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2017年07月07日

母が夫である父に託したこと

肺がんが発覚する前年だったと思う・・・

母はその時既に自分の身体の異変に気付いていた。

そのことを私にもこぼしていた。

しかし、私は重く受け止めることなく

年寄りの戯言を聞くようにあしらった。

異様なほどの気だるさ、肩の凝り、背中の張り・・・

子供の頃から肩の凝りが著しかった母。

それが年齢と共に悪化していると・・・

そんな感覚で受け取っていた。

だから、時折肩もみをしてあげることで帳尻をあわせていた。

ある時、母が私に打ち明けた事・・・

それは母が父に言い放った言葉だった。

正確には、言い放った一言と、託した一言。

左半身麻痺の父の主介護者は母だった。

十数年に及ぶ介護生活。

母の身体が悲鳴を上げる日々・・・限界を超えていたのだろう。

「お父さん、いつまで生きるの?!」

との問いかけに、父は80と手でジェスチャーしたらしい。

そんなことを言い放つなんて・・・母は相当に追い込まれていた・・・

ただ、あの時の自分には母の鬼気迫る雰囲気を感じ取ろうとはしなかった。

今でも思い出すと悲しくもあり、情けなくもある・・・もちろん自分の事が・・・。

そして、母が父に託したこと・・・それは・・・

母自身が倒れた時に、それを2階にいる私に知らせる事だった。

父は喋れない、歩けない、自分で立つことも出来ない。

母に何かあった時(自宅で倒れた時)、それを知らせることが出来るのは父。

そんな父に、母が託したこととは、

いつも手元に置いてある「孫の手」で机をバンバン叩け!・・・だった。

そんな話をしたんだよ・・・と私に話してくれた時のことを

今でも時々思い出す。

どんな気持ちで話してくれたのだろう・・・

本当は、私に感じ取ってほしかったのだろう・・・・

その言葉を機に、何かしらのアクションをとって欲しかったのだろう・・・

そして母は、半ば予告通り・・・倒れた。

ただ・・・違っていたのは、そこが自宅ではなく職場であったこと。

母は近い将来、自分が倒れることを予期していた。

あの我慢強い母が・・・母だからこそ・・・

文字通り、倒れるまで頑張った・・・。

最期の最期に母が父に託した言葉・・・

父は覚えているのだろうか・・・。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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