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2016年06月04日

映画「スパイ・レジェンド」を観た感想…邦題つけた奴のセンスを疑う。

明日も朝早くから仕事だと言うのに、

おかんがレンタルDVDで借りてきていたものを薦めてきた。

そんなに言うなら、さらっと観ようかなと…そんな訳で映画「スパイ・レジェンド」を観ました。



久々に観ましたよ、ピアース・ブロスナン。

自分の年代は、それこそジェイムズ・ボンドは今でもピアース・ブロスナンのイメージが強いのではないだろうか。

そんなピアース・ブロスナン主演のスパイ?映画がこの「スパイ・レジェンド」です。


監督は映画「リクルート」のロジャー・ドナルドソン。

アル・パチーノ好きなのでもちろん映画「リクルート」もチェックしています!


主演は先ほども書いたピアース・ブロスナン。

相方というか、ライバルというか、そんな役にルーク・ブレイシー。

ルーク・ブレイシーって誰!?と思ったのですが、まだ映画「スパイ・レジェンド」の時には、

メジャーな作品では映画「G.I.ジョー バック2リベンジ」で悪役をやっていたとか。

…覚えがない。

でも、結構存在感のある俳優。

パッと見ではジェレミー・レナーと間違えていました。

どうもこれから期待されている俳優との事。


さて、映画「スパイ・レジェンド」ですが、実際のところスパイ映画なのか分からない。

主人公は元CIAなだけだし…まあCIAという諜報員がでればスパイなのかもしれないけど。

スパイ映画ということで、ちゃんとボンドガールの様な存在も登場します。


それが、オルガ・キュリレンコ。

そう、オルガ・キュリレンコと言ったら映画「オブリビオン」ですよね。

「オブリビオ〜ン」

…特に意味はなし…あのタイトルコールはなんか好きだった。

目に力のある女優ですよね。

変装した時のスタイルの良さはグッときました。


その他、良い俳優たちが脇を固めていますが、

最初に感想を言いますと、「普通に楽しめる」映画だと思います。


ただ、なぜうちのオカンがあんなけ薦めてきたのかは分からない。

映画が「普通に楽しめる」なら、それでいいじゃん、って思うのですが、

まあせっかく観たなら感想書いておこうかなと思うのです。


で。

まず思うのが、やっぱりピアース・ブロスナン…ふけたなぁ。

良い歳の取り方をしているので、見ていて老いが辛いとか、そんな事はないのだけど、

ジェームズ・ボンドのプレイボーイイメージが強すぎたのかな。

まあ、老けた気がした。


それはそれで良いんだけど、ピアース・ブロスナンの役が「ノベンバー・マン」というコードネームのデヴェロー。

彼が通った後は生きてるものはいないという。

で、映画「スパイ・レジェンド」なんて勝手な邦題がついているんですけど、

原題はそのコードネームである「The November Man」なわけです。

そのままで良いじゃん、「The November Man」で。

前にも映画「ゼロ・グラビティ」とか全くナンセンスと書いたけど、

邦題を付けてる奴ってもっと責任持ったらどうなの。

毎回翻訳が誰なのかと同じ感じで邦題付けたのは誰なのかって。

そこまでしないとこの適当な邦題付けられる流れが止まらないんじゃない?


確かにデヴェローは凄腕だったみたいだけど、

CIAのメンバーから「誰ですか?」って聞かれてたじゃん。

そんなに知られてないようだけど…それに「レジェンド」って感じの説明じゃなかったよ。

…またか。

また、日本人が勝手に邦題をつけやがったか!

聞くところによると小説でシリーズ化している「The November Man」。

これから第2弾、3弾と続けていけるかもしれないのに、

なに、もし続編あったら「スパイ・レジェンド2」とかなの!?

すげ〜ダサいんだけど…そもそも何がレジェンドなのか聞きたい。

結局、雰囲気だけな邦題…イライラするなあ。



ストーリーはありがちな話であるので、

あんまり書くとちょっとネタバレになってしまうので気をつけて書きますが、

まあ、こういう話には「黒幕」がいる訳ですよ。

映画終盤で、実はこの人が黒幕でした〜って展開。

それは良いんだけど、その黒幕が結構悪いことを過去にしてたんだけど、

その情報をCIAというか、 ルーク・ブレイシー演じるメイソンが受け取る。

「これは報告しなきゃ!!」って。

で、報告しに行こうとするとそこにはすでに黒幕がいて先手を打たれていた…って、ありがちな展開ね。

ありがちなのは良いんだけど、まさにメイソンが「その黒幕が黒幕だという証拠を持っている」はずなのに、

なぜかその黒幕の言うことを聞き始める。

なに?アメリカはどんなけ上司が悪いことしていても部下は逆らえないとか、そんな仕組みなの?



前に、映画「ホワイトハウス・ダウン」を観たときも、

黒幕が結構な音量で自分が黒幕だ〜って言ってるんだけど、

さすがに大統領であったとしても悪いことしてたら捕まえられるだろ!!

…って思うんだけど、どうなんだろうか。


あいつが黒幕だって分かってるんだけど、証拠がないとかね…それだったら分かる。

しかし映画「スパイ・レジェンド」においては、その証拠はまさにメイソンが持ってるじゃないか。

いいけどさ…なんかそういうもんなんでしょう。


あと、本筋とは関係ないんだけど、メイソンの家のとなりの住人。

えっ、結局本当にただの隣の人だったの?

どうやって猫を送り込んでたのか気になるが、

それ以上にあんなに「守る価値のある存在」とか言わせておきながら、

あの件以降は全くでてこない…なぜ!?

実は彼女はCIAに送り込まれた見張り役だった、のほうがまだ良いんじゃない??

もしくは全く関係ない人だったけど、気があった二人で、

師匠のデヴェローのように恋人を作ってしまったって事で、

映画のエンディングあたりにそんな描写があっても良かったんじゃないかなあ。

なんか、ただかわいそうな人だったのだが。

無意味にドロップアプトしていった感がいなめない。

もっとうまく活かせれた気がするんだけどなあ。


そして、ロシアの殺し屋が一般女子にやられるのもどうかと思うけど、

あれは一番最初に逃げているときにピアース・ブロスナンが追っ手を撃退した方法だから、

それはそれでありな演出かなと思いますが。


色々つっこみどころがあるんだけど、

最初に書いたように「普通に楽しめる」映画ではあります。

細かいことは気にせず、そこらへんはサラッと観ればいいかな。

でも、ラストのシーンはスカッとしていい。

そりゃ水着ギャルとクルージングなんて許さない!



まあそんな感じの映画でした。

続編があるなら「普通に期待」です。


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2016年06月01日

映画「時をかける少女(1983年版)」を改めて観た感想…ネタバレなし。

ついに「Blackmagic Pocket Cinema Camera」を買ってしまった!

今更感は否めないですが、ずっと欲しかったカメラ。

こういうものは勢いですよね!!

ただ、今手持ちのSDカードでは認識してくれないという状況。

やっぱSunDiskじゃないとダメなのかな…という事で、実際に色々使ってみたら、

また「Blackmagic Pocket Cinema Camera」について書きたいと思います。


…という事で、今日は休日。

何か映画を観ようと思い「dTV」を起動。

色々物色をしていましたら、目に止まったのが映画「時をかける少女」でした。

「時をかける少女」と言えば、なんと今年の2016年7月よりテレビドラマが始まるとか。

ジャニーズがダメとかは思わないけど、なんとなくイメージが違うようなキャスティング。

まあ、時代に合わせて「時をかける少女」も変わっていくということですね。


映画「時をかける少女」、と言ったら「どのバージョン!?」と言われそうですが、

そんな映画タイトルも珍しいですよね。

現状では映画は全4バージョン。

今となっては細田守監督のアニメ映画「時をかける少女」がなじみがありそうですが、

やっぱり最初の1作目、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」が重要かなと。

という事で、今回は大林宣彦監督の1983年公開「時をかける少女」を観ました。



こんなに昔の映画なのに色々映像実験されていて、大林宣彦って凄いなあと。

大林宣彦監督については、以前、映画「この空の花-長岡花火物語」を書いたのですが、

あの時の感想でも、大林宣彦監督作品に関しては「映像に対しての常識みたいなものが、全く通じない」。

普通だったらあのトランジションとか意味がありそうでなさそうなモノクロ化とか、

ダサくなって映画の質を下げそうなものなんだけど、なんか説得力があるというか、

違和感はあるんだけど、納得してしまうというか…不思議ですよね。


色々実験的な映像があるのですが、今でも使われる静止画を連続させた映像とか、

30年以上も前からこんなことしてたんだなぁと…今ほど編集は楽な時代じゃないだろうから、

これは大変だろうな…なんて思ってみていました。

あの時計が迫ってくる映像は、やはり「時計が不気味な動きをする」ことによって、

「時が不安定」ということをイメージさせているのだと思うけど、

その他にもなんじゃこりゃ〜って気はしてしまうほど奇抜な映像がところどころでありました。


「時をかける」と言えば原作は、筒井康隆の小説。

筒井康隆と言えば個人的に「七瀬ふたたび」ですが、その話はまた別の機会に…。

大林宣彦版の映画「時をかける少女」はもちろん主演は原田知世。

主題歌はユーミン作詞作曲で原田知世が歌っているズバリ「時をかける少女」です。

この曲はラジオなんか聴いていると今でもたまに懐かしの曲とかで流れてきます。

印象的ですよね。


先にも書きましたが、映画だけでも「時をかける少女」は4作品ありまして、

1997年の角川春樹監督はこの大林宣彦版のリメイクになりますが、

細田守監督のアニメ映画版と谷口正晃監督の2010年版はそれぞれ別の話なので、

4作品全部同じ話ではありません。

基本的にこの大林宣彦版の映画「時をかける少女」は他のものを楽しむためにも観ておいた方が良いです。


話としては、原田知世演じる和子と 高柳良一演じる一夫、そして尾美としのり演じる吾朗は同級生。

3人は昔からの幼馴染で普通の高校生活を送っていた。

ある土曜日、理科室の掃除当番だった3人。

掃除後に1人になった和子が人の気配がした実験室に入ると、

落ちたフラスコなど確かに人はいた様子だが誰もいない。

不思議に思った和子が落ちたフラスコに近づくと発生している煙のせいか、気を失ってしまう。

その事件をきっかけに和子には時間が飛んだり、奇妙なことが起きはじめる。

戸惑いながらも和子は真相に近づいていくが…という感じかな。


今更ネタバレもないと思いますが、一応は知らない人は知らないまま観た方が良いと思います。

ので、ストーリーは細かく書きません。


となるとストーリーと関係ない話が続いてしまいますが、

まず気になったのが「さよなら」という言葉。

なんかちょっと前にラジオでも言っていたけど、「さよなら」って言わなくなりましたよね。

確かに学校に言っていた時は帰りの挨拶は「さようなら」って言っていた気がしますが、

大人になると、会社から帰る時は「お先に失礼します」だし、

友達と遊びに行って別れる時も「それじゃ」とか、そんな「またね」とか。

「さよなら」って言うと永遠の別れ、ぐらいな言葉にいつの間にかなってたなぁ。

そういう意味で、普段和子が使っている「さよなら」と映画終盤で言う「さよなら」は、

全く違ったものな訳だが。


本筋と関係ない話が続きますが、あの市松人形。

地震で動いたという事になってるけど、

あの動きはさすがに横揺れや縦揺れでできる動きではないはず!!

普通にコワイし!!

和子は2回目ともなると、普通に動きを止めにいってましたが、

あんな動きをしている人形、よく触れるわ〜。


あとこの映画では印象的な言葉である「土曜日の実験室」ですが、

これはライムスターの宇多丸師匠がやっているラジオ番組の「ウィークエンド・シャッフル」のミニコーナー、

「サタデー・ナイト・ラボ」の前身、「土曜日の実験室」はこの映画から使ったとの事。

「ウィークエンド・シャッフル」には大林宣彦監督がゲスト出演している回もあり、

もちろんこの映画「時をかける少女」についても触れているので、

まだ聴いてない人は是非…Youtubeで検索すると今でも聞けますよ。


そして、なんと言っても町並みは今見るとより、感慨深いですよね。

「尾道三部作」と言われていますが、尾道の町並みは画になるなあ。

後世にも残っていってほしい風景です。


ネタバレではないけど、今あのラストのシーンを観て、

「バタフライ・エフェクトだ!」と思ったのは自分だけではないはず。

いや、まあよくあるシーンなんだけど、

あのタイミングのなんとも言えなさは、どの映画でもグッときますよね。



そのほか、なんで突き落とすねん!とか、

おじいさん、おばあさんのずっと2人なんだろうね、とか、触れたい事は他にもありますが、

ネタバレしてしまうのでとりあえず、もしまだ観ていない人がいるのなら、

今観ても十分おもしろいと思いますのでお勧めの映画です。


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2016年05月26日

映画「カウボーイ&エイリアン」を観た感想…悪い映画ではないが。

前に映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」の感想を書いて、

「ジョン・ファヴロー」について書いたので、その流れで映画「カウボーイ&エイリアン」も書いておこうかなと。



2011年公開のもちろんジョン・ファヴロー監督作品。

ジョン・ファヴローの仕事順で言うと映画「アイアンマン2」の次に監督した作品になります。

町山さんが映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」の話で言ってもいましたが、

その感覚でいうと「プロデューサーに言われて作った(作らされた)映画」という事かな。

大コケというか、制作費が多すぎるんですよね…163億円とは。


で、感想の結論から言いますと、「悪い映画ではない」という事。

何度も言って申し訳ないですが映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」で言うところ、

「王道のフルコース」というところ。

「(新しくもないし奇抜でもないが)この定番の味を食べに来る人がいる」のは間違いない。

良い意味では安心して見られるエンターテイメント映画。

まあ、裏を返せばどこかで観たことがありそうとか、目新しい要素はないというか。


うーん、悪くない…これが一番自分の感想を適切に表している言葉だと思う。


さてさて、内容ですが記憶喪失のダニエル・クレイグ演じる主人公ジェイクが、

町でトラブルに巻き込まれ最中にエイリアンの襲撃にあう。

エイリアンに町の人が連れ去られる中、ジェイクの腕につけられていたものが反応し、

1台のエイリアンが操作する飛行物体を撃破。

この事をきっかけにハリソン・フォード演じるダラーハイド達と行動を共にし連れ去られた人を取り戻しに行く。

…というような話。


ダニエル・クレイグは個人的にトム・クルーズと近い印象があって、

「こいつ、なにを考えてるんだろう」って瞬間がある。

そんな彼が記憶喪失なのだからハマらない訳がない。


冒頭すぐにダニエル・クレイグの顔にカメラが行くのだが、

何も言葉を発するわけでもないのに観ている人は「あっ、記憶がないんだ」と分かる。

実際うまいよね…顔芸と言ったらチープに聞こえるかもしれないが、

表情で自然に演技ができるのは凄い。

最初にダニエル・クレイグが「007」のジェームズ・ボンドと聞いた時は、

「え〜」って思ったのだが、今となっては「あり」かなと。


あと役者でいうならハリソン・フォードでしょうか。

後でストーリーについては書くのですが、

演技どうこうよりも彼の演じる「ウッドロー・ダラーハイド大佐」というものが、

なんか微妙な設定のため活きてないなあと。

ただハリソン・フォードの存在感はある。

そりゃ止まり木にハリソン・フォードがいたら、すごいラッキーだと思う。


で、ですね。

最初に書いたみたいに決して悪くはないんですよ。

ただ、傑作だ〜っていう要素もなくて。

制作にロン・ハワードとかスティーヴン・スピルバーグとかが名前を連ねているし、

まあ大きなハズレはない…ほんと安心して観られるクオリティ。

派手に爆発したり、見応えのあるアクションがあり、ハッピーエンドがあり…と。

いわゆる「普通の大作映画」が観たいって人にはおススメだと思います。



そんなところを踏まえていろいろ言うのであれば、ですが、

冒頭ですね、記憶喪失のみせ方はうまいと思うのですが、

3人の追いはぎをあっという間にやっつける訳ですよ。

あっ、これは記憶なくなってるけど、実は「軍で英才教育を受けた」とかそんな過去があるのか?

…と、思いきやただの犯罪者で…なんでそんなに強いのよ!

まあダニエル・クレイグの風貌で強くない訳がないから仕方がないのか。

とりあえず、彼は町にいくのだけど記憶を取り戻すためかと思えば、

特に理由もなく…不法侵入&傷の手当&ウイスキーのただ飲み。

まあエイリアン襲ってきて良かったよね。

エイリアンも脱獄したダニエル・クレイグを追ってきたのであれば話が分かるんだけど、

ただ町の人間をさらいに来ただけ。

「エイリアンはあんたなんか気にもしてない」みたいなセリフがあるけど、

武器まで奪われて逃げられたんだからもうちょっとエイリアンも気にしろよ!と思ってしまう。

てか、あの武器奪われたエイリアンさ。

舐めてるのは分かるけど、ちょっと無用心すぎるだろ!

腕輪を置くのもどうかと思うけど、せめて身動き出来ないようにしとけよー。


それはさておき、ハリソン・フォードの演じる「ウッドロー・ダラーハイド大佐」ですが、

最初はすごく「悪い奴」っぽく登場するのね。

牛を殺されたときの使用人に対して「大佐と呼んだ奴は殺す」みたいな演出で。

まあ直接は殺さなかったけど、あれは死ぬでしょ。

そんな悪い奴でバカ息子のことはすごく大切にしてるのかと思いきや、

ダニエル・クレイグが自分の金貨を奪った奴だと知って息子そっちのけ。

息子はそんなに気にしてないのかなと思いきや、エイリアンにさらわれたら金貨なんてどうでもよし。

なんやねん!失って初めて分かる大切さ、なのか。

それも良いけど、エイリアンを追う旅に出たら急に良い奴になるんですよね。

エメットに思い出のナイフをあげたり、そのナイフを落とすなよとかアドバイスしたり。

その言葉が伏線になっていて、エメットの成長のシーンにも繋がるのだけど、

あの最初の悪い奴演出はなんだったのだろうか。

その後もインディアンの孤児を育てて、実は良い奴なんだってわかるんだけど、

その前からなんか良い奴だって気がしてた!たぶん観ている人はみんな。

なんかハリソン・フォードを活かせてない気がしてもったいない。


もったいないと言えばサム・ロックウェル演じるドク。

途中で「銃は練習しておけ」と言われ何度も練習している描写があるのだが、

こんなけみせるのだから、さぞ重要なシーンで活かされるのだろうと期待していると、

重要ではないとは言わないけど、「えっ、そこで!?」というシーン。

結局助けれてないやんか!!

もっと重要なシーンで一発打ってくれたら良かったなぁ…サム・ロックウェルだし。


オリヴィア・ワイルド演じるエラ・スウェンソンが物語の重要なキャラクターなのですが、

ちょっとネタバレとしたら、彼女は宇宙人な訳です。

他の星の人で自分の星がエイリアン達にやられたから地球に警告をしに来たというのですが、

特に彼女が警告をしていたようには思えなくて…。

町でダニエル・クレイグの腕輪を観て、私を手伝えというけど、

あれ、警告しに来たんじゃなかったっけか?

まあ…いっか。

それは置いといて、燃やされると復活するんだけど、

あれって都合よすぎじゃない!?

傷を負って治すまでに時間がかかったのはいいとして、

燃やされたら死ぬでしょうに!!

実は私は宇宙人なんですって言えばなんでも許されると思うなよ!!


最終的に彼女が体を張ってエイリアンの宇宙船を爆発させるのだけど、

エイリアンも宇宙船のコアとか大事な場所のセキュリティ甘すぎるやろ!

…ということはまあ良しとして、

不思議なのはエイリアンの武器はあんなに発達してるのに、

防具に関して皆無。

もともと装甲が硬いというのに慢心していたのだろうか。

あんな武器を作れるなら、もうちょっと防具に関しても力を入れた方がいいんじゃないか。


他にも突っ込みどころはいっぱいあるけど、

気になったのは犬の失踪。

エイリアンと言ったら「卵を植えつける」という存在なので、

あの犬の失踪は、実は卵を植えつけられている…と思ったけど、

本当にただの失踪だったという…まあいいんだけどさ。



というね…いろいろ書いたけど、まあ悪くない映画ですよ。

あ、最後にもう1つ。

宇宙人だったエラですが、ちゃんと女性だったのだろうか。

キスで腕輪が外れるんだけど、外見がきれいな女性だったからいいものの、

本当の姿はどんな…まあ…ね。



いかにも西部劇っぽい終わり方はいいですね。


ジョン・ファヴローがこの映画の後に映画「「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」を作ったと考えると、

ちょっと面白いですよね。


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2016年05月24日

映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」を観た感想…これは多くの人に観てもらいたい映画!

映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」を観た感想です。




感想の前に、個人的にな話を1つ。

毎月催される読書会というものに参加していまして、

その課題の本を探しにお店に立ち寄った際にCD・DVDコーナーもあったので、

何気なく良い映画がないかとDVDを物色して見つけたのが、

映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」です。


映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」は2015年2月に日本公開。

監督はジョン・ファヴロー。

ジョン・ファヴローと言えば、もちろん映画「アイアンマン」の監督で有名ですが、

そのジョン・ファヴローが監督・脚本、さらには主演まで努めています。



映画を観る時には「監督」って大事なところだと思うんですよ。

でも、特に日本では監督の名前で観にいくとか、

さらには監督の名前の言える人が少ないんだろうね。

昔、映画「エンジェル・ウォーズ」の時は「300の監督」って書かれていて、

ザック・スナイダーって言ったところで日本人には分からないんだろうと思った。


で、監督ですよ。

特に今回は「ジョン・ファヴロー」の体験談というか、

ストーリーそのものが「ジョン・ファヴロー」。

そんなことを知らなくても楽しめること間違いなしの映画ですが、

映画ってただただストーリーを追っかけて観るのも良いのだけど、

「あっ、こういうことがいいたいんだな」とか「わかる、わかるぞ!」みたいな瞬間があると、

共感できるというか、グっと面白さが増すと思うんですよ。

もちろん、観る人に事前準備を強要するのはいかがなものかと思いますが、

知っていると楽しめるんだから、知っておいた方が良いんじゃないかって。

何よりも、映画監督って職がもっと一般的に認知されても良いという気がしている。

「何かのテレビ番組で好きな映画監督は誰ですか?」って街頭インタビューで、

監督の名前は知らないって答えた人が結構な割合でいたのは、ちょっとビックリだった。



脱線してしまいました…ジョン・ファヴロー監督。

この映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」を簡単に説明をすると、

主人公のカール・キャスパーは有名レストランのシェフ。

料理の腕ももちろん、料理に対する情熱もあり、仲間からも信頼がある。

そんな彼の店に「評論家」が来る。

以前、その評論家の人生を変えるほどの料理を出したことのあるキャスパー。

今回も唸らせようと新しい料理を考えるのだが、

店のオーナーに「定番(いつもの)しか認めない」と新しい料理の提供を拒否される。

しぶしぶ「定番(いつもの)」料理を出したところ、評論家は酷評。

息子から教えてもらったツイッターをつかいリベンジマッチをしようとするも、

オーナーと対立してクビになり、あげく評論家との喧嘩がネットにあげられてしまい、

再就職先が見つからない状況に。

そんな時に元妻からフードトラックを始めてはと提案があり、

どん底に落ちたキャスパーはフードトラックという場所で1から積み上げていく。

…というような話。


この話がどうして「監督」と関係があるかというと、

ストーリーの展開はどうしても監督である「ジョン・ファヴロー」のキャリアと

重ねて観ずにはいられないのだ。

まあ、この話は映画評論家の町山さんがラジオで言ってたところを聴いてくれた方が、

圧倒的に正しく面白いので是非読んでみてください。

http://miyearnzzlabo.com/archives/21178



まあ町山さんの話を読んでしまったら、それ以上何ってことも無いんですが、

考察とか映画の背景はまかせて、自分がグッときたところをいくつか。



本当に、この映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」は色んな人に観てもらいたいな、

と思うんだけど、特に「何かを作る」職業の人。

この映画を観ると、最終的にハッピーエンドというか良い結果になるので、

キャスパーみたいな生き方が良いって思うのかもしれないけど、

彼が自由人か、と言えばそうでもなく、あんな感じだがものすごく社会人な面もあった。


彼がレストランをクビになるまで、何度も自分の創作料理を出そうとするも、

オーナーに止められて結局出せていないままクビになる。

あんなけ腕もあって、情熱もあるのなら「自分の料理を食べてもらいたい」と、

創作料理を出してもおかしくないところだが、

彼はあくまでレストランではオーナーの意見に最終的に従う。

雇われているうちは自分を押し殺してちゃんと働いているのだ。

もちろんそれが原因で辞めることにはなるのだけどね。


ここから判断するに、雇われているうちは勝手なことしてはいけない。

というメッセージがあると思う。

映画製作でもそうなんだと思うけど、大きな資本で作るものは、

監督以上に出資者の意見が通ってしまうこともあるのだろうなと。

しかし、その場合はそれに従うのは仕方がないのではないか。

例えばジョン・ファヴローで言うなら、まだまだ知名度も低く、

観客はジョン・ファヴロー監督作を観に来てるのではなく、映画「アイアンマン」を観に来てるんだ、と。

続編の「アイアンマン2」は前作がウケんだから前作と同じで良いんだよ。

そんなことをスポンサーに言われたのかなと考えてしまうところだが、

映画でも決してこの考えが間違ってる訳じゃないというバランスで見せていると思う。

多くの映画監督の悩みどころだと思うけど、

映画監督が好き勝手やって良いって状況なんて本当にごく1部の人だけだよなあ。



あと、フードトラックの最初お客というか、手伝ってくれた作業員にキューバサンドを出すときに、

息子が不注意で焦がしてしまったものを「どうせ無料なんだから」と言って出そうとしていたときに、

一気に空気が変わった。

あんな適当そうな2人の男だが、料理を作る、料理を出してお客さんに喜んでもらうことに対しては、

一切手抜きはしない。

あのシーンがあるか、ないかでは全く映画通してのキャスパーのキャラクターが変わっていた。

ただ息子を甘やかすだけではなく、本当に料理の道へ進むのなら言わなくてはいけない一言。

何かを作る職業の人には心にささる1シーンなのではないだろうか。



色んな人がこの映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」については書いていて、

誰もが「おいしそうだった」「あれを食べたい」って書いていると思う。

確かにそう、なんで日本で売ってないのだろうか。

仮に売っていても1ドルとかじゃ無理だろうなあ。

路上販売とか法律もメンドクサソウ。


DVDには特典でメイキングがあったんだけど、

ジョン・ファヴローが料理指導を受けている映像があったのだけど、

これは凄いし参考になると思った。

ただパンを切るだけだが、その瞬間はそのことにだけ集中するんだと。

ものづくりは映画であると料理であろうとその他であろうと、

色々通じるものがあると思う。


この映画は料理というモチーフを使って、

「クリエイティブな仕事の姿勢を問う」映画なのではないだろうか。

腕も必要、情熱も必要、しかしそれだけでは成功はなく、

仲間の助けだったり、効果的な宣伝の仕方、社会のマナー。

色んなものがプロの仕事には必要なんだぞ、と。



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2016年04月06日

映画「ビリギャル」についての感想…どこを切り取るか、だね。

先日、映画「僕だけがいない街」の感想を書いたので、

ついでに有村架純主演の映画「ビリギャル」についての感想も書いておこうかなと。



2015年公開、土井裕泰監督作。

原作は100万部以上売れた坪田信貴著、

「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」です。

映画のタイトルはこの原作の通称である「ビリギャル」。

なんとなく、ビリギャルって略し方だと、ただの駄目なギャルという要素しかないが、

もしかしたらこれが映画で言われていた、「どこを切り取るか」という事なのか!?



映画の前にまずこの原作について思うことは、

マーケティングというのかな、売り方が上手かったよね。

内容は読んでいないんだけど、タイトルの付け方とか、カバーのモデルの写真。

メディアの取り上げもあって、一時期凄い話題でした。

まあ自分は読んでないんですけど、そんな自分ですら映画化の前に知ってましたから。

まず内容どうこうの前に知ってもらう、というのがどれだけ大切なのかと。

もちろん、内容もきっと良い本なのでしょう。(適当)



さて、それでは映画「ビリギャル」ですが、

そんな訳で知名度もあった題材、そこに主演の有村架純のビジュアル。

映画公開の時もたびたび予告編が流れていたけど、

知ってる題材で魅力ある女優だったら、もともと興味はなくても観たくなってしまいますよね。

売り方、売り出し方がうまいなぁと。

この映画で有村架純はブレイクしたと思ってるけどあってるかな?

なんだろうね、彼女の特別べっぴんという訳でもないけど、

なんかこの子のことは応援したくなる…という感じ。

映画序盤の頃はおっぱいにしか目がいってなかったが、

中盤以降はおっぱいも見えないので顔を観るわけですが、

超絶かわいい…という訳ではなく、シーンによっては「あれ?」みたいな顔もあり。

最近は凄く人気の有村架純ですが、彼女は本当に絶妙なバランスで有村架純だなと。

いや、かわいいんだよ、かわいいんだけどそこまで言うほどでもないけどかわいい、という。

…絶妙だなぁ。



ストーリーは原作タイトルからも分かるとおり、

学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話。

…なのだが、ただただ大学に合格するだけの話ではなく、

主人公のさやかだけでなく、家族や友達、先生の成長話。

原作は読んでないので分からないですが、

映画では明らかに「受験(または大学合格)がメインではなく」、

「受験を通しての関係性の変化(成長)」の話でした。


まあ結構都合の良い展開とか、それは関係ないってのもあるけど、

いわゆる「こういう映画」としては問題なく観れるかなと。

なぜかと言うと、役者陣が思いのほか良くてちょっと途中で感動しちゃった。


やっぱり一番良い味を出していたのは母親役の吉田羊じゃないでしょうか。

あの人凄いよね、役によって全然印象違う。

今回は一見弱いけど強い芯のある母親、という役を見事に演じている。

あの映画終盤の田中哲司に始めて反抗するシーン、あの叩きかたとあのふっとばされかた。

もちろん、「3人の母親です」のセリフも、さすがです。

ただ吉田羊は凄いのだけど、主要人物の中で成長がないのがこの母親だけ。

最初から最後まで「子供を信じてる」なので、

(映画としては)完全に良い母親となっているのは人間味が薄い気もする。

旦那に反抗する(車のガラスを割る)シーンが成長というなら、

そもそも「息子を旦那に任せっきりにしていた」ことに対する自分の未熟さへの反省になるはず。

明らかに「旦那が悪い(旦那だけが悪い)」という描写になってる気がする。

あ、妹もあんまり変化がないか…まあ彼女は主要人物ではないか…。

せっかく嵐のテレビを変えられるシーンがあるんだから、

もうちょっと不満をぶつけたりしてほしいところだが、できた妹すぎ。

保険も解約されるは食器も洗わされるは…。

妹まで入れたら盛り込みすぎになるかもしれないけど、

あんまりさやかと妹との直接の会話がないから、

さやかは妹のことをどう思ってるのか、妹はさやかのことをどう思ってるのかわからない。

妹の保険を解約したいと母親と妹が話しているところを聞いてしまったのなら、

なにかさやかは妹に対して一言いうなり何か必要なのではないか?

いや、無償の行為が愛なのか…うーん、まあ特別そこが問題でもないけど。


伊藤淳史演じる塾講師の坪田も良かったと思う。

ただ、途中で坪田のぶち当たる壁、「さやかが塾に来なくなる」に対し、

彼は結局「何もしていない」のはいかがなものか。

中盤の「さやかの挫折」に対してはクララと名づけた卵を使ったり、

たびたびさやかを励まして問題を解決してきたのに、

「なら辞めれば!」と言ってしまって彼女が来なくなったことに対して、

居酒屋で酒を飲みながら「自分の行動に恥じてます」とか言ってるだけ。

これじゃあ、「すでに金はもらってるから来なくなっても別にいっか」と思ってると言われても仕方なくね?

前に安田顕に所詮金でしょみたいなこと言われてたじゃん、

ここは「俺は違う」ということを証明するために、なにかアクションするべきじゃないのかね。

とりあえず、さやかが思い直してくれたからいいものの…ね。


田中哲司と大内田悠平の話は良かった。

父親の夢を背負わされた息子、その挫折、その結末も含め。

確かに学校からしてみたら野球推薦で入れた学生が野球辞めたらなんだよってことになるけどね。

このテーマはこれだけでも1本の話ができそうなものだから、

まあいい感じのサイドストーリーとしてはまってるんじゃないでしょうか。

前述もしたけど、さやかの挫折の時の弟の挫折がタイミング良すぎるきもするけど、まあまあ。


なんかここまで書いて、割とディスってる部分もあるけど、結構楽しめたんですよ、本当に。

ほんとそれは分かりやすいストーリーと役者の演技かなって。




ただね。

映画の中の言葉でいう「反対の意見も考えて」ではないけど、

この映画を手放しに良い映画だった、と言えない点について書こうかと。


まず、多くの人が思ったんじゃないかと思うのが、

塾で頑張って学校で寝てて大学に行くという流れ。

これで良いと言ってしまうなら、本当に高校は大学へ行くためだけの、

つまりは「高卒」というものが欲しいためだけの場所になってしまう。

母親と担任教師のやりとりも、「せめて卒業は」とか「大学に行けなくなってしまう」とか。

「高卒」を得るため、それだけのための場所だとほとんど言っている。

そして、あの子はいつ寝れば良いんですか、学校しかない、とか…びっくり発言ですよね。

安田顕も鼻で笑っていたけど、これに関しては「それで良いの?」と思ってしまう。

母親のゴリ押しで結局授業中に公認で寝ている訳だけど、

こんなの許したら他の生徒が寝だしても止めれなくなるじゃないか。

そもそも、高校は大学に行くためだけの場所という事で良いのか?

そんな学生を高校は卒業させて良いのか!?


それにしても安田顕は良い先生だよね。

生徒のためにかは分からないけど、わざわざ塾まで行って話しをしたり、

夜遅くまで母親と話をして寝るのを公認してあげたり、

ましてや全裸になって写真に写ってくれたり。

感謝した方がいいよ、ほんと…いまどきこんな先生いないから。



あと、慶應大学に行ったことないけど、

「ここの学生は自信に溢れてる」、みたいなセリフがあるけど、

これはたぶんどこの学食行ってもあんな感じだと思う。

大学生ってまあ楽しく見えるものでさ。

映画終盤、さやかは「大人は見かけだけで判断するから嫌い」みたいな手紙を坪田に書いているが、

わりと母親が目の前で見かけだけで判断しようとしてる点についてはさやかは何を思うのか。


実際、「見た目でクズと判断されてた訳じゃない」とさやかは最後まで気づかない。

ギャルだから担任からクズと言われていたのではなく、

授業も真面目に受けない、高校生なのに朝方までクラブで遊んでいる。

そういう行動からクズだといわれていたのであって。

もちろん、そんな子でも可能性があったり、心優しい面があったりするから、

その一面を見てクズと決め付ける指導者がクズだというメッセージも分かるが、

そもそも見た目がギャルでも勉強できて優秀な学生は先生も何も言わないと思うが…。

ギャルだからダメと見られていたという考えそのものが、見た目で決め付けているのでは。

ここは「あの頃は目標も希望もなく毎日退屈だった、唯一友達と遊ぶのが楽しみだった」みたいな事にしたらどうか。

…まあ、いっか。




あ、コーヒーでおなか壊すくだりは余分だったかなあ。

あの描写だと実力では受かってたみたいな感じになってるし。

得意分野の配点が多く有力だった文学部は実力でだめだったけど、

記念受験でたまたま受けた総合政策学部の試験で、

苦手な論文だけど坪田とのやりとりで話していたことを思い出しながら書いたら合格した、

という方が劇的な展開だったようにも思う。



…ていうね。

まあ結構駄目なところがあるんだけど、

「この映画を良かった」と言ってる人の気持ちも分からなくない。

大まかな展開と役者力で観れる映画にはなっている。

映画「ビリギャル」良かったよ〜と言っている人にわざわざ、

これどうなの!?と言う事もしない。

いわゆる「こういう映画」に対してこんなけつっこむ自分もいかがなものかとも思う。



ただ、自分としてはいろいろ書いた駄目な点、どうかなと思う点はあるよ…と。



結果、本当に「どこを切り取るか」だと思う。

だから映画の中の展開での「良いこと」を切り取るなら、

「これは良い映画」という事にもなるのだろうかなと。

もちろん、反対意見もあるわいな…。


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2016年03月31日

映画「僕だけがいない街」を観た感想…イマイチ。

なかなかブログが更新できない。

もっとうまく時間を使わないといけないですね。


さてさて。

そんな中、3月31日映画「僕だけがいない街」を109シネマズ名古屋で観てきました。

春休みという事もあり、高校生ぐらいのお客さんが多かったです。

そんな中、30代の男がポツンと1人…まあそれはおいておきまして、

映画「僕だけがいない街」の感想です。




まず、この「僕だけがいない街」ですが、原作は漫画「僕だけがいない街」です。

雑誌の連載が終わったタイミングでの映画化。

実写映画以外にもアニメ化もされていました。


実は自分はアニメ版「僕だけがいない街」が「僕だけがいない街」への入り口でした。

たまたま夜にテレビをつけていたらアニメ版「僕だけがいない街」の4話が放送中。

最初は「なんだろう、どんなアニメなんだろう」と見ていただけなのに、

たったこの1話で「やばい!続きが気になる!!」という感じでした。

しかも実は姉が毎週録画をしていたという…さすが、気が合う。


しばらくして、アニメの週に1回の更新が待ちきれず、

Kindleにて漫画版の「僕だけがいない街」に手を出してしまった。

まんまと大きな力に動かされた感ですが、いっきに最新刊の7巻までいきました。

良かった、この漫画が30巻とか続いていたらどうしようかと。


で、漫画版は7巻まで、アニメ版は最終回まで見たという自分が、

この映画「僕だけがいない街」を観た感想です。

たぶん、この作品はそれぞれ、漫画版、アニメ版を見てるかどうかで、

映画版の評価も少なからず変わるんじゃないかなと思ったので、

自分の状況を書いておきました。


さて、そんな自分の映画「僕だけがいない街」の感想ですが…一言で「イマイチ」です。


主演の藤原竜也は観る前は「イメージと違うなぁ」と思ったけど、

観てみたら、これはこれで「また別の藤沼悟」として良いのかなという気もした。

有村架純の愛梨は全然違うんだけど、かわいいからいっか…みたいな。

この映画版の「僕だけがいない街」では愛梨そんなに重要な役回りじゃないし…。

あとミッチーは期待していたが、ストーリーの変更のせいでなんかがっかり。

これは演技がどうのじゃなくてストーリーのせい。

子役は良かったよ。

賢也だけはなんか普通な子になっちゃった感はあったが。

ただ、さすがに金髪にする訳にもいかなかっただろう。


まあ、おおむね俳優陣は良かったのではないでしょうか。

漫画やアニメを見たあとでは基本的にイメージと違うんだけど、

まあ「映画版」、ということで納得できなくもない範囲、かなと。


じゃあ、何がダメだっていうと、さっきも書いたけど「ストーリー」が全くダメ。

まだ観てない人は、今回は思いっきりネタばれするので、

観る前に結末しりたくない、って人は先に映画を見てもらえれば…と思います。


で、以下は「ネタばれも含む」ですので要注意。




基本的に映画の中盤までは原作にそって進むんですよ。

そこまでは悪くないと思うんです。

ただ、犯人がミッチー演じる八代だと悟が気づく辺りから、

映画オリジナルの展開になるのですが、ここからがヒドイ。



加代を殺人鬼から守った。

そのあと、隣町で殺人事件が起きたと澤田から聞かされる。

まず漫画かアニメを見ていた人は「えっ!?」という展開。

連続殺人を止めるために…少なくとも加代を含む白鳥が犯人にされた事件を止めるため、

原作やアニメでは悟は頑張っているのだが、

映画は尺の問題か、「加代を助けても他は殺される」らしい。

それで良いのか!?

この場合も白鳥が犯人にされるのだろうか??

そういえば、映画では途中に白鳥が犯人なのかっていう思わせぶりなカットがあるけど、

結局原作にある、加代もひとりぼっちだったから白鳥が声をかけていたという説明がないから、

ただただ不気味なカットが挟まっただけの印象なんだが。

…この監督、組み立て方うまくねぇなぁと思ったら、

映画「ROOKIES〜卒業〜」の平川雄一朗監督じゃないですか。

相変わらず見せ方、音楽の使い方、ヘタですよね。


「監督がショボイのは仕方がない」けど、それ以上に脚本がダメだと思うのね。

澤田から聞いた言葉で悟は八代がもしかしたら犯人なのか…と気づくのだが、

映画オリジナルの展開である「信じたい」という気持ちから、自分から八代に近寄っていくという。

少なくとも母親殺されてるんだから、怪しいと思う人物にはもうちょっと注意しなよ…と。

ちなみこの展開だったら、

その前の愛梨とのやり取りの中の「自分のために信じたい」って言葉のせいで悟が感化されたせいで殺されそうだった。

お前、なに余計なこと吹き込んでんだよ…ってなっちゃうじゃん。



まあ、いいや…もっと酷いところがあるから。

映画「僕だけがいない街」では、悟は自ら八代に向かっていき、あえなく裏切られるんだけど、

ここも原作やアニメとは違って「橋から落とされる」という展開。

まあ、橋から落とされる自体はいいんだけど、

次の瞬間目が覚めると、普通に大人の悟にもどっている。

あれ…植物状態とかの展開はないの!?

目が覚めた隣には大人になった加代がいるんだが、何故お前がいる!?

どう未来が変わったらこんな展開になった??

そもそも八代はそれまで悟をどうしてたのさ。

橋から落として植物状態になってなかったら、

さすがに口止めというか殺しにいくだろうし、悟も八代が犯人だって動いていないとおかしいだろ。

この脚本を書いた人は「リバイバルの意味」が分かってないのではないか?

過去で悟が奮闘して、加代が殺された日が1日変わった。

「リバイバルでの行動で過去、未来は変えられる」んだ。

そういう描写を入れておきながら、

最後のリバイバルに関しては橋から落とされた過去は無かったことになったのか!?

なにその都合の良い展開。

「犯人だけ知って未来に戻ってきました」って事?

ちゃっかり加代もいます、みたいな。

これは納得いかないでしょ…特に原作を知ってる人は納得しないでしょ。

記憶喪失がどうやって戻るか、何が「僕だけがいない街」なのか。


で、パンフレットを読んでいたら、

意図的に映画版は展開を変え、さらには「僕だけがいない街」の意味を変えたそうな。

…いやぁ…ダメだろ…。

原作を知らない人なら、もしかしたら、ふーんってなるのかも知れないけど、

意味を「浅くして」どうする!?

最大のネタばれですが、クライマックスで悟が八代が自殺するのを止めようとして、

自分の首にナイフがささる訳です。

「正義の味方は死なない」…と言って悟は死んでしまう。

つまりは「悟は死んでしまったけど、みんなの心の中に正義の味方(の心)は生き続ける」、

ということを言いたかったんだろうけど…浅い…浅すぎる。

すげーよくある意味合いじゃん、それ。

悟が死んで「僕だけがいない街」って、それどうなの。

ちなみに、隣町の子も死んでるから「僕と数人がいない街」ってのが正しい。


…っていうね。

原作と同じにしなくてはいけないわけではない。

映画「僕だけがいない街」オリジナルの展開でもかまわない。

ただ、改悪はよくない。

ストーリー展開も納得いかないし、話の意味も浅いものになってしまった。

残念ですね。

映画だと終盤で悟と愛梨が出会うシーンが、不審者が女の子をくどいてる様にしか見えない…残念ですね。



ただ!

ここまで書いたけど、子供時代にもどった時の、

ただ母親が作ったハンバーグに涙するシーンとか、加代の朝ごはんに涙とか、

何気ない日常がどれだけ大切だったかというところはちゃんと押さえてあってよかった。



2度見たいかと言われれば、もういいや、だけど。

というか、原作が一番だよね。

原作は何度も読み返したい。

アニメの第4話はどうも神回だったらしい。

あの回はすごかった、続きが本当に気になった。

アニメの声、意外に合ってるよね。



あ、あと。

パンフレットの「僕だけがいない街」っていうタイトルのフォント。

あの明朝体からゴシック体に変わっていく不気味さというか、

あの感じが「僕だけがいない街」なのに…。

分かってないなぁ…ったく。


パンフレットには三部けい作…いや、藤沼悟作のワンダーガイが入ってます。




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2016年01月28日

映画「アイアン・スカイ」を観た感想…ユリア・ディーツェが綺麗。

そろそろマジで健康に気をつけなきゃという年齢になりまして。

今日から移動は極力自転車にする事にしました。

財布にも環境にもエコですよね。

…という、映画とは関係ない私事から始めました今回の記事は、

映画「アイアン・スカイ」について書きたいと思います。




昨日のこと、せっかくの休み。

何か映画が観たいなとは思っても、外に出たくないのが中年男性の休日。

…という事で最近ちょいちょい活用している「Hulu」で、何か面白そうな映画ないかなと。

それで「人気の映画」で目についたのがこの映画「アイアン・スカイ」でした。

なんかあのポスターというか、アイコンの画には見覚えがあってクリックしてみると、

「本格的おバカSF」との紹介文。

面白い系なら気軽に観れるかという流れで決定しました。


余談ですが、「Hulu」を「Chromecast」を使ってテレビで観ているわけですが、

基本的には綺麗に映画を楽しめます。

ただ、通信速度の問題なのかサーバーの負荷の問題なのか、

時々映画が止まることがあるんですよね…読み込み中…みたいなの。

今回は映画冒頭のところで起きてしまったのですが、

これがクライマックスとかで起こったらすっごいテンション下がるだろうなぁ…と。

まぁ…そういう事も含めて、いつも言っていますが映画は映画館で観るべきなんだよ…うん…。


さて、映画「アイアン・スカイ」ですがティモ・ヴオレンソラというフィンランドの監督作品。

不勉強な私ですが、「スター・トレック」のパロディ作品「スターレック 皇帝の侵略」で、

世界中のSFファンにその名を知らしめた奇才とHuluには説明がありました。

そっちはまだ観ていないので感想は言えませんが、パロディ作品って良いですよね。

パロディをまじめに面白くするのって結構難しいと思うんですよ。

その元の作品を分析というか研究して、さらに笑いを加える。

世界中に名を知らしめたという事はきっとそっちは少なくても高評価な人がいたという事から、

きっと勉強熱心な人とか、才能がある人なんだろうな…と思う。

日本でも、もっとパロディ映画とか作られれば良いと思うんですよね。

ちょっと前にも書きましたが、テレビアニメ「おそ松さん」とか色んなパロディ要素あるじゃないですか。

…そのために第1話が観れなくなったとか、色々問題もある訳ですが、

結構今の日本の感覚だったら著作権とかの絡みは置いておきますがウケると思うんだよね。

アニメだけじゃなくて、映画というか実写でもパロディというジャンルが増えたら良いなぁ。


はい、話が脱線してしまいましたが映画「アイアン・スカイ」についてですね。

ぶっちゃけですが、「Hulu」の説明にあった「本格的おバカSF」という事前情報で観た感覚で言えば、

もっとおバカな映画だと思った。

いや、結構バカなことしてるし、バカな展開なんだけど、

観る前から勝手に「ホット・ショット」とか「スペース・ボール」とかあんな感じを予想してた。

確かに「スターレック」はパロディと書いてあったが、この映画「アイアン・スカイ」に関してはバカだけどSF映画。

ある意味、ちゃんと話が語られていた。

なので今回はパロディではなく1つのSF映画な訳だけど、

笑いの中にも鋭い政治批判が入っていたりとカリカチュアな要素たっぷり。

本来の、と言って良いか分からないけど、コメディってこういう立ち位置のジャンルだよなと、なんか納得。

「アメリカは良いのよ」って素敵なセリフだと思う。

あと、チャップリンの映画に「こんなに長い映画だったなんて」というシーンはは吹き出してしまった。

まあ、編集ってものを使うことで、見せ方というのはどうとでも出来るってことですよね。

編集恐るべし。


SF映画ではあるけど、細かい設定とかにはきっと突っ込んではいけない映画。

地球の文化よりも月の文化の方が発達しているようでしていない。

UFOとかを作る技術はあるのに、iPhoneは作れないし、

コンピューターはめちゃめちゃデカイとか。

まあ、そう言ったところも含めて味があると言えるのかも知れない。

ここら辺は真面目に考えちゃ駄目ですよ、って感覚で。


出ている役者についてですが、ハリウッド映画などではないため、

知っている名前がほとんどありませんでした。

ウド・キアはなんかどこかで…と思ったらラース・フォン・トリアー作品の常連さんだった。

それでもジェームズ・ワシントン役のクリストファー・カービイのイケてる(?)男感はハマっていた。

そもそも黒人じゃなきゃできない役でもありますが、カッコ良すぎず、ダサすぎずの絶妙なバランス。

良いですね。

アドラー役のゲッツ・オットーは「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」の敵役の人!

あ〜、言われてみればこんな人だった様な…まったく観ているときは分かりませんでしたが、

悪役ヅラですよね…何よりガタイがデカイ!

こんな男に押し倒されても反抗できないですよね。

そして何よりも!

何よりも特筆すべきはレナーテ・リヒター役のユリア・ディーツェですよね。

綺麗。

最初の方でのハッチでの下着姿などのサービスシーンもありますが、

やっぱり後半のおっぱいですよね。

まあおっぱいが出ている訳ではないですけど、あのコスチュームは良いですよね。

多分、話が微妙であってもあの姿でのユリア・ディーツェが観れたならこの映画は良いんじゃないかなって。

それぐらいに綺麗でした。


で。

じゃあ話が微妙だったのかというと、すでに書いておりますが、

笑いの中にある鋭い切れ味の風刺が良いですよね。

アメリカ批判ももちろんありますが、何より人間ってのはおろかですよねって言う。

詳しく書くとネタばれになってしまうので止めておきますが、

後半の展開は笑えない事態だけど笑える。

なんかスーパースローのシーンでおかしいのがあった気がするが…。

あと「あのUFOはわが国のものだ」と某国が発言して失笑されるシーン。

そっか、日本だけじゃなくて他の国もそういう見方をしているんだと、なんか安心した1シーンでした。

笑いながらも真剣に考えることがでてくる。

くだらないんだけど味のあるSF映画でした。


観た後で知ったのですが、結構低予算で作られた映画だそうで、

製作費のうち約1億円を一般のファンから集めたとか。

まあ低予算と言っても日本映画なんかと比べたらお金はかかっているだろうけど、

CGとか出来を見ても安っぽさは感じなかった。

作り方がうまいんだろうなぁ。


なんとこの映画「アイアン・スカイ」ですが続編が出るらしいです!

物語は20年後が舞台だそうですが、公開は2016年…今年じゃないですか!!

しかも今回はもっと凄い設定になるとか…期待ですね。

恐竜とか出るらしいのですが、あの続きでそういう展開なんだ!?っていう。



あ、そうそう。

ちゃんと映画の字幕では「ヴァルハラで会おう」ってなっていたのが、

Youtubeで観た予告編では「あの世で会おう」って字幕だった。

そこは「ヴァルハラ」にして欲しいなぁ…。


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2016年01月25日

映画「サカサマのパテマ」の感想…あ、なんと!!と思った。

そのうちに他のサイトで書いていた映画の事について書いたものも、

せっかくなのでこのブログにもってこようかなと思っています。

映画の感想は本当に人それぞれ。

同じものを観て違う感情をいだく…ということが面白いのだけど、

ただ自分と考えが違う人がいると「それ違う!」と、言いたくなるものですね。

議論が深まれば良いのだけど、結局こういうものは最終的に「好き嫌い」に到達する事が多いので、

あまり意見の違う人とどうこう言わないのがお互いの平和のためな気がします。

ただ!

映画批評家なるものについては時々思うんです。

「お金貰っててそんなこと言ってるんだ」って。

映画批評家全員が全員じゃないですよ、ある特定の人ですが。

薄いなぁ…とか、浅いなぁ…とか、観てるのうわっつらだけだなぁ…とか。

今時、よっぽど趣味でブログやってる人の映画感想の方がなるほどと思う事がある。

…まあ、このブログが「趣味でブログやってる人の映画感想」でもあるので、

あんまり言うと色々な感情が芽生えてしまいそうなので一言断りを入れておかねばなりませんね。

「少なくともこのブログはなるほどと思う事はない!」





という事で、なるほどと思わないブログの映画「サカサマのパテマ」の感想です。



が、その前に。

久しぶりのこのブログでの映画感想なので書いておきたいことがあります。

以前も書きましたが、やっぱり「映画は映画館で観るもの」だと思うのです。

監督はじめ、ほとんどの映画を作る人は映画館で観てもらうことを前提として映画を作るもの。

家のテレビで観て、またスマフォで観て…「迫力ねぇ」とか言われても、「そりゃそうだよね」としか言えないもの。


ちなみにこれもまたどこかで詳しく書きたい件ですが、

先日、レンタルDVDにて映画「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」を家で見ていたら、

オカンから映画の音がうるさい!と苦情がはいり、小音量の「ミッション・インポッシブル」。

…微妙だったなぁ…。

きっと映画館で観たら、すごい面白かったんだろうなって思うけど、

実際、家で、小音量で観てしまったため感想はなんかイマイチ…。

こんな状態で映画「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」はイマイチだった!

なんて書いたら、それは違うし駄目だと思うのね。


だから、原則として映画の感想とかは、

1、何を観たのか。

2、いつ観たのか。

3、どういう状態でみたのか。

という事は明らかにしておかないといけないと思う訳です。


で、もちろん、「劇場公開中に劇場で観た感想が一番良い」と思う。

今から昔の映画を借りてきて家で観るものもちろん悪くないし、

また今の時代からは違う感想だったりがあるとは思うけど、

先にも書いたように「作り手は劇場に合わせている」のがほとんどだから、

その感想がたぶん一番、「その映画の感想」に相応しいと思う。



ちょっと余談の話が長くなってしまいましたが、

そこまで書いて今回書く映画「サカサマのパテマ」は、

先週、家で「Hulu」を「Chromecast」を使ってテレビで観ました。

今回は家族が家にいない状態で視聴できたので音量はバッチリです!(ただのテレビスピーカーです)



さて、ここからが映画について、です。

映画「サカサマのパテマ」は2013年11月に劇場公開された、

吉浦康裕監督のアニメーション映画です。

吉浦監督といえば前作「イヴの時間」ですかね。

セル画ではなくセル画風のCGにて綺麗な映像のアニメーション。

劇場版のアニメって新海誠監督作品もそうだけど、綺麗なもの多いですよね。

絵心のない自分にとっては1枚の綺麗な画が出ただけでも、すげーって思ってしまう。



今回の映画「サカサマのパテマ」もバリバリの3Dアニメではなく、

セル画アニメ風ではあるが3D技術があるからできる見せ方みたいなものもある。

やっぱり画は綺麗。

どれだけCGの技術が発達しても、アニメーションの根幹の部分はアナログ。

あんな綺麗な画がかけるってすげー、と今回も思いました。


ストーリーは地下生活をしている集団の中にパテマという女の子がいて、

今の自分のいる世界から外への憧れをいだいている。

一方、システム化された世の中に疑問をいだく男の子エイジ。

この二人がふとした出来事で出会うのだが、お互いにサカサマの状態だった。

というのが物語りの始まり、かな。


映画というか物語において、「リアリティーラインはどこなのか?」は非常に大切。

あれ、「リアリティーライン」の使い方ってあってるかな?

ここでは「この線を超えると、そりゃねーよ!って思っちゃう基準」で使ってます。

例えば、物語の序盤で魔法とかを普通に使う描写があれば、

「ああこの世界では魔法が使えるんだ」と観てる人は思う訳だから、

その後に魔法を使っていても違和感はないんだけど、

ずっと現実世界の感覚で観ていた映画がクライマックスで魔法とか使われたら、

それはちょっと…とか思っちゃうと一気に冷めちゃう…そんな感じの基準ね。


それぞれ物語で、特にファンタジーなんてのはこのラインをどこに引くかが大事。

今回は人(物)によっては重力が逆に働いてるということが、

受け入れれるか、そりゃ無理があると思うか。

つきつめていけば破綻なんて簡単にすると思うこの設定。

しかし「この世界ではそういうことが起こりうる」と納得すれば面白い作品だと思う。

自分は全然楽しめました。

そんなバランスの設定なので、乗れない人がいてもおかしくはないのかなと。

途中でパテマが劇中で言ってるのだが、

これを食べれば体重が減るのかな、という趣旨の言葉。

そういうことになってくよね…。

作り手も分かってていれた1シーンだとは思う。

だから、その設定に関して「それはない」と言ってしまえばそこまでの危うさはある。


しかしながら、終盤にある「ある種のどんでん返し」は「なるほど」と思った。

あんまりネタバレはないほうが楽しめる作品なので、なにとは詳しく書きませんが簡単に言うと「サカサマ」という状態。

自分から見れば相手が「サカサマ」なのだが、もちろん相手から見れば自分が「サカサマ」なのだ。

人は自分から見た物の価値観で考えてしまうので、自分から見て「相手がサカサマ」と思ってしまう。

「相手がおかしい」のだと。

その価値観が一瞬にして変わった場合、「自分(自分たち)がおかしいのか」と。

予期せぬ出来事にて価値観がコロっと変わること、人生でもありますよね。

まあ、そういう事ですかね。

2回、「おっ!」っていう事がある訳ですが、

最初の「おっ!」ってのは「こういう展開ね〜」って感じだけど、

2回目の「おっ!」は、「あ、つまりはそういう事か」ってなるわけで。

うまい展開だと思う。

ただ、やっぱりこの「サカサマ」というシチュエーションが観る人の受け止め方は色々ありそう。


1つ思うのは、とりあえずめでたしめでたしという感じで物語は終わる訳だけど、

状態としてはパテマとエイジはお互いにサカサマのまま。

仲間の失恋した〜みたいなものを入れているけど、

明らかにこの状態では恋仲にはなれないよなぁ…と、思ってしまう。

「サカサマ」というものが「相容れない存在」というメタファーであるなら、

それはなんらかの解決方法がないといけないような。

ただ、「相容れない存在とも分かり合える」という程度であれば問題はないのかな。

うーん。

だから、あの失恋した感じの彼はまだチャンスはある!


というわけで、なんか大半は映画「サカサマのパテマ」とは関係ない話を書いてる気がするけど、

家のテレビで観ても面白かったと思います。

やっぱ映画は劇場でみないとね…。


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2015年03月25日

映画「宇宙人東京に現わる」を観た感想…約60年前とは思えない。

こあみ卒業公演の記事は未だに書けず…うぅ…。

さてさて、今日は島耕二監督の映画「宇宙人東京に現わる」を観ました。



Youtubeにはまさかの本編がアップされていました…恐るべし時代。

しかも英語じゃん…この映画は海外にも出ていたのね。


実は「デアゴスティーニ」の「大映特撮映画DVDコレクション」を定期購読しているという…。

もちろん、初代の「ガメラ」とかは自分の親の世代なので、自分はリアルタイムで観てはいない。

子供の頃になんかテレビで「大魔神」とかやっていた様な…という感じ。


しかも今回観た映画「宇宙人東京に現わる」は劇場公開は1956年。

なんと今から59年も昔…およそ60年。

またその話は後でも書きたいのですが、60年前でこのクオリティは凄いなと…。


という訳で、デアゴスティーニから隔週で大映特撮映画が家に届いているわけですが、

なかなか観られていないのが現状。

逆に、DVDで家にあると「いつでも観れる」と思って、なかなか観ていないものだったりする。


もう15本ぐらい届いているのですが、

実は観たDVDは初代の「ガメラ」と「首都消失」、そして「宇宙人東京に現わる」の3本だけだったり。

…時間が出来たら一気にみたいと思ってるんですけどね…なかなか…。

ちなみに映画「首都消失」も今日観たので、実質今まで「ガメラ」しか観てなかったのであった…。

そう、映画「首都消失」についても書きたいところだけど、

「宇宙人東京に現わる」とどっちを書こうかなと思ったら、

やっぱり「宇宙人東京に現わる」の方が60年も昔の映画という事を考えると、

こっちの方を先に書きたいなあと。



という事で島耕二監督の映画「宇宙人東京に現わる」の感想です。

…どうでも良いんだけど、パソコンで「あらわる」を変換すると「現る」になって、

わざわざ「わ」を追加して「現わる」とするのが若干面倒だったりする…。


やっぱ何よりも特質すべきは1956年の映画なのに「カラー」という事だろう。

デアゴスティーニの資料にも「日本初のカラーSF特撮映画」との事。

この映画の9年後に公開された、同じ大映映画の初代「ガメラ」ですらモノクロだった訳だから、

ほとんどノウハウというものが無い中での制作だったと思われる。

それでも、色彩指導に岡本太郎を招いているのもあり、

画面の色は効果的かつ印象的に使われている。

特に新天体Rが地球に接近しているときの建物の外から入る「赤」の感じとか。

モノクロが主流の中で、こういう演出はまだまだ未開の領域だったのではないかなと思うと、

この映画の製作スタッフの努力というのか製作に対しての熱量は、しっかりと作品に表れている。


もちろん、今の時代に見たらパイラ人なんかは滑稽に見えてしまうが、

ハリウッド映画とかの高精なCGを駆使した映像ならいざしらず、

微妙なクオリティのCGを使うぐらいなら、これぐらいの方が頑張ってる感がある気がする。

というか、ミニチュアの町が壊れる特撮の醍醐味については、

CGでは出せない味がある…もうこういう映画は作れないんだろうなあ…。

話は全然違うけど、特撮がなくならないためにも仮面ライダーや戦隊ヒーロー物には、

これからも頑張ってもらわないとなあ…ウルトラマンもね。


話としては、日本の各地で未確認飛行物体が目撃され、

さらには奇妙な生物までもが目撃されることが何件もおきる。

実はその生物はパイラ人。

パイラ人は地球に新天体Rが衝突する危機を伝えにきているのだが、

そのヒトデの様な容姿から、人間はパイラ人を恐れて話ができる状態ではなかった…。

果たして地球は危機を回避できるのか!?

という話。


ストーリーとしては、今ではありがちと言うか何回も見た事あるとも言えるかもしれないが、

1956年だったら、ちょうどその時というか、

UFOとか多くの人の興味を引く題材だったんだろうなあ。

そのような事もデアゴスティーニの資料に書いてあったが、

なにせ、当時自分がまだ生まれていなかったので、

実際の日本国民の感覚は分からないもので…。


それでも今見ても全然通用する映画。

特に終盤の洪水が押し寄せてくるところとかは、

迫力がある映像に仕上がっている。


ただ昔の映画を観てたまに思うのが、

「事件が解決したらオールオッケー」みたいな展開。

えっ、あの件はどうなったの?とか、

いや、あいつはお咎めなしか、とか。

昔の人の感覚とは違うのかな…?

今時は後日談みたいなものがあるのが基本な気がする。

もちろん、話が終わった後をだらだらとされても面白くはないけど、

事件が終わったらさくっと映画も終わるのもなあ…。

これはこれで時代かな。


日本映画の勉強をする際に、

もちろん縦軸だけがすべてではなく、

ハリウッド映画などの海外映画、それ以外にも世界情勢とか、

横軸も勉強しなくてはいけないのだが、

やはり昔の日本映画を観るのは面白い。


本当、いっぱい大映映画が届いているので観たいんだけどね…。

なかなか…。


それにこあみ卒業公演も…。


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posted by マツゥオコアトル at 18:12| 映画

2015年03月04日

映画「間宮兄弟」を観た感想…好きだなあ。

森田芳光監督の映画「間宮兄弟」を観た感想。

こう言う映画、昔は確かに退屈に感じたけど、今は好きだなあと。




森田芳光監督作品と言えば、自分が好きな映画はなんと言っても映画「家族ゲーム」。

あの独特な雰囲気は衝撃的でした。

主演の松田優作の怪演と、不思議で印象的なラスト。

書き始めると「家族ゲーム」の感想だけでも長くなってしまうので、

またそれは別の機会に。


多くの映画の監督をしていて、好きな映画は多いが、

映画「模倣犯」は当時劇場で観たけど、あれは…イマイチだった…。


さて、今回観た映画「間宮兄弟」の感想ですが、

2006年公開で森田芳光の作品の中では後期のものになります。

なぜ、「今になって間宮兄弟」なのか、そしてなぜ「今まで間宮兄弟を観てなかった」のか。

自分の話になって申し訳ないのですが、

一時期、自分の中で映画は「洋画の方が面白い」という時期がありました。

例えば映像技術でいったらハリウッド映画の方が凄い…迫力が違う。

…単純に言えば、かかっているお金(人手や時間も含む)が違う。

そして一番の原因が日本の映画に出る俳優が、なんか魅力的に見えなくなった。

例えば先ほど書いたイマイチだったなっていう映画「模倣犯」は、

主演がスマップの中居正広じゃなかったら、もっと違った印象だったんじゃないかとか。

なんか一時期、一部の俳優が演技してても入り込めないというか…。


そんな時期がありまして、映画「間宮兄弟」ですが、

主演が佐々木蔵之介とドランクドラゴンの塚地武雅。

ドランクドラゴンの塚地が嫌い、とか、そんな訳じゃないんだけど、

ああ主演は芸人なんだ…って思ったら観にいこうって気持ちがあまりわかず…。


今はほとんどそんな事は思わないんですけどね。

そんな時期があって、この映画「間宮兄弟」はスルーしてしまってた訳です。


佐々木蔵之介演じる間宮兄弟の兄の間宮明信と、

ドランクドラゴン塚地演じる弟の間宮徹信のライフスタイルというか、

仲良しの間宮兄弟の人柄を紹介しながら、

憧れの女性に対しての恋模様を映し出す映画。


一番初めに書いたのですが、最近こうゆう映画好きだなと思う様になってきた。

こうゆう映画というのは、「何か普段の生活から乖離した事件、トラブルが起きる」のではなく、

「普段の生活の中に起こりうる事象」で作られた映画。

ちょっと前に感想を書いた映画「もらとりあむタマ子」もその中の1つとして観ています。

でもあれは前に書いたみたいにあっちゃんの魅力が強すぎて、アイドル映画に見えてしまうけど…。



さてさて、映画「間宮兄弟」ですが、そんな訳で、「すごい何かが起きる」映画ではありません。

日々の中で、兄弟で映画を観て楽しんだり、女の子を誘うのにドキドキしたり、

誘いが成功して喜んだり、失恋して悲しんだり…。

そんな誰にでもありうる、毎日の波の上がり下がり。


でも、思うんですよね、特に最近。

歳をとったせいか、そういうちょっとしたことに喜んだり悲しんだりする方が、

感情移入ができるんですよね…。


自分の人生は魔法も使えないし、タイムスリップできないし、

宇宙人襲ってもこないし…襲ってきたら困るが。


もちろん、今でもそういうストーリーは好きだし、冒険とかにも憧れる。


でも、それだけじゃなくて、平坦な毎日の中にも感動できることってのはある、

という事に気づいた…のかな。

一昔前は「映画なんだから現実には起きない事をみせて欲しい」という気持ちもあった。

今でもそう思うこともあるけど、「それだけじゃない」という事。


自分の事を多く書いてしまいましたが、

映画の感想としましては「好き」です。


面白いか?、と言われると、面白いんだけど、

腹を抱えて笑うとかそういう面白さじゃなくて、

どっちかというと「ニヤッ」とか「フッ」っていう笑い。


ドランクドラゴンの塚地が主演だったのが観てない1つの原因…と書いてますけど、

実際映画を観たら違和感はありませんでした、俳優として。

佐々木蔵之介と兄弟と言われた場合の違和感は、ない、と言ったら嘘だけど。

母が中島みゆきなのですが、いったい父親はどんな顔だったのだろうか…。

実際、そういう事は上映中はあまり気にせず観れましたけど。


始まりのシーンと終わりのシーンをみせることで、

きっとこの映画でみせている様なことは前にもあったんだろうなって思わせてくれる。

間宮兄弟の相変わらずな毎日は続いていく…と。


間宮兄弟のキャラクターはすごく立っているし愛らしいので、

ずっと間宮兄弟はこんな感じでいて欲しいって思う気持ちと、

いや、でももう30も超えて成長がないってのはどうなのかって気持ちが自分の中にある。

間宮兄弟は間宮兄弟でいてほしいけども…。

例えば先にも書いた映画「もらとりあむタマ子」は、わずかながらも成長があり、

今の状況から1歩を踏み出そうとする感じがある。

やっぱ主人公がなにかしらの事件を経て成長するのが感動につながると思うのだが…。

うーん…でも…この2人はこのままでいてほしい…。

なぜ主人公じゃなくて観てる自分が葛藤してるのか(笑)

そんなけ考えさせてくれるほど間宮兄弟に思い入れをさせているので、

映画としてありなのかな、という現状の結論。


あと、これだけは言っておかなければいけない。

沢尻エリカ演じる本間直美、可愛い。

昔、レンタルビデオ屋でアルバイトしてたことあるけど、あんな子はいなかったよ!

北川景子も常盤貴子も綺麗なんだけど、

やっぱ沢尻エリカは違うは…いや、好みの問題かもしれないが。

ほんとあんなかわいい子が、他に女性がくるとしても、

男しかいない家にいかないだろう…というか、いっちゃダメ!


まあそんなけ間宮兄弟の魅力があるという事にしておこう。


終盤の葛原依子の展開は、コレあるわ〜って。

奇しくも沢尻エリカ主演の「シュガー&スパイス」を思い出した。

ほんとモテない男って辛いなあ。

そう、あとモテない男に北川景子が後ろから抱きついたらダメ!

勘違いするから!!

勘違いしないでって言う方が間違いだから!!


…って言うね。



色んなタイプの映画があると思う。

「淡々とした生活」を映してはいるのだけど、

現実味があるかと言ったら、そうではない。

でも、これじゃあリアリティがない!と言ってダメな映画だというものでもない。

ある意味、不思議なバランスの映画だと思う。


だいたいの映画は、そりゃないでしょって思っただけで、

急に入り込めなくなる映画がなんだけどね。



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posted by マツゥオコアトル at 17:19| 映画
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思いついた事を羅列。 映画「DETH FOREST 恐怖の森2」みたいなくだらない映画が凄い好き。 映画の感想は基本的にネタバレなしを心掛けています。
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