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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2019年03月11日

人間の五願

人間の五願というものがあります。

どんな人も懐く、代表的な5つの願いです。

 

1.時は3月花の頃

2.おまえ18わしゃ20

3.使っても減らぬ金100万円、
4.死なぬ子3人みな孝行

5.死んでも命がありますように
というのが人間の五願です。

 

この中で最初の時は3月花の頃というのは、

最近は冷暖房が完備されてきたので、

みんな実現していると思いますが、

昭和時代までは大変でした。

今は大丈夫です。

 

2番目のおまえ18わしゃ20というのは、

男性目線ですが、いつもあの出会った頃のときめきを

忘れないで生きて行きたいということです。

 

これも大切ですね。

 

3番目の使って減らぬ金100万円というのは、

昔は、100万両とかだったと思いますが、

今は円に変わりました。

 

100万両は1000億円くらいですので

大名とか大商人とかレベルで大変ですが、

月収100万円くらいの人は

今ではざらにいると思います。

 

4番目の死なぬ子3人みな孝行というのは、

今は少子化が進んでいますが、昔は子だくさんだったのかと思います。

子供が9人いていつもお腹をすかしていたりするので,

3人くらいでいいということです。

 

そして言うことを聞かなくても困るので、

みんな親孝行な子供がいいです。

ここまで来ると今でもなかなか望み通りには行きません。

 

そして、5番目は死にたくないということです。

冷や飯食うても娑婆におりたいといわれるように、

どんなに苦しくても死ぬのだけはいやだ

と思います。


ところでこの中で、

たった一つだけということになったら何を選ぶかというと、

何を犠牲にしても、死にたくはないと5番目を選ぶと思います。

 

どんだけお金があっても死んだらおしまい。

冷暖房完備でも意味ありません。

他のものとは優先順位が比較にならないのです。

 

人間の究極の願いは、死にたくない

ということなのです。

 

しかし死ぬのは100%確実な未来です。

死ななくなることはできないのですが、

この死の問題は、死後の世界への輪廻と関係あります。

 

この死の問題を解決する本当の生きる意味を教えられたのが、

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タグ:生きる意味

2019年03月06日

結局仏教って信じないといけないの?

また、仏教の信心、と他の宗教の信心との違いを東洋思想で信疑一如といわれます。
信疑一如という言葉自体は仏典やお経には出ていないと思います。

 

しかしながらこれは、信ずることと、疑うことが一つのごとし

とありますから、おかしいな、と感じます。


普通、この2つは反対だと思います。

 

ところがよく考えると、

これは同じ、一つのようなものなのです。

 

1足す1は2です。

こういう時には信じるとは言いません。

 

信じるとはどういう時に使うかといいますと、疑いのある時に使うのです。
あまりにもはっきりしている時には信じるという言葉は不要になるのです。
信じる、というのは疑いがあるからです。

 

ロッキーで親友が、おまえは負けないと信じる、

おまえの勝利を信じている、と何度もいいます。

 

その相手は強いからそういうことをいうのです。
今度の相手だけは危ないかもしれない、という時にそういう言葉が出てくるのです。
それはロッキーが負けるかもしれないと思って疑っているから。
疑いがむくっと出てくる時に、それを押さえつけるためにいう言葉。


あまりにも明らかな事は信じるとは言わないのです。
マークシート、7問目が分からない。
今までBが多かったから今度はCじゃないかと信じる、それは疑いがあるから。

 

また、あなたの夫は浮気していますよ、と言われて、

私は夫を信じます、と言うのは、疑う心を強く押さえつけているのです。
そういう時に遣う言葉が信じると言う言葉です。

 

ところが仏教の信心は、

無疑の信心です。

つゆちりほどの疑いもなくなった信心です。

明らかに知らされる体験が信心決定です。

兎の毛でついたほどにも疑いがなくなります。

 

仏教の信心と他の宗教の信心は、この点でもまったく違うのです。

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タグ:お経
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2019年03月04日

死の恐怖の本質

死の恐怖とはどんなものでしょうか?

 

一見、死ぬ時の肉体的な苦しみではないかと思いますが、そうではありません。

麻酔をして無痛で死ぬのもみんな嫌がります。

 

では、愛する人との別離の苦しみでしょうか?

それもあるかもしれませんが、それは派生的なもので、死の恐怖の本質ではありません。

 

死の恐怖の本質は、死んだらどうなるかわからないのに

死んで行くことです。

死ぬのが怖いのは、実は、未来の死後の世界不安なのです。

 

別離の苦しみと未来の不安とは無関係なものではありません。
今からその人がどこへ行くかによって、気持ちは相当変わってきます。

 

アメリカに留学に行くときはどうでしょうか。
家族と別れていきますが、そういう別れは悲しいだけではありません。


でも、これからどこへいくかによっては、別離が大変苦しみになってしまうことがあります。

家族と別れて刑務所にいくとなったら、

その家族との別れなど、大変な苦しみになります。

 

ましてや死ぬのです。

死んだらどうなるかよくわからない所へ入っていかなければならないのが、

死の最大の恐怖なのです。

 

その死の大問題を解決して、本当の幸せになる方法を教えられたのが仏教です。

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2019年02月28日

科学で幸せになれない理由

科学がこんなに発達して、

便利な生活ができるようになったのに、

なぜ幸せになれないのでしょうか?

 

君たちはどう生きるか』という本がベストセラー二なりましたが、

あれは生き方についてはかなりいいせんいってると思います。

しかし、それは生きる手段です。

どこに向かって生きるのかという生きる目的がなければ、

手段の意味はなくなってしまいます。

 

科学にしても、それだけでは有効利用できないのです。
それをいかすことはできません。

マイクは、いいものか悪いものか、どう使うかによります。

 

ナチスドイツの復興の夢を語る。
それではいいものにはなりません。
これで仏教を語ったならばいいものになります。

 

科学にも哲学なければ悪いものにもなってしまいます。
あくまで科学というのは材料にしかすぎません。
科学を生かす腕が必要なんです。

 

腕というのは何かというと
本当の生きる目的である、幸福になることです。

しかも、儚い幸福では、生きる意味とは言えないので、
それは変わらない幸福です。
これを絶対の幸福といいます。

実際に絶対の幸福にならなかったら、
科学の本当の使い道ははっきりしないんです。科学は生きるためのものですから、生きる意味が分からなければ科学の意味もわかりません。

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2019年02月25日

助かってよかったね?

「助かってよかったね」

という言い方がよく使われます。

 

ガンが手術で治ると、

「助かってよかったね」といいます。

 

事故で正面衝突したのに生きていると、

「助かってよかったね」といいます。

 

じゃあ、ガンが治った人は別の病気や事故で死なないかというと

そうではありません。

いずれは必ず死んで行きます。

 

事故で死ななかった人も

死ななくなったのではありません。

 

何か別の事故や病気で最後は死んでいきます。


正確な表現を使うとすれば、
「一時的に助かってよかったねー」

と言って喜ばなければなりません。

 

しかし、こんなことを言われても喜べません。

皮肉です。

 

事実、私たちは、何も助かっていないのです。

死の問題を解決してこそ、助かったと

いえます。

 

その死の問題の解決は、仏教にのみ教えられています。

 

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2019年02月22日

東日本大震災で助かった

東日本大震災に被災して

津波にさらわれたけど気がついたら体育館に横たわっていた

という人がいます。

 

そんな命からがら生きながらえた人が、

助かったーといいます。

 

東日本大震災もそうですし、

昔の阪神大震災もそうです。

 

阪神大震災で

やっと助かったー、と言っていてもその後、

東日本大震災に襲われたりします。


助かった、と言っていても、

一時的に助かったということだけです。

 

東日本大震災、よかった助かった、というけれど、

助かった、というのは死ななかった、

という事で使います。

 

東日本大震災に被災して死ななかったけど、

その後別の病気で死んだ人はたくさんあります。

日本人の二人に一人がガンになる時代です。

 

ガンにかかっても早期発見すれば治ります。

ガンといっても、助かった、といいます。
それは死なずにすんだ、ということです。

 

今度は脳溢血や心臓病、肺炎が待っています。

病気を全部切り抜けても、老衰で死にます。

この世は四苦八苦です。
四苦八苦のビデオ


100%必ず死ぬのです。

必ず死ぬのになぜ生きるのか

というのが、本当の生きる意味です。

 

生きる意味仏教に教えられているのです。

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タグ:生きる意味

2019年02月18日

人生は10枚のコインを与えられたようなもの

ある人が言いました。
「人生とは10枚のコインを与えられたようなものだ」
この10枚のコインを何によって使ったら満足するか。
何に使うか、それが大事なのです。


たとえば1万円を渡して、制限時間を与えて、何かを買ってきてください。
そうすると、色々なものを買います。
趣味でマニアックなものを買う人もあれば、
インターネットで株に投資する人もあるかもしれない。
色々な使い方があります。

 

人間は10枚のコインが与えられたけれども、

一体何に使うのか。

人生100年とすれば、一枚のコインは、10年分です。

10年で何をするか。

君たちはどう生きるか』という本がベストセラーになったように、

多くの人が考えていることです。

 

生き方が同じ人はほとんどありません。

人それぞれ色々な生き方をします。

それはコインをそのときそのとき生きがいとするものに使う

ということです。

 

しかもその最後の1枚を必ず使う時がくるんです。
その最後の1枚を使う時に、

もっと違う事に使えばよかったと後悔してしまうかもしれません。

 

まだまだたくさんコインがあると思っているだけで、

実はもう最後のコインを使おうとしているのかもしれません。

 

不条理な人生ですが、酔生夢死しないように

本当の生きる意味を考えなければならないのです。

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タグ:生きる意味

2019年02月15日

依存症が増加中

依存症が増加している。
現代病の1つとなっている。何かに依存しなければ、生きていけない人。
古くからあるのは、アルコール依存症。
酒を飲んでいないとならない状態になります。

 

あるいは心療内科が増加して、簡単に精神安定剤などをくれるから、薬物依存症になってしまいます。
治療受けていないとそうなります。
また、インターネット依存症です。
インターネット上しか会話ができません。
インターネット上では活発。
しかも悪口ばかりを書き立てます。

 

ある知人の話ですが、ある人から何枚もびっしりと書かれたメールが送られて来た。
犯人をなかなか特定できなかったけど、匿名性が高いですからね、犯人が分かった。
それは同じクラスの学生。
そこで待ち伏せしてつかまえた。
責め寄ると、むこうは「ごめんなさい…」それ以外に何も言わなかった。
ところが、その夜にまたメールがドカンと来ていた。
悪口が。
インターネット上でしか自分を表現できない人たちが増えている。
一日の多くをパソコンの前に座っているので、

オフライン・オンラインどちらが自分かわからなくなってしまう。

 

それは苦しい人生の荒波に耐えきれずに溺れていて、

すがっているということです。

 

そういう人に、そんな人生の大海原に、

大きな船があると教えてあげなければなりません。

その大きな船に乗ることが本当の生きる目的であり、

その大きな船に乗らないと生きる意味がなくなってしまいます。

 

そんな生きる意味一つを教えられたのが仏教です。

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タグ:生きる意味

2019年02月12日

一人一人自分の世界で生きている

人間関係が面倒なので仏教講座に行きたくない
と言う人に対してどういう話をすればよいのでしょうか。

 

1人1人に自分の世界があって、

これを仏教で「業界(ごうかい)」といいます。

 

みんな自分の世界でものを見ています。
それでものを見ている。
皆違います。

ある人は人間関係にストレスを感じます。
あるいは親の言いなりに動かねばならないと思っています。

サークルの中であの人が好きになってしまった
ということもあるかもしれない。
人によって全部違います。
「勉強できなくってどうってことない」
と思っている人は
「勉強ぐらい…」で、と言います。

また、「人間関係はあまり関係ない」と思う人は
「人間関係で文句を言わずに仏教講座に行こう!」
といいます。

 

何に比重を置くか。
これらは過去のによって決まります。

 

確かに、その場しのぎの調整も大切ですが、
どういうことがあったとしても、
聞かねばならないのが仏教だ、

という気持ちになるところまで、
話をしなければなりません。

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2019年02月08日

子供が修学旅行に行くお金がないときの嘘

仏教では、は十悪の一つに数えられていますが、

嘘はすべていけないのでしょうか。

 

息子の高校の修学旅行があるというとき、

息子は、父親に仕事がなく、

お金ないからと、

自ら修学旅行をあきらめかけていました。

そして、自分が早く就職して、家計を支えていかなければならないと

思っていました。

 

だけども母親がお金を用意してくれました。

「どうしてこんなお金あったの?」

と聞くと、

「稼ぎがあったから」

といいます。

 

そんな稼ぎがあったのかと思いましたが、

高校生活最後の思い出に、思う存分楽しんできました。

 

ところが後で、ひょんなことから

実は父親がサラ金から借りて出してくれた

ということがわかりました。

 

では、この父親を嘘つきといって責められるでしょうか。


いつかそういうことが分かってもらえる。

そういう覚悟で

相手の幸せを願ってつく嘘もあります。

 

まったくのまじらないはないというのが仏教の教えなのです。

 

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教