2020年04月21日
母の愛
早朝、ときおり母から電話が来る。
取り立てて用事があるわけではないのだが、最近は週一程度は、私のスマホが鳴る。
今朝も母から電話があった。
「10万円出たら、冷蔵庫、買ってあげるね。」
と、母。
私は、「そんなことはいいから、いざというときのために貯金しなさい」、と答える。
「だって、お前に何もしてあげられていないんだもの…。」
齢55を超えた私にとっては、母から受けた『愛』は計り知れない。
「大丈夫だよ。それ以上に、今までお世話になっているから…。」
と、言おうとしたが、照れくさいので話題を変えた。
何歳になろうと、私は母の息子であり、母の分身でもあるのだ。
そう考えると、お預かりしている生徒たちの母親の思いも理解できる。
たとえ、「すべてをお任せする」、と言っても、心配は心配なのである。
中には親元を離れている生徒もおり、それこそ、「元気でいるか」、「学校には慣れたか」、「友達できたか」、ということになる。
ましてや、子供たちが学齢期とあっては、その思いはひとしきりであろう。
我々教師たちは、時に理不尽と思われる要求を保護者から受けるが、それも母の『愛』ゆえのこと。
そうした無理難題にも、誠実に対処してこそ、プロの教師なのだろう。
「全部閉まっちゃって、もう、行けるところなくなったわ…。」
一人で東京に住む母は、最低限の買い物以外、家を出ないようだ。
「そっちに行けば、広い庭や畑でやることいっぱいあるのにね…。県外に出ちゃ行けないっていうから…。」
確かに私の隠れ家は、一人では手入れができないほどの広さがある。
この前は、雑草が次々と繁茂し、手が付けられない状態になるのは、目に見えている…。
母は、言いたいことだけを言って、「じゃあね…」、と電話を切った。
何気ない会話の中に、母の『愛』を感じた。
こうした母の思いを知ってこその、教師として生徒に愛を与える仕事なのだろう。
人は、一人で大きくなったのではない。
たくさんの人のお世話になって、一人前になっていく。
私も全力で、生徒たちと関わっていきたい、と改めて思う。
取り立てて用事があるわけではないのだが、最近は週一程度は、私のスマホが鳴る。
今朝も母から電話があった。
「10万円出たら、冷蔵庫、買ってあげるね。」
と、母。
私は、「そんなことはいいから、いざというときのために貯金しなさい」、と答える。
「だって、お前に何もしてあげられていないんだもの…。」
齢55を超えた私にとっては、母から受けた『愛』は計り知れない。
「大丈夫だよ。それ以上に、今までお世話になっているから…。」
と、言おうとしたが、照れくさいので話題を変えた。
何歳になろうと、私は母の息子であり、母の分身でもあるのだ。
そう考えると、お預かりしている生徒たちの母親の思いも理解できる。
たとえ、「すべてをお任せする」、と言っても、心配は心配なのである。
中には親元を離れている生徒もおり、それこそ、「元気でいるか」、「学校には慣れたか」、「友達できたか」、ということになる。
ましてや、子供たちが学齢期とあっては、その思いはひとしきりであろう。
我々教師たちは、時に理不尽と思われる要求を保護者から受けるが、それも母の『愛』ゆえのこと。
そうした無理難題にも、誠実に対処してこそ、プロの教師なのだろう。
「全部閉まっちゃって、もう、行けるところなくなったわ…。」
一人で東京に住む母は、最低限の買い物以外、家を出ないようだ。
「そっちに行けば、広い庭や畑でやることいっぱいあるのにね…。県外に出ちゃ行けないっていうから…。」
確かに私の隠れ家は、一人では手入れができないほどの広さがある。
この前は、雑草が次々と繁茂し、手が付けられない状態になるのは、目に見えている…。
母は、言いたいことだけを言って、「じゃあね…」、と電話を切った。
何気ない会話の中に、母の『愛』を感じた。
こうした母の思いを知ってこその、教師として生徒に愛を与える仕事なのだろう。
人は、一人で大きくなったのではない。
たくさんの人のお世話になって、一人前になっていく。
私も全力で、生徒たちと関わっていきたい、と改めて思う。
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