学生だった彼らも、高校を卒業し、大学生になれば、精悍な面持ちになる。彼らも、間もなく就職活動が始まる。

「俺、大学でも野球をやってるんですよ。」

中学時代、野球部に所属していたH君。
中2の冬に足を骨折。
野球部でスキーに出掛けたとき、アイスバーン急斜面で、一回転したのだ。
手術が必要とのことで、数ヶ月入院。
骨を金属で止めたまま、中3最後の大会に出場。
だが、正キャッチャーとしてプレーはできなかった。立ったり座ったりという負荷はかけられなかったのだ。

その後、高校は別の学校に行き、行った先で不登校。
出席日数ギリギリで高校を卒業し、大学の二部に通っている。

H君は、
「今、先生が担当している生徒はどうですか?」
と言う。
「いやぁ、今まで受け持った中で、一番手がかかるよ…。」
と答えると、
「やった〜」
と返ってきた。自分たちが一番手がかかって、迷惑をかけたと思っているのだろう。
確かに、彼らの代もいろいろあったが、一緒に笑い、一緒に泣いた、思い入れの深い学年だったのだ。

卒業生との会話は、ほんの短い時間でも楽しい。

このあと、何人かの卒業生が、私を捜し当てて、訪ねてきてくれた。

「卒業間際に、ピアノを弾いてあげたり、泣きながら講話したのが、良かったのかな…。」

人との出会いは面白い。
ほんのひととき出会ったけで、一生かかわる事もあれば、疎遠になったり、意見が合わなくなったりで、二度と会わないこともある。

教師をしていると、数多くの子供たちとの接点があるが、実は、その中で関わりが続いているのは、ほんの僅かだ。

以前の私は、小中高のお世話になった先生には、欠かさず年賀状を出した。
かすかな蜘蛛の糸のような、細い関係でも切りたくなったからである。

いつまでも関わりたいと思う心も、執着なのかな。

今担当している生徒たちへは、私はもう祈るしか方法は残っていないのかも知れない。

しかし、久しぶりに会った卒業生から、パワーをもらったような気がした。

もう一踏ん張りしよう。

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2018年12月11日

合唱練習と山並み

「明日の英会話の授業は学活になったので、合唱練習ができます。パートリーダーは、練習場所を探しなさい。」

そう、昨日指示しておいたら、昨日のうちにいろいろな先生と調整をしたようで、家庭科室が使えることになった。
「責任を持たせると、生徒はできるようになるもんだなぁ。」」
と、感動。

今朝はこの冬一番の冷え込み。校舎前の芝生も真っ白に霜が降りていた。
それよりも美しかったのが、日の出直後の太陽に照らされた山並みだ。
快晴の空に、標高2000m近い雪をいただいた連峰が、朝日に輝いている。

「こんな景色を毎日見られるなんて、なんて幸せなんだろう…。」
そんな至福の時を過ごすも、その後、あれよあれよと雲が立ちこめてきて、山にも雲がかかってきた。
今夜は雪の予報。温度が低いので、降れば雪になること確実だろう。

私は雪も好きだ。
積もれば、朝の冷え込みも厳しいし、しばらくグランドが使えなくなってしまうのだが、何となく雪を見ると興奮する。

東京育ちということもあるのだろう。雪国の方には、とても申し訳ないのだが、雪を見るとわくわくする。

と言うわけで、私が一時間アドバイスをする合唱練習。

思えば、ずいぶん上達している。今週末が本番なのだから当たり前だが、もうちょっとだ。
まだ、涙が出てくるほどではないが、確実にクラスがまとまりつつある…。

隣の担任が、
「どうですか1組は?」
と尋ねるも、そろそろお茶を濁すような答え方をしなければいけなくなった。

家庭科室は彼らの歌声が響く。
廊下にも響く…。

家庭科室をぶらぶらしていたら、山並みが見えた。
天気は曇ってしまったが、まだまだ山はコントラストよく見えている。

ちょうど教室の後ろの、ちょうど洗濯機が置いてあるあたりから見る山が、とてもいい構図で見えることを発見した。
今は葉が落ちているが、桜の木が手前にある。春先になれば、桜と雪山が同時に見えそうだ。

彼らの合唱練習を聞きながら、しばし思いに馳せる。

ほのかにカビの臭いがした。

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