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2019年02月11日
友人の保護者と
立志式を終えて、教室で友人でもある保護者から声を掛けられた。彼の娘を今、担任しているが、兄が私を慕ってくれていたのだ。
兄の圭介は、中学卒業と共に転校していったのだが、途中で高校を退学してしまった。
そのまま高校生を続けていれば今は高3、受験の年だ
「圭介は学校を辞めてしまいまして…。」
「知っています。」
圭介は高認を受け、大学を目指している。
「センターは、数学と物理しか満足いく点数は取れなかったんで、多分希望しているT大は無理かと…。」
「一人で勉強するのは、大変ですからね。いざというときに励まし合う仲間がいるのといないのでは、大きな違いがあると思います。」
「圭介が辞めると言ったときがちょうど私も転職した時期だったんです。だから、強く否定できませんでした。」
彼は今は県有数の進学塾の幹部に戻っている。
「『絶対に後悔するなよ』、としか言えなかったんです。どうしても収入的に苦しくて…。」
彼は、立志式で感じた子育てを思い、思いの丈を私に伝えたかったのだろうと思う。
私は、
「圭介の人生ですから…。きっと自分で切り拓くでしょう。」
と、伝えた。
生徒一人ひとりにいろいろなドラマがある。自分で判断し、進んでいくこともあれば、自分にとっては不可抗力の中で、環境が変わることもある。
人はそうした人生を生きている。
明日のことは誰にも分からない。
だが、明るい未来を信じて、今日も一歩を踏み出す。
「妻も、異動できそうなんです。」
「それは良かったですね。ちょっと通勤が遠すぎましたからね。」
一頃、自傷行為を重ねていた娘も元気になって、今日も立派な発表をした。
「今度、圭介に連絡してみますよ。」
「きっと喜ぶと思いますよ…。」
「丹澤先生も、もう十年ですか?」
「はい。そろそろですかね…。」
と、笑い飛ばす。
そう言って、話を閉じた。
まだまだ私に声を掛けたいとおぼしき保護者が控えていたからである。
学校現場は、毎日がドラマだ。
生徒の向こう側に、その家族のドラマも垣間見える。
みんな、懸命に生きている…。
兄の圭介は、中学卒業と共に転校していったのだが、途中で高校を退学してしまった。
そのまま高校生を続けていれば今は高3、受験の年だ
「圭介は学校を辞めてしまいまして…。」
「知っています。」
圭介は高認を受け、大学を目指している。
「センターは、数学と物理しか満足いく点数は取れなかったんで、多分希望しているT大は無理かと…。」
「一人で勉強するのは、大変ですからね。いざというときに励まし合う仲間がいるのといないのでは、大きな違いがあると思います。」
「圭介が辞めると言ったときがちょうど私も転職した時期だったんです。だから、強く否定できませんでした。」
彼は今は県有数の進学塾の幹部に戻っている。
「『絶対に後悔するなよ』、としか言えなかったんです。どうしても収入的に苦しくて…。」
彼は、立志式で感じた子育てを思い、思いの丈を私に伝えたかったのだろうと思う。
私は、
「圭介の人生ですから…。きっと自分で切り拓くでしょう。」
と、伝えた。
生徒一人ひとりにいろいろなドラマがある。自分で判断し、進んでいくこともあれば、自分にとっては不可抗力の中で、環境が変わることもある。
人はそうした人生を生きている。
明日のことは誰にも分からない。
だが、明るい未来を信じて、今日も一歩を踏み出す。
「妻も、異動できそうなんです。」
「それは良かったですね。ちょっと通勤が遠すぎましたからね。」
一頃、自傷行為を重ねていた娘も元気になって、今日も立派な発表をした。
「今度、圭介に連絡してみますよ。」
「きっと喜ぶと思いますよ…。」
「丹澤先生も、もう十年ですか?」
「はい。そろそろですかね…。」
と、笑い飛ばす。
そう言って、話を閉じた。
まだまだ私に声を掛けたいとおぼしき保護者が控えていたからである。
学校現場は、毎日がドラマだ。
生徒の向こう側に、その家族のドラマも垣間見える。
みんな、懸命に生きている…。
2019年02月10日
立志式を終えて
昨日の午後には、立志式を行った。
地元では、立志式が当たり前なので、私の学校でも行うようになったのだが、年々その質は高まってきている。
まずは、学年全体で歌を披露。
感謝の思いを込めて、12月に行った合唱コンクールの自由曲を学年合唱。
さすがに歌い込んでいるだけあって、聞く者に思いが伝わってくる。
保護者の中には、この歌を聴くだけで涙があふれてくる方もいる。
もちろん私だって、うるっと来た。
続いて、実行委員長生徒の言葉。
お願いしたT君は、前日立派なスピーチ原稿を見せに来た。
「何も言うことはないよ。思いを込めてくれればそれでいい…。」
私は、そう言って合格点を出した。一切手を入れることはなかった。
T君のスピーチには、吉田松陰の言葉の引用ばかりではなく、「夢、志、目標」についての段階についても触れられるなど、とても立派なものであった。
続いて、サプライズ映像。
これにも泣けた。
保護者も泣いた。
生徒たちは、自分たちの写真が出るたびに、笑いが出ていたが、私や保護者の世代は、別の意味合いがあるのだ。
「ここまで元気に育ってくれてありがとう。」
「あの頃の『愛』をありがとう。」
そういう思いが湧いてきて、涙が溢れてくるわけだ。
その後、一人ひとりの『志』の発表。
発表時間は一分だが、誰もが緊張する中での発表であっただろう。
どの発表も立派だった。
自分がこの先、どう生きていくかを、高らかに語っている。
そのスピーチには、「ここまで成長させてもらった」、という感謝の思いが満ちている。
その思いに、人は感動するわけだ。
食い入るように、自らの息子、娘のスピーチを聞く。
保護者も感動している…。
そして、ホールでの式典を終えて、教室に移動。
教室では、保護者に手紙を手渡す。
保護者は、生徒から手紙をもらえるなどとは思っていないので、これまた感動。
そして、生徒にはサプライズとして、全員分親からの手紙が渡される。
私は、
「この手紙は、この先宝物になるのです。」
とも語った。
申し訳ないけれど、時間の関係で割愛させてもらった知事からの手紙の何倍もの価値がある。
立志式には、地元の女性会より一人ひとりへのプレゼントも頂いた。
皆に支えられた立志式。
「よかったよ…。」
と、上司。
「本当に感動しました。」
と、保護者。
こちらも、何とか乗り切った…。
改めて皆に感謝したい。
地元では、立志式が当たり前なので、私の学校でも行うようになったのだが、年々その質は高まってきている。
まずは、学年全体で歌を披露。
感謝の思いを込めて、12月に行った合唱コンクールの自由曲を学年合唱。
さすがに歌い込んでいるだけあって、聞く者に思いが伝わってくる。
保護者の中には、この歌を聴くだけで涙があふれてくる方もいる。
もちろん私だって、うるっと来た。
続いて、実行委員長生徒の言葉。
お願いしたT君は、前日立派なスピーチ原稿を見せに来た。
「何も言うことはないよ。思いを込めてくれればそれでいい…。」
私は、そう言って合格点を出した。一切手を入れることはなかった。
T君のスピーチには、吉田松陰の言葉の引用ばかりではなく、「夢、志、目標」についての段階についても触れられるなど、とても立派なものであった。
続いて、サプライズ映像。
これにも泣けた。
保護者も泣いた。
生徒たちは、自分たちの写真が出るたびに、笑いが出ていたが、私や保護者の世代は、別の意味合いがあるのだ。
「ここまで元気に育ってくれてありがとう。」
「あの頃の『愛』をありがとう。」
そういう思いが湧いてきて、涙が溢れてくるわけだ。
その後、一人ひとりの『志』の発表。
発表時間は一分だが、誰もが緊張する中での発表であっただろう。
どの発表も立派だった。
自分がこの先、どう生きていくかを、高らかに語っている。
そのスピーチには、「ここまで成長させてもらった」、という感謝の思いが満ちている。
その思いに、人は感動するわけだ。
食い入るように、自らの息子、娘のスピーチを聞く。
保護者も感動している…。
そして、ホールでの式典を終えて、教室に移動。
教室では、保護者に手紙を手渡す。
保護者は、生徒から手紙をもらえるなどとは思っていないので、これまた感動。
そして、生徒にはサプライズとして、全員分親からの手紙が渡される。
私は、
「この手紙は、この先宝物になるのです。」
とも語った。
申し訳ないけれど、時間の関係で割愛させてもらった知事からの手紙の何倍もの価値がある。
立志式には、地元の女性会より一人ひとりへのプレゼントも頂いた。
皆に支えられた立志式。
「よかったよ…。」
と、上司。
「本当に感動しました。」
と、保護者。
こちらも、何とか乗り切った…。
改めて皆に感謝したい。
2019年02月09日
総合的学習の発表会
雪が降りしきる中、総合学習の発表会が行われた。
代表チームがパワーポイントで自分たちの研究テーマを発表する。
ジャンルは、「正しい歴史認識を学ぶ大東亜戦争グループ、「日本の素晴らしさを再発見するクールジャパングループ」、「日本の宗教から日本人に流れる普遍の思想を学ぶ、思想グループ」の三つ。各テーマ3〜4人の生徒が、一学期から研究を重ねてきたのだ。
…どの発表も良かった。
「日本人の根底流れる『武士道』の精神が、日本人の行動を支えているのではないか」、という考察。
「実は、日本は宇宙開発の先進国である」という主張。
「南京大虐殺は、東京裁判で戦犯を裁くために、アメリカと中国がねつ造した」という証拠。
などなど、学校外の方が聞けば、ひっくり返るような主張が並んでいる。
中2は、『日本の素晴らしさを知る』というテーマで探究させているが、今年も面白いテーマが次々と出てきた。それを中1も聞く。
先輩たちの研究を見ながら、来年の自分たちの姿として学ぶのだ。
数年前から代表にならなかったチームも発表させている。
同じ会場内で、ポスターセッションとして話をさせていたが、今年はPCを使っての発表をやってみた。そこに、保護者や中1が集まり、発表を聞く。
代表の中から金賞を選ぶことにしているが、今年は学年団と校長の意見が割れた。
私はどのチームでもいい、と思っていたのだが、他の先生はなかなか主張を譲らない。
「あのチームは発表前に、自己変革して変わったんです。」
と言えば、
「僕は、そうは見えない…。」
などと、校長も譲らない。
結局、学年団の推したグループと、校長が一押ししたグループの二つに金賞を出すことになった。
「内容はいいのだが、毎年少しずつ発表のスキルは落ちている。今年は、特にパワポの誤字や間違いが目立った。」
というのが校長の指摘だ。
これでは、代表発表担当した責任者は、謝るしか術がない。
ずっと彼らを指導し続けている学年団の方が、生徒の様子は分かっているとは思うのだが、その主張は通らなかった。
とにかく、午前中の発表会は無事終了。
もちろん保護者や他のスタッフからの評判も良かった。
「お疲れ様でした。」
「素晴らしかったです。」
これだけで救われる。
生徒たちも、「俺ら頑張ったよ」、とまんざらでもなさそうだ。
「素晴らしい発表でした。この調子で立志式を乗り越えてください。」
生徒たちには、立志式前にそう褒め称えた。
午前の部、まずは成功というところだろう…。
代表チームがパワーポイントで自分たちの研究テーマを発表する。
ジャンルは、「正しい歴史認識を学ぶ大東亜戦争グループ、「日本の素晴らしさを再発見するクールジャパングループ」、「日本の宗教から日本人に流れる普遍の思想を学ぶ、思想グループ」の三つ。各テーマ3〜4人の生徒が、一学期から研究を重ねてきたのだ。
…どの発表も良かった。
「日本人の根底流れる『武士道』の精神が、日本人の行動を支えているのではないか」、という考察。
「実は、日本は宇宙開発の先進国である」という主張。
「南京大虐殺は、東京裁判で戦犯を裁くために、アメリカと中国がねつ造した」という証拠。
などなど、学校外の方が聞けば、ひっくり返るような主張が並んでいる。
中2は、『日本の素晴らしさを知る』というテーマで探究させているが、今年も面白いテーマが次々と出てきた。それを中1も聞く。
先輩たちの研究を見ながら、来年の自分たちの姿として学ぶのだ。
数年前から代表にならなかったチームも発表させている。
同じ会場内で、ポスターセッションとして話をさせていたが、今年はPCを使っての発表をやってみた。そこに、保護者や中1が集まり、発表を聞く。
代表の中から金賞を選ぶことにしているが、今年は学年団と校長の意見が割れた。
私はどのチームでもいい、と思っていたのだが、他の先生はなかなか主張を譲らない。
「あのチームは発表前に、自己変革して変わったんです。」
と言えば、
「僕は、そうは見えない…。」
などと、校長も譲らない。
結局、学年団の推したグループと、校長が一押ししたグループの二つに金賞を出すことになった。
「内容はいいのだが、毎年少しずつ発表のスキルは落ちている。今年は、特にパワポの誤字や間違いが目立った。」
というのが校長の指摘だ。
これでは、代表発表担当した責任者は、謝るしか術がない。
ずっと彼らを指導し続けている学年団の方が、生徒の様子は分かっているとは思うのだが、その主張は通らなかった。
とにかく、午前中の発表会は無事終了。
もちろん保護者や他のスタッフからの評判も良かった。
「お疲れ様でした。」
「素晴らしかったです。」
これだけで救われる。
生徒たちも、「俺ら頑張ったよ」、とまんざらでもなさそうだ。
「素晴らしい発表でした。この調子で立志式を乗り越えてください。」
生徒たちには、立志式前にそう褒め称えた。
午前の部、まずは成功というところだろう…。
2019年02月08日
新しい英語の補習が始まった
「補習に人が集まらない」、と悩んでいた英語先生が、英語係を集め、どうすべきかを考えさせたところ、「週二回のうちどちらかは全員参加にすべきだ」、という生徒からの意見が出て、本日からそのシステムで補習が実施された。
習熟度の二番目と三番目のクラス対象で、およそ40分間の補習が行われた。
ちょうど私が部活帰りに、職員室に立ち寄ったとき、参加した生徒たちとすれ違ったのだが、彼らの表情は概ね明るかったし、疲労感はなかった。
なかなか満足のいく補習だったようだ。
補習は基本的に希望者が参加する。
「自分から勉強したい」、という意欲が、学びを深め、理解を助ける。
今回は担当者の魔法で、係生徒の話し合いでシステムを決めたが、次のハードルとして、「補習に出て良かった」、という満足感である。
自分自身にとってのメリットが大きければ、サボらずまた参加しようという気持ちが湧く。
一緒に参加している友達と、楽しく学べれば、リピーターにもなる。
教師は、いかに『楽しく、充実した、参加して良かった』、と思われる授業を提供しなくてはならないのだ。
教員に成り立ての方は、まず、この部分で悩む。
だから、ベテランの授業を見学したり、その技を盗んだりする。
今朝、新人の先生に、
「明日は立志式で忙しくなるから、明日配るプリントは今日中に印刷してきなよ。」
と、声を掛けた。
すると、
「先生、4時間目は中1の授業ですよね。」
と、返答された。
彼との会話はいつもこうだ。
私の指示なり、質問とは違うことを、言ってしまう。
頭が良いから、次のことを話してしまうのだろうが、どうも会話がギクシャクする。
要は、「4時間目の授業を見学させてください」、ということらしいのだが、
そのようなお願いはできず、違う聞き方をする。
授業は教師に取ってのもっとも大切な仕事の一つ。
これが、面白くないと、生徒はついてこない。
授業がきちんとできて、信頼感があるからこそ、生徒指導にも生きてくる。
だが、授業を面白くするには、いろいろな仕込みが必要だ。
教材研究だけやっていても、面白い授業にはならない。
相手は生徒であり、人間なのだ。
日頃の生徒との関わりが、うまくいっていると、授業もうまくいく。
授業がうまくいっていると、生徒との関わりもスムーズになる。
どちらが後先かは、難しいが、互いの相乗効果がどちらもよい面を引き出していくと思われる。
英語の補習が、この先も続いていくことを望みたい。
習熟度の二番目と三番目のクラス対象で、およそ40分間の補習が行われた。
ちょうど私が部活帰りに、職員室に立ち寄ったとき、参加した生徒たちとすれ違ったのだが、彼らの表情は概ね明るかったし、疲労感はなかった。
なかなか満足のいく補習だったようだ。
補習は基本的に希望者が参加する。
「自分から勉強したい」、という意欲が、学びを深め、理解を助ける。
今回は担当者の魔法で、係生徒の話し合いでシステムを決めたが、次のハードルとして、「補習に出て良かった」、という満足感である。
自分自身にとってのメリットが大きければ、サボらずまた参加しようという気持ちが湧く。
一緒に参加している友達と、楽しく学べれば、リピーターにもなる。
教師は、いかに『楽しく、充実した、参加して良かった』、と思われる授業を提供しなくてはならないのだ。
教員に成り立ての方は、まず、この部分で悩む。
だから、ベテランの授業を見学したり、その技を盗んだりする。
今朝、新人の先生に、
「明日は立志式で忙しくなるから、明日配るプリントは今日中に印刷してきなよ。」
と、声を掛けた。
すると、
「先生、4時間目は中1の授業ですよね。」
と、返答された。
彼との会話はいつもこうだ。
私の指示なり、質問とは違うことを、言ってしまう。
頭が良いから、次のことを話してしまうのだろうが、どうも会話がギクシャクする。
要は、「4時間目の授業を見学させてください」、ということらしいのだが、
そのようなお願いはできず、違う聞き方をする。
授業は教師に取ってのもっとも大切な仕事の一つ。
これが、面白くないと、生徒はついてこない。
授業がきちんとできて、信頼感があるからこそ、生徒指導にも生きてくる。
だが、授業を面白くするには、いろいろな仕込みが必要だ。
教材研究だけやっていても、面白い授業にはならない。
相手は生徒であり、人間なのだ。
日頃の生徒との関わりが、うまくいっていると、授業もうまくいく。
授業がうまくいっていると、生徒との関わりもスムーズになる。
どちらが後先かは、難しいが、互いの相乗効果がどちらもよい面を引き出していくと思われる。
英語の補習が、この先も続いていくことを望みたい。
2019年02月07日
立志式に向けて
立志式の飾り付けのため、書き初めを教室に飾った。
三学期早々、自分で考えた四文字を、書き初めとして書いたものだ。
お手本すらないので、もはや「書写」ではない。
生徒一人ひとりが、言葉に思いを込めて、一画一画、筆を運んで書いた作品だ。
クラス全員分の書き初め作品が、ずらりと教室に展示されると、その姿はさすがに壮観だ。
「なかなかいいんでないかい?」
昼休みに張り終えた私は、一人ほくそ笑む。
「やっと中学校っぽい教室になりましたね。」
教育学部出身の隣の担任がつぶやく。
三学期の目標を記した掲示物に、個人顔写真も貼った。
インフルエンザが流行り、なかなか写真が撮れずにいたのを、立志式に合わせて、慌てて撮影したものだ。慌てついでに、カメラの設定を間違えた。夕焼けを綺麗に見せるモード(赤色を強調するモード)で撮ってしまい、全体的に露出アンダーになったので、少し書加工したら、赤っぽい、コントラストの高い写真になってしまった。
「先生、今回の写真変ですよ…。」
異常に気づいた生徒がすぐに詰め寄ってきた。
私は笑って誤魔化す。
今日の学活では、立志式のリハーサルをやってみた。
発表時の一人ひとりの動きを確認する。
「本番に強い彼らのことだから、まぁ、うまくやり遂げるだろう。」
私はそう高をくくっているのだが、心配性の先生方は不安そうだ。
他の学年の先生にも、
「生徒が一人ひとり志を発表しますから、是非見に来て下さい。」
と声を掛けると、「楽しみにしています」、とのこと。
「生徒たちの成長を見て欲しい。」
どれだけ、進化したかは分からないが、今は、彼らの志の思いの一端なりとも、感じてもらいたいと願うばかりである。
実行委員長のT君に、「挨拶原稿、作ったか」、と尋ねると、まだだと言う。
だが、私は彼を信用している。
きっと素晴らしい、思いのこもった挨拶をしてくれると信じている。
私の涙腺をくすぐれば、100満点だ。
立志式まであと2日と迫った。
三学期早々、自分で考えた四文字を、書き初めとして書いたものだ。
お手本すらないので、もはや「書写」ではない。
生徒一人ひとりが、言葉に思いを込めて、一画一画、筆を運んで書いた作品だ。
クラス全員分の書き初め作品が、ずらりと教室に展示されると、その姿はさすがに壮観だ。
「なかなかいいんでないかい?」
昼休みに張り終えた私は、一人ほくそ笑む。
「やっと中学校っぽい教室になりましたね。」
教育学部出身の隣の担任がつぶやく。
三学期の目標を記した掲示物に、個人顔写真も貼った。
インフルエンザが流行り、なかなか写真が撮れずにいたのを、立志式に合わせて、慌てて撮影したものだ。慌てついでに、カメラの設定を間違えた。夕焼けを綺麗に見せるモード(赤色を強調するモード)で撮ってしまい、全体的に露出アンダーになったので、少し書加工したら、赤っぽい、コントラストの高い写真になってしまった。
「先生、今回の写真変ですよ…。」
異常に気づいた生徒がすぐに詰め寄ってきた。
私は笑って誤魔化す。
今日の学活では、立志式のリハーサルをやってみた。
発表時の一人ひとりの動きを確認する。
「本番に強い彼らのことだから、まぁ、うまくやり遂げるだろう。」
私はそう高をくくっているのだが、心配性の先生方は不安そうだ。
他の学年の先生にも、
「生徒が一人ひとり志を発表しますから、是非見に来て下さい。」
と声を掛けると、「楽しみにしています」、とのこと。
「生徒たちの成長を見て欲しい。」
どれだけ、進化したかは分からないが、今は、彼らの志の思いの一端なりとも、感じてもらいたいと願うばかりである。
実行委員長のT君に、「挨拶原稿、作ったか」、と尋ねると、まだだと言う。
だが、私は彼を信用している。
きっと素晴らしい、思いのこもった挨拶をしてくれると信じている。
私の涙腺をくすぐれば、100満点だ。
立志式まであと2日と迫った。
2019年02月06日
立志式のサプライズ映像
立志式に生徒にサプライズで公開するフォト動画が完成した。
生徒たちの幼少期の写真を、あらかじめ保護者に提供してもらったのである。
それを、一人ずつスライド形式に紹介した動画である。
幼少期の彼らは、等しく可愛い。
今の姿とは、比較にならぬほどの、まるで天使の姿である。
その笑顔、顔立ち、そして仕草…。
すべてが愛らしい。
親はこの時期の子どもを育てることに、すべてをかける。
この先、親孝行してくれることはないだろう、と予想していたとしても、今のこの時期の子どもの愛らしさは、何ものにも代えがたい。
ある意味、この時期にすべてを子どもから受け取っているとも言える。
育てるということの一方で、親を頼り、慕い、寄り添ってくる子どもの愛を一身に受けるのである。
そんな時期の写真ばかりを、学年全員分集めた。
そして、それを動画にした。
まさに涙無しに見ることのできない動画に仕上がった。
生徒たち彼らは、歓声を上げながら、その映像を見るだろう。
その映像を見ながら、親は子供たちの成長を思う。
そして、生徒たちは、自分の過去の姿を見て、現在の姿を思う。
当日は、その姿を見ての、一人ひとりの志の発表になる。
その後、子供たちはこれまたサプライズの親からの手紙を渡される。
そして、親たちにも、生徒たちの手紙を、サプライズで送られる。
動画には所々で言葉が散りばめられているが、その最後に、
生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、
死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し。 (空海『秘蔵宝鑰』)
があった。
人は何でも転生するが、その様はなかなか気づくことはない。
私にも、幼少期はあり、親たちにとっては喜びの時代であったろう。
その親たちにも、幼少期はある。
幼少期だった時代を超えて、齢を重ねれば、いずれ老いていく。
そして、寿命が尽きればこの世を去る。
そしてまた生まれてくる。
そんな生まれ変わりの仕組みを知れ、と空海が説いている。
ほぼ一日がかりで動画を編集した隣の担任。なかなかいいセンスをしている…。
生徒たちの幼少期の写真を、あらかじめ保護者に提供してもらったのである。
それを、一人ずつスライド形式に紹介した動画である。
幼少期の彼らは、等しく可愛い。
今の姿とは、比較にならぬほどの、まるで天使の姿である。
その笑顔、顔立ち、そして仕草…。
すべてが愛らしい。
親はこの時期の子どもを育てることに、すべてをかける。
この先、親孝行してくれることはないだろう、と予想していたとしても、今のこの時期の子どもの愛らしさは、何ものにも代えがたい。
ある意味、この時期にすべてを子どもから受け取っているとも言える。
育てるということの一方で、親を頼り、慕い、寄り添ってくる子どもの愛を一身に受けるのである。
そんな時期の写真ばかりを、学年全員分集めた。
そして、それを動画にした。
まさに涙無しに見ることのできない動画に仕上がった。
生徒たち彼らは、歓声を上げながら、その映像を見るだろう。
その映像を見ながら、親は子供たちの成長を思う。
そして、生徒たちは、自分の過去の姿を見て、現在の姿を思う。
当日は、その姿を見ての、一人ひとりの志の発表になる。
その後、子供たちはこれまたサプライズの親からの手紙を渡される。
そして、親たちにも、生徒たちの手紙を、サプライズで送られる。
動画には所々で言葉が散りばめられているが、その最後に、
生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、
死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し。 (空海『秘蔵宝鑰』)
があった。
人は何でも転生するが、その様はなかなか気づくことはない。
私にも、幼少期はあり、親たちにとっては喜びの時代であったろう。
その親たちにも、幼少期はある。
幼少期だった時代を超えて、齢を重ねれば、いずれ老いていく。
そして、寿命が尽きればこの世を去る。
そしてまた生まれてくる。
そんな生まれ変わりの仕組みを知れ、と空海が説いている。
ほぼ一日がかりで動画を編集した隣の担任。なかなかいいセンスをしている…。
2019年02月05日
関係者入試
私が最初に務めた私立学校での話。
初めて入学試験の審議の会議に参加したとき、成績順の審議資料が配られた直後、教頭から「関係者」が発表された。
「関係者」とは、成績にかかわらず、必ず合格させようという受験生のことであった。
定員があるので、併願者を考慮して合否ラインが設定されているが、その合否のラインの下に位置している「関係者」が次々と読み上げられた。
「関係者」は、多額の寄付をしている保護者の子弟。
地元有力者からの紹介。
卒業生地元有力企業の子弟。
職員の近親者。
などなど、いろいろなパターンが考えられるが、彼らを自動的に合格させる、というものであった。
新人の私は、「そういう世界があるのか…」、と新たな世界に驚いていたが、長らく務めている重鎮たちや、組合員は黙っていない。
「この関係者とは、それぞれどういう人物なのか」、「これでは、入学試験を行う意味がないではないか」、「これほど成績不振の生徒を入学させたら、学校が崩壊する」、など喧喧諤諤となり、会議が一時中断する有様。
教頭は、校長(=理事長)から、「そうしてくれ」、と伝達されているだけなので、教頭を責めても埒があかないのだが、「今年はこれで頼みます」、の一言で収拾をつけた。
翌年、校長が代替わりをして、職員会議や入試の審議に顔を出すようになった。
その時彼は、驚くべきことを口にする。
「今年からボーダーラインより下の成績の『関係者』は合格させません。」
そう、宣言したのだ。
若い校長で、何かしらの改革をしようとしたのかも知れないが、私は、百年あまり続いていた、地元とのつながりが、一部壊れていく思いがした。
その後、その校長は、同族経営の批判と、公費私費流用を組合側からでっち上げられ、裁判沙汰になり、学校を去っていくことになる。
伝統校の入試は、その裏側は複雑だ。
その善し悪しは私には分からないが、こうした「つながり」が、社会を構築しているのだと思う。
欧米では、推薦書の威力が大きいと聞く。
「この人の推薦ならば…」、と信用され、当然合格につながる…。
成績よりも人物重視なのだろう。
明治以降、学問をもって、平等になった日本だが、もしかしたら、大切な何かを取りこぼしているのかも知れない。それを補うかのように、いろいろな世界での裏側があるのだと感じる…。
初めて入学試験の審議の会議に参加したとき、成績順の審議資料が配られた直後、教頭から「関係者」が発表された。
「関係者」とは、成績にかかわらず、必ず合格させようという受験生のことであった。
定員があるので、併願者を考慮して合否ラインが設定されているが、その合否のラインの下に位置している「関係者」が次々と読み上げられた。
「関係者」は、多額の寄付をしている保護者の子弟。
地元有力者からの紹介。
卒業生地元有力企業の子弟。
職員の近親者。
などなど、いろいろなパターンが考えられるが、彼らを自動的に合格させる、というものであった。
新人の私は、「そういう世界があるのか…」、と新たな世界に驚いていたが、長らく務めている重鎮たちや、組合員は黙っていない。
「この関係者とは、それぞれどういう人物なのか」、「これでは、入学試験を行う意味がないではないか」、「これほど成績不振の生徒を入学させたら、学校が崩壊する」、など喧喧諤諤となり、会議が一時中断する有様。
教頭は、校長(=理事長)から、「そうしてくれ」、と伝達されているだけなので、教頭を責めても埒があかないのだが、「今年はこれで頼みます」、の一言で収拾をつけた。
翌年、校長が代替わりをして、職員会議や入試の審議に顔を出すようになった。
その時彼は、驚くべきことを口にする。
「今年からボーダーラインより下の成績の『関係者』は合格させません。」
そう、宣言したのだ。
若い校長で、何かしらの改革をしようとしたのかも知れないが、私は、百年あまり続いていた、地元とのつながりが、一部壊れていく思いがした。
その後、その校長は、同族経営の批判と、公費私費流用を組合側からでっち上げられ、裁判沙汰になり、学校を去っていくことになる。
伝統校の入試は、その裏側は複雑だ。
その善し悪しは私には分からないが、こうした「つながり」が、社会を構築しているのだと思う。
欧米では、推薦書の威力が大きいと聞く。
「この人の推薦ならば…」、と信用され、当然合格につながる…。
成績よりも人物重視なのだろう。
明治以降、学問をもって、平等になった日本だが、もしかしたら、大切な何かを取りこぼしているのかも知れない。それを補うかのように、いろいろな世界での裏側があるのだと感じる…。