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2019年01月05日
クロア篇に関する設定
時代はトリフ暦980年設定(現状はあまり意味のない舞台背景)
クロアの住む領地内の都市部。物作りが盛んな職人の町。
地理的に尚武の国と近い。その国の中には商売が盛んな町があり、その町へ納品する物や聖王国内に輸入する商品の流通も担う。
物を作るか商売をするかという人が集まりやすく、そのせいで武芸を志す者がよその地域に流れていく。
結果、万年兵力不足に悩まされている。
お隣の国とは仲が良いので攻められる心配はないが、領内の犯罪や害獣被害には後手に回りがち。
まともに戦える人材が限られるため、力自慢な公女に頼りきりになっている。
先代の領主の時代も当時の公子(クロアの父)が荒事の対処をしてきた実績があり、領民はそれが普通なことだと認識している。
マッドなサイエンティストが既存の生物に手を加えたという怪物。
体の一部に赤い宝石が埋まっていて、その石が宿主を凶暴化させる。
凶暴になった怪物は人を襲う被害を出すので、大陸中の者が迷惑している。
なんの目的でそのような生き物が放出されるのか、解明できていない。推測の中には「愉快犯」や「自分以外の生物を憎んでいるから」といったもっともらしい仮説が複数挙がる。
この石の影響で、元は普通の生き物が魔獣化する場合がある。ただし元から魔獣だった者も改造の被害に遭っている。
また改造対象は人間にもおよぶ。
その際に被害者は拉致されるため、人さらい事件のいくつかは一連の騒動と同じ犯人が起こしたのだと誤認されることもある。
聖王国アンペレ
クロアの住む領地内の都市部。物作りが盛んな職人の町。
地理的に尚武の国と近い。その国の中には商売が盛んな町があり、その町へ納品する物や聖王国内に輸入する商品の流通も担う。
物を作るか商売をするかという人が集まりやすく、そのせいで武芸を志す者がよその地域に流れていく。
結果、万年兵力不足に悩まされている。
お隣の国とは仲が良いので攻められる心配はないが、領内の犯罪や害獣被害には後手に回りがち。
まともに戦える人材が限られるため、力自慢な公女に頼りきりになっている。
先代の領主の時代も当時の公子(クロアの父)が荒事の対処をしてきた実績があり、領民はそれが普通なことだと認識している。
石付きの魔獣
マッドなサイエンティストが既存の生物に手を加えたという怪物。
体の一部に赤い宝石が埋まっていて、その石が宿主を凶暴化させる。
凶暴になった怪物は人を襲う被害を出すので、大陸中の者が迷惑している。
なんの目的でそのような生き物が放出されるのか、解明できていない。推測の中には「愉快犯」や「自分以外の生物を憎んでいるから」といったもっともらしい仮説が複数挙がる。
この石の影響で、元は普通の生き物が魔獣化する場合がある。ただし元から魔獣だった者も改造の被害に遭っている。
また改造対象は人間にもおよぶ。
その際に被害者は拉致されるため、人さらい事件のいくつかは一連の騒動と同じ犯人が起こしたのだと誤認されることもある。
2019年01月12日
クロア篇の登場人物
用語の解説はできてないですがフィーリングでお読みください。
◇クロア
聖王国内の領主の長女。高身長で力自慢な公女。
生粋の人間ではなく、母親が半分魔族の血を引いている。
外見は人そのものだが、親から受け継ぐ人外の血の影響により、幼少期から怪力を誇る。
次期領主として周囲からは尊重されており、本人もその気ではいる。
だが公女の机上仕事を難しく感じる現状、さらに煩雑な領主の仕事を率先してやりたいとは思っていない。あわよくば妹か弟に押し付けたいと考え中。
勉強よりも戦うことが得意。
◇ダムト
クロアに仕える男性従者。戦いから諜報活動、家事まで担当できる何でも屋。
クロアが小さいときから青年の姿で奉公している。
本人は素性を公開しないが、人外の血が混ざっていることは周囲にバレている。
世間一般的には素性不明の者を貴族の子女の側近にしたがらないものの、
クロアの馬鹿力を制御できる手練れがほかにいなかったため、彼が選ばれた。
立場的には当然クロアの下なのだが、クロアに対する口のきき方には遠慮がない。
◇レジィ
クロアに仕える少女従者。癒し担当(物理的にも精神的にも)。
前任の女性従者が出産を機に辞職し、その後を継いだ。クロアより年下。
家が裕福ではない平民。家族を養うため10歳のころに仕官しはじめた。
出仕当初は医療を担う下位の官吏を勤めていた。
勤務中のひたむきな態度と傷を癒す術の上手さ、そして気立てのよさを理由にクロアの従者に選出された。
クロアを敬いつつも、おたがいに親しい女友だちとして信頼を築いている面もある。
◆ベニトラ
物語冒頭で暴れた魔獣。石付きの魔獣に改造され、正気を失っていた。年齢不詳だが数百年は生きている。
大型の猫科猛獣のような容姿。虎に似ているが虎よりも顔が小さいスレンダー体型。
大まかなイメージはユキヒョウ。ユキヒョウとの違いは体毛が朱色で縞柄、足が長めなこと。
幼少時に人間とともにいた魔獣なので人間には好意的。
その性格を逆手に取られて悪人に捕まり、石付きの魔獣と化した。
幼獣に変化できるが性格と口調はおじいちゃんのまま。人とは会話ができる。
◇クノード
クロアの父で現領主。
通称は「アンペレ公」、あるいは「伯」(公も伯も爵位ではなく単純に長という意味)。
文武弓馬に優れ、温厚な性格で人望がある優等生。
個人武力はクロアのほうが強いが、統率能力では群を抜いて優秀。
その一方で、兵力不足になやむ領内の現状に有効な対策を立てられない凡庸さもある。
◇フュリヤ
クロアの母で領主夫人。もとは貧しい平民。
お隣の国の出身で、アンペレ領にきた際にクノードに見初められた。
そのおかげで困窮していた家庭が救われ、フュリヤの母もクロアたちの屋敷に住まわせてもらっている。
その身に半分流れる夢魔の血のせいで無意識に色香を放ちまくる。
それゆえ普段は露出を極力抑えた格好で過ごす。
主要な登場人物
◇クロア
聖王国内の領主の長女。高身長で力自慢な公女。
生粋の人間ではなく、母親が半分魔族の血を引いている。
外見は人そのものだが、親から受け継ぐ人外の血の影響により、幼少期から怪力を誇る。
次期領主として周囲からは尊重されており、本人もその気ではいる。
だが公女の机上仕事を難しく感じる現状、さらに煩雑な領主の仕事を率先してやりたいとは思っていない。あわよくば妹か弟に押し付けたいと考え中。
勉強よりも戦うことが得意。
◇ダムト
クロアに仕える男性従者。戦いから諜報活動、家事まで担当できる何でも屋。
クロアが小さいときから青年の姿で奉公している。
本人は素性を公開しないが、人外の血が混ざっていることは周囲にバレている。
世間一般的には素性不明の者を貴族の子女の側近にしたがらないものの、
クロアの馬鹿力を制御できる手練れがほかにいなかったため、彼が選ばれた。
立場的には当然クロアの下なのだが、クロアに対する口のきき方には遠慮がない。
◇レジィ
クロアに仕える少女従者。癒し担当(物理的にも精神的にも)。
前任の女性従者が出産を機に辞職し、その後を継いだ。クロアより年下。
家が裕福ではない平民。家族を養うため10歳のころに仕官しはじめた。
出仕当初は医療を担う下位の官吏を勤めていた。
勤務中のひたむきな態度と傷を癒す術の上手さ、そして気立てのよさを理由にクロアの従者に選出された。
クロアを敬いつつも、おたがいに親しい女友だちとして信頼を築いている面もある。
◆ベニトラ
物語冒頭で暴れた魔獣。石付きの魔獣に改造され、正気を失っていた。年齢不詳だが数百年は生きている。
大型の猫科猛獣のような容姿。虎に似ているが虎よりも顔が小さいスレンダー体型。
大まかなイメージはユキヒョウ。ユキヒョウとの違いは体毛が朱色で縞柄、足が長めなこと。
幼少時に人間とともにいた魔獣なので人間には好意的。
その性格を逆手に取られて悪人に捕まり、石付きの魔獣と化した。
幼獣に変化できるが性格と口調はおじいちゃんのまま。人とは会話ができる。
◇クノード
クロアの父で現領主。
通称は「アンペレ公」、あるいは「伯」(公も伯も爵位ではなく単純に長という意味)。
文武弓馬に優れ、温厚な性格で人望がある優等生。
個人武力はクロアのほうが強いが、統率能力では群を抜いて優秀。
その一方で、兵力不足になやむ領内の現状に有効な対策を立てられない凡庸さもある。
◇フュリヤ
クロアの母で領主夫人。もとは貧しい平民。
お隣の国の出身で、アンペレ領にきた際にクノードに見初められた。
そのおかげで困窮していた家庭が救われ、フュリヤの母もクロアたちの屋敷に住まわせてもらっている。
その身に半分流れる夢魔の血のせいで無意識に色香を放ちまくる。
それゆえ普段は露出を極力抑えた格好で過ごす。
2019年01月13日
クロア篇−*
鬱蒼とした木々の合間を通る男がいた。背が高い壮年は黒い長髪を整えもせず、無造作にたらしている。彼が着る衣類はかつて上等な素材だった。いまでは所々にほつれが目立ち、みすぼらしくなっていた。だが、男には貧しさを感じさせない特徴をもっている。
一つは彼の首にさがる、宝石をふんだんにあしらった装飾品。十字の形をした首飾りだ。その昔、名僧が国王よりたまわった貴重な一品だったという。名僧の関係者が彼に贈ったものだ。しかし彼自身は僧侶と無縁であり、むしろ真逆な立場にいる。男は僧たちの信仰対象の敵でもあるのだ。そうと知っていながら男は首飾りを身に着けつづける。男にとっては数ある報酬の一種でしかなかったからだ。
もう一つは彼のそばを飛びまわる動物。二枚の翼が背に生えた小さい竜だ。太い四肢と尾はトカゲに似ている。青紫色の鱗でおおった体に銀色のたてがみを生やしていた。幼竜は日の当たる角度を変えるたびにきらめいている。動く宝石にも等しいそれが口を動かす。
「こっちは町がないと思うよ」
飛竜は暗にこのまま進んでも無駄だと進言した。男はその意味を理解できたが、かと言ってどちらへ進路を変えればよいかわからなかった。こんな時にとる手段は決まっていた。
男は枝葉のすきまからのぞく青い空間を見上げる。
「空へ……上がるか」
飛竜は「うん、方角を確認してくる」と言い、折り重なる木の枝をかいくぐる。上空へ飛翔した飛竜は、地上から見ると豆粒ほどの大きさになった。
彼らは人里そのものに用はなかった。忽然と消えた所有物をさがして、かれこれ数か月は経った。遺失物は町へ流れついたはず、という確証のない思考のもと、手当たり次第に各地へ向かう。捜し物はどの町へ行ったのか、ようとして知れない。また男自身も己が捜索する対象の固有名称を忘れてしまっていた。捜索するのに不十分な状態であっても「町に行けばなんとかなる」という楽観が男にはあった。捜し物はそれ自体が独特の気配を発する。それゆえ、男が接近すれば居場所を感知できる。その自信が男の原動力となった。
上空で探索していた竜が下降した。竜は男の肩にとまり「人がくる」と警戒をうながした。男も生き物の接近に気づいてはいる。ただ、取るに足らぬと思い、見過ごしていた。
何者かが草木を分けいってくる。男の目の前にあらわれた者は二人。剣を腰に提げ、軽装の鎧を着た戦士。戦士の二人組は飛竜と十字の首飾りに注目すると、にんまり笑った。
「あんた、いいもん持ってるな。どこの貴族さまだい?」
「バカ、貴族がこんなボロを着るわけねえ。どうせ追いはぎでもして奪ったんだろ」
俺たちみたいに、と戦士の片割れが剣をぬく。切っ先を長身の男に突きつけ、勝ち誇る。
「盗賊の根城があるって知らねえで迷っちまったようだな。素直に金目のもんを置いてってくれりゃ、なんもしねえよ」
男はあからさまな脅しを受けたが、顔色を変えず、自身の首飾りを手のひらにのせる。
「これが欲しくば、相応の捧げものを見せよ」
抜身の剣をかまえる盗賊が鼻で笑う。
「はっ、冗談きついぜ。丸腰の野郎が俺たちと交渉するのかよ」
この剣をくれてやる、と賊が剣を振り下ろした。男の胸めがけて刃が空を斬る。
「な、にぃ?」
攻撃を仕掛けた賊はとまどった。刃は男の片手に収まっている。刃をつかむ手を斬ってやろうと剣の柄を動かすも、男の握力が勝っていて、動かない。固定された剣がようやく解放されたかと思うと、刀身が折れていた。刃部分は男の手で、土くれのごとく崩れる。
「このような粗悪品は受け取れない」
男の脅威的な握力によって鉄の剣が折れた。意気揚々と襲いかかった賊は剣の刃先があった部分を見つめ、青ざめる。
「あ、あんた……人間じゃねえな?」
男はうなずいた。賊たちの血の気がさっと引いていく。彼らの戦意が無くなったのを男が察すると、肩にのる飛竜を抱える。
「いらぬ時間をとった。早く迎えに行くぞ」
飛竜が羽ばたき、男の手をはなれる。竜は徐々に肉体を膨張させ、幼竜から成竜へと変貌する。翼が枝を薙ぎはらい、木くずや落ち葉が吹き荒れる。飛竜は木々に飛行を邪魔されており、「もっとひらけた場所がいいかな」と離陸場所の変更を提案をした。
「もうすこし歩くか」
男が飛竜の申し出を受け入れた。男が去ろうとするのを、賊が引きとめる。
「ま、待った! あんたは『館の魔人』なんだろ?」
武器が健在なほうの賊が男にたずねる。男は物憂げにうなずいた。自分になんの用も為さない連中との関わり合いに、うんざりした。そうとは気付かない賊が質問を続行する。
「名前は、ヴラド……その胸のクルクスに飛竜といや、魔人ヴラドの持ち物のはずだ」
ヴラドは己を知る者に多少の興味がわき、目線を合わせる。賊はヴラドの眼力に脅えながらも目を逸らさなかった。
「……なにか、頼みごとがあるのか?」
「あんたはさっき誰かを『迎えに行く』って言っただろ。その手伝いをさせてくれよ。そのかわりと言っちゃなんだが、あんたがおれらの助っ人をやるってのはどうだ?」
わるくはない条件のように聞こえた。ヴラドは「どう、か」と飛竜に意見を求める。
「いいんじゃない? どこにいるかわからないんだもん。人手は多いほうがいいよ」
飛竜は賊の交換条件に好意的だ。言いだしっぺの賊は強引に話をまとめ、流浪の一人と一匹を無法者の巣窟へ招いた。
一つは彼の首にさがる、宝石をふんだんにあしらった装飾品。十字の形をした首飾りだ。その昔、名僧が国王よりたまわった貴重な一品だったという。名僧の関係者が彼に贈ったものだ。しかし彼自身は僧侶と無縁であり、むしろ真逆な立場にいる。男は僧たちの信仰対象の敵でもあるのだ。そうと知っていながら男は首飾りを身に着けつづける。男にとっては数ある報酬の一種でしかなかったからだ。
もう一つは彼のそばを飛びまわる動物。二枚の翼が背に生えた小さい竜だ。太い四肢と尾はトカゲに似ている。青紫色の鱗でおおった体に銀色のたてがみを生やしていた。幼竜は日の当たる角度を変えるたびにきらめいている。動く宝石にも等しいそれが口を動かす。
「こっちは町がないと思うよ」
飛竜は暗にこのまま進んでも無駄だと進言した。男はその意味を理解できたが、かと言ってどちらへ進路を変えればよいかわからなかった。こんな時にとる手段は決まっていた。
男は枝葉のすきまからのぞく青い空間を見上げる。
「空へ……上がるか」
飛竜は「うん、方角を確認してくる」と言い、折り重なる木の枝をかいくぐる。上空へ飛翔した飛竜は、地上から見ると豆粒ほどの大きさになった。
彼らは人里そのものに用はなかった。忽然と消えた所有物をさがして、かれこれ数か月は経った。遺失物は町へ流れついたはず、という確証のない思考のもと、手当たり次第に各地へ向かう。捜し物はどの町へ行ったのか、ようとして知れない。また男自身も己が捜索する対象の固有名称を忘れてしまっていた。捜索するのに不十分な状態であっても「町に行けばなんとかなる」という楽観が男にはあった。捜し物はそれ自体が独特の気配を発する。それゆえ、男が接近すれば居場所を感知できる。その自信が男の原動力となった。
上空で探索していた竜が下降した。竜は男の肩にとまり「人がくる」と警戒をうながした。男も生き物の接近に気づいてはいる。ただ、取るに足らぬと思い、見過ごしていた。
何者かが草木を分けいってくる。男の目の前にあらわれた者は二人。剣を腰に提げ、軽装の鎧を着た戦士。戦士の二人組は飛竜と十字の首飾りに注目すると、にんまり笑った。
「あんた、いいもん持ってるな。どこの貴族さまだい?」
「バカ、貴族がこんなボロを着るわけねえ。どうせ追いはぎでもして奪ったんだろ」
俺たちみたいに、と戦士の片割れが剣をぬく。切っ先を長身の男に突きつけ、勝ち誇る。
「盗賊の根城があるって知らねえで迷っちまったようだな。素直に金目のもんを置いてってくれりゃ、なんもしねえよ」
男はあからさまな脅しを受けたが、顔色を変えず、自身の首飾りを手のひらにのせる。
「これが欲しくば、相応の捧げものを見せよ」
抜身の剣をかまえる盗賊が鼻で笑う。
「はっ、冗談きついぜ。丸腰の野郎が俺たちと交渉するのかよ」
この剣をくれてやる、と賊が剣を振り下ろした。男の胸めがけて刃が空を斬る。
「な、にぃ?」
攻撃を仕掛けた賊はとまどった。刃は男の片手に収まっている。刃をつかむ手を斬ってやろうと剣の柄を動かすも、男の握力が勝っていて、動かない。固定された剣がようやく解放されたかと思うと、刀身が折れていた。刃部分は男の手で、土くれのごとく崩れる。
「このような粗悪品は受け取れない」
男の脅威的な握力によって鉄の剣が折れた。意気揚々と襲いかかった賊は剣の刃先があった部分を見つめ、青ざめる。
「あ、あんた……人間じゃねえな?」
男はうなずいた。賊たちの血の気がさっと引いていく。彼らの戦意が無くなったのを男が察すると、肩にのる飛竜を抱える。
「いらぬ時間をとった。早く迎えに行くぞ」
飛竜が羽ばたき、男の手をはなれる。竜は徐々に肉体を膨張させ、幼竜から成竜へと変貌する。翼が枝を薙ぎはらい、木くずや落ち葉が吹き荒れる。飛竜は木々に飛行を邪魔されており、「もっとひらけた場所がいいかな」と離陸場所の変更を提案をした。
「もうすこし歩くか」
男が飛竜の申し出を受け入れた。男が去ろうとするのを、賊が引きとめる。
「ま、待った! あんたは『館の魔人』なんだろ?」
武器が健在なほうの賊が男にたずねる。男は物憂げにうなずいた。自分になんの用も為さない連中との関わり合いに、うんざりした。そうとは気付かない賊が質問を続行する。
「名前は、ヴラド……その胸のクルクスに飛竜といや、魔人ヴラドの持ち物のはずだ」
ヴラドは己を知る者に多少の興味がわき、目線を合わせる。賊はヴラドの眼力に脅えながらも目を逸らさなかった。
「……なにか、頼みごとがあるのか?」
「あんたはさっき誰かを『迎えに行く』って言っただろ。その手伝いをさせてくれよ。そのかわりと言っちゃなんだが、あんたがおれらの助っ人をやるってのはどうだ?」
わるくはない条件のように聞こえた。ヴラドは「どう、か」と飛竜に意見を求める。
「いいんじゃない? どこにいるかわからないんだもん。人手は多いほうがいいよ」
飛竜は賊の交換条件に好意的だ。言いだしっぺの賊は強引に話をまとめ、流浪の一人と一匹を無法者の巣窟へ招いた。
タグ:クロア
2019年01月14日
クロア篇−1章1
山中の岩壁に洞窟があった。洞窟の中は横幅および高さがある。広さは人ひとりが雨宿りに利用するには広すぎるほど。その洞窟内に、一体の獣が逃げこんだ。それを二人の男女が追いかける。獣は洞窟内の突き当たりで止まり、追跡者のいるほうへ向きなおった。
獣は虎に似た特徴をもち、燃えるような朱色の毛皮を逆立たせている。いまにも飛びかからんという姿勢で人間に牙を見せた。獣は闘争心にあふれている。そんな猛獣を目前にした人間は落ち着きはらっていた。彼らは簡単な武装をしており、獣との応戦はこの場へ行きつくまでに何度か交わした。形勢は人側が優位である。だが二人は慢心しなかった。追い詰められた獣が死力をふるうあがきには、容易に人命を刈り取る暴力が内在するからだ。
長身の女は先端に宝石のついた杖を構える。
「こわがる必要はなくってよ」
杖の先端で獣の喉元をしめす。彼女のねらいは一点、獣の喉に埋まる赤い石だ。
女は杖の柄にある小さな突起物を押した。宝石がいきおいよく射出する。弾丸となった宝石は獣へ直進した。獣は跳躍し、女の攻撃を回避する。宙に上がった獣の頭上に、網が展開した。これは女の後方にひかえた男が放ったものだ。網の端々には重りがついていた。その重量にしたがって網は下降する。獣は網の下敷きとなり、地べたへ落下した。朱色の獣は網を外そうともがく。そのせいで余計に網が絡まっていった。これで拘束は成功した。
「でかしたわ、ダムト。あとは赤い石を壊すだけ……」
獣はうなり声をあげた。咆哮を放つために頭をもたげた瞬間を、女は見逃さなかった。
あらわになった獣の首元に、杖を一突きする。ぱきん、と乾いた音が鳴る。同時に獣の叫びが洞窟を震わせる。男女はあわてて耳をふさぎ、轟音に耐えた。
耳をつんざく音が鳴りやんだ。朱色の獣はぐったりとその場に伏す。そのさまを確認した女は堂々と獣のそばでしゃがんだ。地面にはたったいま破壊した赤い石がちらばっている。女は赤い欠片をつまみ、その石を観察する。
「この石が魔獣を支配する道具ね。さ、回収してちょうだい」
女はあまり関心のない雑事をダムトという男に押し付けた。従者である彼は素直に応じる。ダムトは持参した空の巾着をひろげ、石の破片を入れていく。彼の視線は次第に獣へうつる。
「クロア様、魔獣のほうはいかがします?」
ダムトが主人に問うた。しかし彼は主人が獣をどうするつもりなのかわかっていた。この問いは彼なりの確認である。
クロアはふふんと鼻をならす。
「持ち帰るわ。石付きの魔獣を救助したあとは、仲間に引き入れるものなのよ」
それはクロアがここ最近の伝聞で知ったやり取りだった。赤い石によって正気を失った魔獣を、人が打ち倒し、その健闘をたたえて魔獣が人の仲間になるという。
「そういう事例はありますけど、この魔獣がクロア様を認めるかは別の話でしょう?」
ダムトはクロアの見込みが軽率だと言いたげだ。この従者はいつも主人に対して不遜な物言いをする。そのわるいクセが出たのだとクロアは不快に感じる。
「またそんなイジワルを言うのね」
「危機管理の面で苦言を申しているのです。魔獣がみな、助けられた恩義を感じる保証はありません。むしろ人がしでかした不始末を恨んで、我々に牙をむくやもしれません」
赤い石に狂わされた魔獣とは人の手によって生み出された生き物だ。魔獣を苦しめる人と助けた人が別ではあっても、他種族である生き物から見れば同じ人間の仕業だと判断するおそれはある。クロアは従者の意見が正論だろうと思い、
「そのときはもう一回、負かすわ」
と、彼らが想像する魔獣と大差ない好戦的な判断をくだした。
「領民への被害が出ないようにしてくださいね」
ダムトは主人の意向にそむかぬ助言をしておいた。主人はこの魔獣を欲する理由がある。だからどんな説得も聞きはしないというあきらめがついていた。
従者の赤い石を集める作業はおわった。彼は石の入った袋を自身の腰に提げる。次に魔獣の捕獲に使用した投網を再度魔獣に巻きつけ、申し訳程度に拘束を強める。彼が魔獣を担ごうとしたのを、クロアが止める。
「わたしが運ぶわ」
魔獣の運搬はクロア個人のわがままだ。そのため、クロアは自分の手で行なうべきことだと思っていた。なにより、単純な腕力ではクロアのほうが秀でている。それが彼女の生まれついての特性だ。人でない魔障の者の血が、その身体能力を開花させていた。
クロアは魔獣を仕留めた杖を腰の携帯用帯に差した。空いた両手を魔獣の腹の下に入れる。獣の巨躯を軽々と持ち上げ、右肩に獣の腹を乗せる。獣の後ろ足が自身の胸当てにかかった。獣を担いだ状態で歩いてみると、獣の太く長い尾を引きずってしまう。クロアは空いている左手で尻尾を持つ。毛の密集した尾はふわふわして温かい。
「あら、いい毛並みね」
「愛玩用にするのですか?」
「まさか。かわいいだけのものはいらないわ」
クロアは実用性のあるものをこのむ。そうでないと玩具をほしがる子どものようだ、という強迫観念にも似た嫌悪があった。幼く見られたくない理由は両親にある。クロアの両親はいまだに娘を子どもあつかいして、単独での私的な遠出を許可しない。こたびの魔獣討伐も、民衆を助ける名目での公的な職務である。クロア個人が希望した外出ではない。
(これだけの成果をあげたら、一人前だと思ってもらえるかしら)
クロアたちが追ってきた魔獣は町民をおびやかしていた。当然、町の安全を守る兵は魔獣を倒そうとしたが、彼らでは力かなわず、クロアに出番が回ってきた。難敵をくだしたクロアにはきっと周囲の称賛がもらえる。こうした功績を積み重ねていけば、いずれクロアは両親から一人立ちを認められるだろう。
いっぱしの大人あつかいされることは誇らしい。反面、厄介だと思う気持ちもあった。クロアが立派な大人になってしまうと、親の跡目をいつでも引き受けてよいということになる。それは父親が重大な責務を背負う立場でいる以上、困難が多数待ち受けることを意味する。その重圧は測りしれない。とにかくいまのクロアでは到底掌握できない責務だと思っている。大人が有する自由はほしいが、課せられる義務の多さには尻込みしてしまう──いつしか、そんな矛盾した思いを抱えるようになった。
討伐の成果を得た二人は洞窟を出る。外には装飾品を帯びた有翼の馬がいた。この馬は二人がこの場へ到着するまでの移動手段にもちいた。一般名称を飛馬という。
ダムトが飛馬の鞍に手を置く。鞍の幅は一般的な成人が二人乗れるくらいだ。
「魔獣の重さはどうです? 人間二人分なら飛馬に運ばせることもできますが」
「たぶんそれぐらいだわ。乗せてみましょ」
クロアは魔獣の後ろ足を鞍に乗せようとした。だが飛馬は離れていく。クロアがまた一歩飛馬に寄ってみても結果は同じ。
「怖いのかしら」
「捕食される側ですからね」
飛馬は意識のない魔獣をおそれているらしい。クロアはその根性にあきれる。
「だらしない飛馬ね。これが飛竜だったら魔獣の一匹くらい、なんてことないでしょうに」
「戦闘向きの調練をしていない個体なんでしょう」
クロアは飛馬での魔獣運搬をあきらめ、自力で運ぶことにした。ダムトが飛馬の手綱を握り、町へと歩を進めた。帰路の最中、二人は今日の討伐を反省する。
「無事捕縛できたからよいものの、魔獣退治は普通、こんな少人数で行なうものではないですよ」
「わたしとあなた以上の適役がいないのだもの。当然の結果よ」
「そんな状態が異常だとは思いませんか」
「思ってどうなるの。思うだけで強い兵士があつまるのなら、お父さまは苦労してないわ」
クロアの父は現役の領主。住民に危害を加える物事への対処が政務のうちに数えられる。実情、その危害に対して領主は十全な対策が実行できていない。彼自身には戦う能力があるのだが、たったひとりの将が奮闘しても、やれることには限界がある。
(どーしたら強い人があつまるのかしらね?)
その問題はこの地域を管轄する領主が長年なやみ続けてきたことだった。
獣は虎に似た特徴をもち、燃えるような朱色の毛皮を逆立たせている。いまにも飛びかからんという姿勢で人間に牙を見せた。獣は闘争心にあふれている。そんな猛獣を目前にした人間は落ち着きはらっていた。彼らは簡単な武装をしており、獣との応戦はこの場へ行きつくまでに何度か交わした。形勢は人側が優位である。だが二人は慢心しなかった。追い詰められた獣が死力をふるうあがきには、容易に人命を刈り取る暴力が内在するからだ。
長身の女は先端に宝石のついた杖を構える。
「こわがる必要はなくってよ」
杖の先端で獣の喉元をしめす。彼女のねらいは一点、獣の喉に埋まる赤い石だ。
女は杖の柄にある小さな突起物を押した。宝石がいきおいよく射出する。弾丸となった宝石は獣へ直進した。獣は跳躍し、女の攻撃を回避する。宙に上がった獣の頭上に、網が展開した。これは女の後方にひかえた男が放ったものだ。網の端々には重りがついていた。その重量にしたがって網は下降する。獣は網の下敷きとなり、地べたへ落下した。朱色の獣は網を外そうともがく。そのせいで余計に網が絡まっていった。これで拘束は成功した。
「でかしたわ、ダムト。あとは赤い石を壊すだけ……」
獣はうなり声をあげた。咆哮を放つために頭をもたげた瞬間を、女は見逃さなかった。
あらわになった獣の首元に、杖を一突きする。ぱきん、と乾いた音が鳴る。同時に獣の叫びが洞窟を震わせる。男女はあわてて耳をふさぎ、轟音に耐えた。
耳をつんざく音が鳴りやんだ。朱色の獣はぐったりとその場に伏す。そのさまを確認した女は堂々と獣のそばでしゃがんだ。地面にはたったいま破壊した赤い石がちらばっている。女は赤い欠片をつまみ、その石を観察する。
「この石が魔獣を支配する道具ね。さ、回収してちょうだい」
女はあまり関心のない雑事をダムトという男に押し付けた。従者である彼は素直に応じる。ダムトは持参した空の巾着をひろげ、石の破片を入れていく。彼の視線は次第に獣へうつる。
「クロア様、魔獣のほうはいかがします?」
ダムトが主人に問うた。しかし彼は主人が獣をどうするつもりなのかわかっていた。この問いは彼なりの確認である。
クロアはふふんと鼻をならす。
「持ち帰るわ。石付きの魔獣を救助したあとは、仲間に引き入れるものなのよ」
それはクロアがここ最近の伝聞で知ったやり取りだった。赤い石によって正気を失った魔獣を、人が打ち倒し、その健闘をたたえて魔獣が人の仲間になるという。
「そういう事例はありますけど、この魔獣がクロア様を認めるかは別の話でしょう?」
ダムトはクロアの見込みが軽率だと言いたげだ。この従者はいつも主人に対して不遜な物言いをする。そのわるいクセが出たのだとクロアは不快に感じる。
「またそんなイジワルを言うのね」
「危機管理の面で苦言を申しているのです。魔獣がみな、助けられた恩義を感じる保証はありません。むしろ人がしでかした不始末を恨んで、我々に牙をむくやもしれません」
赤い石に狂わされた魔獣とは人の手によって生み出された生き物だ。魔獣を苦しめる人と助けた人が別ではあっても、他種族である生き物から見れば同じ人間の仕業だと判断するおそれはある。クロアは従者の意見が正論だろうと思い、
「そのときはもう一回、負かすわ」
と、彼らが想像する魔獣と大差ない好戦的な判断をくだした。
「領民への被害が出ないようにしてくださいね」
ダムトは主人の意向にそむかぬ助言をしておいた。主人はこの魔獣を欲する理由がある。だからどんな説得も聞きはしないというあきらめがついていた。
従者の赤い石を集める作業はおわった。彼は石の入った袋を自身の腰に提げる。次に魔獣の捕獲に使用した投網を再度魔獣に巻きつけ、申し訳程度に拘束を強める。彼が魔獣を担ごうとしたのを、クロアが止める。
「わたしが運ぶわ」
魔獣の運搬はクロア個人のわがままだ。そのため、クロアは自分の手で行なうべきことだと思っていた。なにより、単純な腕力ではクロアのほうが秀でている。それが彼女の生まれついての特性だ。人でない魔障の者の血が、その身体能力を開花させていた。
クロアは魔獣を仕留めた杖を腰の携帯用帯に差した。空いた両手を魔獣の腹の下に入れる。獣の巨躯を軽々と持ち上げ、右肩に獣の腹を乗せる。獣の後ろ足が自身の胸当てにかかった。獣を担いだ状態で歩いてみると、獣の太く長い尾を引きずってしまう。クロアは空いている左手で尻尾を持つ。毛の密集した尾はふわふわして温かい。
「あら、いい毛並みね」
「愛玩用にするのですか?」
「まさか。かわいいだけのものはいらないわ」
クロアは実用性のあるものをこのむ。そうでないと玩具をほしがる子どものようだ、という強迫観念にも似た嫌悪があった。幼く見られたくない理由は両親にある。クロアの両親はいまだに娘を子どもあつかいして、単独での私的な遠出を許可しない。こたびの魔獣討伐も、民衆を助ける名目での公的な職務である。クロア個人が希望した外出ではない。
(これだけの成果をあげたら、一人前だと思ってもらえるかしら)
クロアたちが追ってきた魔獣は町民をおびやかしていた。当然、町の安全を守る兵は魔獣を倒そうとしたが、彼らでは力かなわず、クロアに出番が回ってきた。難敵をくだしたクロアにはきっと周囲の称賛がもらえる。こうした功績を積み重ねていけば、いずれクロアは両親から一人立ちを認められるだろう。
いっぱしの大人あつかいされることは誇らしい。反面、厄介だと思う気持ちもあった。クロアが立派な大人になってしまうと、親の跡目をいつでも引き受けてよいということになる。それは父親が重大な責務を背負う立場でいる以上、困難が多数待ち受けることを意味する。その重圧は測りしれない。とにかくいまのクロアでは到底掌握できない責務だと思っている。大人が有する自由はほしいが、課せられる義務の多さには尻込みしてしまう──いつしか、そんな矛盾した思いを抱えるようになった。
討伐の成果を得た二人は洞窟を出る。外には装飾品を帯びた有翼の馬がいた。この馬は二人がこの場へ到着するまでの移動手段にもちいた。一般名称を飛馬という。
ダムトが飛馬の鞍に手を置く。鞍の幅は一般的な成人が二人乗れるくらいだ。
「魔獣の重さはどうです? 人間二人分なら飛馬に運ばせることもできますが」
「たぶんそれぐらいだわ。乗せてみましょ」
クロアは魔獣の後ろ足を鞍に乗せようとした。だが飛馬は離れていく。クロアがまた一歩飛馬に寄ってみても結果は同じ。
「怖いのかしら」
「捕食される側ですからね」
飛馬は意識のない魔獣をおそれているらしい。クロアはその根性にあきれる。
「だらしない飛馬ね。これが飛竜だったら魔獣の一匹くらい、なんてことないでしょうに」
「戦闘向きの調練をしていない個体なんでしょう」
クロアは飛馬での魔獣運搬をあきらめ、自力で運ぶことにした。ダムトが飛馬の手綱を握り、町へと歩を進めた。帰路の最中、二人は今日の討伐を反省する。
「無事捕縛できたからよいものの、魔獣退治は普通、こんな少人数で行なうものではないですよ」
「わたしとあなた以上の適役がいないのだもの。当然の結果よ」
「そんな状態が異常だとは思いませんか」
「思ってどうなるの。思うだけで強い兵士があつまるのなら、お父さまは苦労してないわ」
クロアの父は現役の領主。住民に危害を加える物事への対処が政務のうちに数えられる。実情、その危害に対して領主は十全な対策が実行できていない。彼自身には戦う能力があるのだが、たったひとりの将が奮闘しても、やれることには限界がある。
(どーしたら強い人があつまるのかしらね?)
その問題はこの地域を管轄する領主が長年なやみ続けてきたことだった。
タグ:クロア
2019年01月16日
クロア篇−1章2
クロアたちは自分たちが住む町をめざした。クロアが魔獣を担ぐ間は飛馬が使えないので、行きの数倍の時間をかけて歩く。町を発ったのが午前。魔獣を捕獲し、町の遠景を発見したころには昼食時を大きく過ぎていた。飛馬を利用すればまたたく間に行ける道のりが、徒歩ではかなりの時間を食う。クロアは飛馬のありがたみを痛感した。
クロアの住む町の名はアンペレといい、周囲が外壁でかこまれている。その壁は何度かの拡張の痕跡があった。この町は種々様々な工房を擁する。ゆえに、事業が発展していくと必要な敷地面積も広くなる。
(工業がさかんなのは誇らしいことよ。でも……)
クロアは外壁に立つ哨兵を見あげた。彼らは外壁の上で警護の任に就いている。同種の警備兵が町中や領主の屋敷にも配備してあった。それらの外見はいかにも兵士である。だがその実態は兵士の存在を人々に見せつけるための、武芸の腕は素人の寄せあつめ──とはクロアの感覚だ。すべての兵士には基礎的な武術を仕込んである。一応はずぶの素人ではない。だがいざ町中に不届き者が現れても取り逃がす、そんな失態が多々起きた。そのほとんどはクロアがその場にいれば捕縛できたであろう、ただの盗人だった。
今回クロアが捕まえた魔獣も、本来は見張りの兵士が撃退できるだけの備えがあった。この朱色の魔獣は翼こそないが空を飛べる。この個体も飛馬同様の飛獣である。町の外壁には、こういった飛来する敵にも対抗しうる投擲兵器が設置してあるのだ。兵器をうまく使えば魔獣を遠ざけ、民衆の被害をなくせた。彼ら兵士には自力で戦う能力も、兵器を有効活用する技術も欠けている。その事実を思い出したクロアは思わず嘆息した。
「クロア様がため息を吐くとは、らしくありませんね」
飛馬の手綱を引くダムトが言う。
「魔獣の運搬をしたせいでお疲れになりましたか」
クロアの肩には朱色の魔獣が全体重を預けた状態でいる。いまなお気絶中だ。この獣の重さにクロアの不興は生まれず、むしろ毛皮の温かさに幸福感を得ている。
「このくらい平気よ」
クロアは片手に持っている獣の長い尾を振ってみせた。その尻尾のうごきをダムトはじっと見る。
「その魔獣、ずいぶん気に入ったようですね」
「ええ、この子は空を飛べるし、戦えるんだもの。仲間にできたらいい戦力になるわ」
「クロア様は戦いの想定ばかりなさいますね」
「みんながわたしに期待することも、それでしょ?」
「はい、クロア様は戦闘以外の能力が並以下ですから」
従者は無礼な真実を打ち明けた。クロアは機嫌をそこねるが、彼の言葉を否定はしない。クロアは次期領主に要求される内政能力には日々不足を感じている。貴人のたしなみとしてそなえるべき教養にも抜けがある。婦人の美徳とすべき家事仕事も下手だ。取り柄といえばこの怪力と、強敵にも臆さず戦える胆力。これらの長所はまっこと戦闘で存分に発揮できる能力だ。このように明確な長所と短所をもつクロアは、町の戦力問題は自分が解決すべきことだ、という義務感が自然と芽生えた。
クロアに不遜な物言いをするダムトもまた、戦闘面に秀でている。それゆえ彼はクロアの護衛役になった。クロアの幼いころから側仕えしているので、クロアの隣りにいることが当たり前になっている。だがいまのクロアは幼少時とはちがい、自分で身を守れる。腕扱きの護衛はもはや必要ない。代わりにダムトの能力は戦力不足にあえぐ町に活用させたら、という発想がクロアに生まれる。
「ねえ、あなた警備兵の指導をしてみない?」
「突拍子がないですね」
ダムトは別段その提案が良いともわるいとも感じていなさそうな、いつも通りの顔でいる。
「俺の小言にうんざりしたから、別の部署に回すおつもりですか」
「そうではないの。アンペレの兵士は……弱小でしょ」
「はい。長年、弱いままです」
「強い指導者が訓練をほどこせばマシになるんじゃなくて?」
「その指導者をどう見つけるんです?」
「それがあなたよ」
あらたな職務が提示された従者は「ムリです」と断言する。
「俺は槍や剣のたぐいを他人に教えられる技量がありません」
「使えないことはないじゃない」
「我流ですよ。俺個人に合った動作を兵士に習わせるのは効率がわるい」
「じゃああなたならどうするの?」
「ごく一般的な槍術を学んだ方をお呼びしたらよいかと思います」
「槍がいいの?」
「素人は槍の扱いを学んだほうが、早く使いものになります」
この国の軍隊も、兵士には一般的に槍を支給する。その理由には宗教的な論もあるが、内実は合理的だ。武器が大量生産しやすいこと、兵士の能力差に関わらず訓練がしやすいこと、たとえ棒立ちしかできぬ一般人であっても槍を構えていれば牽制には使えること。アンペレの弱卒はとりわけ消極的な利点によって槍を装備する。だがこれといった槍の名手はこの町にいない。
「んー、槍の名人をうちにまねく方法……」
「剣でも弓でもよいのですがね。そういう方をこちらから捜しに行くのはむずかしいでしょう」
「わかってるわ。わたしはめったなことじゃ外出許可が出ないし、長い期間あなたを遠方にやらせるわけにもいかないんでしょ」
「そうです。俺はあなたの護衛役ですから、何十日も町を離れていられません」
「強い人がくるのを待つしかないのかしら?」
「アンペレに武芸の達人が訪れるとしたら、隣りの剣王国か聖都に用事のある『ついで』な方ばかりでしょう。この町に根差すことはないと思いますよ」
「だから大都市の聖都や強い戦士を重用する剣王国に人材が流れるわけね」
「そこであぶれた弱い戦士がこの町に集まる仕組みです」
ダムトが容赦なく言い捨てる。まぎれもない事実だ。クロアは無言で肯定した。
外門より人影が走ってきた。その人物は橙色の短髪を上下に揺らしてくる。背丈こそそれなりにあるが、体つきはか細い。どこから活力が湧くのか不思議なくらい貧相だ。
「レジィ、あわててどうしたの?」
橙の髪の少女がクロアの前で止まる。深呼吸をしたのち、クロアに笑顔を見せる。
「お迎えに来たんです。朱色の獣を担ぐ赤銅色の髪の人と、飛馬を引く空色の髪の人が町の外にいると聞いたものだから」
「そう、出迎えてくれてありがとう」
レジィはダムトと同じ役職にある従者だ。ただし得意分野が異なる。彼女は傷を癒す療術使いである。戦闘には不向きなために今回は置いてけぼりをくった。
「おケガはありませんか? あの、魔獣のほうも」
「わたしたちは無傷よ。でも魔獣は検分していないの。屋敷に着いたら看てあげましょ」
はい、とレジィが元気な返事をする。
「荷台にその魔獣をのせませんか?」
「荷台を用意してくれたの?」
「そうなんです。クロアさまが徒歩で帰ってこられているから、きっと飛馬は使えない状態なんだろう、って話になって。ここからは魔獣の運搬をほかの者に任せてください。屋敷には飛馬に乗ってもどりましょう。クノードさまは飛馬の使用許可を出しています」
この町では空を飛べる獣の使用には制限がある。基本的に領主の許可がないときは普通の牛馬と同様、町中では地べたを移動させねばならない。その規則は領主一家にも適用される。この徹底ぶりは外敵への対処方法にとぼしい町における自衛策でもあった。もしこの規則がなかったら、ならず者たちが大量に飛獣を町の上空に飛ばせてもよいことになる。それだけですめばよいが、その際に町への攻撃を仕掛けようものなら、町には甚大な被害が出る。人為的な空からの奇襲を未然に回避するための規則だ。
ただし今回は飛来した魔獣の討伐のためにクロアが飛馬を駆りだした。そのことは周知されている。帰還のおりに飛馬を飛ばす状況は予想しうること。わざわざ帰りの使用許可を出さずとも兵士らは見逃しそうだが、そこを丁寧に配慮してくれた父の厚意にクロアはうれしくなる。
「わかったわ。お父さまの指示に従います」
クロアがレジィと話すうちに、荷台を引く馬が到着していた。馬の進行方向が町中へ向きなおるのをクロアが待ったあと、荷台に獣を載せた。そのあとは馬を引く者たちが対処する。網で巻いた獣がずり落ちないよう、縄で固定していった。ダムトが「帰りましょう」とクロアに飛馬の騎乗をすすめる。
「レジィと二人で行けますか?」
「あら、あなたはいいの?」
「魔獣の監視が必要でしょう。俺は荷台についていきます」
たしかに魔獣のそばには強者を付けさせておくべきだとクロアは思った。もし魔獣が輸送中に起きた場合、ダムト以外の兵士では対応しきれず、また逃がす可能性が高い。
「そうね……レジィ、さきに乗ってくれる?」
クロアは少女の従者に同乗を勧めた。レジィが飛馬に乗り、その後ろにクロアがまたがる。二人が騎乗するとダムトは飛馬の頬をなでて「屋敷までたのむ」と言った。飛馬はゆっくり上昇する。外壁を超える高度に上がると、まっすぐ屋敷へ飛んだ。その速度は魔獣を追いかけたときとは段違いに遅く、のんびりしていた。
クロアの住む町の名はアンペレといい、周囲が外壁でかこまれている。その壁は何度かの拡張の痕跡があった。この町は種々様々な工房を擁する。ゆえに、事業が発展していくと必要な敷地面積も広くなる。
(工業がさかんなのは誇らしいことよ。でも……)
クロアは外壁に立つ哨兵を見あげた。彼らは外壁の上で警護の任に就いている。同種の警備兵が町中や領主の屋敷にも配備してあった。それらの外見はいかにも兵士である。だがその実態は兵士の存在を人々に見せつけるための、武芸の腕は素人の寄せあつめ──とはクロアの感覚だ。すべての兵士には基礎的な武術を仕込んである。一応はずぶの素人ではない。だがいざ町中に不届き者が現れても取り逃がす、そんな失態が多々起きた。そのほとんどはクロアがその場にいれば捕縛できたであろう、ただの盗人だった。
今回クロアが捕まえた魔獣も、本来は見張りの兵士が撃退できるだけの備えがあった。この朱色の魔獣は翼こそないが空を飛べる。この個体も飛馬同様の飛獣である。町の外壁には、こういった飛来する敵にも対抗しうる投擲兵器が設置してあるのだ。兵器をうまく使えば魔獣を遠ざけ、民衆の被害をなくせた。彼ら兵士には自力で戦う能力も、兵器を有効活用する技術も欠けている。その事実を思い出したクロアは思わず嘆息した。
「クロア様がため息を吐くとは、らしくありませんね」
飛馬の手綱を引くダムトが言う。
「魔獣の運搬をしたせいでお疲れになりましたか」
クロアの肩には朱色の魔獣が全体重を預けた状態でいる。いまなお気絶中だ。この獣の重さにクロアの不興は生まれず、むしろ毛皮の温かさに幸福感を得ている。
「このくらい平気よ」
クロアは片手に持っている獣の長い尾を振ってみせた。その尻尾のうごきをダムトはじっと見る。
「その魔獣、ずいぶん気に入ったようですね」
「ええ、この子は空を飛べるし、戦えるんだもの。仲間にできたらいい戦力になるわ」
「クロア様は戦いの想定ばかりなさいますね」
「みんながわたしに期待することも、それでしょ?」
「はい、クロア様は戦闘以外の能力が並以下ですから」
従者は無礼な真実を打ち明けた。クロアは機嫌をそこねるが、彼の言葉を否定はしない。クロアは次期領主に要求される内政能力には日々不足を感じている。貴人のたしなみとしてそなえるべき教養にも抜けがある。婦人の美徳とすべき家事仕事も下手だ。取り柄といえばこの怪力と、強敵にも臆さず戦える胆力。これらの長所はまっこと戦闘で存分に発揮できる能力だ。このように明確な長所と短所をもつクロアは、町の戦力問題は自分が解決すべきことだ、という義務感が自然と芽生えた。
クロアに不遜な物言いをするダムトもまた、戦闘面に秀でている。それゆえ彼はクロアの護衛役になった。クロアの幼いころから側仕えしているので、クロアの隣りにいることが当たり前になっている。だがいまのクロアは幼少時とはちがい、自分で身を守れる。腕扱きの護衛はもはや必要ない。代わりにダムトの能力は戦力不足にあえぐ町に活用させたら、という発想がクロアに生まれる。
「ねえ、あなた警備兵の指導をしてみない?」
「突拍子がないですね」
ダムトは別段その提案が良いともわるいとも感じていなさそうな、いつも通りの顔でいる。
「俺の小言にうんざりしたから、別の部署に回すおつもりですか」
「そうではないの。アンペレの兵士は……弱小でしょ」
「はい。長年、弱いままです」
「強い指導者が訓練をほどこせばマシになるんじゃなくて?」
「その指導者をどう見つけるんです?」
「それがあなたよ」
あらたな職務が提示された従者は「ムリです」と断言する。
「俺は槍や剣のたぐいを他人に教えられる技量がありません」
「使えないことはないじゃない」
「我流ですよ。俺個人に合った動作を兵士に習わせるのは効率がわるい」
「じゃああなたならどうするの?」
「ごく一般的な槍術を学んだ方をお呼びしたらよいかと思います」
「槍がいいの?」
「素人は槍の扱いを学んだほうが、早く使いものになります」
この国の軍隊も、兵士には一般的に槍を支給する。その理由には宗教的な論もあるが、内実は合理的だ。武器が大量生産しやすいこと、兵士の能力差に関わらず訓練がしやすいこと、たとえ棒立ちしかできぬ一般人であっても槍を構えていれば牽制には使えること。アンペレの弱卒はとりわけ消極的な利点によって槍を装備する。だがこれといった槍の名手はこの町にいない。
「んー、槍の名人をうちにまねく方法……」
「剣でも弓でもよいのですがね。そういう方をこちらから捜しに行くのはむずかしいでしょう」
「わかってるわ。わたしはめったなことじゃ外出許可が出ないし、長い期間あなたを遠方にやらせるわけにもいかないんでしょ」
「そうです。俺はあなたの護衛役ですから、何十日も町を離れていられません」
「強い人がくるのを待つしかないのかしら?」
「アンペレに武芸の達人が訪れるとしたら、隣りの剣王国か聖都に用事のある『ついで』な方ばかりでしょう。この町に根差すことはないと思いますよ」
「だから大都市の聖都や強い戦士を重用する剣王国に人材が流れるわけね」
「そこであぶれた弱い戦士がこの町に集まる仕組みです」
ダムトが容赦なく言い捨てる。まぎれもない事実だ。クロアは無言で肯定した。
外門より人影が走ってきた。その人物は橙色の短髪を上下に揺らしてくる。背丈こそそれなりにあるが、体つきはか細い。どこから活力が湧くのか不思議なくらい貧相だ。
「レジィ、あわててどうしたの?」
橙の髪の少女がクロアの前で止まる。深呼吸をしたのち、クロアに笑顔を見せる。
「お迎えに来たんです。朱色の獣を担ぐ赤銅色の髪の人と、飛馬を引く空色の髪の人が町の外にいると聞いたものだから」
「そう、出迎えてくれてありがとう」
レジィはダムトと同じ役職にある従者だ。ただし得意分野が異なる。彼女は傷を癒す療術使いである。戦闘には不向きなために今回は置いてけぼりをくった。
「おケガはありませんか? あの、魔獣のほうも」
「わたしたちは無傷よ。でも魔獣は検分していないの。屋敷に着いたら看てあげましょ」
はい、とレジィが元気な返事をする。
「荷台にその魔獣をのせませんか?」
「荷台を用意してくれたの?」
「そうなんです。クロアさまが徒歩で帰ってこられているから、きっと飛馬は使えない状態なんだろう、って話になって。ここからは魔獣の運搬をほかの者に任せてください。屋敷には飛馬に乗ってもどりましょう。クノードさまは飛馬の使用許可を出しています」
この町では空を飛べる獣の使用には制限がある。基本的に領主の許可がないときは普通の牛馬と同様、町中では地べたを移動させねばならない。その規則は領主一家にも適用される。この徹底ぶりは外敵への対処方法にとぼしい町における自衛策でもあった。もしこの規則がなかったら、ならず者たちが大量に飛獣を町の上空に飛ばせてもよいことになる。それだけですめばよいが、その際に町への攻撃を仕掛けようものなら、町には甚大な被害が出る。人為的な空からの奇襲を未然に回避するための規則だ。
ただし今回は飛来した魔獣の討伐のためにクロアが飛馬を駆りだした。そのことは周知されている。帰還のおりに飛馬を飛ばす状況は予想しうること。わざわざ帰りの使用許可を出さずとも兵士らは見逃しそうだが、そこを丁寧に配慮してくれた父の厚意にクロアはうれしくなる。
「わかったわ。お父さまの指示に従います」
クロアがレジィと話すうちに、荷台を引く馬が到着していた。馬の進行方向が町中へ向きなおるのをクロアが待ったあと、荷台に獣を載せた。そのあとは馬を引く者たちが対処する。網で巻いた獣がずり落ちないよう、縄で固定していった。ダムトが「帰りましょう」とクロアに飛馬の騎乗をすすめる。
「レジィと二人で行けますか?」
「あら、あなたはいいの?」
「魔獣の監視が必要でしょう。俺は荷台についていきます」
たしかに魔獣のそばには強者を付けさせておくべきだとクロアは思った。もし魔獣が輸送中に起きた場合、ダムト以外の兵士では対応しきれず、また逃がす可能性が高い。
「そうね……レジィ、さきに乗ってくれる?」
クロアは少女の従者に同乗を勧めた。レジィが飛馬に乗り、その後ろにクロアがまたがる。二人が騎乗するとダムトは飛馬の頬をなでて「屋敷までたのむ」と言った。飛馬はゆっくり上昇する。外壁を超える高度に上がると、まっすぐ屋敷へ飛んだ。その速度は魔獣を追いかけたときとは段違いに遅く、のんびりしていた。
タグ:クロア
2019年01月17日
クロア篇−1章3
クロアは飛馬のおもむくままに行かせた。クロア自身は飛馬を操縦した経験があまりなく、いつもはダムトが付き添う。信頼する保護者がいないいまでは空中散歩をたのしむ余裕はなかった。しかしここでビビっては同乗するレジィに不安をいだかせてしまう。それゆえ、平常をよそおって「この景色を見ておきなさい。いつもは見られないからね」ともっともらしく語った。
飛馬は屋敷の厩舎のあたりで着地した。この場にいない乗り手が出した命令に忠実に沿ったのだ。クロアとレジィが下馬するのを厩舎担当の官吏が手伝う。地に降りたクロアは官吏に
「ダムトがくるまでこの子の荷物はこのままにして」
と言い置いた。この飛馬には魔獣捕縛用の道具が胴体の左右にくくりつけられてある。ダムトが用意した荷だ。他人が勝手にいじってはいけないとクロアは思った。飛馬自体はこの屋敷の所有物であり、けっしてダムトの私物ではないのだが、クロアの言葉に異を唱える者はいなかった。
クロアが屋敷へ入ろうとするとレジィが「クノードさまに会いにいきましょう」と言ってきた。それは優先事項だとクロアは思う。公女にも主君に成果を報告する義務があるのだ。
「どこにいらっしゃるのかしら?」
「射場におられるとか」
「そう、では報告しに行ってくるわ。あなたは魔獣が到着したらわたしに教えてくれる?」
「はい、じゃあ外にいますね」
クロアとレジィは別行動をはじめた。クロアは父のいる射場へ向かう。射場は弓術の訓練をする場所だ。クロアにはあまり縁がない。弓が弾けないわけではないが、性格と体型的に不向きだ。大ざっぱな性格ゆえに正確に的を射る技術はなかなか身に付かず、また、弦を引き絞る際に胸が邪魔になった。クロアの胸は母譲りの豊かさをもつ。
(胸と髪の色はお母さまに似たわ)
クロアは胸当てに防護された自身の胸を下から支えた。自分には不要だと思う、豊満な肉体だ。母も似たような色気のある体つきである。そのためか母は無意識にいろんな異性をとりこにしがちだ。しかしなぜだかクロアのほうはそうでもない。ただ無駄に胸が出ているだけだ。
クロアは自身の色香が足りないことをダムトになじられることがあった。クロアはその言い分に腹が立ったが、ダムトにはそう感じるだけの理由がある。彼の感性は独特だ。ダムトはクロアの母の蠱惑的な姿態に微塵も興味を示さない。多くの男性がまどわされる母の魅力を、ダムトは跳ねのけているのだ。そのように領主一家の女人を異性として見ない男性だからこそ、彼はいまなお従者でいられる。信頼のおける仲間を欲するクロアにとって、けっしてわるいことではない。彼は大事な戦友だ。
(お母さまは武器をふるうことがないからいいけれど、わたしには邪魔よ)
戦闘において、大きな胸が有利になる場面はない。扱える武器は制限されるし、攻撃をかわす際は余分に体をうごかさねばならない。術士に転向したなら激しい動作は抑えられるだろうが、クロアは術が不得意だ。
(術がヘタクソなのはお父さまに似たんだわ)
父は術が不得手な反面、弓馬を得意とする。父からは唯一、武才を受け継いだのだとクロアは自身を納得させていた。
クロアは屋内に設けた射場に着いた。現在は十数名の弓手が鍛錬を行なっている。皆が一様に地味な胸当てを装備する中、一人だけが色の異なる武具を身に着けていた。白銀の防具とそれに合わせた白塗りの弓。白い武具の中年は弦を引きしぼる。彼の横顔は真剣そのもの、視線はすでに数間先の的を射抜く。矢は視線と同じ軌跡を描き、円盤の中央に刺さる。射手は深く息を吐き、弓を下ろす。茶色の髭をたくわえた顔がクロアに向けられる。
「よく無事で。クロアが魔獣討伐に行っていると思うと、落ち着かなかった」
「ご心配をおかけいたしました。このとおり、大事なく帰還できましたわ」
「赤い石は破壊できたかな?」
「はい。残骸はダムトが回収しました。あとで届けさせます」
「彼はクロアと一緒にもどらなかった、と」
「いまは捕えた魔獣の運搬に付き添っています」
「そうか。ところでその魔獣を、どうする気でいる?」
「わたしの仲間にしたいと考えております」
中年の顔に緊張の色が見えた。その反応は正しい。人が魔獣を友とするとき、かならず魔獣と意志疎通がはかれる状態でなくてはいけない。それはつまり、覚醒した魔獣がクロアに危害を加えられる状況でもある。その危険な可能性を、父は案じている。石が破壊されても魔獣そのものの性格が凶暴でない保証はないのだ。
父娘の会話途中、射場に少女が駆けこんでくる。それがレジィだとわかったクロアは「魔獣が着いたの?」とたずねた。少女は「もうすぐです!」と元気よく答える。
「外へ出ませんか?」
「ええ、行かなくちゃね。魔獣を荷台から下ろす人手がいるでしょうし」
クロアは退室のまえに礼儀として父に一礼する。彼は「待ってくれ」と娘を引き止める。
「私にも会わせてほしい。町を荒らした者の顔は見ておきたい」
クロアは父の申し出を快諾した。どのみち父に魔獣を見せるつもりはあったので、断る理由がなかった。
中年は弓矢を保持したまま射場を離れる。訓練中の者たちは手を止め、中年に一礼した。
飛馬は屋敷の厩舎のあたりで着地した。この場にいない乗り手が出した命令に忠実に沿ったのだ。クロアとレジィが下馬するのを厩舎担当の官吏が手伝う。地に降りたクロアは官吏に
「ダムトがくるまでこの子の荷物はこのままにして」
と言い置いた。この飛馬には魔獣捕縛用の道具が胴体の左右にくくりつけられてある。ダムトが用意した荷だ。他人が勝手にいじってはいけないとクロアは思った。飛馬自体はこの屋敷の所有物であり、けっしてダムトの私物ではないのだが、クロアの言葉に異を唱える者はいなかった。
クロアが屋敷へ入ろうとするとレジィが「クノードさまに会いにいきましょう」と言ってきた。それは優先事項だとクロアは思う。公女にも主君に成果を報告する義務があるのだ。
「どこにいらっしゃるのかしら?」
「射場におられるとか」
「そう、では報告しに行ってくるわ。あなたは魔獣が到着したらわたしに教えてくれる?」
「はい、じゃあ外にいますね」
クロアとレジィは別行動をはじめた。クロアは父のいる射場へ向かう。射場は弓術の訓練をする場所だ。クロアにはあまり縁がない。弓が弾けないわけではないが、性格と体型的に不向きだ。大ざっぱな性格ゆえに正確に的を射る技術はなかなか身に付かず、また、弦を引き絞る際に胸が邪魔になった。クロアの胸は母譲りの豊かさをもつ。
(胸と髪の色はお母さまに似たわ)
クロアは胸当てに防護された自身の胸を下から支えた。自分には不要だと思う、豊満な肉体だ。母も似たような色気のある体つきである。そのためか母は無意識にいろんな異性をとりこにしがちだ。しかしなぜだかクロアのほうはそうでもない。ただ無駄に胸が出ているだけだ。
クロアは自身の色香が足りないことをダムトになじられることがあった。クロアはその言い分に腹が立ったが、ダムトにはそう感じるだけの理由がある。彼の感性は独特だ。ダムトはクロアの母の蠱惑的な姿態に微塵も興味を示さない。多くの男性がまどわされる母の魅力を、ダムトは跳ねのけているのだ。そのように領主一家の女人を異性として見ない男性だからこそ、彼はいまなお従者でいられる。信頼のおける仲間を欲するクロアにとって、けっしてわるいことではない。彼は大事な戦友だ。
(お母さまは武器をふるうことがないからいいけれど、わたしには邪魔よ)
戦闘において、大きな胸が有利になる場面はない。扱える武器は制限されるし、攻撃をかわす際は余分に体をうごかさねばならない。術士に転向したなら激しい動作は抑えられるだろうが、クロアは術が不得意だ。
(術がヘタクソなのはお父さまに似たんだわ)
父は術が不得手な反面、弓馬を得意とする。父からは唯一、武才を受け継いだのだとクロアは自身を納得させていた。
クロアは屋内に設けた射場に着いた。現在は十数名の弓手が鍛錬を行なっている。皆が一様に地味な胸当てを装備する中、一人だけが色の異なる武具を身に着けていた。白銀の防具とそれに合わせた白塗りの弓。白い武具の中年は弦を引きしぼる。彼の横顔は真剣そのもの、視線はすでに数間先の的を射抜く。矢は視線と同じ軌跡を描き、円盤の中央に刺さる。射手は深く息を吐き、弓を下ろす。茶色の髭をたくわえた顔がクロアに向けられる。
「よく無事で。クロアが魔獣討伐に行っていると思うと、落ち着かなかった」
「ご心配をおかけいたしました。このとおり、大事なく帰還できましたわ」
「赤い石は破壊できたかな?」
「はい。残骸はダムトが回収しました。あとで届けさせます」
「彼はクロアと一緒にもどらなかった、と」
「いまは捕えた魔獣の運搬に付き添っています」
「そうか。ところでその魔獣を、どうする気でいる?」
「わたしの仲間にしたいと考えております」
中年の顔に緊張の色が見えた。その反応は正しい。人が魔獣を友とするとき、かならず魔獣と意志疎通がはかれる状態でなくてはいけない。それはつまり、覚醒した魔獣がクロアに危害を加えられる状況でもある。その危険な可能性を、父は案じている。石が破壊されても魔獣そのものの性格が凶暴でない保証はないのだ。
父娘の会話途中、射場に少女が駆けこんでくる。それがレジィだとわかったクロアは「魔獣が着いたの?」とたずねた。少女は「もうすぐです!」と元気よく答える。
「外へ出ませんか?」
「ええ、行かなくちゃね。魔獣を荷台から下ろす人手がいるでしょうし」
クロアは退室のまえに礼儀として父に一礼する。彼は「待ってくれ」と娘を引き止める。
「私にも会わせてほしい。町を荒らした者の顔は見ておきたい」
クロアは父の申し出を快諾した。どのみち父に魔獣を見せるつもりはあったので、断る理由がなかった。
中年は弓矢を保持したまま射場を離れる。訓練中の者たちは手を止め、中年に一礼した。
タグ:クロア
2019年01月18日
クロア篇−1章4
屋敷内の門の下を荷台が通過する。荷を引く馬が進行を止めないうちからクロアは荷台に駆けよった。朱色の魔獣は荷台に縛りつけられてある。ねむっているかのようにおとなしいが、その口元はモソモソうごいていた。起きているのか、夢の中でなにかを食べているのか。クロアはその判断ができそうなダムトをあおぐ。
「この魔獣、寝てるの?」
「そのフリをしているようです」
ダムトがそう言ったとたん、馬と荷台の見張りをしていた兵士たちがどよめいた。馬を誘導していた者まで慌てだすので、馬はその場に停止した。
クロアはビビる兵たちを一瞥した。だが彼らの軟弱な対応を責める気はない。やはり魔獣はおそろしいもの。その畏怖の対象を従わせようとする行為は危険なのだと、クロアはひそかに自戒する。
「ふーん、起きてるのね」
その感想は強がりでもなんでもなかった。すでに目覚めているのなら本題に入れる、とクロアは判断する。
「荷台はここで止めていいわ。さきにこの魔獣と話をつけるから」
魔獣の輸送にたずさわった者はダムト以外、荷台から距離を置いた。反対にクロアとともに魔獣を出迎えにきた領主と少女はクロアのそばに寄った。
クロアは強制的にうつ伏せになる獣を見下ろした。伏せる獣は咀嚼するかのように口をうごかす。
「空より来たるもの、大地から涌き出るもの、生命の根源となるもの……」
獣は呪文めいた言葉をつぶやき、まぶたを開いた。眼孔がクロアに向かう。
「わかるか? 魔障の娘よ」
呪文はクロアへの問いかけだったらしい。だがこの質問には中年が反応を見せる。
「私の子を『魔障』と呼ぶな。四分の一、魔族の血が入っているだけだ」
温厚な父がめずらしく刺々しい物言いをする。静かな怒りには娘への庇護の情があった。失言をもらした朱色の獣はふんと鼻をならす。
「明公(めいこう)、我が処分を如何(いかん)とする?」
「お前の処遇は娘のクロアに任せる。だが無礼が過ぎればただでは済まぬと心得なさい」
「了解した。ではクロア、我になにを所望する?」
獣は物憂げな瞳をクロアに向けつづけた。敵意は感じられない。その瞳に宿すものは疲労や怠惰の念だった。
「わたしの招獣になってちょうだい。見返りに快適な住まいを提供してさしあげますわ」
招獣とは人と協力関係にある魔獣を指す。魔獣を招獣とする技術を、招術といった。クロアがこの魔獣を仲間にする、と言うのは魔獣を招獣として使役することを意味した。
招獣は人の呼びかけに応じて、瞬時に招術士のもとへ招喚される。この術を利用すれば、領内の防衛力不足になやむクロアにはちょうど良い戦力が確保できる。おまけにこの朱色の魔獣は飛行能力がある。その背中に人が乗れるのなら、飛獣としても重宝するだろう。それゆえクロアは是が非でも捕縛中の魔獣が欲しいと思った。
「我が心は山野に有り。人中での蟄居(ちっきょ)はあたわず」
魔獣は大自然の中ですごしたいらしい。クロアは条件を譲歩する。
「では呼出しに応じてくれるだけいいですわ。それ以外のときは山でぶらぶらしていてかまいません。招術を使えば一瞬でわたしのもとに移動できますもの」
「ならば良し。盟約を交わそう」
獣が太い前足をうごかした。その足は荷台の縄の拘束は受けていないが、ダムトの網のせいで自由に可動できない状態でいる。
「この足に己が手で触れ、精気を流せ」
魔獣を招獣とする際は相互に精気を渡しあうという。そのやり方を魔獣本人から教わるとは、クロアは心外だった。クロアの考えていた予定ではダムトかレジィに聞きながらやろうかとしていた。
「そうだったわね。できるかしら……」
クロアは以前、招獣を持っていたことがある。しかし忘却力の強いクロアは、当時のやり取りの大部分をわすれてしまった。とどこおりなく招術を使う自信はなかった。
クロアは毛むくじゃらな魔獣の足を一本、両手で包んだ。深呼吸を繰り返し、集中する。ふさふさした毛皮の温かさと共に、別の感覚が手中に集まる。それがクロアの精気。この精気を獣の足へ押しこむよう想像すると、別種の力が自身の指先から手首へと伝わってきた。これは魔獣が招獣となることを受け入れた合図だ。外部からくる力は手首にとどまる。その堰を外し、腕から肩へと流した。同時に自分からの力の注入は継続する。二方向の精気の行き来が判然としなくなってくると、獣の前足が上下にうごく。
「盟約は成った。次は我が名を定めるべし」
「ご自分の名前は持っていらして?」
「若き招術士が授けた名はある。『ベニトラ』……それが唯一の我が名」
「ではわたしもそうお呼びしますわ。よろしいかしら」
「可もなく不可もなし」
ベニトラと名乗る魔獣は体を縮めた。体積が小さくなり、子猫のような大きさと顔になる。縮小したベニトラは縄と網の間をすり抜ける。
「今後、魔獣を捕えるときは術が使えなくなる道具を用いよ」
尊大な助言とは裏腹に、弱々しい幼獣がクロアの足元にすり寄る。そのしぐさに、クロアは庇護欲をかきたてられた。内面は老爺のようだが現在の姿は子猫。クロアは子猫に変じた獣の両脇を持ち上げ、父に見せる。
「ふふ、あたらしい仲間ができましたわ」
「強い招獣がほしい、とよく言っていたからね。これでその獣はクロアの友だ」
クロアの手の中で幼獣は体を増長させた。おどろいたクロアは獣を取り落としそうになる。だが獣の肥大化した胴体は再度、両手におさまった。体の大きさは成猫と同じくらい。顔つきには幼さが残っていた。
「この魔獣、寝てるの?」
「そのフリをしているようです」
ダムトがそう言ったとたん、馬と荷台の見張りをしていた兵士たちがどよめいた。馬を誘導していた者まで慌てだすので、馬はその場に停止した。
クロアはビビる兵たちを一瞥した。だが彼らの軟弱な対応を責める気はない。やはり魔獣はおそろしいもの。その畏怖の対象を従わせようとする行為は危険なのだと、クロアはひそかに自戒する。
「ふーん、起きてるのね」
その感想は強がりでもなんでもなかった。すでに目覚めているのなら本題に入れる、とクロアは判断する。
「荷台はここで止めていいわ。さきにこの魔獣と話をつけるから」
魔獣の輸送にたずさわった者はダムト以外、荷台から距離を置いた。反対にクロアとともに魔獣を出迎えにきた領主と少女はクロアのそばに寄った。
クロアは強制的にうつ伏せになる獣を見下ろした。伏せる獣は咀嚼するかのように口をうごかす。
「空より来たるもの、大地から涌き出るもの、生命の根源となるもの……」
獣は呪文めいた言葉をつぶやき、まぶたを開いた。眼孔がクロアに向かう。
「わかるか? 魔障の娘よ」
呪文はクロアへの問いかけだったらしい。だがこの質問には中年が反応を見せる。
「私の子を『魔障』と呼ぶな。四分の一、魔族の血が入っているだけだ」
温厚な父がめずらしく刺々しい物言いをする。静かな怒りには娘への庇護の情があった。失言をもらした朱色の獣はふんと鼻をならす。
「明公(めいこう)、我が処分を如何(いかん)とする?」
「お前の処遇は娘のクロアに任せる。だが無礼が過ぎればただでは済まぬと心得なさい」
「了解した。ではクロア、我になにを所望する?」
獣は物憂げな瞳をクロアに向けつづけた。敵意は感じられない。その瞳に宿すものは疲労や怠惰の念だった。
「わたしの招獣になってちょうだい。見返りに快適な住まいを提供してさしあげますわ」
招獣とは人と協力関係にある魔獣を指す。魔獣を招獣とする技術を、招術といった。クロアがこの魔獣を仲間にする、と言うのは魔獣を招獣として使役することを意味した。
招獣は人の呼びかけに応じて、瞬時に招術士のもとへ招喚される。この術を利用すれば、領内の防衛力不足になやむクロアにはちょうど良い戦力が確保できる。おまけにこの朱色の魔獣は飛行能力がある。その背中に人が乗れるのなら、飛獣としても重宝するだろう。それゆえクロアは是が非でも捕縛中の魔獣が欲しいと思った。
「我が心は山野に有り。人中での蟄居(ちっきょ)はあたわず」
魔獣は大自然の中ですごしたいらしい。クロアは条件を譲歩する。
「では呼出しに応じてくれるだけいいですわ。それ以外のときは山でぶらぶらしていてかまいません。招術を使えば一瞬でわたしのもとに移動できますもの」
「ならば良し。盟約を交わそう」
獣が太い前足をうごかした。その足は荷台の縄の拘束は受けていないが、ダムトの網のせいで自由に可動できない状態でいる。
「この足に己が手で触れ、精気を流せ」
魔獣を招獣とする際は相互に精気を渡しあうという。そのやり方を魔獣本人から教わるとは、クロアは心外だった。クロアの考えていた予定ではダムトかレジィに聞きながらやろうかとしていた。
「そうだったわね。できるかしら……」
クロアは以前、招獣を持っていたことがある。しかし忘却力の強いクロアは、当時のやり取りの大部分をわすれてしまった。とどこおりなく招術を使う自信はなかった。
クロアは毛むくじゃらな魔獣の足を一本、両手で包んだ。深呼吸を繰り返し、集中する。ふさふさした毛皮の温かさと共に、別の感覚が手中に集まる。それがクロアの精気。この精気を獣の足へ押しこむよう想像すると、別種の力が自身の指先から手首へと伝わってきた。これは魔獣が招獣となることを受け入れた合図だ。外部からくる力は手首にとどまる。その堰を外し、腕から肩へと流した。同時に自分からの力の注入は継続する。二方向の精気の行き来が判然としなくなってくると、獣の前足が上下にうごく。
「盟約は成った。次は我が名を定めるべし」
「ご自分の名前は持っていらして?」
「若き招術士が授けた名はある。『ベニトラ』……それが唯一の我が名」
「ではわたしもそうお呼びしますわ。よろしいかしら」
「可もなく不可もなし」
ベニトラと名乗る魔獣は体を縮めた。体積が小さくなり、子猫のような大きさと顔になる。縮小したベニトラは縄と網の間をすり抜ける。
「今後、魔獣を捕えるときは術が使えなくなる道具を用いよ」
尊大な助言とは裏腹に、弱々しい幼獣がクロアの足元にすり寄る。そのしぐさに、クロアは庇護欲をかきたてられた。内面は老爺のようだが現在の姿は子猫。クロアは子猫に変じた獣の両脇を持ち上げ、父に見せる。
「ふふ、あたらしい仲間ができましたわ」
「強い招獣がほしい、とよく言っていたからね。これでその獣はクロアの友だ」
クロアの手の中で幼獣は体を増長させた。おどろいたクロアは獣を取り落としそうになる。だが獣の肥大化した胴体は再度、両手におさまった。体の大きさは成猫と同じくらい。顔つきには幼さが残っていた。
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