『鬼灯の冷徹』や『ドラゴンボール』でも閻魔大王は地獄を治める主として登場する有名キャラクターだ。では地獄はいつ出来たのだろうか?学校で教わった世界史と倫理公民程度の知識しかない私が無い知恵を振り絞って考えてみた。
キリスト教や仏教でも地獄の存在が語られているのでキリスト教誕生の2000年前、仏教誕生の2450年前には天国と対になる場所として存在していたことになる。
紀元前3200年頃の古代エジプトでは死者復活を信じミイラが作られていたので、この頃には天国という概念は無かったのだろう。日本でも紀元前4000年頃まで続いた縄文時代の死者が住居の近くに屈葬されていたのは現世への輪廻転生を信じられていた為と言う説をNHKテレビで観た記憶がある。
つまり紀元前3200年から紀元前450年の間に天国と地獄が建設されたことになる。この間に人類史上何があったのだろうか?
農耕が本格的に行われ蓄えが生じることで、徐々に人々の間に貧富の差が生じ、ついには身分に大きな差が付くことになった。貧困層の不満を解消させる為、現世で良い思いをしている権力者達も悪いことをすれば地獄に落ち苦しむという話が作られると同時に、貧しくても正直者は死後の救いとして天国に行けると話が語られるようになったと想像する。
多分権力者達がこの様な民間伝承を治安維持に利用したことで、後々の宗教誕生時に自然と天国と地獄の設定が取り込まれていったのだ。こう考えると貧民の恨み解消の為地獄が先に建設され、のち救い場所として天国が必要になった筈だ。
こんなことを考えたのは以前NHKで『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』の再放送を観たからだ。2年前の世界的なベストセラーを今頃知るという自分の勉強不足を恥じるばかりだが、久々に知的興奮を味わった番組だ。
参考:BS1スペシャル▽“衝撃の書”が語る人類の未来〜サピエンス全史/ホモ・デウス
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/3115510/index.html
宗教戦争の原因となる一神教が主流となっているのは何故なのか?宗教は人を救うのではなく不幸にしているのではないかと疑問を感じていたが、この本の中で国家と言う巨大な集団をまとめるために必要なフィクションだったと説明され納得してしまった。そうであれば多神教が勝てる筈もない。
何かと話題の10連休に原作本を読んでみたくなった。
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