2016年01月25日
映画「サカサマのパテマ」の感想…あ、なんと!!と思った。
そのうちに他のサイトで書いていた映画の事について書いたものも、
せっかくなのでこのブログにもってこようかなと思っています。
映画の感想は本当に人それぞれ。
同じものを観て違う感情をいだく…ということが面白いのだけど、
ただ自分と考えが違う人がいると「それ違う!」と、言いたくなるものですね。
議論が深まれば良いのだけど、結局こういうものは最終的に「好き嫌い」に到達する事が多いので、
あまり意見の違う人とどうこう言わないのがお互いの平和のためな気がします。
ただ!
映画批評家なるものについては時々思うんです。
「お金貰っててそんなこと言ってるんだ」って。
映画批評家全員が全員じゃないですよ、ある特定の人ですが。
薄いなぁ…とか、浅いなぁ…とか、観てるのうわっつらだけだなぁ…とか。
今時、よっぽど趣味でブログやってる人の映画感想の方がなるほどと思う事がある。
…まあ、このブログが「趣味でブログやってる人の映画感想」でもあるので、
あんまり言うと色々な感情が芽生えてしまいそうなので一言断りを入れておかねばなりませんね。
「少なくともこのブログはなるほどと思う事はない!」
という事で、なるほどと思わないブログの映画「サカサマのパテマ」の感想です。
が、その前に。
久しぶりのこのブログでの映画感想なので書いておきたいことがあります。
以前も書きましたが、やっぱり「映画は映画館で観るもの」だと思うのです。
監督はじめ、ほとんどの映画を作る人は映画館で観てもらうことを前提として映画を作るもの。
家のテレビで観て、またスマフォで観て…「迫力ねぇ」とか言われても、「そりゃそうだよね」としか言えないもの。
ちなみにこれもまたどこかで詳しく書きたい件ですが、
先日、レンタルDVDにて映画「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」を家で見ていたら、
オカンから映画の音がうるさい!と苦情がはいり、小音量の「ミッション・インポッシブル」。
…微妙だったなぁ…。
きっと映画館で観たら、すごい面白かったんだろうなって思うけど、
実際、家で、小音量で観てしまったため感想はなんかイマイチ…。
こんな状態で映画「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」はイマイチだった!
なんて書いたら、それは違うし駄目だと思うのね。
だから、原則として映画の感想とかは、
1、何を観たのか。
2、いつ観たのか。
3、どういう状態でみたのか。
という事は明らかにしておかないといけないと思う訳です。
で、もちろん、「劇場公開中に劇場で観た感想が一番良い」と思う。
今から昔の映画を借りてきて家で観るものもちろん悪くないし、
また今の時代からは違う感想だったりがあるとは思うけど、
先にも書いたように「作り手は劇場に合わせている」のがほとんどだから、
その感想がたぶん一番、「その映画の感想」に相応しいと思う。
ちょっと余談の話が長くなってしまいましたが、
そこまで書いて今回書く映画「サカサマのパテマ」は、
先週、家で「Hulu」を「Chromecast」を使ってテレビで観ました。
今回は家族が家にいない状態で視聴できたので音量はバッチリです!(ただのテレビスピーカーです)
さて、ここからが映画について、です。
映画「サカサマのパテマ」は2013年11月に劇場公開された、
吉浦康裕監督のアニメーション映画です。
吉浦監督といえば前作「イヴの時間」ですかね。
セル画ではなくセル画風のCGにて綺麗な映像のアニメーション。
劇場版のアニメって新海誠監督作品もそうだけど、綺麗なもの多いですよね。
絵心のない自分にとっては1枚の綺麗な画が出ただけでも、すげーって思ってしまう。
今回の映画「サカサマのパテマ」もバリバリの3Dアニメではなく、
セル画アニメ風ではあるが3D技術があるからできる見せ方みたいなものもある。
やっぱり画は綺麗。
どれだけCGの技術が発達しても、アニメーションの根幹の部分はアナログ。
あんな綺麗な画がかけるってすげー、と今回も思いました。
ストーリーは地下生活をしている集団の中にパテマという女の子がいて、
今の自分のいる世界から外への憧れをいだいている。
一方、システム化された世の中に疑問をいだく男の子エイジ。
この二人がふとした出来事で出会うのだが、お互いにサカサマの状態だった。
というのが物語りの始まり、かな。
映画というか物語において、「リアリティーラインはどこなのか?」は非常に大切。
あれ、「リアリティーライン」の使い方ってあってるかな?
ここでは「この線を超えると、そりゃねーよ!って思っちゃう基準」で使ってます。
例えば、物語の序盤で魔法とかを普通に使う描写があれば、
「ああこの世界では魔法が使えるんだ」と観てる人は思う訳だから、
その後に魔法を使っていても違和感はないんだけど、
ずっと現実世界の感覚で観ていた映画がクライマックスで魔法とか使われたら、
それはちょっと…とか思っちゃうと一気に冷めちゃう…そんな感じの基準ね。
それぞれ物語で、特にファンタジーなんてのはこのラインをどこに引くかが大事。
今回は人(物)によっては重力が逆に働いてるということが、
受け入れれるか、そりゃ無理があると思うか。
つきつめていけば破綻なんて簡単にすると思うこの設定。
しかし「この世界ではそういうことが起こりうる」と納得すれば面白い作品だと思う。
自分は全然楽しめました。
そんなバランスの設定なので、乗れない人がいてもおかしくはないのかなと。
途中でパテマが劇中で言ってるのだが、
これを食べれば体重が減るのかな、という趣旨の言葉。
そういうことになってくよね…。
作り手も分かってていれた1シーンだとは思う。
だから、その設定に関して「それはない」と言ってしまえばそこまでの危うさはある。
しかしながら、終盤にある「ある種のどんでん返し」は「なるほど」と思った。
あんまりネタバレはないほうが楽しめる作品なので、なにとは詳しく書きませんが簡単に言うと「サカサマ」という状態。
自分から見れば相手が「サカサマ」なのだが、もちろん相手から見れば自分が「サカサマ」なのだ。
人は自分から見た物の価値観で考えてしまうので、自分から見て「相手がサカサマ」と思ってしまう。
「相手がおかしい」のだと。
その価値観が一瞬にして変わった場合、「自分(自分たち)がおかしいのか」と。
予期せぬ出来事にて価値観がコロっと変わること、人生でもありますよね。
まあ、そういう事ですかね。
2回、「おっ!」っていう事がある訳ですが、
最初の「おっ!」ってのは「こういう展開ね〜」って感じだけど、
2回目の「おっ!」は、「あ、つまりはそういう事か」ってなるわけで。
うまい展開だと思う。
ただ、やっぱりこの「サカサマ」というシチュエーションが観る人の受け止め方は色々ありそう。
1つ思うのは、とりあえずめでたしめでたしという感じで物語は終わる訳だけど、
状態としてはパテマとエイジはお互いにサカサマのまま。
仲間の失恋した〜みたいなものを入れているけど、
明らかにこの状態では恋仲にはなれないよなぁ…と、思ってしまう。
「サカサマ」というものが「相容れない存在」というメタファーであるなら、
それはなんらかの解決方法がないといけないような。
ただ、「相容れない存在とも分かり合える」という程度であれば問題はないのかな。
うーん。
だから、あの失恋した感じの彼はまだチャンスはある!
というわけで、なんか大半は映画「サカサマのパテマ」とは関係ない話を書いてる気がするけど、
家のテレビで観ても面白かったと思います。
やっぱ映画は劇場でみないとね…。
せっかくなのでこのブログにもってこようかなと思っています。
映画の感想は本当に人それぞれ。
同じものを観て違う感情をいだく…ということが面白いのだけど、
ただ自分と考えが違う人がいると「それ違う!」と、言いたくなるものですね。
議論が深まれば良いのだけど、結局こういうものは最終的に「好き嫌い」に到達する事が多いので、
あまり意見の違う人とどうこう言わないのがお互いの平和のためな気がします。
ただ!
映画批評家なるものについては時々思うんです。
「お金貰っててそんなこと言ってるんだ」って。
映画批評家全員が全員じゃないですよ、ある特定の人ですが。
薄いなぁ…とか、浅いなぁ…とか、観てるのうわっつらだけだなぁ…とか。
今時、よっぽど趣味でブログやってる人の映画感想の方がなるほどと思う事がある。
…まあ、このブログが「趣味でブログやってる人の映画感想」でもあるので、
あんまり言うと色々な感情が芽生えてしまいそうなので一言断りを入れておかねばなりませんね。
「少なくともこのブログはなるほどと思う事はない!」
という事で、なるほどと思わないブログの映画「サカサマのパテマ」の感想です。
が、その前に。
久しぶりのこのブログでの映画感想なので書いておきたいことがあります。
以前も書きましたが、やっぱり「映画は映画館で観るもの」だと思うのです。
監督はじめ、ほとんどの映画を作る人は映画館で観てもらうことを前提として映画を作るもの。
家のテレビで観て、またスマフォで観て…「迫力ねぇ」とか言われても、「そりゃそうだよね」としか言えないもの。
ちなみにこれもまたどこかで詳しく書きたい件ですが、
先日、レンタルDVDにて映画「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」を家で見ていたら、
オカンから映画の音がうるさい!と苦情がはいり、小音量の「ミッション・インポッシブル」。
…微妙だったなぁ…。
きっと映画館で観たら、すごい面白かったんだろうなって思うけど、
実際、家で、小音量で観てしまったため感想はなんかイマイチ…。
こんな状態で映画「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」はイマイチだった!
なんて書いたら、それは違うし駄目だと思うのね。
だから、原則として映画の感想とかは、
1、何を観たのか。
2、いつ観たのか。
3、どういう状態でみたのか。
という事は明らかにしておかないといけないと思う訳です。
で、もちろん、「劇場公開中に劇場で観た感想が一番良い」と思う。
今から昔の映画を借りてきて家で観るものもちろん悪くないし、
また今の時代からは違う感想だったりがあるとは思うけど、
先にも書いたように「作り手は劇場に合わせている」のがほとんどだから、
その感想がたぶん一番、「その映画の感想」に相応しいと思う。
ちょっと余談の話が長くなってしまいましたが、
そこまで書いて今回書く映画「サカサマのパテマ」は、
先週、家で「Hulu」を「Chromecast」を使ってテレビで観ました。
今回は家族が家にいない状態で視聴できたので音量はバッチリです!(ただのテレビスピーカーです)
さて、ここからが映画について、です。
映画「サカサマのパテマ」は2013年11月に劇場公開された、
吉浦康裕監督のアニメーション映画です。
吉浦監督といえば前作「イヴの時間」ですかね。
セル画ではなくセル画風のCGにて綺麗な映像のアニメーション。
劇場版のアニメって新海誠監督作品もそうだけど、綺麗なもの多いですよね。
絵心のない自分にとっては1枚の綺麗な画が出ただけでも、すげーって思ってしまう。
今回の映画「サカサマのパテマ」もバリバリの3Dアニメではなく、
セル画アニメ風ではあるが3D技術があるからできる見せ方みたいなものもある。
やっぱり画は綺麗。
どれだけCGの技術が発達しても、アニメーションの根幹の部分はアナログ。
あんな綺麗な画がかけるってすげー、と今回も思いました。
ストーリーは地下生活をしている集団の中にパテマという女の子がいて、
今の自分のいる世界から外への憧れをいだいている。
一方、システム化された世の中に疑問をいだく男の子エイジ。
この二人がふとした出来事で出会うのだが、お互いにサカサマの状態だった。
というのが物語りの始まり、かな。
映画というか物語において、「リアリティーラインはどこなのか?」は非常に大切。
あれ、「リアリティーライン」の使い方ってあってるかな?
ここでは「この線を超えると、そりゃねーよ!って思っちゃう基準」で使ってます。
例えば、物語の序盤で魔法とかを普通に使う描写があれば、
「ああこの世界では魔法が使えるんだ」と観てる人は思う訳だから、
その後に魔法を使っていても違和感はないんだけど、
ずっと現実世界の感覚で観ていた映画がクライマックスで魔法とか使われたら、
それはちょっと…とか思っちゃうと一気に冷めちゃう…そんな感じの基準ね。
それぞれ物語で、特にファンタジーなんてのはこのラインをどこに引くかが大事。
今回は人(物)によっては重力が逆に働いてるということが、
受け入れれるか、そりゃ無理があると思うか。
つきつめていけば破綻なんて簡単にすると思うこの設定。
しかし「この世界ではそういうことが起こりうる」と納得すれば面白い作品だと思う。
自分は全然楽しめました。
そんなバランスの設定なので、乗れない人がいてもおかしくはないのかなと。
途中でパテマが劇中で言ってるのだが、
これを食べれば体重が減るのかな、という趣旨の言葉。
そういうことになってくよね…。
作り手も分かってていれた1シーンだとは思う。
だから、その設定に関して「それはない」と言ってしまえばそこまでの危うさはある。
しかしながら、終盤にある「ある種のどんでん返し」は「なるほど」と思った。
あんまりネタバレはないほうが楽しめる作品なので、なにとは詳しく書きませんが簡単に言うと「サカサマ」という状態。
自分から見れば相手が「サカサマ」なのだが、もちろん相手から見れば自分が「サカサマ」なのだ。
人は自分から見た物の価値観で考えてしまうので、自分から見て「相手がサカサマ」と思ってしまう。
「相手がおかしい」のだと。
その価値観が一瞬にして変わった場合、「自分(自分たち)がおかしいのか」と。
予期せぬ出来事にて価値観がコロっと変わること、人生でもありますよね。
まあ、そういう事ですかね。
2回、「おっ!」っていう事がある訳ですが、
最初の「おっ!」ってのは「こういう展開ね〜」って感じだけど、
2回目の「おっ!」は、「あ、つまりはそういう事か」ってなるわけで。
うまい展開だと思う。
ただ、やっぱりこの「サカサマ」というシチュエーションが観る人の受け止め方は色々ありそう。
1つ思うのは、とりあえずめでたしめでたしという感じで物語は終わる訳だけど、
状態としてはパテマとエイジはお互いにサカサマのまま。
仲間の失恋した〜みたいなものを入れているけど、
明らかにこの状態では恋仲にはなれないよなぁ…と、思ってしまう。
「サカサマ」というものが「相容れない存在」というメタファーであるなら、
それはなんらかの解決方法がないといけないような。
ただ、「相容れない存在とも分かり合える」という程度であれば問題はないのかな。
うーん。
だから、あの失恋した感じの彼はまだチャンスはある!
というわけで、なんか大半は映画「サカサマのパテマ」とは関係ない話を書いてる気がするけど、
家のテレビで観ても面白かったと思います。
やっぱ映画は劇場でみないとね…。
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