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2019年01月23日
チェコ鉄道事情続(正月廿一日)
もう一つ指摘しておかなければいけないことは、現在のレギオジェット、レオエキスプレスの成功の前提として、チェコ国内の鉄道網路線の近代化、高速化があるという点である。かつて、1990年代から2000年代初頭のチェコの鉄道網は、長期にわたって設備投資が滞っていたこともあって、老朽化が進み遅延するのが当然になっていた。線路も電車も高速走行に耐えられる規格ではなかったので、遅延なく走っても、オロモウツ−プラハで、速いものでも3時間以上、下手すれば4時間近くかかるという状態だったのだ。車両も老朽化して、暖房はあっても冷房はなく、清掃なども適当で、快適さとはほど遠い存在だった。その結果利用者離れが起こっていたといってもいい。
オロモウツ−プラハ間は、高速道路が開通していないため、当時は鉄道と自動車の所要時間が同じぐらいだったが、高速道路を使ったスチューデント・エージェンシーの直行バスが走っていたプラハ−ブルノ間は、バスを使ったほうが遥かに早く、快適でサービスもよかったらしい。値段も安かったのかな。そのため、途中の停車駅を利用する人はともかく、プラハからブルノ、その反対はバスを使う人の方が多かった。
仮にこの高速化が行われる前の時点で、レギオジェットやレオエキスプレスが、参入していたとしたら、現在ほどの成功は収めていなかっただろうことは断言できる。所要時間が大幅に短縮された上で、サービスや乗り心地が改善されたからこそ、鉄道に利用客が戻ってきたのである。
チェコの鉄道網の近代化、高速化はなかなか進まなかったのだが、転機を挙げるとすれば、チェコ鉄道が、高速化、時間短縮の切り札として、イタリアのペンドリーノの導入を決定したことだろうか。2000年前後のことで、当時ですらイタリアの十年以上前の最新列車とイタリアから来た日本人に馬鹿にされていたのだが、実際は旧型のペンドリーノであっても、その能力を十全に発揮できていないのだから、最新型を導入してもまったく意味がなかったのである。
一番最初にペンドリーノの試験運転が行われたのはプラハから北に向かう路線で、なんと各駅停車に使われていた。せいぜい数十キロのスピードで走らせながら本格的な運行に向けて問題点の洗い出しを行っていたのである。同時に導入が予定されていたプラハ−パルドゥビツェ−オロモウツ−オストラバ間では重点的な路線の改修工事が行われていた。老朽化し、また高速走行を前提として敷設されていない路線では、ペンドリーノでも時速100キロをいくらか超える程度の速度しか出せなかったのである。
線路そのものだけでなく。山間部では新たにトンネルを開削して、スピードを極端に落とさなければならなかった区間のカーブを緩やかにしたり、高速運行に向けて安全装置の設置も進められたんだったかな。全線を通じて最高時速160キロで運行できる規格で改修が進められた結果、ペンドリーノが実際に運行を始めた2005年ぐらいの時点では、プラハ−オロモウツ間を特急ECが3時間弱で結ぶところを、ペンドリーノは2時間30分ほどで走っていた。例によって遅れることも多かったけど。その後もあれこれ改修が続けられ、現在では最短で2時間2分と、もうすぐ2時間を切るところまで短縮が進んでいるのである。
路線の改修、高速化によって、ペンドリーノ以外の電車も時間の短縮が進み、停車駅が多い急行でもプラハ−オロモウツ間を、3時間以内、特急は2時間半以内で結んでいる。チェコ鉄道の所有するペンドリーノの数に限りがあるため、日によってはSCペンドリーノが走るべき時間に、普通の特急の機関車と客車を使った特急ICが走ることがある。現在ではペンドリーノでなくても、最高時速160キロで運行できるようになっていて、所要時間は途中の停車駅の数によって左右されると言っていい。ただし、レギオジェットの機関車は最高時速140キロらしく、これがチェコ鉄道の特急より時間がかかることがある理由のようだ。
この最高時速160キロというのは、チェコの鉄道網の整備、高速化の一つの基準になっていて、モラビアだと、ペンドリーノが走る区間以外にも、ポーランドからオストラバを経由してウィーン、ブラチスラバに向かう電車が走るプシェロフ−ブジェツラフ間、ブルノからウィーン、ブラチスラバに向かうブルノ−ブジェツラフ間も、特急、急行は最高時速160キロで走行している。車両によっては車内にモニターがあって、速度表示がされているので、速度を確認することができる。さすがに駅の構内を最高速で走るわけにはいけないから常時160キロというわけではないけど。
この話もうしばらく続きそうである。
2019年1月21日23時10分。
チェコのとは見た目が違うなあ。