2019年01月16日
クロア篇−1章2
クロアたちは自分たちが住む町をめざした。クロアが魔獣を担ぐ間は飛馬が使えないので、行きの数倍の時間をかけて歩く。町を発ったのが午前。魔獣を捕獲し、町の遠景を発見したころには昼食時を大きく過ぎていた。飛馬を利用すればまたたく間に行ける道のりが、徒歩ではかなりの時間を食う。クロアは飛馬のありがたみを痛感した。
クロアの住む町の名はアンペレといい、周囲が外壁でかこまれている。その壁は何度かの拡張の痕跡があった。この町は種々様々な工房を擁する。ゆえに、事業が発展していくと必要な敷地面積も広くなる。
(工業がさかんなのは誇らしいことよ。でも……)
クロアは外壁に立つ哨兵を見あげた。彼らは外壁の上で警護の任に就いている。同種の警備兵が町中や領主の屋敷にも配備してあった。それらの外見はいかにも兵士である。だがその実態は兵士の存在を人々に見せつけるための、武芸の腕は素人の寄せあつめ──とはクロアの感覚だ。すべての兵士には基礎的な武術を仕込んである。一応はずぶの素人ではない。だがいざ町中に不届き者が現れても取り逃がす、そんな失態が多々起きた。そのほとんどはクロアがその場にいれば捕縛できたであろう、ただの盗人だった。
今回クロアが捕まえた魔獣も、本来は見張りの兵士が撃退できるだけの備えがあった。この朱色の魔獣は翼こそないが空を飛べる。この個体も飛馬同様の飛獣である。町の外壁には、こういった飛来する敵にも対抗しうる投擲兵器が設置してあるのだ。兵器をうまく使えば魔獣を遠ざけ、民衆の被害をなくせた。彼ら兵士には自力で戦う能力も、兵器を有効活用する技術も欠けている。その事実を思い出したクロアは思わず嘆息した。
「クロア様がため息を吐くとは、らしくありませんね」
飛馬の手綱を引くダムトが言う。
「魔獣の運搬をしたせいでお疲れになりましたか」
クロアの肩には朱色の魔獣が全体重を預けた状態でいる。いまなお気絶中だ。この獣の重さにクロアの不興は生まれず、むしろ毛皮の温かさに幸福感を得ている。
「このくらい平気よ」
クロアは片手に持っている獣の長い尾を振ってみせた。その尻尾のうごきをダムトはじっと見る。
「その魔獣、ずいぶん気に入ったようですね」
「ええ、この子は空を飛べるし、戦えるんだもの。仲間にできたらいい戦力になるわ」
「クロア様は戦いの想定ばかりなさいますね」
「みんながわたしに期待することも、それでしょ?」
「はい、クロア様は戦闘以外の能力が並以下ですから」
従者は無礼な真実を打ち明けた。クロアは機嫌をそこねるが、彼の言葉を否定はしない。クロアは次期領主に要求される内政能力には日々不足を感じている。貴人のたしなみとしてそなえるべき教養にも抜けがある。婦人の美徳とすべき家事仕事も下手だ。取り柄といえばこの怪力と、強敵にも臆さず戦える胆力。これらの長所はまっこと戦闘で存分に発揮できる能力だ。このように明確な長所と短所をもつクロアは、町の戦力問題は自分が解決すべきことだ、という義務感が自然と芽生えた。
クロアに不遜な物言いをするダムトもまた、戦闘面に秀でている。それゆえ彼はクロアの護衛役になった。クロアの幼いころから側仕えしているので、クロアの隣りにいることが当たり前になっている。だがいまのクロアは幼少時とはちがい、自分で身を守れる。腕扱きの護衛はもはや必要ない。代わりにダムトの能力は戦力不足にあえぐ町に活用させたら、という発想がクロアに生まれる。
「ねえ、あなた警備兵の指導をしてみない?」
「突拍子がないですね」
ダムトは別段その提案が良いともわるいとも感じていなさそうな、いつも通りの顔でいる。
「俺の小言にうんざりしたから、別の部署に回すおつもりですか」
「そうではないの。アンペレの兵士は……弱小でしょ」
「はい。長年、弱いままです」
「強い指導者が訓練をほどこせばマシになるんじゃなくて?」
「その指導者をどう見つけるんです?」
「それがあなたよ」
あらたな職務が提示された従者は「ムリです」と断言する。
「俺は槍や剣のたぐいを他人に教えられる技量がありません」
「使えないことはないじゃない」
「我流ですよ。俺個人に合った動作を兵士に習わせるのは効率がわるい」
「じゃああなたならどうするの?」
「ごく一般的な槍術を学んだ方をお呼びしたらよいかと思います」
「槍がいいの?」
「素人は槍の扱いを学んだほうが、早く使いものになります」
この国の軍隊も、兵士には一般的に槍を支給する。その理由には宗教的な論もあるが、内実は合理的だ。武器が大量生産しやすいこと、兵士の能力差に関わらず訓練がしやすいこと、たとえ棒立ちしかできぬ一般人であっても槍を構えていれば牽制には使えること。アンペレの弱卒はとりわけ消極的な利点によって槍を装備する。だがこれといった槍の名手はこの町にいない。
「んー、槍の名人をうちにまねく方法……」
「剣でも弓でもよいのですがね。そういう方をこちらから捜しに行くのはむずかしいでしょう」
「わかってるわ。わたしはめったなことじゃ外出許可が出ないし、長い期間あなたを遠方にやらせるわけにもいかないんでしょ」
「そうです。俺はあなたの護衛役ですから、何十日も町を離れていられません」
「強い人がくるのを待つしかないのかしら?」
「アンペレに武芸の達人が訪れるとしたら、隣りの剣王国か聖都に用事のある『ついで』な方ばかりでしょう。この町に根差すことはないと思いますよ」
「だから大都市の聖都や強い戦士を重用する剣王国に人材が流れるわけね」
「そこであぶれた弱い戦士がこの町に集まる仕組みです」
ダムトが容赦なく言い捨てる。まぎれもない事実だ。クロアは無言で肯定した。
外門より人影が走ってきた。その人物は橙色の短髪を上下に揺らしてくる。背丈こそそれなりにあるが、体つきはか細い。どこから活力が湧くのか不思議なくらい貧相だ。
「レジィ、あわててどうしたの?」
橙の髪の少女がクロアの前で止まる。深呼吸をしたのち、クロアに笑顔を見せる。
「お迎えに来たんです。朱色の獣を担ぐ赤銅色の髪の人と、飛馬を引く空色の髪の人が町の外にいると聞いたものだから」
「そう、出迎えてくれてありがとう」
レジィはダムトと同じ役職にある従者だ。ただし得意分野が異なる。彼女は傷を癒す療術使いである。戦闘には不向きなために今回は置いてけぼりをくった。
「おケガはありませんか? あの、魔獣のほうも」
「わたしたちは無傷よ。でも魔獣は検分していないの。屋敷に着いたら看てあげましょ」
はい、とレジィが元気な返事をする。
「荷台にその魔獣をのせませんか?」
「荷台を用意してくれたの?」
「そうなんです。クロアさまが徒歩で帰ってこられているから、きっと飛馬は使えない状態なんだろう、って話になって。ここからは魔獣の運搬をほかの者に任せてください。屋敷には飛馬に乗ってもどりましょう。クノードさまは飛馬の使用許可を出しています」
この町では空を飛べる獣の使用には制限がある。基本的に領主の許可がないときは普通の牛馬と同様、町中では地べたを移動させねばならない。その規則は領主一家にも適用される。この徹底ぶりは外敵への対処方法にとぼしい町における自衛策でもあった。もしこの規則がなかったら、ならず者たちが大量に飛獣を町の上空に飛ばせてもよいことになる。それだけですめばよいが、その際に町への攻撃を仕掛けようものなら、町には甚大な被害が出る。人為的な空からの奇襲を未然に回避するための規則だ。
ただし今回は飛来した魔獣の討伐のためにクロアが飛馬を駆りだした。そのことは周知されている。帰還のおりに飛馬を飛ばす状況は予想しうること。わざわざ帰りの使用許可を出さずとも兵士らは見逃しそうだが、そこを丁寧に配慮してくれた父の厚意にクロアはうれしくなる。
「わかったわ。お父さまの指示に従います」
クロアがレジィと話すうちに、荷台を引く馬が到着していた。馬の進行方向が町中へ向きなおるのをクロアが待ったあと、荷台に獣を載せた。そのあとは馬を引く者たちが対処する。網で巻いた獣がずり落ちないよう、縄で固定していった。ダムトが「帰りましょう」とクロアに飛馬の騎乗をすすめる。
「レジィと二人で行けますか?」
「あら、あなたはいいの?」
「魔獣の監視が必要でしょう。俺は荷台についていきます」
たしかに魔獣のそばには強者を付けさせておくべきだとクロアは思った。もし魔獣が輸送中に起きた場合、ダムト以外の兵士では対応しきれず、また逃がす可能性が高い。
「そうね……レジィ、さきに乗ってくれる?」
クロアは少女の従者に同乗を勧めた。レジィが飛馬に乗り、その後ろにクロアがまたがる。二人が騎乗するとダムトは飛馬の頬をなでて「屋敷までたのむ」と言った。飛馬はゆっくり上昇する。外壁を超える高度に上がると、まっすぐ屋敷へ飛んだ。その速度は魔獣を追いかけたときとは段違いに遅く、のんびりしていた。
クロアの住む町の名はアンペレといい、周囲が外壁でかこまれている。その壁は何度かの拡張の痕跡があった。この町は種々様々な工房を擁する。ゆえに、事業が発展していくと必要な敷地面積も広くなる。
(工業がさかんなのは誇らしいことよ。でも……)
クロアは外壁に立つ哨兵を見あげた。彼らは外壁の上で警護の任に就いている。同種の警備兵が町中や領主の屋敷にも配備してあった。それらの外見はいかにも兵士である。だがその実態は兵士の存在を人々に見せつけるための、武芸の腕は素人の寄せあつめ──とはクロアの感覚だ。すべての兵士には基礎的な武術を仕込んである。一応はずぶの素人ではない。だがいざ町中に不届き者が現れても取り逃がす、そんな失態が多々起きた。そのほとんどはクロアがその場にいれば捕縛できたであろう、ただの盗人だった。
今回クロアが捕まえた魔獣も、本来は見張りの兵士が撃退できるだけの備えがあった。この朱色の魔獣は翼こそないが空を飛べる。この個体も飛馬同様の飛獣である。町の外壁には、こういった飛来する敵にも対抗しうる投擲兵器が設置してあるのだ。兵器をうまく使えば魔獣を遠ざけ、民衆の被害をなくせた。彼ら兵士には自力で戦う能力も、兵器を有効活用する技術も欠けている。その事実を思い出したクロアは思わず嘆息した。
「クロア様がため息を吐くとは、らしくありませんね」
飛馬の手綱を引くダムトが言う。
「魔獣の運搬をしたせいでお疲れになりましたか」
クロアの肩には朱色の魔獣が全体重を預けた状態でいる。いまなお気絶中だ。この獣の重さにクロアの不興は生まれず、むしろ毛皮の温かさに幸福感を得ている。
「このくらい平気よ」
クロアは片手に持っている獣の長い尾を振ってみせた。その尻尾のうごきをダムトはじっと見る。
「その魔獣、ずいぶん気に入ったようですね」
「ええ、この子は空を飛べるし、戦えるんだもの。仲間にできたらいい戦力になるわ」
「クロア様は戦いの想定ばかりなさいますね」
「みんながわたしに期待することも、それでしょ?」
「はい、クロア様は戦闘以外の能力が並以下ですから」
従者は無礼な真実を打ち明けた。クロアは機嫌をそこねるが、彼の言葉を否定はしない。クロアは次期領主に要求される内政能力には日々不足を感じている。貴人のたしなみとしてそなえるべき教養にも抜けがある。婦人の美徳とすべき家事仕事も下手だ。取り柄といえばこの怪力と、強敵にも臆さず戦える胆力。これらの長所はまっこと戦闘で存分に発揮できる能力だ。このように明確な長所と短所をもつクロアは、町の戦力問題は自分が解決すべきことだ、という義務感が自然と芽生えた。
クロアに不遜な物言いをするダムトもまた、戦闘面に秀でている。それゆえ彼はクロアの護衛役になった。クロアの幼いころから側仕えしているので、クロアの隣りにいることが当たり前になっている。だがいまのクロアは幼少時とはちがい、自分で身を守れる。腕扱きの護衛はもはや必要ない。代わりにダムトの能力は戦力不足にあえぐ町に活用させたら、という発想がクロアに生まれる。
「ねえ、あなた警備兵の指導をしてみない?」
「突拍子がないですね」
ダムトは別段その提案が良いともわるいとも感じていなさそうな、いつも通りの顔でいる。
「俺の小言にうんざりしたから、別の部署に回すおつもりですか」
「そうではないの。アンペレの兵士は……弱小でしょ」
「はい。長年、弱いままです」
「強い指導者が訓練をほどこせばマシになるんじゃなくて?」
「その指導者をどう見つけるんです?」
「それがあなたよ」
あらたな職務が提示された従者は「ムリです」と断言する。
「俺は槍や剣のたぐいを他人に教えられる技量がありません」
「使えないことはないじゃない」
「我流ですよ。俺個人に合った動作を兵士に習わせるのは効率がわるい」
「じゃああなたならどうするの?」
「ごく一般的な槍術を学んだ方をお呼びしたらよいかと思います」
「槍がいいの?」
「素人は槍の扱いを学んだほうが、早く使いものになります」
この国の軍隊も、兵士には一般的に槍を支給する。その理由には宗教的な論もあるが、内実は合理的だ。武器が大量生産しやすいこと、兵士の能力差に関わらず訓練がしやすいこと、たとえ棒立ちしかできぬ一般人であっても槍を構えていれば牽制には使えること。アンペレの弱卒はとりわけ消極的な利点によって槍を装備する。だがこれといった槍の名手はこの町にいない。
「んー、槍の名人をうちにまねく方法……」
「剣でも弓でもよいのですがね。そういう方をこちらから捜しに行くのはむずかしいでしょう」
「わかってるわ。わたしはめったなことじゃ外出許可が出ないし、長い期間あなたを遠方にやらせるわけにもいかないんでしょ」
「そうです。俺はあなたの護衛役ですから、何十日も町を離れていられません」
「強い人がくるのを待つしかないのかしら?」
「アンペレに武芸の達人が訪れるとしたら、隣りの剣王国か聖都に用事のある『ついで』な方ばかりでしょう。この町に根差すことはないと思いますよ」
「だから大都市の聖都や強い戦士を重用する剣王国に人材が流れるわけね」
「そこであぶれた弱い戦士がこの町に集まる仕組みです」
ダムトが容赦なく言い捨てる。まぎれもない事実だ。クロアは無言で肯定した。
外門より人影が走ってきた。その人物は橙色の短髪を上下に揺らしてくる。背丈こそそれなりにあるが、体つきはか細い。どこから活力が湧くのか不思議なくらい貧相だ。
「レジィ、あわててどうしたの?」
橙の髪の少女がクロアの前で止まる。深呼吸をしたのち、クロアに笑顔を見せる。
「お迎えに来たんです。朱色の獣を担ぐ赤銅色の髪の人と、飛馬を引く空色の髪の人が町の外にいると聞いたものだから」
「そう、出迎えてくれてありがとう」
レジィはダムトと同じ役職にある従者だ。ただし得意分野が異なる。彼女は傷を癒す療術使いである。戦闘には不向きなために今回は置いてけぼりをくった。
「おケガはありませんか? あの、魔獣のほうも」
「わたしたちは無傷よ。でも魔獣は検分していないの。屋敷に着いたら看てあげましょ」
はい、とレジィが元気な返事をする。
「荷台にその魔獣をのせませんか?」
「荷台を用意してくれたの?」
「そうなんです。クロアさまが徒歩で帰ってこられているから、きっと飛馬は使えない状態なんだろう、って話になって。ここからは魔獣の運搬をほかの者に任せてください。屋敷には飛馬に乗ってもどりましょう。クノードさまは飛馬の使用許可を出しています」
この町では空を飛べる獣の使用には制限がある。基本的に領主の許可がないときは普通の牛馬と同様、町中では地べたを移動させねばならない。その規則は領主一家にも適用される。この徹底ぶりは外敵への対処方法にとぼしい町における自衛策でもあった。もしこの規則がなかったら、ならず者たちが大量に飛獣を町の上空に飛ばせてもよいことになる。それだけですめばよいが、その際に町への攻撃を仕掛けようものなら、町には甚大な被害が出る。人為的な空からの奇襲を未然に回避するための規則だ。
ただし今回は飛来した魔獣の討伐のためにクロアが飛馬を駆りだした。そのことは周知されている。帰還のおりに飛馬を飛ばす状況は予想しうること。わざわざ帰りの使用許可を出さずとも兵士らは見逃しそうだが、そこを丁寧に配慮してくれた父の厚意にクロアはうれしくなる。
「わかったわ。お父さまの指示に従います」
クロアがレジィと話すうちに、荷台を引く馬が到着していた。馬の進行方向が町中へ向きなおるのをクロアが待ったあと、荷台に獣を載せた。そのあとは馬を引く者たちが対処する。網で巻いた獣がずり落ちないよう、縄で固定していった。ダムトが「帰りましょう」とクロアに飛馬の騎乗をすすめる。
「レジィと二人で行けますか?」
「あら、あなたはいいの?」
「魔獣の監視が必要でしょう。俺は荷台についていきます」
たしかに魔獣のそばには強者を付けさせておくべきだとクロアは思った。もし魔獣が輸送中に起きた場合、ダムト以外の兵士では対応しきれず、また逃がす可能性が高い。
「そうね……レジィ、さきに乗ってくれる?」
クロアは少女の従者に同乗を勧めた。レジィが飛馬に乗り、その後ろにクロアがまたがる。二人が騎乗するとダムトは飛馬の頬をなでて「屋敷までたのむ」と言った。飛馬はゆっくり上昇する。外壁を超える高度に上がると、まっすぐ屋敷へ飛んだ。その速度は魔獣を追いかけたときとは段違いに遅く、のんびりしていた。
タグ:クロア
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