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豆まめケアマネ
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2021年08月21日

油断大敵




離れて住む息子と電話で話した


ようやく来週、ワクチンを打つ予定と聞いて、安心する

側にいないので不安は増すが、一緒に暮らしていても不安はある

口酸っぱくなるほど感染予防を促し、後は祈るしかない




今日から12日間の集中研修が始まった




こんな時期なので気が抜けない

万全の感染予防を講じてはいるが、1人でも感染者が出れば

全ての受講者や関係者、利用者にも影響が出る



かなりリスクの高い研修であることは間違いないが

全ての受講者がワクチン接種者であることが

唯一の救いかも知れない



感染予防に検温、フェイスシールド、マスク、消毒の徹底

1時間おきの換気、昼食時の配置と黙食の徹底、



セッション毎のアナウンスも行うが

油断するとフェイスシールドを忘れている人がいる

間髪入れずに、声をかけると、

「あっ!すみません!」と慌てて装着



これほど「高齢者、障害者」の「命」に関わる人達でさえ

ふとした時に、注意が途切れてしまうのである

一般の人たちでは、なおのこと、できないのかも知れない



人は間違える生き物である



集まらないという生活様式に変えていくしか

環境を変えていくしか、方法はないのかも知れない




要介護者の環境設定と同じ

できないことはきちんと受け止め、

その中でどう配慮し、環境を変えて自立につなげるか




本当に真剣に


考えていかなければならない

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2021年08月20日

子どもに帰る時間



かき氷を食べて、手持ち花火をした

コロナ禍で行事ができない中、なんとか楽しい時間を持ちたいと

おやつにかき氷、夕涼みに花火である



イチゴ、メロン、ブドウ、白蜜、抹茶のシロップに

フルーツとつぶあん

きわめつけに、わたあめ作り


今までのように、一斉にみんなで何かをすることはできないけれど

季節を感じる食べ物を口にする




夜には、花火を楽しんだ


昨年から花火大会も中止で、大きな花火は見れないけれど

輝く線香花火を見て

「綺麗やなあ」「きれいやなあ」「パチパチしとるで」

「まだ光っとるわ、しぶといなあ」

「火遊びしたから、おねしょするで」などと言ってみんなが笑う



こんな瞬間が、かけがえのない大切な時間



毎日忙しくて、毎日つらくて

時には優しい気持ちになれない時もあるスタッフたちも

子どもに帰って笑いあう



この時間を、この人たちを、この仲間を

守り続けたいと心から願う


強くなりたい

大切なものを守れるように

もっともっと

強くならねば




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2021年08月19日

ピンチがチャンス




利用者家族から緊急の電話がかかってきた


ここ数年、幻視が見えたり精神的に不安定な時があった女性

もともと軽い知的障害もあり、家族はおおらかに対応していたが

とうとうデイで手を上げてしまったとのこと



専門医への受診を勧め、クリニックで薬を処方されていたが

家族が、服薬を勝手にやめていたようだった



デイでの不穏状態を心配していた矢先のことだったため、

急遽、精神科単科病院に受診予約を取った


家族は

「手をあげる子じゃなかったのに、デイへいけなかったら

 家では見られません、どうしよう」と、軽くパニック状態


クリニックで処方されてはいるが、鑑別診断はしていないこと

良い機会なので検査をしてもらって、内服調整をしてもらうこと

受診時は同行するから安心するようにと伝えると

ようやく落ち着いた



長年、家族介護でやってきたが

家族自身も高齢になり、サービスを利用し始めての出来事のため

このままどこも見てもらえなかったら、と不安になったようだった


確認すると

デイ利用時、思い通りにならない場面で、

男性相談員を叩いたとのこと

怪我もなく、大したこともなかったが、

家族の病識の乏しさを心配して、相談員が受診を勧めた


家族のパニックとはうって変わってデイの相談員は平静で

「受診の時には、ついていきますよ。」と心強い言葉

少々荒療治だが、受診のきっかけを作ってくれた事に感謝した




在宅介護はチームですすめていく



メンバーは本人を含め、家族、関係機関、事業所、主治医、

時に近隣の協力者も含まれる


ケアマネの仕事は、

チームを作っていくこと、機能させていくこと

そして

良いチームは、ほとんど手がかからず、自ら成長していく



メンバーそれぞれが

自分の最大限の機能と力を発揮して、利用者と家族の生活を守る

利用者利益のためにチームを動かしていく



利用者の数だけ、しっかり機能する良いチームを作ること

それが、ケアマネジャーの一番の仕事


そして、何かことが起こった時こそ

より良く動くタイミングになる



家族にすれは、困った出来事かも知れないが

これを機に、本人がもっと楽になれるように支援することができる



困りごとは、新しい世界への扉を開ける

ピンチはチャンスである




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2021年08月18日

コロナでキレる人たちへ

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調剤薬局から苦情が来た

認知症の利用者さんの薬について

今まで関わっていただいた所から、違う薬局に変更した事で、
切れて抗議に来たらしい

前任のケアマネが居宅療養管理指導を使わなかったこともあり、
かなりいろいろ大変な調整だったのはわかるが
既に住所地も変わっている中での今更である
丁重にお断りして帰っていただいた


先日は、
コロナ禍で子育てと仕事の両立が難しくなった介護士が
泣きながら仕事の不満を訴えてきた

傾聴の時間をしっかりとって、大切な人材なのだから無理をしないでと伝えたところ
数日後、いきなり電話一本で退職した

そして、今日

同僚の言葉に、急に怒りだした調理員が
無断欠勤の上、いきなり連絡が取れなくなった

一体何が起こっているのか?


驚きを通り越して、乾いた笑いしか出てこない


ケアマネが、職場に来ているケアプランチェックの不満をもらす

何度も何度も修正の指導が入り、疲弊している

「コロナで疲れ切ったケアマネをいじめないで」とつぶやく


閉塞感と恐怖の中で働く現場は

どうしようもないところまできているのかも知れない


どうしよう
何をしよう

頭を抱えても、頭が痛くて何も浮かばない

何もかも、放り投げてしまいたくなる気持ちが
きっとみんなを支配したんだろうと思う


よし

だから、私も今の考えを放り投げて、捨ててやろう


明日はおやつをたらふく買い込んで
美味しいケーキと紅茶を用意して

難しい話をする前におやつタイムを持つことにしよう



「おやつはこころの栄養」って言われたっけ

明日はこころに

たっぷりの栄養をあげることにしよう








2021年08月17日

叱られること、ほめること





数年前にご一緒して、当時、叱られた先輩に

今日、言われた

「なんか、変わったよね」と



確実に歳はとったし

言われても、自分ではよくわからないけれど

続けて言われたのは、

「なんか、突き抜けたよね」

「貫禄が出てきた」 と




横に大きくなったのもあるけど、純粋に、嬉しい



数年前に叱られた時のことを、今でもよく覚えている

言わなければいけない事を、言葉にするのを恐れて

黙り込んだ私に対し

「なんで?」と一言注意された


厳しかった

恥ずかしかった

言われたことではなく、逃げた自分が本当に惨めで

できないことが、逃げたことが、恥ずかしいと思った


あれから、

勉強する事にした



自信がない自分がわかるから

できるところまで準備しようと思った

次は絶対に逃げずに、自分の言葉で話したいと思った


恥ずかしいと思った体験は

私を動かす原動力だった



あの日のあの時から、

自分の言葉で話したいと思った



できないことがあるのは

あたらしい世界への扉を開くこと



さあ、新しい自分に向かって進もう

また一歩、前へ

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2021年08月16日

研修マニア



ケアマネの研修では、事例を通してトレーニングすることが多い

具体的にイメージしやすい環境を準備し
より現場に近い温度を感じながらトレーニングする演習である

誰のことも傷つけず、不利益を与えるリスクもないので
安全で効果的な演習方法だと思う


大人の学びは
「意識的に学習して効果を上げる」ことが目的になる

学びの結果、
「効果測定できること」が重要になり、
それでこそ、貴重な時間を研修に費やした意味がある


研修講師をしていると
この人は何のために研修に来ているんだろうと思う時もある

会社に言われて、
法定研修なので、
仕事を続けるために仕方なく?

ああ、もったいない

法定研修なので、何がなんでも嫌でも受ける
ならば、そこで得られる最大の効果を持って帰ろう

そう考えを転換すれば、嫌なことは楽しく変わる

みな等しく与えられている時間は、24時間365日

だから
いま、ここ、でできること、学べることを
最大限、吸収し持ち帰ることを目指す

これが、目的

いま、ここ、で出来る最高のパフォーマンスを目指せば
一瞬の時間は輝き出すし
学びの効果は、自分でしっかりと実感できる

大人の研修は自分のための贅沢な時間である

話して、学んで、
考えて、考えて、

インプットしてアウトプットして
アウトカムを実感する

大人の勉強は

本当に楽しい
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2021年08月15日

生きるを支える



ケアマネの倫理原則には
生命の保持、公正中立、自己決定など様々がある

利用者の自己決定を優先するが、その判断が本人に不利益になる場合には、思いを尊重しつつ、修正していく

けれど、拒否される場合もある

良くない状況が予測されるにもかかわらず
受け入れてもらえない

できることは、待つことだけ

歯痒い

自己決定には自己責任が伴うし
全ての結果は本人家族が引き受けるしかないのだけれど

関わった専門職として無力さを感じる

けれど、ケアマネは
そんなことでは挫けない

生活全般を支援していくケアマネには
待ち続けることができるというポジションがある

今、ここで、本人家族が納得しない、理解しようとしないなど
受け入れてもらえない状況であったとしても

一緒に伴走し続けさえすれば
いつか、どこかで、流れは変わる

今ここ!という時に、出せる一手を持ちつつ見守る


短気を起こさない、あきらめない

拒否されても、嫌がられても

流れを見ながら、その時を待つ


相手を思う気持ちや心、チームメンバーの気持ちは

必ず、どこかで伝わるから


心配しつつも、じっと待つこと
あきらめないで、待ち続けること

これが

ケアマネジャーの大切な役割である


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2021年08月14日

仕事としての介護



男性介護者は介護を抱え込みがちに見える

今まで出会ってきた男性介護者のうち
半数以上は、介護を自分の仕事のように考え
頑張りすぎる傾向があった

仕事なのできちんとする
仕事の達成感や責任感を体験してきた人ほど
自分がきちんとやれば上手くいくと思いがちである

けれど
現実の介護はそうはいかない

仕事として、介護をしている人は、
8時間頑張れば、あとは自分の時間があり、休息できる

仕事で介護をして疲れて帰っても
家に戻れば、ゲームをしたりお酒を飲んだりできるのである

ところが、在宅介護となるとそうはいかない

仕事の時のようにきちんと仕上げたいと思っても
「介護」の特性上、絶対にそうはならない

人は生きているし、休みなく続いている

予想外の動きも事態も発生するし
完璧に仕上げることは不可能なのである

一番困るのは、休まる時がないということ

サービスを利用していたとしても、
24時間365日の介護は継続するのである


介護と子育ては、よく似ていると比較される


どちらも担う人を拘束するし、年単位で自由が奪われる

けれど大きな違いはある

子育ては終わる時期が予測できるし、未来への投資に近い
子どもの成長は励みにもなるしモチベーション維持につながる

一方、介護はというと
終わる時期は予測できないし、終わりは永遠の別れであることが多い
身近な人が、徐々に老いていく姿を見ることは、
生きる意味を問いかけられるようで、時に苦しい

介護は、
命の終わりに寄り添い、最後の瞬間までその人らしくあるための手助けをするという
人間にしかできない尊い行為なのである

それを仕事にしている私たちでさえ、
毎日、色々な感情が生まれて、消えていく

それを、単なる仕事として割り切り、処理するには
あまりにも色々な思いが交錯するのである

だから

家族として介護をする時に、
仕事のような効率や、やり終えた後の達成感だけを求めるのは
危険だと思う

ある意味、いい加減くらいがちょうどいいと思って欲しい

仕事としての介護をしていても
ストレスは溜まるし、腹も立つ

時間で区切られ守られている介護職でさえそう思うのである

だから、

介護者はちょっといい加減で、自分に甘くして欲しい

事故や事件、精神的なストレスを溜めないためにも

緩やかで「大雑把介護」な介護を目指してほしい

自分を休ませてあげること、
自分に優しくなること

それが

「介護」を円満に終えていくための必要項目である


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2021年08月13日

ソロで生きる



サービス付き高齢者住宅に関わり始めた頃
ご夫婦で入居される方は、大抵、同じ部屋を希望された

最近、ご夫婦で入居を希望される方は
ほとんどが1人部屋を希望される

あまり距離の離れない2部屋を希望するが
同室はいや、と、いうケースが多い

それは、特に奥様側が希望する

ようやく楽になるために入居するのに
自分だけ夫の世話をするなんてこりごり、と
はっきり言う方もある

一般的に、連れ合いのどちらかが先になくなった場合
残された妻は長生きをし、
残された夫は早逝することが多い

まれに、残された夫が急に生き生きと輝き出し
今まで以上にお元気になる場合もあるが
統計的に見ると、妻をなくして気力もなくす夫が多いように見える

この違いは、自立心と依存心が関係している

妻に全て依存していた夫は
妻に先立たれると生きがいも、生活の基盤も、自信も失いがちである

夫に先立たれた妻は、
大仕事を片付けたかのように解放され、その後の人生を
自分のために使おうとする

妻に先立たれた夫は、妻に変わる誰かを求め
夫に先立たれた妻は、1人での自由を楽しんでいるように見える

やがて来るであろうこの状況を前に
ご夫婦がしておくことは、何なんだろう

一緒にいる時間を、残り少ない時間を共に楽しみつつ
いつか必ずやってくる時のために、
1人で生きる力をつけておくこと

誰かがいないと輝けない人生なんて
自分の人生ではない

1人であっても、楽しめる
けれど今は2人でいる

そんな関係が、望ましいのかもしれない

必要だから共にいるのではなく
一緒にいたいから一緒にいる

1人でも生きていける

そんな力をつけておくことが
1番深い愛情の形なのかもしれない

かいがいしくお世話をすることが愛ではない
世話をされることに慣れると、それがないと生きていけなくなる

誰かにお世話をされることで幸せを感じるのではなく
自分でできることに喜びを感じる

そんな自立を

目指していきたいと思う

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2021年08月12日

香りに想う



懐かしい香りというのがある

私の場合は
蚊取り線香、雨の日のアスファルト
子どもを抱っこしたときの香り

おばあちゃんのニッキ飴
母の毛糸の匂い

香りは時空を超えて記憶を引き戻す
おぼろげにしか思い出せなかった祖母の顔が
浮かんできたりする

認知症で、自分の家にいるにも関わらず
「帰ります」という高齢者は
昔の家に帰りたいと願っている

彼女を引き戻しているのは
過去の記憶なのか、香りなのか

線香花火をした時に、彼女はどんな表情をするのだろう

毎日、建物内を徘徊している男性は
イチゴ味のかき氷を食べたら何を話すだろう

音楽や会話、食事や体操
たくさんの活動をしているけれど

もっと皮膚に近い感覚のようのものの方が
人の気持ちに働きかけるのかもしれないと思う

手を重ねたり、体をさする

視線をあわせ、微笑みかける

そんな基本的なことの方が
大切なんだということを忘れないでいたい

理屈で考えるのではなく
ただ、正直に

感じることを大切にしたい





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