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2017年06月16日
お酒の話2(六月十三日)
チェコでビール、ワインに次ぐ三番目のお酒というと、何だろうか。ゼマン大統領の大好物だと言うベヘロフカ、モラビアの田舎の家庭で自家用に作られている蒸留酒なんかが頭に浮かぶ。ここは大統領に敬意を表してベヘロフカの話からはじめることにしよう。
ベヘロフカは、名前からわかるようにべヘル社が造るお酒である。念のために、わからない人向けに説明をしておくと、チェコ語では人名や会社名などの固有名詞の後ろに接尾語の「オフカ」を付けて、その人、会社が作ったもの、関係するものを表す新しい名詞が作られることがあるのである。例えば、シュコダの自動車のことを「シュコドフカ」、タトラは「タトロフカ」というから、定着はしていなけれども日系自動車会社の「ホンドフカ」や「トヨトフカ」だって、ありえないわけではないのだ。特に「ホンドフカ」は、濁点をつければ、「ボンドフカ」になって、ジェームス・ボンドの映画を指す言葉になるから、使われやすそうだし。
他にも、プラハのカレル大学のことを、「カルロフカ」ということがあるし、カルロビ・バリとの温泉つながりで言うと、ルハチョビツェのオットーさんが関係する温泉水は「オトフカ」と呼ばれる。固有名詞ではないけれども、鉄板を表す「プレフ」から、鉄板で作られた缶を意味する「プレホフカ」という言葉が作られるから、チェコ語で頻用される派生語の作り方の一つなのである。
創業者のベヘル氏が、西ボヘミアのカルロビ・バリで、イギリス人から薬草を使ったリキュールのレシピを譲り受けて、お酒の生産と販売を始めたのが今のベヘロフカの前身らしい。ベヘル氏の名前を冠した工場は今でもカルロビ・バリにある。そのレシピは社外秘で、生産開始以来、全く同じレシピに基づいて同じ方法で生産されているという。ただしヤン・ベヘル社は、他のチェコの会社と同様外資に買収され、現在ではフランスの酒造メーカーの子会社になっている。
全部で30種類以上の薬草や香辛料が使われていて癖のある味だが、知人は養命酒みたいな味だと形容していた。養命酒は飲んだことがないので、その言葉が正しいのかどうか評価できないけれども、ベヘロフカだけをたくさん飲むには甘みが強すぎる。日本にいたころは、輸入元に出かけていって、購入していたが、大風邪をひいたときにそのまま一口飲むとか、紅茶に入れて飲むとかしていた。濃く淹れた紅茶にベヘロフカとハチミツを入れて飲むと、仕事にならない状態から一時間ぐらいは仕事に復帰できたんじゃなかったかな。
チェコでは、甘いものを口にできない糖尿病の患者向けに、砂糖を使わないベヘロフカが販売されているのも見かけるが、そこまでしてベヘロフカを飲みたいのかと思ってしまう。あのベヘロフカの味から甘さを抜いたら、今度は苦くてしびれるような味が残るような気がしてあんまり飲みたいとは思えない。チェコでは、何かの調子が悪いときに(具体的な例は思い出せないので省略)、ベヘロフカを飲めと言われることがある。民間療法における薬のようなものだから、糖尿病の人でも飲まなければいけない状況が出てくるのだろうか。
以前、本来カルロビ・バリのヤン・ベヘル社でしか造れないはずのベヘロフカを造っている会社が他にもあって、商標とレシピの使用権をめぐって裁判になっているという記事を読んだことがある。共産主義の時代の国営化でカルロビ・バリ以外の酒造工場でも生産されるようになったことでレシピが流出し、そのレシピをもとに現在でも造っている会社があるのではないかと推測したのだが、そうではなく、ヤン・ベヘル氏からレシピを教えてもらって、生産する権利も譲られたのだという話だった。
もちろん、カルロビ・バリのベヘル社の側は反論していたのだが、その裁判の結果がどうなったのかまでは知ることができなかった。たまたま目に入ってきた記事だったし、熱心に追いかけて記事を探すほどベヘロフカが好きだったわけでもない。かすかに覚えているのは、チェコ国内でベヘロフカを「不法に」生産していた会社は、裁判の結果生産できなくなったけれども、スロバキアにある会社との間の裁判がややこしいことになって長引いているとか書かれていたことぐらいである。
ベヘロフカが入っている瓶も特徴的だから、ベヘロフカの名前で、同じような瓶を製造して販売するのは大変じゃないかと思うのだけど、ずっと以前と比べるとベヘロフカの瓶がごつくなっているのは、「偽物」との区別をはっきりさせるためだったのかもしれない。
ベヘロフカで一本になってしまった。ちなみに社名の由来となっているヤン・ベヘルは、初代ではなくて二代目の名前らしい。レシピを手に入れた父親の後を受けて、会社を設立したのが二代目だったのだろうか。
6月14日8時。
昔の話だけど、日本にベヘロフカを大量に持ち帰ろうとして成田空港の税関で引っかかって、お酒ではなくて水だとかなんだとか言って切り抜けようとした人がいるという話を聞いたことがある。もちろん没収されちゃったわけだけどさ。6月15日追記。
2017年05月25日
ダビット・ビストロニュを悼む(五月廿二日)
先月、フランティシェク・ライトラルの訃報に接したばかりだというのに、次なる訃報が飛び込んできた。ダビット・ビストロニュが、先週の金曜日にスイスの自宅で自ら命を絶ったというのだ。バニーク・オストラバとプルゼニュで同僚だったライトラルの死に、背中を押されてしまったのだろうか。享年三十四歳。ドーピング問題で出場停止を受けていた間に、監督の免許も取得したというから、まだまだ、人生これからだったはずなのに。
ビストロニュは、バニークでプロデビューし、2003/04のバニーク優勝に大きく貢献した若手選手の一人だった。あのときのバニークは、ラータル、ボルフ、ハインツなどの外国でプレーした経験のあるベテランと、マトゥショビッチ、ラシュトゥーフカ、マゲラ、ビストロニュなどの生きのいい若手選手がうまくかみ合ったいいチームだった。優勝の後のチャンピオンズリーグの予選で、経験のなさを露呈して、オストラバ05などと呼ばれてしまうことになるのだけど、それはまた別の話。
その優勝後のバニークにプシーブラムから移籍してきたのが、これも当時期待の若手だったフランティシェク・ライトラルなのである。マトゥショビッチの回想では、当時のバニークの若手選手たちはサッカーを離れたところでもつるんでいろいろ好き勝手にやっていたというから、この時代に友情を育んだものだろうか。当時の監督はコムニャツキーで、コーチを務めていたのが後にプルゼニュの監督となるパベル・ブルバである。
その後、2008年にビストロニュは、バニークでの活躍を評価されて、ブルガリアのレフスキ・ソフィアに移籍する。そこでもチームのブルガリアリーグ制覇に貢献したようである。2009年にはプルゼニュに移籍し、2010/11年のシーズンには、ブルバ監督の指揮の元、プルゼニュの初優勝に大きく貢献した。その後、ドーピング問題で二年の出場停止を受けた後に、二部に落ちたオロモウツでも、二部優勝と一年での一部復帰に貢献しているから、ビストロニュは所属したチームすべてで、優勝を経験していることになる。それぞれ一回ずつなのが残念だけど。
オロモウツで一部復帰に貢献した後、2015年の夏に膝の怪我が悪化してプロの選手としては、続けていくことができなくなり、実質的に引退を余儀なくされた。ただし、つい最近まで、スイスの五部のアマチュアのチームに所属して、サッカー自体は続けていたようである。ただよくわからないのが、スイスでどんな仕事をしていたかのだけど、今となってはせんなきことである。
ビストロニュが死を選んだ理由としては、ライトラルのときと同様、いやそれ以上に、借金を返せなくなっていたことが取りざたされている。発端は、2011年にプルゼニュが初めて出場したチャンピオンズリーグの試合後のドーピング検査で、メタンフェタミンの陽性反応が出たことだった。心当たりがあったのか、ビストロニュは特に反論することもなく、二年の出場停止処分を受け入れ、プルゼニュのチームとは契約解除に至った。その結果、それまでの収入を失い、借金生活が始まったのだという。
処分が解けた後に復帰したオロモウツでは、プルゼニュ時代とは比較にならない給料だっただろうし、その給料も怪我のために一年で引退に追い込まれたことで失われてしまう。別れた奥さんの話では、最終的には二人で自己破産することになったらしい。
初優勝したときのプルゼニュのディフェンスラインの選手たちの中では、ビストロニュとセンターバックのコンビを組んでいたチショフスキーも、難病に襲われて引退を余儀なくされ、今も闘病生活を続けている。プルゼニュの試合で支援のためのイベントが行われたり、本人が試合を観戦に来たりすることもあるのだけど病気の経過についてはあまり語られない。
そうすると、あの時のディフェンスの中心選手の中で、今も元気にプレーしているのはリンベルスキーだけということになるのか。たったの数年前のことなのに、何とも寂しいものである。
日曜日には、二部のリーグの試合でバニーク・オストラバがオロモウツにやってきた。ビストロニュが活躍したチーム同士の対戦で、試合前には黙祷がささげられ、厳粛な雰囲気で試合が始まった。オストラバからは千人を超えるファンが押し寄せ、ゴール裏のスタンドを一つ占拠して、熱心に応援して、試合を盛り上げていた。
それなのに、またぞろ発煙筒を持ち込んだ奴らがいた。観客席が煙に包まれただけでなく、オストラバのキーパーが守っているゴールのそばに投げ込まれたものもあったために、試合が中断してしまった。この件がなければ、ビストロニュがプレーしたすべてのチームの成功、プルゼニュの一部優勝、オロモウツの二部優勝と一部昇格、バニークの一部昇格を願ってきれいにこの話を終わらせられたのに、すべてぶち壊しである。。
5月23日21時。
2017年05月16日
青い鯨(五月十三日)
チェコ語で「モドラー・ベルリバ」という言葉を初めて聞いたのは、一月ほど前のことだっただろうか。ロシアからチェコにまで入ってきたインターネット上のゲームで、そのゲームをプレーしていた十代の子供たちの間に自殺者が出ているので、親は警戒が必要だというニュースだっただろうか。
ニュースでは、何件かの自殺に関して警察がゲームと関連性の捜査をしていると言っていたのだが、もちろんソースは警察である。それに対して、完全に関連性がわかっていないのに、こういう発表をするのは、社会にパニックを引き起こす可能性があると警察を批判する声も上がっていたようである。
ゲームを通して自殺に導くというので、ゲームをしていると催眠術みたいなものにかかってしまって、性格が変わったり、行動を支配されたりして、最終的には自殺に至るSFめいたものを想像してしまった。ゲームのプログラムが人間の意識を支配してしまうという話をどこかで読んだことがあるような気がするのだけど、違ったかな。
しかし、今日のニュースによると実際は、ゲームと言ってもコンピューターゲームではなく、人間相手のゲームのようだ。ただし、インターネットを介して行うところが、普通の子供同士のゲームとは違うところである。
フェイスブックなどのSNSを通じて、「青い鯨」ゲームをしようと呼びかけ、それに応えた人に、ゲームマスター役の人から連絡が行くという形のようである。ゲームマスターは一人ではなく、複数人いるようで、それぞれのやり方がぜんぜん違うのだという。
コンタクトを取ると、通っている学校とか、誕生日とか、さまざまな個人情報を教えるように求められ、後にはその個人情報を元に脅迫されたりしたらしい。そして最終的には自殺に導かれるというのだけど、どうやるのかいまいち想像できない。具体的な手口については、情報が出てこないのは、表に出すと悪用される可能性があるからだろうか。
先月の報道以来、両親や教師などからの通報がふえ、子供の電話相談ダイヤルにも寄せられる相談が増えていたようである。このゲームについての情報が共有されることで、沈静化が進んでいると相談ダイヤルの人が語っていた。
被害者が十代の少年少女であるということ、ゲームの犯罪性が100パーセント証明できているわけではないことなどが理由になっているのだろうが、チェコテレビの報道も、隔靴掻痒のもどかしいものになっている。
ニュースに出てきた「青い鯨」に関連するネット上のページには、鯨の写真と、腕に傷をつけて鯨の絵を描いた写真が上がっていたのだけれども、ゲームに参加すると体に傷をつけて染み出す血で鯨を描くことを求められるのだろうか。
こういうゲームにのめりこんでいくのは、おそらくネットとか、SNSなんかに依存してしまっている子供が多いはずだ。そうするとかりそめの連帯感を感じるために、他の参加者と同じようにと言われたら、自傷行為でもしてしまうのかもしれない。それがエスカレートすると、考えてみても、ネットを通しての対話で自殺に導くというのが想像できない。
昔、オーストリアの警察犬を主人公にした刑事ドラマで、ネット上のサイトを通じて知り合った子供たちが、サイトの運営者の誘導で集団自殺を企てるという事件を見た記憶がある。あれは確か、人生に悩みを抱える子供たちの相談に乗るふりをして、そんなに人生が辛いのなら終わらせればいいとか何とか言っていたんだったかな。
そうすると、この「青い鯨」の運営者達も、順風満帆の人生を送っている子供たちではなくて、生きることに苦しんでいる子供たちを餌食にしているというのかもしれない。精神的に不安定な十代の子供たちの中には、自殺という行為そのものに憧れているなんてのもいそうだし。
ただでさえ生きていくのが大変なこの世の中に、こんな罠みたいなゲームまで存在するというのだから、今の子供たちも大変だ。インターネットなんてなかった時代には、考えられなかった話である。やはり、技術の進歩というのはいい面ばかりではないのである。
中途半端な情報を基に書いたら、またまた中途半端な失敗作が出来上がってしまった。
5月13日23時30分。
2017年05月15日
サッカー協会も迷走中(五月十二日)
教育省のスポーツに対する補助金を巡る汚職事件のもう一方の当事者であるサッカー協会も、もちろん混乱を極めている。事実かどうかはともかく、政局に影響を受けた摘発だったとも言われているので、それが事実であれば(ある程度までは事実であろうが)、サッカー協会はもちろん、補助金の支給を止められたほかのスポーツ協会にとってもいい迷惑である。
六月に行なわれる総会で会長に選出されることがほぼ確実視されていたペルタ会長の現状から書いておくと、逮捕拘留された後、病気のため、ブルノの受刑者向けの病院へと移送された。そして、協会幹部との話し合いの結果、会長への立候補を取りやめることを決めた。
ラジオの公共放送であるチェスキー・ロズフラスの情報によれば、本来教育省の内部で審査して、どのプロジェクトを採用して、いくら補助金を出すかを決めるはずのところを、サッカーに関しては、担当の事務次官がペルタ会長と話し合って、そのプロジェクトを採用するかを決めていたらしい。それが、サッカー関係者の中で、反ペルタ派の筆頭と目されているテプリツェのオーナーが、「ペルタにべったりのクラブだけが補助金をもらえる」と批判していた所以なのだろう。
協会長が誰になるかについては、今週初めの時点では、実質的な協会のナンバーツーであるベルブルという人物が、ペルタ氏の代わりに立候補を考えていると言っていた。このベルブル氏は、人によっては、今のサッカー協会の黒幕的人物であって諸悪の根源だと評価する人もいる。共産主義の時代に秘密警察とかかわりがあったとかいう話も漏れてきたけれども、真相は藪の中である。
この人物が最初に暗躍を噂されたのを聞いたのは、審判の配置について影響力を行使しているのではないかというものだった。当時、協会の審判部の部長は、チェコの女性審判の草分け的存在で、女子の世界選手権やオリンピックでも主審を務めて評価の高かったダムコバー氏だった。審判を引退した後、審判部の部長に就任したのである。このダムコバー氏の私生活上のパートナーがベルブル氏で、ダムコバー氏を通じて誰がどの試合で笛を吹くか、決定していたのではないかと噂されていたのである。
ダムコバー氏も、審判をやっていたころは、好印象の人物だったのだけど、ペルタ氏に対抗してサッカー協会の協会長の選挙に立候補するとか言い出したあたりからおかしくなった。結局立候補せずに、サッカー協会の審判部長みたいな役職に就いたのだけど、その仕事ぶりもしばしば批判の対象になっていた。どうも、秘密主義的なところがあったらしい。同時にUEFAだったか、FIFAだったかの審判関係の役職にも就いていて、現在はチェコのサッカー協会の審判関係の仕事からは離れているようである。
結局、このベルブル氏は、一部リーグのチーム関係者との話し合い、特にスパルタのオーナーであるクシェティンスキー氏との話し合いの後、会長職には立候補しないことにしたようである。その代わりに、教会の有力スポンサーの一つであるミネラルウォーターのオンドラーショフカ社の人間を立候補させようとしていた。
この人物が会長になったら、ベルブル氏の操り人形になるのは目に見えているので、反感はあったのだろうけれども、明確に反対の意を表したのはリベレツのGMネズマルだけだった。2000年代初頭にリベレツがリーグ初優勝を遂げたときから長らく中心選手だったネズマルは、伏字にしなければならないような下品な言葉まで使って、強い言葉で不快感を表明したのだった。その結果なのかどうかは不明だが、結局この人物は、一度提出した立候補の届出を取り下げたらしい。
ベルブル氏本人は、現時点では副会長のポストに立候補することにしているようだが、インタビューの中で、サッカー界を離れることも考えているようなことも語っていた。ここ数年のサッカー協会を主導してきたペルタ―ベルブル体制の終焉が、チェコのサッカーに何をもたらすのかが問題である。脱税の容疑で捕まりそうになって国外逃亡したフバロフスキー時代、よく言っても君臨すれども統治せずで、ほとんど存在感のなかったモクリー時代に戻ることがなければいいのだけど。
5月13日21時。
2017年05月12日
スラブの神々(五月九日)
週末に自動車のタイヤ交換のついでにうちのの実家に帰って、歴史関係の雑誌をぺらぺらめくっていたら、スラブ神話についての記事が出てきた。スラブ神話については、ギリシャ神話、ローマ神話はもちろん、北欧のゲルマン神話と比べても、記録が少ないためその全貌は明らかになっているとは言えない。スラブ人は東はロシアのウラル山脈の麓から、西は現在のチェコ、またはドイツに至る広大な地域に広がっているため、神のありように地域差が多く、同じ役割の神でも別の名前で呼ばれていることも多かった。キリスト教の伝来によって職掌が変わってしまった神もいる。などという説明が書かれていた。
スラブ神話については、ルーマニア出身の宗教学者エリアーデの『世界宗教史』で読んだ記憶はあるのだけど、それほど詳しいことは書かれていなかったという記憶しかない。田中芳樹の『銀河英雄伝説』で、古代スラブ神話の神の名前から名前が付けられたというのが出てきたけど、あれは何だっただろうか(ちょっと確認したら軍艦の「トリグラフ」と恒星の「ポレヴィト」だった)。
雑誌の記事を読む限り、スラブ神話の記録が比較的残っているのは、東のロシアと、西のドイツのエルベ川流域であるようだ。チェコは西スラブの一部であるので、ドイツのエルベ川流域で信仰されていた神々に近い存在が信仰されていたに違いない。
一説によると、プシェミスル王朝の起源を語る始祖チェフの子孫であるリブシェと、農夫プシェミスルの物語は、本来神話だったのではないかという。つまり天の豊穣を約束する神(後のプシェミスル)と、地母神(後のリブシェ)の間の婚姻を描いていた神話が、キリスト教のスラブ世界への浸透とともに、王家の起源を語る伝説に改変されたのだと。神話と結びつけることによって、プシェミスル家のボヘミア支配を正当化する狙いもあったのではないかという考えもあるようだ。
実在の人物の神格化ではなく、神々の人格化というわけなのだが、キリスト教にとっては不要な神々を人格化してキリスト教の教えに帰依した王家の伝説に組み込んでいくことは、王家にとっても教会にとっても都合のいいことだったのだろう。日本神話もそうだが、記録された神話は権力者に都合がいいように改変されているものだ。
最初に名前の挙がる神は、エルベ川流域を中心に信仰を広げていたらしい白き神ビェロボフと黒き神チェルノボフである。『ブリタニカ国際大百科事典』には、ベールボグ、チェルノボグの名前で挙がっているが、西スラブのHが東スラブではGに変わることが多いことを考えると、同じ神の東スラブバージョンということになろう。どちらも運命を掌る神であったようだ。ただし、この二柱の神が信仰を広げたのはキリスト教の伝来以後である可能性もあるという。
ちなみに、白き神のほうは、『マスター・キートン』に出てきた「白い女神」を思い起こさせるのだが、あれは、イギリスのどこかの島で、ケルト人以前に文明を築いていたなぞの民族の信仰していた女神と言う話だっただろうか。ケルト人といい、スラブ人といい、同じ印欧語族ではあるので、神の世界にもある程度のつながりはあるのだろう。
チェコではラデガストの名前で知られている戦いの神は、エルベ川流域では、スバロジチの名前で知られている。本来は豊穣を約束する太陽神だったのが、後にキリスト教の影響で軍神へと役割を変えたらしい。東スラブでダジュボクの名で信仰された神と同一視されている。ラデガストがチェコで有名なのは、ベスキディ山地のラドホシュト山頂に彫像が置かれ、ノショビツェで生産されるビールがラデガストと名付けられ、ラベルにも像があしらわれていることによる。チェコ語でのこの神の名前が、ラデガストでよかったと思ってしまうのは仕方なかろう。ダジュボクやスバロジチという名前ではビールの名前になりそうにない。
スバントビート、スバロクなんて名前の神様が紹介されて、スバロジチとは別の神格とされているのだけど、神の名前を見ると同じ神格の別名としても解釈できそうな気がする。スバントビートは本来豊穣の神だったのが、キリスト教の影響で軍神に役割を変えたというし、スバロクは火を支配する鍛冶の神で太陽の円い形を作り出し、空に設置したというから、これも本来は太陽を支配する神であったとも言えそうである。ちなみにダジュボクとスバロジチは、このスバロクの息子ということになっているのだという。
スラブの神々の中で唯一の女神は、大地の神格化である地母神モコシュである。チェコの伝説のリブシェが、このモコシュのボヘミアにおけるバリエーションだという考えもあるようだ。リブシェに関しては、姉のカジ、テタとともに、トリグラフという三つの頭のある神のそれぞれの頭に仕えた巫女だったのではないかという説もあるようである。トリグラフは、三つの頭のそれぞれが、天界、地上、冥界を支配する役割を果たしているのだという。
キリスト教によって辛うじて神話の痕跡のようなものが残っているに過ぎないため、いろいろな説を立てる余地があるのだろうけれども、それが正しいかどうかを証明する術がないという点では、日本の卑弥呼と同じような存在である。
他にもペルンというスラブの神界を支配する雷神や、地下の世界(冥界)を支配する家畜の群の守護神ベレスなんて神が、スラブ全域で信仰されていたらしい。
以上のように、スラブ神話はギリシャやローマの神話とは違って、それぞれの神々の職掌が重なったり、同じような名前の神が別の神とされていたり、矛盾することころが多くて、全体像が把握しにくい。
誰か、さまざまな伝説から、キリスト教が影響を与えた部分を排除して、スラブの、いや西スラブの神話を体系的に復元してくれないものだろうか。もしくはどこかで体系的な西スラブの神話を書きとめた手稿なんかが発見されてもいい。いや、断片的な情報を基に新たな神話として書き上げるのも悪くないか。ヒロイックファンタジーの書き手が挑戦してくれないものだろうか。
5月9日16時。
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2017年04月22日
イースターのこと2(四月十九日)
一昨日のイースターについての記事を読み返して、最初に書こうと思っていたことが書かれていないことに気づいてしまった。今書いておかないと忘れてしまうのは目に見えているので、前回のも落穂拾い的な内容だったけれども、今回もあれ以上に雑多な内容になりそうである。
イースター、チェコ語のベリコノツェは、春を呼ぶ、もしくは春が来たことを祝う儀式なのだけど、ときどきとんでもなく寒くなることがある。確かチェコに来て一年目も、暖かくなってやっと春が来たと思って喜んでいたら、イースターの時期に突然冷え込んで雪が降ったのだった。そして雪が残る中、電車に乗って南モラビアの町に出かけたのだ。
ただ、その年は確かイースターは三月のことでまだ納得できたのだが、今年は珍しく四月のイースターだというのに、イースター前から気温が下がり始めて、今日などオロモウツでも雪がぱらついていた。オロモウツ地方の山間部イェセニークの方では、道路に雪が積もって除雪車が出たり、通行止めになったりしたようだ。つい十日ほど前には、気温が二十五度を超えたと言って、ニュースになっていたのに。
四月に入って、やっと本当の意味での春が来たと思っていたのだけど、チェコの四月の天気は、「アプリロベー(エイプリルフール)」と言われるだけあって、予想通りにはいかない。去年もなんか同じようなことを書いた記憶があるけれども、去年の四月はここまで上下動がひどくなかったと思う。今年は雨が多いのも去年と違っている。去年は水不足が大きなニュースになっていて、井戸の使用禁止令なんてものを出した地方公共団体もあった。
それはともかく、できるだけ早く、春に戻ってきてほしいものだ。土曜日には朝早くからプラハに出かける用事もあることだし。
さて、チェコのイースターは一般的に言って女性の、女の子の、女の子のいる家庭の負担が大きい。男の子たちが、女の子のいる家庭を回って、ポムラスカ(地域によって呼び方が変わる)という柳か何かの若枝を編んで作った棒で、女の子をたたいて、棒の先に色とりどりのリボンを巻いてもらったり、装飾も豊かなイースターの卵をもらったりする。男の子じゃなくて成人している連中の場合には、そこにスリボビツェやウォッカなどの強いお酒が加わることも多い。
そのイースターの卵について、今年は、ハナー地方では、卵の殻に装飾を描くのはやめて、模様の刺繍されたハンカチと一緒に卵を渡すようになっているというニュースがあった。いつ頃からのことなのかは聞き逃してしまったが、チェコでも肥沃な農耕地帯であるハナー地方では、こういう贅沢が許されたということだろうかと考えてしまった。
もう一つ興味を引いたニュースが、南ボヘミアのプラハティツェ地方に残っているというイースターの卵を使ったニュースだった。卵合戦と言うと、石合戦のように卵を投げ合うイメージになるから、それではなくて、草相撲とか松葉相撲のように、二人で一対一で戦うものである。ただし引くのではなく、卵をぶつけ合う。攻撃側が上から、卵のちょっととがった先端部分で下の卵をつつく。下の卵が割れたら攻撃側の勝ちで、割れなかったら負けで、勝った方が負けたほうの卵をもらうことになるようだ。
下で攻撃を受ける側には、を握るコツが、上から攻撃する側にはつつくときの力の入れ方にコツがあるようだけど、一番大切のは先端の部分の殻が厚くて硬くなっている卵を見つけることらしい。モラビアでは見たことも聞いたこともない風習である。ニュースに出てきた人の話では、かつてはボヘミア全体に広がっていた風習で、現在ではプラハティツェとその周辺にしか残っていないので、伝統が消えないように会場を確保して、人を集めて毎年イベントのようにして開催しているのだと言う。
色鮮やかに装飾された卵が、一部とはいえ、割れてしまうのは、もったいないような気がしてならない。昔お土産にもらったイースターの卵を日本に持って帰ったときに、空港の荷物の扱いが手荒かったのか、開けてみたらひびが入っていて、ものすごくがっかりしたことがあるし。ただ、勝負に勝って相手の卵を手に入れた子供にとっては、そのきずもうれしいものなのかもしれない。
ところで、対戦相手に勝って集めた卵、どうするんだろう?
4月20日23時。
2017年04月20日
イースターのできごと(四月十七日)
イースターの時期には毎年、道路に警察の姿が目に付く。年末年始、夏休みと並んで、普段車を運転しない人が、運転して事故を起こすケースが多く、またイースターのバカ騒ぎでお酒を飲んでそのまま車を運転する人も多いため、事故を減らそうと、厳重な警戒態勢を敷くのである。厳重な警戒体制を敷いて、頻繁に検問で車を止めて飲酒運転の検査を行っても、事故をゼロにすることはできず、今年もイースターの月曜日の夕方の時点で、六人の死者が出ている。
その原因の多くが飲酒運転にあるということで、チェコテレビのニュースでは、飲酒運転で摘発された件数を紹介していた。数年前に、手軽に血中アルコール度数を計測できる機械が導入されたことで、警察が車を止めた場合にはアルコールの検査を行うことが義務付けられた。その結果、飲酒運転で摘発されて罰金を取られ、免停につながる点数を失う人の数も、一年に三万をこえるまでに増えていたのだが、その後減少し始め、昨年は二万件を割るところまで来ていた。
人口一千万人ほどの国で、二万件ということは、人口の0.2パーセントということか。この数字が大きいのか、大きくないのか、他の国の状況を知らないので、何とも言えないけれども、自動車免許を持っている人の数を考えたら、多いと言えるような気がする。チェコの道路は怖いという思い込みからの印象かも知れないけど。
今年のイースターは、土曜日にローマで、いやバチカンでローマ教皇が毎年特別行う洗礼式にチェコ人の女性が選ばれたというのが、大きな話題になっていた。選ばれたのは、シレジア地方はカルビナーの近くのデトマノビツェという小さな町の女性だった。カトリックの洗礼だから、小さな子供だろうと思っていたら、そんなことはなく、たしか40代の女性だった。
生まれたころは、ちょうど共産党政権による「正常化」の真っただ中で、一番キリスト教に対する弾圧が強かった時代だったので、洗礼を受けることができず、家族やその友人がキリスト教の熱心な信者だったので、信者になったけれども、ビロード革命の後もあれこれあってこれまで洗礼を受けずにきたらしい。
その女性が洗礼を受けようと決意したときに、デトマノビツェの神父が、ローマ教皇庁に推薦の手紙を書いたら、教皇による洗礼の対象に選ばれたのだという。チェコでは、隣接するポーランドやスロバキアとは違って、キリスト教の信者はそれほど多くなく、特に若い人たちの中で教会に毎週通っているという人は少ない。その状況が、この件で劇的に変わることはないだろうけれども、過去の資産の返還を求めるだけではないキリスト教の一面を知らしめることにはなるのかもしれない。
土曜日の夜には、毎年恒例になっているチェコテレビとNROSという財団が主催するチャリティーイベント「ポモステ・デテム」が行われる。これはプラハで行われるチャリティーコンサートを中継して、その中継中に寄付を募り受け付けるという番組である。日本で昔やっていた「愛は地球を救う」だったか何だったか、テレビ局が主導してのチャリティー番組と似たようなものである。出演する歌手や俳優などはボランティアだというし。ただ集まった寄付で支援する対象が子供たちに限られているところが、特別といえば特別である。
マスコットは、春を呼ぶイースターのシンボルの一つでもある黄色いヒヨコで、ヒヨコの着ぐるみを来た人がコンサートの間、ずっと司会者の脇にいて、何もしゃべらずにゼスチャーで自分の意見を表明している。司会者はチェコテレビのアナウンサーのアウグストバーが、俳優のトマーシュ・ハナークトのコンビで長年務めていたのだが、ハナークが芸能界から足を洗ってからは、毎年登場するのはアウグストバーだけになってしまった。
番組では、出てくる歌手たちが歌を歌う間に、誰が、どんな企業がいくら寄付してくれたかとか、前年に集まった寄付がどのように使われたかとかなどの報告があり。募金活動自体はいろいろな形で一年中行われているようで、その募金活動の様子も紹介される。
このコンサートの際の募金の方法は、以前は会場に設置された電話に電話をかけて、いくら寄付すると言った後で、銀行振り込みという形が多かったと記憶するが、最近は、携帯電話のSMSを使って、30コルナずつ寄付できるようになっているので、この手軽ないわゆるDMSを使う人が増えているようである。DMSのDはチェコ語の「ダル」、つまり贈物から来ているらしい。
このDMSでは、ポモステ・デテムのプロジェクトへの寄付だとわかるように、書くべき決められたコードがあるのだけど、それが「KURE」なのである。マスコットになっているヒヨコはチェコ語で言うと「KUŘE(クジェ)」なので、SMS用にハーチェクをとって「KURE」になっているのは、よくわかる。でも、寄付用のSMSに書く言葉が「くれ」というのは、日本人には皮肉が利きすぎていているように思えてしまう。
チェコに来たばかりの頃は、毎年結構楽しみにしてみていたのだけど、最近はちょっとマンネリ感もあって見なくなってしまった。この手のチャリティー番組は、飽きられないように次々に新しい趣向を考えるというわけにもいかないのだろう。
この番組を見ていた時期に寄付をしたことがあるかって? 寄付ってのをこの手の大々的なイベントでするのは苦手なので、このチャリティーコンサートを通してしたことはない。寄付なんてこっそりひっそりやるものである。ただイベントにしてしまった方が集まりがいいという事情はあるだろうから、大々的なチャリティーイベントを否定するつもりはない。願わくは集まったお金が少しでも有意義に使われんことを。
4月18日23時30分。
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2017年03月18日
チェコだから……ヘリコプターが飛べないかも(三月十五日)
ニュースを見ていたら、救急ヘリコプターが出動した件について、営業時間外だったから報酬を支払わないとかいう話が聞こえてきて、えっと思った。
これも最初聞いたときには理解できなかったのだが、チェコで緊急搬送用のヘリコプターを運営しているのは、地方政府と契約を結んだ一般企業である。いや、正確には制度が二転三転していて、現在では企業が担当している地方もあるというのが正しい。今でもいくつかの地方は警察や軍に、お金を払って救急ヘリの業務を委託しているのである。
そのヘリ運営の会社をどこにするかで、入札が行われるのだけど、特に担当業者が変わるときに、問題が発生して入札のやり直しとか、前の業者と暫定的に一月契約を延長したとかいうニュースが聞こえてくる。入札価格が異常に低くてこれで運営できるのか信用できないとかいろいろあるようである。こういうのは安さだけを求めるものでもないのだから、もし警察か軍のヘリが活用できるのであれば、それを使うのが一番いいような気はする。
オロモウツ地方では、昨年の入札に勝ったスロバキアで救急ヘリの運営を手掛けている会社が、仕事を始めている。しかし、初めてすぐに、ヘリが一機しかなく、その一機が故障してしまうという事態が発生して、問題視されていた。故障自体は大したものではなくすぐに修理できたらしいのだが、その修理中に、ヘリが必要な事故が発生したらどうするんだということで、オロモウツ地方は業者に二機目のヘリを確保するように要請し、現在は二機で運営されている。
そう言えば、去年の上院の選挙に、オロモウツ地方のヘリに乗るドクターだという人が、立候補していたけれども、運営する会社が変わった今もヘリのドクターを続けているのだろうか。ちょっと気になる。
それで、昨年まではヘリの運行時間は日の出から日没までだったという。つまり暗くなってヘリの飛行が危険な時間以外なら飛ぶということだったのだろう。それが今年の一月から法律が変更されて、病院と同じように営業時間が決められたらしい。始業時間は通年で朝七時、終わるのは一番短い十一月から一月が午後四時、五月から七月が午後九時までということになっている。
問題なのは、営業時間外だけれども、十分に明るくヘリで飛べる時間帯にどうするかである。一月には、ある地方のヘリが営業時間開始の一分前、六時五十九分に出動し、患者を病院に運んだ。それから終業時間を少し超えた時間に出動した事例もあるらしい。この手の、いわば時間外出動に対して、管轄の厚生省がお金を払えないと言っているというのがニュースの主題だった。
ニュースでは問題にされていなかったけれども、地方と業者が結んだ契約は落札した価格で、出動も含めた救急ヘリの運営のすべての経費を賄うものではなく、制度を維持するための人件費などの経費にかかわる契約で、実際の出動にかかる経費はまた別に請求するという形の契約であるようだ。出動にかかる経費も含めた契約だと、出動回数が少ないほうが利益が大きくなるから、営利目的の出動拒否なんてことが起こりかねないのか。
ヘリの運営会社の人は、営業時間がどうであれ、ヘリが必要だという連絡が来て、空の状態が飛べるようだったら飛ぶのが仕事だとか、出動する際に時計を見て営業時間を確認するようなやつはいないとか、なかなかかっこいいことを言っていた。実際につい最近も営業時間外の飛行でヘリでなければ助けられなかった人を助けたという事例もあるらしいし、今後もこのやり方を変えるつもりはないと言っていた。
ただ、この手のただ働きを続けていると、会社が苦しくなって運営に支障をきたす可能性もあるので、問題提起をして、せめて以前の時間で切るのではなく、日の出と日没で切る営業時間に戻すことを求めているということのようだ。厚生省側は、法律が改正されたばかりというメンツもあるのか、この手の時間外出動に関しては、個別に対応していきたいというコメントを出している。
とまれ、現時点では、チェコの山の中や、人里離れた場所に出かけて大けがをする場合には、午前七時以降、午後もできるだけ早い時間にしておくほうが無難なようである。無難を目指す人は最初からそんなところには行かないか。
3月16日12時30分。
2017年03月16日
チェコ悪人伝K(三月十三日)
こちらに来たばかりのころ、チェコの典型的な悪い奴として名前が挙がるのは、90年代初めのクーポン式民営化の時代に、投資ファンドみたいなものを設立して巨万の富を集めてカリブ海の国に逃走したコジェニーとかいう名前の人物だった。本人は最初から詐欺を働くつもりはなかったのだとか、いろいろ言い訳をしているようだが、信じる人はいるまい。
この人物、チェコだけではなくアメリカでも経済犯罪に手を染めており、アメリカとチェコの両国が、国際的に指名手配をして裁判を受けさせようとしている。逃げた先が税金天国で経済犯罪には甘いバハマなので、一度逮捕されてアメリカに送られそうになったということはあったようだが、その後どうなったのかはわからない。チェコでの裁判は本人不在で行われているんだっただろうか。
本人は、プラハ生まれのチェコ人なのだけど、90年代の終わりにアイルランドの国籍を購入してアイルランド人になっているのも話をややこしくしているのかもしれない。アメリカで指名手配を受けたのもアゼルバイジャンでの事件に関係しているという話もあって、正直な話よくわからないとしか言いようがない。
次に名前をよく聞いた犯罪者が、カイーネクである。この人、どうも殺し屋として雇われて、人を殺して捕まって刑務所に入っているらしいのだけど、こっちも誰の依頼で誰を殺したのかとか、知っている人は知っているのだろうけど、細かい話は伝わってこない。
このカイーネクが有名になったのは、刑務所からの脱走に成功したからなのだけど、これもどこの刑務所だったのか、殺人が先なのか、脱走が先なのかよくわからない。今でも無罪を訴えているという話も聞くし、支援している女性と獄中にいながら結婚したというのも話題になったかな。現在はチェコで最も監視が厳しく脱獄は不可能だと言われるオロモウツ地方のミーロフ刑務所に収監されている。この刑務所、かつての貴族の城館を改築したもので、外から写真で見る限りでは観光地になりそうなところなのだけどね。
そして、この人物をもっとも有名な囚人にしたのが、2010年に撮影された映画「カイーネク」である。予告編を見て結構有名な俳優がでていてびっくりしたのを覚えているけれども、本編は見ていない。チェコのライオン映画賞で何かの賞をもらっていたような気もする。この手の実際にいた犯罪者を主人公にした映画というのは、特に本人がまだ生きていて冤罪を主張している場合には、見る気になれない。本人の主張に沿っているにせよ、反しているにせよ、あまり趣味がいいとは言えないだろう。
最後に、チェコだけでなく南アフリカでも悪名高いクレイチーシュである。この人物も具体的にどんなことをしたのかは知らないが、名目上は実業家として稼いだ金で建てたプラハの郊外にある豪邸の水槽でサメを飼っていたとか、逮捕された後に本人同行で家宅捜索が行われているときに、監視の警官を振り切って逃走したとか、ニュースになる話題には事欠かない。逃走には警察内部の手引きがあったとも言われているのだが、詳細は明らかになていない。
驚いたのは、最初の話では国外逃亡したときに、セーシェルかどこかの島に逃げたと言われていたのに、次にニュースに出てきたときには南アフリカで大物になっていたことだ。南アフリカでもチェコと同じように、恐喝とか殺人とか誘拐とか、いちおう実業家にしては凶悪な犯罪の疑いがかけられているだったか、その容疑で逮捕されたかだったか忘れたけれども、現地の暗黒界で地位を築き勢力争いをしていたようだ。
この人も、テレビの取材に答えて冤罪だとか、対立する勢力にはめられたんだとか主張していたけれども、結局は逮捕されて裁判を受け、現在南アフリカの刑務所に服役中のはずである。刑務所が恋人を銃殺して世界中を驚かせた義足の陸上選手ピストリウスとともに特別待遇だったのか、中庭でサッカーに興じる姿が報道されたり、刑務所に入ってなお話題を提供するのは、さすがというべきところだろうか。
プラハ郊外の豪邸を国としては競売にかけたかったようなのだが、最近奥さんが夫婦別資産でやってきたのだから、これは自分が稼いだお金で自分で建てて自分の名前で登記した建物である。だから、夫の犯罪で競売にかけられるのは不当だとか何とか訴えて裁判を起こしている。旦那がどんな人間か知った上で結婚生活を続けていたのだから、奥さんも一筋縄ではいかない人物のようだ。
この人物についても、映画、いやテレビドラマかな、が二作製作されていた。カイーネクよりも豪華なキャストで、一瞬見てみようかと心が動いたけれども、やはり見るのはやめた。予告編見ただけでも後味の悪そうな印象だったし。
とまれ、この三人の大物の犯罪者、みんな名字がKで始まるんだけど、日本だったらやりそうな三Kなんて呼ばれ方はしていないようだ。それぞれ犯罪の傾向が違うからだろうか。チェコでは同じようなものを三つまとめて呼ぶようなことはあまりしないのかもしれない。
3月13日22時。
昨夜投稿するのを失念していた。疲れて寝ぼけていたのである。3月16日追記。
2017年03月10日
「スラブ叙事詩」日本へ(三月七日)
日本へと言うよりはすでに日本にあるようなのだけど、今日から日本でムハの「スラブ叙事詩」の展示が始まったらしい。つい昨日だったかに、日本の知人からそろそろ始まりそうだというメールをもらっていたし、先日日本から来た方もすでにチケットを購入したと言っていた。そもそも日本に三回に分けて運ぶというニュースを聞いたのは、すでに一月ぐらい前のことだった。それなのに、なんだかまだ一月ぐらい先のことだと思ってしまっていたのは、体内カレンダーと現実の時間のずれが大きくなりすぎているせいだろうか。
コメンスキーを研究している方は、「スラブ叙事詩」のコメンスキーの絵をなんとしても自分の目で見たいといい、あそこに描かれているコメンスキーの姿にムハが何をこめようとしたのかを考えたいなんてことも仰っていた。こっちはただ圧倒されているだけだったし、コメンスキーのことをほとんど知らないまま見ていたので、何も感じなかったってことはないだろうけれども、何も覚えていない。モラフスキー・クルムロフの城館の中が、五月だというのにやけに寒かったのは覚えている。それとも感動で震えていたのを、寒さと勘違いしているのだろうか。
さて、本日のチェコテレビのニュースでも日本で展示が始まった様子が放送されていた。輸送の第二陣、第三陣についてのニュースはなかったのだけど、いつの間にか日本に到着していたらしい。ニュースでは関係者のインタビューもちょっとだけ出てきて、名著『プラハ幻景』の著者ブラスタ・チハーコバーさんが登場したのには驚いた。こういう日本とチェコの友好に貢献してきた方が、こんな機会に日本に行かれてあれこれコメントするのはいいことだ。
プラハの市長が出てきて、プラハの展示会場より絵がよく見えると言っていたのには、だったらムハとの約束どおり、専用の建物建てろよと腹立たしい思いしか感じなかったし、いやまあ、現時点では、法律上はプラハの所有物になっているわけだから、貸し出しの名目上の責任者であるプラハ市長に日本になんか来るなと言うわけにも行かないんだろうけど、今回の貸し出しで稼いだ金と、時間を使って、とっとと専用の展示館を建てやがれともう一度言っておく。
ところで、文化大臣は何しに日本に行ったんだろう? 「スラブ叙事詩」も文化財のはずだから、貸し出しの認可権を握っているのはこいつなのか。中国などのアジアツアーを画策しているのが文化省なのか、プラハ市なのかは、判然としないけど、ダライラマと会って、有頂天になるようなおめでたい人物には、どんなに金を積まれても中国への貸し出しは断固として拒否する強い態度を示してほしいものである。何であれ中国の思い通りにさせないことも、政治的にはチベットへの支援になるんじゃないのかね。少なくともダライラマと会見して喜んでいるよりは、はるかに有用なはずである。
そして、最大の驚きは、今から何十年か前に、「スラブ叙事詩」の二十枚のうち、二枚が日本に貸し出されたことがあるという話だった。当時チェコから借り出して展示にかかわった人が、チェコテレビのインタビューに答えて、社長と二人で全国五十ヶ所ぐらいまわって展示したんだなんて回想をしていた。
当時はまだムハはともかく、「スラブ叙事詩」の知名度は低かったはずだから、一箇所で展示していても客が集まらないので、絵の方が客を求めてあちこちしたということなのだろう。絵を見るためだけに地方から東京に出るなんてことが経済的に許される日本人もそれほど多かったとは思えないし、美術館だけではなく、デパートの催事場みたいなところでの展示もあったのではないかと、ついつい想像してしまう。
それが、二十枚そろっての展示とはいえ、行列ができてしまうのだから、隔世の感がある。これを機に、フランス風のミュシャをやめて、日本でもチェコ語の発音にあわせてムハと表記してくれるようにならないものか。最初の一歩は、英語でインタビューに答えていた女性が、ミュシャと言った後に、ムハと言いなおしたところに見出したいのだけど、どうかな。日本人は自分の名前の表記、読みには、ものすごく敏感なくせに、外国人の名前のカタカナ表記には、滅茶苦茶鈍感だから、それにマスコミの怠慢さを考えると、はかない期待ということになりそうだ。
とまれかくまれ、「スラブ叙事詩」が、日本から直接チェコに戻ってきて、チェコに戻ってきたら、プラハが専用の建物を建てるまでは、モラビアの片田舎に戻って、そこの城館で展示されることを願って、本日は筆を置くことにしよう。
3月7日23時。
こんなのもあるのね。3月9日追記。
>絵画/ミュシャ「スラヴ叙事詩展」展示用フック付金箔張ミクストメディア【インテリア】【アート】【アルフォンスミュシャ】【アルフォンス ミュシャ】 |