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2019年12月31日

『紅白歌合戦』

大晦日くらいは、のんびりテレビを見て過ごそうと思ったのだが、今日は朝から隠れ家で漏電が起こり、昼前から夕方近くまで電気屋さんが悪戦苦闘していて、あまりのんびりできなかったのだ。
古い家は、次々と想定外のことが起こるものだ。

何十年かぶりでNHKの『紅白歌合戦』を見ている。

先日母が、
「最近は若い人の歌は分からないわ…。」
と言うので、
「積極的に歌を聴かないと、若い人との会話がかみ合わなくなってしまうよ。そして話をしなくなって、ぼけるよ。」
と答えたのだ。

これは、私が、「自分自身に言っているのだな…」、と答えた直後に思った。

日常からほとんど音楽を聴かない私だって、生徒をはじめとする若者と歌の会話は成り立たないのだ。
だから、「何の曲を聴いているの?」、と尋ねても、「たぶん先生は知らないよ」、と返ってくる。

…という訳で、多少、消去法的なチャンネル設定ではあるが、『紅白歌合戦』を見ているのである。

「もしかしたら、昨今の若者は、『紅白』なんて見ないのだろうな…」、と思いながらも、「うんうん、この曲もどこかで聞いたことがある…」、などと妙に納得しては、歌唱力の高さや、ダンスやバックダンサーの美しさに感心しながら見ているのである。

こうして、2019年、令和元年が暮れていく…。
玄関では、愛犬たちが、これ以上のリラックスはなかろう、という格好で寝ている。

いろいろあったが、何か新しい人生の萌芽を感じさせる一年だった。

新しいビジネスもいろいろ仕込んでいる。
どれが伸びてゆくかは分からないが、行動しなければ何も始まらないので、動き始めたわけだ。

新しい年は、オリンピックの年だが、おそらくいは今年以上にいろいろなことが起こるのだろう。
そうした一つひとつの出来事に一喜一憂することなく、自ら信じる道を歩み続けてゆこうと思う。

ふと、ドラマ『北の国から』の一シーンを思い出した。
五郎たちが、富良野町に向かって「さよなら1980年」、と叫ぶシーンである。(※)

いろいろなことがあっても、明日に希望をつなぐ。
新しい年に夢を望むのである。

(※)『北の国から』(フジテレビ)第8回








2019年12月30日

正月飾り

「あらめずらしい門松…。」
母が私の住む田舎に来たとき、ある店の前に置いてあった門松を見てそう言った。

以前はマーケットにせよ、すこし大きめの店舗には必ず門松が置いてあったが、昨今はそうしたことは行われないらしい。
長く続く不景気による経費削減なのか、日本人として信仰心が薄れたのか、はたまた伝統文化の衰退
か…。

確かに昨今、正月飾りがすくなくなった。
以前、アパートやマンションに一人で暮らしているときですら、私自身、正月飾りを玄関につけた記憶がある。それより前は、自家用車にも正月飾りをつけていたこともある。

ところが、このところ、飾りをする家の方が少ないように思える。
ここ田舎でもそうなのだから、都市部ではなおさらだろう。

「一夜飾りはだめよ。」
と、執拗に母に言われたことを思い出す。

今日、回覧板で『どんど焼き』の案内が来たが、正月飾りのない家は、『どんと焼き』の時に、何をお炊き上げするのだろうか。

政治の失策により、経済成長が二十五年以上止まっていることを考えれば、経費削減もやむを得まい。

一方で、日本人として信仰心が薄くなっているのは、核家族化と教育によるものが大きいだろう。
令和の時代になり、あらたに天皇陛下即位した。

一連の儀式は、日本神道の伝統的な儀式であり、すべては『日本の神々に感謝を捧げ、国民の平安と繁栄を願う』ものである。

儀式だけが取り上げられ、世界中にアピールされたが、果たしてその心は伝えられたのだろうか。

伝統文化の衰退も急速に進んでいる。
時代とともに変わりゆくものもあるが、変わってはいけないもの、守るべきものもあるのだ。

伝統を子どもたちに教えるのは、家庭や地域の役割だったが、今や、学校でも関わりを持たないと、ますます廃れてしまうに違いない。

人知を超えた存在である神さまによって生かされているのが人間なのだ。

堂々とそう教育できる日は、いつになったらやってくるのだろうか…。








2019年12月29日

スター・ウォーズ

映画『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を見た。
スターウォーズシリーズのエピソード9である。

この映画を見ると、「たとえ光の存在であったも、ほんのわずかの油断や隙により、闇に転落する危うさがある」、ことがよく分かる。

そのためには、継続的な自己研鑽と、たゆまない修行が必要であり、あらゆる人間的な煩悩からの解脱が求められるのだ。

この生き方は、まるで宗教聖職者のようではないか。

怒りや失望は、本当に悪の勢力にとって格好の餌なのだと、よく分かる。

そうした魔の手口に陥らないためにも、チーム力と仲間を信じる心がなにより大切なことなのだということもよく分かった。

アクションものの娯楽映画なのかも知れないが、その中に一本の宗教的真理が通っている。
アメリカでの興行成績は、ディズニーとしては今ひとつだったそうだが、心に響く宗教性は、万人の感動を生むものであって欲しいと思う。

だからこそ、真の生き方に目覚めた主人公を象徴する、「スカイウォーカーの夜明け」というタイトルがついているのだろう。

CGの緻密さでは、なかなか日本で作れる映画ではない。
それでも、多くの日本人のファンに受け入れられているのは、「たとえ闇の存在であっても、光の存在に変わりうる」、という視点だろう。

それこそ、人類の希望の原理であり、「たとえ悪をなしたとしても、心を入れ替えれば、立ち直れる」のである。

また、最期は光の勢力が勝つというストーリーも、宇宙の正義と平和のためなら、「命を賭してでも悪と戦う」、という姿勢が、日本の武士道精神とつながっている。

前作も何度か見たので、今作もあと何回か見ても良いかな…。

正義のヒーローは、最初からヒーローなのではない。

「成功者は最初から成功者なのではない。」
とも言い換えられそうだ。








2019年12月28日

親の気持ち

東京から母が来た。
私に会いに来たのか、愛犬たちに会いに来たのかは分からないが、バスや電車を乗り継ぎ、新幹線に乗って、私の済む北関東の田舎までやってきた。

私にとって有り難いのは、久しぶりに母の手料理が食べられること。
そして滞在中は、自宅の風呂ではなく、近くの温泉に浸かれることだ。

ただ、冬のこの地はかなり冷え込むので、暖冬はいえ、母にはかなり寒いに違いない。
自宅をガンガンに温めて迎える。

それでも、一晩中ストーブをつけておかないと、結構寒い。
私は寒さに慣れているが、母は東京の暖かい所で生活しているので、部屋でも厚着をしている。

母のありがたさを思うのも、この歳になっても変わらない。
逆に、息子を愛おしく思うのも、母の本能なのだ。
私を産んで55年経ったとしても、可愛い息子には違いないのだ。

そう考えると、私が関わっている中高生ともなれば、その母親たちは、その子どもたちを目に入れても痛くない、という気持ちなのだろう。

教員は、時に、親たちを批判することもあるが、それも「親が子供も思う気持ちが強い故」、と思えば、その理不尽さや、我が儘な発言には耐えねばなるまい。
それが、教師としての仕事の、ある意味尊い部分なのだろう。

それがなければ、単なる冷徹なビジネスと変わらなくなる。
教師が生徒たちに寄り添い、親たちの気持ちを推しはかってくれているからこそ、安心して学校に委ねることができるのだ。

そう考えると、教育の無料化はますます教員たちの仕事を困難にするだろう。
人間は、「どうせただなのだから」、と思えば、感謝の気持ちが薄らいでいく。

世の保護者たちの多くは、口には出さずとも、教師たちに、「申し訳ない」、という気持ちと、「ありがたい」、という気持ちを持っている。

それを感じるかどうかは、教師自身の心がどれだけ安定しているか、による。

「理不尽な親たちとは会いたくもないし、話したくもない。」
そう、私自身思っていたこともあった。
確かにそうした思いに到る事例は、頻繁に起こる。

そうであってもなお、保護者を理解し、時に保護者に対してもよき相談相手として、立ち振る舞うことが必要なのだろう。

母の姿を見て、改めて自らを省みる…。








2019年12月27日

冬の動物園

母にかわいい動物たちを見せたくて動物園に連れて行った。

動物とのふれあいを大切にする動物園なのだが、何せ厳寒期。
出発時は晴れていたが、山に近づくにつれ雨になり、虹のアーチが見えた。
だが、到着したら、標高758mの動物園は吹雪だった。

この動物園には、何度も行ったのあったが、最近工事がされたらしく、冬でも多少寒さを防げるような工夫がされていて、ほとんど濡れずに移動できた。

久しぶりにカメラを持っていたのだが、きれいな虹は、せっかく画角に収まったものの、レンズについた雨粒が邪魔をして航海するに耐えるものにはならなかった。

動物園内でも、外気温との差が激しく、レンズが曇ってしまったりと、動物たちのいい写真は撮れなかった。

その中でもベストショットの一枚がある。

ビントークの餌やりに母が手を挙げたのである。
餌やりを終えた後の、母の満面の笑顔の写真だ。

三日間の滞在中、母の写真はこの一枚だけである。

大型犬と触れあったりしながら、ほんの一時間くらいだったが、吹雪の中、動物園散策をした。
幸い、展示室のほとんどは室内だったので、寒さに凍えることはなかった。

さすがに寒かったので、ソフトクリームを食べるのはやめた。

動物園は、真冬だというのに、けっこうな賑わいだった。
もう目と鼻の先がスキー場、というロケーションでもある。

「餌作りも大変ね。全部、細かく切ってあげるのね…。」
カピバラの餌作りをしている飼育員に母が声を掛ける。

私が愛犬に作っている餌とかぶって見えたのだろう。

せっかく母が東京から出てきてくれたのに、親孝行らしいことは何一つできなかった。

次に母と会うのは、父の一周忌の三月。
今度は私が東京に行く。








2019年12月26日

生徒への年賀状

私より一足早く年末の休みに入った若手の先生が作った年賀状が机の上に置いてあった。
聞けば、自分のクラス全員に年賀状を出すと言う。

そう言えば、かつての私もそのように、数多くの年賀状を出していた。
昨今では、生徒と保護者と別に出したこともある。

生徒から年賀状が来たら、その返信として、年賀状を送ることもあったが、年賀状の到着が遅くなればなるほど、返信も遅くなり、そのため「学校が始まってから届く」、という間抜けなこともあった。
だから、昨今は面倒になり、全員に出していた。

一人ひとりへのコメントは、生徒にとってはとても嬉しいもの。
自分専用のメッセージとして大事にしてくれる生徒も多いようだ。
だから、年賀状は生徒とのコミュニケーションツールの一つとも言える。

以前勤めた学校では、自分のクラスに年賀状を出すことが義務づけられ、学校から年賀状が支給された。
当時は、「そこまでやるのか…」、とも思ったが、そうでもしないと、賀状一つも出さない教員もおおいのだろう。
私にとっては、年賀状代金が少し浮いたので嬉しかったことを覚えている。

私自身、以前は300枚くらいは出した年賀状だが、昨今は50枚程度になった。
もっとも今年は喪中なので、賀状を作ってはいない。
計画性がなく、先延ばしの性格の私は、例年大晦日に作っていたように思う。

私の場合、一人ひとりのメッセージどころではなく、一人ひとり学校行事で撮った写真を印刷していたくらいだから、写真の加工やらで時間がかかったことは事実だが…。

「年末年始くらい、生徒のことは忘れたいよ…。」
と思われる先生方も多いのだろう。

一方で、年末年始も、「考えることは生徒の事ばかり…」、という先生もいるのだろう。

生徒に年賀状を出すことが、必要不可欠であるとは思わない。
そういう人もいてもいいだろう。
だからといって、そうした人の足を引っ張ることはすべきではない。

教師にはそれぞれの教育方針があっていい。
その中で、いろいろな先生とであった生徒たちが、何かしらを学び、成長していく。

若手の担任も、何かを感じて、そうした年賀状を作っているのだろう。








2019年12月25日

仕事人間

平日に一日お休みをもらっただけなのに、なんだか一週間ぶりに出勤したような気持ちになる。

以前の私だったら、病欠以外で学校を休んだことはなかった。
少しの熱なら何食わぬ顔で出勤していたし、身内に不幸があっても、誰にも知らせず、出勤し続けていたくらいだ。

自分が職場にいないと、なんだか迷惑を掛けそうな気持ちになったし、生徒が登校しているときには、何か事件が起こりそうで、結局休めなかったのだ。

だが、そうした生活をして数十年経ったが、このスタイルは正しくはなかったように思う。
たとえ聖職者としての学校の教師といえども、健全な身体と精神のもとに、教育活動を行うのであって、そのためには、適度な休養と、精神的なリフレッシュが大切だと思うに至ったのである。

「私には、丹澤先生の真似はできません。」
以前、若手の先生に、そう言われたことがある。
これは、授業スタイルや、生徒指導の話であったが、以前からそんな風に言われることは多かった。

言ってみれば、自己中心的な仕事の仕方をしていたのだろう。
潜在的に、「自分がいなければ、学校が回らない」という傲慢で、慢心した気持ちになっていたわけだ。

だからチームとしての仕事、組織としての取り組みが、なかなか上手くいかなかった。
一匹オオカミは、平和に過ごしている他の動物の群れには入れないのだ。

仕事人間は、退職時に心の中にぽっかりと穴が空くという。
「自分がいなくなっては仕事は回らない」、と思ってはいても、しばらくすると、何ごともなかったかのように、組織は動き出す。

「自分は仕事ができる人間だ」、と思っている人間ほど、実は他の人に迷惑を掛けていることが多いのだ。

私はそうしたタイムの人間なのだろう。

今日も「おはようございます」と、互いに声を掛け合いながら一日が始まる。
そして今日はまた、年内全員出勤の最終日。

朝の打ち合わせで学年主任が言う。
「今年一年ありがとうございました。年末、年始はゆっくりお休みください。また、新年に会いましょう。」
そんな労いの言葉は、ほっとする。

社員に過労による自殺者が出ると、その会社はブラック企業として認定されるようである。
企業の組織というより、上司の問題であるようにも思うが、会社としてイメージダウンになることは間違いあるまい。

みんな元気で、やる気に満ちた組織であってこそ、いい仕事ができるはずだ。
それが社会に貢献される仕事になり、やりがいになっていく。

私を末席に置いてくれてありがとう。








2019年12月24日

H君の誕生日祝い

高校生のY君から、「隠れ家でH君の誕生祝いしませんか」、と言われたのは、10日程前。
ちょうどクリスマスケーキも頼んでいたので、ちょうどいい、と快諾した。

昨日のバーベキューの肉も余っていたので、またしてもバーベキューになった。
今日はバーベキュー用の着火剤をつかったら、あっという間に炭に火がついた。

やっぱり炭焼きの肉はおいしい。

だが、人間そんなに食べられるものではない。
小一時間もすると、満腹になり、片付け開始。

昨日に引き続き、今日もY君が片付けをしてくれた。
本当にありがたい。

その後、小休止をして、挽き立てのコーヒーを飲みながら、チーズケーキを食べる。

「誕生日おめでとう!」

どの世代であっても、誕生祝いは健在だ。

「バーベキューの写真を送ったのか?」
「ああ、兄には送りました。」
「丹澤先生は元気か、って聞いてます。」
「もう、疲れた元気ない!、って答えておきなさい。」

などとたわいない会話をしながら、三人だけの誕生パーティーは進む…。

「丹澤先生、ホールケーキどのくらい食べますか?」
「欲しいだけ食べなさい。」

そういえば、面白いケーキの三等分の方法があったなぁ、と一人ほくそ笑む。
彼らは、結局ホールケーキを四等分して、三つを食べた。

H君が言う。
「丹澤先生、誕生日祝ってくれてありがとうございました。

H君もかつては中学野球部の一員だった。
キャプテンまで務めていたが、思春期の暗黒期に退部していった。

以前私に言ったことがある。
「野球、続けていてればよかったなぁ…。」

野球部をやめて一年半くらい頃、H君の母親と会った。
うちの息子、大丈夫でしょうか、と尋ねられたので、「絶対に大丈夫です」、と革新的に答えた。

H君はちゃんと立ち直り、大人への階段を登っている。
時に、私の相談相手にもなっている。

H君、誕生日おめでとう。








2019年12月23日

バーベキュー

マラソン大会のあと、野球部でバーベキューをした。
私の隠れ家の裏庭にある小屋がようやく役だったという訳だ。

その小屋は以前の持ち主が建てたもので、中央には囲炉裏がある。
ここでかつてはバーベキューをしたらしく、鉄板も網もそのままになっていた。
小屋の高い天井近くには、換気扇がついているし、入り口以外の三面にも窓がある。

この換気扇は、古くなってカタカタ音がしていたので、先日電気屋さんに交換してもらったばかりだ。

秋に10キロほど炭を調達しておいた。
だが実際は、火持ちがいいので、ほんの数キロでも十分すぎるようだ。

肉の量も加減が分からず余らせてしまった。

生徒たちは大喜びでバーベキューを楽しんだ。
高校生二人を手伝わせていたのだが、結果的には高校生がいて良かった。
火起こしやら、肉を焼くなど、都会育ちの中学生一年生では難しすぎる作業なのだ。

だから彼らは、もっぱら食べるだけになり、結局、高校生がお世話をする形になった。

以前は、彼らを旅行に連れて行ったり、スキーに連れて行ったりもしたが、最近は、私自身の生活が苦しくなったので、できなくなった。

裏庭の小屋でのバーベキューなら経費も安く済むと思ったが、実際は、お店で食べ放題に出掛けるくらいの食材の費用がかかっており、あまり変わらなくなった。

その上片付けもしなくてはならず、結構大変なのだが、皆で分担すれば早く終わる。

誰にも気兼ねすることなく、のんびり過ごせるのは良い。

季節は冬で、いろいろな虫に悩まされることもない。

このイベントが続けられるのなら、「先輩が後輩の面倒をみる」、という形が良いのだろう。

彼らは片付け早々に、たき火で遊んでいる。
昨今は、めっきり生火を使うことが少なくなった。

私は、しょっちゅうたき火をしているので、何でもなくなったが、始めた頃はやはり抵抗があったものだ。

火には人を引きつける力がある。

「もう、食えません!」
そう言ってもらえるのなら、バーベキューをやった甲斐がある。

飯を炊き、豚汁を作り、焼き肉の途中で焼きそばでも焼けば、あっというまに満腹になる。

やっぱり、「お店で食べ放題をして、途中から腹一杯になって飽きて遊び出す」よりいいのな…。

マラソンを終えて、小屋の掃除をさせ、風呂に入らせてからのバーベキュー。

まぁ、こんなもんでしょう…。








2019年12月22日

マラソン大会

地元のマラソン大会が行われた。
毎年学校として百人が参加している。
このマラソン大会のために、学校行事としてのマラソン大会はない。
原則部活単位での参加なのだが、そろそろ伝統行事になりつつあり、すっかり年末の風物詩になった。

仲でも中学生の男子の部は数百人が参加する高レベルの大会で、10位以内に入賞するには、5キロを15分程度で走れなければならない。

この地区は駅伝王国でもあるので、この部で入賞するのは、ハードルが高い。
そこで今回は、私の野球部員には目標タイムを申告させた。

こんな時にも性格が出る。
あとから「目標達成できなかった」、と責められないために、わざと遅いタイムを申告する者、
「丹澤先生、足が痛いから無理です…」、などとあらかじめ言い訳しておきて、走り終わってから、「やっぱり大丈夫でした」、などとあっけらかんとしている者。

いずれにせよ、19分から25分に全員がおさまっており、「まずまず頑張ったんだなぁ」、と思う。

以前は私も走っていたが、このところの急激な体力低下で、もはや走るどころではなくなってしまった。

「写真を撮りたいから、走れないんです。」
と、言い訳して走るのをやめてから、もう何年も経つ。
確かに自分が走ってしまうと、生徒たちの写真は撮れない。
マラソンを走ってゴール直前の、生き生きとした(?)写真を、何としてでも記録しておきたいと思ったのだ。

だが、今回はミスをした。
カメラの予備バッテリーを忘れたのだ。
カメラの電源を入れると、バッテリーが残りわずか。
外気温を考えると、電池の消耗が激しいので、最後まで撮影ができるか心配な状況。

最後に全員の記念撮影があるので、それが撮影できないか、あるいは、途中で撮影不能になるか…。

「撮影できないなら、走らない理由にはならないな…。」
などと思いながら、連写を控え、節約しながら撮影した。

最終的には最後まで撮影できたのだが、何ともドキドキのマラソン大会になった。

このマラソン大会には、先生たちもたくさん走っている。
若手の先生たちだけではなく、私と年齢の近い先生も、「マラソン大会を盛り上げよう」、ということで、あえて参加しているのだ。

また、近年は開催している市内の中学校、高校にも出場指令が出たようで、数多くの戦湯があつまり、二千人を超えるランナーになった。

走り終えた戦とたちは、皆、その達成感と爽快感で、「いい顔」をしている。

走り始めれば、あっという間に終わってしまうのだが、そのスタートまでが大変なマラソン。

これで年内の学校(?)行事はすべて終わった。








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