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2017年11月10日
2018年大統領選挙立候補者1 ゼマン大統領(十一月七日)
本日をもって、来年行われるチェコ共和国の大統領選挙への立候補の届け出が締め切られた。前回に続いて二回目の国民の直接選挙によって行われる大統領選挙には、18人(20人という説もある)の候補者が立候補を届け出たという。ただし、その全員が立候補に必要な署名を集められたわけではないようである。現時点では立候補者の名前が公表されておらず、役所の間で公表するかどうかでもめているらしい。この辺、事前に決められていないのがチェコである。
念のために復習しておくと(まだどこにも書いていないかもしれないが)、大統領選挙に立候補するためには推薦の署名が必要である。有権者の署名を集める場合には、五万人分以上の署名がい必要で、前回不正な署名が多いと判断されたことから、今回は署名を集める際に身分証明書を見せ、生年月日に基づいて生まれたときに与えられるマイナンバーみたいなものも記入することになった。
政治家の推薦を求める場合には、上院議員は二十名以上、下院議員は十名以上の署名が必要になる。この数の差は、上院議員のほうが重んじられているからではなく、上院のほうが定員が少なく同じにすると上院議員の推薦での立候補が難しくなるからだろう。上院、下院で半分ずつ、つまり五名と十名なんて署名の集め方が認められているのかどうかはわからない。有権者の署名との組み合わせは計算もややこしくなるから認められてはいなさそうである。
最終的には、有権者の署名のチェックなどを経て今月下旬に立候補者が確定するのだが、現時点で恐らく立候補が認められるだろうと考えられている人たちを紹介しておく。
一人目は言わずと知れたミロシュ・ゼマン大統領で、今回は選挙運動はしないで選挙期間中も大統領の職務を全うするとのたまっている。ただその大統領の仕事というのが、外遊を除けば内遊、つまりはチェコ国内の各地方を訪問して、地元の人々と接して国民みんなの大統領であることを示すというものであることが多いから、大統領の職務自体が選挙運動になっているという面もかなりある。一回目の投票で一番多くの票を集めるのが現職の強みを生かしたゼマン大統領であることには疑いの余地はない。問題は上位二人だけが進出する二回目の決選投票で反ゼマン連合が結成された場合にどうなるかである。
先月だったと思うけれども、欧州評議会でウクライナ政府に対して、クリミア半島のロシアによる併合はすでに実行され完結したもので、もはやひっくり返せないのだから、ウクライナはクリミア半島併合に対する賠償金を求めるような現実的な対応を模索したほうがいいというような極めて具体的な助言をしたことで、内外の批判を集めている。にっちもさっちもいかなくなっている現状を打開するには、あながち完全に間違た意見とも言えないとは思うけれども、欧州評議会であけっぴろげに言うべきことではないわな。じゃあチェコはプラハをロシアに売りつけるんだななんて、どこかピント外れな反論をされていたけど。
下院選挙後も、バビシュ氏を首相に任命するために、もしくはバビシュ氏が内閣を成立させることができるようにあれこれ援護射撃をしていることで、反バビシュグループからも強い批判を浴びている。反バビシュと反ゼマンは重なる部分が大きいから、反ゼマンの数はそんなに増えてはいないのだろうけど。中立の外国人から見ても、それはまずいだろうと思うのが、バビシュ氏が組閣をして、その内閣が国会で信任を得られなかった場合にも、信任のない内閣として政府を運営していくことは可能だという意見である。さすがにこれにはバビシュ氏もそれは避けたいと言っているようである。
チェコの憲法では、下院の総選挙の後、三回まで組閣と信任獲得を試みることができる。最初の二回は大統領が首班を指名し、三回目だけは下院の議長が指名することになっているらしい。だから、市民民主党が議長の座を求めて頑張って無駄な交渉をしているのだけど、それはここでは別問題。とにかく現在指名されたバビシュ氏の組閣と信任獲得が失敗に終わった場合、大統領は二回目の指名をする。別の人物を指名してもいいのだが、恐らくは再びバビシュ氏が指名されるだろう。二回目でもダメだった場合には、下院の議長になる人、現時点ではANOの下院議員が、これも恐らくバビシュ氏を指名する。
大統領は、誕生した新内閣が下院の信任を得られなかったときには、「下院を解散することができる」と憲法には書かれているのだという。ゼマン大統領の指摘は、「解散しなければならない」ではなく、「解散することができる」だということである。つまり内閣が信任を得られなくても、下院を「解散しなくてもいい」のだと主張している。うーん。反ゼマン派が、大統領は憲法や法律を恣意的に解釈しすぎだと批判するのもむべなるかなである。
最近のニュースでは、当初は連立を拒否する立場をとっていたSPDのオカムラ氏が、ANOと連立してもいいと言い出したり(バビシュ氏は嫌がっているようだけど)、キリスト教民主同盟の上院議員が連立与党に参加したほうがいいという発言をしたり、バビシュ政権を国会の信任付きで誕生させた方がいいという主張も出始めているので、来年までには収まるところに収まって、バビシュ政権が誕生し、バビシュ首相のもとで、大統領選挙が行われゼマン大統領が再選されることになりそうである。
ところで、ゼマン大統領の健康問題も、大統領選挙の結果に影響を与えかねない。杖を突いて歩いている姿や、記者会見での話し方などが、これまで以上に疲れているように見え、一部では癌を患っているのではないかという説も出ている。もちろん大統領府ではそれを即座に否定して、反ゼマン派のでっちあげだと反論しているわけだが、本当に健康に問題があるのなら出馬は取りやめたほうがいいと思うのだけど。
また予定より長くなったので、他の人たちについては後日改めて。
2017年11月8日19時。
2017年11月09日
2017年下院総選挙ČSSD(十一月六日)
今回の選挙で圧勝したANOに対して、惨敗したのが社会民主党である。前回の選挙で勝利し第一党にはなったものの、予想されたほどの勝利でなかったために、反ソボトカ一派の党内クーデターの試みを許してしまったのが、ケチのつけ始めだった。そこで、中途半端な対応に終始してしまったことが、その後の支持率の低下を招いたと言ってもいい。ここで、反対派も含めて党内融和、党内合意を達成するか、不祥事を起こした反対派の知事を除籍処分にするかしていれば、多少はましだったのではないかと思う。
いや、今年の入ってからの社会民主党とソボトカ首相の迷走がなければ、ここまでひどいことにはならなかったはずである。この党、共産党と並んでコアな支持層を誇っているのだから。その何があっても社会民主党を支持するという層が、大体得票率で言うと6〜7パーセントだと言われるから、今回の選挙では、そこからほとんど上積みできなかったということになる。これまでの選挙では、社会民主党を支持してきた層の支持が向かった先が、ANOだったというのが今回の結果である。
社会民主党が負けたのは、もう自滅としか言いようがない。選挙の行われる今年に入って、ANOが支持を伸ばし、社会民主党が支持を減らす世論調査の結果が相次いだことに焦ったソボトカ首相をはじめとする指導部が、無理やりバビシュ財務大臣を排斥するために動いたのが一番の失敗だった。バビシュ氏を政権から排除することで、社会民主党への支持が上昇すると考えていたのだとしたらお粗末だとしか言えない。
チェコの有権者たちが、既存政党の政治家たちからあれだけ批判されるようなことをしたバビシュ氏を支持し続けるのには、理由があるはずである。それは、恐らく政治家たちが執拗に非難するバビシュ氏の不祥事が、基本的に自分の運営する企業の資金繰りに関する物であって、最終的にはそれがバビシュ氏の資産を増やすことになるにしても、企業で使うための資金を多少犯罪的な手法で手に入れたというものであるのに対して、既存政党の政治家の不祥事は金を自らの懐に入れるためのものであるという点である。言い換えれば、バビシュ氏の不祥事は経済活動を促進する可能性があるのに対して、政治家たちの不祥事は何の役にも立っていない。だから、いかに政治家たちが脱税だとか、補助金の不正な獲得だとか批判しても、有権者はお前らが言うなという反応になるのである。
既存の政党の側が市民民主党がプラハでやったような党内の腐敗政治家の排除をやって見せていれば多少は違ったのだろうが、政治家たちが不祥事に於いてかばい合うのはどこの国でも変わらないのである。賄賂としてもらった現金を所持していたことで現行犯逮捕された元厚生大臣で中央ボヘミア地方知事のラート氏に対してでさえ、バビシュ氏に対するような強い批判を浴びせる政治家はいなかった。あれも実は社会民主党の政治資金集めだという話もあったからなあ。その疑惑を放置して、バビシュ氏を批判してもなあ。市民民主党もベーム氏などの怪しすぎる政治家とロビイストの結びつきを明らかにして、告発するぐらいのことをすれば、もっと支持率を延ばせたと思うんだけど。
何をやっても世論がバビシュ氏解任に向かわないことを知ったソボトカ氏の第二の失敗が、内閣総辞職を言い出したことで、第三の失敗が、ゼマン大統領が辞表を提出した場合、首相のみの辞職だと認識すると言ったときに、辞職を撤回してしまったことである。ここで撤回せずに辞表を提出していれば、打つ手がなくなるのはゼマン大統領の側だっただのだが、ソボトカ氏は社会民主党の閣僚を信じることができなかったのか、辞表の提出を撤回してしまった。これで、このときの騒動はバビシュ氏をやめさせたいソボトカ氏があれこれ画策しているに過ぎないという印象を与えてしまった。
そして、最悪だったのが、選挙までは首相を続けるが、選挙後は社会民主党が勝った場合でも首相候補にはならないと宣言してしまったことだ。これで、本人が政界を引退するというのならまだ救いもあったのだが、本人は選挙には出馬して国会議員は続けるというのだから、開いた口が塞がらない。
ソボトカ氏は党の支持率が10パーセントを割りそうなところまで下がったことで、自分が首相を続けるとさらに支持率が下がると考えたのだろうが、下院の任期満了まで務めるなんていう中途半端なことはしないで、その場で国会を解散して臨時の総選挙に持ち込めばよかったのだ。それを七月八月の夏休みに選挙を行うのはよくないとかいうわけのわからない理由で解散しなかったのだから、地位にしがみついていると思われても仕方がない。
さらに後継者として、選挙戦のリーダーにザオラーレク氏、党首にホバネツ氏という二人を指名したのも意味不明で、選挙における社会民主党の顔がぼやけてしまった。これで迷走から抜け出せなくなってしまった社会民主党の選挙運動は、全く有権者を引き付けることのできないものになってしまっていた。新聞なんかでも意味不明だとこき下ろされていたし、選挙速報では、みんな賛成できるようなスローガンは掲げているけど、ありきたりでこれ見て社会民主党に投票する人はいないと酷評されていた。
選挙速報では、ソボトカ内閣の功績がバビシュ氏の功績だと受け取られてしまっていたのも社会民主党の敗因だと指摘されていた。これをANOが功績を盗んだのだと考えてはいけない。社会民主党が自ら手放したのである。選挙に負けたわけでもないのに党首である首相が退陣するというのは、党が自ら内閣の功績を否定しているに等しい。そうなればもう一人の内閣の立役者バビシュ氏に票を投じたほうが、現在の内閣の政策が継続されると考えるのも当然である。ソボトカ氏が、病気か何かを理由に政界から引退すると言って、後をザオラーレク氏あたりに託すとかいう筋書きでもあればまた話は別だったのだろうけどさ。
選挙に負けたことで、選挙のリーダーだったザオラーレク氏、選挙後の党首とみなされていたホバネツ氏など指導部の退陣も確実視されているが、惨敗に対する対応が遅すぎる。同じく得票率を減らしたTOP09では、カロウセク氏がはやばやと党首の座を降りることを表明し、12月の党大会で新しい党首を選ぶことになっているのに対して、社会民主党では来年の四月、その後、少し早めて二月に新しい指導部を選出する党大会が行われることになっている。新しいとは言っても、ハシェク氏とかジモラ氏とか、金銭的スキャンダルを起こして隠されている連中が、またぞろ表に出てくるだけだろう。これでは次の選挙も大変そうである。
社会民主党が敗因の一つに挙げているものに、チェコで世界最大級の埋蔵量が確認されたリチウムの採掘に関して、社会民主党の大臣が外国企業と契約を結んだのを事件化されたというものがあるけれども、選挙前の微妙な時期にすることではないよな。自業自得である。いや、このぐらいのことはしても、得票率は減らないと高をくくっていたのだろう。そんな政治家であること、既存の大政党であることからくる傲慢な行動が積み重なった結果が、今回の自滅だったのである。市民民主党は党内改革を経て立ち直りの道を見つけたように見える。社会民主党はどうであろうか。
2017年11月7日24時。
2017年11月08日
チェコテレビも見よう(十一月五日)
チェスキー・ロズフラスの話をしたときに、本当はチェコテレビが見られるようになっているのもうらやましいということも書こうと思っていたのだった。チェコテレビは、同じように受信料で運営されている日本のNHKのような、せこいことはしないので、ネット上に公開されている番組の視聴には、リアルタイムでの視聴も含めて何の制限もかけていない。例外はオリンピックやサッカーのチャンピオンズリーグなどの銭ゲバ組織が運営しているイベントでチェコテレビが権利金の高さに、ネット上での放映権を買えなかった番組ぐらいである。それも買えることもあるから常にみられないというわけでもないし。
番組が放映された後も視聴できるようになっていることも多く、さすがに無期限ではないと思うけれども、チェコテレビ作成の番組の場合には、特設のページが設けられてアーカイブされていることもある。最初の放送からしばらくして再放送をするころには、見られなくなっていることが多いかもしれない。再放送の後はまた見られるようになるはずである。
世の中には楽観的な人がいて、テレビでニュース番組を見るのは外国語の勉強にものすごく役に立つという人がいるけれども、そんなのはただの勘違いである。何の工夫もなくテレビでニュースを見るぐらいならラジオのニュースを何度も何度も繰り返し聞いたほうがましである、移動しながらでも聞くことができるのだし。それなら耳だけは鍛えることができるだろう。
チェコでテレビを見ているのならテレテキストの機能で字幕を表示させることができるから、耳で聞きながら目で読むことは可能である。ただ省略される言葉もあるし、ネット上の放送でこの機能が使えるかどうかはわからない。チェコのニュースは日本のニュースみたいに、字幕の洪水にはならないので、字幕を見ながら耳で聞くというのはむずかしい。日本語での発言と字幕を比べるというのは、ニュースに登場する政治家たちの日本語の発音がまともに聞き取れず、発言と字幕がずれていることもあるので、ほぼ不可能である。
テレビの視聴を勉強に役立てようと思ったら、すでに知っていることについての番組のほうがいい。日本語で見てよく知っている番組をチェコ語で見るとかさ。どうしてもニュースを使いたかったら、隣に解説者としてのチェコ人が必要になる。意外と役に立つのがスポーツ番組である。目の前の画面で起こっていることにコメントが加えられるので、チェコ語ではこんな状況では、こんなことを言うのかと確認することができる。これもルールなどをよく知っているスポーツであるのが望ましいことは言うまでもない。サッカー、ハンドボールは問題なかったけど、アイスホッケーは最初は見ても何を言っているのかわかんなかったしさ。
ところで、チェコテレビではDときいう子供向けのチャンネルを午後8時まで放送している。数年前に放送が始まったときには日本の教育テレビのように、小学生、中学生向けの学習用の番組が放送されるのではないかと期待した。例えば子供向けのチェコ語の番組や歴史の番組なんかで、無駄に専門用語を使わない説明が聞けるのではないかと期待したのである。しかし、チェコの子供向けのチャンネルの実態は、ほぼすべて子供向けのドラマやアニメで占められていて期待外れもいいところだった。チェコテレビの会長は自画自賛しているし、ヨーロッパの子供向けのチャンネルの中では最も成功を収めているのだそうだ。まあ、所詮ヨーロッパなんてそんなものなのさ。
では、チェコテレビで、チェコ語についての番組を放送しないかというと、そんなことはなく、かつて定期的に「チェコ語について(O češtině)」という番組が放送されていた。子供向けではなく大人を対象にした番組で、「プラハ城(Pražský hrad)」のどの文字を大文字で書くのかとかいう、大人でも間違えることの多いチェコ語の問題について解説してくれる。番組の特設ページはこちら。
司会は本業が何なのかよくわからないテレビ業界の人アレシュ・ツィブルカで、国立チェコ語研究所の専門家が出てきて、問題のあるチェコ語について理由も含めてわかりやすく解説してくれる。このチェコ語研究所が正しいチェコ語を決めて、何年かに一度、チェコ語の正字法を改定しているらしいのだが、その姿勢には大いに不満がある。やっていることは、現状の追認が多いのである。だから、去年までは一般には使うけれども、誤用だとされていたものが、突然正しい表現になってしまう。それなら、正しいチェコ語など決めずに日本語のように、ある程度の規範はあっても細部は個々の裁量に任せる形のほうがましのような気がする。
それはともかく、視聴者からの質問をもとにした番組の質問コーナーは、チェコ語を勉強する外国人にも役に立つし、母語話者のチェコ人でさえあやふやな部分があるんだから、外国人が多少間違えても許容範囲のはずだと、チェコ語を使う勇気を与えてくれる。もちろん説明を聞いても納得できないものもあるけれども、それは外国語なのだから仕方ないし、すでに知っていることがあっても、その説明を改めてチェコ語で聞くのは、それはそれで有用である。
この番組の素晴らしいところはもう一つあって、それは業界のチェコ語を紹介してくれているところである。日本語でも例えば出版業界の言葉や、テレビ業界の言葉は、自分たちが支配すメディアで安易に使う連中が多いせいで、意外と一般にも広まっているが、それ以外の業界の専門用語、場合によっては社内語というものは、外にいる人間は普通は知らないものである。
それはチェコ語も同様で、以前日系企業で通訳をしたときに、「トカゲ(jsštěrka)」と言われて何のことかわからなかったことがある。正しい言葉で言い直してもらって、あれかなと思いついたのがフォークリフトだったのだけど、その通りだった。他にもプレスの機械の一部を、確か「羊(beran)」と呼んでいたなんて例もある。見ただけで全部覚えるのは無理にしても、一度そう言う言葉が存在することを知っておくのは通訳をするときにも役に立つ。
ということで、チャンネルを変えていてこの番組に突き当たったときには、二人組の男女が業界用語丸出しで演じる寸劇の部分は極力見るようにしていた。何となくわかるのもあればさっぱりわからんというのもあるのは、日本語の専門用語の場合と同様だった。よかったのは、SF関係なんて、業界用語として取り上げていいの? と言いたくなるようなものもあったことで、今ではほとんど覚えていないけれども、この番組を見たことも我がチェコ語に寄与しているのである。
ちなみに、チェコ語でSFは、アルファベット読みして「エス・エフ」と言っても伝わらなくはないけど、通を気取りたかったら「スツィ・フィ」と言わなければならない。わかるよね、サイエンス・フィクションのそれぞれの言葉の最初の音節だけを取り出して、しかもチェコ語読みして出来上がったのがこの言葉なのである。「sci-fi」と書いて、「スツィ・フィ」と読む。これがチェコのSFである。
2017年11月6日24時。
チェコテレビのアドレスはこちら。上の「i-vysílání」から、テレビ番組の視聴ができる。
http://www.ceskatelevize.cz/
2017年11月07日
ライカ(十一月四日)
ライカというカタカナの言葉を見て何を思い出されるだろうか。かつて世界的な名声を誇ったドイツのカメラを思い出す人もいるだろうし、世界で初めて地球の周回軌道に到達した生物ライカのことを思い出す人もいるだろう。
昨日2017年11月3日は、ライカがソ連の人工衛星スプトニク2号に乗せられて宇宙に送り出されてから、ちょうど60年目の記念日だった。ライカは宇宙への旅から生還することができなかったから、この日は人間ふうに言うと祥月命日でもある。それでライカを中心にした宇宙開発の歴史についてのニュースが流れた。それに、60周年を記念してライカをテーマにした映画も公開されるようである。
今でも思い出すのだが、ライカの存在を知ったのは、確か歴史の教科書に載せられていた写真を見たときのことで、キャプションには「ライカ犬」と書いてあった。だから、ライカというのは、シェパードやブルドックなどと同様に、犬種なのだと思い込んでいた。それがチェコに来て何かの機会にチェコ人たちとこの話になったときに、ライカというのは犬種なんかではなく、宇宙に送り出された犬に与えられた名前だということを教えられた。そんな妙な名前の犬種なんて存在しねえよと笑われたんだったかな。
そして今回のニュースで、ライカと名付けられた犬は、特別な犬種の犬ではなく、モスクワの街を徘徊する野良犬だったということを知った。つまり犬種としてはただの雑種の犬だったのである。宇宙飛行に選ばれたぐらいだから、耐久性に定評のある犬種の中から選んで特別な訓練を受けた犬だったのだろうと思っていたのだが、ソ連の宇宙科学者達は、宇宙に出て戻ってくるまでの苛酷な環境に最も耐えることができるのは、酷暑と厳寒に襲われるモスクワの街路を住処としている野良犬に違いないと考えたらしい。
その考えは正しく、一匹目のライカこそ生還できなかったが、二回目に送り出された二匹の犬は無事に地上まで生きて戻り、ご褒美に大きなサラミソーセジをもらってご満悦だったのだとか。日々の餌にも事欠く生活をしていた野良犬たちは、褒美として一切れのパンがもらえるだけでも大喜びで、ささいな餌をもらうために嬉々として訓練にいそしんでいたらしい。そうすると科学者たちの野良犬を使おうという決断が、ガガーリンの有人宇宙飛行を成功に導いたと言ってもいいのかもしれない。
ちなみに、ノラを宇宙に送り出したのはソ連だけではなく、フランスも宇宙空間にノラを送り出したらしい。ただしこちらは犬ではなく猫で、初めて宇宙に出た猫も雑種の野良猫だったのである。人間の場合にはさすがにノラを送り出すというわけにはいかず、必要にして十分な訓練を受けた軍のパイロットを宇宙飛行士として養成して育てることになる。その訓練のためのデータを命がけで提供したのが、モスクワの野良犬たち、パリの野良猫だったのである。
第二次世界大戦後に始まった宇宙開発競争の中心は、ソ連とアメリカであり、宇宙飛行を体験するのも当初はソ連人とアメリカ人に限られていた。ではアメリカ、ソ連以外で最初に宇宙に自国民を送り出した国はと言うと、チェコスロバキアなのである。もちろんソ連のロケットに乗せてもらって宇宙に出たわけだけど。これまでチェコでは唯一の宇宙飛行士になった人物の名前はブラディミール・レメクという。もともとチェコスロバキア空軍のパイロットだったレメク氏が宇宙に出たのは1978年2月のことで、ソユーズ28号で宇宙ステーションのサリュート6に向かいほぼ八日間の滞在の後地球へと戻ってきた。世界では87人目の宇宙飛行士だったらしい。
ヨーロッパの宇宙開発のための組織ESAでは、このレメク氏をヨーロッパで最初の宇宙飛行士として認定しようという動きがあるらしい。待て、ガガーリン以下の宇宙飛行士を輩出したロシアはヨーロッパではないと言うつもりなのか。せこい、せこすぎる。モスクワの近くの出身であるガガーリンが宇宙に出た最初のヨーロッパ人でいいじゃないか。いくらロシアとロシア人が嫌いだからと言って、ロシア、いや旧ソ連が宇宙開発に果たした貢献を無視してはなるまい。
レメク氏は自分を宇宙飛行士にしてくれたソ連への感謝を忘れない人のようで、チェコ国内ではロシア派の人物として知られる。EU加盟のころから長きにわたって、共産党のヨーロッパ議会の議員を務めていたはずである。そして、ゼマン大統領が就任した後、駐ロシアチェコ大使としてモスクワに赴任している。この人選についてもゼマン大統領は強く批判されていた。共産党と結びつきの強い人物に大使のポストを与えるとは何事かというのである。宇宙飛行士としてロシアでも知名度が高いレメク氏の大使起用は悪くなかったのではないかと思えなくもない。
チェコ出身の宇宙飛行士としては、もう一人、というかもう一匹、アメリカのスペースシャトルに乗せてもらって宇宙に出たクルテチェクがいる。2011年にスペースシャトルのエンデバー最後の飛行となったSTS-134に参加したアンドリュー・フューステル宇宙飛行士が、クルテチェクのぬいぐるみを持ち込んだのだ。奥さんがチェコ系の人である関係で、他にもネルダの詩集とかチェコの国旗なんかもスペースシャトルに持ち込んだことがあるらしい。
ということで、ソ連は野良犬を、フランスは野良猫を宇宙に送ったのに対して、チェコは子供向けの番組のキャラクターを送ったのである。終着点が見えなくなったのでこれでお仕舞い。
2017年11月4日23時。
昔のものならず……。
2017年11月06日
2017年下院総選挙ODS(十一月三日)
かつて、チェコ語を勉強している理由を問われると、「毒を食らわば皿まで」と答えていたのだが、今回の選挙についてもやはりそうであろう。ということで、政治ネタに戻る。昨日のは政治ネタというよりは、お前ら何もわかってねえよというマスコミの報道批判ね。
2013年の下院選挙で結党以来最低の結果に終わり、これは解党の危機かとまで言われていた市民民主党が、今回の選挙では第二党になった。党首のフィアラ氏など指導部は、この結果を高く評価して大喜びしているようだが、この結果が前回に次ぐ、史上二番目に悪い結果だということと、ANOに大きな差を付けられたことには目をつぶりたがっているようだ。
ただ、ほとんどの既存政党が前回から大きく得票を減らしたことを考えると市民民主党の選挙は成功だったと評価してもいい。ほとんど失いかけていた有権者の支持をある程度取り戻すことができたのである。フィアラ氏などの口から聞こえてくる支持を増やせた理由の分析には全く納得できないので、個人的な見解を記しておく。
前回の選挙で市民民主党が支持を大きく減らした理由は、ネチャス首相が女性問題で政権を投げ出してしまったことにある。ただし、重要なのは、日本と違ってネチャス首相が当時は部下であった現在の奥さんといわゆる不倫の関係にあったことを批判するマスコミも政党も存在しなかったことである。もちろんゴシップ誌は盛んに報道していたし、美味しいネタだったのだろうけれども、まっとうなマスコミはゴシップ誌が報道するようなことには手を出さないというプライドがあるし、政治家たちもそんな政治に関係のない、政治家としての能力には関係のないことを大声で批判するなんてみっともないことはしないのである。この点はチェコのほうが日本よりもずっとずっとましである。
ネチャス首相が追い込まれたのは、今の奥さんが内閣の役所の長であったという権力を乱用して、前の奥さんを軍の情報部に監視させ離婚の材料を探させていたのではないかという疑惑と、ネチャス政権の安定のために市民民主党内の反ネチャス派の国会議員に対して、議員を辞職する代わりに国営企業の役員の座を提供するというバーターを持ちかけたという疑惑によってである。ネチャス氏の関与も疑われ盛んに報道されたため、追い詰められたネチャス氏は、自分の恋人を守るためにも辞職したのである。
問題にしなければならないのは二つ目の疑惑で、日本だと選挙に落ちればただの人と言われる政治家が、チェコでは議員を辞めても国営企業に天下りできるという認識が、政治家の間にあることである。以前現職の大臣でありながら落選した人が、落選した後に大臣を務めた省の相談役に任命されなかったことに不満を漏らしていたけれども、こんな選挙に落選しても、議員を辞めても国営企業や省庁で割のいい役職につくのが当然だという政治家たちの特権意識に、有権者が愛想を尽かせ始めたのが前回の選挙で最初の犠牲者が市民民主党だったのである。
仮に民主主義の危機というものがあるとすれば、それは政治家の職業化である。本来誰でも何をしている人でも選挙で選ばれれば議員という役職につき、その間だけ政治家で、任期が終わってしまえばまたもとの職業に戻るというのが代議制民主主義の姿だったはずである。それなのに、日本の自民党よりはましだけれども、チェコでも政治家という職業、身分の固定化が進みつつあった。選挙に落ちても特権的に割のいい仕事を与えられて次の選挙の準備をすることができたのだから。
市民民主党がこの手の有権者たちの反感に気づいていたのかどうかはわからない。前回の選挙で惨敗した後に、非党員でありながら市民民主党から立候補して当選した元大学教員のフィアラ氏を入党させて党首に選出したのが一つ目の当たりだった。市民民主党における政治家という立場の流動性を目に見える形で提示することができたのだから。今はまだビロード革命以前に別の仕事をしていたという人が結構残っているけれども、今後政治家以外の仕事をしたことがないという政治家ばかりが幅をきかせているようでは、その党に未来はない。
二つ目の当たりは、プラハの市民民主党をほとんど解体するような改革を行ったことである。もともとプラハは、市民民主党の牙城であった。それが人気者のシュバルツェンベルク氏を擁するTOP09に奪われてしまったのは、プラハの市民民主党が疑惑のデパートとも言うべき元プラハ市長のベーム氏に牛耳られて続けていたからである。ブランカというトンネルの建設費が予定の何倍にも増加したのも、鳴り物入りで始まったオープンカードという地下鉄やトラムの乗車のためのカードを導入するプロジェクトが、導入はされたものの大失敗に終わって恥をさらしたのも、あれもこれもプラハで政治家と業界の癒着のせいで失敗したプロジェクトがあれば必ず名前が出てくるのがベーム市長だったのだ。
オープンカードの件では、うまく後任の市長たちに罪を押し付けて裁判を逃れ、国会議員になっていたベーム氏の党員資格を停止し、ベーム氏と結びつきが強かったプラハ市内の支部を解体し、プラハの市民民主党と怪しい実業家やロビイストと称する連中との関係を切り落とすことに成功した。これが市民民主党が党勢を回復させることができた一番の大きな理由である。それを実行できたのは、党人政治家ではないフィアラ氏が党首の座についていたからである。
今後もこの路線を継続していくことができれば、具体的な誰か、つまりクライアントのための政治ではなく有権者全体のための政治を志向し続けていくことができれば、市民民主党の将来は明るい。問題はそのことに本人たちが気付いているかどうかである。どうかなあ。
さて、現在のANOが少数与党でバビシュ内閣を成立させるしかなく、成立しても国会で信任が得られず再選挙になりかねない状況では、市民民主党としては、泥をかぶる覚悟でANOと連立するのが一番いいと思うのだけど。誰も、面白がり屋を除いては再選挙なんて望んでいないのだしさ。有権者にANOとは連立しないという公約を破ることをわびた上で、ANOの暴走を防ぐためには市民民主党が内閣に入るしかないのだとか何とか言えば、納得してくれる支持者は多いはずである。
既存の政党が、非政治家集団のANOを排斥するような行動を繰り返すと、戻りつつある支持が離れていく可能性もある。勝手な思い込みなので、この観測が当たっているとは限らないのだけど。とまれ、以前の市民民主党は全く支持のしようもない政党だったが、党内改革を経て既存の政党の中で一番ましになったかな。フィアラ氏には、お前らの党が過去にやらかしてきたことをもう少し反省して発言しようねと言いたくなることもあるけどさ。それでも他よりはましである。
2017年11月3日23時。
2017年11月05日
「ニューズウィーク」にチェコの記事が……(十一月二日)
ヤフーの雑誌のところを見ていたら、「日系議員オカムラがチェコの右傾化をあおる」と題した、今回のチェコの選挙結果についてまとめた記事が出てきた。チェコの政治のことが日本のマスコミに取り上げられるのは珍しいと思いつつ読んでみた。記事を提供している雑誌は日本版の「ニューズウィーク」である。
結局、日本での、もしかしたらドイツあたりのEU諸国でも、現在の旧共産圏諸国の状況に対する認識はこの程度でしかないのだよなと、改めて納得した。これでは、現在の傾向がとどまらないわけである。記事ではオカムラ氏の成功を、チェコ社会の右傾化という一言で済ませているが、そんな簡単なものであれば、下院の第四党(議席数では第三党の海賊党と同じ)になんかなりはしない。
確かに、今回の選挙で極右政党である労働者党の得票は、前回の選挙を大きく下回った。その分が、極右的な発言をしつつ下院に議席を獲得できそうなオカムラ党に向かったであろうことは想像に難くない。しかし、それだけで、10パーセントを越える得票になるもんか。人口の一割もの人が、ネオナチ的な外国人排斥を叫んでいるなんてことはありえない。
そもそも、チェコは、チェコスロバキアの昔から、アフリカ諸国、アラブ諸国から留学生を受け入れてきており、その一部はチェコに残って医師などとして活躍している。あまり目立たないのは、チェコの社会に溶け込んでいるからで、チェコ人は、外国人差別がないとは言わないけれども、チェコ社会に溶け込もうとする外国人に対しては比較的寛容である。芸能界で活躍するアフリカ系、アラブ系の人々も結構いるし、アラブ系の国会議員もすでに輩出しているはずだ。
チェコの人々が恐れているのは、チェコ社会に溶け込もうとしない移民の増加である。宗教上の理由で、これをしなくてもいいことにしてほしいというところまでは許容できても、信教の自由があるのだから特別にこれをさせてくれという要求には、チェコのような小さな国では対応しきれないし、一つ認めてしまったら際限がなくなるという恐れもあるのだ。
ついでに言えば、イスラム教を拒否する気持ちがあるのは、イスラム教だからと言うわけではないはずだ。オカムラ氏のいう「イスラムはイデオロギーだ」という言葉を信じている人は本当の極右の人を除けばほとんどいるまい。むしろイデオロギーであったはずの共産主義が、宗教的であったのだと感じている人のほうが多いはずだ。
そう、イスラム教が警戒されるのは宗教そのものだからなのである。記事には「国家消滅の脅威に怯えてきた」とあるけれども、チェコ人が怯えてきたのは民族の消滅である。そして、その原因は共産主義も含めて、宗教、宗教的なものであった。だから、現在のチェコのキリスト教のように、熱心な信者の少ない宗教ならともかく、イスラム教のような熱心な信者であることを求める宗教には警戒感、嫌悪感を抱いてしまうのである。フス派を含むプロテスタントとカトリックが血で血を洗う殺し合いを演じてきた国には、積極的に過ぎる宗教には居場所がないのである。
仮にチェコ人が「国家消滅の脅威に怯えて」いるとすれば、その脅威はEUからもたらされている。選挙速報で解説者が異口同音に言っていたのが、「オカムラ氏はメルケル首相に感謝しなければならない」ということだった。メルケル首相の強硬な姿勢が、特に極右でも反移民でもない有権者をオカムラ党への投票へ導いたというのである。これは、チェコだけで起きていることではない、ハンガリーでも、ポーランドでも、スロバキアでも、極度に単純化すれば右傾化と言えるような現象は起こっているが、それは結果であって、原因ではない。原因はメルケル首相登場以後のEUの変質、具体的には硬直して一部の加盟国に対する束縛を強化して、強いヨーロッパなどとのたまっていることにある。
特に、難民の受け入れを無理やりにでも強制しようとする姿勢に対する反発は、非常に強く、政府も反対していたし、既存の大政党も反対しているのだけど、そのやり方が生ぬるいと感じた人たちが、強硬な発言をするオカムラ党へと流れたのである。もし、難民問題に限らないEUの強硬な姿勢がなくなれば、オカムラ党への支持は大きく減少するはずである。今なら、選挙には間に合わなかったけれども、社会の将来という意味では、まだ間に合うのである。しかし、現実にはドイツでメルケル首相が再任されそうだから、今後もオカムラ党への支持は増えることになりそうである。
日本の一部のマスコミが現実を見ていないのは、日本の政治についての報道を読んでいればすぐわかることだけれども、EUに対しても、ドイツ、メルケル首相に対しても、無条件に称賛するところがあって、ドイツとEUの関係に関して批判する記事は見たことがないような気がする。お得意の自主規制でもしているのだろうか。
ただ、仮に去年ぐらいの時点でEUが、古き良き寛容なEUに戻っていたとしても、オカムラ党は議席を獲得していただろう。なぜかと言うと、今回の選挙でオカムラ党に一番支持を奪われたのは左翼の共産党だからである。もちろん共産党支持者が、何となくの支持者であったとしても右傾化するわけがない。オカムラ氏の政策、発言に極左に支持されるものもあるのである。だから、オカムラ氏の存在を極右とか右傾化という言葉で説明したのでは、何の説明にもならない。
バビシュ氏のANOが右傾化しているともいうけれども、これもおかしな話である。2013年の選挙の際は、確かにANOが狙ったのは市民民主党やTOP09などを支持する中道から右寄りの有権者であった。その後の与党としての政権担当期間にこの層の支持をある程度固めたANOが今回狙ったのは、左寄りの社会民主党、共産党支持の有権者で、それは有権者を右傾化させるのではなく、自党の主張の中に左寄りの人たちに支持してもらえる政策を加えることによって実現した。少なくとも今回の選挙について言えば、有権者が右傾化したのではなくANOが左傾化した、いや政策の幅を左寄りにまで広げたのである。これによって右から左まで幅の広い中道政党になったというのが正しい。
移民の無条件の受け入れへの反対は今に始まったことではないし、海賊党はちょっとわからないけれども、それ以外のすべての政党が異口同音に主張していることなのだ。だから、ANOが移民問題に対して強硬な姿勢をあらわにしたということもない。チェコの政治家たちが無条件の難民受け入れに強硬に反対しているという点は、難民問題が勃発し、何も考えずに無条件の受け入れを表明したドイツで受け入れきれなくなった時点から現在まで全く変わっていないのである。
それに海賊党の躍進に触れていないのも物足りない。結局、今回の選挙結果が示すのは、失政を繰り返すEUとメルケル首相に対する反感と、これまで政治を恣にしてきた既存政党に対する反感が、かなり危険なところまで高まっているという事実でしかない。現在の状況が続けば、右であれ左であれ過激化する可能性がないとは言わないが、現時点ではまだそこまでは来ていない。チェコの政治も他の旧共産圏諸国と同様に強くEUの政策の影響を受けているので、EU次第というところが大きいのがもどかしいのだけどね。
EUがいわゆるディーゼルゲートを起こしたフォルクスワーゲンに巨額の罰金と、車を買わされた消費者への賠償を命じるぐらいのことをすれば、対EU、メルケル感情は、多少はよくなるのだろうけど、メルケル首相は自動車業界に補助金をつぎ込むらしいからなあ。泥棒に追い銭とはこのことである。そう思わないのかな?
2017年11月3日17時。
2017年11月04日
今チェコ語を勉強している人がうらやましい(十一月一日)
自分が日本でチェコ語を勉強していた廿年ほど前と比べて、今チェコ語を勉強している人をうらやましいと思うことがあるとすれば、それはインターネットの普及とデータ送信量の圧倒的な拡大である。90年代の後半は、日本におけるインターネット普及の黎明期で、ネットの利点を紹介し導入を推進するような雑誌や書籍は山のように出されていたけれども、実際に導入している企業や個人はそれほど多くなかったはずである。
実は初めてインターネットなるものに触れたのは、2000年代に入ってチェコに来てからである。パラツキー大学でのサマースクール期間中に大学のコンピューター室のPCが使えるようになっていたので、日本のヤフーで新聞や雑誌の記事を読ませてもらって、日本語への飢えを癒していた。チェコ語のコンピューターでありながら、インターネット・エクスプローラー上では日本語の表示ができるようになっていたのは、前年からパラツキー大学に留学していた日本人が、PCの管理者にお願いをして必要なソフトだか、設定だかをインストールしてもらっていたおかげだった。日本語の入力はできるのとできないのとあったかな。
メールアドレスを取ったのもチェコに来てからで、せっかくチェコにいるのだからと、チェコ版ヤフーのseznam.czにしたのだけど、日本語入力ができるようになっているPCでも、日本語でメールを送ることができなかった。一見入力はできたのだけど、送信すると文字化けして読めなかったんだったかな。結局ホットメールでアドレスを取り直すことになる。
最初に送ったメールは、日本にあったチェコ関係の商社でいろいろ情報を教えてくれた方へのメールだったので、2000年代初頭には、特に外国との貿易をしている商社ではメールがすでに導入されて活用が始まっていたのだろう。どうしてその人に送ったのかというと、友人知人でメールアドレスを持っている人がいなかったからである。そんな時代だったのだよ。
そして、フリーメールの場合には、容量に制限があってしばしば古いメールを消さなければならなかったし、添付ファイルでデジカメで撮影した写真なんかを送ろうとしたら、まずしなければならないのは写真の大きさを小さくすることだった。写真の多いページは開くまでに時間がかかって大変だったし、音声ファイルや映像ファイルを再生するのには嫌になるくらい時間がかかり、それもしばしば停止して、聞くのも見るのも辛いという代物だった。
それに比べて現在は、ネット上でチェコから日本の新聞記事が読めるだけでなく、ラジオ放送を聴いたり、テレビのニュースの一部を見たりすることができようになっているのである。チェコから日本のものが見られるということは、日本からもチェコのものが見られるということである。昔はチェコのラジオを聞くのでさえ、チェコ語の先生がチェコの友人にエアチェックしてもらったというカセットテープを借りてダビングするしかなかったのである。時代は変わってしまった。
チェコの公共放送のラジオであるチェスキー・ロズフラスのページでは放送中の番組をリアルタイムに聞くこともできるし、放送済みの番組を探して聴くことも、個々のニュースをばらばらに聞くこともできる。物によっては音声ファイルをダウンロードして、オフラインで繰り返し聞くこともできる。以前ある番組でH先生のインタビューが放送されたときには、番組のページから音声ファイルをダウンロードして聞いたのだった。
そうなのだよ。今チェコ語を勉強している人は、かつてあんなに苦労していたチェコ語の音源を入手するのに何の苦労もないのだ。毎日同じテープを聴かなくてもいいのだ。同じテープを毎日聴いていると聞き取れる範囲が、少しずつ増えていって(少なくともそんな気がして)、それはそれで意味があったのだろうけど、初学の頃からいろいろ聞けるというのはうらやましい限りである。ただのラジオではないから、必要なところで止めて聴きなおすこともできる。
恐らく、民放のラジオでも同じようにネット上で聞けるようになっていると思うけれども、チェコ語を勉強しているのなら、原則として正しいチェコ語を使うチェスキー・ロズフラスを聴くのが一番いい。中でもお勧めは右側のチャンネルリストの一番上にあるラディオジュルナールである。ニュースが中心の放送なのだけど、途中で音楽が入ったり、ゲストのインタビューが入ったりすることもあって結構バラエティーに富んでいる。
ニュースはたしか一時間ごとぐらいに繰り返されるので、同じニュースを何度も聞くことで少しずつ理解が進むし、時間と共に微妙に内容が変わっていくこともあるから違いを聞き取れるようになると自分が成長したという感慨に浸ることができる。それから交通情報の「ゼレナー・ブルナ」は、数字の聞き取りの練習にいい。高速道路はもちろんのこと、一般の道路でも番号で示されることが多いし、事故などが起こった地点も、地名とキロメートル表示で伝えられる。地名はともかくキロメートルを聞いても具体的にどこなのかは想像もできないが、数字を聞き取る練習には十分である。
具体的には、「高速道路D1のプラハ方向163.5km地点でブタを積んでいたカミオンが転倒し、逃げ出した百頭ほどのブタが路上を走り回って通行の妨げとなっております」なんてのが聞こえてくるわけである。その際の渋滞の距離的時間的長さにも、迂回路の説明にもkm表示が使われるし、数字にあふれている。
数字の聞き取りの練習にいいと言えば、駅の構内放送もそうなのだけど、こちらは日本からは聞くことができないからなあ。日本でチェコ語耳を鍛えようと思ったら、 ラジオを聞いたりテレビを見たりするしかない。集中して聞くだけでなく他のことをしながら流し聞きするのも、結構役に立つものである。
それにしても、日本からチェコのラジオが聞き放題とはいい時代になったものだ。その分どうしてもチェコに行きたいという願望がスポイルされるのかもしれないけどさ。
2017年11月2日24時。
2017年11月03日
チェコ語の慣用句1(かも)(十月卅一日)
なんだか最近、映画の話と政治の話しかしていないような気がしてきたので、ちょっと違う話を。当然というか何と言うか、チェコ語にもことわざ、慣用句の類は存在する。日本語に同じようなものがあってわかりやすいものもあれば、説明されてもピンと来ないものもある。
一番日本人にわかりやすいのは、「Bez práce nejsou koláče」だろうか。「Bez」は二格をとる前置詞で、「〜なしで」という意味を表す。「práce」は仕事、女性名詞の軟変化「růže」型の単数二格である。「nejsou」は動詞「být」の現在形三人称複数の否定形で、複数になっているのは後に来る名詞「koláče」が複数一格だからである。正確に言うと男性名詞不活動体軟変化の複数一角である。では、なぜ単数の「není koláč」でないのかというと、「práce」と語尾が合わずに韻を踏まないからである。
コラーチは、甘い菓子パンみたいなもので、生地を大きく円く伸ばしてその上に果物から作ったポビドロとよばれるジャムのようなものなどを載せて焼いたり、小さく丸めた生地の中に果物やトバロフというチーズのようなものなどを入れて焼いたりする。店で買うよりも自宅で焼くことが多く、チェコの家庭のキッチンにオーブンが設置されているのは、コラーチを焼くためだといってもいい。もちろん、他にもいろいろ焼くけど。
このコラーチは、モラビアの女性が出稼ぎに出て行ったウィーンにも伝播し、それがウィーンのドイツ語にも取り入れられて「コラーチェン」という言葉になったという話を聞いたことがある。ドイツ語とチェコ語は相互に影響を与え合っているけれども、特に方言にその痕跡が強く残っているのである。チェコ語の方言に影響を与えたのが、ドイツ語の方言だったりするので話がややこしくなるんだけどさ。ドイツ語も使用範囲が広いから方言も多岐にわたるはずだし。とまれ、チェコ語では方言周圏論は成立しないのである。
話を戻そう。この慣用句直訳すると、「仕事がなければコラーチはない」ということで、すでにお分かりだろうが、日本語の「働かざるもの食うべからず」とほぼ同様の意味である。気になるのは、どうしてコラーチが使われているのかということで、朝食に食べることはあるけど間食として食べることのほうが多いものよりも、主食として食べるものを使った方が説得力があるんじゃないかなどと考えてしまう。「Bez práce nejsou piva」の方が切実だろ。韻を踏んでいないから慣用句になりにくいんだけどさ。
食べ物関係でいい言葉がないのなら、お金を使えばいい。「Bez práce nejsou peníze」だったらどうだろう。でも、直接的過ぎて慣用句とは言えないかもしれない。だから使うときには、いつもなんでコラーチなのだろうと考えながら、「べス・プラーツェ・ネイソウ・コラーチェ」と言うのである。
ところで、話は全然変わってしまうのだが、日本語では、100パーセント以上の確信があるときに、120パーセントと言うことがある。それに対して、チェコ語では106を使う。なぜか「o sto šest」と言うのである。自分では使わないので具体的な使い方が、日本語の120パーセントと同じかどうかはわからないが、もともとは冗談で一部の人たちが使っていたのが、いつの間にか広がってチェコ語として定着したものだという話を知人に教えてもらったことがある。
ということは、「Je mi tma」も冗談から出世するかもしれないねというコメントもついていたのだけど、どうだろう。ということで、この文章を読んでいるかもしれないチェコ語を勉強している皆さん、日本語ができるチェコの方に改めてお願いしておきたいと思う。「暗い」と言いたいときには「Je mi tma」、「暗くありませんか」と質問したいときには、「Není vám tma?」というのを、最初は冗談でいいから使ってもらえないだろうか。
そうすれば、何十年か後には、変なチェコ語を使う日本人を馬鹿にする冗談として広まるかもしれない。そうしたら「o sto šest」に続いて百年後ぐらいには、普通のチェコ語として使われるかもしれない。そして日本のチェコ語研究者が、その表現の起源を求めてオロモウツにやってくるかもしれないというところまで妄想しているのである。
Venku mi začíná být tma, tak jdu domů.
2017年11月1日17時。
2017年11月02日
チェコ映画を見るなら1(十月卅日)
実は知り合いに東京のチェコセンターの関係者がいて、たまたまメールをもらったので返事を書くついでに、いつまでもノバー・ブルナじゃないだろう、飽きられるから別な映画を紹介しろよと書いて送ったら、ノバー・ブルナだけじゃなくて別なのも紹介しているよという返事が来た。
その映画が「リモナードビー・ヨエ」である。なるほど、そう来たか。多くのノバー・ブルナの作品よりは少し前、1964年にオルドジフ・リプスキーが制作したこの作品、本来は題名の後ろに「もしくはコニュスカー・オペラ」と付くように、馬が出てくる活劇なのである。つまりは、チェコ製の西部劇なのである。イタリアを中心に制作されたヨーロッパの西部劇をマカロニウエスタンと言うことから、チェコだからビールウエスタンとか言ってみたくなるけど、内容には全くそぐわない。
チェコ人が西部劇のフォーマットを使うからと言って、それがまともな西部劇になるわけがない。しかも監督が馬鹿馬鹿しさの極致を極めるチェコ的B級コメディーを量産したリプスキーである。そう考えると、この題名、日本語で「レモネード・ジョー」とするのはいかがなものかという気がしてくる。題名に使われた英語名の「JOE」を、チェコ語風に「ヨエ」と読ませるところから、この壮大なパロディの仕掛けなのである。
映画は、西部の荒くれ者の集まるギャングに支配された町を舞台にしている。馬に乗って拳銃を持ち歩く男たちが街の酒場で飲むのは、当然強い酒ウイスキーである。そこに「コラロクのレモネード」というアルコールの入っていない飲み物の販売に父と娘がやってくるところから物語が始まる。ギャングに絡まれて窮地に陥った親子を救うために登場するのが、主人公の「ヨエ」である。
この男、馬の扱いも拳銃の腕も最高なのに、アルコールが飲めないのである。そして、「コラロクのレモネード」を飲みながら、にこやかに笑いながら敵役のギャングを次々に撃ち倒していく。そんなちぐはぐさを象徴しているのが「ヨエ」という、字面は英語でかっこよく、読みはチェコ風で妙に軟弱な名前なのである。
ストーリーはいつものリプスキーのどたばた劇で、ヨエの活躍で町からアルコールが一掃され、みんな「コラロクのレモネード」を飲み始めたと思ったら、ヨエが復習に燃えるギャング団にアルコールを飲まされて昏倒し、形勢が一転してしまう。集中して見ていても筋と人間関係がこんがらがっていて訳が分からなくなってくるのだけど、最後は実はみんな生き別れの兄弟だったという、おい、それでいいのかと言いたくなるような大団円を迎える。
これを最初に見たとき。江戸時代の歌舞伎で、役者の格に合わせるために、軽い役にも重い人間関係を与える必要があったため、話が必要以上にややこしくなっていたというのを思い出してしまった。まあ、チェコのコメディだから、これはこれでいいんだろうけどさ、ツィムルマンも、自作の劇の結末でさらにとんでもない家族関係を使っていたし……。あれこそ不条理劇と言うにふさわしかった。うん。実際見てたら金返せと言うだろうけど。
閑話休題。
この映画の一番の特徴は、悪役が魅力的なことだ。ギャングのボスのミロシュ・コペツキーも、ヨエを誘惑してアルコールを飲ませる酒場の歌姫クビェタ・フィアロバーも、主人公のヨエ以上の印象を残す。ヒロインのはずのレモネード売りの娘なんて存在感希薄で顔も思い出せないし、ヨエ役の俳優は名前が出てこない。コペツキーは、いろいろな映画やドラマで活躍しているから覚えやすかったというのもあるかな。チェコの映画では貴重な悪役俳優なんだよ。
日本でチェコ語を勉強している人、チェコに興味がある人たちには、「レモネード・ヨエ」、もしくは「ソフトドリンク・ヨエ」、いやいっそのこと「清涼飲料水のヨエ」を見る機会があったら、逃さないほうがいいと助言しておく。チェコ語で言うと「Nenechte si ujít」という奴である。理論好きの映画の専門家でなければ、「ひなぎく」や「大通りの店」を見るよりずっと満足できる、はず、である、と思う。
できればチェコ映画史上の最高傑作で今後もこれを越えるものは現れないと思われる「トルハーク」を日本に紹介してほしいところだが、知人には「日本に紹介するには百年早い」と言われてしまった。確かにそうかもしれない。ということで、啓蒙活動はこれからも続く。それはそうなんだけど、やり方が問題である。
2017年10月31日23時。
2017年11月01日
「大通りの店」――チェコ映画を見るなら(十月廿九日)
またhudbahudbaさんからの情報で、「大通りの店は、前売り券持ってても入れないケースが予想されるので絶対見たい人は早く来い」というメッセージが出たという。席数以上に前売り券を売ったということかという疑問はさておき、あの九本のラインナップの中で、一番人気があるとすれば、メンツル監督、ネツカーシュ主演の「つながれたヒバリ」だろうと思っていただけに、ちょっと意外である。
アカデミー賞かなんかを取ったんだったっけ? でもあれも、ノーベル平和賞とかユネスコの世界さんとかと同じで、結構政治的な判断が入るから、必ずしも作品の優劣を示しているわけではないと思うのだけど、よく考えたら自分にも作品の優劣なんて論じる力はないのだった。見て気に入ったとか気に入らなかったとかなら言えるけどさ。それにしても、この映画について、チェコ語を勉強していた頃に誰も話していなかったのはなぜだろう。日本で勉強していた頃に聞いていた可能性はあるけれども、日本語だとこの特徴のない題名では覚えられなかったに違いないし、チェコ語だと普段使わない言葉が出てくるから、こちらも覚えられなかったはずだ。
チェコに来てからは、サマースクールで夜に行われていた映画の上映会でも取り上げられなかったし、師匠との授業の間に話題になったこともない。チェコ人ってビロード革命前に外国の映画賞を取ったというのは結構誇りに感じていて、その手の映画は、何年のどこの映画祭で賞を取ったとかいう説明付きで見せられたのだけど、この映画については言及さえされた記憶はない。スロバキアで作られた作品だからだろうか。
では、自分がこれまで見てこなかった理由を考えると、一番は題名の魅力のなさかなあ。「大通りの店」という日本語題はもちろん、チェコ語の「Obchod na korze」もあまり魅力的に響かない。いや、「Obchod」はいいにしても、「na korze」と言われても何を思い浮かべればいいのかわからないのである。邦題から大通りなのだろうとは思っても、どんな大通りなのかイメージがわかないと、映画の内容をイメージすることができない。
むしろ日本語の「大通りの店」に引きずられて、いわゆる正常化の時代の1977年に制作されたテレビドラマ「カウンターの向こうの女性」(Žena za pultem)と同じような内容なんじゃないかとイメージしてしまう。このドラマは、かつてのチェコに多かった自分で商品を取って買うのではなく、カウンターの内側にいる店員に、あれがほしいとか、あれを見せてほしいとかいうと、背後の棚や奥の倉庫から取り出してきてくれるタイプのお店で働いている女性を主人公にしたもので、「ゼマン少佐の30の事件」と並んで共産党政権のプロパガンダ臭の強い作品だといわれている。
「ゼマン少佐」と同様に現在でもたまに再放送されているようだが、このドラマ見るぐらいだったら「ゼマン少佐」を見る。「ゼマン少佐」は、少なくとも犯罪ドラマとしては、その犯罪が共産主義に対する犯罪である場合もあるけれども、なかなか出来がいいらしいし、カウンターの向こう側にいる店員は、愛想がなくて接客態度が悪くて買い物のあとは感謝よりも腹立ちを感じるのが普通だったというし。
つまり、「大通りの店」というタイトルに、そんな愛想のない店員がやる気のない様子で仕事をしているお店を想像してしまって、そんな店を舞台にした映画を見たいとは思えないのである。邦題がいけないと言えばその通りなのだけど、そもそもこの邦題、どのぐらいチェコ語の題名にあっているのだろうか。
場所を表す「na」がついているということは、「korze」は6格である。女性名詞かなと考えて、一格は「korha」だろうかと思いついた。プラハの6格は子音交代起こして「Praze」になるわけだし。でも辞書で引いても出てこない。仕方がないのでうちのに質問してみたら、中性名詞の「korzo」だろうという。こちらもチェコ語−日本語の辞書には出ていないのだけど、ルハチョビツェなどの温泉地の中心部にある散歩のための広い道で、両側にお店が立ち並んでいるところをさすのだという。地面は舗装されておらず、自動車の侵入が禁止されているところが多い。
念のためにチェコ人向けのチェコ語の辞典を引いてみたら、「promenáda」という説明が出てきた。ということは日本だとカタカナで、プロムナードとかいうものかな。「大通り」というと、プラハやオロモウツなどの街の幅広い自動車の通行量も多い道を指しているような気がしてしまう。チェコ語だとその手の道のことは、「třída」とか、つづりは覚えていないのだけど「ブルバール」とか呼んでいたはずである。
一度ついてしまったイメージはなかなか拭えないので今更見る気になれるとは思えないけど、「プロムナードのお店」という題名だったら、少しは心惹かれたかもしれない。邦題をつけるってのも難しいんだよね。予定ではチェコ語を勉強していた頃に見た映画の話にまでいくはずだったのだけど、見たことのない映画について、あれこれ思いつきで書いているうちにこうなってしまった。うーん。
2017年10月30日24時。