新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年06月23日
新聞の外国の人名表記(六月廿二日)
チェコ代表が予選で負けてしまった結果、あまり盛り上がらないまま、いつの間にかという感じで始まっていたサッカーのワールドカップに関して、ちょっと面白い記事を見つけた。たまに取り上げる「アゴラ」の記事なのだけど、いやはや、新聞社ってのは、新聞社の社員てのは校正担当も含めて、どうしようもねえなあというのが読んでの感想である。
この記事では、「なぜ一般紙は「ロナウド」でなく「ロナルド」なのか?」という問いに答えようとしているのだが、その答えが、ひどすぎる。ひどいのはこの記事の著者ではなく、著者が引用している毎日新聞の校閲部の解説である。孫引きになるけれども引用する。
ロナルド選手の場合、サッカーに詳しくない読者も多い一般紙は現地の発音に近づけることを優先し、逆にある程度サッカーに親しんでいる読者層に向けた媒体は、慣例の表記として「ロナウド」を選ぶ傾向にあるのではないかと推測できるのです。 (http://www.mainichi-kotoba.jp/2014/06/c.html)
新聞の記事の中には、ろくに取材もせずに、自社に都合のいいストーリーに基づいて憶測に憶測を重ねて恥じないような、何の根拠もないものがあるのは知っていたけれども、これもその一つだと言えそうである。末尾に「推測できるのです」とあるあたり、特に取材もせず、自社の表記を正当化するために、「ロナルド」のほうが現地の発音に近いのだと主張しているのは明らかだが、大嘘である。
かつてスウェーデンのテニス選手の名前を、多くの新聞が英語風に「エドバーグ」と記していた中、現地読みに近い「エドベリ」という表記を採用する見識を見せていた毎日新聞がこんな状態だということは、他の大手新聞は推して知るべしであろう。「アゴラ」の記事の著者は、共同通信の配信する記事を利用しているからと弁護しているが、各新聞社内でそれぞれの基準に従って、表記を決め、場合によっては共同通信の表記を修正しているはずである。これは、かつては毎日新聞ですらかつての修正できるだけの見識を失ったことを示している。仮に新聞が事実を報道するものだというのなら、「推測」で自己正当化をはかるのではなく、ポルトガル語の知識を持つ人に確認するべきなのだ。
毎日新聞の「ロナルド」のほうが現地の発音に近いという主張をでたらめだと談じる根拠としては、チェコテレビのアナウンサーたちの発音を挙げればそれで十分なのだが、その前に日本語の枠内で、説明をしておこう。
問題になるポルトガルの選手はローマ字では「Ronaldo」と表記される。これが日本語の慣用表記として何の理由もなく「ロナウド」になるとは考えられない。ローマ字読みすれば、どう考えても「ロナルド」になるこの名前が「ロナウド」と表記されるためには、何らかの根拠が必要である。その根拠が現地のポルトガル語では「ロナウド」に近い発音がなされるということであろう。
だから、一般紙で「ロナルド」になっているのこそ、ローマ字読み、もしくは英語の発音に基づいた慣用表記であって、海外のサッカー関係者ともやり取りをする専門誌では、その表記に飽き足らなくなって「ロナウド」という現地音に近い表記を使用し始めたというのが正しい。だから、毎日新聞の主張は全く反対なのである。「ロナルド」と慣例的に表記するのを批判するつもりはない。ただ、それをでたらめな理由で正当化するのが許せないだけである。
チェコ語の場合には、表記は「Ronaldo」で問題はないのだが、発音が問題になる。チェコテレビのサッカー関係者は、みな「ロナウド」に近い発音を使用している。チェコ語も原則としてローマ字読みなので、特に理由がなければ「ロナルド」になるはずである。それが「ロナウド」になるのは、ポルトガル語の発音にあわせているからに他ならない。
ちなみに人名の末尾の「do」に関しても、「ド」なのか「ドゥ」になるのか、ポルトガル語とスペイン語で違うとか、地方によって違うとか、サッカーの番組で、現地取材に基づいて議論していたのを覚えている。結局どういうことになったのかは覚えていないし、正直な話「ロナウド」と言われても、「ロナウドゥ」と言われても、単独で発音されない限りとっさには判別できないからどちらもいいと思うのだけどね。
日本の新聞も、仮にも校閲部を名乗るのであれば、現地の発音をその言葉の専門家に尋ねて表記を決めるぐらいのことをしても罰は当たらないと思う。
2018年6月22日23時10分