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2019年05月04日

戦う集団への道

昨今は、部活指導中に先生が怒鳴りまくる姿が、めっきり少なくなった。
野球の試合中でも、なかなか紳士的であったりする。

かく言う私も、以前はそんな怒声指導型の部活運営をしていたが、時代の流れも変わり、保護者や生徒の反応も変わり、今はめっきり静かになった。

逆に、もしかしたら思うことを言えないストレスが、じわりじわりと蓄積しているかも知れない。

「どうせ試合をするなら勝負にこだわりたい。彼らに勝ちの喜びを味わって欲しいのだ。そして、その勝ちが、どんどんとモチベーションを高めて、技術も精神力も格段にアップしていくことを経験させたい。」

そう思うことは、昔も今も変わらない。
だが、今は怒鳴ったところで、生徒の心には響かないようなのだ。

新しいタイプの人類とまでは言えないが、彼らはどことなく冷めている。
こちらで勝負にこだわったとしても、
「何を先生は一人で熱くなってるんだ?」
という感じで見ているふしがある。

日本は平成の時代も終わり、しばらくは戦争のない平和な時代が過ぎている。
だが、その間に、
「自分たちさえ逆らわなければ、日本は安全で、他国から攻められることも、侵略されることもない。戦うことを拒否することが一番の平和への道だ。」
という、自分の国すら自分で学ぶ気持ちが湧かない、ゆがんだ戦後教育が蔓延してしまったようだ。

今は、子どもたちの親たちの世代も、そうした教育下で育っているから、子どもたちにもそうした傾向が現れてきたのかも知れない。

残念ながら世界には戦争の火種はたくさんある。
日本だけが平和でいられるという保証は、全くないのが、現在の世界情勢だ。

他国から干渉されても、言われっぱなしで、ほとんど反論すらしない日本国政府や国民の姿は、侵略を企む人々には、格好の餌食にしか見えないだろう。

スポーツの試合は、戦争で殺し合いをしなくても、互いにあるルールもと、平和の中で戦い、協力し合うというものである。

だが、戦いを拒否したならば、もはや試合ですらなくなってしまう。

「失敗しても、リセットボタンを押せばいい」、というものは、世の中には存在しないのだ。

世の運動部の顧問たちは、懸命に彼らを戦う集団にしようと、ありとあらゆる手段で、生徒たちに働きかけている。

その一つの方法が、時に激しい言葉であったりするわけだが、果たしてそうしたことまでも、全面的に否定していいのだろうか。

教員は聖職者であるべきだが、私は聖人君子にはなれそうもない。















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