2017年11月16日
七五三の想い出
七五三の記憶・・・
それは自分が子供の頃の記憶と
自分の子供たちの七五三の記憶。
そのどちらも懐かしい。
兄姉・・・自分の三人兄姉弟だったこともあり、
毎年のように連続して千歳飴にありつける時期があった。
幼い頃は年に一度の恒例行事のように感じていた。
千歳飴だけが目当てだった。
小学生になって気付いた頃には
もう二度と七五三は来ないことを知った。
千歳飴がとても恋しくなった。
やがて子供を授かり、七五三の対象年齢を迎えた時
物凄く懐かしくて、言いようのない感動を覚えた。
自分の子供が七五三を迎える日が来るとは・・・
どことなく時の早さを実感していた。
あの時、自分と同じく二十数年ぶりに七五三というイベントを迎えた母。
我が第一子である娘の記念すべき七五三を迎えた時
既に父は脳梗塞で倒れていた。
だから、父は七五三参りに参加することは出来なかった。
第二子の息子の時も同様だった。
共に母が居てくれた。
若くて綺麗な母親は健在だった。
子供の頃の・・・自分の七五三の記憶には母が浮かばない。
しかしながら、我が子たちの七五三の記憶の中には母が居る。
服装も思い出せる。
七五三を迎えた幸せそうな家族連れを見ると
あの日の自分たちと重ねる。
ちょっぴり幸せな気持ちを分けてもらえる瞬間でもある。
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それは自分が子供の頃の記憶と
自分の子供たちの七五三の記憶。
そのどちらも懐かしい。
兄姉・・・自分の三人兄姉弟だったこともあり、
毎年のように連続して千歳飴にありつける時期があった。
幼い頃は年に一度の恒例行事のように感じていた。
千歳飴だけが目当てだった。
小学生になって気付いた頃には
もう二度と七五三は来ないことを知った。
千歳飴がとても恋しくなった。
やがて子供を授かり、七五三の対象年齢を迎えた時
物凄く懐かしくて、言いようのない感動を覚えた。
自分の子供が七五三を迎える日が来るとは・・・
どことなく時の早さを実感していた。
あの時、自分と同じく二十数年ぶりに七五三というイベントを迎えた母。
我が第一子である娘の記念すべき七五三を迎えた時
既に父は脳梗塞で倒れていた。
だから、父は七五三参りに参加することは出来なかった。
第二子の息子の時も同様だった。
共に母が居てくれた。
若くて綺麗な母親は健在だった。
子供の頃の・・・自分の七五三の記憶には母が浮かばない。
しかしながら、我が子たちの七五三の記憶の中には母が居る。
服装も思い出せる。
七五三を迎えた幸せそうな家族連れを見ると
あの日の自分たちと重ねる。
ちょっぴり幸せな気持ちを分けてもらえる瞬間でもある。
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