2020年11月17日
習一篇−4章3
習一は喫茶店に居続けた。時間を経るごとに店内を行き交う人が替わっていく。客の顔ぶれが変化するたび、自分が店の利益にならない存在であることを察した。
空席が目立つ時間帯は習一のような客はいてもいなくても同じだ。なおかつ表面上の客入りのとぼしさをごまかす役には立てる。ゆえに店側に多大な損失は与えないだろうと習一は見込んでいる。しかし明確な益をもたらすわけでもなく、店内が満席になればこの状況は一変する。利益を生み出すはずの席が無駄に占領されたままでは、一銭も金を落とさない習一が店の邪魔者になるのだ。
(……夕飯はここで早めに食うか)
夕食の理想のタイミングは店内の客席がすべて埋まるまえである。空席待ちの客が現れてからも食に関わらない私事を優先してはマナー違反だと思った。不良に徹した時期ならばそんな倫理観を無視してもそれが不良だと開き直れたのだが、現在の習一はその演技を一時取りやめている。おまけにいまはお利口そうな少女が同席している。彼女に無作法の巻き添えを食わせられなかった。
習一は上客が入れ替わる様子を視界の端でとらえていった。そのうちに、手持ちの課題がすべて解ける。習一は久方ぶりの達成感をその身に感じた。ついでに、空腹も感じた。
空腹を鎮めるため、そしてテーブル席を長く利用させてもらった場所代のため、料理を注文しにかかる。同席者にもメニューを見せたが、彼女は遠慮した。これには習一がぎょっとする。少女は昼に習一と出会って以降、なにも飲み食いしていない。
「それで平気なのか?」
「うん、気にしないで」
銀髪の少女は事もなげに答え、読書を継続した。習一はこの暑い時期に水分さえ摂取しないのは異常だと感じたものの、彼女がそうする理由を思いつく。
(断食するきまりの宗教があるとか……)
それは国外で主流だという宗教だ。この異国風の少女がそのような戒律を遵守する敬虔な宗教家であれば習一が口をはさむ道理はない。他人が守りたい決まりなぞ、周囲に損害が出ないかぎり好きに尊重したらよいことだ。
(それか、ダイエットか)
痩身を美徳とする国は多い。この日本もその傾向は強く、とりわけ女性には細い肉体を目指したがる者がいる。この少女はほどよい細身に見えるとはいえ、本人が理想とする体型は本人にしかわからない。少女が減量目的の絶食をしている可能性もある、と習一は考えつき、少女に向けていたメニューを自分に向けた。
習一は自分が食べる分の料理を注文した。店員は二人いる席で一人分の品しか発注されなかったことを不審がらず、料理を提供してくれた。少女は到着した料理に視線をやったものの、すぐに本へ意識をもどす。習一には彼女の食欲が本当にないように見受けられた。
(分けてやらなくてもいいんだな)
料理の半分くらいは食べさせてもいい、という思いはあった。しかし「すこし食べるか」と確認するのはくどいと感じ、習一は黙って夕食をすすめた。
水すら飲まない同席者の前で、料理をたいらげる。腹がふくれた習一はクッションのきいた背もたれに寄りかかり、天井を見る。いまこの身体に伝わる充足感は以前にも湧いたことがある。その経験は現在所属する高校への受験勉強にいそしんだ時期に積んだ。
当時、母は息子を塾へ通わせてはどうか、と父にすすめた。父は「中学程度の勉強に塾は必要ない」と一蹴した。実際、中学生の習一の成績はよかったため、その調子を保てば外部の助けは必要ない、と習一も思った。それゆえ習一は自力で学んだ。
しかし家の中では能天気な妹が騒がしかった。彼女が寝入る夜か目覚めるまえの朝でもなければ勉強がはかどらない。しかしその時間帯をねらって勉強していては睡眠時間が圧倒的に足りなくなる。そこで習一は家の外で勉学にはげんだ。学校は地域の子どもが雑多に集まる場所だったせいで学習施設が不十分。学習室があっても早々に人が埋まるほど席数がすくなかった。そのため習一は喫茶店や近隣の図書館をよく活用した。
図書館はとても静かで快適な場所だった。だが食事をとりに移動するたびに荷物を整理する手間が煩わしかった。また利用客が大勢いると使える机のスペースが手狭になる。それゆえテーブル席が割り当てられる喫茶店の利用が増えた。店内は人々の会話や生活音が発生して、静寂とは程遠い環境ではあるのだが、だれにも干渉されないスペースが一定して確保できることが習一にとっての利点だった。
(またこんなふうに勉強をやるとはな)
優等生であったころの自分と、落第を免れるために一仕事を終えた自分が重なる。習一はその対比を鼻で笑った。
「そろそろおうちにかえる?」
少女に聞かれ、習一は我に返った。その提案を受けて一気に胸が重くなる。日はとうに没した。しかしまだ人々が寝静まる頃合いではない。ゆえに家に帰るには早すぎる。なぜなら習一を害する大人が帰宅し、起きているはずで、その者からあらゆる攻撃を受けかねないのだ。
「あしたはシドが一日、シューイチにつきそうの。今晩のうちにゆっくり休もうね」
少女は明日の予定を話した。今日はこれで解散だと言わんばかりである。
「ああ……ところでおまえは明日、くるのか?」
その可能性が低いと思いながら習一はたずねた。少女はあくまで銀髪の教師の補佐役。教師の手が足りないときに習一を支援または見張る便利屋であろう。教師みずから習一に付き添う際に、彼女が同行するメリットはなさそうだった。
「ううん。でも、シドによばれたらくるよ」
少女は本をリュックサックの中へしまう。彼女は店を出る気満々だ。習一も気乗りしないながらも荷物をまとめた。習一が帰り支度をするかたわら、少女が「ごはんのお金、わたそうか」と言うのを、首を横にふってこばむ。すると少女は「さきに外にいってる」と言って、テーブルを離れた。
会計を終えた習一は店の軒先で少女を見つける。習一は学校正門での邂逅と同じく、少女を無視するように歩いた。
舗装された道路は日中の熱を溜めこみ、ほんのり熱を放出していた。多少蒸し暑いが、昼間とは段違いに涼しい。比較的、過ごしやすい状況だ。それでも習一の気分は晴れず、ゆるい歩調で家を目指した。
空席が目立つ時間帯は習一のような客はいてもいなくても同じだ。なおかつ表面上の客入りのとぼしさをごまかす役には立てる。ゆえに店側に多大な損失は与えないだろうと習一は見込んでいる。しかし明確な益をもたらすわけでもなく、店内が満席になればこの状況は一変する。利益を生み出すはずの席が無駄に占領されたままでは、一銭も金を落とさない習一が店の邪魔者になるのだ。
(……夕飯はここで早めに食うか)
夕食の理想のタイミングは店内の客席がすべて埋まるまえである。空席待ちの客が現れてからも食に関わらない私事を優先してはマナー違反だと思った。不良に徹した時期ならばそんな倫理観を無視してもそれが不良だと開き直れたのだが、現在の習一はその演技を一時取りやめている。おまけにいまはお利口そうな少女が同席している。彼女に無作法の巻き添えを食わせられなかった。
習一は上客が入れ替わる様子を視界の端でとらえていった。そのうちに、手持ちの課題がすべて解ける。習一は久方ぶりの達成感をその身に感じた。ついでに、空腹も感じた。
空腹を鎮めるため、そしてテーブル席を長く利用させてもらった場所代のため、料理を注文しにかかる。同席者にもメニューを見せたが、彼女は遠慮した。これには習一がぎょっとする。少女は昼に習一と出会って以降、なにも飲み食いしていない。
「それで平気なのか?」
「うん、気にしないで」
銀髪の少女は事もなげに答え、読書を継続した。習一はこの暑い時期に水分さえ摂取しないのは異常だと感じたものの、彼女がそうする理由を思いつく。
(断食するきまりの宗教があるとか……)
それは国外で主流だという宗教だ。この異国風の少女がそのような戒律を遵守する敬虔な宗教家であれば習一が口をはさむ道理はない。他人が守りたい決まりなぞ、周囲に損害が出ないかぎり好きに尊重したらよいことだ。
(それか、ダイエットか)
痩身を美徳とする国は多い。この日本もその傾向は強く、とりわけ女性には細い肉体を目指したがる者がいる。この少女はほどよい細身に見えるとはいえ、本人が理想とする体型は本人にしかわからない。少女が減量目的の絶食をしている可能性もある、と習一は考えつき、少女に向けていたメニューを自分に向けた。
習一は自分が食べる分の料理を注文した。店員は二人いる席で一人分の品しか発注されなかったことを不審がらず、料理を提供してくれた。少女は到着した料理に視線をやったものの、すぐに本へ意識をもどす。習一には彼女の食欲が本当にないように見受けられた。
(分けてやらなくてもいいんだな)
料理の半分くらいは食べさせてもいい、という思いはあった。しかし「すこし食べるか」と確認するのはくどいと感じ、習一は黙って夕食をすすめた。
水すら飲まない同席者の前で、料理をたいらげる。腹がふくれた習一はクッションのきいた背もたれに寄りかかり、天井を見る。いまこの身体に伝わる充足感は以前にも湧いたことがある。その経験は現在所属する高校への受験勉強にいそしんだ時期に積んだ。
当時、母は息子を塾へ通わせてはどうか、と父にすすめた。父は「中学程度の勉強に塾は必要ない」と一蹴した。実際、中学生の習一の成績はよかったため、その調子を保てば外部の助けは必要ない、と習一も思った。それゆえ習一は自力で学んだ。
しかし家の中では能天気な妹が騒がしかった。彼女が寝入る夜か目覚めるまえの朝でもなければ勉強がはかどらない。しかしその時間帯をねらって勉強していては睡眠時間が圧倒的に足りなくなる。そこで習一は家の外で勉学にはげんだ。学校は地域の子どもが雑多に集まる場所だったせいで学習施設が不十分。学習室があっても早々に人が埋まるほど席数がすくなかった。そのため習一は喫茶店や近隣の図書館をよく活用した。
図書館はとても静かで快適な場所だった。だが食事をとりに移動するたびに荷物を整理する手間が煩わしかった。また利用客が大勢いると使える机のスペースが手狭になる。それゆえテーブル席が割り当てられる喫茶店の利用が増えた。店内は人々の会話や生活音が発生して、静寂とは程遠い環境ではあるのだが、だれにも干渉されないスペースが一定して確保できることが習一にとっての利点だった。
(またこんなふうに勉強をやるとはな)
優等生であったころの自分と、落第を免れるために一仕事を終えた自分が重なる。習一はその対比を鼻で笑った。
「そろそろおうちにかえる?」
少女に聞かれ、習一は我に返った。その提案を受けて一気に胸が重くなる。日はとうに没した。しかしまだ人々が寝静まる頃合いではない。ゆえに家に帰るには早すぎる。なぜなら習一を害する大人が帰宅し、起きているはずで、その者からあらゆる攻撃を受けかねないのだ。
「あしたはシドが一日、シューイチにつきそうの。今晩のうちにゆっくり休もうね」
少女は明日の予定を話した。今日はこれで解散だと言わんばかりである。
「ああ……ところでおまえは明日、くるのか?」
その可能性が低いと思いながら習一はたずねた。少女はあくまで銀髪の教師の補佐役。教師の手が足りないときに習一を支援または見張る便利屋であろう。教師みずから習一に付き添う際に、彼女が同行するメリットはなさそうだった。
「ううん。でも、シドによばれたらくるよ」
少女は本をリュックサックの中へしまう。彼女は店を出る気満々だ。習一も気乗りしないながらも荷物をまとめた。習一が帰り支度をするかたわら、少女が「ごはんのお金、わたそうか」と言うのを、首を横にふってこばむ。すると少女は「さきに外にいってる」と言って、テーブルを離れた。
会計を終えた習一は店の軒先で少女を見つける。習一は学校正門での邂逅と同じく、少女を無視するように歩いた。
舗装された道路は日中の熱を溜めこみ、ほんのり熱を放出していた。多少蒸し暑いが、昼間とは段違いに涼しい。比較的、過ごしやすい状況だ。それでも習一の気分は晴れず、ゆるい歩調で家を目指した。
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