2021年07月01日

朝の声出し

中学校の朝の会が元気だ。
各クラスの声出しがすごい。

「中学校全クラスが元気に声を出せるのは、開校以来ですよね。」
私は、学年主任にそう話しかけた。

彼は、そのきっかけを作った今の中3を指導したのだ。

中3から中2が感化され、中3を見学した中1が、さらに元気よくなり、その刺激を受けた中2が更に頑張って…、という具合にお互い刺激し合って、今の状況ができている。

「声を出せ」と言われて出す声はホンモノではない。
野球部内にも声の出せない選手がいるが、彼等であっても、教室では声を出している。
要は、野球のプレーに自信が持てないのだろう。

そんな風だから、驚いているのが高校生。
「俺たちが中学のときは、こんなんじゃなかった…。」
と最初は思っていたが、だんだんと感化され、先日は、高校生が中学生の朝の会に見学に来た。

もはや学校中を巻き込むような、一大イベントになりつつあるようだ。

だが、冷静に考えれば、これでやっと公立中学校の基準。

それでも、大人しく、人見知りの内弁慶な生徒たちの多い私の学校でも、何かが変わろうとしているようでもある。

もちろんクラスの中には、周りから「声を出せ!」と言われる生徒もいるが、彼等も、徐々に声が出てくるのである。

大声を出すことで、気分がすっきりする。
朝、なんとなくモヤモヤ感があったものが、声出しによって、それが吹っ切れる。

そんな効果もあるに違いない。

近隣の学校では、いかに声を出させるかを目的として、クラス毎に校歌を歌わせるイベントがあると聞く。

新学期直後のことだろうが、皆、いろいろ工夫しているようだ…。




2021年06月30日

言論封殺

言論封殺

母から電話があった。
一回目のコロナのワクチンを受けたのだと言う。

結局は、年齢と外圧に負けたのだ。
報道を信じていれば、ワクチン接種をしない方が不安になるのだろう。
これで寿命が縮まった…。

今、日本は統制社会へと進んでいる。
オリンピックをやりたいがために、ワクチン接種を進め、反対する言論を封殺している。

何百人の医師が、「ワクチンの危険性」を訴えても、テレビや新聞には掲載されない。
そうした報道は、ワクチン接種を進めている国策に反するので、都合が悪いのだ。
挙げ句の果てには大臣までもが、デマだと言い切った。

これと同じことは、アメリカ大統領戦でも見たことがある。
トランプ大統領が、「コロナウイルスは、中国の武漢の研究所から漏れたもので、自然発生的なものではない。人工的に作られたものだ。」という調査結果を、アメリカの報道機関はデマだと言い切った。

今は、デマではないことが、どの報道機関でも分かっている。

為政者は、都合の悪い情報は封殺する。
それがいよいよ日本でもあからさまになったということだ。

治験も終わっていない、どんな副反応が出るか分からないようなワクチンを、健康な人に打つ。「本当にそれは正しいことなのだろうか」、という疑問すら、考えさせないようにしているのが、今のマスコミの姿勢。

日本では、諸外国のように爆発的な感染は起こっていない。
理由は検証中だが、日本人にはかかりにくいようにコロナウイルを作ったのだろう。コロナウイルスは中国が作った生物兵器なのだろう。

結論は時代が証明してくれるはずだ。

聞くところによると変異種は130種類あるという。
今のワクチンは、変異種には対応していないし、どれだけ効果があるかすら検証されていない。
「変異ウイルスに効く」というのも、プロパガンダであり、証明はされていない。

2回ずつ打つとして、260回。

人類はそのような試練に耐えられるのだろうか。

コロナ騒ぎは10年以上続くだろう…。

いよいよサバイバルの時代に入った。




2021年06月28日

やる気

「今日は、やる気が湧かなかったのですが、わざと笑顔を作って、何とか踏ん張ってみました。このところ就かれています。でも、自分でスイッチを入れられるように頑張ります。」

中一のSのノートに、こんな言葉が書いてあった。

どんな人間でも、いつでもやる気満々、という訳にはいかない。
ちょっとした原因で、やる気が失せてしまったり、肉体的な疲労時にも気分が滅入る。
そんなときに、やる気がなくなって、ちょっと怠惰になったりもする。

しかし、そのノートを書いたSは違う。

彼は、自分で自家発電しているのだ。
これはすごい…。

こんな風にノートに書けば、さらに自分自身を鼓舞することができる。
「自分はこんな努力をしているのだ」、と他の人に知られることで、怠け心への抑止力にもなる。

何より、「やる気のない姿を、決して他の人には見せまい」、という強い意志が見える。
そして、「どうやったら、やる気が湧いてくるか」、を考え、実行し、前向きに生きているのだ。

何だか中1の生徒に、励まされているようにも思える。

本当は、教員側が、彼等のやる気を引き出し、その才能を伸ばしてやらねばならないはずなのに、Sは、ノートに書いて、私たちを励ましている。

Sの評判は頗る良い。
友人からも、「けじめができている」、「信頼感がある」、「行動力がある」、「皆のリーダー」などなど、賞賛の声も大きい。

私は祈るような気持ちで、「このままどんどん大きくなってくれ。この先もきっと、たくさんの試練は訪れるだろうが、その都度乗り越え、さらに成長して、世界に羽ばたく人材になってくれ」、と願う。

きっと私など足下にも及ばない、そんな立場の新人類になるのだろう。

私は、Sと一時期で会えただけでも幸せである。





2021年06月27日

OBの存在

高校野球部が遠征で出掛けたので、久しぶりに学校の野球場で練習した。

草の生えていないグランドは、やはり気持ちが良い。

試験直前ということもあり、「長くやればいい…」、というものでもないので、午前中の数時間の練習。

久しぶりの実践練習。
今日は、みんなが良かった。
どのプレーも、一生懸命やっていた。

「打席に立った時には、ランナーや守備の位置を確認して、自分が何をしなくてはいけないかを考えなさい。そして、次のバッターが誰で、その人が何ができるかまでを、考えなさい。」

私の檄が飛ぶ。

久しぶりの指導…。

結局、自分たちで考えることが出来なければ、サインプレーなど決まりようがないのだ。
自分の考えていることと同じサインが出るからこそ、安心できる。
たとえ、思いもよらないサインだったとしても、監督の意図は伝わる…。

そんな折り、中学野球部のOBが練習を見に来た。
「おー、すげー。」
など声を掛けながら、後輩たちのプレーに声援を送っている。

後輩たちも、先輩たちにいいところを見せようと必死だ。
確かに、今年のチームは、OBたちよりはレベルが高い。
しかも彼等は、春も夏も大会がなくなっての引退だった。

しばらく彼等の声を聞いた後、私はOBたちに声を掛けた。
「おっ、ランナでもやりに来たか…。」
すると、OBの一人が、
「丹澤先生、いらしたんですね。静かになりましたね。」
と言い放った。

なるほど、昨今の私は静かなのだろう。
昔の私を知っている人は、「ものすごく静かになった」と言うに違いない。

OBは有り難い。
こんな風に声を掛けてくれるだけも、現役たちの励みになる。
それに、私も嬉しい…。

有り難いことだ。

2021年06月26日

勉強への処方箋

学年主任から頼まれて、生徒からの質問が『勉強への処方箋』を書いてみた。
一時間半くらいで、一気に記し、2000字弱ほどになった。
一人ひとりの生徒に語りかけるように書いてみた。

この先、どのように使われるかは分からない。
これまでの教員生活の総決算のつもりで書いてみた。

だが、私の心には邪心があったようだ。

この処方箋を依頼されたのが、今朝。
それを受けてのことだったが、夕方には完成させ、学年主任に送った。

「丹澤先生、もう作っちゃったの? すごいね〜。」
密かに私はその言葉を求めていた。
見返りを求めていたのである。
醜い私の心が、褒められたいという邪な思いを抱かせたのである。

何てことはない、そのモチベーションで一気に書き上げたという訳だ。

愛には、砂塵を含めてはいけない。
与えきりで、その心は無心で、純粋でなくてはいけない。

愛という言葉が抽象的すぎるなら、「仕事」と置き換えてもよい。
「仕事」は、その純粋な思いがあってこそ、いい仕事になるのだ。

その意味で、今回の私の仕事は、成功したとは言えないと思う。

高校生の時、『倫理』の授業で、思春期の特徴として、『愛されたい。認められたい。自分のことは自分でしたい』、というものがあると教えてもらった。

まさに今の私は、この状態なのか…。
思春期の、悩み多き、安定性のない時期と同じ、ということになる。

自分の存在意義を感じられない職場には居られない、と言う。

もしかしたら私自身、懸命に、自分の存在意義を見つけようとしているのかも知れない…。

そろそろここ十数年を精算すべき時期なのだろう。




2021年06月25日

理想の学校

私立学校では、それぞれ建学の精神があり、独自教育システムを構築している。

生徒や保護者のニーズにこたえるべく、いろいろ工夫をし、生き残りをかけているのである。
中には、東大合格人数に特化している学校だってある。
東大合格率が、「売り」であり、その人数の多さで、良い学校としての価値基準になっているようだl

先日、教頭が視察した学校もそうした学校であった。
帰校するなり、「参考になるところはあまりありません」、と一声。

どうやら私たちの考える常識とは異なる価値観の学校のようである。

驚いたのは、高3の授業を担当する先生は、すべて東大の卒業生で固めていることである。
学校現場に東大卒を招くことは、そう簡単なことではないので、おそらくは、金銭的な優遇をして、教師を集めているのだろう。聞くところによると、人によっては数千万単位の報酬をもらっているらしい…。

学歴至上主義の学校は、教員にも序列があり、いわゆる下々の者には、成績優秀生徒の指導は当たらせないのだ。

教員も授業に特化し、印刷物も自分で行うこともない。
すべて業者および事務員が行う。
部活の会計処理をはじめとする、一切の授業にかかわらない仕事は、教員自身では行わない。

校舎内の清掃も業者。
生徒が掃除をすることもない。

話を聞いていると、何となく予備校や塾に近いように思う。
こうなってくると、「学校というのは、東大にいれるための一過程なのだろうか」、と思ってしまう。

「生徒たちの情操教育はどうなっているのだろうか」、とも思う。
学校だから、それなりにはやっているのだろうが、「先生は授業を教えればいい…」、という発想は、生徒には歪んだ思想を植えつけているようにも思う。

学校運営者たちは、これこそ理想の学校と思って、学校経営をしているのだろう。

私立学校だから、いろいろなスタイルがあっていいと思う。
そうしたニーズもあるのだろう。

だが、「足りない何か」、は将来必ず禍根を残す。

学校は、学力を上げるためのものでもあるが、同時に人間教育の場でもあるからだ。

「他を蹴落としてでも、自分が上がっていけばいい…」という人間を量産してはいけない…。




2021年06月24日

続・公開授業

公開授業の研究会が行われた。
今回、三人の先生の授業を公開し、その授業について、皆で学び合おうというのである。

私は、二人の先生の授業を見たが、一番注目していたのは、中1の学級活動の授業だった。
だが、ちょうど自分の授業と重なって、見学することができなかった。

学級活動の授業は、即、学級経営と直結する。
授業の様子も、どれだけ生徒と教師の人間関係を構築できているかにかかっている。

聞くところによると、大変よい授業で、先生たちは大絶賛であった。
喜ばしい限りだ。

「日頃の、担任の先生の指導が、きちんと授業に生きている…。」
という指摘も多く、まさに人徳の表れだろう。

「どれだけ授業準備されたのですか?」
などという質問もあり、大変周到深く授業構成を考えられた授業であったようである。

公開授業は、たくさんの準備ができる。
だから、『見せる』ための『よそ行き授業』になるのだ。

つまり普段の授業とは違うものであり、研究のための授業になる。

そうしたスタイルを嫌って、研究授業をやりたがらない先生もいるが、たまには、大勢に見られ、多少の緊張感のなかで行う授業も、いい刺激になるだろう。

およそ教員は、一生をかけて、「良い授業」を追求する。

毎回の授業を振り返り、時に自己嫌悪に陥りながらも、何とか平均打率を上げるべく、次の授業に臨んでいく。

私も、「まずまずかな…」と思った授業は数少ない。
たいていの場合、教師側が良かったと思う授業ほど、生徒からは良かったという印象は得られないものだ。

単なる自己満足に陥ることなく、日々工夫の連続で、我々教師は生きている。

改めて、「良い授業」とは何だろう、と思う。

結局は、教師自身の全人格で勝負するしかあるまい…。




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