PRESIDENT Onlineに指揮者大友直人氏の『クラシックが「アニメの題材」になる皮肉な理由』という記事が掲載されている。
参考:クラシックが「アニメの題材」になる皮肉な理由
https://president.jp/articles/-/32061
大友氏は”クラシックがかつてのような輝きを失ってしまった理由は、「受け手との一体感」という原点を見失った、あるいは、そうした視点を軽んじてきてしまったからなのではないか”と書いている。
私自身子供の頃はクラシックを退屈な音楽で聴く気にならなかった。しかし大人になりオーディオ試聴ディスクとして高音質や名盤ディスクとして接することが多くなったことでクラシックを聴くようになり今では楽しんでいる。
クラシック音楽が一般受けしないのは、何事も忙しなく高速で進む現代社会において楽曲の演奏時間が長すぎるからではないかと思っている。クラシックが流行音楽として王族や貴族に親しまれていた中世と現代では時間感覚が大きく違い過ぎるのだ。一楽章5分前後でないとまともに聴いてもらえない、そんな生活リズムの中で現代人は生きている様に思う。
また映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中でも同名楽曲の長さがラジオ向きでないとシングル化で上層部ともめる場面があったが、実際クラシックは一般的なラジオ番組向きでない演奏時間だ。現代マスメディアを活かせないのではビジネスとして成功させるのは難しい。
また学校の「音楽」という授業で接する為、どうしても退屈で面白くないという第一印象が付いてしまう。もっとクラシックは楽しい娯楽音楽だと知ってもらう為、映画『アマデウス』『不滅の恋/ベートーヴェン』『のだめカンタービレ』を鑑賞し、まず興味を持ってもらうことから始めるべきだろう。
私自身、子供の頃にこういった映画を観ていればもっと真面目に音楽の授業を受けていただろうにと思う。クラシックが輝きを取り戻す手段はまだ色々とありそうだ。