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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年10月28日

幸せになる前提とは?

誰でも自分が幸せになれるにはどうしたらいいか

といろいろ求めます。

 

しかしみんな自分はいつままでも生きている

と思っています。

これでは前提が間違っています。

これでは幸せになれません。

 

例えば数学の問題も前提があります。

そこからとき始めます。

その前提が間違っている場合。

どんな見事な展開で解答ができても、前提間違えると全部ダメになります。

 

いつまでも生きている自分が求めて幸せになるには、

自分の姿をあやまっいてるから、これでは幸せになれません。

 

この自分を知る必要があります。

自分は死ぬと知るところから本当の幸せとは何か

求め始める事になります。

 

哲学は驚嘆から始まります。

無常を観ずるは菩提心の一なり」

といいます。

 

「一切の滅びる中に滅びざる真実もとめてただひたすらに」

盲信これでは幸せになれない道理である

本当の自分を見ていくのが大事

 

自分にとってどうすれば幸せになれるか、

何もとめれば満足できるか。

心の底から喜べるかという生きる意味を探求することにつながる。

生きる意味はとても大事な事です。

 

死が自分の問題になります。

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タグ:生きる意味

2018年10月25日

仏教とその他の宗教の違い

仏教とその他の宗教はまったく違います。

なぜなら、一言でいうと宗教は金儲けや病気治しの現世利益か、死んだらお助けですが、

仏教には人生の目的が教えられているからです。

 

現世利益は、続きません。

諸行無常です。

そんな儚いもので幸せになれません。

ましてや死んでからでは手遅れです。

 

ところが仏教では、生きているときに、

本当の幸せになれます。

 

だから全然違う。

似てますなどというものでない。

 

カテゴリー、範疇が違います。

同じ集合として共有集合がない。

空集合です。

 

人生の目的と宗教は空集合

全然違う、全く違う、それが同じものと思うならよく分かってない。

 

生きる目的を病気治し、金儲けくらいに思っているからそう思う。

全くちがーーーう!

 

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posted by 陽葵 at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年10月22日

このブログは宗教ですか

「これって宗教ですか」
と聞かれて、
「えっ、あっ、えーと、違うよ、違うよ、、、えっ」
「うーん、いい質問だね」
となると相手に不安を与える。

答えは簡単
「全然」「違うよ」「NO」
仏教」です。


「そうだよ」
というと誤解を与えます。

カルチャーショックの最大が宗教偏見、
自分がそのようなものを聞いたと思うのは
大変な衝撃が走る。

「あなたと思っているような宗教と違うよ」
ということです。

 

本当の仏教

も出てこない、

占い祈祷もない。

祈ってもダメ。

新興宗教のような信じたら現世利益という教えもない。

本当の生きる意味を明らかにされているだけ。

一般的な宗教という言葉の表すものと全然違う。本当の生きる意味です。

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タグ:生きる意味
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年10月20日

法施は、諸仏のなされているのと同じ善いたねまき

法施は布施の中の一つです。
布施にも色々有りますが、大きく分けて法施と財施の2つです。

 

布施ですので、善因善果で必ず良い結果が生み出されます。

因果応報です。

 

私達の法施は破邪顕正、阿弥陀如来の本願、
大宇宙の諸仏方がなされることと同じことをさせていただける。

人間のできる最高のです。

話す凡夫はどうしようもない欲や怒り愚痴の私達だが
蒔く種は大変な種まきです。

それは仏教を聞かせて知らされたからできることです。

 

諸仏と同じ種をまかせていただける、破邪顕正とは大変なことです。

それでよい結果がやってこないはずがない、大変な善果がやってきます。

私達、お金、テスト、就職、恋人、の種は蒔く。
そして結果を受けます。

私達の法施は光に向かっていく、素晴らしい種です。

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posted by 陽葵 at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年10月18日

人生はなぜ苦しい?

人生はなぜ苦しい海のようなものなのかと言えば、心の闇があるから。
聞けばわかる話です。

 

人生を次々と荒波のやってくる海にたとえれば、

生きて行くというのは、泳いで行くということ。

 

ところがどこへ向かっていいのかわからない。

生きる目的や方角がわからないから不安

分かり過ぎる。

 

そこで近くに流れる丸太や板きれにしがみつく。

 

船と言われても分からない、見えない。
丸太にしがみついては裏切られる、

それが心の闇で苦しむ私たちの姿。

 

海に浮いているのは丸太は丸太だけ。
船は出てこない。

見えない。

 

自分は船を求めていますよという人。
船と言う丸太を求めている。
そういう心の闇を、阿弥陀如来は破る力がある。
その力を親鸞聖人は慧日といわれている。

智慧の太陽だと。

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2018年10月16日

人生の荒海に力尽きる

人生を荒波の絶えない海にたとえると、

生きるというのは、泳ぐようなもの。

 

そこで波が次々やってきます。

これは私たちにとって、やらなければならないこと。
こんなことはいっぱいあります。
小学生は小学生なりにあります。
あれせい、これせいといわれます。

 

細かいことあげればキリがない。
やりくりしていっています。
しないわけにいかない。
生きて行かなけりゃ、しゃーないやろと。

苦しい海です。


でもそれだけでは、溺れ死ぬために泳ぐようなものです。

 

荒波にもまれているうちに、力尽きて土左衛門になるのは

おかしなことです。

生きる意味がありません。

人間の存在意義(レゾンデートル)もありません。

単に酔生夢死するだけです。


だから、人生の目的はなければならないのです。生きる意味もなけれぱならないのです。

それが、仏教に教えられています。

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タグ:生きる意味

2018年10月14日

浄土真宗イコール仏教

親鸞聖人は、浄土真宗の宗祖といわれると、
何か新しい教えを作り出したかのように思われていますが、
そうではありません。

ブッダの教えられた仏教を忠実に伝えられた方です。

親鸞聖人は、口癖のようにこういわれています。

 

更に親鸞珍しき法をも弘めず、

如来の教法をわれも信じ人にも
教え聞かしむるばかりなり

 

だから、親鸞聖人はブッダの教えの結論である
一向専念無量寿仏

を徹底して教えて行かれました。

 

無量寿仏とは阿弥陀如来のことです。

一向専念無量寿仏とは、

阿弥陀如来一つに向きなさい、

阿弥陀如来だけを信じなさい

ということです。

 

それはなぜかというと、

阿弥陀如来でなければすべての人は助からないからです。
阿弥陀如来は、すべての人を必ず助けると誓っておられます。

 

大日如来や薬師如来のように、
修行できないといけないとかの差別は

阿弥陀如来にはありません。

 

だから、一向専念無量寿仏

阿弥陀如来だけに向け、信じよと教えられています。
当然のことと言えます。

 

その親鸞聖人の教えて行かれたことがすべて書かれている、
浄土真宗の根本聖典が教行信証という本です。
すべての人が救われる道が説かれているという点で、
全人類の根本聖典です。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年10月12日

阿弥陀如来が本仏である理由

蓮如上人の御文章2帖目8通は
非常に大事なことをわかりやすく教えられています。

 

ここには何が書かれているか。
阿弥陀如来が大宇宙の諸仏の本師本仏であることです。

 

本師も先生、本仏も先生の仏ということです。

 

本仏とは、教学的には分身に対するお言葉です。
この本師本仏・本師法皇について、
覚如上人が口伝鈔に書かれています。

まず、天台宗僧侶、荊渓の言葉。

 

諸経所讃多在弥陀

 

これは摩訶止観の解説書の言葉です。
ブッダはいたるところで阿弥陀如来を誉めたたえていると。

 

また、楞伽経には、

十方の諸の刹土における衆生と菩薩の中の

あらゆる法報身と化身と及び変化とは、

みな無量寿の極楽界中より出ず。

 

とあります。

すべての仏は阿弥陀如来極楽から出られたと。

 

般舟経には、

三世諸仏
念弥陀三昧
成等正覚

とあります。

 

すべての仏は、弥陀三昧を念じて、仏のさとりを開いた

ということです。

弥陀三昧を念じてというのは、阿弥陀如来のお力によって

ということです。

 

こうして覚如上人は、
「弥陀をもって主として、分身遣化の〜」
(口伝鈔)

と言われています。
阿弥陀如来が主、本体で、諸仏が分身だと言われています。

 

親鸞聖人のお言葉にも和讃であります。

久遠実成阿弥陀仏

五濁の凡愚をあわれみて
釈迦牟尼仏としめしてぞ

迦耶城には応現する(浄土和讃)

 

このように、阿弥陀如来は本師本仏なのです。

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タグ:蓮如 御文章
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教学

2018年10月10日

あなたは不幸ですか?天上天下唯我独尊

道行く人に尋ねてみる。
あなたは、不幸ですか?
いいえ。
これがほとんどの人の答えじゃないかな。

 

だって、着るものに困ってるわけじゃない。
食べ物も困らない。
家もある。
苦しくって苦しくって、自殺したい、なんてほどじゃない。
それに、自分が不幸だなんて思われたくないもんね。

 

では、今の自分に満足していますか?
いいえ。
これもほとんどの人の答えじゃないかな。

 

つまり、今の自分に満足してない。
不幸じゃないんだけど、そこそこ充実している。
そこそこ幸せなんだけども、何か物足りない。
自分に満足しているわけではない。

 

だから、変わりたい。

どうしたら、変われるんだろう、と思って、いろんなことをやる。
髪形・色染める・ピアス・趣味・旅行・服装
つまり、そうやって新しい自分にチャレンジしてみたいってわけ。

このためには、今の日常空間から出て、知らない人たちの中へ入り、
新しい自分に対する評価を作る。

 

これは、自分の体裁を気にしている、ということ。
つまり、人からの評価を気にしている。
こういう人が多い。

また、こんな人も結構増えている。
先のことなんか考えないよ。
だって、考えてもわかんねえじゃん。
だから、考えたくない。
見たくない。

 

こんな考えから、今さえ楽しけりゃいいってのが出てくる。

なんかあったらそのときになってから考えればいい。
なるようになるのさ。

日本人が、床の間に掛けたい言葉1位は、
「けせらせら」
フランス語で、なるようになるって意味。
まさに、今さえ楽しけりゃいい、後はなるようになるということ。

 

そんなことでは、酔生夢死の人生になってしまう。

あとでどうにもならずに後悔しますよ。

 

生まれてから死ぬまでに何をすればいいのか

本当の生きる目的をハッキリさせないといけません。

 

それは、仏教に説かれる

天上天下唯我独尊に教えられています。


天上天下唯我独尊 ビデオ

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2018年10月08日

宗教はお金がかかる?

宗教をやると視野が狭くなるといいます。

 

どうも視野を広げたいようですが、

視野を広げるといっても、

目的をはっきりさせないと

広げようがありません。

 

変な雑学ばかりの

視野の狭い人になりますよ!!

 

視野が狭くなるどころでないです。

目的をハッキリさせて視野を広げますと
今まで勉強してきた見聞や知識も活きてきます。

 

仏教を聞いて本当の生きる目的をハッキリさせてからでないと

視野を広げても活かす事できません。

 

よくある宗教の批判に、

宗教はお金がかかる」

と言われることもあります。

 

しかしこれも同じ事です。

生きることにはお金がかかります。

一生の間に一億二億と費やします。

 

ではなんのために生きるのか

本当の生きる意味がわからなかったら

一億二億はおろか、人生を棒に振っているのです。

 

仏教にお金や時間をかけるのは、

生きる意味をはっきりさせようとするのですから、

かけたお金や時間が活きるのです。

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タグ:生きる意味
posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教