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2020年10月30日

大地讃頌

『大地讃頌』は、「混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』」の終曲。混声4部で上手に歌うと、その荘厳さとダイナミックさに、聞き手を感動させることができる、中学生合唱の定番曲でもある。

今年の中3の学年合唱曲は大地讃頌になった。
伴奏がやや難しいので、ピアノに炊けた生徒がいなければ無伴奏になってしまうが、今年は大丈夫そうだ。

私は意図的に練習を見に行かなかったが、このところ2回ばかり、外部の人に聞かせる機会があり、彼らの合唱を聴くことになった。

結論から言うと、まだまだ駄目である。

音楽の先生が、今回の発表のために練習をさせてくれたのだが、一番基本的なこととして、男性パートの音がおかしい。

「おいおい、その音ではハーモニーにならんよ。不協和音だよ。聞き手を不快にさせると。」
私は彼らの合唱をドキドキ意思ながら聴く。
しかもその部分は、曲が終わりにさしかかった、クライマックスにさしかかる頃とあって、これまた悲劇的だ。

「他の先生たちは、不快に思わないのだろうか…。」
私はそう感じながらも、「この先きちんと修正しないと恥ずかしいな」、とドキドキした。

有名な曲であるからこそ、音外れは致命的だ。
声量もバランスもまずまずなのだから、この部分を改善すれば、ある程度の合唱として仕上げることはできるはずだが、それにしても、今回の発表では情けなかった…。

音楽の先生にお伝えしたならば、きっと彼女は怒り出してしまいそうなので、私は何も言えずにいる。
学年主任にも少し話をしたが、「伴奏がなかったからじゃないですか」、などと素知らぬ顔。

唯一の救いは。彼らが思いを込めて歌ったことだ。
その「純粋な感謝の思い」により、聞き手に感動を与えることはできた。

その上で、きちんとしたハーモニーになれば、さらに良いものができるはずだ。

合唱コンクールの本番は12月。
学年合唱は審査はされないが、最高学年の中3として、後輩たちをリードし、観客に感銘を与える義務がある。

おそらくコロナ騒ぎで、合唱コンクールを行っている学校は数少ないだろう。
だからこそ、最高の歌声で、多くの人に感動を与えなければいけない。

その思いと歌声は、コロナウイルスなど容易に吹き飛ばすことができるに違いない…。
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2020年10月29日

バスガイド

海外語学研修が中止になった代わりに、国内での研修旅行を行った。
そのため、久しぶりにバスガイドさんと出会うことができた。
私は、バスガイドの話が好きである。

滅多には出掛けられない土地でのバスガイドの話は興味深い。
私の知的好奇心をくすぐり、もっといろいろな話を聞きたくなる。

一方で、生徒たちはめいめいスマホで動画などを見ているのだ。
耳にはイヤホン。
おそらくバスガイドの話などうわの空だろう。

「バスガイドが話をしているのに、皆がイヤホンなどを付けてスマホを触っていていいのですか?」
と、事前に学年主任に言ってみたが、「寝る子もいるくらいだから、いいんじゃないですか?」、と全く価値観が合わない。その上、「音楽を聴いていると酔わない子もいるらしいですよ」、と来る。

さすがもと高校の先生。
私の常識がガラガラと崩れ去る。
私は旅行中、「もう私の居場所はないのかな…」、という思いが頻繁に湧いてきた。

さすがに、「生徒に教員全員の携帯番号を公開するとか、それを学校のホームページにまで載せて保護者にも便宜を図る」という案には断固反対したが、私もそろそろ限界に近づいている…。
若い学年主任を立てなければ、と思いつつも、価値観が違いすぎて、終始、心が揺さぶられるのだ。

「眠れない生徒がいるので、ガイドを控えてください」、と若い担任が添乗員に伝えたり、私と年齢の近い先生は、「ガイドがうるさいので、少し静かにして下さい」、と言ったりする。

これには私もぶったまげた。
「いい加減にしなさい」、という気持ちと共に、怒りに近い感情が湧いてきた。

「こうした人たちと一緒に仕事をするのは難しいのかな…」、とも思う。
違和感と嫌悪感が渦巻いて、引率の疲れがどっと大きくなった。

最終日、私は、ガイドのもとを訪ね声を掛けた。
「いろいろと不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません。」
と、謝ろうと思ったが、
「たくさんお話して下さったので、大変勉強になりました。ありがとうございました。」
と伝えるにとどめた。

フォローになったかどうかは怪しいが、勉強になったことは事実なので、素直にその思いを伝えたまでだ。

バスガイドは大変恐縮されていたが、私は少しすっきりした。
単なる自己満足なのだろうが、自己満足でいい…。

やはり「おかしい」のは私の方なのだろうか…。

2020年10月25日

交流戦

雨天で順延されたたため、一週間遅れで交流戦が行われた。

この秋は、早々新人戦が中止になって、練習試合もほとんど行われず、中3が抜けて新チームを結成した選手たちにとっては、試合の機会がほとんどなかったのだ。
このまま、春を迎えてしまうと、「全く試合ができない」、ということになりかねないため、普段の秋の地区強化大会を交流戦として、同じような形式で行うことにしたのだ。

3校リーグを2回行い、リーグ戦1位校を春季大会前のシード戦のシードにしようというものである。

今回試合があって、本当にありがたかった。
選手たちは、「試合」というモチベーションで練習を続けているので、その目標があるのは、とてもうれしい。
私の住む県では、高校野球も学童野球も試合を続けているのだが、中学野球だけが大きな制限を受け、まったく試合が行われていないのだ。

ただ、コロナ対策のため、試合を行って良いのは半日だけ。
だから3試合となると、一試合が1時間ということになった。
つまり1時間を超えて次のイニングには入らないということだ。
だが、そんな制約があっても、やはり試合ができるのは本当にありがたい。

自分のチームの課題が見えるし、次の練習課題にもなる。

さて試合の方だが、わがチームは一敗一分けとなった。
結果、失点率によって3位になってしまった。
しかし、いろいろな収穫のあった試合になった。

まず、ピッチャーをしているキャプテンでもあるT君の球は打たれない、ということである。

彼の速球と変化球は、相手チームを翻弄し、2試合で14奪三振となった。

私は三振でアウトを取るのはあまり好きではないが、成果としてこの結果は受け止めるべきだろう。

合わせてチームの守備力、走塁力、打撃力に課題が見えた。

「打てなきゃ勝てないよ…。」
試合中何度もそんな声を掛けたが、左ピッチャーのクロスファイヤーや、野手投げのピッチャーのコントロールの良さに、こちらも翻弄されて、結果、二試合でホームを踏ませてもらうことはなかったのだ。

この試合で、私のチームにエース級ピッチャーがいることが他校に知れ渡ることになる。
おそらく次の試合で、徹底的に小技を使って攻めてくるだろう。

その対策と、新たな戦術の獲得に、あと一ヶ月ほどある。

春までの最後の試合と思い、ベストを尽くしたい…。

2020年10月22日

心の平静

最近ピアノを弾いていない。
そういえば、自然の写真を撮ることもできていない。

私自身にとって、これらができていないというのは、心の平静が保たれていないことを意味する。

確かに、いろいろな行事が次々とあり、ほっとする間もないくらいなのだが、そうした忙しい時期であればあるほど、心の平静を保つ必要がある。

心の平静は、自らの心を平らかにすることである。
自分の心の中の湖面を波立たせないことである。
バリバリ仕事をしていても、β波状態ではないことである。
忙しく動き回ってはいても、心を整え、時にα波の状態を意図的に作り出すことである。

心がわさわさしていると、私はピアノを弾く気持ちになれない。
たとえ頑張って鍵盤の前に座っていても、ほんの少しの時間でやめてしまう。

自然の写真についても、心が安定していないと、自然にひそむ美しさを発見できないのだ。
だから、「撮るべき写真がない」のではなく、「写真を撮るような心の状態を作れていない」ということだ。撮った写真は、私の心の状態を映しているのだ。

これは日常の教師としての仕事にも関わるものだ。
毎日の生活の中では、心が乱れることだってある。
いろいろな問題が噴出する学校現場の中で、いかに心の平静を保ちながら仕事を進められるかが大切だ。

教員たる者、生徒に、「今日の先生は機嫌悪いな」などと言わせて行けないし、思わせていけない。

なるほど、このところの自分は、心がすさんでいるのだろう。

ただ自らの心の状態に気づくことができたのは幸いである。

心を整えよう。
簡単に心を乱さないようにしよう。
努めて心を整え、平らかにしよう。

そのためには仕事に余裕を持つこと大事だ。
心を乱さず淡々と、仕事をこなしていくことが大事だ。
健康生活も大事だろうし、運動や睡眠時間の確保も必要だ。

いつもニコニコ爽やかな先生は、生徒や保護者からも頼りがいがあるだろう。
苦虫を噛み潰したような顔で、教壇に立っても、生徒は面白くない。

生徒たちは、一番身近な大人として教師を見る。
その姿は、ある意味大人の理想であるべきなのだろう。

努めて心の平静を保たねば…。

2020年10月21日

兄弟校が来た

夕方、兄弟校の中3生徒全員が訪ねてきた。
お互いに兄弟校を見学するのは初めてのことである。
入学前に、見学した生徒は多少いるようだが、「兄弟校との交流企画」は初めてのことである。

この時期、本来、オーストラリアに語学研修に出掛ける予定であったが、コロナのために渡航は困難。その代わりとして、国内での研修に切り換えたのだ。
今回はそのための一企画である。

私たちの学校も、来週、全員で出発する。

兄弟校とはいえ、教育目標には若干の違いもある。
先方は関西になるので、当然関西出身の生徒が多い。

基本すべて生徒企画。

ホールで、オリジナル中3紹介ビデオを見て、グループ活動。
その後、校内見学のアテンド。
再び、ホールに戻り、同じ校歌を歌い、全員で記念撮影をして修了。

一時間ほどだったが、楽しい時間が過ごせた。

一緒に食事をしたり、授業を受けたりできたら、もっと楽しかったのだろうが、これ以上の欲は出すまい。

「連絡先交換できなかった〜。」
と叫ぶ女子生徒もいたが、私たちも来週、彼らの学校を訪問する。
そのときには、先方にアテンドしてもらうのだ。

公立校で、お互いの学校を訪ねることがどのくらいあるのだろうか。
ずっと私立学校の教員である私にはよく分からないが、学校訪問は、お互いにいろいろな発見があって面白い。

教育目標が同じ兄弟校が、離れた場所で切磋琢磨する姿は美しい。

高校卒業後は、系列大学でまた出会うことになるのだろう。

引率の先生に、以前一緒に仕事をしていたS先生がいた。
兄弟校が開校するときに、私の学校から半分くらいの先生が、異動したのだ。
S先生によると、私の学校に戻ってきたのは、そのとき以来だという。
やたら、「懐かしい…」と、連発していた姿が印象的だった。

と、同時にS先生の頭は、半分白くなっていた。

きっと、兄弟校にお勤めの中でも、ご苦労が多いのだろう。

お互い歳をとったということでもあろう…。

2020年10月19日

グランド練習

日曜日。
高校野球が出掛けるとのことで、学校のグランドを使っての練習ができた。
昨日の交流戦が雨で順延になったこともあり、最低限の用具が学校にあったこともあり、ちょうど良かったのだ。

久しぶりの学校での練習。
草がないグランドでの練習。

選手たちは生き生きと、楽しそうに練習していた。
やはり練習環境によってもモチベーションは変わるものだ。

少ない人数だったが、午前中練習で、けっこういい練習ができたと思う。

下手くそ集団の野球部の選手たちだが、以前と比べたら格段に上手くなった。
世間がコロナ休校中も、私の学校は一切休むことなく授業や部活を続けていた分、もしかしたら、少しは他校に追いついてきているのかも知れない。

それを試す場が、交流戦だったが、来週に延期になった。
しかし、この先大会まで、放火の練習はほとんどできない。
週末には地区の駅伝もあり、また行事も立て込んでおり、唯一の練習時間は朝練だけになった。

一人ひとりが意識高く練習すると、あっという間に上達する。
だが、試合を通して学ぶことは、それ以上の効果がある。
その意味では、練習試合といえども、貴重な機会なのだ。

それが、今はほとんど行われない…。

今、今まで当たり前だったことが、すべて当たり前ではなくなり、崩れ去ろうとしている…。
それが、コロナ時代なのだが、ますます世の中が混沌として、人間不信に陥るならば、世紀末現象と言ってもいい。

後半、エンドランの練習をした。
だが、なかなか決まらない。

ピッチャーの牽制が上手いのか、投げるべき球が打ち損じを誘うのか、なんとも判断はつかないが、攻守ともども、必死でプレーしていたのは確かである。

「次から次へと、ヒットを打てると思うか? エンドランはチャンスを広げるんだよ。」

野球は駆け引きのスポーツだ。
と共に、強い気持ちでプレーしないと、打てないし、エラーも出る。

どんなに普段は優しくても、いざ試合になったら、気持ちが切り換えられるような、そんな選手を育てたいと、ここ十年来、野球部の面倒を見ている…。

2020年10月18日

別れ

仏教の教えの『四苦八苦』の一つに『愛別離苦』がある。
この世で思い通りにならないことを『苦しみ』と定義し、「(この世の)人生は苦である」と解いた。
『愛別離苦』とは、「愛する者と別れる苦しみ」のことである。


今日、人間ではないが、一年一ヶ月預かって育てた老犬「琴」との別れをした。
十歳を超える雌犬で、私の愛犬の雄が淋しそうなので、借りて預かっていたのだ。
その老犬「琴」が、最近急に元気がなくなった。

そんな彼女の様子を見て、貸して下さっている犬舎のご主人が、「こちらに戻して下さい。同じ年齢の犬と一緒にして、余生を過ごさせます」、という指示が来た。

と言うわけで、急に「琴」との別れとなったのだ。

前日に「琴」の写真を撮ったが、あまり目が開けられず、元気そうな写真にはならなかった。
「もう、明日の朝で、一緒に散歩するのは終わりだよ…」
「琴」は、分かっているのか分かっていないのか、無反応。

「これまでありがとうね…。」
そう言って、頭をなでる。
開かない細い目が、さらに細くなった。

一緒に暮らしている愛犬「ポン太」は、私が「琴」ばかりをかわいがるものだから、一生懸命私に身体をこすりつけてくる。

「なかなか一緒にいてあげられないから、犬たちはみな淋しいのかな…。」
外は雨が降っていて、十分な散歩もできかった。

「琴」を車に乗せて、犬舎に向かうも、今までのような元気さがなかった。
あまりに大人しく、バックミラーからその姿が見えないので、吐いたり、けいれんしたりしているのではないかと、心配になったほどだ。
「犬舎についたときにぐったりしていたらどうしよう…。」
そんな不安で、どこかで車を停めて、様子を見たい衝動にかられながらも、二十分ほどで犬舎に着く。

果たして「琴」は、ご主人の姿を見て喜んだ。
力を振り絞って、最大減のサービスをした。

その後、じっとしてあまり動かなくなった。
「ゆっくり過ごそうな…。」
犬舎のご主人が言う。
「畑の小屋に行こうか…。」
と。「琴」を軽トラックの助手席に誘った。
「琴」は自分から車に飛び乗った…。

「いつまでも元気でな…。」
私はそう声を掛けた。

「琴」と会えるのは、これで最後のような気がした。

犬との別れも、私に撮っては『愛別離苦』だ。





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