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2018年12月27日

もうひと踏ん張り

「先生は何歳ですか?」
と、問われたときは、
「むかし二十歳。」
と、答えることにしている。

別に嘘をついているわけではない。
だいたい、ある一定の年齢を超えると、歳をとること自体が恐怖であり、喜びからは遠ざかる。
今更、「五十うん歳です」、などと答えた頃で、お互いメリットになることは何もない。

生徒にとっては、
「あっ、僕のお父さんより上だ…。」
などといういらぬ知識を増やすだけである。

そうであっても、どこからから私の生まれ年を調べて、色紙や黒板に、「○○歳おめでとうございます」 、などと書かれることもある。

何年か前だけが、その年齢が間違っていた。
一年余分だったのである。
それを見たとき、自分自身でも、本当は何歳なのだか分からないなった。
「あれ、俺、今年、何歳だっけ?」
という具合である。

還暦、喜寿、米寿だのとこの先、齢を重ねていくのだろうが、歳をとることに価値があるならば、それは、年齢の応じた付加価値がなければいけないだろうと思う。

教員の世界だって、大学新卒の若手から、定年間際のベテランまで、同じ中高生に接するにもかかわらず、その知識と経験の量の差は計り知れない。

先輩教員が、先輩として一目置かれるのは、相応の実績と、安定した仕事ぶり、何があっても動じない心など、経験によって裏付けられた自信があるからだろう。

そう考えると、私自身は、まだまだだ。
私自身がまだまだなのだから、当然、若手の先生方だってまだまだに違いない。

いろいろな不平不満があろうけれども、すべては子供たちのために、『奉仕の精神』で、もう一踏ん張りしてもらいたいと思う。

先日、実家に戻ったとき、母親から尋ねられた。
「その学校もう10年だけど、給料、上がった?」

私の給料は、この10余年、赴任してからまったく上がっていない。
ボーナスだって、この冬こそは出たが、それも二年ぶりだ。

「なんか、おかしくない?」
「まぁ、お金じゃないから…。」
と、誤魔化してみた。確かに対価を考えたら、この仕事はやってはいられない。
だが、一方で、収入的には、この仕事を一生続けられる自信もない。

まだまだな私が、何かしら役に立っていることを信じて、私も、もう人分張りしてみよう。









2018年12月25日

久しぶりの東京

久しぶりに実家の東京へ行く。
ここからは新幹線を乗り継いで3、4時間かかる。

平日ながらも、さすがに都会は混雑している。
在来線に乗ったときは、一日の中でも空いた時間になっていたので、一つの車両で立っている人は数人。

ちょうどいい機会なので、「都会で電車に乗っている人は、皆スマフォをいじっている」、という都市伝説を実証してみようと思った。

すると、7人がけの座席に座っている人で、スマフォないしパソコンを持っている人は、確かに5〜6人に及ぶ。
そして、本を読んでいる人は、車両に一人だけだった。

帰宅時にも同じように見たが、やはり同程度で、その車両に本を読んでいる人は一人もいなかった。

「日本は危ういぞ…。」
そんな危機感を覚える。

部活帰りの高校生もいたが、当然スマフォ。参考書を読んでいる人は見当たらない…。

地域柄というか、大規模書店がない田舎暮らしのは私は、昨今はもっぱらネットで書籍を購入する。
地元の図書館で見つけた気に入った書籍は、別途注文して自分で買う。
ネットで評判がよい、と言われる書籍は、中古本を買う。
「読んで、一行でも参考になればいい」、と思っているのである。

夕刻、再び東京駅に戻ってきた頃、教頭から電話があった。
正確には、東海道新幹線の車両から降りる寸前に着信があった。
さすがに電話には出られないので、ホームの階下でかけ直す。
「丹澤先生、これから校長面談があるんですけど…。」

そんな話は聞いていない。
どうやら今朝の打ち合わせで告知があったらしい。
告知のその日から始まるのだから、教員の休みを想定していないわけだ。

「何時頃帰りますか?」
と、言うものだから、19時頃と答える。
寄り道もせず、19時に学校に戻る…。
職員室に立ち寄ると、
「あぁ、校長は日程を変えるって言ってましたよ…。」
と、教頭。

「なら、帰ります。」
と、帰路につく。

廊下で高3とすれ違った。
「丹澤先生、足どうですか?」

二週間ほど前に、自宅でドアに右足の薬指をぶつけたのである。
当初は骨が折れていると思ったくらいで、しばらくまともに歩けずにいたのだ。

「大分よくなったよ。ありがとう。」

なんだか、ほっとした。
生徒と話をしている方が、心が穏やかになる。

「気にしてくれてありがとう。」
ほくそ笑みながら、すべてを忘れ去る…。









2018年12月02日

これから始まる『恩返し』

私の好きな『スタートレック』に『戦士の休息』(※)という話がある。

心の傷を負った宇宙船の艦長ピカードが、故郷の地球(フランスの葡萄農家)を訪ねる。
「故郷に帰れば、心の傷が癒やせるのではないか。」
という思いと、
「このまま宇宙船の艦長を続けて良いのだろうか。」
という自問自答の答えを求めての傷心の旅でもあった。
実家では兄が葡萄を育てているのだが、帰宅したピカードは、以前から不仲の兄と言い争いになり、そのまま取っ組み合いのけんかをしてしまう。
だが、お互い泥だらけの姿を大笑いし、和解。そのまま自宅にもどり、泥まみれのままワインを飲む。
地元では、英雄の帰還とばかり、知人がいろいろな依頼をしてくる。
その依頼を受けるべきかどうか、迷いながらも、徐々に心が癒やされたピカードは、再び宇宙船に戻っていくというストーリーだ。

先日、校長との業績評価面談があったのだが、その際に、
「丹澤先生は『鬱』ですね。」
と、笑いながら言われた。
さすがに、面と向かって、「あなたは『鬱』ですよ」、などと言われると、頭をガーンと殴られたような気持ちになる。
「丹澤先生が、珍しいですね…。」
などと、笑っている。そして、
「この土日は、のんびり過ごして下さい。」
とのことで、ご指示通り、この週末はのんびり過ごしたわけだ。

昨日は、近くをカメラを持ってぶらぶらしたあと、寿司を食べに行った。
今日は、荒れ放題になっていたプランターを整理した。

その合間に、期末試験の問題を作る。
私の場合、6種類の問題を作らねばらならず、とりあえず、今日のうちに4つ5つは完成させたいと思っているので、どうしても全面リフレッシュにはならないのだが、それは仕方あるまい。

そんな中で、『スタートレック』のエピソードを、ふと思い出したのだ。
出処進退まで考えていたピカードに対して、兄は何もアドバイスをしなかった。そればかりか、ピカードの職務そのものを批判する。だが、その批判により、ピカードは本音を吐き出し、泣きながら取っ組み合いのけんかをするのである。

私のエネルギー源は、生徒の笑顔だ。
「丹澤先生!」
と、遠くから笑顔で私に近づいてくる生徒の姿は、私を励まし、力を与えてくれる。
「結局、与えているつもりで、与えられていたんだな…。」
と思う。

「今まで、どれだけ与えられていたか」、を思えば、感謝しても感謝しきれない。

先日の誕生日に届いた卒業生からのメッセージがある。
『丹澤先生、いつまでも学校の生徒をよろしくお願いします。』
と、あった。

私の恩返しは、これから始まるということだろう。

※『スタートレック』のテレビドラマは6本あるが、その中の「新スタートレック」(Star Trek the Next Generation)の第4シーズン。第76話目。邦題「戦士の休息」(原題:Evolution)

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2018年10月08日

白河天体観測所

私の少年時代からの憧れの存在、それが『白河天体観測所』だ。
往年の天文ファンならば、誰もが知っている私設天文台である。

先日、『白河天体観測所』(藤井旭著)を読み返してみた。
『白河天体観測所』は、いつか私も目指したい、理想の施設だった。だから、震災で復旧不能にまで被害を受け、2014年に惜しまれながら閉鎖した時は、頭をガツンと殴られたようなショックを感じたものだ。

その書籍には、白河天体観測所から那須連峰を望む一枚の写真がある。その写真を見れば、近隣に住んでいいる者ならば、観測所がどのあたりにあったのかは、だいたいの予想がつく。この地は星が美しい。

私は小学生の頃からの天文ファンなのだが、当時は「藤井旭さんみたいな人になりたい。」と思っていた。私は多摩美卒の彼のようにイラストは書けないが、「沢山の人に星の解説をすることくらいはできるんじゃないか」、と思ったのである。教員を目指したのも、「自分で星を見る時間を作れるんじゃないか」という思いからだ。当時、先生は長い夏休みがあると思っていた。

その後、私も、大学卒業後の一時期、教員をやりながら、休みの夏場は天文台で星の解説をしていたことがあるから、その夢は一応かなったと言っても良い。

天体観測所を建てるには、なかなかの資金力がいる。

私が初めてもらった天文書が、やはり藤井旭著の『星雲、星団ガイドブック』だったので、彼との縁は、もう40年にも及ぶ。

「人間、満天の星空のもとで生活すべきである。」
と、私は思っている。無限ともいえる宇宙の神秘を感じ、星々のきらめきを受ければ、人間の高慢さなど吹き飛んでしまうだろう。

私の学校も、電灯のないところならば、天の川が見るくらい空が暗い。
どれだけの生徒が、夜空を見上げてくれているのか分からないが、
「こんな美しいものを感じないなんて、どんな生き方をしているんだ?」
と思ってしまう。

もうずいぶん前になるが、以前勤めた学校の『海の学校』(校外学習の臨海学校)の夜、全員を星空の下、仰向けに寝かせて、天然プラネタリウムのように、私が星の解説をしたことがある。

この先、どんどん日が短くなるから、夕方でも星空が見えるようになる。

私も、いつかチロ(※)のような犬を連れて、のんびりと星空を堪能したいものだ。

白河天体観測所 日本中に星の美しさを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天 [ 藤井旭 ]




※藤井旭氏が飼っていたアイヌ犬。白河天体観測所の台長であった。
posted by 丹澤三郎 at 18:22 | Comment(0) | つれづれ

2018年10月01日

天気図3000枚

台風一過の晴天になった。
お昼前から気温がぐんぐん上がった。私の住む地域では、何とか30℃には達しなかったが、それでも、久しぶりの生暖かい風は、湿度が低めとはいえ、涼しさになれてしまった身体にこたえる。

私は、中学の時に、天気図を作ることを学んだ。確か、学校の理科の授業が最初だったと思う。「気象通報」を聞き、天気図を作り上げることは、並大抵なことではない。出来上がった天気図(らしきもの)は、とても見るに堪えるものではなかった。

しかし、偶然『気象知識普及会』なる団体を知り、その門を叩いた。そこでは、天気図の作り方はもちろん、その目的である天気予報の仕方も学んだ。

この団体は、気象庁の予報官をしていた、故、一色 明氏が設立した団体で、天気図の添削指導と、各所で天気図講習会をおこなっていた団体であった。

私は、この団体で、天気図作成や予報技術の腕を上げ、いつしか、この団体でトップクラスのメンバーになっていた。当時のメンバーでは、一年上の先輩は気象庁に入り、一年下の後輩は、日本気象協会に入っている。

気象の世界では、『天気図3000枚』と言われる。3000枚の天気図を書いて、(予報官として)一人前になるのだと教えられた。だから、私の高校時代は、気象観測と天気図作成および、天気予報に明け暮れた。

私は、3000枚には達しなかったが、2000枚近くは書いたと思う。

当時、NHKの『気象通報』が一日三回、短波の放送が夏場は一日2回あったので、一日に最大5枚の天気図(うち一枚は高層天気図)を書くことができたのだ。

あの頃は、毎日の気象現象が楽しくて、台風など来れば興奮して、気象データーと気象衛星、天気図をにらめっこ。

高校時代の私だったら、昨日の台風24号も、一日中気象データをモニタしていたかも知れない。

台風などの災害を伴う気象現象は、生活のためのインフラを止めたり、電車を止めたりする。
その中で、必死で出勤したり、登校するのは、大変なことだ。時には命の危険すらある。

今朝も、大変な思いをして、通勤、通学した人がたくさんいるに違いない。

いつの頃からか、「気象警報が出たときは、休校」という学校が増えたが、最初に勤めた学校で、
「たとえ休校であっても、出勤して、生徒の安否や学校の被害状況を確かめる必要がある。だから、教員は休校でも出勤するのだ。」
などと、叱られ、ずぶ濡れになりながら、出勤したことがある。

人間は気象現象をコントロールできない。
今年は、特に気象災害が頻発している。
まさに、神様が人類の奢りに対して、警告を与えているとしか思えない。

富士山レーダー(運用廃止)や気象衛星、スーパーコンピューターのおかげにより、気象による大災害は少なくなったが、人知を越えた自然の力は、人類に警告を与え続けている。

参考のために、当時(昭和58年)の天気図を紹介する。
tennkizu_s
posted by 丹澤三郎 at 19:02 | Comment(0) | つれづれ

2018年09月26日

『一太郎』教の信者

かつて学校現場は、ワープロソフトと言えばジャストシステム社の『一太郎』だった。
しかし、いつしかマイクロソフト社の『Word』に駆逐されつつある。

「いやいや、今でもうちの学校は『一太郎』だよ。」
と言う声が聞こえてきそうだが、私の学校で『一太郎』を使っているのは私だけになってしまった。
昨今は、時前のパソコンは学校現場に持ち込めないし、提供されているパソコンには、一切のソフトをインストールできない、というのが一般的である。

学校では、私自身が情報管理者の一人でもあるので、
「もし個人のパソコンを持ち込み、学校のネットワークにつなぐのであれば、そのパソコンは一切外部には持ち出さないでください。」
という条件で、持ち込みをOKしている。

学校備品のパソコンへの各自がソフトのインストールをすることもOKと、なかなか甘々の環境なのである。
とは言っても、身銭を切って有料ソフトを入れようなどと酔狂な先生は少ない。

と言うことで、年々『一太郎』利用者は減り、とうとう私が最後の『一太郎』ユーザーである。

たぶんVer3時代から使っているので、かれこれ20年以上になる。それでいて、毎年のようにバージョンアップを繰り返しているのだから、『一太郎』きちがいと言ってもよいだろう。

「日本語ワープロを使うのだから、日本人であるならば、純日本産を使い続けるのが、粋ってもんだろう」

そう言って強がっていた時代もあったが、ATOKの優位性もかつてほどではなくなっている今、私の存在はもはや『一太郎』教の信者である。

どんな文書も『一太郎』で作り、他の人に引き渡すときは、「Word形式で保存」と、何とも面倒なことをし、時に『花子』を使う。さすがに『三四郎』や『Agree』は使わなくなったが、『Shuriken』は、標準のメールソフトとして利用中である。

当然このブログの原稿も、『一太郎』で作られているし、かつて毎日欠かさず発行し続けた「学級通信」も『一太郎』で作ったのだ。

『一太郎』は、もはや、私のこだわり以外の何ものでもない。
posted by 丹澤三郎 at 23:11 | Comment(0) | つれづれ

2018年09月25日

中秋の名月

「昨晩は『中秋の名月』だったんだけど、月を見た人どのくらいいる?」
クラスで生徒たちに尋ねてみると、手を上げた人はちらほら。ほんの数人だった。
もしかしたら、彼らは『中秋の名月』の存在すら知らないのかも知れない。

現代、月見団子を作るなどの月見の飾りをする家庭はほとんどないだろう。
たいていは、テレビのニュースで、「今日は中秋の名月です。一年でもっともきれいな月が見られる日とされています。」というアナウンサーの言葉を聞いて、「そうか、今日がその日なのか。」と思うくらいだろう。

満月は年に12回から13回起こるわけで、別に満月が珍しい訳ではない。
かつては芋煮の習慣があったというが、その名残りは、この時期、各所で行われる芋煮会だろうか。
秋の収穫の時期でもあり、収穫への感謝を捧げる時と考えることもできる。

しかし実際、この時期の月は、やはりキレイなのだ。
夏は、月の南中高度が高い。彼岸の今でも、それは続いている。
空気の澄んだ秋空高く月が出ていると、より明るく感じることなる。
夏場の湿度の高い空気越しの月よりも、煌々と輝くこの時期の月は、とても美しく見えるものだ。

以前、満月があまりに明るいので、本が読めるか実験したことがあるが、確かに大きい字なら読める。
田舎の月は、それほどまでに明るく感じるのだ。

私も昨晩は、月を意識していたが、残念ながら時折雲間から顔を出す姿しか見られなかった。夜中に目が覚めたとき、西の空に、薄雲を通して、うすらぼんやりとした月も見えた。ちょっと納得のいかない月見だった。

この先、来月の『栗名月』、再来月の『三の月』が訪れるが、天気が安定しているこの時期の月に期待しよう。

「先生、すごく月がキレイでした。」
月を見ることができた女子生徒が興奮する。
「やばかったです…。」

日本人は、自然を愛でる心を持っている。それは、現代の世の中であっても同じだ。もし、このことが消えゆくようであるならば、この文化は、教育を通して何としても守っていかなければならないと思う。

どんなに科学技術が進んでも、自然の雄大さを忘れてはならない。人知を超えた存在がそこにはある。

「私、中秋の名月はテレビで見ました。」
同僚の若い先生が得意げに語った。
posted by 丹澤三郎 at 20:49 | Comment(0) | つれづれ

2018年09月19日

教員の健康診断

今日は年一度の健康診断。

養護の先生に、「今週は健康診断ありますよね。」、と尋ねたのが昨日。
「明日ですよ。」と答えられて、途端に憂鬱になった。

「夜8時からは絶食です。明日は起床したら絶飲食です。」
いつもの私は、8時前に夕食は食べない。しかも、検診は昼の12時45分からとのこと。

午前は、授業がびっちりなので、お昼休みの時間帯しか受診できる時間はなかったのだ。
しかも、授業の合間にも水も飲んではいけないのだと言う。
私の学校では、先生たちの授業の空き時間を利用して、検診が行われる。

さて、私が苦手なのが、血液検査とバリウムによる胃の検査だ。

血液検査のための採血には嫌な思い出がある。

以前勤めた学校では、授業に影響を及ぼさないように、早朝に検診が行われいた。
それはそれで大変有り難く、私も朝の7時から検診ができて、その後ゆったりした気持ちで授業に望むことができたのだ。しかし検診は11月で、この頃には朝は寒い。私の身体も冷えていたので、採血のための血管が出てこないということが起こった。

「あれ、出ませんね。どうしたんでしょう。」
と、焦りと動揺を隠せない若いスタッフが、私の腕に何度も何度も注射針を刺し続けたのだ。

私は以後、若いスタッフには採血は任せないことにした。

もう一つは、バリウムによる胃の検査。
なぜ、硫酸バリウムを体内に入れなければならないのか。他にもっと、簡単な方法はないのか。その後、下剤を飲み、トイレを気にしながら授業することが、どれほど負担になってしまうか、分かっているのだろうか。本当にバリウムを飲むということが必要不可欠なのだろうか。

だいたい、健康診断を終えた日は、何となく体調が悪い。

こんなふうに愚痴を言っても仕方ないが、とにかく今日の検査は無事終わった。
この検査を、教員になってから毎年受け続けている。

「先生、頑張ってください!」
検査の前に、生徒たちに見送られた。

健康であってこその教員生活、万全の体調を維持し続けることは何より大切だと思う。
それでも健康診断の前後は、心身ともにストレスが大きくなり、どっと疲れる…。
posted by 丹澤三郎 at 20:32 | Comment(0) | つれづれ
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