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2019年07月05日

心を満たしてくれる愛犬

一時間目の授業を終えた後、中抜けをさせてもらって、愛犬を動物病院に連れて行く。

狂犬病予防接種を受けなければ、登録すらできないためだ。
8月で一歳になるので、そろそろ注射の時期だ。併せてフェラリア予防もせねばなるまいと、遅ればせながら、先週病院を予約したのだ。

女医さんの動物病院で、説明も詳しく、なかなか親切だった。
定期的に通院する必要があるので、この先も長いお付き合いをしたいと思う病院だった。

その後、愛犬を連れて生まれ故郷の犬舎にも立ち寄る。
順調に育っているのかを、ご主人に見てもらいたかったからだ。
幸い、順調とのことで安心した。
ただ、すぐに驚きおびえてしまう「びびり」については、飼い主の責任を叱責された。
「びびった時に、飼い主が何もしないのが、一番悪いんです。」

本当に犬舎に行く度に勉強になる。
犬舎では、仲の良かった雌犬と一緒に自転車で散歩に連れて行ってくれたり、母親に会わせてくれたりと、相変わらず至れり尽くせりだった。本当にありがたい。

「びびったときには、さっと寄り添って、大丈夫だよ、と声をかけてハグしてあげなければ…。」
この言葉が心に響いた。

反して私の対応は、「なんでびびってるの…」、と冷めた目で声を掛けていたのだ。

「もしかしたら、生徒と関わるときも、こんな感じだったのではなかろうか」、と思い至ったのだ。
私にとっては、毎年のことでも、彼らにとっては一期一会。
常に生徒に寄り添い、その思いを推し量り、手を差し伸べる。
こんな基本的なことが、おざなりになっていなかっただろうか。

「自分が癒やされたい」、と思って犬を飼い始めたが、一ヶ月以上経った今、実は私が学ぶことばかりで、何だか新鮮な気持ちでいっぱいだ。

そういう意味では、教員生活のリフレッシュにもなり、また、これまでの自分を見つめる機会にもなり、当初想定した以上に、私の心を満たしてくれている。

「犬が丹澤さんを見るようになりましたね。きっと、言うことを聞くようになりますよ。」
犬舎のご主人が言う。

私は、「頑張って育てます…」、と犬舎をあとにした。

6時間目の授業は、私自身、元気いっぱいであった…。







2019年06月30日

雨の休日

雨でまたしても練習試合が中止になった。
これで、総体本番まで試合なく、当日を迎えることになる。
計画した練習試合は6試合。そのうち4回が雨で流れた。

同じ地区のどこの学校も、天気は変わらないので、状況は一緒なのだろうが、今年の梅雨は雨が多い。しかも、試合を予定している週末になると雨が降る。

今朝も、「誰だ、雨男は?」、と声を掛けたが、中3の先日ガラスを割った奴だ。
「どうせ勝負にならないから、さっさと大会が終わってしまえばいい…」、と思っているフシがある。

昨晩から予想はされたとはいえ、今日の試合が中止になったのは痛かった。

おかげで、隠れ家で一日過ごすことはできたが、雨が降ると、できることが限られている。

「雨の音っていいですよね…。」
よく、隠れ家に来てくれる高校生がつぶやく。
彼は野球部のコーチをしてくれていたが、めっき顔を出さなくなった。

夕方、雨が上がったので、ベランダの排水溝を掃除して水を流す。
そして愛犬の散歩。
今日はせっかく風呂で洗ったのに、また、どんどん草の中に入っていく。

明日からは期末考査一週間前。
原則部活動は中止だが、さすがに大会前なので、少し練習をする。

昨日、今日の練習中止で、彼らに勉強を時間を与えたのだが、有効に使えただろうか。

「音楽聴きながら勉強していいですか?」
「スマホ持ってきていいですか?

良いわけない。
どう考えてもスマホは遊び道具だ。
せめて、学校にいるときくらいは触らないのが救いかな、とも思うが、それ以外の時間は肌身離さず持っているのだから、良いのか悪いのかも分からなくなる。

今回は、ちょっと忙しい試験前になりそうだ。

そうそう、昨日の教頭との面談。
「まっく戦力にならなくてすいません。」
と、言っておいた。

「心の平静が大切ですから…。今年はそういう人事だと思いますよ。」
と教頭。

できることを、焦らず、少しずつやっていこう。












2019年06月23日

日曜日の過ごし方

最近の日曜日のパターン。
午前に部活して、午後から隠れ家で、いろいろ作業をしたり、昼寝したりして過ごす。

さすがに、昨日の試合のあと。気合いが入っていた。
だが、中2の一人が熱発。中1の一人はお出かけ。また、ユニフォームを昨日のうちに洗濯していない人は、練習に参加させなかった。

試合後、遊んでいる時間があっても、借りたユニフォームの洗濯すらしない奴に、練習に参加する資格はない。

隠れ家の納屋にネットカメラをつけてから、いつでも愛犬の様子を見ていられるようになった。
隠れ家にいるときは、できる限り一緒にいるが、最近、夜になると、吠えることがあるのだ。
もう一台のカメラに見ても、何に吠えているのか分からないのだが、激しく吠えるのは、近所迷惑でもある。

幸い、隣家は空き家で、その隣の方は、寛容で優しい方なので、大丈夫とは思うが、やはり田舎の夜は気を遣う。皆、朝が早いのだ。

今日は、じゃがいもの収穫。
雨上がりで、土がやや湿ってはいたが、これ以上埋めておけないので、一気に掘り出した。
残り芋からのじゃがいもなので、小ぶりだが、土がいいのでよく育っている。
少し乾かしてから、お裾分けしよう。

裏庭に真竹が出ていたので、すぐに茹でたのだが、火を消したつもりが、つけっぱなしで、焦がしてしまった。これでは食べられない。
前回美味しくいただいただけに、ちょっと残念。

隠れ家では、やることは無限にあるが、腰を落ち着け、のんびりしていると、どんどん先延ばしになってしまう。

いやはや、困った困った…。

それでも、気持ちをリフレッシュし、明日への活力となるなら、それも良かろう。

部員たちの野球ノートは、しっかり自分自身を見つめられていたようだ。

次の試合に活かせるといい。

そのためにも、私も英気を養わねば…。









2019年06月14日

父の遺産

四十九日をかえ終えて、何故だか父との思い出が浮かび上がってくる。

始終、祖母と喧嘩ばかり…。
夕食時にテーブルをひっくり返すのも珍しくなかった。

ある晩、父が祖母に手をあげたとき、私は、父と祖母の間に入ってその拳を止めた。
小学高学年の頃である。

大酒飲みで、飲むたびに暴れたので、父とは仲が悪くなった。

そして結局、一緒に杯を交わすことなく、父は逝去した。

ただし父と私の共通していることに、「犬好き」というものがある。
父は毎朝、暗いうちから散歩に出かけ、一時間以上戻ってこなかった。

奇跡的に病気が良くなり、退院すると間もなく、飼い犬が死んだ。
母は、「父の身代わりになった」、と言った。
その後は、父は犬の散歩ができなくなった。
ほどなく、痴呆が進み、父は施設に入ることになる。
施設に入って二年あまりで、父は逝去した。

よくよく考えれば、私が家を買ってまもなく父が逝去。
家の準備に、父の弔意金が役だったし、犬を飼い始めたのも、きっと父の影響だ。

おかげで運動不足の私は、毎日犬の散歩によって歩くことを余儀なくされている。
起床時間も4時半になった。

朝晩、私が出かけても、一部の生徒たちは、犬の散歩だと知っている。
まだまだ生徒には慣れないが、いずれ仲良くなるだろう。

「先生、犬の名前なんて言うんですか?」
「餌をあげるときは『ポン太』、生徒と遊ぶときは『たかひろ』、血統書上の正式目は『将門』だよ。」

三つの名前を持つことに、皆が目を丸くする。
『たかひろ』とは、野球部の生徒の名前でもある。

この犬のおかげで、毎日リフレッシュすることができている。

『ポン太』こそが、父の遺産なのだろう。

日中はなかなか遊んでやれないから、奴はたいてい寝ている。
私はいつでも、犬の様子をライブカメラで見ることができるようにしてあるのだ。

あまりに寂しそうにしていると、ネットを通して声をかける。その声がカメラから出るのだ。
すると、ちょっと落ち着く。

いつしか、多くの生徒が遊んでくれたらいい。









2019年06月11日

裏庭の蛍

今夕は、中一が蛍観察に出掛けた。
学校の近くで、蛍が見られるのである。
毎年、この時期に観察会が行われる。
「蛍なんて珍しくないよ…。」
という生徒もいれば、
「わー、すごい!本当に光っている…。」
と、ただただ感動するばかりの生徒もいる。

そんなことを思い出しながら、私の隠れ家の裏手の用水路に蛍が出る、と聞いていたので、私も愛犬を連れて見に行ってみた。
今月の初めには見えなかったが、今日は飛んでいた。

真っ暗闇に光る蛍はいい。
『闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。』、と清少納言の『枕草子』にあるとおり、やはりいい。

これからもっと飛ぶのか、それとも最盛期を過ぎたのか、それは私には分からないが、今週末くらいまでは飛んでくれるに違いない。

ふと、「そうだ、私の隠れ家にも用水路があった」、ことを思い出し、家に戻り裏庭へ行く。
もちろん、真っ暗闇。
懐中電灯がなければ、小径すら見えない。
愛犬が先導してくれて、ようやく歩けるくらいである。

蛍がいた。
一匹飛んでいた。
懐中電灯の光が当たったら、葉の上に止まった。
それを再び、懐中電灯で照らしてみると、ゲンジボタルだ。
そして、またすーっと、飛び立つ。

蛍の成虫の寿命は一週間程度で、幼虫の時は、勇ましくカワニナを攻め、食べまくるのに、成虫になると、水しか飲まないという。
子孫を残すために、メスを呼び、メスへのアピールのために、オスの蛍が光り続けるのだという。

まさに、諸行無常。まるで人間の人生のようではないか。
あの世の世界から見れば、この世の世界はほんのひとときの時間。
このひとときを、どう輝かせるかが、人生だ。

東京生まれの私が、まさか裏庭で蛍が飛び交う家に住むことになるとは、思いもよらなかった。

まさに、「いとをかし」である。














2019年06月01日

犬のしつけ

私の元に来た柴犬は、人が見ている前では餌を食べない。
「人間の食べ物は食べてはいけないし、欲しがってもいけない」、としつけられているからだ。
だから目の前に餌を出しても、人がいなくなるまでは食べない。
もし、餌のそばに赤ん坊が近づいても、犬は餌から離れると言う。
人間が主人で、犬である自分は従なる存在だと思っている訳だ。

もちろん吠えることもなければ、噛むこともしない。
散歩でも、リードを緩めた時以外は、私と一緒に歩く。

「ずいぶん従順な犬だな…。」
と、思う一方で、果たして自分自身、
「いつかはこんな風にしつけられるのだろうか。」
とも思う。

私の生活も一変した。
毎朝五時前に起きて、隠れ家へ行く。
犬は私の来るのをちゃんと待っており、すぐに散歩に出かける。
小一時間の散歩の後、再び家に戻り、出勤準備をする。

日中、出かけることがあれば、隠れ家に顔を出せるが、普段は部活前か後に、隠れ家を訪ねる。
そのまま練習に連れて行くこともあれば、すべて終わってから散歩を楽しむこともある。

「丹澤先生、犬を飼い始めたんですか?」
と生徒に尋ねられ、
「犬は、裏切らないからね…。」
と、答えてみたが、果たして生徒に裏切られたことが、教員人生であっただろうか。

いい意味で、裏切られ、活躍している卒業生も多いのは事実だが…。

犬を迎えてから、まもなく一週間。
もう少し環境に慣れるまで時間がかかりそうだが、生徒だって、一週間で打ち解けることは珍しかろうし、大人だって同じだ。

犬舎から譲ってもらった犬だが、
「人によっては、犬に三種類くらいの名前をつけている人もいるんですよが。」
と、教えられた。

褒めてやるときや餌をやるなど、犬にとっていいことがある名前、子供が遊ぶときの名前、それから登録名だ。

「叱るときは決して餌をやるときの名前を呼ばないようにしてください。」
とも注意された。

動物を育てる中に、何だか教育に生かせるヒントがたくさんあるようにも思えるのは面白い。








2019年05月14日

上司との関わり方

どんな仕事であれ、「私が、私が…」と主張しているように感じる人は疎まれる。
「私がやったのです。」
と、堂々と語るのは、元来の日本人の気質に合わないのだ。

欧米では、逆に自己主張をしなければ、評価されない。
果たして我々教員は、どういう人を育てるべきなのだろか。

新たに赴任した管理職は、必ずと言っていいほど自分の実績を作ろうとする。
そうでないと、「自分の存在意義がない」、と感じるのだろう。

私は、生粋の日本人根性なので、そうした上司は好きになれない。
そうした思いを察してか、自ずと私は退けられることになる。

しかし、そうした上司も数年経つといなくなる。
じっと我慢の数年だ。

そんなへそ曲がりの私だから、自分が上司としての立場になったときも自由にやる。
結果、部下たちは振り回されることになり、「勘弁してくれ」となるわけで、結局は、同じことの繰り返しだ。

学校教育でも、元来、「自己主張の強い生徒」は、疎まれるか、徹底的に叩かれてきた。
いわゆる生徒指導系の先生に、矯正されるのである。

企業でも同じだろう。出る杭は打たれる。目立つ者は排除される。

以前読んだ、ビジネスで成功するための本に、「上司に逆らい、反発する人は、その組織で出世することはない」、と書かれていた。

「上司を配置したのは、そのさらに上の立場の人であり、またトップであったりするので、その上司を批判するというのは、トップを批判することにもつながり、結局はその組織で生きてゆくことは難しい」、と言う。

「そうではなく、上司をも、部下として徹底的盛り立て、心根すらも変えてしまう、という仕事ぶりをするならば、おそらくは、その組織のトップにまで登りつめるであろう」、とあった。

「それが我慢ならないのであれば、批判するのではなく、静かにその組織を去るべきである」、とも語られていた。

私も、基本的にこの考えに賛同している。
批判は、下の者でも容易にできるからだ。

学校現場であっても、同じことが言えるのだろう。

背中で教育できる教員を目指しているが、生涯かけてそのようになるかどうかは、怪しくなった。
「せめて、反面教師として学んでくれ…。」
と言うのが、今の私の叫びである。








2019年05月12日

権利収入の準備

「一生懸命働いていれば、必ず道は開けるのだから、今を生きればいいのだ。」
という考え方もあるが、前回の東京オリンピックの年生まれの私でも、さすがに将来が心配になってくる。

私の職場では、決められた定年もないが、退職金もない。

国が、「生涯現役で働く」ことを勧めているのは、おそらく近い将来破綻するであろう年金制度への布石に違いない。年金受給を75歳に引き上げた場合、定年が60歳だと空白の15年間の収入に困ってしまうので、「働け」と言っているのである。

ただし私は、「老後も何かしら、世の中の役に立つことをし続けなければ、生きがいがなくなるだろう」、と思っている。その意味では、細々ながらも仕事がある方がいいのだろうが、身体が思うように動かぬ場合も、忘れっぽくなってくることもあり、一律にはいかないことも事実だ。

そんな折り、『権利収入』の話があり、今日は、練習後、その説明会に出掛けてみた。
『労働収入』に加え、いくつかの『権利収入』があり、その収入があれば、少しは生活が楽になるはずだ。ただし、こうした取り組みは、早めに手を打っておく必要がある。

地方都市での開催は、めったにないようだが、なかなか充実した時間を過ごすことができた。
もちろん、行き帰りの移動時間の方が長いのだが、他の方も、かなり遠方からおいでになっており、その意気込みの高さがうかがえる。

時代の流れを読んだ、面白いビジネススタイルだと感じだ。
いつかこのブログでも紹介できると思う。

今回出掛けたのは、もう一つ理由がある。
それは、もともとこのビジネスの話は、実家のすぐ近くにお住まいの方から紹介を受けたもので、その方も、わざわざ東京からお越しになるというのだ。

父の逝去の折り、時間を作ってお会いして一ヶ月くらい経ったが、また再開できたのは嬉しかった。
年齢も近いし、志も高い方で、私はいい方と巡り会えたと思っている。

この先も長くお付き合いできそうだ。

この午後のイベントのため、午前中の野球の練習時間を開始時間と終了時間を少し早めたが、結構充実した練習になった。生徒たちがテキパキ動ければ、短い時間でも充実感が出る。

野球は、百回に一度のプレイを一つひとつ潰していく練習スタイルなのだが、できる範囲でできることをやろうと思う。

楽しく野球する中に、時に厳しさがあり、自分を磨ける場があり、仲間との協力体制があり、勝利があれば、それで百点満点なのかも知れない。

私自身も、充実の一日となった。














2019年05月09日

そっと手を差し伸べる

新居のネット回線工事が決まっていたので、朝の授業だけをして早退させてもらった。
当初の時間割では午後に授業はなかったのだが、時間割作業を別の先生に引き継いだら、午後にも授業が入り、結局他の先生に代講を頼むことになってしまった。

明日から春季大会で、金土と授業ができないので、さすがに三連続の自習はまずかろう、とお願いしたのだ。

以前ならば、「何としても授業」、という授業優先の生活をしていたが、最近はそういう思いは消えた。
「自分が自分が…」、という嫌らしい自己顕示欲が薄れてきたのか、それとも冷めてしまったのか、真偽のほどは分からないが、どちらも真実だろう。

9年ぶりに担任が外れたので、教室掃除からトイレ掃除になった。
密かに、「トイレ掃除にして欲しいな…」、と思っていたのだが、その通りになって、毎日楽しく掃除をしている。

いわゆる不浄の部分が、ピカピカになるのは、この上なく嬉しい。
入ってきた人も、ぱっと雰囲気が変わっているのが分かるだろう。
よく見れば、やるべきことは限りなくあり、毎日の10分間では、とてもとても終わらない。
担当箇所が終わりブラブラしている生徒は、広い視野と観察眼がないのだ。
そんな人間観察もしつつ、彼らを諭すこともできる。
中1から中3までの縦割りの班編制も面白い。

「学校の様子を知るには、生徒の昇降口とトイレを見ればいい」、というのは、今の時代でも健在だろう。昨今は、さすがにトイレの汚い学校はなくなったが、その波動というか、雰囲気は感じることができる。

若い担任を見ていても、あれこれ余計な忠告することもやめている。
彼らの成長を見ているということもあるが、やはり「自分のやり方」でやらせてみたい、と思ったからだ。

思えば、「かくあるべし」、という押しつけばかりだったように思う。
もっと、信じられる人になりたかった、と今は反省しきりである。

若手がしくじったら、そっと手を差しのばし、フォローすればいいのだ。
そんなに目くじら立てることもない。

人は失敗という経験を通して、成長していくものだ。

工事に時間がかかったので、今日は畑の手入れや、種まきなどもできた。
土がいいので、よく育つだろう。
こちらも、手をかけすぎず、そっと手を差し伸べるくらいがちょうど良いのだろう。

うまく収穫できたら、皆にお裾分けしよう。
今は、それがささやかな楽しみ…。














2019年05月08日

諸行無常

父親の火葬後、骨壺に骨をいれたときのシーンが、未だに忘れられない。
八十二歳とはいえ、元気な頃は、毎日何キロも歩いていたせいで、骨が太く、頑丈だったのだ。
一方、病気で治療した頭蓋骨の中は、やや緑がかっていた。

ご案内のもとに、骨壺に骨を収納するするのだが、途中で入りきらなくなった。
すると、ゴリゴリと骨を潰し、骨壺内の領域を広げ、また次々と骨を入れてゆく。
焼けた骨はもろいから、結局はすべての骨が収まってしまうという訳だ。

人間は魂が抜けると、その肉体は単なる抜け殻、外見は生きていたときの姿だが、その肉体は朽ちていくものであり、日本では概ね火葬をして骨にする。個人の面影を骨に委ねるというよりも、すべて消えてしまうことへのささやかな抵抗なのだろう。

そんな出来事からほんの二週間ほどだが、同じ頃、祖父を亡くした生徒がいた。
聞けば事故だという。
ツアーで山登りに出掛けたが、トイレに行っているうちにはぐれ、そのまま行方不明になり、翌日痛いで発見されたとのこと。
どうも、足をすべらせ首の骨も折り、登山道近くであったにも関わらず、助けを求められなかったらしい。77歳であったそうだ。

こうした事故は、後々にいろいろな所に禍根を残しそうだ。
病気ではなく、突然の死には、家族も動揺を隠せまい。

人生の中で、人の死を経験することは、避けては通れないことだ。

お釈迦様に、「私の子どもを生き返らせてください」、と懇願した母親は、
「今まで身内で亡くなった人のいない、そうした家から、辛子種をもらってきなさい。それができたら助けよう。」
と、母親に諭す。
母親は、必死で家々を巡るが、身内に不幸のなかった家などないのだ。
結局、「そうした家は一軒もありませんでした」、とお釈迦様に報告するのだ。
一見、意地悪にも思えるが、興奮して冷静さを失っている母親の心を落ち着け、子どもの死を見つめさせるという効果はあったのだろう。

その後、母親は諭され、子どもの死を受け入れる。

四苦八苦の一つである、『愛別離苦』(愛する人と別れる苦しみ)は悲しい。
だが、誰もが必ずや体験しなければならない、人生の出来事だ。

「ああ、もう親父はこの世にはいないのだな…。」
あまり仲がよくなかったとはいえ、やはりいなくなるのは寂しい。
残された母親も、ぽっかり心に穴があいた感じだろう。

しかし、そうやって時は流れ、人類は連綿と生きてきた。

すべては諸行無常。

この世に永遠なるものは、何一つないのだ。














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