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2019年02月18日
中2で公開授業
公開授業を行った。
授業評価で上位だからと、毎学期、公開授業がやってくる。
今日は、中2の数学。実際は高校一年生の数学Tの内容の、『論証・命題』の導入部分。
数学の教員にとっては、いちばんやりにくい部分。
私としては、公開する分野はどこでも良かったのだが、今回はあえて難しい教材にしてみた。
私のいつも通りの授業で、自分としては面白みのない、つまらん授業だったが、見に来て下さった先生方の評価は高かった。
放課後の反省会で、いろいろアドバイスを頂いたが、何が良かったのか検証してみると、要は、「数学の授業でありながら、いろいろな分野に触れて生徒の興味関心を引き出していた」、ということらしい。
数学は真か偽かの二選択の世界。そのため、自然科学を勉強して、傾倒しすぎると、世の中ものも、この二者択一の世界に陥りやすい。
しかし、現実にはどちらとも言えないことは、世の中にはいくらでもある。
「数学的に証明できないから、認められない」
という、唯物的な考えに陥りやすくなるわけだ。
そんな危険性をはらんだ分野であることは、あえて指摘してみた。
併せていくつかの論理問題を紹介して、論理の難しさの奥深さも垣間見させた。
だから、今日の授業では、できるだけ数学用語を控え、あくまで私の提示する「論理」を考えられるような、そんな授業をしてみたのだ。
自分で点数をつけるとすれば、合格点は出せないが、それでも、見学した先生たちは、「大いに参考になった」、と持ち上げてくれた。
授業中の生徒たちの反応は、いつも通りなので、私としては、特に気負うことなく、いつも通りの授業をしただけのことなのだが、もう少し、「見せる」公開授業にした方が良かっただろうか…。
昨今の体調不良が響き、今回も授業の序盤、立ちくらみで倒れそうになったが、
「ここで倒れたら大騒ぎになる…。」
と、我慢しながらの授業だったが、だれもそのことには気づくまい。
それが、ある意味、「授業の見方が甘い」のであって、授業見学している先生ならば、そこまで見抜くくらいでないと、授業中の臨機応変な対応はできないだろう。
「授業力を上げたい」、と願う勉強熱心な若い先生に参考になるなら、いつでも授業を公開してもよいのだが、昨今はそうした先生方も少なくなったように思える。
「授業中、どこを切り取っても素晴らしい…」
という授業を目指して教員生活を送ってきたが、解脱することなく退きそうだ。
授業評価で上位だからと、毎学期、公開授業がやってくる。
今日は、中2の数学。実際は高校一年生の数学Tの内容の、『論証・命題』の導入部分。
数学の教員にとっては、いちばんやりにくい部分。
私としては、公開する分野はどこでも良かったのだが、今回はあえて難しい教材にしてみた。
私のいつも通りの授業で、自分としては面白みのない、つまらん授業だったが、見に来て下さった先生方の評価は高かった。
放課後の反省会で、いろいろアドバイスを頂いたが、何が良かったのか検証してみると、要は、「数学の授業でありながら、いろいろな分野に触れて生徒の興味関心を引き出していた」、ということらしい。
数学は真か偽かの二選択の世界。そのため、自然科学を勉強して、傾倒しすぎると、世の中ものも、この二者択一の世界に陥りやすい。
しかし、現実にはどちらとも言えないことは、世の中にはいくらでもある。
「数学的に証明できないから、認められない」
という、唯物的な考えに陥りやすくなるわけだ。
そんな危険性をはらんだ分野であることは、あえて指摘してみた。
併せていくつかの論理問題を紹介して、論理の難しさの奥深さも垣間見させた。
だから、今日の授業では、できるだけ数学用語を控え、あくまで私の提示する「論理」を考えられるような、そんな授業をしてみたのだ。
自分で点数をつけるとすれば、合格点は出せないが、それでも、見学した先生たちは、「大いに参考になった」、と持ち上げてくれた。
授業中の生徒たちの反応は、いつも通りなので、私としては、特に気負うことなく、いつも通りの授業をしただけのことなのだが、もう少し、「見せる」公開授業にした方が良かっただろうか…。
昨今の体調不良が響き、今回も授業の序盤、立ちくらみで倒れそうになったが、
「ここで倒れたら大騒ぎになる…。」
と、我慢しながらの授業だったが、だれもそのことには気づくまい。
それが、ある意味、「授業の見方が甘い」のであって、授業見学している先生ならば、そこまで見抜くくらいでないと、授業中の臨機応変な対応はできないだろう。
「授業力を上げたい」、と願う勉強熱心な若い先生に参考になるなら、いつでも授業を公開してもよいのだが、昨今はそうした先生方も少なくなったように思える。
「授業中、どこを切り取っても素晴らしい…」
という授業を目指して教員生活を送ってきたが、解脱することなく退きそうだ。
2019年02月17日
まもなく入学説明会
私の学校では、2月になると新年度人事に動き出す。たいていの場合、2月下旬に入学説明会があり、そこで新入生の学年主任や担任が発表されるからだ。
「この人が、学年主任ですよ。担任の先生方は、この面々ですよ。」
と、早めに保護者、生徒に知らせるのは、ある意味サービスでもある。
学年主任が決まっているので、入学前ながら、保護者や生徒全体に話をすることもできるし、逆に入学前の個別相談もしやすいという訳だ。
公立校のように地元から入学してくる訳ではないので、そういう情報は、入学後とても参考になる。
とは言っても、入学時の情報が果たして、その後の中学校生活の指導上どれだけ活かせるかどうかは、何とも言えない部分がある。
得た情報をもとに、こちらが身構えていると、結局は何も起こらない。そうでなくて、ノーマークの生徒の方が、いろいろな事をしでかすのである。そちらの方が割合的にも多いのだ。
来週末には、入学説明会が行われる。
入学前の説明と共に、制服や体育着の採寸など、入学前の準備を一気に行う。
まさに教員総出で、この説明会を迎えるのである。
入学学年のスタッフになれば、入学生対応になるが、そうでなければ、さまざまな役割を果たす。
校内誘導やら、駐車場誘導など、ありとあらゆる仕事がある。
一方で、土曜日開催となれば、在校生は授業があるので、授業を行いながら、平行して入学説明会を運営していく訳だ。
入学生対応のときには、
「すいません。実は…。」
と、ビックリするような情報を持ち込んでくる保護者もいる。
学年主任や教科主任は、入学前の説明も行うが、ホールの舞台壇上から、新入生を見ると、だいたい雰囲気は見えてくるものだ。
中学入学ならば、相手は小学六年生。
緊張してる児童もいれば、親に甘えてべったりの子もいる。友達同士リラックスしすぎて、休憩時間に校内を駆けずり回っている子もいる。
そんな時は、遠慮せずに注意する。
新しい学校の厳しさも教えなければならないからだ。
この春高校を卒業していくT君は、2年上の兄に続いて入学してきたが、説明会時の態度がとてもよかった。
一番前の席に、親と離れて一人座り、数時間に及ぶ説明会の最中、微動だにせず、姿勢良く座り、話している人を凝視していた。
「こんなに緊張状態で大丈夫かな…。」
と、思ったが入学後は少し砕けて、心配するほどではなかった。
すぐに野球部に入り、中学、高校と六年間続けた…。
成績も優秀で、他の範にもなった。
昨日久しぶりに声をかけたが、今でも元気が良かった。
国立大学受験のために、最後の仕上げをしているのだろう。
自分は歳をとっていないつもりでも、生徒はどんどん成長していく。
学校説明会時の小6の面影は、もはやない…。
「この人が、学年主任ですよ。担任の先生方は、この面々ですよ。」
と、早めに保護者、生徒に知らせるのは、ある意味サービスでもある。
学年主任が決まっているので、入学前ながら、保護者や生徒全体に話をすることもできるし、逆に入学前の個別相談もしやすいという訳だ。
公立校のように地元から入学してくる訳ではないので、そういう情報は、入学後とても参考になる。
とは言っても、入学時の情報が果たして、その後の中学校生活の指導上どれだけ活かせるかどうかは、何とも言えない部分がある。
得た情報をもとに、こちらが身構えていると、結局は何も起こらない。そうでなくて、ノーマークの生徒の方が、いろいろな事をしでかすのである。そちらの方が割合的にも多いのだ。
来週末には、入学説明会が行われる。
入学前の説明と共に、制服や体育着の採寸など、入学前の準備を一気に行う。
まさに教員総出で、この説明会を迎えるのである。
入学学年のスタッフになれば、入学生対応になるが、そうでなければ、さまざまな役割を果たす。
校内誘導やら、駐車場誘導など、ありとあらゆる仕事がある。
一方で、土曜日開催となれば、在校生は授業があるので、授業を行いながら、平行して入学説明会を運営していく訳だ。
入学生対応のときには、
「すいません。実は…。」
と、ビックリするような情報を持ち込んでくる保護者もいる。
学年主任や教科主任は、入学前の説明も行うが、ホールの舞台壇上から、新入生を見ると、だいたい雰囲気は見えてくるものだ。
中学入学ならば、相手は小学六年生。
緊張してる児童もいれば、親に甘えてべったりの子もいる。友達同士リラックスしすぎて、休憩時間に校内を駆けずり回っている子もいる。
そんな時は、遠慮せずに注意する。
新しい学校の厳しさも教えなければならないからだ。
この春高校を卒業していくT君は、2年上の兄に続いて入学してきたが、説明会時の態度がとてもよかった。
一番前の席に、親と離れて一人座り、数時間に及ぶ説明会の最中、微動だにせず、姿勢良く座り、話している人を凝視していた。
「こんなに緊張状態で大丈夫かな…。」
と、思ったが入学後は少し砕けて、心配するほどではなかった。
すぐに野球部に入り、中学、高校と六年間続けた…。
成績も優秀で、他の範にもなった。
昨日久しぶりに声をかけたが、今でも元気が良かった。
国立大学受験のために、最後の仕上げをしているのだろう。
自分は歳をとっていないつもりでも、生徒はどんどん成長していく。
学校説明会時の小6の面影は、もはやない…。
2019年02月16日
生徒の成長と共に歩む
中学の生徒会の改選時期が近づき、昨日、立候補の締め切りとなった。
「誰も立候補しなかったらどうしよう…。」
という、私の不安は払拭され、生徒会長に4名(1名枠)、副会長に2名(1名枠)、執行役員に6名(2名枠)が立候補した。いよいよ来週から選挙活動が始まり、木曜日には投票だ。
「なかなかリーダーが出てこなくて…。」
と、以前の校長面談では泣きを入れていたのだが、「自分から進んで生徒会をやろう」、という生徒が何人も出てきたのはとても嬉しい。
もしかしたら、「3月で学年主任が終わりだ」と、ほっとした私の吹っ切れた気持ちが、押さえつけていた生徒の心を解放したのかも知れない。
立候補の決意文もすべて読んだが、どれも思いがこもっていて立派だった。
誰が生徒会役員になっても大丈夫だろう。
先週の立志式を終えて、学年が少し成長したようだ。
「黙っていても、彼らは良くなる…。」
と、昨今は半ば諦めかけつつあったが、彼らも大人への一歩を歩み出している。
「未熟な彼らを支え、思う存分羽ばたかせてやろう。」
というのが、我々教師の役割だ。
「型にはめられては困る。彼ら成長力を信じて欲しい…。」
どこかで、校長にそんな話をされたことを思い出す。
生徒が悪さをすれば、それは、担任やら学年主任の責任だから…、と小さくなりながらビクビクする。しかし、それよりも、
「そんなことは、当然想定済み。起こるべくして起こったことで、彼らの成長の証しだ。」
と、考えられる方が絶対的に優れている。
ある程度の経験と、ある程度の年齢にならないと、そうした達観した境地には慣れないのだろうが、私も、そう気づかなければならない状況になった。
生徒の成長を見守りつつ、我々教師も心の成長をしているのだ。
だからこそ教師は面白いし、やりがいがある。
と共に、日々の精進の継続が求められる。
授業のときも、知識の切り売りのようなことはしたくないものだ。
我々教師が、日々学んだことを、生徒に伝え続けたい。
私の存在が、彼らの成長のよすがになったかどうかは分からないが、そばにいて見守らせて頂けたことは事実。
貴重な経験をさせて頂いていることに感謝だ。
「誰も立候補しなかったらどうしよう…。」
という、私の不安は払拭され、生徒会長に4名(1名枠)、副会長に2名(1名枠)、執行役員に6名(2名枠)が立候補した。いよいよ来週から選挙活動が始まり、木曜日には投票だ。
「なかなかリーダーが出てこなくて…。」
と、以前の校長面談では泣きを入れていたのだが、「自分から進んで生徒会をやろう」、という生徒が何人も出てきたのはとても嬉しい。
もしかしたら、「3月で学年主任が終わりだ」と、ほっとした私の吹っ切れた気持ちが、押さえつけていた生徒の心を解放したのかも知れない。
立候補の決意文もすべて読んだが、どれも思いがこもっていて立派だった。
誰が生徒会役員になっても大丈夫だろう。
先週の立志式を終えて、学年が少し成長したようだ。
「黙っていても、彼らは良くなる…。」
と、昨今は半ば諦めかけつつあったが、彼らも大人への一歩を歩み出している。
「未熟な彼らを支え、思う存分羽ばたかせてやろう。」
というのが、我々教師の役割だ。
「型にはめられては困る。彼ら成長力を信じて欲しい…。」
どこかで、校長にそんな話をされたことを思い出す。
生徒が悪さをすれば、それは、担任やら学年主任の責任だから…、と小さくなりながらビクビクする。しかし、それよりも、
「そんなことは、当然想定済み。起こるべくして起こったことで、彼らの成長の証しだ。」
と、考えられる方が絶対的に優れている。
ある程度の経験と、ある程度の年齢にならないと、そうした達観した境地には慣れないのだろうが、私も、そう気づかなければならない状況になった。
生徒の成長を見守りつつ、我々教師も心の成長をしているのだ。
だからこそ教師は面白いし、やりがいがある。
と共に、日々の精進の継続が求められる。
授業のときも、知識の切り売りのようなことはしたくないものだ。
我々教師が、日々学んだことを、生徒に伝え続けたい。
私の存在が、彼らの成長のよすがになったかどうかは分からないが、そばにいて見守らせて頂けたことは事実。
貴重な経験をさせて頂いていることに感謝だ。
2019年02月15日
学年の先生方の指導!?
「丹澤先生、ちょっとT先生の件で、お話があるんです。」
近くの席に座っている二人の女性の先生が、深刻な顔をして相談に来た。
聞けば、「T先生の臭いが気になる」、と言う。
「お風呂に入るんでしょうか。」
「いつも来ている背広やシャツも気になります。着替えていないのではないでしょうか。」
矢継ぎ早だ。
学者肌で、マイペースの新人T先生、
どちらも当たっているだろう。
要は、女性から男性にあからさまに言うのははばかれるので、学年主任でもある私から注意しろ、という訳だ。
正直、「こんなことまで注意しなくてはいけないのか」、というジェネレーションギャップに悩乱されながらも、承諾した。
後日、この件は本人を呼んで注意した。
今朝は、最近不登校気味のSさんのことで、一悶着があった。
登校しているはずなのに教室にいないので、校内を探し回ったのだ。
ところが、Sさんは登校していなかった。
出欠をチェックするP先生が、見逃していたのだ。
「先生、困るんです。P先生、仕事してくれないんですよ。まだ二年目だから、仕方ないかも知れませんが、生徒に関することなので、責任を持って欲しいんです。今日だって、授業は一つしかないのに、『英検で忙しい…』、ってSさんのフォローしてくれないんです。丹澤先生から注意してもらえませんか。」
隣の担任が、そう訴えてきた。
学年主任である私に、きちんとさせるべくけじめをつけろ、と言うわけである。
学年のいろいろな行事でも、積極的に動く人がいないと、動いている人への負担が増える。
せめてその場にいてくれるだけでも、ありがたいのだが、顔すら見せなければ、「○○先生、何やってるの?」、という思いが湧いてくる。
「私の仕事ではない…」、と思われても困る。
皆でやらなければ、行事は回せない。
学年会でも
「全員で仕事をしてください。ほんと、困るんです。」
と、隣の先生から苦言があった。
新人ばかりの学年だが、動きが鈍いのは、私の責任だ。
「申し訳ありません。」
と、心の中でわびながら、いろいろな先生の動きを見る。
もう少し一体感が出せればいいのだが、私には力不足のようだ…。
近くの席に座っている二人の女性の先生が、深刻な顔をして相談に来た。
聞けば、「T先生の臭いが気になる」、と言う。
「お風呂に入るんでしょうか。」
「いつも来ている背広やシャツも気になります。着替えていないのではないでしょうか。」
矢継ぎ早だ。
学者肌で、マイペースの新人T先生、
どちらも当たっているだろう。
要は、女性から男性にあからさまに言うのははばかれるので、学年主任でもある私から注意しろ、という訳だ。
正直、「こんなことまで注意しなくてはいけないのか」、というジェネレーションギャップに悩乱されながらも、承諾した。
後日、この件は本人を呼んで注意した。
今朝は、最近不登校気味のSさんのことで、一悶着があった。
登校しているはずなのに教室にいないので、校内を探し回ったのだ。
ところが、Sさんは登校していなかった。
出欠をチェックするP先生が、見逃していたのだ。
「先生、困るんです。P先生、仕事してくれないんですよ。まだ二年目だから、仕方ないかも知れませんが、生徒に関することなので、責任を持って欲しいんです。今日だって、授業は一つしかないのに、『英検で忙しい…』、ってSさんのフォローしてくれないんです。丹澤先生から注意してもらえませんか。」
隣の担任が、そう訴えてきた。
学年主任である私に、きちんとさせるべくけじめをつけろ、と言うわけである。
学年のいろいろな行事でも、積極的に動く人がいないと、動いている人への負担が増える。
せめてその場にいてくれるだけでも、ありがたいのだが、顔すら見せなければ、「○○先生、何やってるの?」、という思いが湧いてくる。
「私の仕事ではない…」、と思われても困る。
皆でやらなければ、行事は回せない。
学年会でも
「全員で仕事をしてください。ほんと、困るんです。」
と、隣の先生から苦言があった。
新人ばかりの学年だが、動きが鈍いのは、私の責任だ。
「申し訳ありません。」
と、心の中でわびながら、いろいろな先生の動きを見る。
もう少し一体感が出せればいいのだが、私には力不足のようだ…。
2019年02月14日
活躍する中3
今年の冬は本当に暖かい。
私が住む地域では、この時期はたいてい夕方4時頃になると、気温は氷点下に突入するのだが、今年は日没後もなかなか気温が下がらない。
外の部活を毎日している私にとっては、とてもありがたいのだが、本来の姿からかけ離れていると、何となく不安を感じるものだ。
近くの少し標高の高いところも、今年は積雪が少ないようだ。
毎年11月下旬から4月初めまでは、降れば雪になるのだが、今年は時折雨が降る。
ある高校生が言う。
「これで、地球温暖化論者が元気づかないといいですね…。」
ずいぶん洒落たことを言う。
炭酸ガスで地球は温暖化して、環境が破壊されていると言うが、真実はそうではない。
長期的に見れば、地球は暖かくなったり寒くなったりしているのだ。
ひと頃、「温暖化対策だ!」、と叫ばれていたが、原発稼働中止で、その声は小さくなった。
原発を補うため、ガンガン火力で対応している。
それでも日本の電力供給は、今でも綱渡りだ。
私の学校は、各教室にエアコンがあり、一年中好き勝手に使うことができる。
原則、生徒は操作しないことになっているが、これまた徹底できない。
だから、
「誰だ、28℃の強に設定したのは!」
などと叫んでも、
「○○先生です。」
などと、答えられ、こちらもカクンとする。
それでも私は必死の抵抗、
「チョコレート溶けちゃうよ…。」
などと、おどけて見せる
毎年2月14日、この日ばかりは、持ち込みが黙認されている…。
廊下に差してくる日差しは、まさに春。
なんだか二月とは思えない気候だ。
今日の学活は、中学生全員でスポーツ大会。
全員を縦割りのチームに分け、体育館でドッチボールを行った。
毎年のことながら、「寒くない」スポーツ大会は珍しい。
このスポーツ大会も中3が企画した。
そして、運営でも活躍した。
今朝の、全校朝会でも中3が立派に務めた。
何人もの先生を悩乱させ、退職させたあの学年も、3月には卒業だ。
私が住む地域では、この時期はたいてい夕方4時頃になると、気温は氷点下に突入するのだが、今年は日没後もなかなか気温が下がらない。
外の部活を毎日している私にとっては、とてもありがたいのだが、本来の姿からかけ離れていると、何となく不安を感じるものだ。
近くの少し標高の高いところも、今年は積雪が少ないようだ。
毎年11月下旬から4月初めまでは、降れば雪になるのだが、今年は時折雨が降る。
ある高校生が言う。
「これで、地球温暖化論者が元気づかないといいですね…。」
ずいぶん洒落たことを言う。
炭酸ガスで地球は温暖化して、環境が破壊されていると言うが、真実はそうではない。
長期的に見れば、地球は暖かくなったり寒くなったりしているのだ。
ひと頃、「温暖化対策だ!」、と叫ばれていたが、原発稼働中止で、その声は小さくなった。
原発を補うため、ガンガン火力で対応している。
それでも日本の電力供給は、今でも綱渡りだ。
私の学校は、各教室にエアコンがあり、一年中好き勝手に使うことができる。
原則、生徒は操作しないことになっているが、これまた徹底できない。
だから、
「誰だ、28℃の強に設定したのは!」
などと叫んでも、
「○○先生です。」
などと、答えられ、こちらもカクンとする。
それでも私は必死の抵抗、
「チョコレート溶けちゃうよ…。」
などと、おどけて見せる
毎年2月14日、この日ばかりは、持ち込みが黙認されている…。
廊下に差してくる日差しは、まさに春。
なんだか二月とは思えない気候だ。
今日の学活は、中学生全員でスポーツ大会。
全員を縦割りのチームに分け、体育館でドッチボールを行った。
毎年のことながら、「寒くない」スポーツ大会は珍しい。
このスポーツ大会も中3が企画した。
そして、運営でも活躍した。
今朝の、全校朝会でも中3が立派に務めた。
何人もの先生を悩乱させ、退職させたあの学年も、3月には卒業だ。
2019年02月13日
やる気を出さねば
数年前の二学期のこと。年度末で退職されるあるクラスの担任であるH先生を、その学年主任が批判した。
「教室のもの、もう片付けているんですよ。今から辞める気満々なんですよ。」
確かに、片付け始めるのには、二学期はまだ早い。
だが、H先生は、手のかかる生徒に苦労に苦労を重ね、心労も重なっていたのだ。
当時は、私も、「もう少しうまく振る舞えばいいのになぁ…」、と思っていたが、今になってみれば、気持ちはよく分かる。
今朝、教室の学級文庫を見て、
「これは、いずれ片付けよう…。さすがには今はできないが、三学期の終業式が終わったら、引き上げよう。」
と思った。
生徒によかれと、すべて私の自腹で買った書籍だ。
自由に貸し出しているが、この学年になってからは、未返却が大幅に増えた。
「勝手に自分のものにしている」、訳ではないだろうが、「借りたことすら忘れてしまう」、いい加減な生徒が多いのだ。
学力のレベルが下がると、自ずと生活力も下がっていく。
以前ならば、貸し出し簿も何も必要なかったものが、今はでは、
「返してくれ。」
と、叫んでも戻らない…。
あたかも自分のものの如く、机の中に入れっぱなしにしたり、ロッカーに入れていたりする。
こんな些細なことも、私ががっかりしてしまう原因の一つなのだが、何かがおかしい。
少し彼らとの距離を置けば、もしかしたら、またエネルギーが復活してくるのかも知れない。
隣の学年主任を見るたびに、「すごいなぁ…」、と思う。
何事もなかったかのように、すーっと学年が回っていく。
それに比べて、私の学年はエンスト寸前だ。
来週、また公開授業をすることになった。
生徒からの授業評価が高いとのことで、今度は自分の学年での授業を行う。
授業が最後の砦になっているようにも思える。
また、今週末で中学校生徒会の立候補受付が終わる。
T君に、
「立候補用紙は?」
と、吹っかけてみた。
誰かが立候補しなくてはいけない。
半分冗談で、
「俺の最後のお願いだよ。」
とも言ってみた。
何とかなるだろうけれど、育てた生徒たちが花開くのはずっと先のようだ。
「教室のもの、もう片付けているんですよ。今から辞める気満々なんですよ。」
確かに、片付け始めるのには、二学期はまだ早い。
だが、H先生は、手のかかる生徒に苦労に苦労を重ね、心労も重なっていたのだ。
当時は、私も、「もう少しうまく振る舞えばいいのになぁ…」、と思っていたが、今になってみれば、気持ちはよく分かる。
今朝、教室の学級文庫を見て、
「これは、いずれ片付けよう…。さすがには今はできないが、三学期の終業式が終わったら、引き上げよう。」
と思った。
生徒によかれと、すべて私の自腹で買った書籍だ。
自由に貸し出しているが、この学年になってからは、未返却が大幅に増えた。
「勝手に自分のものにしている」、訳ではないだろうが、「借りたことすら忘れてしまう」、いい加減な生徒が多いのだ。
学力のレベルが下がると、自ずと生活力も下がっていく。
以前ならば、貸し出し簿も何も必要なかったものが、今はでは、
「返してくれ。」
と、叫んでも戻らない…。
あたかも自分のものの如く、机の中に入れっぱなしにしたり、ロッカーに入れていたりする。
こんな些細なことも、私ががっかりしてしまう原因の一つなのだが、何かがおかしい。
少し彼らとの距離を置けば、もしかしたら、またエネルギーが復活してくるのかも知れない。
隣の学年主任を見るたびに、「すごいなぁ…」、と思う。
何事もなかったかのように、すーっと学年が回っていく。
それに比べて、私の学年はエンスト寸前だ。
来週、また公開授業をすることになった。
生徒からの授業評価が高いとのことで、今度は自分の学年での授業を行う。
授業が最後の砦になっているようにも思える。
また、今週末で中学校生徒会の立候補受付が終わる。
T君に、
「立候補用紙は?」
と、吹っかけてみた。
誰かが立候補しなくてはいけない。
半分冗談で、
「俺の最後のお願いだよ。」
とも言ってみた。
何とかなるだろうけれど、育てた生徒たちが花開くのはずっと先のようだ。
2019年02月12日
春は近いか、遠いか…
授業中にふと、窓の外のクヌギの幹を見ると、一羽の野鳥が飛んできた。
あのきれいな緑色は、おそらくメジロだろう。
「いよいよ春が近づいているんだなぁ…。」
と、ほくそ笑むと、さらに一羽、メジロが飛んできた。
「番いだったのか…。」
何となく嬉しくなった。
授業中なので、私が何も言わなければ、生徒たちは誰も気づかない。
私は、こうした自然を発見するのが好きだ。
ほとんどの場合、生徒にも伝えて、自然の素晴らしさを語るも、昨今の子供たちは、そうしたことにはあまり関心がないらしい。
自然に恵まれた立地条件は、彼らにとっては、単なる田舎にしか過ぎないのだろう。
今朝、管理職に呼ばれて、4月からの来年度は、「学年主任、担任を外す」旨が伝えられた。
「少し休んで、エネルギーを充電して下さい。」
という指示だ。
お休みをいただけると言うわけではない。どこかの学年に入って、英気を養え、ということだ。
「一年経ったら、また担任に戻しますから…。」
と、何度も強調されたが、今のところ未練があるわけではない。
昨年秋の私のエネルギー不足を見て、「このままでは退職してしまう」と、思ってのことだろう。
「辞めるなんて言わないで下さいね。私がいるうちは辞めさせませんから…、」
とも、言われた。
今の学年クラスを卒業まで担当できないのは、多少の寂しさはあるが、多少のストレス減にはなるだろう。
正直、今の高2が卒業するときに、私も一緒に卒業しようと思っていたのだ。
その後の収入の目処が立たなければ、安易には辞められないが、辞めるならば、いい状態でいたい。
打ちひしがれて、「もう限界」、という立場で去るのは、どうしても避けたいと思う。
「一年間頑張って、辞めていかれるのは困るんです…。」
私の気持ちを察してか、そんなことも言われた。
「余裕ができたら、少しご自分の時間を取ってみて下さい。」
そんな余裕ができるのかどうかは分からないが、立場上、気持ちの上では少しの余裕はできるのかも知れない。
今朝の話は、きっと校長にも共有される。
辛いのは、校長から腫れ物を触るような感じで、声を掛けられることだ。
彼自身、話しにくいと感じて、その上の立場の管理職に頼んだのだろう。
年末には、気持ちは落ち着いていた。
年明けからは、体調を崩して、体重が大分減った。
本調子ではないからか、『情熱』は湧いてこない。
それでも、休み時間になると生徒たちと遊んでいる…。
あのきれいな緑色は、おそらくメジロだろう。
「いよいよ春が近づいているんだなぁ…。」
と、ほくそ笑むと、さらに一羽、メジロが飛んできた。
「番いだったのか…。」
何となく嬉しくなった。
授業中なので、私が何も言わなければ、生徒たちは誰も気づかない。
私は、こうした自然を発見するのが好きだ。
ほとんどの場合、生徒にも伝えて、自然の素晴らしさを語るも、昨今の子供たちは、そうしたことにはあまり関心がないらしい。
自然に恵まれた立地条件は、彼らにとっては、単なる田舎にしか過ぎないのだろう。
今朝、管理職に呼ばれて、4月からの来年度は、「学年主任、担任を外す」旨が伝えられた。
「少し休んで、エネルギーを充電して下さい。」
という指示だ。
お休みをいただけると言うわけではない。どこかの学年に入って、英気を養え、ということだ。
「一年経ったら、また担任に戻しますから…。」
と、何度も強調されたが、今のところ未練があるわけではない。
昨年秋の私のエネルギー不足を見て、「このままでは退職してしまう」と、思ってのことだろう。
「辞めるなんて言わないで下さいね。私がいるうちは辞めさせませんから…、」
とも、言われた。
今の学年クラスを卒業まで担当できないのは、多少の寂しさはあるが、多少のストレス減にはなるだろう。
正直、今の高2が卒業するときに、私も一緒に卒業しようと思っていたのだ。
その後の収入の目処が立たなければ、安易には辞められないが、辞めるならば、いい状態でいたい。
打ちひしがれて、「もう限界」、という立場で去るのは、どうしても避けたいと思う。
「一年間頑張って、辞めていかれるのは困るんです…。」
私の気持ちを察してか、そんなことも言われた。
「余裕ができたら、少しご自分の時間を取ってみて下さい。」
そんな余裕ができるのかどうかは分からないが、立場上、気持ちの上では少しの余裕はできるのかも知れない。
今朝の話は、きっと校長にも共有される。
辛いのは、校長から腫れ物を触るような感じで、声を掛けられることだ。
彼自身、話しにくいと感じて、その上の立場の管理職に頼んだのだろう。
年末には、気持ちは落ち着いていた。
年明けからは、体調を崩して、体重が大分減った。
本調子ではないからか、『情熱』は湧いてこない。
それでも、休み時間になると生徒たちと遊んでいる…。