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豆まめケアマネ
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posted by fanblog

2021年08月11日

つらいなあ



心がつらくなる記事を見た

夏休み中に学校で飼育されている動物たちの悲惨な状況である

子供の情操教育のためという目的で飼育される小動物達が
餌も満足に与えられず、温度管理もできない状況で
病気になっても放置される、という内容だった

そこで粗末にされる命のことを思うと
考えるだけで悲しくなる


娘と暮らすウサギとチンチラは、やや低い温度設定管理で
夏冬はエアコン稼働

私と暮らすインコズは、高めの温度設定で
やはり夏冬がエアコン管理されている

命の価値を学ぶことは
人として生きていく上で大切なことだと思う

綺麗事ではない現実、触りたくない排泄物に
すぐに腐ってしまう食べ物、毎日の世話
これは、命あるものが等しく負うものである

命は子どものための教材ではない

ケアマネの仕事もそう
利用者さんは、未熟なケアマネのために犠牲になる教材ではない

小さな命を思って切なくなるけど
私たちが毎日出会う高齢者の命や生活も同じなのである

命は、誰かの都合で左右されてはならない
人の都合でどうにかして良いものではない

だからできることを精一杯していきたい

でも、やっぱり

心が痛いなあ

2021年08月10日

体験しないとわからない

 

今日から二日間、研修でカンヅメである

厳密にいうと、来週、担当する講義について
先輩の講義を聴講するという時間

尊敬する大好きな先輩の担当なので
ライブを舞台袖から見せてもらうような贅沢な2日間である

内容はごくごく基本のケアマネジメント・ケアプラン
演習を含め、具体的に考え手を動かす研修である

研修の流れと会場の様子を見ながら
学ぶことは山ほどある

自分が受講した頃に比べると、教材もかなり絞り込まれ
成果が確認しやすい内容になっている

そして思う
自分がケアマネ3年目の時に、こんなにできていただろうかと

あの頃の自分は、手探りで、いっぱいいっぱいで
毎日の変化についていくのが精一杯だった

たくさんの人に迷惑をかけながら
ケアマネジャーとして、みんなに育ててもらったと思う

先輩方に、利用者さんや利用者家族に教えられてきて今がある


変なプライドと歪な価値観を持つヒヨコは
何とか時間を知らせるニワトリになれた

時に、間違えて鳴くし、バタバタ騒がしいけれど
アヒルや鴨ではなく、ニワトリだと知ってもらえるようになった

そして今、ニワトリはヒヨコや若鳥と一緒に
もう一度、学び直している


ラウンドする先輩から、現状と受講生の課題について教えられる時
自分自身のできていない課題を突きつけられる気持ちになる

教える立場になるということは
自分の足らずを知り、もっと学べと厳しく教えられること

さあ、勉強しよう







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2021年08月09日

善意の功罪

平成30年度介護報酬改定対応 実地指導はこれでOK!おさえておきたい算定要件【居宅介護支援編】 [ 小濱 道博 ]

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感想(2件)




介護をやる人は、基本的に善良な人が多い

誰かの役に立ちたいとか、ありがとうと言われるのが嬉しい


今朝の朝のNHKドラマのセリフに

「あなたのおかげで助かった」と言う言葉は「麻薬」と言う場面があったが

これに近い言葉が、「ありがとう」かもしれないと思う



私たちの仕事は感情労働である


ありがとうを言われると、

自分が役に立てたことが誇らしくなるし

自分の存在価値が認められたようでうれしい



相手はというと、辛いときに助けてくれた人は、いい人だと思うし

その人がしてくれる事は、正しいことをしてくれると思ってしまう

けれど、ここに落とし穴がある



人の行いには、時に間違いがある


すべての人が、常に相手のために行動できるわけではない


善意に見える行動も、実は自分のための行動で

自分の利益のために考えることはできても

全ての人が相手の利益のために動き続けているわけではないのだ




だからこそ

人を援助する人は

常に自分の行動を振り返り、行動の意味を考え、

結果を予測しながら、より良い方向へ導けるように動かなければならない


そのための学びを重ね、痛みを伴なっても振り返りを行うなど

専門職としてのトレーニングを続けていかなければならない




見せかけだけの学びのない善意では

利益になるところが、その人の自立を阻害する



学びのない善意は、利用者に害をなす

心していたいと思う
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2021年08月08日

何もしない時間





普段から、こらえ性がないので、落ち着きがない

何かしていないと、無駄な時間のような気がして
それは強迫観念に近い

自信がないから、動き回って解決しようとする

下手な鉄砲方式が身に付いているようだ


待つことが重要なことが、対人援助の場面では多い

待つためには、相手を知り
相手の力を信じることが必要になる

あれこれ先走って、対応してしまうと言うことは
実は相手を、相手の力を信じていないのだと思う

ここに、関係の不平等が生まれる

対人援助は契約で成り立ち、対等であることが原則だが
先手を打ってしまう自分のスタイルに
対等と言う原則は欠落している

現実の支援では、本人始め家族も関係者も
先手を打って調整するケアマネの評価は高く、
「よくできるケアマネさん」と言われる

利用者の自立を阻んでいるかもしれないのに
なんでもしてくれる「よくできるケアマネ」が
望まれると言う不条理

大きな誤解、そしてジレンマ

チームやスタッフでさえ、同じことを何度もなんども繰り返し
伝え続けても、理解が足りない

利用者本人や家族に対しては、なおさら時間もかかるし
最後まで理解してもらえないかもしれない

いっそ、そんなことに目を瞑り
先々手配する気の利く御用聞きになった方が楽なんだろうけど

大事なことは、何度でも

繰り返し、繰り返し
伝え続けていくことにしよう


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2021年08月07日

ケアマネ不適格者





やってしまいました

とうとう、化けの皮が外れ、いや
暑さゆえの油断と言い訳させていただきたい

さらに言い訳を重ねるなら、休みのない疲労の蓄積
重なるストレスの末路
本性を出してしまったと言うべきか

実は、恥ずかしいのです

いろいろあって別の施設を強制退去となった利用者さん
ケアマネからの急な依頼で、ショート扱いで利用中

昨日は、食事を見て
「刺身、買うてこい」
「海苔、ないんか」

「海苔は、ヘルパーさんに頼みましょうか。刺身は腐るから
 今日は無理ですね」
「なんでや!」
こんなやりとりを重ね、夜中は呼び出しベルを何度も押す

いやいや、認知症のある利用者さんだからと思い直すも
今朝は現場からのSOSコールで訪室する


既に、ヘルパー2人が、ベッドサイドに座って本人を宥めている
薬が違う、わしの言うこときかんのか!と怒り爆発モードである


部屋の中は30度の暖房をかけ、塗りたくった排泄物に

我慢できない悪臭


名前を呼んで、声をかけると、

「ねこ撫で声出しても、あかんぞ!」

怒鳴られた



次の瞬間、思うより先に言葉が出てしまった

「だれが猫撫で声やねん、そんなもん出してへんわ」

「なんやと!」

怒り出した利用者さんは、睨みつけてきて
薬が気に入らない、と延々と同じ話を繰り返す



「いいえ、これでいいってご自分で言いましたよ」
「そんなもん、いうてへんわ」
「忘れたんです」

一番あかんパターンのループにみすみすハマっている

先日、診察室で、先生が利用者さんに
「あなたは、ニンチショウ!」と言い聞かせた話を聞いて
ひどい荒療治だね〜と話していたが、もっとひどい

「言ったこと、忘れてるんです」
「そんなん、知らんわ、言うてへん」
「紙に書いて、貼りましょうか」
「なんでもせんかい、録音でもしたらええ」
「そうさせてもらいます!」

ただの、認知症の方への間違い対応の見本になってしまった

それから同じ話を延々と怒鳴り出したので
「もうやってられへん、いくよ」
と皆を部屋から出した

暑さと悪臭にも耐えられなかった不甲斐なさ

普段、地域で認知症への理解や対応を説いている者とは思えない
悪いパターン対応の実演みたいになってしまった


しばらく離れて待機してから

再び、訪室すると、機嫌は戻り、普通の表情で歩いている



一安心したが、離れて見ていた代表の困惑顔が目に入る

ごめんなさい
あなたがヘッドハントした奴=私は
言行不一致の未熟者でケアマネの風上にも置けません


そして

ブラボー、認知症




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恋愛事情 R80

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感想(0件)




高齢になると失うものが増えていく

若い頃には当たり前だったもの

家族、健康、意欲、働いて得るお金、友達、
そして、自信

老いていくことを受け入れていける人は本当に幸せと思う


ここ数日、立て続けに住み替えをされたお二人の男性

お一人は、パワフルで良く言えば昔の男性的なタイプ
言葉も荒め、思ったことはなんでも言葉にしてしまう
それゆえに、トラブルが多かったと聞く

もう一人は、思慮深く腰が低いタイプ
困ったこともまずは自分で考え、誰に言うのが良いかと考える
「私は不安なんです」ときちんと言葉にして伝えてくれる

お二人とも、笑った時の笑顔が素敵で
モテそうな予感がする

女性が多い環境なので
注意深く観察していかなければならないと思っているが

そもそも恋愛禁止ではないので
これからの動向が楽しみでもある

人はいくつになっても恋愛するし
それがトラブルになることもある

ある利用者さんは、ガールフレンドとの交際を禁止されて
娘さんと険悪な関係になっている

周囲は、トラブルさえ起こさなければ
「恋愛くらい、いいんじゃない?」と思っているが


妊娠の心配もなく、自由な環境で好きな人と過ごすことができる
縛られるものなくできる恋愛って、どんなものなんだろう


馬に蹴られて死にたくないから、お金のトラブルがない限り
人の恋路は邪魔しない

でも一つ、必ずお願いしていることがある


修羅場は対応が難しく、人情沙汰も勘弁なので

「出入りする女性は、お一人にしてくださいね」



厳守でお願いします

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2021年08月06日

困難ケースは、ケアマネがつくる




ケアマネは通常40名を超える担当を持つ

その業務は、一人一人の生活の困りごとを整理し
より良い生活を継続するために
ケアマネジメントの手法を用いて支援していく作業である

支援のためには細部にわたるアセスメントと
時間の経過に伴うメンテナンス
本人や家族のメンタルケアや環境との関係調整など
多岐にわたる作業が細かく沢山存在する

つまり、普通に考えると

かなり面倒な仕事である


この多岐にわたる細かい調整を
関係する担当者や専門職に繋げ、動かしていくために
何が必要なのか

気持ちよく働いてもらうこと

問題と課題が共有できていること

チームで支えているという連帯感を育むこと

これらの一つが欠けても
うまく機能しないだろう

これが、ケアマネジャーの最も大切な業務なのである


たくさんの社会資源や手段があっても
調整が下手であれば良いサービスは得られない

反対に、
サービス供給量が不十分であったとしても
課題が明らかで問題を共有できていれば
チームは動いて機能してくれる

この人のために
このケアマネの頼みならと
なんとか無理をしてでも助けになろうとしてくれる

そんなチームメンバーが地域には存在する



支援する側の整理が不十分で
あるいは調整が下手で
協力者が得られずに困難ケースを生み出すことがある

大変だ、誰も調整できない、どうしようも無い
そんな場合でも、担当者が変わるとスムーズにいくことがある

「困難ケースは、ケアマネがつくる」問題である

これは誰にとっての困りごとなのか
これが解決できないと、誰が何に困るのか
問題の始まりはいつからか
その契機となった事柄はあるか
本人はどう思っているのか、など

一つ一つを明らかにしていくことで
丁寧にアセスメントを行うことで
複雑に見える問題は
実はシンプルであることが見えてくる

複雑にしているのは
それを見誤っている支援者の問題

客観的に見て、ひどいことをすると思うサービス提供も
実はケアマネの調整不足が原因であることが多い

こんなケアマネのケースは受け続けられない、と
事業所側が自衛のために拒否することも日常的にある

そんな場合

一番の被害者は利用者当人で
調整下手なケアマネに当たったことを嘆くしかない

ケアマネ全体のスキルと知識、価値観と倫理感の醸成は
どうすれば向上し、進んでいくのだろう

「困難ケースは、ケアマネがつくるんですね」
そう言葉にして、自らを顧みるケアマネがいる
反面教師として「勉強になります」と言える人がいる

だから

まだ大丈夫かもしれない

もう少し

希望を持っていたい

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2021年08月04日

家族の歴史

家族関係を考える (講談社現代新書) [ 河合 隼雄 ]

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(2021/8/4 22:32時点)
感想(1件)




介護の仕事をしていると家族について考えることが多い

要介護状態になるということは、原因が加齢であれ病気であれ
今までとは違う関係性が生まれるということである

今までは一人で全部できていたのに
誰かの助け無しでは生活できなくなるということ

そしてそこに生まれるのは、新たな関係性と
そこに至るまでの家族の歴史が明らかにされていく

たまに、義理の関係であっても、実の親子かと思うような
嫁と姑がいて、驚くことがある

この場合は、姑が要介護状態になる前から嫁を可愛がっていたため
嫁が厭わずに義母の介護をする場合などである

最近よく見るのは、
実の親子であっても、それまでの関係性が不良で
いざという時に頼れない
あるいは
子どもが嫌々ながら親の介護をするというケースである

こんな場合、親が認知症になっていたりすると
介護関係者は本当に苦労する

いざ、何か調整をするにも家族の理解が得られなかったり
家族判断を拒否されることもある

病院へ行くとか、治療をするとか
命に関わる状態の時ですら
関わりたくないというほど破綻している親子も実際に存在する

それを無理に、「親子なんだから、してください」とは言えない

親子であろうと、血のつながりがあろうと
拒否しないとならないほどの歴史が
積み重ねてきた歴史が存在するのである

アセスメント面接を進めていくと
子ども側の、幼い頃の心の傷が見えたり
反対に利用者さんの子供への失望が見えることがある

そんな時にはどうするか

今の関係や現状をありのままに受け止め
これから何をしていくべきなのかを考える

何を確認し、どの部分を強化して
不測の事態に備えていくのか

関わらない家族には、今後のリスクを伝えた上で
どこまでのサービスを事業所側に望むのかを確認する

家族の歴史は根深く
時間をかけて出来上がった関係性を揺らすことは
すぐにはできない

個々の幸せのための福祉ならば
不幸にならない方法を選ぶことが大切

お互い距離を保つことが幸せなのであれば
関係を断つ勇気も必要なのではないだろうか

一緒にいて不幸になるくらいなら
幸せになるためにお別れすることも有りかもしれない

どんなに近くにいる家族であっても


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2021年08月03日

Yorozu相談所



最近、うちの事業所がよろず相談所と化している

別名ウバステ山?
困難ケースと呼ばれる事例が持ち込まれてくる

地域の人の相談には乗りたいし
経験の浅いケアマネさんの助けにはなりたい

3人いるケアマネがいずれも主任ケアマネのため
ここなら大丈夫と思うのか
いやいや、費やす労力は大して変わらないはず

包括からの相談ケースも、軒並み断り続けている
けれど、断れば断るほど、依頼が来るのはなぜだろう

高齢者が増えている現実
介護の社会化の普及
家族介護の限界
いずれも相談が増える要素しかない

介護スタッフの疲弊は限界にまで来つつある

無理して頑張る管理者に
「無理しないでね」という言葉も虚しく
「無理せんと出来んのです」という返答が返ってくる

不測の事態に備えて、休日も対応する
月末に見る隙間ないタイムカード
これが、現実

休みのケアマネが、「出てきましょうか」と申し出てくれる
善意にばかり甘えてはいられない

無理は目先の利益しか生まないし
長く頑張るためには休むことは必要である
だから、意識して休んでもらうし自分も休む
それが許されないと、仕事であっても介護は続かない

ウバステ山にお年寄りをあずけていく家族には
優しく寄り添いながら、少しづつ巻き込んでいく

出来ることと出来ないことをきちんと伝え
家族の役割と専門職の役割をきちんと伝えていく

介護の社会化を継続するためには
家族に自分たちの役割をわかり、協力してもらえるよう
嫌なことでもしっかり伝えていきたい

家族教育の成否が、事業所の生き残りを左右する

さあ、今日も、厳しいこと言おう
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2021年08月02日

受けとめること




自分と違う意見は受け入れがたい

あまりにかけ離れていると、理解しようとすることもやめて
前面に拒否感を押し出してしまう

みんな違ってみんな良い、は
大賛成だけど
現実の自分は好き嫌いが激しく、受け入れ枠が狭い

対人援助の原則に「受容」があるが
これが本当に難しい

自分というツールを使って援助を行う中で
どうしても感情や価値観が、ひょっこり顔を出してしまう

だから、「受容」は苦手である

許容範囲は狭いし、柔軟な考え方は持ち合わせてない

性格としては、頑固な方なので
実は、対人援助には向いていないと思う

とはいえ

目の前に人はいるわけで、今ここに自分の仕事が待っている

受け入れることはできないけれど

一旦、自分のところで受け止めて、考えることはできると思う

「これは、一体何なのか」
「これを渡して、どうして欲しいのだろう」
「これはどこから生まれてきたのか」

受け入れられないけど、受けとめる

手に余りそうなら、別の場所まで大事に運ぶ

ここよりもよい場所が
待っているところがあるかもしれない

好き嫌いは封印して
受け入れられなくても、一旦ここで

受け止めて
見つめなおそう


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