世田谷文学館にて開催されている『藤沢周平の世界展』へ。
私の年齢では藤沢周平はシブイらしく、館内は中年層がしめていた。そして女性よりも男性、断然男性のが多い。既にリタイアした男性ばかりで、恐らくサラリーマン時代によく読んだんだろうなといった感じ。一人で来ている人も多く、黙々と藤沢周平の世界を楽しんでいる。 なので私も藤沢周平の世界に浸ろうと努めたが、どうも若者が珍しいらしく、チラッとこっちを見てくる。私は池波正太郎も好きだし、鬼平になりたいくらいなんだから藤沢周平の場合も見逃してくださいと思うばかり。 しかし少し歩けば見られる理由もよく分かる。何せ私以外若い人が一人もいないのだ。
こんな異様な光景を目の当たりにしたのは初めてだ。
この異国の地ではすぐに連れができた。別に頼んだわけでもなくそれを好んだわけでもなく、何だか知らないけど一人おばさんがくっついて来たからだ。 私が動けばおばさんも動く。私が立ち止まり、そこに留まっている以上、おばさんも同じ行動をとる。「くっついて来るねぃ!!」と言いたいところだけど別段悪い人でもなさそうなので、自然剥離を目指した。 自然剥離に必要なのは俊敏さだ。
一時的に素早く動くことでおばさんを撒こうというわけ。ただ、素早いだけだとおばさんも俊敏に着いて来る恐れがあるので、素早さと緩さを見極めねばならない。時に素早く時に緩やかに私の歩みはとても不規則になった。 この間は仕方がないので展示物を観ることは中断。狭い館内でおばさん撒きに励むワタクシ。 なにをしにここへ来たのか目的が定かではなくなってしまった――またぞろ、どうして何かしらの妨害に出遇うのか、まったくもって不可解である――努力の甲斐あってかなくしてか、周りを見たところおばさんは消えていた。我が戦略は成功せしめり!
喜び勇んで中断した場所から観始めた、が、説明パネルが遠いのに文字が小さくて読むのに一苦労だ。こういうパネルは文字を大きくして貼って欲しい。目が良い悪いにかかわらず見え辛い。光線加減でパネルが光る場合もあるし、見る角度も決まってきてしまうので。
それはさて置き、嬉しい事実が!藤沢さんの蔵書の中に『
ある首斬り役人の日記』(フランツ・シュミット著/白水社)があったのだ。これは以前から私が読みたいと思っている本なのだ(読みたい気持ちが先行し過ぎてまだ着手せず…)。こういうちょっとしたこと――思考的繋がりとでもいいましょうか、があるだけで非常に嬉しくなってしまう。他の書籍もなかなか、外国ミステリーなぞもあって、藤沢さんがミステリー読むんだなあと、蔵書を垣間見れるというの面白い。
今回いちばん目を奪われたのは桶職人さんが作ったという長屋の再現模型。詳細に長屋が再現されていて、本当に人が生活しているのではないかと思えてくる。ちゃぶ台まで用意してあるので生活感もある。世帯数の割りに厠が少ないのが気になるところだ。
次に目を奪われたのは井上ひさし氏が書いた「『
蝉しぐれ』
海坂藩・城下図」、よくここまで読み込んで図版化したなあと思うほどに素晴らしい。井上氏がいちばんのファンにちがいない。あとは書簡の内容や広重のカタログを持っていたことなどが印象的だ。
目を奪われて模型を見ていた頃、またも邪魔が入ってしまい…別な淑女二人が非常にプライベートな会話を周りに聴こえる声で繰り広げていた。ある程度話した後、一人は帰ろうとし、もう一人は引き止めようとしているらしい。
「じゃあ私はこれで。」
「まあせっかくお会いしたのにもうお帰りになるの?」
「ええ、○○街で買い物をしてから帰りますから。」
「そんなこと言わずに…せっかくですから。」
「あなたも○○街までいらっしゃいます?」
「いーえ、わたくしは行きませんわよ。」
「ではまた今度お目にかかりましょうね。」
「そんな、今度なんて…わたくしもう死んでますわ!」
「……そっそんなふうにおっしゃらないで、また、ね。」
「いいえ、年ですもの。次なんて…生きているかどうか…!」
「お元気なんですから、大丈夫よ。近いうちにお会いしましょうよ。」
…――この押し問答は、二人が移動してしまったためこの先は聴けなかった。
二人がこの後どのように別れを告げたのか、もしくは○○街まで連れ立って行ったのかは私にはわからない。どうせここまで聴かせたんだから、この場でフィナーレまでやってくれればいいのに。“死んじゃう”って極論まで出した淑女は既に年金受取中のシルバーパス利用中な感じの人。人間、老いさらばえると人との別れが辛いものなのかもしれない…。だから即座に極論に達してしまうのかな?
【藤沢周平のこと】
本名:小菅留治
1927年(昭和2年)山形県生まれ。
1951年(昭和26年)肺結核を患う。
1963年(昭和38年)読売新聞の短編小説賞に本名で応募。『赤い夕日』が選外佳作となる。
1971年(昭和46年)『溟い海』が第38回オール讀物新人賞を受賞。
1973年(昭和48年)『
暗殺の年輪』で第69回直木賞受賞。
1997年(平成9年)1月26日没。
主な作品『
又蔵の火』、『
用心棒日月抄』、『
たそがれ清兵衛』、『
蝉しぐれ』など多数。
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