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2018年06月12日
『物語を忘れた外国語』前(六月十一日)
言わずと知れた黒田龍之助師の著書である。「小説新潮」に、2015年11月号から2017年4月号まで、ほぼ一年半にわたって連載されたものを単行本化したもので、実は連載の第一回だけは、日本に住んでいる知人が、こんなの出たよと言って雑誌を送ってくれたので読んでいたのだが、新潮社では「小説新潮」の記事をネット上で読ませる気はないらしく、各回の題名とか、連載が続いていることぐらいしか確認できていなかった。新潮社も「週刊新潮」あたりのくだらない記事をネットで公開するぐらいなら、黒田師の連載を公開したほうが、新規の読者も獲得できてはるかにマシだと思うのだけど。
それより許せないのは「日本経済新聞」で、師のエッセイを公開してはいるものの、全文読むためには、読者登録をしなければいけない。題名と冒頭だけ読んでさあこれからというところでお預けを食わされるのである。もともと低かった日経への評価がさらに下がったことは言うまでもない。そんなに読みたきゃ登録しろとは言うなかれ、学生時代に、人生で成功したければ日経を読め的なキャンペーンに嫌悪感を感じて以来のアンチ日経なのである。記事を読むぐらいなら、そこに目をつぶるけれども、読者として登録なんてのは、やはりできない。悩むんだけどさ、いや今でも悩んでいるんだけど、もしかしたら我慢できなくなって登録してしまうかもしれないけれども、恨みつらみは大きくなる一方である。
話を戻そう。「小説新潮」の連載は読めないから、やがて確認もしなくなり、あの連載はどうなったのだろうかと思い出したのは、現代書館がネット上での連載をまとめて『ロシア語だけの青春』を刊行することを知ったときだった。無駄に忙しかった時期で、わざわざ確認する余裕もなかったのだけど、ひょんなことからすでに刊行されていることを知った。
一ヶ月ほど前のことになるだろうか。仕事上で付き合いのある人から、とは言っても面識はなくメールでのやり取りしかしたことはないのだが、個人的なメールをいただいた。それが黒田師の本、『その他の外国語 エトセトラ』についてだったのである。この方は宇都宮の方でと書くと、わかる人もいるだろうか。オロモウツのパラツキー大学から宇都宮大学に留学した学生を何人か知っているらしいのである。
そして、たまたま『その他の外国語 エトセトラ』を手にとって読んでみたら、明らかに知り合いと思えるチェコ人、パラツキー大学の学生が登場していることに感動して、メールを下さったらしい。こちらは、その方がたまたま手に取られた本が『その他の外国語 エトセトラ』であったことと、本に感動されたという事実に感動して、もしくはうれしくなって、即座に返事のメールを書いたのはもちろん、日本にいる黒田師と面識のある知人にも、メールを送りつけてしまったのである。
あらまほしきものは、先達ならぬ友なりけりということで、その知人が、「小説新潮」を送ってくれたのと同じ人なのだけど、最近黒田師の本が次々出版されていて月刊黒田状態であることと、『物語を忘れた外国語』も刊行済みであることを教えてくれた。のみならず、日本から送ってくれるというのである。贈ってのほうがいいかもしれないが、とにかく、改めて日本のほうを向いて拝むとともに、足を向けて寝られないという気持ちを新たにしたのであった。
いや、新しい本が出ていることを知らされたときには、最近利用を再開したhontoで購入しようかと思ったのだよ。海外発送も問題なくしてくれて、おまけに税金もかからないから、紙の本を買うハードルは以前と比べると断然に下がっている。でも、でもである。自らの収入の少なさを考えると、ここはお願いしておこうということで、申し訳ないと思いつつ、お願いしてしまった。
それが届いたのは、先週のことで、例によって郵便局まで取りに行った。最近在宅でも不在配達票が放り込まれることが多いのだけど、今回は本当に配達に来たと称する時間は不在にしていた。仕事に行く途中にショッピングセンターのシャントフカ内にある郵便局によって受け取ってきた。シャントフカ全体の営業時間である午後九時まで開いているらしいから仕事帰りでもよかったのだが、楽しみで待ち切れなかったのである。
歩きながら封筒を開けて、出てきた二冊、『物語を忘れた外国語』と『ロシア語だけの青春』のうち、まだ読んでいない部分の多い『物語を忘れた外国語』を読み始めた。職場まで人通りの少ない城下の公園を歩けたからできたことではあるけど、それができなかったら、無理やりトラムを使って職場に向かうことにしていただろう。
本の内容に入る前に、一日分の分量を越えてしまった。ということで、つづきはまた明日。
2018年6月11日23時40分。