仏教=法鏡、
逆にいえば
法鏡=仏教です。
「法鏡」とはどんな意味かというと、
「法」とはサンスクリット語ではダルマといって、真実とかありのままという意味です。
「鏡」とは鏡ということで、あなた自身を照らし出すはたらきがあるものです。
あなたの周りにも鏡を見るのが好きな人がいるでしょう。
顔におできができたときに、目が見えないところを見るときに鏡を使います。
自分自身を照らし出すのが鏡ですが、法鏡というのは、
わかってそうでわかっていない私自身の本当の姿、
ありのまんまの姿を照らし出す、そういう鏡のことを法鏡といいます。
前の壁が一枚の鏡だったとすると、その鏡から遠く離れたところにいると、
なかなか見えないが、だんだん近づいていくと自分の姿がうつれてきます。
鏡の前に座っていても目をつむっていてはなかなか分かりませんが、
目をぱっちり見開いて少しずつその鏡の方に近づいていくと、
その鏡の真ん前に座ったときに、自分のありのまんまの姿が照らし出されます。
するとこれまでは見えなかった私の姿が見えてきます。
あなたの知らなかったあなたを鏡によって見ることができます。
私の知らなかった私にあえるということになります。
仏教が法鏡というのは、
仏教を聞くと、今まで知らなかった本当の自分の心が知らされてくる
ということです。
仏教の教えにしたがって進んで行くと、
真実の自己がはっきり知らされるときがきます。
そのときに絶対の幸福になれのるです。
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