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2018年12月24日

グランド周りの草刈り

「草刈に行くぞ!」
マネージャー的存在の中3のY君を連れて、グランドへ向かう。
北風が強く、山の雪が舞っていて、とても寒い…。

Y君は兼業農家の息子。刈払機など難なく使える。
中学生に刈払機を使わせるなんて、「危険極まりない」、のだが自宅でも刈払機やチェンソーを使っている彼にとっては、何でもないことなのだ。

もちろん、ゴーグルなど安全装置をつけないで使用しようとすることは、私も許さない。
見ていて安心できるので、勝手にグランドの縁のススキをどんどん刈っていく。
しばらくすると、混合燃料が切れるので、燃料を補給してまた開始。
概ね一時間前後で、グランド周りが綺麗になった。

「ボール三つも切っちゃいましたよ。」
刈払機を使っていると、中に紛れていた軟式ボールも切断される。
傷もののボールになるのである。
「ネットティーくらいには使えるから…。」

そもそもボールを拾っていないのが悪いのだが、草むらに入ったボールは、ほぼ見つからないのだ。
だからこそ、時々こうした草刈りが必要になる。

これで安心して新年を迎えられる。

刈った草の一部は、私が特設畑で燃やした。
それをそのまま土に混ぜ込み、春先に植える野菜のために土を寝かす。

この周辺では、中学生だってがトラクターを操作するし、農作業の通り一遍のことはやる。
近隣の学校に、今でも残る秋休みは、二期制の切り替え時期でもあるが、もとは収穫休みだ。

山が見えるので、雪は山頂付近でチラついているだけだろう。

体を動かしたので、少し汗ばんだ。
やっぱり自然の中で動くのはいい。
寒さなど吹っ飛んでいく。

高校生は冬期講習だから、一日中校舎内にいる。
担当先生はずっと授業。
その中で、私は一日外で作業。

二学期頑張ったから、まぁいいか…。








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2018年12月23日

マラソン大会

地元のマラソン大会が行われた。

私の学校では、今年は総勢120余名が、このマラソン大会に参加。生徒のみならず、教職員も走る。

中学生女子は3キロ、高校生女子は5キロ、中学生男子は5キロ、高校生男子は5キロまた10キロを走る。先生たちは5キロか10キロだ。

以前は私自身も10キロや5キロを走ってみたことがある。
その頃は、気が狂ったように、毎日10キロ以上走るトレーニングをしていたのだ。
今月は数百キロ走ったのだの、自画自賛していたし、週に6日は走ろうと決意して、雨が降ろうが、嵐になろうが走っていた。
あるときは、インフルエンザの予防接種日だったので、接種前の早朝に走ったりもした。

だだが、最近はもっぱら写真撮影である。
今はトレーニングしていないし、何より、自分が走ってしまうと、皆の写真が撮れないのである。
こんなにいい素材があるのに、写真を撮らないのはもったいないではないか。

だが、マラソンの写真撮影は難しい。
彼らがいつ通過するか分からないし、刻々と近づいてくる選手にピントを追いながら、撮る。
幸いなことに、私のカメラは連写機能もあるし、私自身、流し撮りのようにカメラを振ることもできるが、それでも満足いく写真はそうそう撮れるものではない。

もちろん通過するメンバー全員の写真はとても撮れるものではないし、良いシャッターチャンスがあっても、ピントがずれていたりすることだってある。

そんな写真撮影をしている折、参加選手の親たちの叫び声が聞こえてきた。
「桃ちゃーん、がんばって!」
母親はたいてい絶叫する。
「いけー、走れ!」
父親の多くは、気合いを入れる。中には伴走する人もいる。
だが、私は叫べない。声も出せない。撮影に必死でそれどころではないのだ。

最近は地元の中学校の校長が、「皆で参加するのだ」と指令を出し、男子中学生の参加は320人を超えた。その上、男子のトップクラスは5キロを15分前後で走る。
ここは、全国レベルの選手もいるマラソンの強い地域なのだ。

終了後全員で記念撮影。
「超広角レンズでないと駄目かな…。」
と、レンズを付け替えたが、結局通常のズームに戻した。先生方が気を遣って、左右を詰めてくれたからである。

通りすがりの人がつぶやく。
「すごーい。あんなにたくさん賞状、取ってる…。」
レベルが高すぎて、男子中学生の入賞は望めないが、高校生は、たとえ招待選手がいようと、結構10位以内に入れる。

ちょっと誇らしげに写真を撮った。

これで私の年内の行事はおしまい。
明日からは高校の冬期講習が始まるが、幸い私は担当しない。

例年になく暖かいマラソン大会がおわり、ふと、二学期を振り返る。
「いろいろあったが、頑張った。」
そう、自分を褒めてあげたくなるような一日になった。








2018年12月22日

祝福の拍手

二学期終業式が行われた。その講話で、校長は三つのいい話を紹介した。

一つ目は、心筋梗塞および心不全で倒れたS先生のこと。
全校生徒の支援の祈りと、二度の手術により、このたび退院の運びとなったこと。
ここで、大きな拍手が起こる。
その拍手が、何とも温かく、とてもいい感じのものだった。
一時は危篤状態まで悪化した病状が、奇跡的に回復し、現場復帰も夢ではなくなったわけだ。

二つ目は、高文連の県大会で最優秀となり、T君の油絵が県代表として、全国大会に出展されることになったこと。
T君は、中学時代は不登校だった。高校から入学して不登校も克服し、好きな絵を描くことで、努力を重ねた。今回の快挙は、「将来はイラストレーターになりたい」、という彼自身の目標の第一ステップとなった。
ここでまた大きな拍手が起こる。
この拍手も、暖かく祝福の波動にあふれるものだった。
この辺りから、私の心にグーと響く。
何だか心が躍るのである。喜びに溢れるのである。
油断すると涙が出てくるくらいの、暖かい祝福の思いに、私自身感動した。

三つ目は、U君のこと。東大オープン模試で、全国一位となったということだ。
中学入学以来、常に学年トップの成績を収めていたが、いよいよ高3になって、さらに本領発揮というところ。もちろん開校依頼初めてのこと。

文系ながら、理系にも強いU君。
以前、「数学のトポロジーの専門書で分からない部分がある」、と質問を受けたことがある。
私の専門がトポロジーであることを知ってのことだが、残念ながら質問には答えてあげることはできなかった。これが高2の頃だったと思う。
「勉強は楽しいからやる。やると楽しくなってまた勉強するのだ」、と豪語する。

U君が紹介されると、今までにないくらいの盛大な拍手が湧いた。まさに拍手喝采である。
その拍手の中には、嫉妬心など微塵も感じない。
あるのは祝福の思いだけである。

この時点で私は涙した。
総勢500名にもおよぶ祝福の思いは、私の心にぐんぐん響く。

祝福は『愛』の思いである。
その愛が、拍手として彼らに向けられる、それがホール全体を包み込む。

その暖かい愛はあふれる心地よい波動に、自然に涙が出てきたのだ。

私自身も拍手をしている。
しかし、拍手をしながら、眼が曇る。

こんな祝福の習慣がある学校って、いいんじゃないかな。

感動するいい終業式になった。








2018年12月21日

褒めることで人は良くなる

「男子の一部は、なんか怖いなって思ってだけど、意外といいところもあって、合唱コンの練習も、一人ひとりがんばっているのが伝わってくる。」

「調理実習で、男子が意外と真面目であることが分かった。」

クラスの女子生徒から、男子生徒に向けて、こんな声がチラホラ聞こえるようになってきた。

二学期は、いろいろな行事でわざと男女混合の班編制にした。
男女仲の悪さを少しでも改善しようと思ったからだ。
教室の座席も、男女が交互になるようにした。

こうした方法が功を奏してから、いくつかの行事を重ねた結果、少し平和なクラスになってきたようだ。

今でも男子は休み時間に大騒ぎ。
妙な嫌らしい雰囲気で集まり、何やら陰口を言っているようにも見え、さらには大暴れして、いろいろなものを壊す。
先生には反抗し、授業中もうるさい…。

これが現実ではあるが、少しずつだが、男子も少しは、
「変わらなきゃ。」
と、思う生徒が増えてきたようである。

今朝は、『いいところ発見カード』を交換し、それらをワークシートに貼り付け、「自分の気づかなかった良い点」を各自確認し合った。

その後、班ごとに共有した。

「自分の気づかないところで、褒めてもらえると、本当に力が湧いてくる。」
ある女子生徒が、そんな感想を書いていた。

大人だって、何気ない一言で、褒められると、ぱっと明るくなる。
嬉しくなって、
「もう少し頑張ろう!」
という気持ちにすらなる。

私自身担任、学年主任として、生徒たちをもっと褒めたらいいのだろうと思う。

併せて教頭や校長も、そんな風に我々下々の者に接してくれれば、もう少しギスギス感がなくなってゆくに違いない。

「粗探しはやめてくれ…。」
と、思うのは生徒も教員も同じのようだ。

褒めることで人は良くなる。

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2018年12月20日

それはスマフォのせいです!

今朝、成績不振による追認考査の連絡で保護者に連絡したとき、母親が
「原因はスマフォだと思うのです。成績が悪いのはスマフォのせいです!」
という。聞けば、
「娘が10Gも使っているので、他の家族が通信できなくなったんです。」
とのこと。

最近は家族でパケットをシェアして、使い回すという契約があるようで、それで家族全体としての通信料を抑えているらしい。確かに家族全員がスマフォを使っていれば、かなり高額な費用がかかる。
だが、こんな風に、娘の使いすぎで家族が利用できなくなることがあることを初めて知った。

「果たして中学生にスマフォは必要なのだろうか。」
個人的な考えだが、私はそう思う。
「通信会社に踊らされているだけなのではないか。」
とも思う。

LINEだの家族無料通話だの、魅力的な機能は多い。
だが、その反面、通信料の増加によって、ガラケー時代の何倍もの費用がかかるようになっているのではないだろうか。

子供たちの興味をそそる様々なコンテンツが、「興味関心の対象を、勉強から刹那的な情報へと向けている」と思われる。

都会の電車では、スマフォを操作していない人を見つける方が難しいと言う。
「あっ、本を読んでいる人がいる…。」
と、珍しがられる状況だ。

そもそも、スマフォの画面を凝視しているのだから、他の人が何をしているのか、などは関心をもつこともあるまい。

今から10年後、スマフォがどのように変わっていくのかは、全く予想できないが、時代の過渡的な流れとしか思えない。

子供にスマフォを与えた親が、子供のスマフォのコントロールができずに、学校に頼ってくる。

「みんな持ってるから…。」
「家族で持てば便利だよ。」
「今の時代、スマフォがないと、友達関係が築けない…。」
などと、子供に説得されて、幼少期からスマフォを与えてしまう親。

「いつでも子供と連絡が取れるから。」
と思うも、結局は、子供がもっと遠い存在になっていくという矛盾に気づいていない…。








2018年12月19日

脅しの教育

職員会議で学力テストの分析を求められたので、
「今の補習のシステムが、勉強嫌いの生徒を増やしてしまった。」
と、問題提起してみた。

「勉強嫌いの生徒を作ってはいけない。」
これが、私の考えである。

「勉強は本来楽しいもの。できるようになることは嬉しいもの。新しく学び、知識を増やすことは、幸せなこと。そして、それが、人生に彩りを与えるもの。」

そういう思いを、教師一人ひとりが持たなくてはならないだろう。

そのためには、教師に感化力が必要だ。生徒が、先生の話を聞き、「なるほど」とか、「やってみるか」、また、「面白そうだな」、「自分もできるようになりたい」、などとそういう思いを抱かせなくてはならないのだ。

多くの場合、この逆を行ってしまう。

「宿題をやっていない人は、居残りだ。」
まぁ、この位は許容範囲だと私も思う。

「○点以下は、成績の『1』をつけるぞ。」
「授業中おしゃべりしていたら、平常点はやらない。」
「先生の指示通りでないノートには特典を与えない。」

などなど、その時折りの教師側の都合(?)で、生徒に『脅し』的な指導をしていないだろうか。
私は、これを『脅しの教育』と呼びたい。

たとえ、新人の先生であっても、成績をつける裁量権を持っている先生は、生徒からは力のある存在だ。だから、この『脅しの教育』は成立してしまう。

生徒をコントロールするために、こうした方法を使っていると、見かけは良い生徒のように見えるだろうが、本質的な勉強をしなくなる。
打算的な勉強の仕方をし始める。
成績だけを意識した勉強をしてしまうようになる。
好きで勉強する気持ちは薄らいでゆき、嫌なことだけど、仕方なく『義務』で勉強をするようになってしまう。

これでは、成績は伸びない。
およそ成績というものは、機械的な訓練でも多少は伸びるが、その先へは、『自発的』な動機付けがなければ、伸びていくことはないのだ。

「補習だ!補習に出なさい。」
と、逃がさないようにブロックしたり、追いかけ回して強制的に教室に来させても、成績は上がっていかないのは、教育の原理からも明らかだ。
私はそのことを間接的に訴えてみた。

本当は、補習などせずとも、授業で完結できるなら、その方がいい。
授業が楽しく、学びにワクワクできるなら、そのスタイルがいい。

「授業も中途半端、補習は強制」では、学力向上は全く望めないだろう。

授業に自信が持てないなら、「楽しくためになる補習」を目指してもいい。

いずれにせよ、『脅しの教育』ではだめだ。








2018年12月18日

宇宙人とコンタクトしたい

「Yの夢は何?」
「これからは宇宙時代じゃないですか。だから、宇宙人と最初にコンタクトしたいです。」
「言葉が通じないだろうに、どうやって会話するんだ?」
「うーん。テレパシーですかね…。」
「Yはテレパシー使えたっけ?」
「いや、まだ…。」
「ニコニコ笑って友好的に迎えても、もしかしたら、文化が違って、宇宙人にとっては笑うことが怒ることのように感じるかも知れないよ。いきなり攻撃されてしまうかも知れない。」
「バーンって、打たれたら、それで平和が訪れて、ファーストコンタクトのきっかけになれば、それでもいいんです。」

どうやら世界各地にいろいろな宇宙生命体がやってきて、密かに何やらしていることが分かってきた。日本政府はぼーっとしているが、アメリカでもロシアでも中国でも、すでにコンタクトをして、軍事方面への技術協力を受けているらしい…。

数年前は、中国の空港がUFO襲来で閉鎖されたし、宇宙人にアブダクションされて、何やら体内にチップを埋め込まれる事件も、世界各地で起こっている。

奇想天外な話に聞こえるかも知れないが、こうした情報はいくらでも探し出すことはできる。
あの世の世界だの霊の世界だの、そうした目に見えない世界だってあるのだろう。

日本では、文部省から文部科学省に代わって、科学者の考える科学的思考に反することは、すべて否定していく方向に流れ、ますます唯物的な教育になった。

「ところでYよ。そのためには、どんな努力をするんだい?」
「それが問題なんですよ。」
「何をしたらいいですかね。」
「心のコントロールをして、テレパシー能力を磨くとか…、そんな簡単じゃないしなぁ…。」

「ところで先生の夢はなんですか?」
「僕の夢はね…。」

卒業生で高2になるY君と、一緒に風呂に入りながら、たわいのない会話を楽しんだ。

何気ない会話でも、私にとっては至福の時。

「こんな会話がいろいろな卒業生と、ときおりできたら、幸せだなぁ。」

と、叶わぬ夢に思いを馳せる。
高校生になると、大人の会話ができる。
それもまた愉し…。








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