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2021年03月28日

春の雨

「本当、雨男なんだから…。」
母親がそう呟く…。

私の家族では親父と弟が雨男。
今日の父親の三回忌は、読経の最中は大雨になった。

昨年の一周忌では大雪だったので、とにかく雨男は間違いあるまい。

今回は日帰りで東京に出掛けた。
昨日まで部活動を行っていたし、泊まりの場合、犬の面倒を誰かに見てもらうか、連れて行かねばならない。
だが、長距離の運転は体力的にも辛い…。
だから、始発の新幹線で出掛けることにしたのだ。

東京の空気は汚い。
何だか匂いが違う。
人も多く、なんだか殺伐としている。

ずっと東京で生きていたが、いつかは逃れようと、今の田舎に住んでいる私にとっては、実家に行くことすら、もはや苦痛に感じてしまう。

「ほら、桜満開でしょ…。」

今にも降り出しそうな、灰色の空に、何とも虚しく桜が咲いている。

法事を終えると、私は早々に帰宅した。
まだ明るい時間に戻ることができた。

はやり空気が違う。
雨は幾分か、小降りにはなったが、まだ止んではいなかった。

「雨だけど、散歩にいくか…。」
私は愛犬たちに呼びかけ、散歩に出掛けた。

何とも言えない幸福感。

そろそろ親父も成仏した頃だろう。

先日咲き始めた裏庭の山桜が、あっというまにピンク色に包まれている。

親父、ありがとう…。

2021年03月19日

中学卒業式

いよいよ中3が卒業だ。
例によって、私は写真撮影係。
朝から心を落ち着かせて、会場に保護者が入ってきても、気持ちを整え、式を待つ。

中3の学年所属であり、あるクラスの副担ではあるが、このところあえて教室には行かなかった。生徒たちの念いが担任に集中して欲しいと思ったからだ。

私が教室に行けば、担任もクラスの生徒も私に気を遣う。
そんな中で、中学校最後の日を迎えて欲しくなかったのだ。

式は、粛々と進んだ。
高校の卒業式時にうまく撮影できなかった教訓を生かし、式の最中、私はあちこちと動き回り、集中して失敗することなく、撮影できたはずだ。

今年の中3は、式の終わりに合唱を行った。
校歌斉唱の前に、混声四部合唱「仰げば尊し」を壇上にて披露したのである。

前日リハで聞いていた私であっても、彼等の思いのこもった歌声には、涙した。
いつもながら、オートフォーカスで良かったと思う。
卒業に際して感謝の思いを大きく抱きながら一生懸命歌っている彼等の歌声は、誰もが涙しただろう。

彼等は式後に、学年の先生と保護者を集めて、再び合唱を披露した。
自分たちで練習したポップスだが、その歌声も見事だった。
その歌でも写真を撮りながら泣いた。

その後教室で最後の学活なのだが、私は一切教室には行かなかった。

最後の学活は担任とクラスの生徒だけでいい。
もちろん、教室に行けば、泣いてしまうだろうから、それも辛い…

式後、私は早々に写真をサーバーに取り込み、退散した。
「丹澤先生、教室に来て下さいね…」という担任の声を無視して、逃げるように消えた。

やはり卒業式は苦手である。
私の傷心を癒やしてくれた彼等。
彼等のバイタリティと笑顔と優しさが、私にエネルギーを充電してくれた。
もう一度立ち直る力を与えてくれたのだ。
そう思うと、ただただ涙が溢れてくる…。

ありがとう。

2021年03月16日

中学スポーツ大会

中3が企画し、中2のリーダーを巻き込み、中学全体でスポーツ大会を行った。
卒業式が近づいているのだが、このところ遊んでばかりいるようにも思う。

だが、彼等が中学校時代最後の思い出として、いいムードで卒業していくにはいい企画だろう。

私はスポーツ大会に少し遅れて見に行ったが、中3のリーダーシップが、なかなか素晴らしかった。

「ここまで成長したか…」、と思うと、嬉しくなった。

後輩を励まし、勇気づけ、それでいて、自チームへの勝利へと導く。

中3の多くが、スポーツ大会を終える頃には、声がかれていたくらいだ。

後輩たちは、口を揃えて「楽しかった」と言う。
これで中3たち成仏できるだろう。

そんな中で、H君だけが心穏やかざる状況だったに違いない。

閉会式での実行委員長の挨拶が、デリカシーに欠けたのだ。
「前回のときより、準備も本番も、とてもスムースにできて良かったです。」
あたかも、自分たちのときの方が、はるかに素晴らしかったと言わんばかりの挨拶であった。

それは違いのないことだが、今回の成功は、前回の教訓と経験があったからこそなのであって、その辺りは、前回のリーダーたちに感謝の思いを述べるべきだった。
当の本人が、そのことに全く気づいていないことが、気の毒である。

偉かったのは前実行委員長のH君だ。
じっと耐え、一言も愚痴を言わなかった。
前回も、準備の期間が十分あれば、同じようにできたに違いない。

私は、彼の毎日の記録ノートに、「H君が一度やってくれたからこそ、今回のスポーツ大会があるんだよ。ありがとう」、と記した。

生徒たちはこんな風にして、成長していく…。

彼等ももうすぐ高校生だ。

2021年03月15日

最後の授業

中3最後の授業があった。
いつか来てしまうこの日が、来て欲しくないと思いながらの毎日であったが、とうとうその日がやってきた。しかも一時間目である。

教室に入ると、何やらクロスワードパズルが黒板に書いてある。
授業の初めに、彼等の感謝企画として、私の三年間の授業の思い出をクイズにして、クロスワードパズルを解く、というものだった。

私の口癖やら数学の問題の一問一答であったり、なかなか面白かった。
最後に文字を組み合わせると、「三年間ありがとうございました」になる。

その後、全員でのお礼の言葉があって、一人ひとりのメッセージ冊子をもらった。
また宝物が増えた。

彼等は私を喜ばせようと、サプライズを企画していたのだ。

その後、何かしら私が話さなければいけない雰囲気になった。

私が言うことは決まっている。
「君たちには感謝しかない…。」
これだけだ。

私が、二年前に打ちひしがれ、職場を去ろうとしていたときに、この学年に拾われ、生徒たちの優しさと笑顔に救われたのだ。学年はそのまま持ち上がりになり、二年間。私はずっと生徒からの愛を受けて、傷ついた心を癒やしてきた。
それを思うと、涙ながらに語るしかなかった。

彼等の高校進学に向けて、何らかのアドバイスを話すこともできたが、私の思いは一つ。
ただただ感謝だ。

彼等は少し幼いが、その笑顔がいい。
人を幸せにする笑顔を持っている。

苦しいときにも、私に関わり励ましてくれる。

「もうひと頑張りしよう、かな…。」
と思えるようなったのも、彼等のお陰なのだ。

「高校に行っても、これまで見たいにつき合ってください。」
そんなメッセージもあった。

ありがとう…。




2021年03月14日

交流戦

雨で一日延びたが、四ヶ月ぶりに対外試合を行うことができた。

ここまでよくモチベーションを維持し、活動してこられたと思う。
練習をしていれば、当然、試合をしてみたくなる。
自分たちの技が、よその学校に通用するか、試したくなるのは当然のことだ。
だが、ここまで、コロナのために、一切の試合はなかった。
公式戦はもちろん、練習試合すらできなかった。

もっとも、この地域の野球は、冬場はオフシーズンではあった、ここにきてようやく許可になった。

だが制限もある。
「試合は一時間、しかも午前中に終了」、というものだ。

これで3校リーグを行うわけで、第1試合は8時にプレーボール。

新チームになってから一切の練習試合を行っていないが、試合対策の練習はしてきた。
できることは少ないが、それができれば、相手チームを翻弄することができる…。

1試合目は、サインプレーがそこそこ決まり、まずまず点も取れた。
大きなミス、ミスの連鎖もなく、勝利することができた。
一年生ピッチャーもよく好投した。

2試合目は、エースが投げたが、こっちは打たれまくった。
「エースが投げているのだから、そんなに打たれないだろう」、という油断が、ミスを呼び込み、その連鎖にもつながった。
要は、集中力が続かないのだ。

彼等には2試合やる集中力がない。
これが大きな課題だ。

中学野球は一日2試合が行われることが多い。
そのどちらも勝たなければ、トーナメントでは進出できない。

試合後、彼等の野球ノートを見たら、一勝にうかれ、学びの少ないものになっていた。

当然、私の雷が落ちる…。

試合のまとめの作り直した彼等の野球ノートは、ようやくまともになった。

来週も試合がある。

次につながる試合にしなくては…。



2021年03月13日

卒業証書の捺印

午後の授業のない時間を使って、卒業証書の割り印を押した。
中学三年生全員分を押しながら、いろいろなことを考えた。

自分が担任や学年主任だったときは、自分で捺印したことはなかった。
おそらく、学年の先生方でやってくださったのだろう。

あの頃は、そうした仕事をしてくださることへの感謝の思いが足りなかったと思う。
もしかしたら、「これは私の仕事ではない。誰かやってくれ」というような、慢心と傲慢に満ちた考え方で過ごしていたのかも知れない。

このあたりに下座修行の意味があるのだろう。
一時期立場を捨て、一日ひたすら草取りをしたり、雑巾がけをしたりすると、心を見つめることができる。

そうしたときには、「今まで自分がどれだけたくさんの人に支えられていたのか。逆に迷惑をかけていたのか。自己中心的であったのか…。」などの思いが湧いてくるものだ。

今日、一人で卒業証書の捺印をしながら、そんなことを考えた。

結局、「私の失敗の原因はこれだったんだな…」、と反省した。

反省しながら、一人ひとりの卒業証書に印を押した。

私は彼等に救われたし、助けられた。
彼等の存在があったからこそ、今の私がある。

果たして、再び立ち上がることができるかどうか、私には分からないが、今は元気だ。

高2の生徒が、「丹澤先生は、来年度も学校にいらっしゃるんですか?」、と尋ねてきた。
たとえ、居なくなるとしても、そうやすやすと生徒に話すことはできない。

だが、彼は、中学からの5年間の経験により、私の様子から何かを感じ取っているのだろう。

「さあね…。」
と、言葉を濁して、彼のもとを去る。

以前の私より、少しは心が成長したのだろうか…。

2021年03月11日

3.11

今年もこの日が来た。
今から十年前、私は学校で生徒と共に東日本大震災を体験した。

この時期が近づくと、私は非常に感覚が敏感になる。
未だに成仏していない方々の悲しみや苦しみを感じるのだ。

だから、彼等に関心を向けなければいけないと思いつつも、その重荷に耐えられなくなるので、できるだけ無関心を装っている。
おそらく、現地に行けば、もっと強烈にその思いを感じるのだろう。

人はいつか死ぬ。誰もがその時期は分からない。
だが、その死が、あまりに突然であった場合、困惑し、死後も成仏できずにいる諸霊が多いのだ。

私は通常でも、お盆やお彼岸の頃には、同じような感覚になる。

自動車で走っていて、事故現場を通り過ぎたときにも、感じるときがある。
しかし、彼等の存在を感じることはできても、私には彼等を救うことはできない。

震災時、私の学校では物故者はいなかった。

停電の夜、寒さに震えながら、生徒たちと夜明けを待った経験は、今でも鮮明に残っている。

この日の夜は星が綺麗だった。
その時は、未曾有の被害であることなど想像だにしなかった。

あれから10年。
あのとき、中1だった生徒は、昨年の春就職した。

その時に高1に在校していた生徒が、今は教員として務めている。

被災地ではまだまだ生きている人も、亡くなった人も、その傷は癒えていない…。

人類は、この新採から何を教訓とすればいいのだろうか。

電源喪失による原発の事故は不幸だが、だからと言って、原発を止めてしまおう、という考えは、あまりに短絡的で感情的のように思う。

そして、十一年目が始まった…。

2021年03月10日

美の追究

美の追究

映画監督のSさんが来校し、講演を行った。
彼は、人生のテーマとして『美』を探究しているという。

「真・善・美」は、人生を歩む上での目指すべきテーマであろう。
だが私は、「私は一生をかけて『美』を探究します」という人に初めて出会った。

ここでいう『美』というのは、もちろん外の見美しさだけを言うものではない。
人間にとって、もっとも美しい姿は「祈りのときの姿」だというが、これ以外にも『美』は、さまざまな所に見え隠れしている。

日常生活の中でも、時折『美』を感じるのは、そうした「美」を感じる心を持っているからであろう。

講演では、大学生の自主制作映画が紹介された。
ストーリー性というよりも、むしろ感性的で、映像によって自らの主張や理想を表現しようという試みを感じさせる。

映像の中に美しさを感じたが、そこに見え隠れする演技者の心の様相の美しさが相乗効果になって、世界観を作っているのだ。

「私は、一生かけて『美』を探究しているんです。これが、私のライフワークです。その『美』を発見して、みなさんにその一部なりとも伝えたいのです。」

一瞬、私とは価値観の異なる世界に思えたが、それぞれの人生の目的を突き詰めれば、結局は、真・善・美に行き着く。

アプローチの仕方は違えども、目指す世界は同じなのだろう。

講演終了時に生徒会長がお礼の言葉を伝え、女子の生徒会役員が花束を贈呈した。
花束を渡すとき、生徒会長の立ち位置が邪魔になって、写真が撮れなくなってしまった。
こういう場合、挨拶をした生徒会長は、一歩引いて、主役を花束贈呈者に譲らなければならないはずだ。だが、彼は動かなかった。だから、私は写真係としてシャッターを押すことができなかったのだ。

すると、映画監督のSさんは、さっと立ち位置を変え、花束を掲げ、私の方を向いたのだ。
「これで写真が撮れる。ありがたい」、と思うと同時に、私はSさんに『美』を感じた。

これが、人生の中の『美』なのだろう…。

2021年03月09日

次年度に思う

「丹澤先生、僕、来年度は野球部のお手伝いをすることになりました。よろしくお願いします。」
若手のS先生が声をかけてきた。

「丹澤先生、来年度は2組の副副担をお願いします。」
新学年の学年主任が、そう伝えてきた。

「丹澤先生、新年度の給食指導、いろいろ教えてください。」
新しく中学の担任になったY先生が言う。

…全然知らなかった。

私のような平教員には、事前に知らされることなく、どこかで着々と新年度の準備が進んでいる。

「給食指導のときの昼食代、徴収させていただきます。」
今度は事務の方から声がかかる。

知らないのは私だけなのだろうか。

新年度の準備が着々と始まっている。

来年度も私は居候生活を続けるのだろうか…。

教員生活をする中で、生徒たちと関わり合う生活は楽しい。
私が教えているつもりで、実は私が教えられている。
エネルギーだって、彼らが私に与えてくれている。

いつまでも若いつもりでいても、昭和、平成、令和と時代が流れ行く。

若い頃とは違って、大抵の生徒は歳をとった私には逆らわない。

「授業を担当させてもらってありがとう。君たちの愛を感じて、私も頑張って来られました。是非、これからも努力重ねて、世の中の役立つ人材になれるよう、こつこつ頑張ってください。」

こんな風に最後の授業を迎えるのだろう。

昨日までの生活よ同じように、今日の生活が流れていく。

学校という場は、そういうところだ。




2021年03月07日

自らを愛する

私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

太宰治の小説『人間失格』は、この書き出しで始まる。

私も若かりし頃、太宰文学に傾倒した。
二十歳の記念に一人旅に出掛け、青森周辺で太宰の小説の舞台を訪ね歩いたりしたのだ。

青春期の闇の思いが、太宰文学と同通することになったのだろう。
今でこそ、「小説の内容は、人生の糧になるものではない」と思っているが、太宰文学の軽快なリズムで人を引きつける文体は、さすがだと思う。

そういう私であるから、もしかしたら心の深い部分では、未だに太宰文学を信奉する思いが残っているのかも知れない。

だから、その道は間違っていると分かっているのだが、時おり、デカタンスに惹かれてしまう。

最近、しばしば、「いつまでこの職場で勤められるだろうか…」、という思いが湧いてくる。

ない。
怠惰になったということもある。
面倒なことから逃げたい、という思いもある。

だから、管理職からは信頼されず、重要なポジションにはつけられない。
恐らくは捲土重来を期待してのことだろう。

しかし、年齢と共に体力が落ち、気力も萎え、再び立ち上がることができるのだろうか、とも思う。

だから、新年度の学年主任にも、「私はお役に立てることはありませんから…」などとうそぶいてしまう…。

自分の人生に自信が持てないという悪癖は、どこかで「人間失格」につながっているのだろう。

心のそこから、「自らを愛する」ことができなければ、この負のスパイラルからは抜け出すことは難しいだろう。

いち早くこの呪縛から脱却しなくては…、と思いつつ、齢五十六を越えた。
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