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2019年09月09日

台風15号

台風15号

文化祭代休初日は台風がやってきた。
昨晩はほとんど快晴で、月明かりの中で愛犬の散歩ができたくらいだ。
本当に台風がやってくるのか、と思うくらいだったが、未明にはちゃんと雨になった。
レーダーアメダスを見ると、綺麗な渦巻きが関東地方にかかっている。
こんな綺麗な台風のレインバンドを見たのも久しぶりだ。

練習は午後3時からにしてあるので、午前中は少しのんびりできる。
それでも6時前には雨の中、愛犬の散歩。
その後は、ゴロゴロして昼間で過ごした。

時折雨が激しくなったり、突風が吹いたようだが、うとうとしていたので、よく分からない。
例によって、枕元に犬がいる中で、少し眠ってしまったようだ。

暑くなると思ったが、ここでは少し北寄りの風で、湿度は高いが、暑くて耐えられないような気温ではなかった。
それでも、午後になって太陽が出てくると、その日差しは夏のものと変わらないくらいの厳しさ。
いろいろな所で高温になったり、停電になったりと、台風の被害が大きいようだが、ここでは何事もなかった。

首都圏はほとんどの電車が止まっていたが、それをおしてでも通勤しなければならない方々は、さぞかし大変だったろう。

私も東京に住んでいた時、そうした日の通勤を体験したことがあったが、全身ずぶ濡れになる中で、生徒を迎えたことを思い出す。
最近は、警報が出ると休校になる学校が多いので、あえて困難な日に登校させることはなくなったようだが、昔は「登校できるなら来い」、と言った感じ。

今でも会社はそんな感じなのだろう。
電車が動き出すまで、整然と列を作って待つ様は、実に日本人らしい姿だ。

今日の夕焼けは美しかった。
西の空を中心に、大きく赤く空が染まった。

そんな時に空を見ると少しまぶしいのだ。

愛犬に、「ほら、綺麗な夕焼けだよ」、と声を掛けたが見ようとしない。
それでも、ふと西の空を見た時があった。
じっと見つめていたようにも見えた。

明日は天気が良さそうだ。

明日も文化祭の代休。
9月にある連休を分解して移動させて休日にしている。

今夜はちょっと気持ちが楽だ。









2019年09月06日

私の新採の頃

明日の文化祭に向けて、一日中準備となった。
こんなに静かに、落ち着いた気持ちで文化祭前日を迎えたのは、何年ぶりだろうか。

正規採用の教員員なった初年度。私は教務の時間割係ではあったが、基本的には授業しか担当がなかった。私立学校ではあるが、採用にされ方が異質であったのだ。

他にも何人かの非常勤講師がいて、理事だの幹部たちに一堂に会する場があり、辞令が下りたわけだが、そのとき奇異なことが起こった。

当時の私は、就職活動もせず、大学院を修了する直前まで、ぶらぶらしていたのだが、そんな折り、父親が深いつながりがあった、ある私立学校に私の採用を頼み込んでくれたのだ。

私立学校は、どこの馬の骨とも分からない人の採用はきわめて慎重だ。
たとえ、成績優秀、学歴優秀であっても、異動ができず、終身雇用のシステムでは、どうしても『コネ』を大切にする。

「○○さんの紹介であれば、間違いない」、と言った具合に、人脈がものを言う。
どんな世界でも、実際は『コネ』が大切で、公立学校での教員採用だって、かなり影響があると聞く。

私は、新規採用者として呼び出され、ちょこんと座っていると、担当理事のもとに一枚のメモが回ってきた。あとから聞かされたことだが、そこには、「丹澤君を専任教諭として採用する」、と書かれていたそうだ。

そんなわけで、私が所属した高校の男子部では激震が走る。
当初、非常勤の予定だったが私が、いきなり専任となったのだ。そこで、急遽割り当てられた校務文書が教務の時間割係であったわけだ。当然、学年も部活もない。

初めの数ヶ月、私は一日中職員室の自席に座り、授業準備のための教材研究だけをした。
ひたすら手書きでプリントを作っていた記憶がある。
当然、授業も上手にできるわけではなく、ある意味鍛えられた時期だったと思う。

そんなとき、「生徒との関わり」を夢見て教員になったのに、その接点の少なさに私は戸惑った。
楽しく生徒と接する担任や、学年所属の先生たちがうらやましかった。

大学院出たての若者であった私、なかなか人と関わるのが苦手な私にとって、一年目はけっこう辛かった。

教員経験は、大学院時代に母校で非常勤講師は経験していたが、そこは母校であり、恩師もたくさんいた。

そんな思いもあって、「早く担任を持ちたい。もっと生徒と関わりたい」、という気持ちが強くなったことを覚えている。

実際、担任となるのは3年後であった。そのときの教務主任に言われた言葉を今でも思い出す。
「担任は、誰でも任せられるわけではない。先生の中には任せられない人だっている。丹澤先生は、今年度担任になるが、この先も担任を続けられるかどうかはわからない。精一杯やってください。」

当時の学校の教務主任は、教頭的立場の先生で、職場のリーダーでもあった。
私は一所懸命務めた。

いくつかの私立学校を変わって、今の学校では二年目から担任兼学年主任になった。

「担任をさせられない先生もいる」
と言う言葉は、ずっと私の中に熏習されてしまった。

今年は、それが外れた。
私の希望で外れたというのも、教員人生初のこと。
だが、今はそれを、ある意味、楽しんでいる。

「やるだけやってみな…」
そう、心で語って、生徒たちを応援している。

2019年09月05日

香港の若者たち

香港のデモが熱い。
リーダーは若者である。
先日は、中高生も授業をボイコットしてデモに参加した

状況を知らない日本人は、「学校サボって何をやっているんだ…」、と思うかも知れない。
しかし、ことはもっと切実なのだ。
彼らにはある意味、生命がかかっていると言ってよい。
そして、これからの香港の未来がかかっているのだ。

状況を知らない日本人が多いのは、それを日本のマスコミが断片的にしか報道しないということも原因の一つだろう。マスコミは、暴動が起きただの、空港が閉鎖されたのだのと、センセーショナルな部分だけを切り取り、ニュースの終わりの頃にちらっと報道している。
日本は、本当に平和ぼけしている。

香港はイギリス統治下以来、民主主義の社会である。
返還後50年間はその体制を維持すると約束した中国政府は、早くも香港の取り込みに入った。

中国は社会主義国家である。多くの自由が制限されている。
民主主義では当たり前の、言論の自由も宗教の自由もない。
AIを駆使しし、秘密警察が暗躍する、完全な管理社会になっている。
誰かが、中央政府の不満を漏らせば、程なくその者は連れ去られ、再教育される。
そのまま戻って来る者もいるが、そうした人は何かにおびえ廃人のようになっていると聞く。
帰ってこなければ、どこかで監禁されるか、処分されるのだろう。

あらゆる通信は傍受され、自由なSNSも望めない。
以前、習近平が「くまのプーさん」に似ていることが報じられたが、その後あらゆるメディアで「プーさん」の言葉は禁止され、ブロックされている。
携帯電話もすべて傍受され、国家に都合の悪い海外メディアの映像はブラックアウトする。

「そんな中国に取り込まれてしまうのは困る」、と香港人は抵抗しているのだ。
暴力ではなく、言論で抗議しようとしている。
当然、中国の軍事力からすれば、あっという間に制圧できるはずだが、香港からは世界中に、さまざまなメディアで真実を発信できるので、中国もそう簡単には動けない構図になっている。

トランプによる貿易圧力も、おそらくは香港問題への牽制だろう。

そうした『自由』を求めてのデモである。
日本は、知らぬ存ぜぬ、でいいのだろうか。

同じ世代の若者が、命をかけてデモに参加している。
香港が、中国政府に完全に吸収されれば、次は、台湾がターゲットになる。そして次は沖縄だ。
信じられないだろうが、中国はそうやって覇権を拡大している。
一帯一路とは聞こえは良いが、要は中国の覇権を世界に広げようとするものだ。
援助と称して、発展途上国へ小売りで資金を貸し出し、支払いができないとなれば、その領土をいただくわけだ。

これまでも中国はそうやって、現在取り込まれているウイグルやチベットを占領し、文化を破壊し、反対勢力を粛正してきたのだ。

それを知っての香港のデモである。
この真実を生徒たちにも伝えたいと思う。

先日、卒業生が香港のデモに参加してきたという。
きわめて整然としていたという。

「一部過激な行動」と言われる行為は、警察側のやらせである可能性も高い。
デモの中にも、たくさんのスパイを潜り込ませていると聞く。

いつの時代も『自由』を勝ち取る戦いは命がけなのだ。

2019年09月04日

草取り

隠れ家の庭や畑が草ぼうぼうで、以前お住みになっていたお婆さまから、「もう、手の施しようがありませんわ」、などと言われたので、悔しくなって、授業を終えたらお休みをもらって草取りに行った。

取った草は乾かして燃やしてしまおうと、雨を避けるために納屋に積み上げたら、すごいことになった。こりゃぁ、運ぶだけでも一苦労だ。しかも、まだまだ全体の十分の一くらいに過ぎない。

庭の中には、春から一度も足を踏み入れていない領域もある。
「切ってしまっても、また生えてくるものもあるから、全部きれいにしていただいた方がよろしいですよ。」
お婆さまが、自分でできないなら、誰かに頼むべきだと訴える。
しかし、残念ながら金銭的余裕はまったくないないのだ。

こうなったら、体力勝負か…。
毎朝、ほんの短い時間でも必ず草取りやら、庭の手入れをすればいいはずだ。

必然とはいえ、毎朝晩の愛犬の散歩は習慣になっている。
朝なら、出勤前の時間に少しは時間に余裕がある。

「どんな花が咲くか、分からないから…」、という言い訳で、放置していたが、ここにきて本気を出さねばならなくなってしまった。

隠れ家の庭は、秋の地元の祭りのときには、山車の折り返し地点でもあり、引き手の休憩場所でもある。

畑は、領域侵犯しているサツマイモのをひっぱかし、カボチャを引き上げた。
すると、草むらからカボチャが4つ、スイカが2つ現れた。
よく育っている…。
「放置していても実をつけるんだなぁ…」
受粉させてくれた虫たちに感謝である。

まだまだ草ボウボウなので、もう少し草取りを頑張って、耕耘機で耕そう。
この先冬に向けて、植えたい野菜はたくさんある。

涼しい日だったが、汗だくになって、へろへろになって草取りを一段落させたが、一時間半くらいしか経っていなかった。
農家の方はすごい、と改めて思う。

遅めの昼食後は、昼寝をしてしまった。
「おっと、もうすぐ部活だ…」、と目覚めて学校に戻る。

今日が文化祭前最後の練習。
皆元気よくやっている。

納屋の草の山で、車庫としては利用でいなくなった。
もっとも、今の車は車高が高くて納屋には入れないので、特に問題ない。
この車も来春車検。

うーん、どう考えても副収入がいる。
さて、どうしたものか…。

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2019年08月30日

生きる意味

ドキュメンタリー映画を見た。

私の関わった生徒が成長し、その生き様、考え方、夢を語っている…。
彼等はみな輝いていた。
「みんな私の教え子なんです…」、何て言うのはおこがましい。

それが、教師としての醍醐味でもあるのだが、みんな私の手の届かないところに行ってしまった。

ジーンとくる映画だった。
『生きる』ことをテーマとしたドキュメンタリーで、「どう生きるべきか」、を暗示している。

彼等は等しく、『生きているのではなく、生かされている』と語る。

『生きる意味』については、真正面から語り、訴えているのだ。

若者は夢を語り、それを高齢の方々が聞く。
その夢に感動し、共感し、エールを送る。

しかし、高齢の方々も、また日々新たな挑戦を重ねているのだ。

「これほどまでに与えられていることに感謝しかありません。」
一人の若者が、そう語った。

私たちは、神から多くを与えられ、生かされているのだ。
そうした揺るぎない一貫した一本の柱が、映画を貫いている。

「世の中に役立つ人になるために勉強するのだ。」
と、中学生が語り、老人は、
「死ぬことなんて怖くない。」
と言ってのける。

「怖いのは、何もしない人生になってしまうこと。」
そうとも語る。

「人生とは何か」を暗示するいいドキュメンタリーになっていた。

時折真実を語る出演者の言葉に、なぜだか涙が出てくる…。
恐らくは、どこか共感する部分があるのだろう。

若者たちはこれからもっと活躍し、日本そして世界を席巻に違いない。

2019年08月15日

盆踊り

地元の盆踊りがあったので、行ってみた。
隠れ家もあり、せっかく地元の住民になったのだから、こうしたイベントは参加しようと思ったからだ。

台風接近の影響で、夕方は激しく雨が降ったが、その後は穏やかで、空には※が見えるほど。

「今年は子どもたちが多数参加しています…。」
開会の挨拶で、そんな言葉が聞かれたが。

見れば、老若男女、年齢に偏りがない。

程なく盆踊りが始まった。
小一時間、お囃子と歌に併せて、踊りが続く…。

小学生、中学生、そして高校生と、皆が達者に踊っている。
もちろん、高齢のベテランの方の動きは秀逸だ。

幼い頃から踊り続けているのだから、自然と手足が動くのだろう。

私は一抹の寂しさを感じた。
踊りをただただ見ているだけ、参加したことにはならない。
ただ、見ているだけである。
いやぁ、それではだめだ。

屋台ではたくさんのフードが売られているが、せめて利益に貢献しようと、唐揚げを買ってみた。
これが、私の今夜の夕食になった。

「こんな風に小さい頃から地元で生きられたらよかったな」、と思う。
生徒も連れてくればよかったかな…。

満月が雲間から現れる。
木星も輝いている。

盆踊りが終わってしばらくすると、待望の花火大会が始まった。

いやいや、なかなか壮観ではないか。

「予算がなくて、寄付を集めるのも大変なんだよ…。」
行きつけの床屋の主人がぼやいていたっけ。

そんなことを思わせない、いい花火だった。

この時期の花火は送り花火。
お盆で集まった先祖の霊たちを慰める意味もあるのだろう。
送り火のような意味があるはずだ。

ふと、亡き父を思い出す。

明日からは野球部の練習が再開だ。








2019年08月14日

お盆の一日

私の住んでいる北関東の田舎は、毎年お盆の頃になると、ちゃんと涼風が吹いてくる。

今年は台風接近だと、大騒ぎになっているが、それでも、すーっと涼しげな風が吹く。
もちろん、日差しはとても強いのだが、日が陰って足下を見ると、コオロギがいた。

蝉もいつしかニイニイゼミに変わり、これまた夏の終わりを告げる。
草っ原にはススキの穂も出始めた。

道の駅はお盆の生花を求める地元の客で大行列。
「並んで待ってはいらない」、とかごに入れた商品を元に戻して早々に退散。

田舎だから、墓地が点在しているが、どの墓周りも綺麗に草刈りがされ、花が生けられ、まさにお盆まっ盛り…、という感じ。
この辺りが都会のそれとは、ずいぶん異なる。
きちんとお盆のお供えをして、先祖をお迎えするのである。

今があるのはご先祖のおかげ。
こうして人間は生を受け継いで来た。

「この田畑も、ご先祖あってのこと…。」
農家で生計を立てるのが難しい世の中ではあるが、多くの方々はそうした思いを抱いているのだろう。
都会に出た子どもたちもやってきて、のんびりとしたお盆休みを過ごしている模様である。

かく言う私も、この夏は父の新盆だったが、東京のお寺で、合同供養をするとのことで、私は欠礼させていただいた。
だが、父への感謝の気持ちはある。父の頑張りによって、今の私があるのだ。

学校に立ち寄ると、高3有志が焼き肉をしていた。
本当は明日の夕方、焼き肉パーティをして、夏休み中の勉強の頑張りを励まし合うのだそうだが、台風接近による雨の予報のため、今日になったと言うのだ。

そんなときに、先生たちも励ましの言葉を掛ける。

私はそういう場に出ることは苦手なので、陰で声援を送るのみである。

「先生も来て下さいよ。」
とも言われたが、お客さんの立場で行くのは気が引ける。

「そうか。半年後には、彼等も卒業か…。」
そう呟いてみて、彼等の中学時代に思いを馳せるのである。








2019年08月13日

お盆の恐怖

毎年お盆になると、私はちょっと身構える。
個人的な事情なのだが、お盆の頃の霊的存在に辟易するからである。

お盆の頃になると、普段は関心すら持たない人でも、お墓参りだの、先祖を思い巡らすことが多い。そのため、たとえ地獄にいる霊人であろうとも、この時期だけは地上に現れることができるというのだ。だから、この時期、そうした霊的存在(霊人)がうようよしている。

地方や地域によって、「お盆の時は○○してはいけない」、などという注意があるが、あの世からたくさんの霊人がやってきていると考えれば、納得できる。彼等が事故で亡くなった場所で、楽しそうに遊び泳いでいれば、何となく足を引っ張って見たくなるだろう…。

数限りない霊現象を体験している私からすれば、通常の霊の話など、常識の範疇なので、何も驚くことはない。それどころか、「ちょっと違うんじゃない?」と思うこともしばしば…。

以前務めた学校では、お盆の頃に夏期講習があった。
私立学校なりでのサービスなのだろうが、この暑い時期にわざわざ学校に来て、講習を受けるのだから、教員側も生徒側もご苦労なことだ。おまけにお盆休み中である。

その頃の私は、あまり暑いと、授業中、納涼サービスで『霊の話』をすることがあった。
あの世には違いないが、どちらかというと地獄霊の話をすると、私の話で教室はそうした世界に同通してしまう。すると、教室の温度が本当に下がるのだ。

「どうだい、涼しくなっただろう。」
と、私が語りかける。生徒たちは満足げだったことを思い出す。

ただ問題なのは、呼んでしまった霊たちに、もとの場所にお帰り頂かなくてはならないことだ。
そうでないと、生徒と一緒について行ったり、私のもとを離れないことが起こりうる。

そういう危険な遊びは、現在は封印しているので、今はやることはないが、お盆の時期は、特に効果てきめん、あっという間だ。

困るのは、呼ばなくても来てしまう霊人たちだ。
彼等に帰って頂くのは、そう簡単ではない。

私の場合、運転中交差点で花束が置いてあったのを見て、多少の同情感を抱いた瞬間に、そこで事故で亡くなった人がやってくる。助手席に座る場合もあれば、後ろの座席にちょこんと座ってしまうこともある。

少し怖いのだが、申し訳ないけど彼等に関心を持たず、無視し、ちょっとした秘術でお帰り頂くしかない。

だからお盆の期間は、できるだけ外出を控え、おとなしくしていることにしている。








2019年08月12日

S君からのメロン

毎年お盆の頃になると、卒業生たちを思い出す。
ほとんどの教え子たちは、今何をしているのか分からない。
元気に過ごしていればそれでいい、と思っている。

時々彼らから連絡が来ることもあるが、「便りがないのが元気な証拠」と思うことにしているし、中高生時代などは、思い出の中に押し込まれ、だんだんと消えていくものだとも思う。

私の食い扶持のためとまでは言わないが、私自身、彼らと共に生活できたことは、楽しいことであったし、共に学び、成長できてたことは間違いない。

私立学校で、いくつもの学校を渡り歩いた私にとって、かつての学校との接点はほとんどなくなってしまう。

最初に務めた学校に、定年まで勤め上げることができる優秀な方であれば、それなりの卒業生との付き合いもあろう。

そう考えると、私の場合は少し特殊なのだろう。
もっとも、公立の学校ならば、異動のたびに学校が変わる訳で、そういう意味でも、何だか「割り切り」のようなものが必要なのだろう。

昨日、卒業生のS君からメロンが届いた。
卒業以来、毎年この時期になると、北海道産のメロンを送ってくれる。
北海道は美味しいものがたくさんあるが、このメロンも私をメロン好きにしてくれたものの一つだ。

私の年齢では、「メロンは病気をしたときのお見舞いの品として持って行くもの」、という印象が拭えないが、それを覆してくれたのも、このメロンだ。

北海道では、一玉何千円もする訳ではない。それどころか、家族で6個入りの箱単位で買っていく。
買ってすぐは食べられないのだが、熟すのを待ちながら、冷やしていただく…。
彼らにとっては、夏の風物詩であり、めぐってくる季節行事の一つのような感覚だ。

数日前、S君から
「丹澤先生、今年も恒例のメロンを送りました。2箱あります。2個は高校野球のH監督に渡してください。残りは、適当に配るなりしてください…。」
というメールが入った。

大人食いしたって、せいぜいメロン半分。「さて、どこに配るかな…」、と思い巡らせながら、うれしさにほくそ笑む。

そういえば、S君と同期が二人、教員として戻って来ているんだっけ…。


S君との深い絆は、また別の機会に…。












2019年08月11日

教師という職業

夕方学校に寄ると、今年卒業した教え子が来ていた。
大学受験を控えた高3の勉強の面倒を見てくれるらしい。

見れば、在学中の優秀生徒。まさに学校の頭脳とも言える面々だ。

彼らは私の姿に気がつくと、すぐさま近寄ってきた。

夏休み中だからと、交通費をかけてわざわざ学校に来て、何日間か高3のサポートをするらしい。

卒業すると皆立派になっていくように見える。

在学中は、中1から見ていることもあり、なんとなく子供っぽさが目についたが、卒業し、しばらく離れていると、一層逞しく見えてくるものだ。

こうした奉仕の精神で、実際に行動してくれるのは本当にありがたいし、また立派なことだと思う。

大抵の卒業生は私の姿を見ると、
「丹澤先生、変わらないですね…。」
と言う。

「歳を取らず、いつまでも元気な姿で駆け回っている」、と取るべきなのだろうが、私自身としては、「進歩がない」、と見られても仕方がない。

『常に新しいことにチャレンジし、進化し続ける』
ということを求められる時代であればこそ、私たち教員も、常に向上を目指し、学び実践し続けなければならないのだろう。

卒業生だって、歳を取り、衰え老けた恩師の姿など見たくはないに違いない。

そうは言っても、時の流れには逆らえない。
未来への希望は若者にある。

私たちのような中高年の屍を乗り越えて、新たなる未来へ歩んでゆくべき人間である。

教師という職業は、何とも都合の良い解釈をするもので、彼らが活躍すればするほど、何だか自分が活躍したような錯覚に陥り、育てた親のような慈愛の気持ちで、彼らを見ることができる上に、ちょっとだけ誇らしく思えたりする。

今日来てくれた彼らは、この先もっともっと活躍するだろう。
もしかしたら、人類史上初というような発見や、貢献をするかも知れない。

そう考えると、何だがにんまりする…。








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