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2019年08月10日

荒れ放題の畑

ちょっと手入れをしないうちに、畑は荒れ放題になってしまった。
ほったらかしのトマトやキュウリがぐちゃぐちゃになるわ、サツマイモがどんどん地面を覆って、ネギがかくれてしまうわ、もちろんカボチャだって、全体の半分を覆っている。
しそは、背丈に近づくほどになり、ほかに植えたものは、見る影もない…。
やっぱり、毎日手入れをしないと大変なことになるのだなぁ、と反省しきり。

以前植えた枯れた土とは違い、自宅の畑は土が良いのか、ものすごい成長を見せる。
「こんなにも違うのか」、と改めて関心。

「でかいカボチャができななぁ」、と地面に接した部分に敷物を入れ、日に当たるようにひっくり返しておいたら、いつの間にかその部分が腐ってしまった。
「他の部分は食べれるかしらん」、と切り分けてはあるが、果たして味はどうだろう。

「朝は、蚊やブヨだらけだし、日中は暑くて動けないし…。そうしたものかなぁ。」
と、途方にくれている状態。

もっと広い範囲に、余裕をもって植えなければいけないらしい。

収穫は終わったが、唯一枝豆は美味だった。
今年も、放ったらかしで、摘心していないので、実は少なかったが、これはおいしかった。

大根は腐ってきたので、慌てて抜いたが、まずまずの味。

うーん。野菜を育てるのは難しい。
もう一度仕切り直しだな。

さて、どこから手をつけようか…。

少し動くと汗だくになる。
だから、一日何度もシャワーを浴びて、新しいシャツに着替える。
あっという間に洗濯物でいっぱいになる。

「昔はこんな汗かいたっけ」、と思いながら、これも加齢かしらん、と諦めの境地。

採れた野菜は、たいてい家庭科の先生でもある学年主任様に毒味をしてもらうのだが、だいたいは、「おいしい」、と言っていただけているので、本当は大しておいしくないはずなのだが、懲りずに貢ぎ続けている。

いろいろやるべきことがあることが、幸せであるわけだ。
そういえば、学校で忙しくしているときも、その思いはあったな…。









2019年08月07日

味噌汁の味

休みと言っても、出掛けるのは午前中で、午後はのんびり過ごしてる。
寝転がりながら、甲子園の野球を見て過ごしているのだ。

もはや、ショーになっている甲子園での野球だが、そうだと思いながらも、見入ってしまう…。
ここまで来るまでの彼等のドラマもあるだろう。
一生懸命さもあるだろう。
陰で支え続けた仲間の存在も、親たちの努力と汗と涙を感じるのかも知れない。

以前の私は、甲子園の野球は痛々しくて見ていられなかった。
一度崩れ出すと、坂道を転げ落ちるように落ちてしまう彼等のプレーに、耐えられなかったのだ。

だが、今はあえて、その姿を見るようにしている。

私も野球を教えている身として、そうしたときこそ、よく見ておくべきだと、考えを改めたからだ。

野球をやっていなければ分からないであろう、その苦労を、私は知っている。
そのことは、甲子園を見ている多くの人は知らないかも知れないけれども、私は、せめて私自身の思いを彼等に手向けたいと思っているのだ。

アルプススタンドで応援している生徒たちの姿もテレビで流れているが、その中にだって様々なドラマがある。

良いも悪いも乗り越えた中で、甲子園での試合がある。

そう考えながらも、うとうとして、記憶がなくなってしまうのだから、あまり説得力はない。

母が来て、一番ありがたいことは、毎食、味噌汁を作ってくれることだ。

実家の味噌とは違うが、おかずがなくとも、味噌汁は欠かさない。

その味は、もう何十年も慣れ親しんだ味だ。

甲子園の球児たちだって、それぞれの家庭の味噌汁の味は懐かしかろう。

合宿生活を送って、大会中はホテル住まいだ。

だが、大会が終われば、味噌汁の味にありつけるかも知れない。

負けないチーム他ただ一つだが、味噌汁の味は、家庭の数だけある。

人と人とをつなぐ絆が、ここにもあった…。

2019年08月06日

日常からの脱出

いつものように起きて愛犬の散歩。
いつもと違うのは、そのあと部活がないこと。
そして、今日は東京から母が出てくること。

隠れ家を手に入れてから、泊まりでやってくるのはこれが初めてだ。

母に地元を案内するのではあるが、生徒と関わることなく今日、明日を過ごすのは、これまでにはなかったことだ。

私の教員人生では、必ずどこかに生徒がいた。
それが、当然であり、必要不可欠なことであると思っていた。

だが、近年、「それではいけない。時に、生徒たちと離れることも必要だ」、と感じたのだ。
他の先生方にとっては当たり前のことが、私には当たり前のことではなかったのだ。

もちろん、母が来なければ、こういう機会もないのだろう。
以前なら、なんとなく寂しく感じていたのが、この頃は違う。
「こういう時間の過ごし方も、大切なことなんだろうな」、と考えるようになったのだ。

『我武者羅』だったのだろう。
人に評価されようとは思わなかったが、あまりに人から非難されるのは嫌だった。
それが評価と言えば、評価なのかも知れないが、褒められて育った記憶のない私には、激しい非難はかなりのダメージを受ける。

確固たる自分のスタイルが確立していたのだろう。

なりたくて教員になった。

小学生の頃からなろうと思っていた職業だった。

大学生のときは、ひたすら授業のシミュレーションをした。

教員になってからは、毎日生徒たちへの話の材料を集め続けた。

一生懸命になって、親を越えようとしてしまったこともある。

そうした人生を送ってきたのが私である。

『自らを愛することができるか』
と、問われれば、否と答える。

それではいけないことは分かっているが、自分自身に対して素直にはなれないことも事実だ。

母と少し山歩きをした。

「雄大な自然ね…。」
という母の言葉に、
「人間は、一年に何回か、こういう所で美味しい空気を吸い、景色を見て、英気を養わなければいけないんだ。」
と、私。

机に向かってばかりで仕事をした気になってはいけない。

時に自然の中に身を投じて見ると、また違った見方ができるはずだ。

毎日の繰り返しの中に、油断と隙があると思う。


2019年08月02日

脱走

愛犬P太が脱走した。
これで二度目。最初は、我が家に来て数日後。野球部が練習しているグランドに連れて行ったら、突然パニックなり、リード毎逃走した。
幸い、近くの家の車のタイヤにリードの持ち手が引っかかり、追いかけた中一に捕獲された。
パニック逃走はなかなか厳しい。

そして、今日。
散歩から戻り、今日は川に全身浸かっていないので、全身ずぶ濡れではないから、ブラッシングをしようと、ブラシを取ろうとした一瞬の隙に、一度私の顔を見た後、掛けだして、行ってしまった。

追いかけても姿が見えず、どちらの方向に行ったのかも分からなかった。
焦った。

私は早速、いつもの散歩コースを歩きながら、愛犬の名を呼んだが、一向に姿が見えない。
以前歩いたこともある散歩コースも探してみたが、やはり見つからない…。

次第に辺りが暗くなってきたので、自動車で少し走ってみたが、P太の姿は見えなかった。

とにかく犬舎のご主人に知らせようと、一方をメールで入れる。

結局、一晩中、隠れ家でP太の帰りを待ったのだが、朝4時過ぎに明るくなっても戻らず、だが、日中戻ってくるかも知れないので、教え子に隠れ家で待機してもらうことにした。

朝になって戻らないので、再び犬舎にメールを入れたら、ご主人がわざわざ探しに来てくださった。
近隣や、散歩コースをくまなく探し、近隣の集落に一つひとつ声を掛け、バイクで何時間も探してくださった。本当に犬に対して愛深い方である。

私は、今日は公式戦で生徒引率。
この日のために、夏休みの練習をしてきたようなもので、私が引率しなければ、試合にも出られず、朝からは愛犬捜索はできなかったのだ。

悪いことは、しばしば重なるものである。

散歩の前、畑のブルーベリーを収穫していたら、指にチクっとした痛みがあった。
「棘かな…。」
などと、余裕で、再び収穫していたら、今度は腕をチクり。

よく見ると、ブルーベリーに小さなアシナガバチの巣があった。
彼等は、巣を護るために私を刺したのだ。

痛みは程なく引いて、あとも残っていないが、いろいろ調べてみると、何度も蜂に刺されることは、危険らしい…。ちょっと焦った。

そんな中の逃走劇。

携帯に着信があったので、かけ直してみると、副顧問の先生。
「すいません、明日は高3の仕事で行けなくなりました。」
と言う。

「信じられない」、と思ったが、私は「分かりました」、と切った。
「もう二度と頼まない…」、と決意した。

夕食も食べる気持ちがなくなった。
取り立ての枝豆やトマトが寂しく台所に置かれているのを見るだけだ。

生徒を乗せた車は、山麓の学校に走る。
途中、P太が自動車にひかれた姿は見つけずに済んだ。

試合では、当然のごとく私が球審。
自分の試合の前に、ヘロヘロになった。

そんなとき、犬舎のご主人から電話が入る。

「見つからなかったよ…。」
と悲しそうな声。

「たった二ヶ月しか、P太と生活できなかったのは嫌だ。」
と、私は泣きそうになった。

(つづく)








2019年07月31日

犬の散歩

「その行動は、申し訳ないけど、丹澤さんの責任だよ…。」
愛犬P太が、新しい人を見ると、びびって動けなくなったり、おしっこやうんちをしてしまうことを聞いて、犬舎のご主人にたしなめられた。

今朝も、高3の教え子が、ぶらっと来て、「一緒に散歩に行きたい」というので、同行してもらったが、犬の住む納屋に入った途端に、怖がっておしっこを漏らした。

基本、私がリードを持ったが、一緒に歩いている巨体の高校生をちらちら見て、びびりながらの散歩になってしまった。
教え子は4時半に起きてスタンバイしてくれていたのに、悪いことをした。

「犬に安心感を与えたければいけないんだ。」
犬舎のご主人の、さりげない一言が、まるで禅の公案のように思えてくる。

「P太と一緒に解決していって下さい。雄犬なんだから、何が起こっても堂々とさせなくてはいけない。」

そうは言われても、どうしたものか、まだまだ素人の私には、どうしたらよいのかも思いつかない…。

ふと、もしかしたら、教員なりたての頃の生徒対応を思い出した。

あの頃は、本当にどうしたらよいのか、困ったことが多かった。
それでも、一つひとつ体当たりでアタックして、いつしか、たいていのことでは動じない教師になっていた。

私の愛犬の関係も、いずれはそうなっていくのだろうか。

結局、教え子の手からは、散歩のときのおやつは食べなかった。

「丹澤先生、しばらく犬のそばで座っていていいですか?」
元気を振り絞って、教え子が言う。

私の育て方がまずかったために、教え子には悪いことをした。

また散歩にきてくれるだろうか…。

これ以上、受験生に負担を掛けてはいけないかな…。

「p太、かわいいですね。」

彼が犬好きで良かった。

犬を飼っていた人には、結構尻尾を振るんだけどなぁ…。








2019年07月28日

これが日曜日か…

一日のんびり過ごせた日曜日は、何ヶ月ぶりだったろう。

今朝は、台風崩れの低気圧の雨で、練習を中止にして、私自身の休日にした。
午後からは晴れたので、練習しようと思えば、猛暑の中できたとは思うが、この選択で良かったと思う。

今朝は、いつものように4時半過ぎに隠れ家に向かったが、「朝のうちに買い物をしてしまおう」、と24時間営業のスーパーに行く。欲しいものは犬の餌。このところ入っていなかった、「豚のあばら骨」を求めに行ったのだ。幸い久しぶりに入荷していて、冷凍庫いっぱいになるくらい買うことができた。

「一日、三本与えてください。」
と、犬舎のご主人に指示されていたのだが、愛犬との朝晩の付き合いでは、なかなか思うようにならず、そうこしているうちに、冷凍庫の在庫が切れ、その上、スーパーでも「ゲンコツ」しか見かけなくなってしまい、困っていたのだ。

「一時的なものだと思いますよ。また入荷したら、大量に買って、冷凍庫に保存しておいてください。」
と、ご主人。さすがベテランだ。

隠れ家に着く頃は、いつもより一時間遅れ。
愛犬は、いつもより遅い私の到着にうろたえたのか、彼の自室である納屋のなかで、糞尿をまき散らしていた。
動物相手には、いつも同じ時間に付き合わなければならないことを反省した。

いつもの散歩道は、昨晩からの大雨で用水路が溢れ、一部水浸し。その中でも、元気に歩き回る…。

ところが、納屋を水洗いしたため、玄関先につないだ私の愛犬は、すねたのか、一切餌を食べない。
散歩中は嬉しそうに、パンを食べていたのにである。

大好きな骨にも見向きもせず、手に載せても、ペロペロするだけ。
急に具合が悪くなったのかな、とも思ったが、数時間毎に餌を試みたが、やはり食べず、出しては引っこめたりを繰り返した。

午後になって、納屋も大分乾いてきたので、そちらに戻すと、嬉しそうにリラックスして、お昼寝。
夕方の散歩も元気いっぱい。パンも食べるし、いつもより元気に動き回る。
さすがに飯抜き状態なので、ウンチはしなかったが、実に活発であった。

家に戻り、餌を与えると、ちゃんと食べてくれた。
さすがにお腹が空いたのだろう。

今日は、何をするでもなく、朝から肉じゃがを作って食べたり、昼場ピザを焼き、夜はカレーを作る…。

何でもない一日なのだが、リラックスして過ごせた。
日中は暑すぎて、ゴロゴロしながら高校野球の決勝戦を見ていたが、畑仕事をする勇気は湧かなかった。

それでも幸せ。いい一日のように思えた。

ふと、『幸福は、その存在を忘れているときに一番輝く』、というJAFMateに載っていたブータン紀行の記事を思い出した。













2019年07月27日

地元の草刈り

地元の草刈りに初めて参加した。

隠れ家の町内会の一員になったという証として、こういうイベントには、たとえ仕事があろうと参加すべきであると考えたからである。

何ヶ月も前から、回覧板で日程が知らされたが、
『7月27日(土)午前6時から。集合場所はいつも通り』
と書かれており、「いつも通りじゃ、分からん…」と、お隣の方にお訪ねしたのが、もう何週間も前。

少し刈払機の練習をして、今日を迎えた訳だが、愛犬の散歩中、まだ4時台にもかかわらず、もう始めている方がいたので、「私も、早くから始めよう」、と5時半から道路脇の草刈りをスタートした。
せめてもの、誠意の表れでもあり、不慣れな私の草刈りは他の方より時間がかかるだろうから、少し早めにスタートした方がよかろう、という思いでもある。

幸い、雨はほとんど降っていない。台風接近のために大雨だったら困るな、と思っていたが、全然大丈夫だった。

ふと気づけば、地域の方総出で、草刈りをしている。
「いやぁ、私の草刈りは下手だな…。」
と、思いながら、同じ場所を二度三度と重ね刈り。

山から折れて落ちかけの木を切ろうと、山に登り、蔦や木を切る。
「足下に気を付けてな…。」
何度も励まされながら、何本かを切った。

途中燃料を補給したが、7時前には作業は終了。

その後、地区の世話役の方がやってきて、今日の昼から懇親会があると、誘いに来た。

このあとまだ学校へ行って授業もあるし、午後は部活だ。
今朝は、朝のうちだけお休みをいただいたのだ。

懇親会は一年に一回の、家族揃っての集まりだそうで、
「みんなが誘ったらどうか、というので声を掛けに来た」、と言う。
正直な方である。

まだ一学期が終わっていない私には、大変嬉しいお誘いだったが、今日の所はお断りさせていただいた。実に残念である。

来年は、欠勤しても地区の懇親会には参加しよう。

少しずつ地域に受け入れていただいているようで、本当にありがたい。

この先も、地域のコミュニティを大切にしなくてはなるまい。




2019年07月26日

PCは便利なツールか

自宅で使っているPCがすっ飛んだ。
PCの設定やら、修復はとても面倒なので、なかなか気が重い。

それでも、自宅から学校やら隠れ家だのに、遠隔操作している都合上、何かしら動く状態にしないと、いろいろ困ることが多いので、毎日少しずつながらも修復しなければならないのだ。
もちろん自宅のPCは一台ではないのだが、もう一台もメインマシンの傘下にあり、すっ飛んだPCが直らないと、ネットにもつながらない。

私の地域は、以前は落雷による停電が多かったのでUPS(無停電電源装置)から電源を取っている。
停電しても、数分くらいは電源が供給され、電源供給の停止を感知して、PCを安全に自動でシャットダウンしてくれる。瞬間的な停電ならば、何も意識することなく使い続けられる。

そのUPSのバッテリーは、定的的に交換しなくてはいけないのだが、24時間稼働している私のPCの場合、安物のUPSのためか、一年くらいで弱ってくる。だましだまし2年間使ったら、バッテリー容量がゼロになった。そうなると、停電と同じ状態なり、PCはブチッと電源が切れる。

PCはSSDで起動しているが、いまのところそのSSDでは起動しない状態になった。
今は、同時につないでいる別のSSDで起動させている。
最初はセーフモード、続けて通常モードで起動させたが、今度はウインドウズのライセンス認証を求められた。

一番大切なシステムはまだ動いておらず、ここで再認証してしまうと、また面倒なことになるので、だましだまし、遠隔操作用として使っているが、このマシンが制御しているWifiも動かず、おかげで自宅のWifiも止まったまま…。なかなか被害は大きいのである。

設定されているPCが停止すると、覚えてくれているパスワードも打ち込まなければならず、これまた面倒である。

おかげでいろいろなSNS系も遅れがちとなった。
おじさんの域を超えてきた私は、スマホはあまり使わず、ほとんどはPCで行っているのだ。
LINEだって、PCで見る。

PCだのサーバーだのの知識は、最近増えていないので、こんなときこそ技術向上のチャンスなのだろうが、設定が終わると、結局また忘れてしまうのだろう。

ホームページで、親切な方が備忘と称して、いろいろ残してくれているのは、本当にありがたい。

まだまだ誰でも使えるPCにはなっていないのかも知れない。

学校では、プログラミング教育だの、一人一台のPCだのと、誰かを儲けさせそうな施策だが、その設定だのメンテナンスは、いったい誰がやるのだろうか。

「現場の先生にお願いします」、というのでは、またまた先生の負担が増える。
だいたい、PCの設定は、ひとたびトラブルが起こると、無限に時間がかかり、他の仕事が吹っ飛ぶのだ。

と言って、メンテナンス予算など計上されているとも思えず、これまた大変なことになりそうだ。

幸い、私の学校では、生徒PCのメンテナンスを私が行うことはない。
先生のP`Cの面倒は、見ることがあるが、これまた大変な作業となる。

あまりに面倒なときは、「故障です」と言って逃げるか、高額な費用を払っての業者依頼となる。

PCで、果たして本当に便利な世の中になっているのかどうか、分からなくなってきた。

2019年07月24日

噛みつき犬

「これだけのことを、こいつらにしてあげたいんですよ…。」
犬舎のご主人は、誇らしげにそう語った。

毎朝、二時か三時から犬の世話が始まる。
以前から、メールの返信が、真夜中の二時から二時半頃だったので、「こんな時間まで起きているのか」、と思ったが、実は活動を始める時間だったのだ。

犬舎が二カ所。
原っぱの犬舎の周りは、人家もなく、格好の散歩コースだ。
一回の散歩が約15分。三匹ずつ放ち、主人の決めたコースを自由に遊びながら運動させる。
これを4セット。そして、もう一度、二度目の散歩をさせて、餌やり、犬舎の掃除、などなど…。
だいたい三時間弱かかると言う。

もちろん餌も手作り。
私もそれにできるだけ従っているが、餌作りだって結構な時間を要する。

犬舎に白いオスの柴犬がいた。
犬舎で生まれ、仔犬のうちに引き取られたが、飼い主の家族、全員が噛まれてしまうので、預けられたいわく付きの柴犬である。

「もう六年なんだよ。飼い主は引き取りに来ないんだ…。大変なんだよこいつは…。」
と言って、私に
「離れて。噛まれるから…。」
と、注意した。

「噛まないように躾けてくれと言われたんだけど、一年を過ぎてしまうと、直せないんだ。私は主人だと思っているから私を噛むことはないが、家に帰れば、結局全員を噛んでしまう。みんな救急車で運ばれたんだ…。」
そう語るご主人は、少し寂しげに見えた。

この犬だけはさすがに話すことができず、足かせならぬ、大きな塩ビパイプを引き釣りながらの散歩になる。自由に歩けとは言え、草むらをパイプを引き釣りながらなので、犬にとってもかなりの負担だろう。だが、こうしておかないと、近くの住宅まで行ってしまい、人を噛んでしまうのだそうだ。

しつけが失敗した、悲しい犬である。
「あの家族は、犬が主人で、家族が部下なんだ。犬がトップだと思っているんだよ。ここじゃぁ、オス犬の中で最下位の序列だがけどね。」

生徒指導での失敗は許されない。
一時期失敗したとしても、いつかは善導しなくてはいけない。
「卒業して、ほっとした」、ではダメだ。

人間でも、幼少期に複雑な環境で育ち、道を外してしまう若者もいる。
「犬でも同じなのだな…」、と妙に納得してしまった。

私も頑張らねば…。

2019年07月19日

真の正しさとは何か

最近マスゴミという言葉が流行ってきた。
マスコミを批判的に言う、いわゆるスラングであるが、私が見ても、昨今のマスコミは、その責任を果たすどころか、何だか自滅への道を歩んでいるように思えてならない。

海外でも、アメリカのトランプ大統領が、しきりにマスコミ批判をしているが、その背景には、国対国の権力闘争すら見え隠れする。
例えば、CNNは香港に支局を置くが、中国本土にも支局がある。
だから、中国の体制に批判的な報道はしないし、できないのである。
もし、批判的報道をすれば、たちまち支局を閉鎖され、CNNは中国では報道することができなくなる。

先日来行われている香港でもデモは、中国国内で報道されることは絶対にない。
香港でも、中国中央政府の批判をした人は、ある日突然連れ去られ、しばらくして、再教育をされてから戻される。そして彼等は、二度と批判をしない人になる。
薬を打たれるか、暴行を打たれるのかは分からないが、およそ正常な人間でない状態になって帰ってくるのである。

だが、香港のデモは、そうした人間を、「中国本土に送ってしまうことができるという条例」への抗議だ。そうした処置が行われれば、連れ去られた人間は、二度と戻ってくることはないだろう。

当然、CNNも香港でのデモを行っている人よりの報道はしない。
中国は、トランプ大統領を辞めさせたいので、その政略にCNNも一役かっているとも言える。

昨今、何が正しくて何が正しくないのかを判断することが難しくなってきた。
新聞などのメディアも意図的なフェイクが流れ、それが真実と混合し、非常に分かりにくくなってしまったのだ。

私の子供の頃は、「新聞で報道されているから…」、「テレビで放送されているから…」、というだけで真実として認知されたが、昨今は違う。
残念ながら、マスコミは、自殺行為とも言える、偏向報道を平気で行い、視聴者欺し、に走っている。

もちろん、正しい報道をすることに命をかけている記者はいる。
だが、国際情勢や政治情勢では、そうした正しさは反故にされることもあるのだ。

政権側は、選挙中、反対候補のマイナスポイントを意図的にマスコミにリークすることだってできるわけだ。

彼等の正義は「選挙に勝つこと」であり、真の正しさではないと思われる。

『真の正しさとは何か』を、教育で子どもたちに教えることは難しい。
そこには、道徳を越えた宗教的真理が必要だからだ。

「自分たちの国を護る」ための様々な施策はおそらく正義であろう。
だが、戦争も国同士の正義と正義のぶつかり合いでもある。

幸いなことに、若者たちは、こうしたマスゴミに気づきつつある。
私たちにできることは、なんだろうか…。





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