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2017年12月06日

ブルノ行き(十二月三日)



 毎年恒例の十二月はじめのブルノ行きである。今年はじめのプラハ行きに続いて、えせ紀行文に挑戦してみよう。

 七時過ぎにオロモウツを出る電車に乗る必要があるので、五時起きである。いつもより早起きが必要なときには、眠りが浅くなるというか、眠っているのかいないのかよくわからない状態で寝ていることが多いのだけど、今回は体調不良で眠さに苛まれていたせいか、比較的ぐっすり眠ることができ、すっきり目覚めることができたような気がする。不幸中の幸いというやつである。
 冬時間が始まって朝の明るさが増しているとはいえ、緯度の高いチェコである。六時半ごろにうちを出たときには、まだ夜といいたくなるような暗さが街を覆っていた。気温は低いけれども、危惧していた雪も降らず、降った雪も完全に溶けていて、今日一日何とかなりそうだという気分でバス停に向かう。
 週末の早朝の道路は、車の姿はほとんどなく、バスが遅れることはありえないのだが、ちょっと先に出てしまう可能性はある。ということで早めにバス停に向かったら、すでにバスが待っていた。そのバスには間に合わず、乗りそこなったかと不安になったのだが、一本前のバスだった。乗る予定のバスも少し早く到着して少し早く出発したので、早く出たかいはあった。

 駅も金曜日の混雑とは比べ物にならないぐらい人の姿が少なく、切符を買うのにも行列せずにすんだ。レギオジェットやペンドリーノのような座席指定の必要な電車を使うときとちがって、チェコ鉄道の普通の電車を使うときには、事前に切符を買うようなことはしないのだ。オロモウツからブルノまで、片道で距離が100Km、運賃も100コルナ。チェコ鉄道の料金体系というのもかなり意味不明で、普通は距離が長くなるほど、1kmあたりの運賃が下がるものだが、ブルノに行くのに直行便がないときに、プシェロフを経由すると、距離は10kmぐらいしか増えないのに、値段は50コルナも上がるのである。
 どうも、チェコの鉄道料金は幹線、一番近いルートが割安になる傾向があるようである。ただし、プラハ、オロモウツ、オストラバを結ぶ線は、レギオジェットやレオエクスプレスのようなライバル企業の参入があって競争が激しくなっているために、料金体系がさっぱりわからなくなっている。最近はペンドリーノもご無沙汰しているので、オロモウツ、プラハがどのぐらいするのかもわからないのだけどさ。

 七時過ぎに、少しずつ明るくなり始めた中を電車が出発し、オロモウツの近くでは雪は完全に消えていたのだが、南西に向かいプロスチェヨフに近づくにつれて、畑の色が白くなっていく。茶色い畑ではあまり目立たない森から出てきて餌をあさっている鹿の姿が目立つようになる。普段は農地と農地にはさまれたところに残されている小さな森に住んでいるのだろうか。この辺の動物はチェコでは猟師たちが管理していて、冬の餌不足になりそうな時期には、森に餌を運んで与えているらしい。塩の塊を持っていくなんて話もあったなあ。

 雪の量はブルノに近づくに連れて更に増え、ネザミスリツェ、ビシュコフ辺りになると、畑は完全に真っ白になっていた。ビシュコフといえば、広島の知り合いから聞いた話だけど、広島の高校とビシュコフの高校の間で交流が行われているらしい。それはいいのだけど、広島の高校生がビシュコフに来たときに、連れて行かれたのが、ビシュコフのビール工場だったというのは、いいのか悪いのか。チェコといえばビールというのは確かにその通りだけど、アルコールを飲んではいけない高校生を連れて行く場所ではなかろう。先生たちがおいしそうに飲んでいるのを、うらやましそうに見つめているしかなかったのではないかと想像をたくましくしてしまう。チェコではお酒もたばこも選挙権も全部18歳からだから、日本もそうだと誤解されていたのかもしれないけど。
 ビシュコフのビール工場に関しては、十年ほど前に倒産したというニュースが流れ、経営を引き継ぐ企業も見つからなかったという話を聞いていたのだが、何とか復活したらしい。以前の大量生産の工場ではなく、地ビール的なミニ醸造所としての復活かもしれないけどさ。ビール会社が作っている組合には加盟していないようだし。

 ブルノノ駅は今年の前半大々的な改修工事を行っていて、電車によっては郊外の駅までしか行かずそこから大体のバスで移動するという形になっていたのだが、その工事はもう終わっているはずである。改修を受けて使いやすくなっているのか、意味不明な改修で逆に使いにくくなっているのか楽しみである。プラハの駅は改修の結果、構内の店が増えすぎて使いにくくなったからなあ。ファンタの喫茶店が修復されたのはいいことだけど。
 9時前に到着したブルノノ駅は、それほど大きく変わっているようには見えなかった。ホームが改修されてきれいにはなっていたのかな。ごちゃごちゃして降りるときにはいいけれども乗るときにホームの位置を探すのが大変な点も昔と同じで、あれだけ大々的に改修したのは何のためだったのだろうと言いたくなる。安全のための装置をどうこう言っていたような記憶もあるから、見えないところが改善されたのかなあ。

 ブルノはオロモウツと比べると大きな街である。街が大きいだけでなく一つ一つの建物も、ウィーンほどではないにしても大きい。当然、クリスマスマーケットもオロモウツのものよりは大きいのだけど、以前何かの機会に覗いたときには品揃えに大きな違いがあるようには見えなかった。今回ブルノの中心の一つの、ゼレニー・トルフという広場を通ったら、コロトチが回転していた。移動式のメリーゴーランドみたいなもので、これはオロモウツにはまだない。いらんけど。

 夕方6時過ぎに乗った電車は、朝暖房の効きすぎた車両に乗ったので、暖房控えめのあまり暑くない車両に乗り込んで座っていたら検札に来た車掌さんに、この車両は暖房が入っていないから別の車両に移動したらと勧められてしまった。だんだん寒くなってきたような気がしたのは間違いではなかったようだ。いまさら移動したくなかったので大丈夫といって同じ席に座り続けているのだけど、涼しいだったのが寒いに変わり、一度は脱いだセーターを再び身に着けた。マフラーも巻いて帽子もかぶったのに、これで大丈夫というわけには行かず、キーボードを打つ手がかじかみ始めた。

 これで明日はまた体調不良がぶり返すのかな。再びの挑戦はやはり自分には紀行文なんぞ書けないという現実を教えるに終わったのだった。ふう。
2017年12月4日23時。








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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



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