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2017年11月13日
鳩と雀 チェコの慣用句2(十一月十日)
一回で終わってしまうのは申し訳ないので、よく使われる慣用句の紹介も、折を見て続けていくことにする。「働かざるもの食うべからず」に次いでよく聞くのが、本日取り上げる「Lepší vrabec v hrsti než holub na střeše」である。
例によって個々の言葉の説明から始めると、「Lepší」は、「いい」という意味の形容詞「dobrý」の比較級。一般にチェコ語の形容詞の比較級は、末尾の「ý」を「-ejší」に換えることによって、場合によっては子音交代も起こして、作られる。しかし「dobrý」などの重要な形容詞の中には、不規則な変化をするものが結構多いのである。
ちなみに最上級は比較級の前に「nej」をつけて作るのだが、「dobrý」から作られる「nejlepší」は、90年代末の日本では、チェコ語を勉強していない人でもこの「nejlepší」という言葉を聞けたはずである。キリンビールがテレビのコマーシャルに「nejlepší pivo」とかいう表現を使っていたらしいのだ。当時テレビを持っていなかったので自分では見ていないのだけど、チェコ語の先生が教えてくれた情報である。まあ、どのビールか知らないけれどもキリンのビールを「nejlepší pivo」なんていうのはなあ。そんなこと、英語でならともかく、ピルスナー・ウルクエルを生んだ国の言葉、チェコ語で言っちゃあいけねえ。
次の「vrabec」は、雀である。日本の雀とチェコの雀が完全に一致するのかどうかまではわからないか、日本の雀と同様に小さな鳥を「vrabec」と言う。「hrsti」は女性名詞「hrst」の単数6格、意味は手なのだが、握った形の手を表す。前置詞の「v」とあわせると、「握った手の中の」ということになり、この部分全体では、「手の中に握った雀」と訳しておこうか。
「než」は、形容詞の比較級とともに使う言葉で、日本語の「より」をあてておけばよかろう。「holub」は鳩。「na」は場所を表す前置詞で6格をとる。「střeše」は、屋根を意味する女性名詞の「střecha」の単数6格である。この部分は「屋根の上の鳩より」となるわけだ。
ということで全体を直訳すると「屋根の上の鳩より手の中に握った雀のほうがいい」ということになる。手に入るかどうかわからない屋根の上の鳩よりも、確実に手に入る、もしくはすでに手に入った雀のほうがいいということなのだろうが、もう一つ大切なのは、鳩と雀を比べると鳩の方が価値が大きいという点である。
日本人からすると、鳩の方が大きいからぐらいの理由だろうと思ってしまうのだけど、実はチェコでは鳩は食べるのである。いや実際に食べたり食用として売られているのを見たことがあるわけではないから、食べていたらしいというのが正しいか。日本でもよく知られているチェコ映画の一つ「スイート・スイート・ビレッジ」(この邦題はあれだけれども、映画としてはノバー・ブルナの映画よりははるかに見ごたえがある)で、主人公のオティークが、仕事で失敗したお詫びに同僚というか上司というか、自分を助手として使ってくれているトラックの運転手のところに、自宅で飼っていた鳩の首をひねって殺して持っていくシーンを覚えている方もいるのではなかろうか。
あの映画で鳩の料理が登場したかどうかは覚えていないが、師匠の話では昔、農村ではウサギやニワトリ、ブタなんかと同様に鳩を食用に飼っていたということだった。師匠本人は食べたことはないと言っていたけど、師匠の旦那は食べたことがあるって言ってたのかな。とまれ大小だけでなく、食用になるならないでも鳩の方が価値が大きいのである。
ではどんな使い方をするかというと、それがしばしば耳にする理由でもあるのだけど、クイズ番組の最後で使われるのである。チェコテレビで以前放送されていた「タクシーク」でも、現在放送中の「いづこなるや、我が祖国」でも、番組の最後にそれまでに獲得した賞金が倍になる問題が用意されている。回答者はその問題に挑むかどうか自分で決められるのだが、挑戦しないですでに獲得した賞金をもらうことを選ぶときに、この言葉がいいわけのように使われる。
確実に手に入る賞金の方が、二倍になる可能性はあっても同時にすべてを失うかもしれない賞金よりもいいということなのだろう。鳩を捕まえるためには、手に握った雀を放さなければならないわけだから、こちらもすべてを失う可能性があるのだし。クイズ番組では、この言葉を使って挑戦を断った後に、参考までに問題を教えてもらったら、答えがわかっていたなんて事もままあって、つねに「Lepší vrabec v hrsti než holub na střeše」ではないところが、ことわざのことわざたるところなのだろう。
では、日本語にこんな状況で使える言葉があるだろうかと考えてうなってしまった。確実性を重視するという意味では「急がば回れ」という言葉があるけれどもかなり意味がずれる。クイズ番組での使い方のように、リスクを犯さないことを重視すれば、「安全第一」という言葉が思い浮かぶが、これはことわざとか慣用句と呼べるものではない。
あれこれ検討して一番近いと思ったのが「明日の百より今日の五十」で、五十と百で倍になっているからクイズ番組の最後の問題にも対応している。ただ、クイズ番組のほうは、明日まで待たなくてもその場で結果が出るから、微妙にそぐわないところもある。まあ、ことわざや慣用句の類ってのは、損なもんだと言ってしまえばその通りなのだけどさ。
クイズ番組では、賞金がもらえなくてもマイナスになるわけじゃないんだからという感じで、最後の問題に挑戦する人もいる。そんなときには、「Lepší holub na střeše než vrabec v hrsti」と言ってもよさそうな気がするのだけど、こちらはまだ聞いたことがない。
2017年11月11日15時。