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2018年06月10日

ハンドボール・エクストラリーガ最終順位2(六月九日)



承前
 昨日書いた通り、プレーオフの決勝はプルゼニュとカルビナーというチェコで一番西にあるチームと東にあるチームの対戦となった。カルビナーは去年は9位でプレーオフにも進出できなかったんじゃなかったか。そこからすれば決勝進出でも大きな飛躍だけれども、かつての最強ぶりを考えると、準優勝では寂しい。ここしばらくボヘミアのチームに優勝をさらわれっぱなしでもあるし。
 今年に入って、ハンドボール協会に、昨年夏の大イベントのせいでお金がなくなったのか、教育省のスポーツへの助成金のスキャンダルのせいで資金繰りが悪くなったのか、ハンドボールのエクストラリーガの中継が、特に大きなイベントのない時期には毎週日曜日の午前中に行われていた中継がほとんどなくなり、プレーオフも準決勝まで中継がなかったので、決勝ぐらいは中継してくれるだろうと期待していたのに、全四試合のうち一試合も中継されなかった。他のスポーツイベントが目白押しだったせいか、7時のニュースの終わりのスポーツの部分でも目にした記憶がない。これは、この時期スポーツの中継を見ていて、ニュースを見ていなかったからかもしれない。

 結果は、二位でリーグ戦を終えたカルビナーがホームで二試合勝った後、プルゼニュでの三試合目は落としたものの、四試合目で勝って三勝一敗で優勝を決めた。スポーツ新聞の見出しでは、カルビナーがキーパーなしの攻撃でプルゼニュを圧倒したというようなことが書かれていたから、退場者が出ていないときにもキーパーの代わりにフィールドプレイヤーを出場させて七人で攻撃するという最近ルールの変更で解禁されたプレーを多用することで、一試合負けた後の立て直しに成功したようだ。
 このキーパーなしのプレーは、どちらのチームも応援していない試合ならいいのだけど、応援しているチームがこれをやると見ている側にとっては心臓によくない。一人人数を増やしても、スペースがなくなって攻撃は手詰まりのままというのも見かけることが多いし、退場者がでたとき以外は、リスクに見合っていないと思うのだけど。キーパーが得点を挙げるなんて昔はめったになかったシーンがしばしば見られるようになったのも、このルール変更のせいである。見方のキーパーが無人のゴールに約40メートルのシュートを決めるのは痛快だけど、相手に決められるとげんなりしてしまう。

 話を戻そう。三位決定戦はズブーとロボシツェの間で行われ、シーズン中の結果どおりズブジーが勝った。今年のプレーオフでは唯一五試合目までもつれ込んだ。それぞれホームで勝利してというわけではなく、最初のズブジーでの二試合もロボシツェでの二試合も、初戦をロボシツェが勝ち、二戦目はズブジーが勝つという結果で、合計二勝二敗となった後に、ズブジーでの五試合目でズブジーが勝ち三位を決めた。

 準々決勝で負けた4チームは、二試合先勝方式で順位決定戦を行い、以下のような順位になった。五位決定戦はイチーンとドゥクラ・プラハの対戦となり、リーグ戦で上位だったドゥクラが二連勝で五位、イチーンが六位となった。七位はリーグ戦六位のコプシブニツェ、八位はリーグ戦どおりフリーデク・ミーステク。ほとんど隣町対決となったなない決定戦もコプシブニツェの二連勝で決まった。

 下位四チームで行われたいわゆるプレーアウトのほうは、リーグ戦の勝ち点を持ち越した上での総当り二回戦制で、最大でも勝ち点を12しか積み上げることができないこともあって、順当にリーグ戦で最下位だったストラコニツェが最下位になり降格が決定した。ストラコニツェは、めずらしく南ボヘミアからの昇格だったのだが、あえなく一年で降格することになった。
 考えてみれば、最近南ボヘミアのスポーツがパッとしないのである。一時はポボルスキーがオーナーになっていたブデヨビツェのサッカーチームも二部に定着して久しいし、アイスホッケーのチームは、市からの支援がないことを理由に、フラデツ・クラーロベーに移転してしまった。今でも有力チームとして残っているのは、バレーボールの男子ぐらいだろうか。ほとんど縁のない地域だから、いいと言えばいいのだけど、なんだか不思議な気がしてしまう。

 プレーアウトで決定した順位は、ブルノが十一位、フラニツェが順位を一つ落として十位、九位に入ったのはノベー・ベセリーだった。何年か前に三位に入ったフラニツェには、オロモウツ地方のチームだし、期待しているのだけど……。二部ではこちらの希望通り、もちろん下馬評どおりでもあるけれども、去年降格したリトベルが優勝して昇格を決めたし、来年はオロモウツ地方の二チームがプレイオフに進出することを祈ろう。
2018年6月9日23時30分。













2018年06月09日

ハンドボール・エクストラリーガ最終順位1(六月八日)



 六月三日の日曜日に、今年の十二月にフランスで行われる女子のヨーロッパ選手権の予選の最終戦が行なわれ、チェコ代表はモストでスロベニアと引き分け、グループで内でデンマークに次ぐ二位で予選を突破した。グループ三位に終わったスロベニアも、よくわからないけれども本選進出を決めたようで、試合終了と当時に両チームの選手たちが大喜びしていた。

 ということで、久しぶりのハンドボールの話題である。まずはチェコリーグの結果を振り返っておく。男子のほうはプレーオフの一回戦の途中の時点までの結果を書いた記憶があるけれども、一回戦(つまりは準々決勝)を勝ち抜けたのは、レギュラーシーズンで上位四チームに入ったズブジー、カルビナー、ロボシツェ、プルゼニュの四チームで順当な結果だった。
 準決勝ではちょっとした波乱が起こった。4位でシーズンを終えたプルゼニュが1位のズブジーに勝って決勝進出を決めたのである。プルゼニュはここ数年チェコリーグで常に優勝を争っているチームなので、プルゼニュが勝ったこと自体はそれほど大きな驚きではなかったのだが、モラビアのチームに決勝に行ってほしかった。カルビナーはシレジアのチームだから、ボヘミアよりはあれだけどね。

 このプルゼニュとズブジーの対戦で問題になったのは、ズブジーで行われた初戦だか二戦目だかが延長にもつれ込んで、プルゼニュが勝ったのだけど、後半終了直前のブルゼニュが同点に追いつく直前のプレーに対する審判の判定が間違っているとズブジーが訴えそれが認められて、試合の結果が無効になってしまったことだ。もしかしたら後半最後のプルゼニュが勝ちこしたシーンが問題になったのかもしれないけれども、一度プルゼニュの勝ちと決まったものが、無効試合になってしまった。
 それだけでも驚きだったのだが、プルゼニュの側からも反論する形で提訴が行われた結果、試合の結果は再び有効でプルゼニュの勝ちということになった。反則があったとか、反則を見逃したとか、そんなのでいちいち審判が下した判定を試合後に否定していたら、ハンドボールという競技は成立しなくなるから、最終的に元の結果に戻ったというのは悪くないことであるが、手際が悪いよなあという印象はぬぐえない。
 ハンドボールも、他のスポーツでの流行に倣って、ビデオの導入が進んでいるようだし、アリバイ的に導入しておくのは悪いとは言わない。しかし、ハンドボールでは試合の流れを切らずにビデオを使える機会なんてほとんどない。世界選手権か、ヨーロッパ選手権では、試合終了の笛が吹かれた後にビデオで確認した結果、ペナルティスローが与えられて試合の結果が変わるなんてことが、おこったんじゃなかったかな。これもなあ、ハンドボールの誤審なんて後からビデオで確認しなくてもわかるものが多いし、確認しなければならないようなものは、どちらにも取れる微妙なものが多いから、あまり役に立たなそうである。とまれ、ズブジーとプルゼニュの準決勝は、プルゼニュがズブジーでの二試合目を落としただけで、三勝一敗で決勝に進んだ。

 もう一つの準決勝はカルビナーとロボシツェの組み合わせ。市役所に勤めながらチェコリーグで長年活躍を続けるモトルは、チェコの選手の中でも特に応援している一人だけれども、チームとなれば、こちら側のカルビナーをひいきしてしまう。このかつての最強チームは、バビシュ首相と並ぶチェコの成金であるバカラ氏がスポンサーのOKDを買収したあたりから資金繰りが苦しくなり(因果関係があるかどうかは不明だし、時期もちょっとずれているような気がするけど)、近年は優勝争いに絡めていない。
 かつては、外国籍の選手もいたような気がするのだが、地元出身のカルビナーで育った若手選手を中心にチーム作りを進めていて、去年までは安定しないというか、要所要所で若手の中心選手が弱さを見せて勝てそうな試合に負けたり、予想外の惨敗を喫したりすることがあったのだが、若手が経験を積んでたくましくなったのか、テレビ中継がほとんどなかったのでよくわからないけれども、ロボシツェに対してあっさり三連勝で決勝進出を決めた。

 サイドを主戦場にしながらセンターを務めることもあるロボシツェのモトルは毎年のようにリーグの得点王になっていて、今年もただ一人200ゴールを越える203得点で得点王になっている。ただ、チェコのハンドボール協会のHPのデータが信用できるのかについては自信がない。2017/2018のシーズンのはずなのに、表の上には2014/2015という数字が書いてあるし。でも三位の同じロボシツェのクリムトは、去年まではここまで活躍してはいなかったはずだから、この表は今シーズンのものかなあ。
 今年三十四歳らしいモトルが引退する前に、ロボシツェの優勝が見てみたい気はする。サッカーでもアイスホッケーでも優勝することのあるプルゼニュに優勝されるぐらいならロボシツェに勝ってほしいと、モラビアのハンドボールファンとしては思うのである。長くなったので続きはまた明日。
2018年6月8日23時10分。



 6月8日には、世界選手権の出場権をかけたロシアとのプレーオフがプルゼニュで行なわれた。勝った勝った。大逆転で勝った。これについても一文物す予定である。

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2018年06月08日

デジカメ復活(六月七日)



 十年ほど前にデジカメを最後に使ったときも、その前に長い中断期間があったような記憶がある。あまりにも長く放置してしまったため充電池が充電しなくなってしまって、普通の乾電池を放り込んで使った。この充電池も海外でも使えるというのと充電できる回数が多いということで選んだのだが、たいして使わないうちに放電状態で長期間放置したために充電しなくなったということなのだろう。充電器で長時間充電しても赤いランプがついたままで充電終了を示す緑にはならなくなっていたし、その状態で機械に放り込んでも当然使えなかったのである。
 デジカメを購入したときには、普通の乾電池を使うなら、その中でもこのタイプを選べと指定されたような気もするのだけど、そんなのは覚えているわけもなく、適当に買ったのを入れたら、問題なく写真の撮影はできた。それがまたすぐ使わなくなって、今回確認したら一枚しか写真を撮っていなかった。何のためだったのだろう。自分でもわからない。

 さて、今回は、ブログの中断期間の前に記事が書けそうになかったときに、古い写真をひっぱりだしたのだが、このオリンパスのデジカメで撮ったはずの写真が見当たらなかったのである。写真をデジカメからハードディスクにコピーした昔使っていたパソコンはお釈迦になって久しく、その後継機にコピーしたかどうかは覚えていない。こちらも不調でお蔵入りしているので、できれば引っ張り出さずに済ませたい。
 もしかしたらカメラのメモリーか、カードに保存したままかもしれないと考えて、デジカメからカードを引っ張り出したのだけど、SDカードのような汎用のものではなく、どうも独自規格のもののようで、パソコンに入れるところがない。仕方なくデジカメの電源を入れてモニターで確認しようとしたら、今度は電源が入らない。電池ボックスを開けると液漏れを起こしていた。これで一度気落ちしてあきらめかけたのだけど、しばらく放置したあと、気を取り直して再度挑戦するために乾電池を買ってきた。
 液漏れの酷いところをできるだけきれいになるように掃除して、乾電池を入れて電源ボタンを押したら、意外とあっさり電源が入った。ズームも普通に使えるし、写真撮影も問題なくできた。撮ったのは自宅の窓から見えるしょうもない景色なんだけど大事なのは撮影できたことである。今更新しいデジカメを買う気にはならないし、携帯電話、もしくはスマホとやらで撮影なんて似合わないことはしたくない。20年近く前の製品がいまだに使えるなんて、我ながら物持ちがいいなあ。物持ちがいいのはカメラだけでなく、服なんかでも同じころに買ったのを未だに着続けていたりもする。成長していないのだよ。

 問題はカメラの使い方を覚えていなかったことで、保存された写真を見るためにしばらく試行錯誤する羽目になってしまった。保存された写真が一枚しかないのに、またまたやる気を失ってしまった。これでまた放置したら液漏れして今度こそ故障して使えなくなるのが関の山なので、持ち歩いてオロモウツの写真を撮ろうと考えた。考えたのだけど、メガネをかけているせいで、ファインダーだけでなく、液晶のモニターも見づらくて撮影しにくい。老眼が始まったのかなあ。カメラ持ち歩くときには眼鏡をはずすことにしよう。

 ということで、今後は、コメンスキー研究者のS先生のブログほどではないだろうけど、ときどきオロモウツの写真が登場するかもしれない。確定ではないけどね。写真撮るのがなんだか気恥ずかしいというのはいまだに残ってはいるし。
2018年6月7日23時。







このシリーズだと思うけど、これよりはかなり大きい。

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posted by olomoučan at 05:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2018年06月07日

デジカメ復活前史(六月六日)



 思えば20年近く前、チェコに来ることを決めたときにカメラを二つ準備した。一つは以前もどこかに書いたけれども、フィルムカメラでコンタックスのT2。新宿のカメラ屋、中古だったか新古品だったかを購入した。もう一つ、時代はデジタルに向かいつつあるということでデジタルカメラを買うことにした。あれこれいろいろなメーカーから出ていたのだけど、購入する候補として考えたのはあまりなかった。

 最初に買おうと考えたのはソニーのデジカメだった。理由はコンタックスと同じでカールツァイスのレンズを使用していることを謳い文句にしていたこと。ただし、雑誌の記事でドイツのカールツァイスで生産したレンズではなく、ソニーがブランドの名称使用権を獲得して自社製のレンズをカールツァイスにしてしまったものであることが判明して、即座に候補から外した。
 この辺りもソニーの悪い面が出たのだと思うのだが、カールツァイスなんて名称にこだわりがあるのは、よほどのカメラ好きか、カメラ好きではないけれども薀蓄は山ほど溜め込んでいるという人間ぐらいのはずである。そんな連中がソニーで作ったカールツァイスレンズなんてものに魅力を感じるとは思えない。それに、一般の人々にとっては、カールツァイスというブランドよりも、ドイツ製であることの方がアピールするはずである。
 結局、ソニーのカールツァイスレンズがどれだけの売り上げを記録したのかは知らないが、なんとも中途半端なことをするものだと当時感じたのを覚えている。ソニーの自社製のレンズがカールツァイスに匹敵するぐらい優れたものであるのなら、自社ブランドで売ればよかったのに。90年代の終わりは本家のカールツァイスも完全に落ち目だったから、ソニーが出す金に飛びついたのだろうけど、それで経営が再建されたりしたのだろうか。権利ビジネスの対象となって、中国辺りの何の関係もない会社がブランドの使用権を持っているという落ちのような気もする。

 ソニーを候補から外した後は、パナソニックも考えたのだけど、最終的にはカメラメーカーの方がよかろうということでオリンパスの製品を選んだ。コンタックスがズーム機能のない、結構大きくてボディがチタンのせいで重かったけど、コンパクトカメラだったから、一眼レフタイプとは言わないまでもズーム機能のついたものということで10倍ズームとかいうののついたのを買ったんだったかな。
 お店で勧められて充電器と充電池も購入した。チェコで乾電池が簡単に手に入るのかどうかわからなかったし、充電池の方が経済的でもありそうだった。まあ、この考えは完全に杞憂に終わったのだけど、それは乾電池が問題なく買えたという意味ではなく、経済性を云々しなければならないほどカメラを使わなかったという意味である。世界に冠たる写真好きの日本人にあるまじきとは言わば言え、せいぜい写るんですぐらいしか使ったことのなかった人間には、カメラを首にぶら下げて歩くのも、必要になるたびに鞄から取り出すのもちょっとハードルが高かった。
 あまりカメラを使わなくなった理由の一つは、眼鏡をかけていると使いにくいと言う点だった。デジカメなのだから小さな液晶のディスプレイもついていたのだけど、それを頼りに撮影するのはなんだか負けたような気がして、ファインダーを覗こうとして眼鏡のレンズをカメラにぶつけていた。

 それでもチェコに来た当初は、あちこちで書けた際に写真を撮っていたのだけどだんだん使用する回数が減ってしまって、最後にデジカメで写真を撮ったのは今から十年も前のことだったのである。というところで以下また明日。

2018年6月6日23時40分。








 ここまで高くはなかったと思うのだけど……。T2は京セラが作ってたのね。

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posted by olomoučan at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2018年06月06日

プラハ駅前観光反対側(六月六日)



 プラハでの用件が予想外に早く終わったため、帰りのペンドリーノまでの時間が三時間ほど空いてしまった。もちろん便を変更するのは可能だったはずだが、面倒くさかったしペンドリーノを使うこと自体も目的の一つだったからそのままにして、ノートPCの入ったカバンを抱えて散歩することにした。

 プラハの中央駅を出て左側、つまりバーツラフ広場に向かう方向は、これまで何度も歩き回ったけれども反対側に足を伸ばしたことは、少なくとも最近はなくどんなものがあるのかまったく知らない。トラムで通ったときにマサリク駅があるのは見ていたから、最初の目的地は、チェコスロバキア第一共和国の初代大統領の名前を冠した駅にする。
 マサリク駅は、これまで何度か廃止の話も出ていたと記憶するのだが、プラハから出る近距離の各駅停車用の駅である。特に東、北東に向かう電車が多いのかな。西に向かうのは、スミホフの駅から出るはずだし、中央駅から出る各駅停車もあるので、各駅停車ならすべてマサリク駅ということにはならないのである。オロモウツに向かう電車はすべて中央駅から出るから、使う理由もないのだけど、昔初めてチェコに来て旅行をしていたときには、何回か使ったような気もする。他にも最近名前を聞かなくなったホレショビツェの駅から電車に乗ったこともあるのだけど、あれはどこに行くときだっただろうか。

 とまれ、駅前の公園を抜けてトラムの停留所のところまで歩く。そこで左に曲がると駅の裏側、ビノフラディのほうに向かうことになるので、左斜め前の通りに入る。ここも駅前から続くオプレタル通りのようである。オプレタルは確かナチスがチェコの大学を閉鎖したときに虐殺されたカレル大学の学生である。その通りの突き当りがすでにマサリク駅で線路の向こうには、フローレンツのバスターミナルと思しきものも見えている。

 通りの突き当りを左に曲がって駅の外壁沿いに歩いて、最初の角を右に曲がると、マサリク駅の入り口である。ドアを開けて中に入るとすぐにホームが見えるというつくりで、中央駅のような駅舎は存在しないようである。おそらく、だから簡単に取り壊して近代的な巨大な建物を建てようという計画がしばしば現れるのだろう。外れのほうとはいえ、旧市街の一角をなす建物なので、なかなか最終的な許可が下りないみたいだけど。ブルタバ川沿いの踊るビルは例外中の例外なのである。あれはハベル大統領が……。
 マサリク駅は終着、始発の駅で、ホームは完全に行き止まりになっている。確か数年前にホームに入ってきた電車が、ブレーキの不調か運転士のミスかで止まり切れなずにホームに乗り上げるという事故を起こしていた記憶がある。チェコの鉄道も以前に比べると格段に安全に力を入れるようになっていて、ヒヤッとするシーンは減っているのだけど、ときどきこんなことが起こる。最近も旅客列車と貨物列車が線路の合流点に同時に入ろうとして、激突寸前で停止に成功したなんて事故が起こっていたし。

 マサリク駅を越えるとちょっとした広場のようになっているところに出る。そこを越えたところの交差点をわたったところに「café」の看板が出ていた。喫茶店で一休みするのも悪くないと思ったのだが、妙に高級そうな雰囲気である。よく見たら「カフェ・インペリアル」というお店で、プリマで料理番組を持っているチェコでは最も有名な料理人のスデニェク・ポールライフがやっているレストランじゃないか。コーヒー一杯だけでも高そうだから、外から見るだけでいいや。
 ポールライフの番組は、今でもしばしば見かけるのだけど、再放送なのか新しい番組なのかよくわからない。経営の思わしくないレストランを立て直すためにチェコの各地に指導に出向く番組は、多分イギリスの番組のフォーマットを購入して制作されたものだと思うけれども、チェコではなかなか新鮮で結構真面目に見ていた。ただ料理番組は飽きてしまうのである。それで最近は見なくなってしまった。

 それはともかく、この日のプラハ駅前散歩で、旧市街的な建物の並んでいる部分の外側に古い建物に挟まれて近代的なオフィスビルっぽい建物があって、その一階部分を中国系の銀行が占めていることに気づいてげんなりしてしまった。他にもあれこれ小さな発見はあったのだけど、観光客の波に襲われた中心部よりも、境界領域のほうがプラハは魅力的だということを再確認することができた。もちろんオロモウツはその上をいくわけだけどね。
2018年6月6日0時20分。









図説プラハ 塔と黄金と革命の都市 (ふくろうの本) [ 片野優 ]




2018年06月05日

久しぶりのペンドリーノ〈後〉(六月五日)



 最近、ひたすらチェコ語で文章を書いていたため、なんだか日本語で書くのがおぼつかない気がする。ここまでお休みが長くなったのもそのせいだと言いたいところだが、実際は単なる怠け癖である。一度怠けることを覚えてしまうとなかなか戻れない。言い訳が多いのは、中断してしまっていることに対する罪悪感を感じているからだろうか。

 それはともかく、プラハ行きである。ペンドリーノと同じ時間で走る別の電車は、最近プラハ‐ブルノ間などにも導入されて所要時間の短縮に寄与しているらしいレイルジェットという車両が使われていた。考えてみれば、現時点でチェコ国内の鉄道では最高でも時速160kmしか出せないのである。だから、ペンドリーノでなければプラハ‐オロモウツ間を2時間5分で結べないというわけではない。所要時間はむしろ停車駅の数によって左右される部分が大きい。その点、ペンドリーノはプラハまでの間にパルドビツェにしか停車しないから一番早いのである。
 もちろん、チェコ鉄道の古い車両では、改修された線路でも最高時速160kmで走ることはできないだろうけれども、レギオジェットにしろレオエキスプレスにしろ最近導入された新しい車両であれば、問題ないはずである。レギオジェットはペンドリーノよりも停車駅が三つか四つか多いのかな。レオは一回しか使っていないから覚えていない。

 乗り込んだ車両は空席のほうが多い感じだった。ペンドリーノじゃないから空いているのか、空いている時間帯だったのかはわからない。車内販売で買えるものが印刷されたメニューが置いてあって、スターバックスのコーヒーが買えるようなことが書いてある。一瞬試してみようかと思ったのだが、よく考えてみれば、以前もこれにつられて買ってみたらインスタントだったという落ちではなかったか。それにスターバックスのコーヒーってあんまり好みではなかったような気もする。一回しか飲んだことがないから、何とも言えないのだけど。
 レイルジェットの座席は、隣に人がいなかったおかげもあってかなり広く感じられ、太ももの上にノートPCをのっけて文章を書くのにあまり問題がなかった。牛ぎゅう詰めのレギオのスタンダードのコンパートメントよりは、はるかにゆとりがあった。欲を言えば、前の座席の下に足を載せるところ欲しかった。常に足のつま先を床に置いておく必要があるので、長時間書いていると足が震えだしてしまった。べったり足を下につけるとちょっと書きにくかったのである。その辺は足が短いが故であろうか。

 車内サービスはペンドリーノと同じ。水はもらった。新聞は日曜日で休刊日だったからもらわなかった。残り物を配っていたような気もするけれども、「ブレスク」ぐらいしか残っていなかったんじゃなかったか。同じ会社が出しているスポーツ新聞ならともかく、ゴシップ紙のブレスクは読んでもしかたがない。ちなみに何かと話題のゼマン大統領の広報官を務めるオフチャーチェク氏については、このブレスクの出身だという説がある。
 レギオは満席のことが多く行列ができているトイレも、空いていたおかげもあってトイレも問題なく使えたし、新しい車両でまだ清潔に保たれていた。ペンドリーノと同じ扱いだから特別な清掃チームが入っている可能性もあるのかな。

 正直な話、帰りに使ったペンドリーノとどちらが満足度が高いかと聞かれたら、乗り心地やサービスの面で言えば同じぐらいで、乗車券の値段を考えると、こちらのレイルジェットのほうが高かった。差額の70コルナがあれば、プラハでもまともなコーヒーが一杯飲めるわけだしさ。レギオのビジネスとの比較では、レギオの価格設定次第というところか。
 問題は、IC(レールジェット)になるか、SC(ペンドリーノ)になるかは、日替わりになっているということで、これでは事前に計算しにくい。レギオの価格設定も日替わりだけどある程度の傾向はあるから、チェコ鉄道もSCではなくICを走らせる可能性のある便を限定してくれると使いやすくなるのだけど。
2018年6月5日0時10分












2018年06月04日

久しぶりのペンドリーノ前(六月四日)


 五月の半ばにまたまたプラハに行く用事ができたときに、その日はなぜかレギオジェットの乗車券が普段の倍ぐらいになっていて、さすがに手を出しかねたのと、約束の時間に合う便がなかったのとで、久しぶりにチェコ鉄道を使うことにした。こちらは、価格変動制ではないので、いつでも運賃は同じである。

 プラハまで二時間から二時間半、座れないのは嫌なので、やはり座席指定のペンドリーノを使おうと考えて時刻表、ではなくてidos で探すのだけど出てこない。よく見たら、電車番号がIC510というのがあった。以前は500番台はすべてSCでペンドリーノだったはずだが、別の車両が使われているからICになっているのだろうか。所要時間は2時間5分とSCペンドリーノと全く同じである。
 座席の指定も必要なようだし、到着もお昼ちょっと過ぎでちょうどよかったので、行きはこれを使うことにした。帰りはちょっと予定を遅らせてペンドリーノにする。以前と比べてどう変わっているのかも確認したいし、ペンドリーノと同じ番号で走っているものとの比較もしてみたい。

 駅まで出向いて買おうかとも思ったのだけど、使う電車を決めたのが前日の夜のことで今さら駅に行くのもなあということで、最近使う機会が増えたネット上でのお買い物である。idosで買う(Kup)というボタンを押すと、チェコ鉄道のEショップに移動する。緑色の値段を表示するというボタンを押して値段を確認すると220コルナ、ポイントが22付くとか書いてあるのだけど、ポイントをもらうには多分登録が必要なはずである。できれば無駄な登録はしたくないので、そのまま手続きを進めた。
 ペンドリーノと同じ番号だけあって座席の指定券は必須になっている。座席の指定もお任せにしてもよかったのだけど、一応自分で選ぶことにして、選択画面を開いたのだけど、わかりにくい。座席番号が赤のところと黒のところがあり、座席を示す□が赤く塗られているところと白のままのところがある。最初は、赤塗りの席が少なかったこともあって、赤い数字の席がすでに予約済みなのだろうと思ったのだが、そうではなくて、赤の数字は、特別な席を示しているようである。

 特別な席って何だということで、車両の編成を確認すると、子供づれ用の席とか、女性の一人旅用の席とかあれこれ設定されているようである。子供用はともかく一人旅の女性向けの席とか存在を知っている人はいるのだろうか。
 問題は、座席選択画面ではそんな座席の種類が表示されないことで、黒い数字の座席を選ぶしかなかった。空席が多かったからよかったけれども、これで込んでいたら座席を探すの大変だっただろう。とりあえず空いている車両の空席の多い辺りの二人掛けの席の窓側を選んでおいた。これだけ空いていれば隣に座る人はいるまい。

 帰りのペンドリーノのほうは、空席はほとんど残っていなかったが、赤字の座席はなかったので、一人がけの席を選ぶ。ちょっと驚いたのは指定席の値段で、以前使ったときには、指定券が50コルナ、もしくは指定券込みで250コルナだったと記憶しているのだけど、今回指定券だけで70コルナ、運賃も合わせると290コルナになる。これだとレギオジェットのビジネスのほうが安いケースもかなり出てきそうである。四月の観光シーズンに入ってからレギオジェットの値段が上がっているという話もあるので、そこまで多くはならないかもしれない。とまれ、今回のチェコ鉄道の利用で次にプラハに向かうときにどちらを使うかを決めることになる。
2018年6月4日0時。








2018年06月03日

スラビア=スパルタ(六月三日)



 チェコ第二のサッカーチーム、スラビア・プラハの現在のオーナーは、CEFCとかいう中国の投資会社である。この会社は派手好きの中国資本らしく、チェコ国内で多大な投資を行ってさまざまな企業を買収しているのだが、その派手好きの象徴が、スラビア・プラハと其の本拠地のエデンのスタジアムである。
 スラビアの外資系のオーナー企業というと、10年ほど前までイギリスのENIC社がオーナーだったのだが、この会社、買収したときにはチームに対して多額の投資、特にエデンのスタジアムの建て替えを約束しておきながら、スラビアから選手をイングランドに連れていくぐらいのことしかせず、ファンの反感を買っていたのだが、中国資本は、同じく派手好きの元防衛大臣トブルディーク氏を代理人に立てて、昨年の夏以来スラビアに対しても多額の資金を投入していた。その多額の投資がスパルタの場合と同様に期待通りの結果をもたらしたとは言えないのはともかく、それらの投資の多くを借金で賄っていたというのが今回の問題につながるのである。

 借金自体は、政治的な問題が起こらなければどうにでもなったのだろうけれども、ことは中国の企業である。今年の初めに、ゼマン大統領の相談役にも任命されていた中国のCEFCの本体の社長が逮捕されたことでおかしくなった。経済事件で逮捕されたのか、党の意向に反したということで粛清されたのかは不明だが、連絡がつかなくなったらしい。大統領府でも確認のために特使を中国に派遣したんじゃなかったかな。
 ボス不在の混乱の中で資金切れを起こしたのか、親会社となった政府系の金融会社が出し惜しみをしたのか、CEFCは期限を迎えた借金を返済することができなかったらしい。問題は借金をしていた相手がチェコのJ&Tバンカという投資会社だったということである。実はこの会社、スラビアのライバルであるスパルタ・プラハのオーナー企業なのである。

 トブルディークお得意のネット上での言い訳もむなしく、期日までに返済を完了することができず、J&Tは借金のかたに資産の差し押さえに出た。スラビアでもトブルディークを解任して、暫定の経営陣を送り込んだ。送り込まれたのが、みなスパルタの関係者だったのである。この時点で、J&Tはスパルタとスラビアのオーナーを兼任することになった。
 この状態が続けば、サッカーの国際組織辺りからいちゃもんがついたのだろうけれども、結局CEFCの親会社が資金を提供することで、借金を完済し、スラビアは再びCEFCの手に戻り、トブルディークもクラブの役職に復帰した。スパルタとスラビアの合併なんてことになったらプラハはあれそうだなあなんて考えていたのだけど、まあそれはハナから無理な話だったのである。

 このスラビアの問題が、表ざたになり始めたのが、リーグ戦も二節を残すばかりとなったころで、トブルディークが解任された直後の29節で、スラビアがヤブロネツに惨敗して、プルゼニュの優勝が決まったという事実は気にならないわけではないけれども、優勝したのはスパルタにとっては目の上のたん瘤になりつつあるプルゼニュで、その時点ではスパルタがスラビアを抜いて二位になる可能性は完全に消滅していたから、なにがしかの意図が働いたということはないと思いたい。
 
 ちなみに、チェコリーグは、プルゼニュ優勝、スラビア二位、三位ヤブロネツ、四位オロモウツ、五位スパルタ。ここまでがヨーロッパのカップ戦の出場権を獲得した。降格はブルノと、最終節に直接対決でカルビナーに負けたイフラバ。イフラバは一時は残留確実かと思われたのだけどねえ。
2018年6月3日0時10分。






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2018年06月02日

本が届いた。あるいは、カロウセクに勝った(六月二日)





 ご無沙汰が続いてしまっているが、ようやくちょっと時間が取れたのと、書くべきできことが発生したので、一時復活する(この部分を書いたのはすでに半月以上前のこと)。これまでもがんばれば書けなくはなかったのだが、一度休んでしまったせいで、毎日かんばって書き続ける気力をかきたてることができなくなってしまったのだ。欠けてしまった分を追加で埋め合わせることも考えているのだけど、どうなるかは、まだわからない。怠け者の本性が、無理することはないとささやきかけてくる。
 さて、本題に入ろう。四月の確か上旬にhontoで注文した紙の本が無事に到着した。その過程で、小包が配達された日には、自宅にいても不在の連絡票が入って、近くの郵便局にとりに行かなければならないことが多い理由がわかってしまった。歩きで配達をする郵便配達の人には、2kg以下で手紙扱いになっているとはいえ、持ちきれないことが多いらしいのだ。そのため、最初から郵便局に置いたまま配達に出て、在、不在を問わず、不在の連絡票を入れて、自分で取りに行ってもらうことになる。自動車で配達するはずの、本当の小包でも同じ対応をされたことがあるから、それだけが原因とは言い切れないのだけど、それなりの理由があることを知れたのはよかった。
 今回の買い物で確認したかったのは、手紙扱いで送れる2kg以内の買い物の場合にチェコの消費税を取られるかどうかだったのだが、結論から先に言えば取られなかった。だから、今回買った二冊の本は、日本で買うよりも送料の分だけ高く、日本の消費税の分だけ安かったということになる。差し引き1200円ぐらい高かったのかな。一冊あたり600円と考えれば、そんなに悪くない。悪くないけれども、調子に乗って何冊も買おうと思えるほどではない。今後もhontoで買い物を続けるかどうか、悩むことになりそうである。
 いや、その前に電子書籍の割引クーポンを使って、講談社学術文庫の現代語訳『権記』を買うかどうかである。語釈とか人名解説が付いた上での翻訳なら是非もなくほしい。ただ、今回購入した『小右記』の現代語訳は、巻末の簡単な語彙、人名解釈を除くと本当に訳しか出ていなかったんだよなあ。『権記』は原文も手に入れていないから訳だけでも読んでおいたほうがいいのかもしれないけど。何のためにとは聞くなかれ。
 購入した『小右記』の現代語訳は、訳文が独特の文体で慣れるまではちょっと読みにくかったけれども慣れてしまえば問題ないし、原文を読むよりも早く読めるのはありがたい。ただ個々の記事に語注がないので読んで手に入る情報量が原文を読むのと大差ないというのがちょっと不満である。巻末に語注はあるけれども、辞書引いても出てこないような変な言葉は取り上げられていないしさ。編者が使用を勧めているジャパンナレッジで調べられるような言葉や人名は省略して、辞書にはでてこないような言葉、人名を巻毎に内容を変えて取り上げてくれたらよかったのに。それだと一般読者受けしなくて販売戦略上問題が出てくることになりそうではあるけど。
 どこかの出版社が、原文、書き下し文に簡単な語釈の付いた『小右記』を出してくれんもんかね。小右記研究会が出したような厳密な注じゃなくてもいいからさ。次は『小右記注釈』を取り寄せようかなあ。一冊で2kg越えてるってことはないだろうし。
 表題はカロウセクが導入した外国人いじめの税金二重取りを回避できたことへの喜びがあふれたものである。




現代語訳 小右記 1: 三代の蔵人頭





現代語訳 小右記 2: 道長政権の成立







2018年06月01日

復活に際して(六月一日)



 当初の予定では一週間程度で再開するはずだったのが、そのぐらいの期間は写真と似非漢文でしのげると思っていたのだけど、ここまで中断期間が延びたのは、忙しさが停まらなかったからというわけではない。かなり無理をしてチェコ語の文章を大量に生産していたのは、最初の十日ほどである。あとは生来のなまけ癖が爆発していたのに過ぎない。
 いや、中断期間もほそぼそとネタのあるときに書いてはいたのだよ。ただなかなか筆が進まず、中途半端なところで放置して完結させないというかつての悪癖が再び現れてしまっていた。なまけ癖は、ブログの管理画面にログインするのも面倒だと思うほどで、無理やり書いたものにけりをつけようという意欲はほとんどわかず、中断から一週間目とか十日目とか、何度か再開をしようと考えたことはあるのだけど、踏ん切りがつかなかった。
 それなら切りのいいところにしようということで、月始めの本日再開ということになった次第である。チェコ時間の6月1日夜にするか、日本時間の6月1日朝にするかでちょっと悩んだけど、日本時間の6月1日朝、チェコ時間で6月1日午前0時過ぎということにした。切りがいいと言えば、夏越の祓を経た7月1日のほうがいいのだろうけど、そこまで中断期間を延長すると、再開できる自信がない。

 自分の性格を考えると、ここまで二年半近く曲がりなりにもほぼ毎日連続で更新してこられたのは、文字通り奇蹟である。逆に言えば、毎日という縛りがあったからこそ続けられたと言ってもいいかもしれない。これが、週一とか、二日に一回とかの緩さだったら、際限なく緩めて行って、文章が書けたら更新というルールにしてしまうに違いない。そして書く際にもけりをつけないままに、どうやってけりをつけようかと考えながら忘れていくのである。
 こんな自分なので、今回の再開後も毎日更新を義務付けることにする。ただ、初期と比べると一日当たりの分量が増えているような気がするので、初心に返って毎日A4一枚ぐらいの分量にしようか。例によって無駄に長くなってしまったときには分割である。中途半端な長さになった場合には、枕の部分を延長してから分割。これまでも長いのは分割していたからあまり変わらないかもしれないし、書いているうちに、また少しずつ一日当たりの分量が長くなっていくだろうけれども、一度短くしておかないと際限がないしね。
 中断期間中に書いたものは、日付を付けるのをやめようかなあなんてことも考えているのだけど、どうしようか。日付を入れて話の初めにいつ頃書いたかわかるような記述を追加しようか。月刊誌や週刊誌の刊行日と同じだと考えよう。記事の後ろに着く日付は、その日付けで発表した記事だということにしておく。ということで、この記事は6月1日付けである。書いているのは5月の晦日だけどもさ。この辺はしばらく試行錯誤させてもらう。






posted by olomoučan at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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