アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2018年10月08日

卒業生のK君

私がK君と初めて出会ったのは、もう10年近く前になる。
当時、テニス部で早朝6時からも夕方遅くまで練習していたため、私が彼の勉強を見てあげられる時間は、朝練前の5時からと、夜のほんの1時間くらいしかなかった。

K君は毎日のように、朝5時になると、私を訪ねてきてきては、私のそばで勉強していく。
早朝も、空が白んできて勉強が終わる頃、
「朝練に行ってきます。」
と、テニスラケットを持って出掛けて行った。

もともと朝型の私だから、朝早いのは苦痛ではなかったが、K君も、よく私のもとを通ったと思う。

当時のテニス部は、熱血指導者のF先生が、それこそ全国を目指して活動していた。
まさに、「勝つべくして勝つ」指導が行われていて、結果、部員の一人はちゃんとインターハイに出場しているのだから、F先生は有言実行。

私よりも年上の先生だが、私の10倍くらいの情熱で部活指導をされていたので、勉強になることが多かった。もちろん、授業は上手だし、担任としても、その他の校務分掌でも、手を抜くことはない。
以前、年賀状で、
「先生の姿を見ると、勇気が湧いてきます。もう一段、がんばらなきゃって…」
なんて、私が一言書いた記憶があるくらいだから、尊敬すべき、お手本になる先輩だった訳だ。

彼の育てたテニス部の卒業生は、各方面でも大活躍中。
K君は、事情があって、途中から高校野球部に移ったが、これもなかなかのチャレンジだ。
しかし最期は、レギュラーとして活躍しているのだから、並々ならぬ努力の持ち主でもある。

K君も、高校卒業後は、整体の資格を専門学校で取得しつつ、大学でも勉強するというダブルスクールをこなし、卒業後、いよいよ開業を始めた。

K君の実家が札幌にあることもあり、以前、私も夏休み期間中に、ぶらっと札幌を訪ねたことがある。
札幌駅の改札口で、満面の笑顔で私を迎えてくれたK君の姿を、今でもはっきりと覚えている。
そのときは、何日も私をあちこちに連れて行ってくれて、北海道を堪能させてくれた。
今でも毎年、K君から美味しいがメロンが届く。

学校では、卒業すると音信不通になってしまいがちだ。
しかし、いつまでも「私の教え子だ」、などと思うのは、いやらしい。
「一時期、学校という場所を通して縁があって、何年か、ほんの少しだけお世話をさせてもらったのだ。ありがたいことだ。」
と、ごくごくたまに思い出せれば、それでよい。
教員というのは、そうした職業だ。

人間的にも、
「私が、私が…」
という自己主張が強すぎる思いは醜い。

今年の3月に、K君の弟が卒業していくとき、お母様に、
「Kも、開業しましたし、運転免許も取りました。また、北海道に遊びに来て下さい。今度はKが、案内できますよ。」
と声を掛けられた。

K君が、ますます活躍してくれたら、それでいい。
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

ファン
検索
<< 2023年09月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。