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2021年02月28日

強者どもの夢のあと

とうとう卒業式の日を迎えてしまった。
私は毎年、この日が来るのを怖れている。

新たな旅立ちを祝するめでたい日であるのに、私自身は、耐えがたい悲しみに打ちひしがれるのだ。

「できたら、式場には入りたくな…。」
毎年そう思う。
保護者席の関係で、全員が式典会場に入れるわけではないので、中1、中2は教室で中継を見る。

「今年度は中3の学年所属なので、会場に入ることになるのかな…。できたら、外で駐車場係がいいかな…」、などと思っていたら、なんと撮影係になってしまった。

「泣きながら写真撮影をしろ、ってことか…。」

式典中、私は写真を撮りまくった。
室内でフラッシュをたかない状態では、なかなかいい写真は撮れない。
それでも、記録として残そうと、彼らの姿にカメラを向け、シャッターを押した。

涙があふれても、カメラのファインダーをのぞいているから、傍目からは分からない。
オートフォーカス機能がなければ、私の写真はすべてピンボケだろう。

公立の学校では、全員マスクをして校歌すら歌わない。
保護者も一人だけ、在校生の参列はなかったそうだ。

だが、私の学校では例年通り。
マスクをつけている卒業生は誰もいない。
国歌だって校歌だって普通に歌う。

ましてや高校3年生にとっての校歌は、これが最後なのだ。
元気よく、多く
多くの生徒が皆が涙を流しながら歌っている。

いよいよ卒業生の退場となった。
入場時は、学年主任や担任が先導したが、式の最後は生徒だけが退場していく。

今年も彼らは感謝を込めて学年合唱をした。
私はもはや何も見えなくなった。

退場をズームレンズで撮りまくる…。

最後の生徒が会場から出た後、私は廊下にでて号泣した。
「もう無理…。」
そして、涙を拭って再び会場の外へ出て、卒業生を追いかける。
外では、会場に入れなかった中1と中2が、彼らが歩いている赤絨毯の両側に立ち祝福している。

こうして卒業式が終わった。
私はとてもとても謝恩会には出られないと、そそくさ退散した。

今日も泣き疲れた…。

翌日、高校3年生の教室に行った。
荷物がなくなって寂しくなった教室。
コサージュが一つ、机の上に残されていた…。




2021年02月27日

泣き疲れる…

高校3年生を送る会が行われた。
毎年、卒業式の直前に中1から高2までがイベントを行い、高3生に感謝を捧げる。

運営の中心になるのは高1。
さまざまな出し物や、動画が組み込まれ、微笑ましい催しになった。

私は高校3年生の席のすぐ後ろの席に陣取り、進行を見守る…。

「だめだ、涙が止まらない…。」

なんて私は涙もろいのだろうか。

彼らの姿や、感謝の言葉に感応して、止めどもなく涙が流れる。

幸い、会場を暗くしていたので、だらしない泣き顔を生徒たちに見られることはなかったが、ただただひたすら泣いた。

「なんだろうこの感情は…。」

毎年、高校の卒業式が近づくと、日に日に増大していく悲しさと寂しさに押しつぶされそうになる。

中学入学時から見ているとはいえ、最近は高校生とはそんなに関わりがないはずなのに、どうしても泣けてくる。

本当は、旅立っていく彼らを笑顔で祝福しなくてはいけないのだろう。
もちろん、ここまで成長した彼らは立派だ。

私が、彼らにかけてあげられる言葉は、「じゃあね…」の一言だ。それ以上話すと、泣いてしまう…。

自分のために泣いてくれる先生の存在は、後々に彼らにいい影響を及ぼすのだろうが…。

最後の高3生のスピーチは、いつもより短かったが、やはり「うっ」となった。

まさに、泣き疲れた3年生を送る会になった。

明日は、いよいよ卒業式だ。




2021年02月23日

消えた監督会議

今年も2月の中学野球の監督会議が中止になった。
昨年から始まったコロナ渦により、学校の部活動は翻弄され続けている。

思い起こせば、阿倍前首相の恐怖心による休校要請から始まり、連日、国民に不安と怖れを抱かせるばかりのマスコミ報道。当時は、経済活動を止めることが、国家としてどういう状態をもたらすかを考えることのできない、一部の学者に、国政を委ねたと言ってもよい。そうした状況が今なお、続いているのだ。

昨年は春の大会、夏の大会もなくなり、秋の新人戦も消えた。
一応、夏には2校で夏の大会の代わりになる引退試合を行い、秋には交流戦も行った。
だか、本当にそれだけなのだ。
練習試合も、昨年から一度も行われず、いわゆる正式な公式戦はまったくなかった。

当然のように、監督たちが集まる機会もほんのわずかで、昨年12月に、先生向けの指導者講習会を行った際に皆が集まっただけである。

今回も、総会もなく、役員会だけが行われ、来年度の予定や連絡がラインで配信されただけである。

3月のシード決め大会も、交流戦に変更になったが、高体連が対外試合を中止しているので、中学もどうなるかわからない。

世の中は、生死にかかわる深刻な状況なのだから、学校の部活動どころではないのかもしれないが、彼らの青春期も一度きりなのだ。

幸い、私の学校生徒たちは、モチベーションを下げることなく頑張っているが、土日の部活が禁止になっている他校では、ますます家に引きこもり、きっとゲーム三昧なのだろう。

届いた書類には、来年度の大会日程が載っている。
このうちどれだけが、予定通りに実施できるのだろうか。

4月には県下で審判講習会も行われることになっているが、どうなるかわからない。

どうなるかわからない中で、計画を立て、準備をするのも、なかなかの至難の業だ。

混乱だらけの学校教育現場だが、本当に正しい方向に向かっているのだろうか…。
いつか、笑って思い出を話せる時期がくるのだろうか…。

科学万能主義に陥り、傲慢になった人類への警鐘は、まだまだ続くのだろう。

2021年02月22日

あなたにとって人生とは

中3の生徒から、卒業記念に作る冊子にプロフィールを載せたいとのことで、原稿を頼まれた。その質問項目に、「あなたの人生とは」というものがあった。

そこに私は迷わず、『生徒と共に歩んだ人生』と記した。

確かにその通りだし、私の人生を振り返ったとき、まさに生徒と共に過ごす人生だったのだ。

大人とはまともに話せない。どちらかというとコミュ障だ。
だから、親と話すのも苦手だし、ましてやセールトークなどできない。

だが、生徒とならば、誰とでも話をすることができる。

特にやんちゃな子には声をかけたくなる。
そうした生徒に付き添っているうちに、いつしか心を許せる関係になり、何でも話せるようになるのだ。

私の教員人生は、そうして生きてきた。
他の先生方とは違う何かがある。
寄り添わなくてはならないから、寄り添うのではない。
声をかけなければいけないから、声をかけるのではない。
手を差し伸べなければいけないから、手を差し伸べるのでもない。

ふと、声をかけたくなり、ふと手を差し伸べたくなるのだ。
そうしたことは、知らず知らずのうちに自然にできるようになっていた。

今、教員人生を振り返ってみて、「今、生徒との関係が絶たれたら…」、と思うと、とてつもなく寂しく思う。

退職後は、この寂しさをどう補えばいいのだろうか、などと真剣に考えてしまう…。

学年末が近づくと、たいてい感傷的になる。

彼らの卒業はめでたいが、私にとっては寂しさの方が大きい。

「消えるようにいなくなってくれ…。俺も消えるようにいなくなるから…。」

生徒たちにずっとそう語ってきた。

だが、なかなか消えるようにいなくなってくれない…。




2021年02月21日

春の息吹

朝は霜が降りたが、日中はゴールデンウィークの頃の暖かさとのことで、もう少しで二十度に届くほどだった。

室内より外の方が暖かいので、思わず土いじりをした。
古いプランターの再生しようとふるいにかけたりした。少し土が湿っていたので、もう少し経ってから続きをやってみよう。

咲き誇っている梅の花が青空に浮かんでいる。
枯れ木のような枝に黄色い花のマンサクが風に揺れている。まるで錦糸卵のようだ。

先日芽が出ていたフキノトウを収穫して、初めてフキ味噌を作ってみた。
近隣の方に作り方を習ったので、すぐに試してみたのだ。

庭のフキはまだたくさんは出ていなかったが、なかなかおいしくできた。
ちょっと苦い天ぷらよりはおいしいかも…、なんて思いながら食べてみた。

おにぎりにするといいかな…。

フキが伸びれば、茎が取れる。
もうすぐタラの芽も出てくるだろう。

春になればタケノコだってある。

まさに春の息吹。
もうすぐ春が近づいている。

自然の恵みの中で生活できることに感謝だ。

「フキノトウ知っている人、いる?」
授業中、中1のクラスで聞いてみた。

手を挙げたのはほんの何人かだった。
都会っ子が多いのだろう。

歳をとったのか、こういう自然のものが食べたくなった。

暖かさにミツバチたちがせわしく飛び回る…。

今年は採蜜もできそうだ。



2021年02月19日

卒業式が近づくと…

卒業式が近づくと、何だかもの悲しくなってくる。
今年の高3は、学位主任や担任をした訳ではないが、卒業生の中に、今や心を許せるY君がいるのだ。

Y君とは中1の頃から関係が深くなり、毎日質問に来るようになった。
そのうち、コンピュータープログラミングを教えた。
中2から不登校になったときには、毎日のように食事も作った。
中3になるときに転校。そして高校から再度入学してきたのだ。
野球部も手伝わせたし、高校生になったときにはコーチも頼んだ。

中2で学校をやめたときは突然だった。
いきなりいなくなった。

今回は卒業なのだが、さすがに少しずつながらも、毎日じわじわと悲しみと寂しさが大きくなってくる。

「もういなくなるんだろ…。」
「卒業ですよ。もう一年くらいここにいたいですけど…。」

Y君はたぶん浪人。
この先また受験勉強を続けるのだろうから、卒業後にはなかなか顔を出すことは難しいかも知れない。

少しの期間だが、彼の人生に関われたことは嬉しい。

教師という仕事は、「自分が生徒になしたことは忘れる」ことが求められる。
「いつまでも自分が、自分が…」、というのは醜い。

ふと思い出したときに、泣けてくる…。

だから卒業式は嫌いだ。

Y君が中2のとき、あまりの過酷さに担任のH先生が退職した。

「卒業したらH先生にメールくらい出せよ。」

「分かってます…。」

多くを語らずともお互いその意味を知っている…。

2021年02月18日

授業料

私立の学校では、授業料をいただいて運営している。
だが、保護者の中には財政的に厳しい方もいて、大抵何人かの方が、滞納になり、入金催促を受けている。

いちばん問題なのが、卒業間際の滞納である。

私立学校では、学納金が滞納されていると卒業証書を渡すことができない。
無情のようだが、法的にはそのようになっている。

私もかつて努めていた学校で、高3を卒業させる際に、滞納であることを知らされ、私自身が払おうとまでした経験がある。
生徒のことを考えたら、そうした思いが湧いてきたのである。

私立学校で系列高校がある場合の中3では、さらにややこしくなる。
卒業証書を渡せないということは、中学校の卒業を認めないということになり、そうすると宙ぶらりんの状態になって、高校進学もできなければ、公立に転校することもできない。
公立では、すでに卒業状態になっているので、卒業式を終えた3月に籍を置くことすらできなくなるのだ。

今回の生徒は、夫婦が離婚。父親が学費を払う約束になっていたが、仕事がうまくいかず滞納。そこで母親に連絡したが、「私は出せません」と、ややこしいことになった。親権は母親が持っている。

選択肢は二つ。父親ないし母親が滞納分を納入するか、2月末で公立中に転校するか、である。転校した場合、相手校に迷惑がかかるが、卒業は認められることになる。ただし、高校進学では、困難をきたすだろう。

父親と母親がお互いに責任をなすりつけ合い、子供を犠牲にしてしまった状況になってしまった。

子供の方は、そんな状況を知る由もなく、そのまま系列の高校に進学するつもりでいる。

当然高校へ進学しても学費問題は消えるわけでないだろう。

中学までは義務教育なので、親は教育を受けさせる義務を負う。
その責任を果たさなくてはならない。

財政的にきつくても、何とかしなくてはいけないのが親だ。

その苦労はいずれ子供も知ることになるだろう。

そうやって子供は成長していく…。

2021年02月17日

褒め殺し

数学科の教科会を利用して、昨日行った私の研究授業の反省会が行われた。
この歳になると、授業に対して何を言われても動じないのだが、それでも何か私が忘れていること、気づいていないことが聞けたら、私自身、学びになるというものだ。

若手の先生たち、ベテランの数学科の先生たちと、十人近くの先生方が、私の授業を見に来てくれたが、皆が口をそろえたように、私の授業を褒め称えた。
私自身が、「そんなに持ち上げなくても…」と思うくらいで、まさに褒め殺し…。

「いや…ものすごくテンポ良く授業されて、生徒たち全員を引っ張っていますね。私もこんな授業をしてみたいです。」

「スモールステップのプリントは秀逸です。これはお手本にすべく、記録しておくべきです。」

「W君が解けていないって、近くでノートも見ていないのに、どうして分かったんですか? 霊能力ですか?」

「授業の雰囲気が最高ですね。まさに一体化しているというか、本当に生徒との信頼関係を気づいているんですね。」

「キーワードが良いですね。みんな解けるようになっちゃうんですね。」

褒めすぎである。

だが、私も楽しく授業をしたことは事実。
ちゃんと一時間に収まるように、普段の授業よりは雑談(教養話)は、控えめにしたことは事実だ。

「丹澤先生の授業は、若手の先生は絶対に見て勉強すべきです。」

昨今、自信を失いつつあった私にとては過分の言葉である。

もはや、授業が最後の砦となりつつある昨今、研究授業ができて良かったのかも知れない。

ふと、「私はこれで教員として生きて生きたんだな…」、と思い至る。

あと何回、教壇に立てるか分からないが、一回一回の授業を大切に、生徒たちとの関わりを楽しんでゆきたいと思う。

若手を育てるということが、私にとっての最後のご奉公なのかも知れないな…。

2021年02月16日

研究授業

久しぶりに研究授業を行った。
もしかしたら、数年ぶりかも知れない。
生徒による授業評価が高い先生が、授業を公開せよ、とのことで、中2の中位のクラスの授業を公開した。

公開と言っても、普段の授業と変わらない。
別によそ行きの授業をするわけでもない。
いつも通りの授業をするだけなのだが、私自身、少しだけ意識して、普段はほどんど作らないプリントを作った。

テーマは「二次方程式を平方完成して解く」というもの。
解の公式を教える前段階の大切な分野である。

上位クラスならば、さっと説明して終わりだが、中位のクラスでは、丁寧にスモールステップで進めなくてはいけない。
そこで、スピードアップのため、あえて例題プリントを作ったのだ。
その数18問。例題として解説しつつ、時折生徒たちにも解かせる。

「2乗を外すと、プラスマイナスルートがつく」
私は、毎回の例題のみならず、授業時間中に何十回と、この言葉を言う。

単純なx2条イコール数値の問題から、括弧の2条、因数分解を必要とするものと、段階的にレベルを上げていく。

平方完成の説明では、「xの係数を半分にして2乗を引く」と、何度も叫ぶ。
「半分(×1/2) −2乗」と色字で書き込むことがポイントである。

2次方程式を解くに際して、さまざまな注意点を織り交ぜつつ、最終的にはx の係数が奇数の平方完成までやる。

「あら、けっこう理解できてるじゃない…。」
私の率直な感想である。

本当は、平方完成をすっ飛ばして、いきなり天下り的に解の公式を教えようかと思ったが、彼らに教えて良かった。
おそらく全員がこの方法で2次方程式を解くことができるようになるだろう。

授業開始時、見学に来ていた先生は一人もいなかった。
「丹澤先生、見学の先生、誰もいませんよ。」
生徒が余計なことを言う。

「俺、嫌われるからね…。」
などと自虐的に語っている中で、少しずつ先生たちがやってきた。

こんな風に授業を見学するのは本来あってはならないと思うのだが、昨今の私は、そうしたことも気にすることがなくなった。

自分は楽しく授業ができればいい…。

2021年02月15日

バレンタインデー

今年のバレンタインデーは日曜日になった。
こうなると、学校でチョコを渡すというタイミングが難しくなる。

一日早めて、前日に渡す人。
一日遅らせて、翌月曜日に渡す人。

今回のバレンタインデーでは、私は大きな失策をしてしまった。
まさにボケているとしか言いようがない。

私はバレンタインデーとホワイトデーを間違えてしまったのだ。

朝出勤すると、机の上になぜがチョコレートが置いてあった。
これは、女性陣が男性陣にプレゼントしてくれたものなのだが、私はそれを見ても、なぜ、自分の机の上にチョコレートが置いてあるのか、分からなかったのだ。

愚かである。

「私はお返しをしなくては…」と、いつもいただく方を想定して、プレゼントを買っておいたのだ。

「えっ。今日はバレンタインデー?」

その通り。バレンタインデーなのだ。

このところ、こんなボケが多い。

先日も、コンビニに行ったとき、財布の入ったバッグが見当たらず、家に忘れてきたと思って、戻ったが、やはり見当たらない。

…なんと言うことはない。バッグは車に中にあった。座席においてあった。薄暗くて見えなかっただけだった

「歳をとってボケた…」ってことだろうか。

こんな風に教育活動の中で、ミスをして迷惑をかけてはいけない…。

うーん。どうしたものか。
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