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2019年01月24日

チェコ鉄道事情続続(正月廿二日)



 話をペンドリーノに戻そう。ペンドリーノが走り始めた当初、それまでの特急と比べても、所要時間が大きく短縮され、座席も当時の急行や特急に使われていた古いコンパートメント式のものに比べれば、ずっと快適だったが、乗客はそれほど多くなく、最初のころはなかなか増えなかった。原因の一つは、鳴り物入りで導入したせいか、チェコ鉄道が必要以上に特別扱いしてしまったことである。
 まず座席指定券がないと乗れなかった。当時から急行(R)、特急(EC/IC)は無料で座席指定することが可能だったが、座席指定などせずに乗る人が多かった。実際には乗車券を買うついでに座席も決められたから特に面倒ではなかったのだが、座席指定券が必要だという注記をみて面倒だと思う人はいたはずだ。

 そして、その座席指定券が高かった。オロモウツ−プラハ間は運賃が250コルナぐらいだったと思うが、座席指定券が200コルナもしたので、普通の急行に乗るのの倍近くかかったわけである。当時毎週一回オストラバに通訳の仕事をしに通っていたが、帰りによくペンドリーノの最終便を利用していた。当然運賃よりも座席指定券のほうが高かったわけで、会社で交通費を出してくれていなかったら、ペンドリーノの利用は避けていた可能性も高い。
 考えてみれば当時は、特急に乗るのにも特急料金が60コルナ必要だったのだ。カテゴリーが上のペンドリーノの追加料金がそのぐらいしてもおかしくはなかったのだろうが、割高感は否めなかった。始発のオストラバ中央駅で自分が乗った車両に他の乗客は一人もいないなんてこともあったし、満席で乗れないという状況は想像もつかなかった。その後チェコ鉄道は、特急の追加料金を廃止したが、ペンドリーノの追加料金は、廃止したり、再導入したり、値段を上げたり、下げたり、試行錯誤をしていた。適正な額を模索していたのだろう。一時期は、年に二、三回ペンドリーノを利用して、利用するたびに値段が変わっていた。

 それから、ペンドリーノの乗車券専用の窓口を設置して、発券システムも独立したものにしたのも、少なくとも最初のうちは逆効果だった。このシステムが不安定で、頻繁に落ちていたのである。駅で切符を買おうとすると、乗車券だけ買わされて、座席は適当にあいてるところに座ってなんて言われることもあった。ペンドリーノ自体に不具合が起こって、真冬に暖房が効かなかったり、トイレのドアが凍り付いて開かなくなったりなんて、冗談だろと言いたくなるようなこともあった。

 その後、オストラバに行かなくなってしばらくして、オロモウツの駅でペンドリーノを見て、乗客が多いのにびっくりしたことがある。プラハから乗ろうとして満席で乗れなかったこともあるし、チェコ鉄道の目標は数年がかりで達成されたということになろうか。乗客が増えたのは追加料金が安くなったというのもあるが、速くそして快適になった電車に、利用客が戻ってきたという面のほうが大きい。発券システムも含めて安定して運行されるようになり、ペンドリーノ導入のための路線の改修のおかげで遅延が大幅に減ったというのも、これまで時間のかかりすぎる鉄道を避けていた人たちが鉄道を利用し始めた理由になっているだろう。
 また、ペンドリーノの利用客が増えた理由の一つとして、プラハにおける発着駅がホレショビツェから中央駅に変更されたことも考えられる。かつては、ペンドリーノ以外にもモラビアの方に向かう特急の中に、ホレショビツェから出る便があって、駅を間違えると乗れないということもあったのだが、現在ではすべて中央駅に集約されているため、近距離の各駅停車を除けば、とりあえず中央駅に行きさえすれば乗れるようになって、利用しやすくなっている。

 かつてチェコ鉄道では乗客獲得のためにさまざまな模索をしていた。現在でも残っているのは、インカルタと呼ばれる会員証みたいなカードで、年会費(確か3年で300コルナ)を払うと、すべての乗車券を25パーセント割引で買うことができ、提携しているお店で割引を受けることもできる。会費の高い50パーセント割引になるものもあるのかな。
 迷走していたのは団体割引で、当初は10人以上とか20人以上のグループに適用されたと記憶するのだが、一時期は二人から適用されることになって、二人目以降は、正規の運賃の50パーセントということになっていた。現在では二人からということはないはずである。往復割引も以前はあったけれども、今は往復で買っても、別々に買っても差はないと思う。土日の特別割引のSONE+とかいうのもあったなあ。以前はあちこちで大々的に宣伝していたのに、最近全く聞かなくなったから廃止されたかな。

 そんな、鉄道の乗客増加を目指したサービスの中で一番効果があったのが、ペンドリーノの導入による所要時間の短縮と、現在でも引き続いて行われている新しい(一部外国の中古もあるけど)機関車、客車の導入による快適さの向上だったと言っていいだろう。そして、利用客が増えつつある中で、さらなる拡大を目指して導入されたのが、チェコ鉄道と私鉄が同じ路線を走るという政策だった。
 終わらないので、もう一回か二回。
2019年1月22日22時35分。









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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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