2021年01月02日
習一篇−4章7
銀髪の教師が飲食店に入る。入店時、ちりんちりんという鈴の音が鳴った。その音は入口の戸の上部から聞こえてくる。習一も店へ入り、戸を見上げてみると、木製の戸の上部に戸当たりがある。戸当たりの棒部分に鈴が複数垂れていた。鈴を吊るす紐にはリボンが結んである。鈴とリボンを高所に飾る光景が、どことなくクリスマスリースやベルを連想させた。
(クリスマスの飾りなわけないな)
習一はこのかわいらしい飾り付けを季節限定ではなく、常に飾ってあるものだと判断した。鈴は客の入退店を報せる実用的な仕掛けだが、リボンにはこれといった利便性がない。実益のない装飾が施されているのを、女性的だと感じる。
(女の意見が通りやすい店か?)
傾向的に、女性は飾ることを好みやすい。その固定観念は女子学生が無駄に色とりどりの文房具を使っていたり、かわいい小物を鞄などに飾ったりするさまからできあがった。
ほかにどんな飾りがあるのか、と習一は店内の様子を確認しようとする。しかし格子状の木製の衝立に視界をはばまれ、装飾らしいものがないレジとその奥にいる店員に注目することになった。
レジにいる小柄な男性──に思えたが、それは少年のような風貌の女性だった。緑エプロンをかけた女性店員は高い声と笑顔で客へあいさつをする。そして店の料金形態は前払いだと説明した。教師が代金を支払うと、あらたな店員があらわれ、店内を案内する。その店員は長身の女性だ。
「二名様、こちらの席へどうぞ〜」
女性にしては低い声だ。しかし習一の違和感は彼女の外見に集中する。案内役の女性は店の指定着らしき緑エプロンの下に、黒と白でデザインしたスカート丈の短いエプロンドレスを着ている。俗に言うゴスロリ的な服だ。おまけに場違いなほど妖艶な体つきである。
(なんだ、こいつ……)
エプロンを大きく前へ突き出す胸部と、さらけ出た太ももが、喫茶店全体をいかがわしい店に見間違わせた。だが異質な存在は彼女ひとりのようで、内装も利用客も普通の喫茶店となんら変わりないように見えた。
色気を強調する女性店員にうながされるまま、習一たちは壁側のテーブルに座った。店員はテーブルに二人分のフォークと箸の入った細い籠を置き、座席の壁側にあるメニュースタンドへ手を伸ばす。このとき彼女の胸がぶ厚い曲線を描いて卓上に浮いた。習一は思わず視線が胸へいくが、凝視するのはみっともないことだと恥じ入り、店員のうごく手に集中した。彼女はメニューを取り、彼女自身が読みやすいように開く。
「お好きな飲み物をひとつ選んでね──」
店員は店内での食事の説明をしてきた。個々に選べるのはメニューにある飲み物のみで、ほかはみな同じセットだという。店員がもってくるソーセージと惣菜パンと、客が好きなだけ取れるサラダや食パンを食べる形式であると。
「フリードリンクもあるの。お得でしょう?」
店員は愛想のいい笑顔で客二人に同意を求めた。教師は「そうですね」と気のない返事をする。
「選ぶ時間をいただけますか。注文が決まったのちに、お呼びします」
教師は丁寧な口調で店員を立ち去らせようとした。店員は「気にしなくていいのよ」とやんわりこばむ。
「ほかのオーダー待ちはないんだもの。何分でもここで待っててあげる」
給仕役は前かがみになって卓上にひじをつき、片方の手で頬杖をついている。おまけにもう片方の腕で胸を寄せ上げており、自身の女ぶりを強調してくる。それらのしぐさはとても勤務中の態度には思えない。
(こいつが店長か?)
彼女の自由奔放さは店での発言力の強さに直結すると習一は感じた。普通の従業員ならばすぐに注意が入って品行を正すか、注意に従えない場合は解雇されるはずだからだ──女の色香を売り物にする店でなければ、だが。
習一はこの店を食事の場に選んだ張本人の様子をうかがった。教師は特定の店ならもっとも価値のある商品であろう女性には目もくれず、「私はコーヒーにします」と言い、メニュー表を習一が見やすい角度に変える。
「あとは貴方の分です」
言われなくてもわかることをわざわざ言葉にする様子から、習一はそれとなく「早く決めてくれ」という言葉の裏を感じた。その意図に応えてやる義理は習一にない。教師への意地悪のために優柔不断なそぶりをするのも手だと一瞬頭をよぎった。しかし無駄に色気のある店員がこちらを見てくる状況は習一にとっても居心地がわるい。ゆえにメニュー表で一番に目についたフルーツソーダという品名を指さした。
「あらら、二人とも即断即決なのね〜」
オーダーをとれた給仕はしゃなりしゃなりと歩き、カウンターの奥へと消えた。習一は彼女が聞き耳を立てられない場所へ移ったのを確認したうえで、教師に問う。
「あんなやつがいるとわかってて、この店を選んだのか?」
「知ってはいました。ですがあの人があのような接客をするとは考えていませんでした」
「事故ってことか?」
「言い方はわるいでしょうが、おおむねその通りです」
教師はただの飲食店のつもりで習一を連れてきたのだ。習一とてそう思っていたが、本人から確認がとれて一安心する。
「ヘンな店に連れてこられたかと思ったぞ」
「おどろかせてしまって申し訳ありません。店員の勤務状況を聞かずにきたのが失敗でした」
「だれがいつ店に出てるだのいないだの、普通の客がわかるもんじゃないだろ」
習一は遠回しに教師に非がないことを認めた。教師の肩をもつのがなんとなく気恥ずかしくなり、話題を変えるために視線を変える。
習一が店内を見ればカウンター沿いに食べものが並んでいた。机の上に、大量の食パンが入った籠や、野菜を千切りにしたサラダとそれにかけるドレッシング、炒り卵が入った器、ティーポッドなどを置いてある。習一はその机の前を通ってきたのだが、女性店員の異様さに意識をそそいだせいで気づかなかったようだ。
「あちらにあるものは自由に取っていいようですね」
教師の関心もさきほどの店員から離れている。習一はようやく本来の目当てである食事に気持ちを向けた。
「取りに行ってはどうです?」
「アンタはいいのか?」
「はい。私は空腹ではないので」
「アンタも飯を食わないタチか」
エリーという少女も食事をしたがらなかった。二人とも不健康には見えないため、どこかで栄養補給はできているらしい。
「あの子といい、隠れてうまいもんを食ってるのか?」
「どのように考えてもらってもかまいません。いずれわかるときがきます」
「いまは話す気がないんだな」
「ええ、優先順位がありますから」
私事の詮索は後回し、とは今朝方に双方の合意がとれた決定だ。直後に教師とその妹分の奇妙な生い立ちに触れはしたが、あれは名を名乗るのと同程度の自己紹介のうちだと教師が思ったから習一に伝えたのだろう。彼らの食事状況はその範疇にない。
「少量でもいいのでサラダと卵をおすすめします。体力をもどすには必要な栄養です」
教師は習一の食事指導をしてきた。これが教師の中で優先度の高い事柄だ。そして習一にも重要度の高い忠告だ。したがうのが最適だとわかっているが、習一は他人の指示を忠実に実行することに抵抗を感じる。すこしでも教師の予想外の行動をしてやりたくなり、少量ではないサラダと炒り卵を皿に盛りつけた。盛った皿をテーブルに置いてみたところ、教師はこれといった反応を示さなかった。普通の量だと思ったのだろうか。習一はこれでは足りないと考え、教師の提案になかった食パンやフリードリンクも取りに行った。
習一がテーブルに着こうとしたころ、艶めかしい給仕が銀髪の教師と話していた。卓上には真新しい料理が置いてある。配膳の仕事を終えてから無駄話に興じているらしい。
勤務態度が自由すぎる店員は習一に気づくと「いっぱい食べてね〜」と笑顔で言った。習一への言葉かけはそれきりで、彼女はすぐ教師に話しかける。
「キリちゃんが言ってたとおりの男前ね」
どうやら二人は初対面らしい。その発見と同時に、謎の人物名が出たことに習一は着目した。それがだれなのかたずねようかと思ったが、ここで話の腰を折らずともあとで教師個人に聞けばいいと考えなおし、サラダをもさもさ食べはじめた。
「先生もモデルをやってみたらどう? 絶対、若いコからマダムまで気に入られるわよ」
「衆目にさらされる仕事は遠慮します。私は穏やかに暮らしたいですから」
「まだ二十七なんでしょ? ご隠居みたいなこと言ってちゃもったいないわ。若いうちはいろんな可能性を試してみなくっちゃ」
「私は教員生活に満足できています。ほかの職業を試す意欲はありません」
「あら、でも一ヶ月ヒマなんでしょう。その間に挑戦してもいいんじゃないかしら」
「……御縁があれば、考えます」
「わたしから口利きしてもいいのよ」
教師はだまった。彼は返答に困っているらしい。この男が強い口調で言い返さないばかりに店員が自分の関心事をぐいぐい押しつけてくるのだ。習一は副次的効果に教師の身辺事情を知れており、二人のやり取りを傍観した。
(これで二十七歳?)
習一は教師を三十代かと診断していた。実年齢が推定より数歳若いのを意外だと感じる。教師は肌にシワがなく二十代でもありうる肌年齢ではあるものの、精神面の落ちつき方が若者のそれではない。
(……苦労してるのかもな)
先刻聞けた教師の生い立ちは常識離れしていた。その環境が教師の精神的な成長を大いに促進したのだろう。彼の成長の裏に、常人には想像のできない苦難があったと見える。習一も艱難辛苦は人並み以上に経験しているつもりでいたが、この教師にはおよばない気がした。
給仕と教師が雑談をする中、レジの店員がサボタージュ中の給仕を呼んだ。呼び声に応じて給仕は立ち去る。教師は興味のない職種のスカウトから解放され、コーヒーカップに手を伸ばした。
「アンタ、イヤならイヤだと言えばすむ話だろ?」
習一は無駄に話を長引かせた教師の態度をつついた。教師はカップには触れず、手をテーブルに置く。
「人手が足りなくて困っている、というのであれば手助けはしたいですから。拒絶はできません」
「なんでそんなに他人を助けたいと思うんだ?」
「私の趣味だと思ってもらってかまいません」
この言い方により、習一は教師が明確な答えをはぐらかしてきた印象を受けた。しかし追究しても得られるものはない空気も感じる。そこで習一は「立派な趣味だな」という本音と皮肉がないまぜになった一言のみにとどめた。
(クリスマスの飾りなわけないな)
習一はこのかわいらしい飾り付けを季節限定ではなく、常に飾ってあるものだと判断した。鈴は客の入退店を報せる実用的な仕掛けだが、リボンにはこれといった利便性がない。実益のない装飾が施されているのを、女性的だと感じる。
(女の意見が通りやすい店か?)
傾向的に、女性は飾ることを好みやすい。その固定観念は女子学生が無駄に色とりどりの文房具を使っていたり、かわいい小物を鞄などに飾ったりするさまからできあがった。
ほかにどんな飾りがあるのか、と習一は店内の様子を確認しようとする。しかし格子状の木製の衝立に視界をはばまれ、装飾らしいものがないレジとその奥にいる店員に注目することになった。
レジにいる小柄な男性──に思えたが、それは少年のような風貌の女性だった。緑エプロンをかけた女性店員は高い声と笑顔で客へあいさつをする。そして店の料金形態は前払いだと説明した。教師が代金を支払うと、あらたな店員があらわれ、店内を案内する。その店員は長身の女性だ。
「二名様、こちらの席へどうぞ〜」
女性にしては低い声だ。しかし習一の違和感は彼女の外見に集中する。案内役の女性は店の指定着らしき緑エプロンの下に、黒と白でデザインしたスカート丈の短いエプロンドレスを着ている。俗に言うゴスロリ的な服だ。おまけに場違いなほど妖艶な体つきである。
(なんだ、こいつ……)
エプロンを大きく前へ突き出す胸部と、さらけ出た太ももが、喫茶店全体をいかがわしい店に見間違わせた。だが異質な存在は彼女ひとりのようで、内装も利用客も普通の喫茶店となんら変わりないように見えた。
色気を強調する女性店員にうながされるまま、習一たちは壁側のテーブルに座った。店員はテーブルに二人分のフォークと箸の入った細い籠を置き、座席の壁側にあるメニュースタンドへ手を伸ばす。このとき彼女の胸がぶ厚い曲線を描いて卓上に浮いた。習一は思わず視線が胸へいくが、凝視するのはみっともないことだと恥じ入り、店員のうごく手に集中した。彼女はメニューを取り、彼女自身が読みやすいように開く。
「お好きな飲み物をひとつ選んでね──」
店員は店内での食事の説明をしてきた。個々に選べるのはメニューにある飲み物のみで、ほかはみな同じセットだという。店員がもってくるソーセージと惣菜パンと、客が好きなだけ取れるサラダや食パンを食べる形式であると。
「フリードリンクもあるの。お得でしょう?」
店員は愛想のいい笑顔で客二人に同意を求めた。教師は「そうですね」と気のない返事をする。
「選ぶ時間をいただけますか。注文が決まったのちに、お呼びします」
教師は丁寧な口調で店員を立ち去らせようとした。店員は「気にしなくていいのよ」とやんわりこばむ。
「ほかのオーダー待ちはないんだもの。何分でもここで待っててあげる」
給仕役は前かがみになって卓上にひじをつき、片方の手で頬杖をついている。おまけにもう片方の腕で胸を寄せ上げており、自身の女ぶりを強調してくる。それらのしぐさはとても勤務中の態度には思えない。
(こいつが店長か?)
彼女の自由奔放さは店での発言力の強さに直結すると習一は感じた。普通の従業員ならばすぐに注意が入って品行を正すか、注意に従えない場合は解雇されるはずだからだ──女の色香を売り物にする店でなければ、だが。
習一はこの店を食事の場に選んだ張本人の様子をうかがった。教師は特定の店ならもっとも価値のある商品であろう女性には目もくれず、「私はコーヒーにします」と言い、メニュー表を習一が見やすい角度に変える。
「あとは貴方の分です」
言われなくてもわかることをわざわざ言葉にする様子から、習一はそれとなく「早く決めてくれ」という言葉の裏を感じた。その意図に応えてやる義理は習一にない。教師への意地悪のために優柔不断なそぶりをするのも手だと一瞬頭をよぎった。しかし無駄に色気のある店員がこちらを見てくる状況は習一にとっても居心地がわるい。ゆえにメニュー表で一番に目についたフルーツソーダという品名を指さした。
「あらら、二人とも即断即決なのね〜」
オーダーをとれた給仕はしゃなりしゃなりと歩き、カウンターの奥へと消えた。習一は彼女が聞き耳を立てられない場所へ移ったのを確認したうえで、教師に問う。
「あんなやつがいるとわかってて、この店を選んだのか?」
「知ってはいました。ですがあの人があのような接客をするとは考えていませんでした」
「事故ってことか?」
「言い方はわるいでしょうが、おおむねその通りです」
教師はただの飲食店のつもりで習一を連れてきたのだ。習一とてそう思っていたが、本人から確認がとれて一安心する。
「ヘンな店に連れてこられたかと思ったぞ」
「おどろかせてしまって申し訳ありません。店員の勤務状況を聞かずにきたのが失敗でした」
「だれがいつ店に出てるだのいないだの、普通の客がわかるもんじゃないだろ」
習一は遠回しに教師に非がないことを認めた。教師の肩をもつのがなんとなく気恥ずかしくなり、話題を変えるために視線を変える。
習一が店内を見ればカウンター沿いに食べものが並んでいた。机の上に、大量の食パンが入った籠や、野菜を千切りにしたサラダとそれにかけるドレッシング、炒り卵が入った器、ティーポッドなどを置いてある。習一はその机の前を通ってきたのだが、女性店員の異様さに意識をそそいだせいで気づかなかったようだ。
「あちらにあるものは自由に取っていいようですね」
教師の関心もさきほどの店員から離れている。習一はようやく本来の目当てである食事に気持ちを向けた。
「取りに行ってはどうです?」
「アンタはいいのか?」
「はい。私は空腹ではないので」
「アンタも飯を食わないタチか」
エリーという少女も食事をしたがらなかった。二人とも不健康には見えないため、どこかで栄養補給はできているらしい。
「あの子といい、隠れてうまいもんを食ってるのか?」
「どのように考えてもらってもかまいません。いずれわかるときがきます」
「いまは話す気がないんだな」
「ええ、優先順位がありますから」
私事の詮索は後回し、とは今朝方に双方の合意がとれた決定だ。直後に教師とその妹分の奇妙な生い立ちに触れはしたが、あれは名を名乗るのと同程度の自己紹介のうちだと教師が思ったから習一に伝えたのだろう。彼らの食事状況はその範疇にない。
「少量でもいいのでサラダと卵をおすすめします。体力をもどすには必要な栄養です」
教師は習一の食事指導をしてきた。これが教師の中で優先度の高い事柄だ。そして習一にも重要度の高い忠告だ。したがうのが最適だとわかっているが、習一は他人の指示を忠実に実行することに抵抗を感じる。すこしでも教師の予想外の行動をしてやりたくなり、少量ではないサラダと炒り卵を皿に盛りつけた。盛った皿をテーブルに置いてみたところ、教師はこれといった反応を示さなかった。普通の量だと思ったのだろうか。習一はこれでは足りないと考え、教師の提案になかった食パンやフリードリンクも取りに行った。
習一がテーブルに着こうとしたころ、艶めかしい給仕が銀髪の教師と話していた。卓上には真新しい料理が置いてある。配膳の仕事を終えてから無駄話に興じているらしい。
勤務態度が自由すぎる店員は習一に気づくと「いっぱい食べてね〜」と笑顔で言った。習一への言葉かけはそれきりで、彼女はすぐ教師に話しかける。
「キリちゃんが言ってたとおりの男前ね」
どうやら二人は初対面らしい。その発見と同時に、謎の人物名が出たことに習一は着目した。それがだれなのかたずねようかと思ったが、ここで話の腰を折らずともあとで教師個人に聞けばいいと考えなおし、サラダをもさもさ食べはじめた。
「先生もモデルをやってみたらどう? 絶対、若いコからマダムまで気に入られるわよ」
「衆目にさらされる仕事は遠慮します。私は穏やかに暮らしたいですから」
「まだ二十七なんでしょ? ご隠居みたいなこと言ってちゃもったいないわ。若いうちはいろんな可能性を試してみなくっちゃ」
「私は教員生活に満足できています。ほかの職業を試す意欲はありません」
「あら、でも一ヶ月ヒマなんでしょう。その間に挑戦してもいいんじゃないかしら」
「……御縁があれば、考えます」
「わたしから口利きしてもいいのよ」
教師はだまった。彼は返答に困っているらしい。この男が強い口調で言い返さないばかりに店員が自分の関心事をぐいぐい押しつけてくるのだ。習一は副次的効果に教師の身辺事情を知れており、二人のやり取りを傍観した。
(これで二十七歳?)
習一は教師を三十代かと診断していた。実年齢が推定より数歳若いのを意外だと感じる。教師は肌にシワがなく二十代でもありうる肌年齢ではあるものの、精神面の落ちつき方が若者のそれではない。
(……苦労してるのかもな)
先刻聞けた教師の生い立ちは常識離れしていた。その環境が教師の精神的な成長を大いに促進したのだろう。彼の成長の裏に、常人には想像のできない苦難があったと見える。習一も艱難辛苦は人並み以上に経験しているつもりでいたが、この教師にはおよばない気がした。
給仕と教師が雑談をする中、レジの店員がサボタージュ中の給仕を呼んだ。呼び声に応じて給仕は立ち去る。教師は興味のない職種のスカウトから解放され、コーヒーカップに手を伸ばした。
「アンタ、イヤならイヤだと言えばすむ話だろ?」
習一は無駄に話を長引かせた教師の態度をつついた。教師はカップには触れず、手をテーブルに置く。
「人手が足りなくて困っている、というのであれば手助けはしたいですから。拒絶はできません」
「なんでそんなに他人を助けたいと思うんだ?」
「私の趣味だと思ってもらってかまいません」
この言い方により、習一は教師が明確な答えをはぐらかしてきた印象を受けた。しかし追究しても得られるものはない空気も感じる。そこで習一は「立派な趣味だな」という本音と皮肉がないまぜになった一言のみにとどめた。
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