アフィリエイト広告を利用しています
プロフィール
陽葵さんの画像
陽葵
陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
プロフィール
検索
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
記事ランキング
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ

2018年12月31日

8つの心(八識)とは

仏教では、私たちの心を八つに分けて教えたものを、八識と言います。
その八識とはこの8つの心です。

 

(1)眼識
(2)耳識
(3)鼻識
(4)舌識
(5)身識
(6)意識
(7)末那識
(8)阿頼耶識

 

眼識とは、色とか大きさとかを区別する心。
耳識とは、音を聞き分ける、区別する心。
鼻識とは、においをかぐ、判断する心。
舌識とは、味を判断する、区別する心。
身識とは、感触を区別、判断する心。
これらの五つは前五識と言われ、記憶する事ができません。

 

意識とは、私達の脳。
見た物が赤いと、頭が赤いと命令を発します。
末那識とは、執着
物事に執着を起こす心。
これはオレのもの、自分のものという心になります。
この心はを造らせます。
オレがオレがと言う心、私がやってやったんだとか。
阿頼耶識は、別名蔵識・業識と言われます。
蔵識の蔵とは大切なものを蓄えるところです。
焼けないし残ります。
自分のした行為が種子となって蓄えられます。
この業種子が縁と結びついて結果が引き起きます。
この結果が因となり縁と結びついて再び結果が引き起きます。
この業種子は、縁と結びつくまで絶対になくならないので
業力不滅と言い、肉体が滅びても業種子は滅びません。
因果が縁と結びついて結果となり、
またその結果が因となって結果を引き起こします。

 

そうやって常に阿頼耶識は変化し続けているので、

「暴流の如し」

といわれます。
業種子は目に見えません。
「年毎に咲くや吉野の山桜き割りてみよ花のありかは」

と言う歌があります。
吉野山は、山が桜か桜が山かといわれるほど、桜の木があります。
春になると咲く桜の花も冬になると、春の陽気と言う縁がないので花は咲かない。
吉野山の桜を見物しようとある冬にきた人がありました。
うわさとは違う桜の木の姿を見た人が
桜の花がどこに咲いているのかと探したが、どこにも見当たりません。

そこで木を一分刻みに切ってみたけれども見当たらなかったが、
ないと言う事ではありません。
春という縁がきたら毎年花が咲くように、常に勢力があります。
ただ見えないだけで存在しています。

続きを読む...
posted by 陽葵 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年12月28日

仏教に教えられる幸せになる真理とは?

仏教が説き明かした
苦しみの原因と結果、
幸福になる原因と結果の
四つの真理を四聖諦と言います。

 

真理とはいつでもどこでも変わらないことです。

 

それが4つあるから、四聖諦です。

 

それはどんなことかというと、

この4つです。

 

苦諦—果
集諦—因 ⇒迷界
滅諦—果
道諦—因 ⇒悟界

 

苦諦というのは人生は苦なりという真理です。

集諦とは、苦しみの原因を明かした真理です。

滅諦とは、苦しみの滅した世界を明かした真理です。

道諦とは、苦しみを滅する道を明かした真理です。

 

仏教に教えられていることは真理ですが、

苦しみをなくして本当の幸せになる真理です。

 

ですから、仏教に教えられていることは四聖諦なのです。

 

続きを読む...
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年12月24日

苦しい人生なんのために生きるのか

仏教では、どんな人でも受けなければならない苦しみを

四苦八苦と教えられています。

 

四苦とは、生苦、老苦、病苦、死苦です。

それぞれ、生きる苦しみ、

老いる苦しみ、

病の苦しみ

死ぬ苦しみの4つです。

 

それに4つ加えたものを八苦といいます。

愛別離苦と、

怨憎会苦と

求不得苦と

五陰盛苦の4つです。

 

愛別離苦とは愛が別離することの苦しみです。
すなわち愛するものとわかれる苦です。
失恋で自殺する人さえあります。

 

親が子を失うとか子が親に離れるとか、夫婦、兄弟、友、その他、

死に別れ生き別れ等々いずれもみな耐え難き苦しみが伴います。

 

 

ところが、かかる愛しあい睦みあっているものと別れねばならぬかと思えば、
一方ではまた好ましからぬ人と一緒に住まわねばならぬという苦しみがあります。
これらを怨憎会苦といいます。

いわゆる顔みるのもいやだと思う憎い奴とも一緒にいなければならぬ苦です。

 

次に求不得苦とは、希望の実現されない悩み苦しみであって、
ある者は金を求めて得られず苦しみ、
ある者は地位を求めて苦しみ、
ある者は恋を、美を智を、才を求め、
しかもそのいずれも得られずに苦しんでいます。

 

最後に五陰盛苦とは、肉体があるが故に生じる苦ということです。

四苦八苦を総括したものです。

 

人生というのは、どんな人でも苦しいものですが、

こんな苦しい人生なぜ生きるのか。誰も生きる意味が分からない

やがて必ず死ぬだけであれば、苦しんで死ぬために生きているようなものです。

 

その、

なんのために生きるのかという

本当の生きる意味を教えられたのが仏教です。

続きを読む...
タグ:生きる意味

2018年12月21日

なくしたものを見つける方法

私の知っている人にいつも捜し物をしているという人がいます。
あるいはどこかに何かを忘れてしまうということがあります。

 

子供の頃に、

「机の上に本を置いていたけれど、母ちゃん片付けたのでないの?」
何かなくなったときに、あいつのせいだこいつのせいだということがあります。

 

その時に捜し物を一生懸命になって探すか、
自分が失ったものに関与する誰かの責任を追及するということはあっても、
そのものを失った私自身のことについて追求するということには
力が入りにくいのです。

 

しかし、世の中には引き寄せの法則というものがあります。

自分の心が望んだものを私たちは引き寄せているのです。

 

ですから、それがなくなった方が自分にとって都合がよかったのかもしれません。

自分の心を反省してみることが大切です。

 

仏教でも、因果応報といわれて、

自分の生みだした運命は、すべて自分のたねまきによると

教えられています。

まかぬ種は生えない、ということです。

 

やがて自分の記憶をたどっていくうちに、

そういえば自分がいつもと違うところに置いたことを

思い出したりして、捜し物が出てくることがあります。

 

なくしたものをしたときは、

自分を反省してみるのが、

一番出てくる可能性が高まります。

 

続きを読む...
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年12月18日

仏教を聞くと今までしらなかった自分が知らされて来ます

仏教=法鏡、

逆にいえば

法鏡=仏教です。

 

「法鏡」とはどんな意味かというと、

「法」とはサンスクリット語ではダルマといって、真実とかありのままという意味です。
「鏡」とは鏡ということで、あなた自身を照らし出すはたらきがあるものです。

 

あなたの周りにも鏡を見るのが好きな人がいるでしょう。
顔におできができたときに、目が見えないところを見るときに鏡を使います。

 

自分自身を照らし出すのが鏡ですが、法鏡というのは、

わかってそうでわかっていない私自身の本当の姿、

ありのまんまの姿を照らし出す、そういう鏡のことを法鏡といいます。

 

前の壁が一枚の鏡だったとすると、その鏡から遠く離れたところにいると、

なかなか見えないが、だんだん近づいていくと自分の姿がうつれてきます。
鏡の前に座っていても目をつむっていてはなかなか分かりませんが、

目をぱっちり見開いて少しずつその鏡の方に近づいていくと、
その鏡の真ん前に座ったときに、自分のありのまんまの姿が照らし出されます。

 

するとこれまでは見えなかった私の姿が見えてきます。
あなたの知らなかったあなたを鏡によって見ることができます。
私の知らなかった私にあえるということになります。

 

仏教が法鏡というのは、

仏教を聞くと、今まで知らなかった本当の自分の心が知らされてくる

ということです。

 

仏教の教えにしたがって進んで行くと、

真実の自己がはっきり知らされるときがきます。

そのときに絶対の幸福になれのるです。

 

 

続きを読む...
posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年12月17日

仏教=法鏡

>

仏教を説かれたブッダは今から2600年前に活躍された方です。

 

35歳の12月8日に仏のさとりを開かれて、

80歳の2月15日に亡くなられるまでの

45年間に教えられたことが仏教です。

 

その話をされた内容を、後に書かれたものをお経といいます。

お経を全部合わせて一切経といわれます。
膨大な量にのぼるから、「七千余巻」といわれると、

一切経のことを指します。


ブッダが80歳でお亡くなりになるとき、

お弟子の一人が、
「いままでいろいろなことを教えてくださっていますが、

一言で言えば何を教えてくださったのでしょうか」

とお尋ねしたそうです。

 

45年間に七千余巻のお経ですから、

一言でまとめることはなかなか大変なことです。

 

そのときブッダのお答えは

「我は汝らに法鏡を授けるであろう」

とのことでした。

 

これは有名な逸話です。

ということは、仏教は法鏡なのだということです。

法鏡というのは、法とは、真実、鏡というのは、自分を映し出すものです。

 

つまり、仏教は、真実の自己の姿を映し出す

鏡のようなものだということです。

 

ですから、仏教を聞くと、

今まで知らなかった自分の心が知らされてくる

ということです。

 

本当の幸せになるには、

自分の心を知ることが非常に重要ですので、

ブッダは、仏教を法鏡といわれたのです。

続きを読む...
タグ:お経
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年12月14日

ソフィーの世界と広末涼子

ノルウェーの高校の先生でヨースタイン・ゴルデルという人が書いた本に

ソフィーの世界』というのがあって、

日本でも翻訳されてよく売れました。

 

先日NHKで広末涼子とゴルデルとの対談がありました。
14歳のソフィーの出ている本は、広末涼子が14歳の時に読んだそうです。

 

そのときに、ソフィーと自分の区別ができなかったそうです。
その本の最初は

あなたは誰?

という手紙を受け取るところから始まります。

 

確かに、自分の名前は知っている、親の名前も知っている。
だけれども一体あなた自身がどういう存在なのかということはなかなかわからない。
あなた自身とはどういうものか、これを発見するのが哲学だと

ヨースタイン・ゴルデルは言っています。

 

そして、ゴルデルさんは、

日本人は、東洋の伝統にのっとって

仏教を学んで欲しいといっていました。

 

仏教には、私たちの心について

詳しく教えられているのです。

 

 

 

続きを読む...
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年12月11日

自分の心が自分の運命を引き寄せています

幸せを求めながら、うまい具合にいかないのは、

目が外に向いていて、内側に向かないからです。

 

日本にも昔からことわざに、
「目、目を見ること能わず。刀、刀を切ること能わず」
という言葉があります。
どんなに周りのものを見ることのできる目でも、目自身を見ることはできません。
また、天下の名刀正宗であっても、刀で刀自身を切ることができません。
それはなぜかというと、あまりにも近すぎるからです。
あまりにも近すぎるものは、見ることできない。
切ることはできない。


別のことわざにも、「灯台もとくらし」というのがあります。

どんなに遠くの方まで照らすことのできる灯台も、その灯台の麓の部分は真っ暗がりですよ。

そこで、私たちも、どうしても何かつまらないことがあったり、
いやなことがあったりすると、私をこんな目にあわせたのは、
父ちゃんが、母ちゃんが悪いんだ、いじめっ子のせいだと。
あいつのせいで、こいつのせいでと思っているのですが、
確かに相手の問題もあるでしょう。

しかし、そういっている私自身については結構暗いのではないか。
分かっていないのではないか。

 

引き寄せの法則がありますから、

自分の心が自分の運命を引き寄せています。

因果応報です。

 

自分の心を見つめないと幸せにはなれないのです。

続きを読む...
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年12月07日

松嶋菜々子・反町隆史夫妻。結婚と離婚

結婚と離婚は、テレビをにぎわしていることの一つです。

 

昔、松嶋菜々子、反町隆史のカップル誕生が報道され、

結婚し、今では夫婦仲良く子供の運動会に参加しています。

 

考えてみると結婚が華々しく報じられると、暗いニュースが多い日本で明るい気持ちになれます。
結婚というと

「いつまでもお幸せに」

「Loveforever」とか、

頼みもしないのに、

「結婚しました」

というはがきを送ってきます。

 

結婚というと幸せになりたいというイメージが強くあります。

結婚する相手を捜すその準備として、友達を捜す、恋人を捜します。
誰だって、この人と結婚すれば、きっと幸せになれると思って結婚をします。

 

ところが、最近ではどうも離婚する人の割合が増えています。
今では、4組に1組の割合で離婚しているそうです。
日本で3分に1組の割合で離婚しています。

 

また、ハッキリした離婚の形をとらない離婚が増えてきています。
家庭内離婚。
お父さんとお母さんが一応離婚はしていないけれど、家庭の中で離婚しています。
心は冷え切って離ればなれになっているけれど、子供の就職や結婚のことを考えると離婚ができない。
だから離婚をしていないだけ。
こういう人も多くあります。

 

このように、

結婚していなくても寂しいけど、

結婚しても苦しい

 

満たされないことには変わりないことを

仏教では有無同然といいます。

続きを読む...
タグ:結婚
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年12月04日

おじゃるまるって知ってる?

そういえば、おじゃるまる、って知ってる?
「まったりまったりなぁ、・・・」こういう歌のさび。
まったり参ろうでおじゃる。

 

現代はストレスの時代。
目に見えない強迫観念、緊張感があります。
まったりと癒してくれるようなものがないと、
やっていけないみたいなんだね。

難しいことを言うと、パラノイド症候群と言われます。

 

あのでかいマイクロソフトも、独占禁止法に触れたり、
日本の携帯関連企業が押してきたりで、追われています。

下に降りて、自分の得意分野で頑張っています。
アメリカの経済発展に従って、IT関連企業が伸びています。

 

上位30社に残り続けているのはGE社だけです。
そこの社長ウェルチさん75歳。

今日が最後だ、と常に追われ続けていなければ潰れる、と言っています。

 

経済も発展して、金があれば、もう少しましになる、と思っていても、
トップは常に追われています。
これは癒しが必要なわけです。

九州の九重連山と言う花畑の、植物エキスをとってきて、燃やす、と。
何もならない。虚しいだけです。

 

これを解消するには、

なんのために生きるのか

一体どこへ向かって生きるのか

本当の生きる意味が重要です。その本当の生きる意味は仏教に明らかにされています。

続きを読む...
タグ:生きる意味