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2019年01月16日
クロア篇−1章2
クロアたちは自分たちが住む町をめざした。クロアが魔獣を担ぐ間は飛馬が使えないので、行きの数倍の時間をかけて歩く。町を発ったのが午前。魔獣を捕獲し、町の遠景を発見したころには昼食時を大きく過ぎていた。飛馬を利用すればまたたく間に行ける道のりが、徒歩ではかなりの時間を食う。クロアは飛馬のありがたみを痛感した。
クロアの住む町の名はアンペレといい、周囲が外壁でかこまれている。その壁は何度かの拡張の痕跡があった。この町は種々様々な工房を擁する。ゆえに、事業が発展していくと必要な敷地面積も広くなる。
(工業がさかんなのは誇らしいことよ。でも……)
クロアは外壁に立つ哨兵を見あげた。彼らは外壁の上で警護の任に就いている。同種の警備兵が町中や領主の屋敷にも配備してあった。それらの外見はいかにも兵士である。だがその実態は兵士の存在を人々に見せつけるための、武芸の腕は素人の寄せあつめ──とはクロアの感覚だ。すべての兵士には基礎的な武術を仕込んである。一応はずぶの素人ではない。だがいざ町中に不届き者が現れても取り逃がす、そんな失態が多々起きた。そのほとんどはクロアがその場にいれば捕縛できたであろう、ただの盗人だった。
今回クロアが捕まえた魔獣も、本来は見張りの兵士が撃退できるだけの備えがあった。この朱色の魔獣は翼こそないが空を飛べる。この個体も飛馬同様の飛獣である。町の外壁には、こういった飛来する敵にも対抗しうる投擲兵器が設置してあるのだ。兵器をうまく使えば魔獣を遠ざけ、民衆の被害をなくせた。彼ら兵士には自力で戦う能力も、兵器を有効活用する技術も欠けている。その事実を思い出したクロアは思わず嘆息した。
「クロア様がため息を吐くとは、らしくありませんね」
飛馬の手綱を引くダムトが言う。
「魔獣の運搬をしたせいでお疲れになりましたか」
クロアの肩には朱色の魔獣が全体重を預けた状態でいる。いまなお気絶中だ。この獣の重さにクロアの不興は生まれず、むしろ毛皮の温かさに幸福感を得ている。
「このくらい平気よ」
クロアは片手に持っている獣の長い尾を振ってみせた。その尻尾のうごきをダムトはじっと見る。
「その魔獣、ずいぶん気に入ったようですね」
「ええ、この子は空を飛べるし、戦えるんだもの。仲間にできたらいい戦力になるわ」
「クロア様は戦いの想定ばかりなさいますね」
「みんながわたしに期待することも、それでしょ?」
「はい、クロア様は戦闘以外の能力が並以下ですから」
従者は無礼な真実を打ち明けた。クロアは機嫌をそこねるが、彼の言葉を否定はしない。クロアは次期領主に要求される内政能力には日々不足を感じている。貴人のたしなみとしてそなえるべき教養にも抜けがある。婦人の美徳とすべき家事仕事も下手だ。取り柄といえばこの怪力と、強敵にも臆さず戦える胆力。これらの長所はまっこと戦闘で存分に発揮できる能力だ。このように明確な長所と短所をもつクロアは、町の戦力問題は自分が解決すべきことだ、という義務感が自然と芽生えた。
クロアに不遜な物言いをするダムトもまた、戦闘面に秀でている。それゆえ彼はクロアの護衛役になった。クロアの幼いころから側仕えしているので、クロアの隣りにいることが当たり前になっている。だがいまのクロアは幼少時とはちがい、自分で身を守れる。腕扱きの護衛はもはや必要ない。代わりにダムトの能力は戦力不足にあえぐ町に活用させたら、という発想がクロアに生まれる。
「ねえ、あなた警備兵の指導をしてみない?」
「突拍子がないですね」
ダムトは別段その提案が良いともわるいとも感じていなさそうな、いつも通りの顔でいる。
「俺の小言にうんざりしたから、別の部署に回すおつもりですか」
「そうではないの。アンペレの兵士は……弱小でしょ」
「はい。長年、弱いままです」
「強い指導者が訓練をほどこせばマシになるんじゃなくて?」
「その指導者をどう見つけるんです?」
「それがあなたよ」
あらたな職務が提示された従者は「ムリです」と断言する。
「俺は槍や剣のたぐいを他人に教えられる技量がありません」
「使えないことはないじゃない」
「我流ですよ。俺個人に合った動作を兵士に習わせるのは効率がわるい」
「じゃああなたならどうするの?」
「ごく一般的な槍術を学んだ方をお呼びしたらよいかと思います」
「槍がいいの?」
「素人は槍の扱いを学んだほうが、早く使いものになります」
この国の軍隊も、兵士には一般的に槍を支給する。その理由には宗教的な論もあるが、内実は合理的だ。武器が大量生産しやすいこと、兵士の能力差に関わらず訓練がしやすいこと、たとえ棒立ちしかできぬ一般人であっても槍を構えていれば牽制には使えること。アンペレの弱卒はとりわけ消極的な利点によって槍を装備する。だがこれといった槍の名手はこの町にいない。
「んー、槍の名人をうちにまねく方法……」
「剣でも弓でもよいのですがね。そういう方をこちらから捜しに行くのはむずかしいでしょう」
「わかってるわ。わたしはめったなことじゃ外出許可が出ないし、長い期間あなたを遠方にやらせるわけにもいかないんでしょ」
「そうです。俺はあなたの護衛役ですから、何十日も町を離れていられません」
「強い人がくるのを待つしかないのかしら?」
「アンペレに武芸の達人が訪れるとしたら、隣りの剣王国か聖都に用事のある『ついで』な方ばかりでしょう。この町に根差すことはないと思いますよ」
「だから大都市の聖都や強い戦士を重用する剣王国に人材が流れるわけね」
「そこであぶれた弱い戦士がこの町に集まる仕組みです」
ダムトが容赦なく言い捨てる。まぎれもない事実だ。クロアは無言で肯定した。
外門より人影が走ってきた。その人物は橙色の短髪を上下に揺らしてくる。背丈こそそれなりにあるが、体つきはか細い。どこから活力が湧くのか不思議なくらい貧相だ。
「レジィ、あわててどうしたの?」
橙の髪の少女がクロアの前で止まる。深呼吸をしたのち、クロアに笑顔を見せる。
「お迎えに来たんです。朱色の獣を担ぐ赤銅色の髪の人と、飛馬を引く空色の髪の人が町の外にいると聞いたものだから」
「そう、出迎えてくれてありがとう」
レジィはダムトと同じ役職にある従者だ。ただし得意分野が異なる。彼女は傷を癒す療術使いである。戦闘には不向きなために今回は置いてけぼりをくった。
「おケガはありませんか? あの、魔獣のほうも」
「わたしたちは無傷よ。でも魔獣は検分していないの。屋敷に着いたら看てあげましょ」
はい、とレジィが元気な返事をする。
「荷台にその魔獣をのせませんか?」
「荷台を用意してくれたの?」
「そうなんです。クロアさまが徒歩で帰ってこられているから、きっと飛馬は使えない状態なんだろう、って話になって。ここからは魔獣の運搬をほかの者に任せてください。屋敷には飛馬に乗ってもどりましょう。クノードさまは飛馬の使用許可を出しています」
この町では空を飛べる獣の使用には制限がある。基本的に領主の許可がないときは普通の牛馬と同様、町中では地べたを移動させねばならない。その規則は領主一家にも適用される。この徹底ぶりは外敵への対処方法にとぼしい町における自衛策でもあった。もしこの規則がなかったら、ならず者たちが大量に飛獣を町の上空に飛ばせてもよいことになる。それだけですめばよいが、その際に町への攻撃を仕掛けようものなら、町には甚大な被害が出る。人為的な空からの奇襲を未然に回避するための規則だ。
ただし今回は飛来した魔獣の討伐のためにクロアが飛馬を駆りだした。そのことは周知されている。帰還のおりに飛馬を飛ばす状況は予想しうること。わざわざ帰りの使用許可を出さずとも兵士らは見逃しそうだが、そこを丁寧に配慮してくれた父の厚意にクロアはうれしくなる。
「わかったわ。お父さまの指示に従います」
クロアがレジィと話すうちに、荷台を引く馬が到着していた。馬の進行方向が町中へ向きなおるのをクロアが待ったあと、荷台に獣を載せた。そのあとは馬を引く者たちが対処する。網で巻いた獣がずり落ちないよう、縄で固定していった。ダムトが「帰りましょう」とクロアに飛馬の騎乗をすすめる。
「レジィと二人で行けますか?」
「あら、あなたはいいの?」
「魔獣の監視が必要でしょう。俺は荷台についていきます」
たしかに魔獣のそばには強者を付けさせておくべきだとクロアは思った。もし魔獣が輸送中に起きた場合、ダムト以外の兵士では対応しきれず、また逃がす可能性が高い。
「そうね……レジィ、さきに乗ってくれる?」
クロアは少女の従者に同乗を勧めた。レジィが飛馬に乗り、その後ろにクロアがまたがる。二人が騎乗するとダムトは飛馬の頬をなでて「屋敷までたのむ」と言った。飛馬はゆっくり上昇する。外壁を超える高度に上がると、まっすぐ屋敷へ飛んだ。その速度は魔獣を追いかけたときとは段違いに遅く、のんびりしていた。
クロアの住む町の名はアンペレといい、周囲が外壁でかこまれている。その壁は何度かの拡張の痕跡があった。この町は種々様々な工房を擁する。ゆえに、事業が発展していくと必要な敷地面積も広くなる。
(工業がさかんなのは誇らしいことよ。でも……)
クロアは外壁に立つ哨兵を見あげた。彼らは外壁の上で警護の任に就いている。同種の警備兵が町中や領主の屋敷にも配備してあった。それらの外見はいかにも兵士である。だがその実態は兵士の存在を人々に見せつけるための、武芸の腕は素人の寄せあつめ──とはクロアの感覚だ。すべての兵士には基礎的な武術を仕込んである。一応はずぶの素人ではない。だがいざ町中に不届き者が現れても取り逃がす、そんな失態が多々起きた。そのほとんどはクロアがその場にいれば捕縛できたであろう、ただの盗人だった。
今回クロアが捕まえた魔獣も、本来は見張りの兵士が撃退できるだけの備えがあった。この朱色の魔獣は翼こそないが空を飛べる。この個体も飛馬同様の飛獣である。町の外壁には、こういった飛来する敵にも対抗しうる投擲兵器が設置してあるのだ。兵器をうまく使えば魔獣を遠ざけ、民衆の被害をなくせた。彼ら兵士には自力で戦う能力も、兵器を有効活用する技術も欠けている。その事実を思い出したクロアは思わず嘆息した。
「クロア様がため息を吐くとは、らしくありませんね」
飛馬の手綱を引くダムトが言う。
「魔獣の運搬をしたせいでお疲れになりましたか」
クロアの肩には朱色の魔獣が全体重を預けた状態でいる。いまなお気絶中だ。この獣の重さにクロアの不興は生まれず、むしろ毛皮の温かさに幸福感を得ている。
「このくらい平気よ」
クロアは片手に持っている獣の長い尾を振ってみせた。その尻尾のうごきをダムトはじっと見る。
「その魔獣、ずいぶん気に入ったようですね」
「ええ、この子は空を飛べるし、戦えるんだもの。仲間にできたらいい戦力になるわ」
「クロア様は戦いの想定ばかりなさいますね」
「みんながわたしに期待することも、それでしょ?」
「はい、クロア様は戦闘以外の能力が並以下ですから」
従者は無礼な真実を打ち明けた。クロアは機嫌をそこねるが、彼の言葉を否定はしない。クロアは次期領主に要求される内政能力には日々不足を感じている。貴人のたしなみとしてそなえるべき教養にも抜けがある。婦人の美徳とすべき家事仕事も下手だ。取り柄といえばこの怪力と、強敵にも臆さず戦える胆力。これらの長所はまっこと戦闘で存分に発揮できる能力だ。このように明確な長所と短所をもつクロアは、町の戦力問題は自分が解決すべきことだ、という義務感が自然と芽生えた。
クロアに不遜な物言いをするダムトもまた、戦闘面に秀でている。それゆえ彼はクロアの護衛役になった。クロアの幼いころから側仕えしているので、クロアの隣りにいることが当たり前になっている。だがいまのクロアは幼少時とはちがい、自分で身を守れる。腕扱きの護衛はもはや必要ない。代わりにダムトの能力は戦力不足にあえぐ町に活用させたら、という発想がクロアに生まれる。
「ねえ、あなた警備兵の指導をしてみない?」
「突拍子がないですね」
ダムトは別段その提案が良いともわるいとも感じていなさそうな、いつも通りの顔でいる。
「俺の小言にうんざりしたから、別の部署に回すおつもりですか」
「そうではないの。アンペレの兵士は……弱小でしょ」
「はい。長年、弱いままです」
「強い指導者が訓練をほどこせばマシになるんじゃなくて?」
「その指導者をどう見つけるんです?」
「それがあなたよ」
あらたな職務が提示された従者は「ムリです」と断言する。
「俺は槍や剣のたぐいを他人に教えられる技量がありません」
「使えないことはないじゃない」
「我流ですよ。俺個人に合った動作を兵士に習わせるのは効率がわるい」
「じゃああなたならどうするの?」
「ごく一般的な槍術を学んだ方をお呼びしたらよいかと思います」
「槍がいいの?」
「素人は槍の扱いを学んだほうが、早く使いものになります」
この国の軍隊も、兵士には一般的に槍を支給する。その理由には宗教的な論もあるが、内実は合理的だ。武器が大量生産しやすいこと、兵士の能力差に関わらず訓練がしやすいこと、たとえ棒立ちしかできぬ一般人であっても槍を構えていれば牽制には使えること。アンペレの弱卒はとりわけ消極的な利点によって槍を装備する。だがこれといった槍の名手はこの町にいない。
「んー、槍の名人をうちにまねく方法……」
「剣でも弓でもよいのですがね。そういう方をこちらから捜しに行くのはむずかしいでしょう」
「わかってるわ。わたしはめったなことじゃ外出許可が出ないし、長い期間あなたを遠方にやらせるわけにもいかないんでしょ」
「そうです。俺はあなたの護衛役ですから、何十日も町を離れていられません」
「強い人がくるのを待つしかないのかしら?」
「アンペレに武芸の達人が訪れるとしたら、隣りの剣王国か聖都に用事のある『ついで』な方ばかりでしょう。この町に根差すことはないと思いますよ」
「だから大都市の聖都や強い戦士を重用する剣王国に人材が流れるわけね」
「そこであぶれた弱い戦士がこの町に集まる仕組みです」
ダムトが容赦なく言い捨てる。まぎれもない事実だ。クロアは無言で肯定した。
外門より人影が走ってきた。その人物は橙色の短髪を上下に揺らしてくる。背丈こそそれなりにあるが、体つきはか細い。どこから活力が湧くのか不思議なくらい貧相だ。
「レジィ、あわててどうしたの?」
橙の髪の少女がクロアの前で止まる。深呼吸をしたのち、クロアに笑顔を見せる。
「お迎えに来たんです。朱色の獣を担ぐ赤銅色の髪の人と、飛馬を引く空色の髪の人が町の外にいると聞いたものだから」
「そう、出迎えてくれてありがとう」
レジィはダムトと同じ役職にある従者だ。ただし得意分野が異なる。彼女は傷を癒す療術使いである。戦闘には不向きなために今回は置いてけぼりをくった。
「おケガはありませんか? あの、魔獣のほうも」
「わたしたちは無傷よ。でも魔獣は検分していないの。屋敷に着いたら看てあげましょ」
はい、とレジィが元気な返事をする。
「荷台にその魔獣をのせませんか?」
「荷台を用意してくれたの?」
「そうなんです。クロアさまが徒歩で帰ってこられているから、きっと飛馬は使えない状態なんだろう、って話になって。ここからは魔獣の運搬をほかの者に任せてください。屋敷には飛馬に乗ってもどりましょう。クノードさまは飛馬の使用許可を出しています」
この町では空を飛べる獣の使用には制限がある。基本的に領主の許可がないときは普通の牛馬と同様、町中では地べたを移動させねばならない。その規則は領主一家にも適用される。この徹底ぶりは外敵への対処方法にとぼしい町における自衛策でもあった。もしこの規則がなかったら、ならず者たちが大量に飛獣を町の上空に飛ばせてもよいことになる。それだけですめばよいが、その際に町への攻撃を仕掛けようものなら、町には甚大な被害が出る。人為的な空からの奇襲を未然に回避するための規則だ。
ただし今回は飛来した魔獣の討伐のためにクロアが飛馬を駆りだした。そのことは周知されている。帰還のおりに飛馬を飛ばす状況は予想しうること。わざわざ帰りの使用許可を出さずとも兵士らは見逃しそうだが、そこを丁寧に配慮してくれた父の厚意にクロアはうれしくなる。
「わかったわ。お父さまの指示に従います」
クロアがレジィと話すうちに、荷台を引く馬が到着していた。馬の進行方向が町中へ向きなおるのをクロアが待ったあと、荷台に獣を載せた。そのあとは馬を引く者たちが対処する。網で巻いた獣がずり落ちないよう、縄で固定していった。ダムトが「帰りましょう」とクロアに飛馬の騎乗をすすめる。
「レジィと二人で行けますか?」
「あら、あなたはいいの?」
「魔獣の監視が必要でしょう。俺は荷台についていきます」
たしかに魔獣のそばには強者を付けさせておくべきだとクロアは思った。もし魔獣が輸送中に起きた場合、ダムト以外の兵士では対応しきれず、また逃がす可能性が高い。
「そうね……レジィ、さきに乗ってくれる?」
クロアは少女の従者に同乗を勧めた。レジィが飛馬に乗り、その後ろにクロアがまたがる。二人が騎乗するとダムトは飛馬の頬をなでて「屋敷までたのむ」と言った。飛馬はゆっくり上昇する。外壁を超える高度に上がると、まっすぐ屋敷へ飛んだ。その速度は魔獣を追いかけたときとは段違いに遅く、のんびりしていた。
タグ:クロア
2019年01月14日
クロア篇−1章1
山中の岩壁に洞窟があった。洞窟の中は横幅および高さがある。広さは人ひとりが雨宿りに利用するには広すぎるほど。その洞窟内に、一体の獣が逃げこんだ。それを二人の男女が追いかける。獣は洞窟内の突き当たりで止まり、追跡者のいるほうへ向きなおった。
獣は虎に似た特徴をもち、燃えるような朱色の毛皮を逆立たせている。いまにも飛びかからんという姿勢で人間に牙を見せた。獣は闘争心にあふれている。そんな猛獣を目前にした人間は落ち着きはらっていた。彼らは簡単な武装をしており、獣との応戦はこの場へ行きつくまでに何度か交わした。形勢は人側が優位である。だが二人は慢心しなかった。追い詰められた獣が死力をふるうあがきには、容易に人命を刈り取る暴力が内在するからだ。
長身の女は先端に宝石のついた杖を構える。
「こわがる必要はなくってよ」
杖の先端で獣の喉元をしめす。彼女のねらいは一点、獣の喉に埋まる赤い石だ。
女は杖の柄にある小さな突起物を押した。宝石がいきおいよく射出する。弾丸となった宝石は獣へ直進した。獣は跳躍し、女の攻撃を回避する。宙に上がった獣の頭上に、網が展開した。これは女の後方にひかえた男が放ったものだ。網の端々には重りがついていた。その重量にしたがって網は下降する。獣は網の下敷きとなり、地べたへ落下した。朱色の獣は網を外そうともがく。そのせいで余計に網が絡まっていった。これで拘束は成功した。
「でかしたわ、ダムト。あとは赤い石を壊すだけ……」
獣はうなり声をあげた。咆哮を放つために頭をもたげた瞬間を、女は見逃さなかった。
あらわになった獣の首元に、杖を一突きする。ぱきん、と乾いた音が鳴る。同時に獣の叫びが洞窟を震わせる。男女はあわてて耳をふさぎ、轟音に耐えた。
耳をつんざく音が鳴りやんだ。朱色の獣はぐったりとその場に伏す。そのさまを確認した女は堂々と獣のそばでしゃがんだ。地面にはたったいま破壊した赤い石がちらばっている。女は赤い欠片をつまみ、その石を観察する。
「この石が魔獣を支配する道具ね。さ、回収してちょうだい」
女はあまり関心のない雑事をダムトという男に押し付けた。従者である彼は素直に応じる。ダムトは持参した空の巾着をひろげ、石の破片を入れていく。彼の視線は次第に獣へうつる。
「クロア様、魔獣のほうはいかがします?」
ダムトが主人に問うた。しかし彼は主人が獣をどうするつもりなのかわかっていた。この問いは彼なりの確認である。
クロアはふふんと鼻をならす。
「持ち帰るわ。石付きの魔獣を救助したあとは、仲間に引き入れるものなのよ」
それはクロアがここ最近の伝聞で知ったやり取りだった。赤い石によって正気を失った魔獣を、人が打ち倒し、その健闘をたたえて魔獣が人の仲間になるという。
「そういう事例はありますけど、この魔獣がクロア様を認めるかは別の話でしょう?」
ダムトはクロアの見込みが軽率だと言いたげだ。この従者はいつも主人に対して不遜な物言いをする。そのわるいクセが出たのだとクロアは不快に感じる。
「またそんなイジワルを言うのね」
「危機管理の面で苦言を申しているのです。魔獣がみな、助けられた恩義を感じる保証はありません。むしろ人がしでかした不始末を恨んで、我々に牙をむくやもしれません」
赤い石に狂わされた魔獣とは人の手によって生み出された生き物だ。魔獣を苦しめる人と助けた人が別ではあっても、他種族である生き物から見れば同じ人間の仕業だと判断するおそれはある。クロアは従者の意見が正論だろうと思い、
「そのときはもう一回、負かすわ」
と、彼らが想像する魔獣と大差ない好戦的な判断をくだした。
「領民への被害が出ないようにしてくださいね」
ダムトは主人の意向にそむかぬ助言をしておいた。主人はこの魔獣を欲する理由がある。だからどんな説得も聞きはしないというあきらめがついていた。
従者の赤い石を集める作業はおわった。彼は石の入った袋を自身の腰に提げる。次に魔獣の捕獲に使用した投網を再度魔獣に巻きつけ、申し訳程度に拘束を強める。彼が魔獣を担ごうとしたのを、クロアが止める。
「わたしが運ぶわ」
魔獣の運搬はクロア個人のわがままだ。そのため、クロアは自分の手で行なうべきことだと思っていた。なにより、単純な腕力ではクロアのほうが秀でている。それが彼女の生まれついての特性だ。人でない魔障の者の血が、その身体能力を開花させていた。
クロアは魔獣を仕留めた杖を腰の携帯用帯に差した。空いた両手を魔獣の腹の下に入れる。獣の巨躯を軽々と持ち上げ、右肩に獣の腹を乗せる。獣の後ろ足が自身の胸当てにかかった。獣を担いだ状態で歩いてみると、獣の太く長い尾を引きずってしまう。クロアは空いている左手で尻尾を持つ。毛の密集した尾はふわふわして温かい。
「あら、いい毛並みね」
「愛玩用にするのですか?」
「まさか。かわいいだけのものはいらないわ」
クロアは実用性のあるものをこのむ。そうでないと玩具をほしがる子どものようだ、という強迫観念にも似た嫌悪があった。幼く見られたくない理由は両親にある。クロアの両親はいまだに娘を子どもあつかいして、単独での私的な遠出を許可しない。こたびの魔獣討伐も、民衆を助ける名目での公的な職務である。クロア個人が希望した外出ではない。
(これだけの成果をあげたら、一人前だと思ってもらえるかしら)
クロアたちが追ってきた魔獣は町民をおびやかしていた。当然、町の安全を守る兵は魔獣を倒そうとしたが、彼らでは力かなわず、クロアに出番が回ってきた。難敵をくだしたクロアにはきっと周囲の称賛がもらえる。こうした功績を積み重ねていけば、いずれクロアは両親から一人立ちを認められるだろう。
いっぱしの大人あつかいされることは誇らしい。反面、厄介だと思う気持ちもあった。クロアが立派な大人になってしまうと、親の跡目をいつでも引き受けてよいということになる。それは父親が重大な責務を背負う立場でいる以上、困難が多数待ち受けることを意味する。その重圧は測りしれない。とにかくいまのクロアでは到底掌握できない責務だと思っている。大人が有する自由はほしいが、課せられる義務の多さには尻込みしてしまう──いつしか、そんな矛盾した思いを抱えるようになった。
討伐の成果を得た二人は洞窟を出る。外には装飾品を帯びた有翼の馬がいた。この馬は二人がこの場へ到着するまでの移動手段にもちいた。一般名称を飛馬という。
ダムトが飛馬の鞍に手を置く。鞍の幅は一般的な成人が二人乗れるくらいだ。
「魔獣の重さはどうです? 人間二人分なら飛馬に運ばせることもできますが」
「たぶんそれぐらいだわ。乗せてみましょ」
クロアは魔獣の後ろ足を鞍に乗せようとした。だが飛馬は離れていく。クロアがまた一歩飛馬に寄ってみても結果は同じ。
「怖いのかしら」
「捕食される側ですからね」
飛馬は意識のない魔獣をおそれているらしい。クロアはその根性にあきれる。
「だらしない飛馬ね。これが飛竜だったら魔獣の一匹くらい、なんてことないでしょうに」
「戦闘向きの調練をしていない個体なんでしょう」
クロアは飛馬での魔獣運搬をあきらめ、自力で運ぶことにした。ダムトが飛馬の手綱を握り、町へと歩を進めた。帰路の最中、二人は今日の討伐を反省する。
「無事捕縛できたからよいものの、魔獣退治は普通、こんな少人数で行なうものではないですよ」
「わたしとあなた以上の適役がいないのだもの。当然の結果よ」
「そんな状態が異常だとは思いませんか」
「思ってどうなるの。思うだけで強い兵士があつまるのなら、お父さまは苦労してないわ」
クロアの父は現役の領主。住民に危害を加える物事への対処が政務のうちに数えられる。実情、その危害に対して領主は十全な対策が実行できていない。彼自身には戦う能力があるのだが、たったひとりの将が奮闘しても、やれることには限界がある。
(どーしたら強い人があつまるのかしらね?)
その問題はこの地域を管轄する領主が長年なやみ続けてきたことだった。
獣は虎に似た特徴をもち、燃えるような朱色の毛皮を逆立たせている。いまにも飛びかからんという姿勢で人間に牙を見せた。獣は闘争心にあふれている。そんな猛獣を目前にした人間は落ち着きはらっていた。彼らは簡単な武装をしており、獣との応戦はこの場へ行きつくまでに何度か交わした。形勢は人側が優位である。だが二人は慢心しなかった。追い詰められた獣が死力をふるうあがきには、容易に人命を刈り取る暴力が内在するからだ。
長身の女は先端に宝石のついた杖を構える。
「こわがる必要はなくってよ」
杖の先端で獣の喉元をしめす。彼女のねらいは一点、獣の喉に埋まる赤い石だ。
女は杖の柄にある小さな突起物を押した。宝石がいきおいよく射出する。弾丸となった宝石は獣へ直進した。獣は跳躍し、女の攻撃を回避する。宙に上がった獣の頭上に、網が展開した。これは女の後方にひかえた男が放ったものだ。網の端々には重りがついていた。その重量にしたがって網は下降する。獣は網の下敷きとなり、地べたへ落下した。朱色の獣は網を外そうともがく。そのせいで余計に網が絡まっていった。これで拘束は成功した。
「でかしたわ、ダムト。あとは赤い石を壊すだけ……」
獣はうなり声をあげた。咆哮を放つために頭をもたげた瞬間を、女は見逃さなかった。
あらわになった獣の首元に、杖を一突きする。ぱきん、と乾いた音が鳴る。同時に獣の叫びが洞窟を震わせる。男女はあわてて耳をふさぎ、轟音に耐えた。
耳をつんざく音が鳴りやんだ。朱色の獣はぐったりとその場に伏す。そのさまを確認した女は堂々と獣のそばでしゃがんだ。地面にはたったいま破壊した赤い石がちらばっている。女は赤い欠片をつまみ、その石を観察する。
「この石が魔獣を支配する道具ね。さ、回収してちょうだい」
女はあまり関心のない雑事をダムトという男に押し付けた。従者である彼は素直に応じる。ダムトは持参した空の巾着をひろげ、石の破片を入れていく。彼の視線は次第に獣へうつる。
「クロア様、魔獣のほうはいかがします?」
ダムトが主人に問うた。しかし彼は主人が獣をどうするつもりなのかわかっていた。この問いは彼なりの確認である。
クロアはふふんと鼻をならす。
「持ち帰るわ。石付きの魔獣を救助したあとは、仲間に引き入れるものなのよ」
それはクロアがここ最近の伝聞で知ったやり取りだった。赤い石によって正気を失った魔獣を、人が打ち倒し、その健闘をたたえて魔獣が人の仲間になるという。
「そういう事例はありますけど、この魔獣がクロア様を認めるかは別の話でしょう?」
ダムトはクロアの見込みが軽率だと言いたげだ。この従者はいつも主人に対して不遜な物言いをする。そのわるいクセが出たのだとクロアは不快に感じる。
「またそんなイジワルを言うのね」
「危機管理の面で苦言を申しているのです。魔獣がみな、助けられた恩義を感じる保証はありません。むしろ人がしでかした不始末を恨んで、我々に牙をむくやもしれません」
赤い石に狂わされた魔獣とは人の手によって生み出された生き物だ。魔獣を苦しめる人と助けた人が別ではあっても、他種族である生き物から見れば同じ人間の仕業だと判断するおそれはある。クロアは従者の意見が正論だろうと思い、
「そのときはもう一回、負かすわ」
と、彼らが想像する魔獣と大差ない好戦的な判断をくだした。
「領民への被害が出ないようにしてくださいね」
ダムトは主人の意向にそむかぬ助言をしておいた。主人はこの魔獣を欲する理由がある。だからどんな説得も聞きはしないというあきらめがついていた。
従者の赤い石を集める作業はおわった。彼は石の入った袋を自身の腰に提げる。次に魔獣の捕獲に使用した投網を再度魔獣に巻きつけ、申し訳程度に拘束を強める。彼が魔獣を担ごうとしたのを、クロアが止める。
「わたしが運ぶわ」
魔獣の運搬はクロア個人のわがままだ。そのため、クロアは自分の手で行なうべきことだと思っていた。なにより、単純な腕力ではクロアのほうが秀でている。それが彼女の生まれついての特性だ。人でない魔障の者の血が、その身体能力を開花させていた。
クロアは魔獣を仕留めた杖を腰の携帯用帯に差した。空いた両手を魔獣の腹の下に入れる。獣の巨躯を軽々と持ち上げ、右肩に獣の腹を乗せる。獣の後ろ足が自身の胸当てにかかった。獣を担いだ状態で歩いてみると、獣の太く長い尾を引きずってしまう。クロアは空いている左手で尻尾を持つ。毛の密集した尾はふわふわして温かい。
「あら、いい毛並みね」
「愛玩用にするのですか?」
「まさか。かわいいだけのものはいらないわ」
クロアは実用性のあるものをこのむ。そうでないと玩具をほしがる子どものようだ、という強迫観念にも似た嫌悪があった。幼く見られたくない理由は両親にある。クロアの両親はいまだに娘を子どもあつかいして、単独での私的な遠出を許可しない。こたびの魔獣討伐も、民衆を助ける名目での公的な職務である。クロア個人が希望した外出ではない。
(これだけの成果をあげたら、一人前だと思ってもらえるかしら)
クロアたちが追ってきた魔獣は町民をおびやかしていた。当然、町の安全を守る兵は魔獣を倒そうとしたが、彼らでは力かなわず、クロアに出番が回ってきた。難敵をくだしたクロアにはきっと周囲の称賛がもらえる。こうした功績を積み重ねていけば、いずれクロアは両親から一人立ちを認められるだろう。
いっぱしの大人あつかいされることは誇らしい。反面、厄介だと思う気持ちもあった。クロアが立派な大人になってしまうと、親の跡目をいつでも引き受けてよいということになる。それは父親が重大な責務を背負う立場でいる以上、困難が多数待ち受けることを意味する。その重圧は測りしれない。とにかくいまのクロアでは到底掌握できない責務だと思っている。大人が有する自由はほしいが、課せられる義務の多さには尻込みしてしまう──いつしか、そんな矛盾した思いを抱えるようになった。
討伐の成果を得た二人は洞窟を出る。外には装飾品を帯びた有翼の馬がいた。この馬は二人がこの場へ到着するまでの移動手段にもちいた。一般名称を飛馬という。
ダムトが飛馬の鞍に手を置く。鞍の幅は一般的な成人が二人乗れるくらいだ。
「魔獣の重さはどうです? 人間二人分なら飛馬に運ばせることもできますが」
「たぶんそれぐらいだわ。乗せてみましょ」
クロアは魔獣の後ろ足を鞍に乗せようとした。だが飛馬は離れていく。クロアがまた一歩飛馬に寄ってみても結果は同じ。
「怖いのかしら」
「捕食される側ですからね」
飛馬は意識のない魔獣をおそれているらしい。クロアはその根性にあきれる。
「だらしない飛馬ね。これが飛竜だったら魔獣の一匹くらい、なんてことないでしょうに」
「戦闘向きの調練をしていない個体なんでしょう」
クロアは飛馬での魔獣運搬をあきらめ、自力で運ぶことにした。ダムトが飛馬の手綱を握り、町へと歩を進めた。帰路の最中、二人は今日の討伐を反省する。
「無事捕縛できたからよいものの、魔獣退治は普通、こんな少人数で行なうものではないですよ」
「わたしとあなた以上の適役がいないのだもの。当然の結果よ」
「そんな状態が異常だとは思いませんか」
「思ってどうなるの。思うだけで強い兵士があつまるのなら、お父さまは苦労してないわ」
クロアの父は現役の領主。住民に危害を加える物事への対処が政務のうちに数えられる。実情、その危害に対して領主は十全な対策が実行できていない。彼自身には戦う能力があるのだが、たったひとりの将が奮闘しても、やれることには限界がある。
(どーしたら強い人があつまるのかしらね?)
その問題はこの地域を管轄する領主が長年なやみ続けてきたことだった。
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