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2020年03月21日

残念なことども(三月十八日)



 非常事態宣言が出され、国境が閉鎖され、レストランや店が閉鎖され、外出も制限された上に、外出する際には鼻と口をマスクなどで覆うようにという命令が出たけれども、もともと引きこもりに近いような、職場と家を往復するだけの日々が多かった人間にとっては、生活に大きな変化はない。一時買占めで品薄になっていたパスタやお米も、みんな十分に買い置きをしてしまったのか、普段以上に品物が残っている。
 問題があるとすれば、今週は職場にも出なくなったので、生活にメリハリがなくなったのと、ただでさえ職場への往復で毎日一時間ぐらい歩くだけで運動不足気味だったのが、完全な運動不足に陥っていることぐらいである。部屋の中で運動する気にはなれないし、運動しなくても腹は減るのである。今のバビシュ首相主導のコロナ対策は、全面的に賛成する気はないけど、だからと言って、あえてその指示を守らないというほど若くもないから、外出とかする気にならないんだよなあ。

 この三月中旬には、日本から知人が二人オロモウツに来ることになっていたのだけど、出発も間近になってからの状況の急変で、来チェコが取りやめになってしまった。来る予定の日にはまだ入国規制はされていなかったから、無理すれば来られただろうけど、帰りは非常事態宣言が出た後の予定になっていたから、便のキャンセルとかあって大変だっただろうことを考えると、取りやめにしたのはよかったのだろう。
 一人の方とはほほ十年ぶりに再会になる予定だったので残念だったけど、会いに行く予定だったドイツの知り合いから、コロナウイルスの関係でアジア人差別がひどくなっているから来るななんて連絡を、まだイタリアでの流行がそれほど大きくなっていなかったころにもらったと言っていた。これだけでなく、今のドイツってろくでもない国になっているんだけど、どうして日本人ってドイツを過大に評価するのかねえ。例外を除けば、あいつら科学的な思考能力ないぞ。

 この手のすべては外国人のせいだとか、外国人がいるからウイルスが入ってくるんだなんてことは、チェコ人の中にも考える奴はいるみたいだけど、あからさまに差別がひどくなったという話は聞かない。むしろ、流行が始まっていて危険視されつつあったイタリアにスキーに出かけて帰って来たチェコ人を、いじめる事例が増えているなんて話の方が問題になっていた。
 この時点で、イタリア行きを禁止していれば、感染者の数がここまで増えることもなかったのだろうけど、当時はまだ感染者を出さないことよりも、重症者、犠牲者を出さないことに重点を置いた対策をとっていたから、無理だっただろうなあ。イタリアが高齢者対策に失敗というか、高齢者を保護する政策を採らなかったことで、犠牲者がうなぎのぼりに増え続けたことが、現在チェコで非常事態が継続している最大の原因の一つである。

 カトリックの国、イタリアであそこまで爆発的に感染が広がった原因の一つは、教会のミサじゃないかなんてことを考えてしまう。チェコでもミサに通うのはお年寄りが多いし、宗教行事も禁止の対象にしたのは当然である。教会側も最初は反発しかけていたけど、最終的には人数が30人を越えなさそうなものも含めて、全面的に中止にしたようである。
 気になるのはカトリックの教会だと、入るときか入った後か、ちゃんと覚えていないのだけど、器にたまった水を指に付けて、自分の額に十字を描くなんてことをすることである。あれって感染対策の観点からどうなんだろう。人が指をつけた水に自分もというのは平時であってもやりたいとは思わないけど、こんな事態の中では、なおさらやばそうな気がしてくる。

 話を戻そう。もう1人来る予定だったのはコメンスキー研究者のS先生で、来られたらまたH先制に連絡をして、一緒に食事でもなんてことを考えていたのだけど、残念ながら中止になってしまった。チェコ政府の方針が変わらず、S先生が来られていたとしても、H先生の年齢のことを考えると、遠慮すべきだったのだろうとは思うので、3人で会食というのは実現しなかった可能性は高いのだけど、残念だという気持ちは拭えない。ウイルスを世界中にばら撒いた中国には、全く以て感謝の言葉しかない。
 今年はコメンスキー没後350年という記念の年なので、夏には大きなイベントがプラハで行なわれるというから、その時にS先生やM先生たちがオロモウツまで来てくださることを期待しよう。いや、その前に夏までにこのウイルス禍が終結するか、普段の制限のない生活が戻ってきていることを期待する必要があるか。

 なんだか、まとまりも落ちもつかない文章になってしまったけど、今日のところはこの辺で。
2020年3月19日24時。










posted by olomoučan at 07:19| Comment(1) | TrackBack(0) | チェコ

2020年03月20日

冷戦期のチェコSF ネスバドバ(三月十七日)



 コロナウイルス関係に疲れたので、またチェコ文学の話に戻る。チェコテレビでは、学校に行けない子供たちのための教育番組を急遽始めている。ただ、現時点では体操とか工作なんかが多いようである。チェコテレビは子供向けの番組を放送するチャンネルDを誇っているけれども、ここではいわゆる教育番組は放送していない。そう考えると、日本のNHKの教育放送って稀有の存在なのかもしれない。

 それはともかく、今から考えるとちょっと以外にも思えるが、冷戦の時代にソ連を初めとする、いわゆる東側のSF作品が高く評価され、かなりの数の作品が日本語に翻訳され出版されていた。代表格としてはポーランドのスタニスワフ・レムの名前を上げることができるだろう。読んだことはないけど、「泰平ヨン」シリーズなんて、題名からして驚きである。
 我らがチェコの場合には、レムほどの大物のSF作家は存在しないが、何人かのSF短編がいろいろなアンソロジーに収録されている。SF的な作品も書いた大物作家なら、チェコにもカレル・チャペクがいるんだけど、執筆した時代は冷戦どころから第二次世界大戦前だからなあ。

 一人目は、冷戦期のチェコスロバキアで最高のSF作家と目されていたというヨゼフ・ネスバドバ。チェコ語版のウィキペディアによれば、1926年にプラハで生まれ、医師、精神科医として仕事をする傍らで小説の執筆をしていたようだ。小説だけでなく戯曲や、映画の原案も手がけていたようで、「Zabil jsem Einsteina, pánové!(アインシュタインを殺しちまったよ)」とか、「Pane, vy jste vdova!(旦那、未亡人なんですかい!)」がこの人のアイデアに基づくものだった。知らんかったぜ。

@千野栄一訳「アインシュタインの頭脳」(『現代東欧幻想小説』、白水社、1971)
 日本で最初に紹介された作品は、1960年に刊行された短編集『Einsteinův mozek』に収められた同名の短編で、以下Cまではこの本からの訳出。内容は分からないけど、アインシュタインを題材にした映画との関連性が気になる。『現代東欧幻想小説』、どこかの出版社で再刊してくれんかな。ということで「復刊ドットコム」で確認したら15票しか入っていなかった。これじゃあ復刊は無理だなあ。興味のある人向けにリンクを貼っておく。
https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=15156


A訳者不明「クセーネミュンデの精薄児」(『世界SF全集』第33巻、早川書房、1971)
 SFの高度成長期だったのだろう。『世界SF全集』なんて今ではとても考えられない企画である。文学全集自体がほぼ無理かな。この全集の33巻は「現代短編集ソ連・東欧篇」と題されているのだが、個々の作品の訳者名が国会図書館のオンライン検索では確認できなかった。原題は「Blbec z Xeenemünde」、チェコでは映画化もされているようである。でも、うーん、「精薄児」かあ。現在なら差別用語として言葉狩りの対象になりそうだな。クセーネミュンデは、原題からすると架空の地名か。


B栗栖継訳「ネモ船長の最後の冒険」(『異邦からの眺め』、早川書房、1981)
 ネモ船長というのは、例のジュール・ベルヌ作の『海底二万里』の登場人物だろうか。原題は「Poslední cesta kapitána Nema」。『異邦からの眺め』は海外で編集されたアンソロジーを翻訳したもの。最初から文庫版で刊行されたようだ。チェコの作品はこの一篇だけしか収録されていないが、東側の作品が多いのかな。「復刊ドットコム」でのリクエストは7票だけ。


C平野清美訳「裏目に出た発明」(『チェコSF短編小説集』、平凡社、2018)
 現在でも手に入る唯一のネスバドバ作品が、平凡社ライブラリーに収録されたこの作品。原題は「Vynález proti sobě」。電子書籍化もされているみたいだから、買って読んでみようかな。非常事態宣言で職場に出なくてもよくなったというか、出るなって言われてるし。古くはSFかという疑問はあるけど、ハシェクから、今でもときどきテレビで見かけるオンドジェイ・ネフの作品まで入っている。ネフというと、なぜだか、サッカー解説者のルデク・ゼレンカの顔が思い浮かぶんだけど、似てるのかなあ。

『チェコSF短編小説集』



D深見弾訳「ターザンの死」(『東欧SF傑作集』下、東京創元社、1980)
 次は、1958年刊の同名の短編集に収められた作品。これも映画化されている。深見弾は旧共産圏のSF作家の作品を積極的に翻訳紹介した人である。ロシア語からの翻訳なのかな。著者名表記が「ネズヴァードバ」となっているのがちょっと残念。『東欧SF傑作集』は2003年に復刊されているが、残念ながら現在ではすでに絶版で入手できない。「復刊ドットコム」でのリクエストは8票だけ。

『東欧SF傑作集』下 絶版



E団精二訳「吸血鬼株式会社」(『時のはざま』、早川書房、1977)
F深見弾訳「吸血鬼株式会社」(『遥かな世界果しなき海』、早川書房、1979)
 わずか2年の間を置いて同じ出版社から刊行された短編集に、別の訳者による翻訳が収録されたという珍しい例になっている。別の出版社の本ならあってもおかしくないと思うのだけど。海外で編集された短編集二冊にたまたま同じ作品が収録されていたということか。原典は「Upír ltd」で1962年刊の『 Výprava opačným směrem(反対側への遠征)』に収録されている。
 とまれ『時のはざま』は、「ワールズ・ベスト」と題された全4巻のシリーズの第1巻。「復刊ドットコム」の解説によれば、当時権威のあった年間傑作集の翻訳らしい。アメリカで編集されたものかな。訳者の団精二は、あの荒俣宏の筆名の一つ。この名義で翻訳したのは、ファンタジーだけじゃなかったようだ。
 もう一冊の『遥かな世界果しなき海』は、ポーランドを中心にしたソ連、東欧の作家のアンソロジーのようである。この深見訳は、1981年刊の『世界カーSF傑作選』(講談社文庫)にも収録されている。「吸血鬼株式会社」でカーSF? うーんわからん。


G栗栖継訳「絶対機械」(「SFマガジン」第23巻2号、早川書房、1982.2)
 残念ながら雑誌掲載だけで単行本には収録されなかったようだ。原典は「Absolutní stroj」で『 Tři dobrodružství 』(1972)所収。

 次はやり方をちょっと変えよう。
2020年3月18日24時。











タグ:SF 翻訳

2020年03月19日

朝起きたら(三月十六日)



 朝起きたら、うちのがリトベルとウニチョフが封鎖されたらしいよなんてことを言う。二つの町であわせて30人以上の感染者が出て、千人単位で感染予備軍がいる恐れがあるということで、この二つの町と周囲の町や村、合わせて21の自治体を封鎖し、住民がそれぞれの自治体の外に出るのと、住民登録のない人が中に入るのを禁止する措置が取られたということだった。

 うんざりするのは、日曜日の深夜の政府の記者会見ではそんな話は影も形もなく、決定されたのが午前3時ごろだったという事実である。朝方まで対策会議をしているというアピールなのかもしれないが、予防のためには健康的な生活を続けるのが一番だという発生当初からの厚生省の見解に、対策を行なっている政府が反してどうするんだろう。
 実は政府の決定ではなくオロモウツ地方の保健所の決定である可能性もあるのだが、政府側との調整は行なっているはずだし、保健所で対策の最前線に立っている人たちが、不健康な生活をしているのでは、医者の不養生そのものである。政府自体もしばしば午前2時、3時まで会議を行なって、みんな寝ている時間帯に新たな決定を発表することもある。

 寝不足で病気に対する抵抗力を落としかねないといえば、自治体の首長たちも、寝ているところに連絡が着たのか、起きて連絡を待っていたのか知らないけれど、そうだし、封鎖を担当する警察官達も突然早朝から呼び出されたに違いない。医療関係者も含めて、こういう対策の最前線に立っている人たちこそ健康でいる必要があるわけだから、余裕を持って仕事に当たれるような配慮があってもいいと思うのだけど。
 感染者数は日曜日の夕方に発表されたものがもとになっているのだし、この時点で検討を始めて早めに決定を下していれば、朝起きたら町から出られなくなっていたという事態も、緊急に睡眠不足のままに出動しなければならなかったという事態も防げていたはずである。早めに決定して発表すると、直前に閉鎖される地域から脱出しようとする人が出かねないのを嫌った可能性もあるのか。イタリア帰りの人を強制的に14日間の自宅待機にすると決めたときも、それを避けるために期限ぎりぎりで帰国する人が多かったし。

 閉鎖されたリトベルやウニチョフでは、域外から通っている店員が中に入れなかったために、品物はあってもお店が開けられなかったとか、工場で従業員が足りなかったり材料の納入と製品の搬出ができないので生産停止を余儀なくされたりといろいろ問題が起こっていたようだ。店員の問題は例外的に許可を出して毎日出入りできるようになったようだが、帰宅後の外出が禁じられるのだとか。
 お昼ごろにチェコテレビに電話でインタビューに答えていたキリスト教民主同盟のユレチカ元濃霧大臣の言動にもいらいらさせられた。閉鎖地域に地域外の人の農場があるのか、その反対なのかよくわからなかったけど、この閉鎖措置によって農場の家畜たちが世話されないまま放置されることになるのが問題だと、乳牛の搾乳の問題を例に挙げて指摘したところまでは、まだ許そう。その後、だから自分が政府と交渉して牧畜農場に関しては例外を認めさせたなんて自慢する必要はあるのか。三月に入ってチェコでコロナウイルス感染者が発生して以来、野党の存在感はゼロに等しくなっているから焦りがあるのかなあ。

 ようやく高齢者に対して、外出を避けるように指示が出たのは悪くない。イギリスで同じような命令が出たのに倣ったのだろうか。ただこれも順番が違うよなあ。高齢者と持病もちの人が、感染すると一番危ないというのは以前から言われていたことなのに、老人ホームと病院の入院病棟のお見舞いを禁止しただけで、これまでは放置されていた。ここは、学校の閉鎖より先に、高齢者の保護だろうに。イギリスはこの順番だけど、ちょっと遅すぎたかな。日本は、何か高齢者に対する保護策、いや制限は課しているのだろうか。

 政府だけでなく、プラハ市も市長を中心に何人かぞろぞろ出てきて独自の対策について記者会見していた。他の町でも独自にしない交通機関を利用するときにはマスクなどで口と鼻を覆うようにという命令を出したとこともあるのに、何故プラハだけ大々的に記者会見するんだなんてことは言うまい。気に入らないのは、この事態の中で政治家たちが、手柄の奪い合いのようなことをしているところである。
 挙国一致で、国民全体で団結して対応しなければならないなんていってるのなら、誰のおかげでも彼のおかげでもいいだろうに、「我々が」とか、「政府が」とか、自分たちの手柄を誇るような言い方をするんじゃない。こちらのチェコ語のつたさなからの誤解ならいいのだけど、政府やプラハ市なんかの記者会見での発言を聞くたびに、うんざりして気が滅入ってくる。政府が主導して国民の恐怖をあおってどうするよ。

 職場に出る以外は自宅に引きこもっているのは、普段の生活と大差はないから、それ自体にはストレスは感じないのだけど、政府の発表によってストレスがたまっている。病気への抵抗力も落ちているだろうなあ。対して高くないとはいえ高血圧だし、ちょっと不安になってきた。チェコは400人近くも感染者を出していながら、重症化した人は2人だけで、様態は安定しているという。ということは重症者と死亡者を出さないというのは結構うまくいっているということで、安心しよう。
2020年3月17日24時。











posted by olomoučan at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2020年03月18日

非常事態にうんざり(三月十五日)



 先日投稿したチェコ政府のコルナウイルス対策の記事に、コメントがついていた。パラツキー大学の医学部で勉強している方で、バビシュ政権の大学での授業中止の被害を受けているようだ。チェコ人の学生たちもそうだけど、留学生も健康には何の問題もなく、コロナウイルスに感染しても大した症状がでないことがわかっているのに、勉強の場を奪われたわけである。オンラインで授業とか言っても限界があるし、試験がどうなるかも不明とくれば、特に卒業試験を控えた人なんかは不安に駆られているに違いない。高校や大学の入試はどうするんだろ。それまでにはこの騒動が鎮静化していることを祈るしかない。

 15日夜の12時の時点で国境が貨物の輸送を除いて閉鎖され、滞在許可を持たない外国人に対しての入国と、チェコ人と滞在許可を持つ外国人に対して出国が禁止されることになっている。例外として、国境を越えて仕事に通っているチェコ人は、国境から100キロ以内なら毎日国境を越えてもいいことになっている。ただし、その場合には会社の発行した就業を証明する書類が必要になるという。木曜日の時点では危険地域に指定された国だけが出入国規制の対象だったのだが、翌日には対象をすべての国にすることに変更されていた。
 そこで気になるのが、チェコの日本企業に赴任している人の中に、年度末の三月末で帰任が決まっている人がいることである。帰任と滞在許可の期限が重なるなら何の問題もないだろうが、そんなタイミングのいい人はほとんどいるまい。滞在許可を残している場合に空港で出国を止められる可能性があるのか心配だったのだが、ちょうどオロモウツにも何度か来てくれたことのある方が帰任することが決まっていたし、大使館からの情報で、非常事態宣言中は再入国できないという条件で出国が認められることが判明した。一安心である。

 非常事態宣言が出されたことに対しては、チェコに住ませてもらっている外国人としては、文句は言わずに粛々と決定に従うしかないのだが、その後の規制を小出しに追加して、大抵は深夜に発表する政府のやり口にはうんざりする。次の日の予定を立てて寝ていた人たちにとっては、朝起きたら規制が変わって予定の変更を余儀なくされる場合もあるのだから、いい加減にしてくれといいたくもなるだろう。ただニュースのインタビューなどでも文句を言う人はほとんど出てこず、日本人以上に従順な印象である。
 金曜日の夜のニュースで、昼から深夜にかけて営業しているレストランの店主が、今日が最後の夜遅くまで営業できる日で、明日からは昼間だけの営業になるから、営業時間を朝からにすることも考えなければならないと言っていたのに、土曜日の朝起きたら飲食店は全面的に営業禁止になっていた。例外として、料理の出前と、客を店内に入れずに窓口で持ち帰りの販売は許可されるという。使い捨ての容器の手配に苦労するのだろうなあ。

 非常事態宣言が出た木曜日の時点では、バビシュ首相が自信満々の様子でお店の閉鎖は絶対にしないと言っていたはずなのだが、食料品店や薬屋など生活必需品を扱うお店を例外として、すべての店舗の閉鎖が決定された。これも土曜日の朝起きたら決まっていたんだったかな。この対策をとる理由として、ショッピングセンターに人が集まるのを避けたいという理由を挙げていたが、学校の授業を中止にして、スポーツクラブでの練習もできなくなった子供たちや、スポーツや演劇、映画などを見ることができなくなって暇をもてあますようになって人たちが、買い物するわけでもないのにショッピングセンターに集まるようになるのは予想できたと思うのだけどね。
 何か新しい対策を導入するたびに、この対策が効果を表すかどうか確認した上で、次の対策を考えるという発言を聞くような気がするのだが、効果があるとかないとかいえない段階で次の対策が追加される。次々に矢継ぎ早に対策を立てるというか、変更を加えていくことで、規制される側の人々が思考力を奪われているような感もある。

 バビシュ首相は、日曜日の午前中にはテレビのインタビューで、国全体の隔離というイタリアと同じような政策を導入することを示唆していたのだが、政府の会議が延々と続いた結果、正式に発表されたのは夜遅くなってからだった。当初の予定では午後3時だったのかな。国全体を隔離状態に置くというのもよくわからないのだけど、できるだけ外出を避けるように求めるのが中心のようだから今までとあまり変わらないような気もする。散歩は、出先で人に会わなければいいらしい。
 政府の発表の仕方にしても、ANOのバビシュ首相だけでなく、社会民主党のハマーチェク内務大臣も対策の正当性を訴えるためか、ウイルスの危険性を声高に叫ぶことが多く、対策そのものの効果よりも、自分たちはこれだけの対策をやっているのだとアピールしているような印象を与えるのもうんざりする理由になっている。やるなら徹底的にというのは悪くないのだけど、規制の進め方とか、発表の仕方とか、もう少し何とかしてくれんかね。

 政府主導でコロナウイルスの感染の検査ができる病院を増やして、検査数を増やすと宣言した結果、不安の解消のために検査を求める人が押し寄せて、現場が悲鳴を上げていて、病院関係者がインタビューを受けるたびに、症状の出ていない人は検査をする意味がないどころか、検査のための行列で感染する恐れもあるから来ないでくれと連呼している。それでもある漠然とした不安から検査を求める人は堪えないようで、日本と似ているなあ。陰性になったからと言って、その後も感染しないというわけではないのだから、検査なんて症状が出てからで十分だと思うけどね。個人的には受けるなら症状が消えてから受けたいところだ。ちなみにオロモウツの大学病院では、検査を始めて数日で資材が尽きて検査ができなくなっている。困ったもんである。
2020年3月16日24時。













posted by olomoučan at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2020年03月17日

チェコ語の疑問詞4(三月十四日)



 コロナウイルスの感染が予想以上の広がりを見せ、そちらに気を取られてしまったせいで、しばらく間が開いてしまったけれども、久しぶりにチェコ語の話である。今回は、疑問詞の中でもよく使われる「který」である。関係代名詞としてもよく使うのだが、関係代名詞としての用法は、また別の機会に扱うことにする。チェコ語の疑問詞ってほとんどすべて関係詞として文をつなぐのに使えるし、関係代名詞としてしか使えない言葉もあるので、そちらはそちらで一まとめに説明する。まだまだ先の話だけど。
 この「který」は、長母音「ý」で終わることからも明らかなように、形容詞型の格変化をする。単独で「どれ」という意味でも、名詞とともに「どの」という意味でも使われる。特に4格で使うときに、「どの」にあたる「který」と名詞が泣き別れになっていて戸惑うことがある。チェコ語の(他のヨーロッパ系の言葉でもそうかもしれないけど)形容詞と名詞を使うときによくあることではあるのだけど。

 とりあえず1格から例文を挙げていく。
・Která kniha je nejzajímavější?
(どの本が一番面白い?)

・Která je nejzajímavější kniha?
(どれが一番面白い本?/一番面白い本はどれ?)

 何冊かある本の中から、一番面白いものを聞くときの疑問文は、普通はこのどちらかの形を使う。目の前に対象となる本が並んでいるような場合には、本だというのは明らかなので、「kniha」を省略することもあるし、ちょっとこった語順にすることもあると思う。

・Která je nejzajímavější?・
・Která je kniha nejzajímavější?

 ここで「Která」になっているのは、「kniha」が女性名詞の単数だからというのは、問題ないと思うが、問題は述語が形容詞ではなく、名詞で、しかも疑問詞の後につく名詞と性や単複が違う場合である。名詞を省略しなければいいだけなんだけどね。

・Které noviny jsou Mladá fronta?
(どの新聞が「ムラダー・フロンタ」ですか?)

 名詞を省略した場合も、省略した名詞に合わせればいいと思うのだけど確信はない。
・Které jsou Mladá fronta?

 2格以降は、動詞の人称変化と疑問詞の間に関係がなくなるからその分楽になるのだけど、疑問詞と名詞の格変化を一致させる必要が出てくる。

2格
・Do které základní školy jste chodil?
(どの小学校にかよいましたか?)

3格
・Ke kterému politickému hnutí patří?
(あの人はどの政治団体に属していますか?)

4格
・Kterého prezidenta považuješ za nejlepšího?
(どの大統領が一番よかったと思いますか?)

6格
・Ve kterém městě bydlíte?
(どの町に住んでいますか?)

7格
・S kterou kamarádkou se dnes setkáš?
(どの友達と今日会うの?)

 数詞を入れて複雑にすることもできる。
・Ve kterých třech městech najdeme horní náměstí?
(ホルニー広場はどの三つの町にありますか?)

 他の疑問詞と同様、「ně」を付けた「některý」という言葉もある。「どれか」と訳せなくもないけれども、文になっている場合には、「〜ものもある」「〜人もいる」という意味に理解したほうがいい。

・Některé věci se nedají koupit v obchodech.
(お店では買えないものもある)

・Někteří zaměstnanci této firmy umějí japonsky.
(この会社には日本語ができる社員もいる)

・V některých obchodech mají české pivo.
(チェコのビールがあるお店もある)

 ただし、「ni」を付けた「nikterý」というのは、あるのかもしれないけど、使ったことはないし、使われているのを見たことも聞いたこともない。似ているものとしてはチェコテレビのボサーク師匠がよく使う「nikterak」というのがあるのだけど、これもよくわからない言葉である。
2020年3月14日24時。










2020年03月16日

田才益夫訳のチェコ文学〈チャペク以外〉(三月十三日)



 2000年代に入ってチャペク専門の翻訳者と化した感のある田才益夫氏だが、90年代の半ばから、2000年代の初頭にかけては、何冊かチャペク以外の作品の翻訳も手がけている。中には何でこの人の作品をと驚くようなものもある。

 最初の作品はパベル・ヘイツマンの『鋼鉄の罠』で、有楽出版社から1996年に刊行された。有楽出版社は実業之日本社の子会社で、この本の販売も実業之日本社が担当している。実業之日本社の小説というと新書版のジョイノベルズが思い浮かぶのだけど、外国文学の翻訳も出版しているとは思わなかった。
 作者のパベル・ヘイツマンは、チェコ語版のウィキペディアによれば、1927年生まれの作家で、冒険小説、歴史小説、推理小説を得意としているという。共産主義の時代、プラハの春の後の正常化の時代には、その思想性から秘密警察の監視の対象となったため、作品を出版する際にはさまざまなペンネームを使用していたらしい。この『鋼鉄の罠』も、もともとはミロスラフ・ノイマンという別人名義で出版されたようである。歴史小説とか読みたいのだけど、邦訳は残念なことにこの一冊のみ。

➀パベル・ヘイツマン『鋼鉄の罠』(有楽出版社、1996)絶版



 二番目に訳されたのはイバン・クリーマの短編集である『僕の陽気な朝』で国書刊行会から1998年に刊行されている。国書刊行会というと、手元にある藤原定家の日記『明月記』の版元なので、何でチェコ文学? と言いたくなるのだが、よくよく記憶を探ってみれば、今でもカルト的な人気を誇るアメリカの怪奇作家ラヴクラフト(節を曲げて「ヴ」を使う)の作品を刊行したり、西洋のマニアックな文学潮流や思想関係の本を、採算度外視(という印象を与える)で刊行する出版社だった。チェコ文学の翻訳、それも日本では知られていない作家の翻訳を刊行しても何の不思議もない。あれ、大学時代に持っていた『玉葉』もここだったかな。いや、あれは奥付のない海賊版だったような気もする。題名も微妙に違ったし。

Aイバン・クリーマ『僕の陽気な朝』(国書刊行会、1998)



 クリーマの作品の刊行は、小説だけではなく、評論集が2003年に刊行されている。これは田才訳のチャペク作品を熱心に刊行している青土社が版元で、その名も『カレル・チャペック』。原典は『Velky věk chce mít též velké mordy』で、邦題とは全く違うのだが、チャペクについての評伝であるのは間違いない。無理して直訳すると「大きな時代は大きな殺人を求める」とでもなろうか。

➂イバン・クリーマ『カレル・チャペック』(東京、青土社、2003)




 三人目はパベル・コホウト。この人は、もともとクンデラと同じくバリバリの共産党員だったのだが、プラハの春の民主化運動とその弾圧の過程で、共産党と決別し弾圧される立場となった。プラハの春の際に発表されたいくつかの文書の作成にもかかわっているし、憲章77の関係者でもあり、旧チェコスロバキアの民主化運動の中心人物のひとりであった。その後、国の許可を得て1978年にウィーンに滞在していたところ、滞在期間終了後も帰国が許されなかったらしい。亡命というよりは国に追い出されたという形である。
 翻訳されたのは、『Hvězdná hodina vrahů』(1995)で、邦題は『プラハの深い夜』。舞台は確かプラハだから、日本語の題名にプラハが出てくるのはそれほど問題ではないのだが、問題はチェコと言えばプラハを表に出さないと売れないと考える出版社の考え方である。版元は早川書房で刊行は2000年。内容はナチスドイツによる占領の最後の何週間かを、推理小説的に描いたもの。ちょっと恐怖を感じさせるような描写もあったような気がする。

Cパベル・コホウト『プラハの深い夜』(早川書房、2000)絶版



 田才訳の『プラハの深い夜』は、残念ながらコホウト作品の初訳ではなく、小説としては、1993年に、恒文社から大竹国弘訳の『愛と死の踊り』が刊行されている。こちらも第二次世界大戦の末期が舞台になっていた。
 訳者の大竹国弘氏は、同じく恒文社から1980年に刊行された『チェコスロバキアの民話』の訳者として知っていたが、実は文学作品以外に大量のスポーツやゲーム関係の本の翻訳をベースボールマガジン社から出している人でもある。そもそもスポーツの歴史や戦術、練習法や、ゲームの紹介などに関して、チェコスロバキアで出版されたものが、1970年代に日本語に翻訳されて、刊行されていたなんて意外以外の何物でもない。残念ながら購入できるものは一冊もないのだけど、見てみたい気はする。

 ちなみに田才氏は、浦井康男氏によれば、自らのHPで『チェコ文学史』という書物の翻訳を公開しているらしい。興味のある方は探してみるのもいいかも。
2020年3月13日24時。





タグ:翻訳 小説

2020年03月15日

さらに混乱するチェコ社会(三月十二日)



 火曜日の夜の時点での混乱ぶりについてはすでに記したが、木曜日になって、さらに事態が大きく進展した。患者数が100を越えたらなんて予想もあったのだけど、90人を越えた今日、政府が緊急事態宣言を発して、これまで以上に大きな制限が科されることになった。その内容について触れる前に、火曜日以後の進展を見ておこう。

 水曜日にそれぞれの協会で話し合いが行われた結果、アイスホッケーとサッカーのプロリーグは、全く異なる対応を取ることになった。アイスホッケーは、政府が100人以上は禁止という数にこだわるなら、試合の開催自体が不可能だとして、始まったばかりのプレイオフの三月末までの延期を決めた。準々決勝に進出する最後の2チームを決めるシリーズが始まって2試合終わったところで、どちらの対戦も1勝1敗の五分になっているんだったかな。
 スロバキアやドイツなのどのアイスホッケーリーグは打ち切りを決めているが、チェコでもその可能性もあり、現時点で打ち切りになった場合に優勝チームや、最終順位をどのようにして決めるのか、検討が始まっているようだ。2部からのの昇格チームを決めるプレイオフもあるし、今年は入れ替え戦もあるんだったかな。ただでさえよくわからないのが、さらによくわからなくなっている。

 サッカーは対照的に、三月末まで無観客で試合を続けることを決めた。こちらも、チーム関係者の人数はアイスホッケーと変わらないだろうから、100より少ない数で試合を実施するのは大変だろうけど、役割によっては試合中はスタジアムにいなくてもいいものもありそうだから、入れ代わり立ち代わりで人数が100を越えないようにするのだろう。頭痛の種がテレビ中継のスタッフのようで、最悪中継なしなんて話も聞こえていた。
 この入れ代わり立ち代わりというのは、子供たちが練習に通うスポーツチームも抱えている問題で、普段なら早めに練習会場に入るところを、とにかく時間ぎりぎりに来て、前に練習していた子供たちが会場を出てから中に入るように求められているらしい。そして、付き添いの親たちも普段は客席から練習の様子を見ていられるのに、今はとにかく外で待っているように求められるのだとか。体を動かすことが必要な子供たちから運動の場を奪いかねないという点でも、この人数制限は厳しい。

 その水曜日の議論を不要なものにしたのが、今日、木曜日に政府が決定した緊急事態宣言で、これまで洪水や強風で大きな被害が出た地域限定で出されたことはあったが、全国的に出されるのは初めての事態である。スポーツと関係ありそうなものとしては、これまで100人以上は禁止だったのが、30人に人数が減らされたことで、この数ではほとんどのスポーツは試合自体が成立しなくなってしまう。無観客で行われる予定だったサッカーも、下部リーグも含めて軒並み中止ということになりそうだ。アイスホッケーはプレイオフの中止を決定した。プレイオフの優勝チームはなしという扱いになるのかな。
 さらに、飲食店の営業も夜の8時から朝の6時までは禁止された。朝昼晩の三食外食は不可能ではないけれども、お酒を飲みに行くのは無理そうだ。フィットネスセンターやプールなどのスポーツ施設、公共の図書館やギャラリーなどの人が集まりそうな場所は全面的に営業禁止。いやはや何とも思い切ったことをするものである。まあ、この手の対策は、中途半端にやるよりは、徹底的にやったほうがいい。どっちにしても批判はされるのだし。

 そして、感染者がチェコに入ってくるのを防ぐために、オーストリア、ドイツとの国境を封鎖し、指定された通過点には検問を設け、危険地域に指定された地域からチェコに向かっている人は入国させないという。ただ、ドイツもオーストリアも危険地域に指定されているから、これらの地点から入国できるのは、規定の適用外とされているチェコ人、およびチェコの滞在許可を持っている外国人に限られるようだ。
 ちなみに危険地域に現時点で指定されているのは、中国、韓国、イタリアに加えて、感染者が急増しているイラン、スペイン、オーストリア、ドイツ、オランダ、スイス、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ベルギー、フランス、イギリスとなる。西ヨーロッパほぼ全滅である。おそらくこれらの国を経由して飛行機でチェコに入るのも禁止されたと考えたほうがいいだろう。日本からだと南回りを除けば、残っているのはモスクワかヘルシンキで乗り換える便ぐらいか。そのうち日本も危険地域指定されそうだけど。
 同時にチェコ人が危険地域に出ることも禁止された。ただし、国境地帯に住んでドイツやオーストリアで仕事をしている人たちは国境から50キロ以内なら例外扱いになるらしい。鉄道やバスの国際線も運行禁止になっているから、チェコの人が国境を越えるには自家用車を使うしかない。これも乗っている人数が多いと、9人以上だったかな、国境で止められるようだ。ただし貨物の輸送に関しては出入りともに禁止されていない。

 この国境の封鎖は、外国から新たなウイルスを持ち込ませないという意味では一定の効果はありそうだ。むしろ、陸続きの隣国ばかりのチェコよりも、海で他国と隔てられている日本でのほうが効果がありそうだけど、日本は何でやらないんだろう。飛行機も船も外国からのものはすべて運休にして、リスクの高い高齢者と病人を守る対策をとって、あとは普段通りにしたほうが、小学校を休みにして親まで休ませた結果補償金をばらまくことになりそうな現状よりは、はるかにましになると思うのだけど。
 チェコのこの人が集まりそうなところは全部閉鎖してしまえという対策が、どこまで効果を上げるのかはともかく、長続きしないことを願っておこう。うまくいってチェコ国内からウイルスが消えたとしても、周囲の国で流行が続いていたら、国境の閉鎖は継続するはずだ。そうなると、ドイツあたりのEU加盟国に自己中心的だと非難されるのだろうなあ。
 ここにあげた規制は、それぞれ発効する日時を微妙にことにしているのだが、煩雑なのでいちいち記さない。
2020年3月12日22時。











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2020年03月14日

田才益夫訳のチャペク2(三月十一日)



承前
 以上七冊のエッセイ集の刊行の合間に『童話全集』が刊行される。中野好夫の英語からの翻訳『長い長いお医者さんの話』に収められた9編を含む全11編の童話の翻訳である。中野訳とは題名からかなり違っている。内容は変わらないだろうが、細かい部分で違いが出ている可能性は高い。

K『カレル・チャペック童話全集』(青土社、2005)



 エッセイ集の刊行が終わると、短編集の刊行が始まる。収録された作品を確認すると、多くはすでに翻訳のある『ひとつのポケットから出た話』(栗栖訳)、『ポケットから出たミステリー』(田才訳)、『外典』(石川訳)などに収められた短編が三巻に再編集されたもののようである。一冊目だけはチェコ語の原題が上がっているので、チェコで編纂されたものかもしれない。

L『カレル・チャペック短編集』(青土社、2007)



M『赤ちゃん盗難事件』(カレル・チャペック短編集2、青土社、2008)



N『ありふれた殺人』(カレル・チャペック短編集3、青土社、2008)



 この短編集三冊の刊行と前後して、『クラカチット』と、成文社から飯島訳が刊行されている『流れ星』が出版される。

O『流れ星』(青土社、2008)



 この後しばらくの沈黙を経て、2016年に現時点で最後の作品が刊行される。チャペクの最後の作品とされる『ある作曲家の生涯』だが、訳者もこれを最後の翻訳にするつもりだったのだろうか。

P『ある作曲家の生涯 : カレル・チャペック最後の作品』(青土社、2016) 



 版元の青土社では、品切れになっていない田才訳のチャペクの作品をまとめて、14冊セットの販売も行っているようだ。セットだから割安になっているかは未確認。
 ここに紹介した青土社刊の田才訳で絶版になっていないものを数えて、数が合わないと思った人、それは正しい。セットの中には、伴田良輔訳の『ダーシェンカ』愛蔵版も含まれているのである。もともと90年代後半に新潮社から二分冊で刊行された伴田訳は、後に一冊にまとめられヴィレッジブックスから刊行されたが、既に絶版。2015年に愛蔵版として青土社から刊行されたものが現在でも手に入るのである。

 つまりは田才訳の『ダーシェンカ』は存在しないことになるのだが、田才訳が存在しないチャペクの作品は、他には『山椒魚戦争』と『絶対子工場』ぐらいしかない。せっかくだから青土社から田才益夫訳『カレル・チャペック全集』なんて20巻本ぐらいで出版されないかな。買うとは言えないけど、欲しいぞ。
 せっかくなので田才益夫訳の他の作家の作品についてもまとめようと思う。それはもちろん次回である。
2020年3月11日24時。




チェコが非常事態宣言を出して国境の閉鎖を決めたら、他の国も次々に同じような対策を発表し始めた。チェコの対策の細かいことはまた明日。

2020年03月13日

混乱するチェコ社会(三月十日)



 今日準備期間なしに発令された新たなコロナウイルス対策によって、チェコ社会に混乱が広がっている。特に大学も含めた各種学校の授業禁止と、参加者100人以上のイベントの禁止が、その解釈、適用のしかたを巡って混乱を起している。幼稚園と、一部の子供たちが放課後に通う芸術学校は対象外だけど、園長、校長の裁量で閉園、閉校にしてもかまわないという。
 義務教育の、日本の小学校、中学校に当たる基礎学校と高校では、宿題を課して自宅で勉強することを求めるようだが、中学生、高校生が素直に自宅に閉じこもって勉強するとも思えない。実技が中心の専門学校、専門高校になると、自宅学習でできることはそれほど多くないし、休校命令が長期化すると試験や卒業審査なんかでも大きな問題になりそうだ。

 大学は、可能であればネットを使ったオンライン形式の授業をと言うのだが、火曜日に決めて水曜日からというあわただしさでは、技術的にはある程度対応できても、時間の問題でできないというところも出てきそうである。だからなのか、ブルノのマサリク大学では学長権限で二週間のお休みが与えられることになった。
 大切なのが重症化して死に至る可能性の高い高齢者を守ることだと考えれば、外出させないようにする対象は、子供たちではなくお年寄りだと思うんだけどね。イタリアのデータでは、亡くなったのはすべて60歳以上の人だと言うし。だから、年齢の高い先生を自宅待機にして、その授業を休講にして、高齢者と同居している子供に関しては個別に自宅待機を検討すればいいと思うのだけど。自宅に隔離すべきは高齢者と病人であって、運動の必要な健康な子供たちではない。

 100人以上のイベント禁止に関して、文化省とその管轄下の役所が管理している施設に関しては、劇場、博物館、お城などすべて閉鎖されることになった。お城などは4月1日のシーズンの始まりに向けて準備を進めていたところのようだが、シーズン開始が何週間か贈れることになる。劇場に関しては私営でも休業を求められたのか、俳優のヤン・フルシンスキーが、バビシュ政権に対する怒りをぶちまけていた。もともと反バビシュ政権の人だから、この機会に日ごろの鬱憤をということだったのかもしれない。同じように反バビシュの俳優たちもフルシンスキーを支持する声を上げているようだ。
 映画館でも、収容人数が多いところは営業を停止するところが多いようだが、一部の映画館では、定員を99人に変更して営業を続けることを決めている。一回の上映あたり99枚のチケットしか売らないように調整するというのだが、その99人の中に映画館で仕事をしている人は含まれていない。このニュースだけだと問題ないように思われるが、スポーツのイベントに課された条件と比べると、このやり方はおかしい。

 スポーツ界の混乱を如実に反映していたのが、火曜日に行われたアイスホッケー関係者の記者会見である。最初は100人以上というのを観客の数だと解釈していて、現在進行中のプレイオフに関しては、ホームチームが99人の観客を選んで入場させればいいだろうなんてことを言っていた。映画館のやり方を考えればこれでいいはずである。
 それが、政府から連絡が入ったことで大混乱が巻き起こった。政府の見解では、観客だけでなく会場のスタジアムにいる人は、選手もチーム関係者も、スポーツ記者たちもすべて数に入るというのである。アイスホッケーは出場選手は1チーム6名だが、交代選手を入れればベンチに入るのは20人を超える。それに監督やコーチ、チームドクターなんかを入れると、チーム関係者だけで、40人を超えても不思議はない。それに、審判などのアイスホッケー協会関係者、テレビや新聞などの取材記者などを加えたらすぐにリミットの100人を超してしまう。

 だから、観客以外の会場にいる人も含めて99人までという情報に、アイスホッケー協会の関係者が、「そりゃホッケーの終わりだ」と思わずこぼしたのも当然なのである。スパルタやリベレツなどの資金に余裕のあるチームは抱えているスタッフの数も、スタジアムで仕事をしている人の数も多く、1チームだけで100人を超えかねないという話である。つまりどうにもこうにも観客を入れる余裕はないということになる。
 そこで、疑問なのが、上にも書いた映画館の場合で、映画館にだって上映中仕事をしている人はいるから、観客を99人いれたら、リミットを越えてしまうはずだ。逆に言えば、映画館が99人の客を入れられるのなら、スポーツのイベントも同じ扱いにしないとおかしい。この辺、検討の時間もないまま突然導入した対策であることが見て取れる。

 結局、アイスホッケー協会では、火曜日の夜に行われた2試合だけは無観客で行うことを決め、その後の試合をどうするかは、今日水曜日に決めると言っていた。状況はサッカー界も同じで、サッカー協会が管轄する3部よりも下のリーグに関しては、どうせ観客も多くないので、100人以上の人が会場に集まらないように徹底した上でリーグ戦の継続を決めたが、サッカープロリーグ協会が管轄する1部と2部の試合をどうするかは、こちらも今日水曜日に決めるらしい。
 水曜日には、二月末にグラウンドの芝の状態がひどすぎて開催できなかったテプリツェ−リベレツの試合が予定されていた。この試合に関しては、無観客どころか取材の記者たちも排除して開催することが決められたのだけど、グラウンドの状況が再び悪化したため、さらなる延期が決められた。週末の試合も、中止になってもおかしくないぐらい芝の状態が酷かったからなあ。
 スラビアのオーナーのトブルディークは、観客のいないサッカーなんて意味がないと、無観客での試合ではなく、延期を主張している。今度の週末にスパルタを迎えて試合を行うプルゼニュでは、入場券の払い戻しをすでに始めている。
2020年3月10日24時。



木曜日にはさらに大きな展開が待っていたのだけど、それについては木曜日の分で。









posted by olomoučan at 05:35| Comment(1) | TrackBack(0) | チェコ

2020年03月12日

田才益夫訳のチャペク1(三月九日)



 小説、エッセイを問わずカレル・チャペクが書いたものはすべて翻訳したのではないかと言いたくなるような様子で、チャペク作品の翻訳刊行を進めている田才益夫氏だが、最初に出版されたのは、すでに紹介した『クラカチット』(楡出版、1992)である。再刊された青土社版が現在でも手に入る。

@『クラカチット』(青土社、2008)



 続いて1990年代半ばのチャペクブームの最中に、社会思想社から二冊のエッセイ集の翻訳が刊行されている。『コラムの闘争 : ジャーナリストカレル・チャペックの仕事』(1995)と『カレル・チャペックの闘争』(1996)である。前者は国会図書館のオンライン目録では、チェコ語の原典が『Na břehu dnů』(1966)とされているが、原題とはかけ離れた邦題である。本国でも没後に出版されたもので、チャペク本人がつけた題名ではないからそこまでこだわることはないか。この二冊はどちらもすでに絶版で手に入らないが、前者はhontoに書影がなかったので、後者の書影だけ上げておく。

A『カレル・チャペックの闘争』(社会思想社、1996)絶版



 1998年には『マクロプロス事件』(八月舎)が刊行されているが、すでに絶版。後に『チャペック戯曲全集』(八月舎、2006)に収録された。この『戯曲全集』には、兄ヨゼフとの共作も含めすべてのチャペクの戯曲、全八作が収められている。

B『チャペック戯曲全集』(八月舎、2006)



 2001年に刊行された『ポケットから出てきたミステリー』(晶文社)も残念ながら絶版で手に入らない。前編にあたる『ひとつのポケットから出た話』(栗栖継訳、晶文社、1997)は現在でも手に入るようなのが不思議である。昔から読み継がれている本の強みということだろうか。ただし、個々の短編が、後で取り上げる『短編集』に収録されている可能性は高い。

C『ポケットから出てきたミステリー』(晶文社、2001)絶版



 2004年から2007年にかけては、青土社から次々にエッセイ集の翻訳が刊行される。中にはチェコ語の原題が付されているものもあるが、大半は訳者によって取りまとめられた作品集のようである。いずれも「カレル・チャペックの」という枕のついた題名に統一されているのが特徴で、装丁においてもある程度統一感が考えられている。

D『カレル・チャペックのごあいさつ』(青土社、2004)


E『カレル・チャペックの日曜日』(青土社、2004)


F『カレル・チャペックの新聞讃歌』(青土社、2005)


G『カレル・チャペックの映画術』(青土社、2005)


H『カレル・チャペックの童話の作り方』(青土社、2005)絶版


I『カレル・チャペックの愛の手紙』(青土社、2006)


J『カレル・チャペックの警告』(青土社、2007)


 長くなった、いや書影が多くなったので以下次号。
2020年3月10日10時。






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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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